1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
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2024-04-23 42:07

モノを「悪モノ」にしない【GMV 968】

ものにも投影同一化できる話。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
テイク2です。
4月の、今日は何日ですかね。
4月の、まずいまずい、出てこない。
何日だかわかんないんですよね。
23日火曜日、8時17分ですね。
最近ですね、調子が悪い。僕じゃなくて、インターネットの調子がおかしいんですよね、明らかに。
よく不可解な落ち方をしてみたり、
よくわかんないんだけど全然撮れてないという事態が今回発生してですね、
先に、さっきしゃべった通りに大体しゃべろうと思っているんだけど、
テイク2なんですけども、ちょっと35分ぐらいに縮めたいぞっていう、
アホな欲望なんですけど、とりあえず、まず、
百日チャレンジ第8期、現在鋭意募集中でございまして、
間もなく多分満席になってしまいますので、
もし気になる方がいらっしゃったら、なるべく早くお申し込みいただくようにお願いします。
私としてはですね、今回から少しまた私の色をですね、
細かく差し込んでいこうと。
もちろんこれはJ松崎株式会社で運営しているものだし、
Jさんが設計されたものでもありますから、
そのカラーはなるべく壊さないようにして、
私の色もそこにもうちょっと差し込んでいこうかなと思っております。
気になる方がいらっしゃったらですね、ご参加いただけると嬉しいです。
で、本題にすぐ入りますね。
今、松木さんのですね、いつも通りですね、
松木さんの接触障害の本を、正直ちょっと高いんで、
読むぞってなった時じゃないと買えない。
飲んだけって思われるかもしれませんけど、買えないんですよ。
で、買って読んでいて、もっと早く買えばよかったといつも通り思ってるわけですけれども、
僕自身は接触障害っていう経験はないですし、
周りにもそういう人がいたとは言いがたい。
でもですね、読んでいて、これは私のアトピーの話だよなと思うわけですね。
なんというかですね、
松木節満載で対象関係論が、
接触障害の解釈にすごく大量に投入されて、
事実上それだけで解釈しているわけですよ。
まず、痩せ願望っていうのがあるわけですね。
これは別に驚くような願望ではない。
ただ、問題になってくるのは、というかすぐ問題になっちゃうんですけど、
一体この痩せ願望をそもそも抱いているのは誰なのか。
それは要するに登場する思春期の女の子なんだけれども、
03:01
やっぱりですね、ここにはコントロール欲求ってものが、
ただ何かの対象を見つけているに過ぎない、
対象関係論的に言うとそういうことになるわけですよね。
人生の指針が欲しいわけですよ。
痩せればうまくいくっていうのは、
要するにある種の努力に方向づけをしやすいってことなんですね。
なるほどなって思うんだけど、
空腹感ってまず分かりやすいじゃないですか。
空腹感を絶対前打ってみなすと、
いつ自分が良い状態になったのか即座に分かりますよね。
こういう状態が欲しい人ってやっぱりいらっしゃるわけですよ。
いや、分かります、非常に。
思春期の頃っていうのは、中学高校の頃って大変ですから、
要求されるもの、親なの社会なのに要求されるものもすごい増えてくるし、
何をしている時が自分はいいことをやっているっていうのが明らかなのかが、
例えばいわゆる仲間うちが要求してくることっていうのも、
すごい全然無限にはできないわけじゃないですか。
でもそれと親が要求するものは大いにバッティングするということはあり得ますよね。
家によってはものすごくそれが鮮明になってくるわけですよ。
仲虫の良いことは無視しなさいみたいな家だって、当然あるわけですよね。
そういう時に、でも自分なりの自信が人は欲しくなるわけですよ。
赤ちゃんじゃないんで。
よくここで話している母子関係の、自分が何望んでいるのかも全然分からないし、
自他の区別も全くついていませんっていう状態はもう特に脱しているわけですから。
自分がやっぱり一人で、そもそもそういうふうにものすごくがんじがらめにする親御さんであっても、
あなたが決めて考えて行動しなさいみたいなことをあっさり言うんで、
