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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
前に言ったかもなんですが、私が10歳の頃までテレビがなかったんですよ。
これが今思うとつくづくうちを象徴していたなと思うんですけど、
貧乏で買えなかったとかではないですよ。
当時ってテレビなんですよ。
なんて言えばいいんですかね。
一番いいものは車だけど、家に一番必要なものはテレビ、しかもカラーテレビみたいな。
そういう時代だった気がします。
私が生まれて間もなくカラーテレビは必要かみたいな議論があったみたいなんですよ。
白黒だったんですよ、うちに最初にあったテレビは。
白黒で十分だ議論みたいなのがあったんですよ。
ちょっと今では考えにくい話ですけどね。
青森県から埼玉県に引っ越してきた時に父がテレビを買わないことにしたらしいんですね。
あんまり僕よく覚えてはいないんですけど。
あれは一体何だったんだろうって今にして思うんですよ。
大胸の私は親との確執とかみたいなのがないんですね。
ただあれは当時時々ですけれども困惑させられる事象が多かったんですよね。
困惑させられることが多かった。
例えば幼稚園に行ってテレビがないというと幼稚園の先生にまでバカにされるんですよ。
本当そうなんですよね。
当時そういうことが許されている時代だったということもありますけど。
テレビがなくてなぜ生きていけるくらいな感じで要するに強奨されるわけですよね。
幼稚園の友達とかは酷くて私テレビがないことを理由に女の子とかにやだら殴られるとかいうことがありました。
当時僕は気が弱かったということもあるんだけど。
でも今思っても不思議なのはいきなり殴り出すんですよね。
あれは一体どういう感覚だったのか今不思議なんですけど。
なんで自分テレビがないことが理由で女の子にこんなに殴られてるんだろうっていう。
あの女の子は実は電気屋さんだったのかなとか後で考えたりもしたんですけど。
いまいちよくわからなかったんですね。
小学校に上がった頃にドクタースランプというのが流行ってた時代があった。
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ものすごい流行ってた気がするんですよね。
有名な漫画でしたからね。
で、運動会でアニメの主題歌を歌うというのがあったんですよ。
その時も僕はテレビが家にないもんだから見たことがないわけですよ。
一回も。
で、当然歌は歌えないじゃないですか。
あの時もめちゃくちゃ先生に怒られはしないんだけどすごい言われたんですよね。
テレビくらい買ってもらえみたいなことを言われた。
小学校3年だった気がしますね。
3年だな多分。
4年の後半うちに会った気がするんですよね。
2年ではなかった。
で、買ってもらえと言われても。
あと私当時勉強はできた子だったからテレビを見ないで勉強しているわけかみたいなことを言われて。
それも結構困ったんですけど勉強なんかしてなかったし。
テレビを見ないでとかそういうテレビ見ないでっていう発想ってテレビがあった場合の発想じゃないですか。
家にないんだから見ないでとかはないわけですよね。
で、あれは一体その、というわけで今はっきり覚えているのはこの2つのことぐらいなんですけど。
いちいち細かくいろんな状況で起こるわけですよね。
当時ファミコンというものが小学校3、僕が多分2、3年の頃から急速に流行りだしたんですけど。
これも当然ないわけじゃないですか。
これについても結構困った記憶があるんですよね。
似たような理由で。
うちの住んでた朝霞市というのは当時ベッドタウンっていうやつのものすごい典型的な場所で、
近所にどんどんどんどんマンションが建っていくんですよね。
最後の高度経済成長みたいな感じで。
みんな池袋とかに向かって行くんですけど、池袋に行くところで山手線とかで乗り換えるんでしょうけど。
通勤券のかなり走りのところだったんで、走りっていうのはその走りの時期だったんで。
土地空いてたんですよ。急速に埋まっていくんで。
だからみんな同じような生活をして、テレビ見てファミコンして子供は塾に行ってみたいな。
本当にステレオタイプだったんで。
そこからずれてるとやりにくくてしょうがなかったという場所ではあったんで。
それはまあいいんですが、父は何を考えていたんだろうなと今は思うんですよね。