当然その子は非常に混乱するわけですね。
混乱している時ほど人は当然自信が欲しいわけですよ。
道に迷った時のことを思えばよく分かると思うんですね。
どっちに行けばいいのかを知りたいじゃないですか。
闇雲にどんどん歩き回って熊が出る山林にどんどん開き入りたいと思う人は誰もいないので、
早く脱したいと思うんだけど、どっちに行けば早く脱することになるか分からない時には自信が欲しくなります。
これがやっぱり危険な状態なわけですよね。
よくこう最近、なぜか最近ね、ツイッターで野良カウンセリングみたいな話がよく出ていて、
私みたいな人間を指すんだろうなと思うんだけど、
こういう人間が自信を与えますっていうものにあっさりついていってはいけませんというのは、
つまり迷っている人ほどどんな自信でもいいから欲しくなるっていう事情がそこにあるからなわけですね。
で、痩せるという大きな自信が手に入るわけです。
まず自信というのは、それをやっている時はどういう状態なのかが分かりやすくないと、
特にこうまだ子供なわけですから、分かりやすいほどいいというのが一つ。
もう一つは、それが効果が発揮できることが目に見えやすいほどいい。
痩せるっていうのはね、体重計に乗れば分かるってこともありますが、
ビジュアルに大きく影響を及ぼしますから、すぐ自分が痩せたかどうかは分かりやすいと。
で、この二つですよね、基本的に。
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大人が貯蓄に向かうものそのものにひた走るという人が多くいるのも同じですよ。
ただ、貯蓄より痩せる方がよっぽど目に見えて分かりやすいのは確かです。
貯蓄は所詮数字ですが、つまり体重計と同じですが、
体型が目に見えて変わっていくというのは、もっとビビッとですよね。
きりと自分に知らしめる。自分が良くなっているってことはね。
あと空腹っていうのも、貯蓄ってのはやっぱりお金が貯まってきたぜって体感しないじゃないですか。
そういう体感する人がいたらかなりやばいじゃないですか。
なんか1億円貯まったこの体感が気持ちいいみたいな、ないですよね。
でも、空腹っていうのははっきりしてるわけですよ。
だから、逆に満腹っていうのがそういう人にとってはすごい苦痛の種になっていくと思うんですけれども、
そういうふうにあるわけですね。
ここで、コントロール欲求っていうものがまず1つ危険なものとして登場しますが、
あるわけです。お金を使わない。お金を貯めていくっていうのは自分のコントロール。
コントロールっていうのは、何をどのようにするかっていうのが大事なんです。
ただコントロールするってことはおかしいわけですから、
例えば、痩せるなら痩せるという方向性を持ってるから初めてコントロールっていう話が出てくるわけですね。
で、このコントロールが全てなんですけれども、このコントロールの裏側にはつまりコントロールできない状態があるわけですよ。
それが人生に混沌をもたらすと本人はもう信じたんで、
つまり食欲が悪ってことは悪なわけですよ。
罪悪なわけですね。
お金を使いたくなるっていうのは、お金を貯蓄したい人にとっては当然好ましくない欲求であるように、
これ全部異度じゃないですか。異度Sですね。一度でもいいですよ。
つまり欲動という意味ですね。自然な欲求ですね。
それを異度と呼んだんでね、フロイトは。
あって当然のものです。ないと生きられないものですね。
私ここに入浴浴ってあるのかっていうのを毎回考えるんですけど、お風呂入らなくても人死なないですからね。
だから入浴浴は異度じゃないんじゃないかってよく思うんだけど、
よくタスクシュート等でも評判の悪いダラダラする、あれ異度ですよ完全に。
だからあれを否定するっていうのは僕はすごいリスキーだってよく思うんで、
やんわりとになるべくしたいんですけど、それは望まない方がいいです。
つまり食欲をなくしたいとか、睡眠欲なくしたい、あるじゃないですか。
最近ようやく影を潜めてくれていいと思うんですけど、朝2時に起きるみたいな。
なんかもう10時まで寝てるやつはダメだみたいな。
そういう異度というものに対して批判的な視線を向けると、
だいたい人は少しずつマニックになっていくわけですよ。
よくてマニックになっていくわけですね。
だからこれを水木しげるさんじゃないですけど、人生をいじくり回してはいけないわけですね。
でもそこもまた難しいんで、ある程度現代社会ってこれを養成してくるところも、
09:06
称賛するところもあるんで、あからさまに無限にはできないっていう気持ちに
人がなるのはよくわかるわけですね。
だけどもやっぱり食欲を否定するのはまずいよ。
ダラダラしたい欲求を否定するのはまずいと思うんですよね。
まったく食欲と同じなんで、例えば寝そべりたいとかって、
犬とかでも持ってますから、つまり井戸なんであれは完全に。
で、よくね、いや獣じゃないんだからとかって言うんですけれども、
獣の面もあるわけじゃないですか。
精神分析はここすごい言いますよね、生理的欲求。
だから井戸なんてわざわざ名前をつけてるぐらいなんで、
これを生物であることを無視するなと。
そこで性欲とかを強調して、非常に白い目で見られるわけですけれども、
色物っぽく見られるんですけど、まさに色物っぽく見られるんですけど、
そういうことではないということですね。
井戸を否定するとなんかまずいことが起きるよっていうことを言ってるわけですよ。
で、我々は食欲を否定しなくても、
ある程度食欲のコントロールって自然とできるじゃないですか。
ここが大事なんですよね。
これを見失っちゃうわけです。何らかの理由でね。
で、見失う大きな理由として、非常にコントロールしたいと。
意識的にコントロールしたいと。
普通にできないじゃないですか。
食欲意識的にコントロールできたら、かなりまずいことが起きますよね。
だからできないわけです。
ということは、無意識に任せとけばいいんですよ。
これを、まあ私はグッドバイブス流に言うと、手放すっていう表現になると思うんですよね。
手放すというのは、完全にコントロールができなくなるって話では全くないと思うんです。
逆だと思うんですよね。
適切なコントロールに置かれるんだけど、
それは自分じゃやらないに等しいってこと。
いつ眠くなろうとかってしないからいいわけですよ。
だから眠くなれる。
これを意識的にコントロールしようとして、2時には起きたくなるみたいなことをやると、
睡眠できなくなるとか、そういうことが起きるわけですね。
無意識が混乱するんですよ。きっと何らかの形で。
で、松木さんの本に沿って喋っているんですけどね。
食欲というものを万能的にコントロールできるんだと思いたいという気持ちがですね。
例えば食欲というものを罪悪視していくわけですよね。
こういう欲求があるのは罪だということになるわけですね。
でも上がってくるじゃないですか。食欲は普通に死んじゃうんでね。
一つには過活動というやつが起こるわけですよ。
これ完全にマニックなんですけど、空腹の中ですごい頑張る私。
偉いみたいになるんで。空腹のままめちゃくちゃ活動する。
筋トレいっぱいするみたいなね。
非常に何かが起こっている感じがあるんだけど、
これをタイムマネジメントとかでやる人はいっぱいいますよね。
絶対僕は完全にそういう立ち位置だと今自分を定義しているんですけど、
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ちょっと極端だとは思うんだけど、
私はもう今タスク集団協会の理事をやりながら何を言わんとしているかというと、
要するに自分のコントロールのためにタスク集団を使うなってことをこれから言っていこうと。
百舌猫でもね、そういうことなんだなって思ったんですよ。
自分のコントロールのため。
これは別にジェイマン・スザキさんがボイシーでよく喋っている話と何ら矛盾しないと思うんですよ。
人からの要請、要請といっても仕事の依頼、用事の依頼でもいいや、をするためにだけ使いましょうってことですよ。
ただちょっとややこしいのが、人からのコントロール願望を受けてこれを使う。
でも基本大人はそれをしなくていいと思うんですよね。
だから子どもにタスク集団を使うのは僕はもう事実上反対ですね。
子どもが痩せ願望を持つのは大人のせいなんですよ。
これはもう確実だと思う。
そういう話をやたらするっていうのは私は避けたいと思うんですね。
だって親が子どもをコントロールしたくなるのは訳があるし、
全ての親が精神的に極めて健全であるということは期待できないと思うんですよ。
だからちょっと過酷になっちゃうんだけど、でも僕はここの専門家じゃないからここはやりませんし、
僕の範疇の外にあるんだけれども、