まあ分かるんですよ。教育的だったんですよね。
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教育的によろしくないと思ってたんでしょう。
ただ父ってそんなに教育的な人間じゃないんですよね。
子供がどの学校行ってるとかよく分かってないし。
なんかね、ほとんど口も出さないしですね。
今思うとあのアンバランスさって何なんだろうと思うんですけど。
あれはですね、今にしてずっと結構謎だったんですよ。
旗迷惑なやつだなとも思った時があったんですよ。
で、今思うとあれはですね、彼の正しさだったんですね。
テレビは悪いっていう。
全て悪いという事柄はテレビから発生するっていう。
なんかね、そういう意味では宗教家だからっての辺で決してそんなに怒るとしてないんですけど。
事実の箱みたいな。
あれを見ることによってみんなが悪化していくみたいなそういう考え方にね、
思ってたんですよね。
小さなコミュニティで正しさってすごく発揮されやすいじゃないですか。
このコミュニティだけは正しくあらしめようみたいなそういうのがあって。
で、父の場合はそれが今から思えばなんですけど、結構はしばしで強く出て、
その最大のですね、正しさを発揮させるというのが、
私当時は別に見たかったわけじゃないし、今も見たいと思わないんで、
あれなんですけれども、これがですね、様々な加工をその後に残しちゃうんだなということがね、
よくわかります。
正しさっていうのはね、
正しさというのは、
正しさというのは、
正しさというのは、
正しさというのは、
これはありがちなんですけど、
多分父はテレビを恐ろしいものだと半ば思ってたんですね。
多分無自覚だったんですけど、全然。
子供を悪くするみたいな、
悪くする力を持つ者って怖いじゃないですか。
今から見ると冗談みたいに聞こえますけど、
真剣にそう思ってない限り、
勝ってるはずがないんですよ。
だから、
正しさというのは、
正しさというのは、
今から見ると冗談みたいに聞こえますけど、
真剣にそう思ってない限り、
勝ってるはずなんですよ。絶対に。
だって、他に無い家がなかったですからね、
あの当時から。
で、わざわざそれを買わないという決定を、
買えないんじゃないんですからね。
しかも、買わないんで。
あれをしていて、
大変、こう、
恐れてるわけじゃないですか。
他の人たちがみんな見てるわけじゃないですか、
その悪いものを。
だから、その父のですね、
考え方は独特なところが確かにあって あれがですねなんとも非常にめんどくさいことに
母に良くない影響をですね 及ぼしてた気がするんですよね結果として何が起こったかというと
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テレビ買ってから母はそのさらにちょっと暇ができてからですね ずーっとテレビ見てるんですよね
本当にねあの 私はそんなことどうとも思わなかったけどそれにしてもこれはないだろうっていう
ほど 一時ひどかったんですよ
あの時のこともですね当時僕はあの アホだなあとただしそう思ったんだけど
もうちょっとたってからね非常に気の毒だったなと思ったんですよね 要は
あれはなんて言うんですか あれですよ
ニコチンとかアルコールを無理やり立たされた人が反動で母は絶対あれはテレビが すごい好きな人だったんですよ
もともと で何を応募なのか
まあ父親て当時そういう人はいたんですけどこのコミュニティを正しくするという 発想のもと
8 結局教育的な理由だから反対しにくい当時はですね
父親の教育方針に母親が逆らって結構難しかったと思うんですよね で
また母は意外とアレでノンキーなので多分か安易に同意してしまって自分がテレビを見 られなくなるということを忘れ忘れてるはずないんだけど
そういうことが大したことじゃないと思ったんですよきっと 実はすごい大したことで本当にこうまさにですね
薬が切れちゃった人の反動みたいにしてテレビを見て朝からずっと見てるみたいな 本当にねぇ
やめてほしかったんですよねあれは不健康だし微妙すぎるだろうそれっていう感じ で
あの一時10年ぐらい 10年はないな5年ぐらいテレビを切ってしまったから
すごい高独特の高受け 入れ方をするんですよね要するにテレビの言うことは全部正しくなっているんですよ母の頭が
これ未だにあってですねすっごい困るわけですよ あの
なんかこうコロナの騒動もそうだけどもテレビの言う通りなんですよ 時間を自覚が全然ないし