つまり痩せ願望を持ってしまったときに親の話だけを持ち出しても多分子どもにとって救いにならないので、
やっぱりこのいかに子どもがですね、自分が持ってしまったその痩せ願望を自分で手放せるようになるかを助けるっていう、
これが松木さんのスタンスだったように読んだんですけどね。
それが正しいというか、私は一つのスタンスとして大事なんじゃないかと思うんですよね。
痩せ願望は社会の責任ではないみたいな、そうは書いてませんし、そういうと語弊があるんですけれども、
でも社会のせいだろうかっていうのは疑問がつくっていうのは本には書いてあって、
それはそうだと僕はやっぱ思うんですよね。
つまり社会がそれを望まなくたって違う欲求を子どもが持つというのは自然のことだと思うんですね。
自信ってものが欲しいわけですよ。
痩せ願望じゃなくたって貯蓄願望にもあったりするってことですよ。
で、貯蓄願望を持つのは社会のせいかっていうとそうなのかもしれないけども、
そうすると今度、貨幣経済全敗とかいう話になっちゃうじゃないですか。
それは無理があると思うんですよね、やっぱりね。
というかそうは絶対にならないと思うんですよ。
少なくとも当面の間は、おそらくその子が生きてる間は。
だったらそのことを考えてもあんまりどうにもならないので、
やっぱり貯蓄すれば人生はハッピーだっていう、これを手放すっていう方が大事だと思うんですよ。
ただ、だからといって貯蓄しなくていいのかって話になるとまだ難しいんで、
そこについては僕も、たとえグッドバイブスだとしても何かを言う気はないんですけれども、
多分究極的には手放す方向になるだろうなとは思うんですけれども、
15:01
それはそれとして。
接触障害の本を読んだっていう線をね、ずっとたどっていくと、
それだけでも言えることはいっぱいありますから。
まずはその、胃道をカーチする。
胃道を攻撃する。胃道をアタックする。
これをやめるってことですよね。
端的に食欲を攻撃しないってことなんだよ。
それは常識だとは思うんだけど、常識とは何かってことが、
今痩せたいんですっていう人にとっての常識は、他の人の常識とは違うわけです。
ここに、生きすぎないマニックっていうのがまず大事かなと。
痩せたいのは結構だけれども、
痩せるということが人生をコントロールするっていう結論に至るのは、
まず間違いなく生きすぎだって。
で、食べなきゃ食べないほどいいみたいなね。
そういうふうになってしまったら、やっぱり専門家が必要ですよねっていう、
その専門家が書いている本ですよ。
で、その食欲を攻撃するというやつ。
ダラダラを攻撃するってやつと全く僕は同じだと思うんですね。
つまりこれを落としめる。
落としめるが全てかな。
とにかく落としめる。
でもやっちゃいますね。
やってしまう自分に不安を持つ。
罪悪という犯罪に等しいことをやる自分。将来やるであろう。
食欲が湧いてくれば食欲に負けてしまうだろうと。
ダラダラしたいという気持ちに負けてしまうだろうという恐怖を持っているわけです。
未来にね。
未来にそういう時間がやってくると。
自分はそれに抵抗しきれない。
非常に恐ろしいわけですよ、それが。
人生ダメにしちゃうから。
また道に迷うってことが起こるからですね。
でもやってしまう。
やってしまったときにこの人はものすごくしょんぼりするわけです。
これが欲打つですね。欲打つ状態。
で、欲打つ状態になると、移動がここぞとばかりに上がってきます。
当然、本人生きなきゃならないから。
つまり、今までこうギュッと閉めていて、元気だったときにはいけるって感じで食欲をコントロールしてたんだけど、
いけなくなったかもってなったときに食欲がわーっと上がってくるはずなんですよね。
おかしなことではないですね。
で、そこで今まで食べられなかったものを取り戻そうとする体の働きは正常なんだけど、これを異常とみなすわけですよ。
そして本人がこれを退職とか過食っていうふうにネーミングしてしまうと、
このことはそういう表現とちょっと違いましたけれども、
そういうふうに対処関係論の本の中で述べられているわけですね。
つまりこれを悪いものとして投影するわけです。
で、悪いものなんだから人のことを悪くやるっていう、そういう勇気を持ってますからね。
自己破壊的に働くわけですよ。
だから過食と名付けるだけでなく、そのときには過度に甘いものと過度にカロリーの高いもの、
つまり自罰なんですよね、結局。
自罰の一種として大量に食べる。
これはですね、私は実際に見たことはないんですけれども、
18:03
アメリカで散々ビデオで見させられた。
うわ、気分悪くなるわみたいになったんだけど、
もうこれはね、授業なんでね。
見て、レポートをまとめなければならないんですよ。
英語でちょっとなんて言ったか忘れましたけど、
過食退職症っていうのがあるわけですよ。
アメリカ人のそれなんでね、すごいわけですよ。
ハイカロリーだし、めちゃくちゃね、
バケツのようにでかいアイスクリームボックスの中に、
すごいまたアイスが着色ばっちりなものが入ってて、
しかもその後に黄ばんのピザを、女の子ですよ、食べると。
で、最後にですね、大きなゴミ袋を抱えてですね、
つまりそのときに出たゴミなりなんなりを捨てるというシーンが。
これはもう実録ですからね。
いやー、いやーみたいな。
いやーって言っちゃ全然ダメで、お前さっさと英語でレポート書け。
他の子の、お前アメリカ人ですからね。
5分の1くらいの速度でしか書けないんですから英語。
うわーって必死になって、大変だわと思いながら書いてたわけですよ。
それを思い出したわけですが、そういう話だわけですね。
これをダラダラだろうと、浪費だろうと必ずやることになりますね。
だから、井戸というものを否定しちゃダメなわけですよ。
だいたい井戸を否定するなんてありえないんじゃないですか。
例えばトイレに行くのを否定するみたいな勢いですからね。
端的に言って、物を食べずにこれを聞いていると信じたいわけですけれども。
そういうことです。
だから、ダラダラというのも過度にものすごくダラダラするみたいなね。
ほぼ1日中ダラダラして、もう全然ダラダラしたくないんだけど、
ダラダラしなきゃならないみたいな気持ちになっていくと。
そうしてすっかりやり終わった後に、食べるでも寝るでも何でもいいんですけれども、
お金を使うでもやって、ものすごく財富感を持ち、ものすごく抑制力になるわけですね。
一番やっちゃいけないことを最悪の形でやるっていう結末を得るので、ここで。
これは松木さんの方にほぼ同じことが書いてあります。
そこで反社会性っていう問題も出てくるわけですね。
結局これは社会に要求されたものだっていうレッテルを貼ってあるんで、
反社会的なことをやっている。
食べることは全然反社会的じゃないんだけど、
反社会的なことをやっているというふうに当事者は考えるわけですね。
ここで万引きっていう話と接触障害って話が結びついてはくるんですよね。
つまり良いものを取り込み、悪いものを出していきたいっていう気持ちなんですよ。
だけれどもそれが非常に混沌としてくるわけです。
良いものも悪いものも一斉にワーッと取り込んだときっていうのは自信を失っていますので、
良いものを取り込みたいっていう勇気は依然として極めて強いんですよ。
21:01
もともと良いものとは何かというと、
それは緑黄色野菜とかグリーンレタスとか、
そんなものばっかり食べることになるわけですよね、プロテインとかね。
先日YouTuberの方がですね、
食べるっていうのは人生で無駄なことの極致だから、
万能食をずっと食べているっていうのが、
だからああいうの芸なんだと思ってみるべきだと思うんですよね。
これもある種の形で異動を完璧に否定してかかってるんだけど、
異動を否定するっていうことは、
ある意味生命というものに対して非常にアンチ定然を抱えている感じになってくるわけだから、
何が無駄だって話になったときに、
寝るのが無駄だとか、食べるのが無駄だとか、
そういう話をしていくということは、
つまりその生き方は実にこう、
言葉を選んでるんですけどね、私はね。
実につまり、親種なわけですよ。
旧人類とは異なる生き方なわけですよ。
でも私は間違いなく私は親種じゃないんですよ。
だから旧人類的に生きていく必要があると思うんですよね。
だからここを否定してかかるということは、
やっぱりリスクを負うと思うんです、非常に。
いろんな形で。
で、私はもうこの辺ははっきり言いたいんですけど、
タスクシュートを異動の否定に使っちゃダメだと思うんです。
というか、そもそも本当はですけど、
コントロールに使うのはやめようと。
自己コントロールってやつね。
自己コントロールを要求されていると信じるのも、
多分これは信じてるだけなんで。
子供が使うんなら別ですよ。