8テレビが全部正しいと思ってるわけじゃないと思っ 言いながら全部正しいと思い込んでるわけですよ
俺 めんどくさいなぁというか
だなぁと思うんですけれどもで なんかこれも非常に面白いんですけどね
えっとそんなにテレビが悪いと父は思ってたんだからなんか母に言うんじゃないかなと 思ってたんですよ
ところがですねこれもまた何のことどういうことなんだっていう感じだけど父も特に仕事 なくなってからずっとテレビ見てるんですよ
これがもう本当に何かこう 飽きないのかなっていうレベルで
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でこの人たちは一体何なんだろうと思ったんですね私その見ないから どうこしているのがひどく見えちゃうんでしょうけれどもこういうことは
一家家庭はいっぱいあるんだと思うんですけどね で父なんか特にその
悪いものだったわけじゃないですかでもやっぱりテレビの言う通りに信じてるんですよ ねコロナとか対策と全部
テレビが言ってる通りになっちゃってるわけです これどうしてこういうことになるんだろうと思ったんだけど
結局あの正しさがあったわけですよ テレビが怖かったと
で今では怖くなくなったわけじゃないですか 全然怖くない何を前にというか逆だなその
あの認知的不協和なんだなと思ったんですね
見てるじゃないですか 見てる以上
そんな悪の象徴みたいにそうしたら自分たちどんどん悪くなっていくってことになっちゃう じゃないですか
だからここでこう不協和を解消するんですよね きっとしたんですよそういう話聞かないけれどもきっとしたんだと思うんですよ
見れば見るほど良くなるぐらいに切り替えたんだと思うんですよ 元が極端だったからえっと不協和の解消がすごい極端なんですよね
で これがですね私はどうとも思わなかったんですけど
妹も一種の被害者で私は本当に子供の頃テレビ見たかったのにって言っていて で大人になってからですね
それこそドクタースランプとか えーとツタヤとかでレンタルしまくってもうずーっと見てた時代があった
あれね私こう一時本当にね何なんだったんだろうと思ったんですよねこの 正しさって怖いなと
逆みたいな話なんですけれどもそれにしてもやっぱり 特に妹はいっときですねこうほとんどテレビの
を見ることのできる部屋があったんですけど 私が高校時代そういう部屋を失来てたんですけどうちの家でこのこと自体が
すでに幼少期にテレビをカットすることの意味のなさを感じさせるんですけどね
なんていうのかなそこに全部を持ち込むわけですよ テレビが見られる狭い部屋なんですけどね
冷蔵庫とかも全部あるんですよ で非常にこう口を出しにくい雰囲気になっちゃったことがあって
今で言うところのアレなんですけれどもね ただあのなんかねちょっとやっぱ違うんですよそれで一応生活はしてるんでただ休日とも
なればもうほとんどこう ますもうテレビ付けですよ
なんであいつああなんだみたいなことを父は言うんですけどなんであなのかわかりき ってるじゃねーかと思うわけですよで
あの いろんな意味で8この不協和の解消ってすごい面白いなとも思ったんですねそれはだいぶ
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後になって思ったんですけど認識不協和の解消というのを要するに あれですね例えば
そうですね何かアルバイトをして アルバイトの量あのアルバイト量が異常に安かった時にその仕事が好きになってしまう
みたいな グラフ企業みたいな話でもよく出てくる話なんですよ
この金のためにこの仕事をやったんだと考えるのはあまりにもおぞましいので この仕事が好きだったんだと考えるようにするというこれがあるから好きを仕事にするという
のは安易に言っちゃいけないって話があるんですけども 同じものが見えるんですよね
テレビが悪の子を象徴みたいなのだとえっと そのどんどんみんな真っ黒黒になっていくからうちのような場合
そうじゃなくなったわけですよねあのすっかりテレビが大好きになってしまった これあの絶対に8
なんていうんですかねこんなにテレビを昔恐れていなければ誰もこうはなっていなかった だろうに的なそのなんか英語の評価者の家庭法に出てきそうな文章ですけど
そういう感じでえっとこれね多分聞いてると馬鹿げた話にしか聞こえないと思うんですけど これを家の中でこう
目撃した人間としてですねなんていうかこう すごい不毛なことに付き合わせられたみたいなところがどっかにあって