子供はあなたセルフマネジメントしなさいと言われる。
その支配下に置かれてるケースはあるから、
一概には言えないと思うんですけど、大人は。
例え会社に推奨されてるとか言ったって、
絶対にそれは拒否することはできるんで。
大事なのはですね、コントロールをするために使うんではなくて、
要請を間に合わせるために使うんですよ。
要請を間に合わせるために、
何て言えばいいのかな。
ある種の活動のコントロールをするというのが
ありだと思うんですよ、一時的に。
常に一時的になんですよ、これは。
で、終わったらやめる。
なんならタスク主導もやめちゃってもいいと思うんですけど、
これはつまり、要請に応えるために一時的にコントロールするというのは
やむを得ないというケースはあると思うんですね。
だってバスの時間のコントロールってまさにそういうことじゃないですか。
あれは人を乗せるためにやってるわけですよ。
時刻表というものは公共交通機関以外のものには使われないですよね。
それと全く同じことなんですよ。
自分はコントロールしなくていい時はしなくていい。
コントロール自体は目的にならないってことです。
人生の指針にコントロールを持ってこないということですね。
ただ子供は持ってきちゃいたくなる時に持ってきちゃうのはやむを得ないと思うんですよ。
学校で泡もコントロールにかかってるんで、
24:01
コントロールができるようになることそのものを目的に何かをさせられる。
だから痩せ願望って持っちゃうと思うんですよね。
さっき言った話の通りで。
で、この時に途中の話になりましたけど、
過食に、過食というそもそもネーミングをしてしまう。
このことをすごく松木さんは批判的に書いてるなって感じがしたんですけど、
つまり単なる多食を過食と呼ぶっていう言い方は、
僕これすっごい思い出すんですよ。
単なる集中を過集中と呼ぶじゃないですか。
本当にこれは何をやってるのかと、
松木さんのこの見解というか対処関係論なんだけど、
すごい面白いなと思うのが、
これは常識なのかもしれませんけどね、精神分析で。
巻き込みって呼ぶんですね。
つまり医者とか親とかを巻き込んでいくわけですね。
社会を巻き込んでいくわけです。
工作に向かわせるわけですよ。
価値観を逆転させるわけです。
食べることは悪だっていう価値観を
自分一人が持ってると心もとないじゃないですか。
そこで食べることは悪だという悪だよねっていうことを
親も納得させる。
親に食べることは悪でしょうと。
だって私過食するじゃない。
これコントロールしてダメだよねと。
お母さんも一緒にやろうってことですよ。
こうして巻き込んでいく。
そのためにレッテルは使うわけですよね。
だから僕は過集中って言葉を聞くために
反対したくなってたのは
わけがあるんだなっていうのがよくわかったんですよ。
これ投影同一化なんですね。
食べるっていうことに悪という投影をまずする。
そして食べることを悪そのものにしていくために
他の人にもそういう認識で
統一させていきたいわけですよ。
少なくとも身の回りの人。
で、極端なケースに至っては
医者も巻き込まれちゃうじゃないですか。
だって過食って言ってるのが医者だったりするわけだから。
いや過食症ですねってお医者さんが言うってことは
ほら、お医者さんも過食って言うじゃない。
私は過食という悪いことになってるから
お医者さんも治してくれる。
お母さんも協力するべきだ。
つまりどういうことかというと
食べない私を正しいものだとみなすべきだ
ってことになるわけですよ。
これが巨食の正当化っていうものに
みんなが使われていくっていう構図なんですよね。
っていう風に松木さんはすごい穏やかに書く方だから
これを全部マイルドに書いてるんですけど
要はこれを非常にやばいことが
その蒸気体の中でみんなが
なんて言うんですかね
騙されるっていうのともちょっと違う気がするんだけど
騙されちゃいない気がする。
騙されてる人もいるかもしれないけど
別に医者が騙されてるわけじゃないし
非常に巻き込むっていう
いかにも精神分析的だなって思ったんですよね。
精神分析は演劇っていう概念を
すごい使いますけれども
まさにこれはみんなで演技をしているような
雰囲気になっていくじゃないですか。
演技してるとリアルだか演技だかが
わからなくなるということが起こりますよね。
応々にして。
これ演劇やった人の方がよく知ってることだと思う。