まあ幸いにもなのかなのか私の中ではですね見てもみんなそうなんですよねこれがないん ですよ多分
特に母に言っときなかった見ても見なくてもどっちでも同じだろうこれっていうのがないんですよ すっごい悪いものになってたもんだから
8なんか意味がついちゃったんですよねテレビにねもうすごく濃い意味がついてしまった 私にはそれが最初からどういうわけがなかった
こんなもんは見ても見なくても同じだとずっと思ってたんで だから別に今を見ようという気にならないんですよ
もう妹もついちゃったんですよあの時代を取り戻したいみたいなのがあるんですよねきっとこう 幸せにテレビを見られた幼少時代みたいな
完全にイリュージョンなんですけどそれを後になって取り戻したいみたいなのがあって 作られちゃったもんだから多分
8 それを急いでこう取り返しに行ってるんですよね
でこれは私あんまりドラッグとかやったことがないのでわかんないんですけどその 急いで取り返そうとしても取り返しきれるものじゃないんじゃないかなっていう
昔心理学の あの授業でえっとですねこうセックス依存症っていうのがあってこう急いでそのその
あのビデオだったんですけど見たやつはですね アメリカだいうビデオが授業集出てくるからすごいなと思うんですけどこう
生に完全にこう抑圧されていた女性が急にこう取り戻すべく すげー頑張るみたいなのがあるんですけどあれは多分
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いくら頑張っても取り戻さるせる感じはしないんじゃないかなと思うんですよね なぜならイリュージョンなんてイリュージョンって実態がないというか存在しないものじゃない
ですか だからイリュージョンを一生懸命何度も繰り返してい
経験を取り返すということはできないんじゃないかという気がするんですよ 高校生ぐらいになってあられちゃんを1日10時間とか見てても
うんとなんか幸せなテレビを見ていた少女時代とかが取り戻せる気がしないんですよ で
うちは当然テレビがあるわけじゃないですか あるわけですよ今ここにはね
で娘は全然見やしないんですよやっぱりあの イリュージョンっていうのはイリュージョンなんですよね結局こう
父はそう思い込んでたわけですよねテレビを見続けて悪い子に育っていく イリュージョン
これはあの本当に当時であれば割とそういう学説みたいなのがなんか ちょっと硬そうな雑誌とかに載ってたから
わからないではないんですけれども 8
まあ 反転言うんですかねただもちろんこれこれは
一つの象徴的な話でいろんな他のことの中の一番目立つ部分というだけにすぎなくて きっとある種の抑圧みたいなのがどの家にもあると思うんですけれども
我が家にも結構あったんだろうなと思いますね だからそういう抑圧がねあの意外に面白いなと思ったのが
母がそこから解放された時のその出来事 抑圧されてるのは子供とは
母は抑圧してる側のつもりでいたわけですよ テレビを見せないのも大賛成だと言ってましたからね
だけれどもそのそれもそうなんですよねそのことも自分で自分半分の欲求を抑えるみたいな ことってよく私たちするじゃないですか
そういう出来事が あって
後になってこういろいろと取り戻そうとするって無理なんだなっていうふうに思ったわけです で起こることは
その取り戻すとは無理で実際に起きちゃうことは認知的不協和の完全な解消で ここに認知的不協和がもう持ってきちゃうんですよね
父だけのはずないじゃないですかそんなに家でテレビなくてテレビが開くみたいになってたわけだから そこに認知的不協和起こるわけですよ
見る度に私は悪を見ているっていうそういうあのなんていうのかな 私にすら何かうっすらわかる気がするんですよね
私は悪を見ているみたいなそれをやっちゃうから こう
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あのことさら好きにならないと 見ることができなくなっちゃうっていうところはきっとあるんだと
じゃなきゃ一番やっぱり不思議なのは今の父を見ていて思うんですよ あれほど言っていたあれを今こんなにずっと見ているってなんだよっていう感じがやっぱりしちゃうん
ですよね ちょっとちょっと不気味なものがあるじゃないですか
私が見るのと意味が違うわけだから そういうことを考えてみるとですね
何かに強い意味付けをした後っていうのは注意がいるんじゃないかなと そういうことを
最近考えました