27:00
僕ほとんどやったことがないからわからないですよ。
桃太郎で鬼の役させられたとき
全然入り込めてなかったね。
俺鬼だわって全く思ってなかった。
だから要するに下手なんですよ。
要するに下手な役者ってやつですよね。
下手な役者入り込みすぎるって話もあるんだけど
この話してるとキリがないのでやめますが
そうやって巻き込まれていくと。
もうこれ本当にですね
我々の時代には非常によく見られる
どの時代も間違いなく非常によく見られると思うんですよね。
過集中という言葉にみんなが巻き込まれていくわけですよね。
私はもうなんとかショーだから
過集中しちゃうんですっていう話で
過集中避けるためにこういう
リマインダーが役に立ちますよみたいな
完璧にみんなが巻き込まれてるじゃないですか。
過集中は悪っていうことに
最初から決まってるわけですよね。
ここにはつまり
井戸が集中するってのは井戸だと僕は思うんで
人が何かに自然と集中していく。
例えば獲物を狩るために
昔の人がですね
鹿とかを追ってると集中すると
フラテも時間かけられますよね。
だって相手が鹿なんで
相手に合わせて動かないわけにはいかないですからね。
だから非常に集中すると
これに対して
だからこれは自然と湧き上がる食欲とかと
同じなわけですよ。
井戸なわけですよ。Sなんですね。
これを
過集中と呼んで
恩返しする。
ということはつまり
何かをコントロールしたいからなわけですね。
時間の使い方をコントロールしたいと。
つまり痩せ願望と同じように
スマートな時間の使い方を
したいという欲求が
最初にあって
それゆえに当然
それに反する井戸。
痩せたい人にとっての食欲のようなものが
わーっと湧き上がってきたときに
いやこれは過集中なんだと。
ゲームに集中しすぎて
時間の使い方を忘れてしまった。
それが恐ろしいので
これを不安視して
不安視したいという気持ち。
それにみんなを巻き込んでいって
これにレッテル割りをするわけですね。
そうして
その見方をしてくれる人の
側に立つと。
私は正しいことをやっている。
そのために間違った過集中ということに
落ち込まないようにするために
みんなで協力してください
っていう世界に巻き込んでいくわけです。
創作的世界ですよね。
本来食欲があるのは
いいことなんだけど悪いことにされる。
本来集中できるのはいいことなんだけど
それが悪いことにされる。
そうしてそこに嘘が始まるわけですね。
創作なんでね。
本来の在り方が逆転していく。
つまり
自分の食欲というものを
治療の道具にするわけですよ。
どんな人でも絶対
食欲って湧くんで
湧く間は治療されるってことが
ここで成立します。
初めに嘘があったって
ここから嘘がずっと続いていく
と始まるわけです。
30:01
だから過集中がいけないと。
コントロールしなければいけないとなったところ
必ずこの種の問題が
発生し得るっていう話ですよね。
マイルドなケースもあれば
非常にやばいケースもありますが
だからなんですよね。
だからここで
過剰にストイックなものが
推奨されやすくなるわけです。
私はもうマイルドでもストイックでも
基本的には避けたいなっていう風に
思うようになったけど
ストイックは避けていくっていうほうがいいなと
逆算はストイックだっていうのはあると思うんですよ。
だけど私は
タスクシュートも容易にストイックになりうるので
とにかくストイックを配する
っていうのが大事だなと。
ストイックってのはこういうことですよね。
食べませんと。空腹ですと
すごい私空腹偉いわみたいになるわけですよ。
食欲悪なんて。
だから空腹の中で
ちょっとだけプロテインと
レタスをかじって
バリバリ筋トレをして
すごく消耗感があると
ものすごく気分が
ハイテンションになっていく。
非常にマニックな世界ですよね。
相的な世界。
時々大変なことが起こると。
これをですね
ダラダラを廃止する
っていう場合には
そこまですぐに健康害する
とかいうことはないかもしれないけれども
やっぱりほぼ同じような
ハイテンションが十分起こりうるので
そうでないときは仕事にならないみたいになっていくので
極力というか
ほぼほぼやめようと。
ただどうせやりますからね。
現代人は。
時間を全くマネーメントせずに
組織で働くのは
非常に難しいというケースは
多々あると思うんです。
だからいいんですけど
使う分には。いいんですけど
移動的視しないっていうのが
まずもう絶対。
か何とかのかは一切使わない。
本来あるものに対して
別名を当てないってことですよ。
食欲を過食とか
集中を過集中とか
二度寝とか
浪費とか
全部いけない言葉だと
消費を浪費って言葉に変えないってことですね。
そうしないと
お金使うっていうのは
井戸じゃないけれども
井戸に限らなく近いじゃないですか。
だってご飯買うのにお金使わなきゃならないから
結局のところ
お金使うのを否定するってことは
まるまる否定することに
等しいわけですよ。
お金を使うというときに
罪悪感が生じますって人は
よくよく注意して考えたほうがいいと思うんですよね。
乱費とかね。
そういう沼とか
そういう言葉ですよね。
極力これをやめるってことですよ。
もう多食を過食と呼ばない
ってのは本当に
この世界だなって思った
わけですよね。
だから多食を過食と呼ぶと
多食という表現を使って
理解が進むと思われるのは
対象関係の世界だけだと思うんで
わかりにくいことこの上ないですよね。
その言葉の使い方は。
でも確かに多食的世界というものが
その人の中心に
33:01
展開していくということは
起きるわけですよね。
その人は良いものと悪いものに
分けるわけです。はっきりと。
グリーンのレタスと
油こってりのなんとかかんとかみたいな
あるいは清涼飲料水と
いいものばっかり取り込みたい
という欲求が出るわけですよ。
良い時間の使い方ばっかりしたい
という人が絶えない
タスクシュートの世界と
とてもよく似てるなと思うんですよ。
ここには良いというものに投影されているのは
当然良いお母さん良いおっぱいですよ。
良いおっぱいがバッチリ
投影されているわけです。
これが体に良いとか悪いとかいう話ではないですよ。
体にはいいんでしょう。
だから体に良いものを食べるのは別に構わないですよ。
ただ投影するってことが
その前の段階で必ず起きるんで
そのことには注意しておきましょう
ってことですね。
で、その反対に来るほうがよっぽど問題で
つまり悪い食べ物
ってやつですよね。
あのー
えー
熱液がコーラでできているって話を
ラゾンさんは時々されますけれども
ということですよ。
コーラというものに悪いという投影を
当てるわけです。
これは多分悪いお父さんとかが
悪いお父さんというものが
コーラという飲み物に投影されるわけですよ。
で、自分がコーラを飲むと
そのお父さんと一体になってしまう。
うわーすごい最悪みたいになってしまうから
これをやめるっていうことを
すごく良いことのように考えて
盗作的になる。
だって世の中コーラのCMしてますから
コーラを飲むことは悪だ
っていう話になってくると
盗作的になるじゃないですか。
普通に生きているということは悪いことだ
ってことになってしまう。
で、この盗作的という
ところの先に
私がどうも
分かりにくいなと思ってきた
必ず出てくるんだけど
別に精神分析の世界じゃなくても
接触の話が出てくると
必ず、昔
マラソンランナーでね
マラソンランナー痩せ願望を持つのは当然じゃないですか。
食事のコントロールもしなきゃならないし。
で、ものすごく頑張って
やってるうちに万引きを
するみたいになってったって
繋がる意味を僕は
なかなか
よく聞く症状としてはもちろん
絶対目にするんだけど
なぜなのかが分からなかったんですけど
つまり盗作だからなんですよね。
良いものは悪い
マクベスですよ。
良いものは悪い、汚いは綺麗ってやつですよ。
最初に魔女が言いますよね。盗作の世界なわけです。
逆転している。
目的と手段が逆転するわけですよね。
だから
性的指向でも
覗きはしたいけど別に
セックスはしたくない、むしろ嫌みたいな
よく分からないことを言う男性が
いるんだけれども
完全に手段と目的が逆転しているわけです。
何のためにするのか
っていうのがないわけですよ。
だからプロセスだけに
全快楽が集中するみたいな
話になっていく。
空腹がとにかく気分がいいっていうのは
明らかに何かが逆転しているわけじゃないですか。
36:01
空腹っていうのは食べるためにあるので
空腹になったら
気持ちいいから
食べるのは最悪みたいになるっていうのは
明らかに何かが転倒しちゃってるわけですよね。
それが
いいものは悪いなわけだから
つまりお金を払って
物を買うとかは悪いことになっていく。
全てが
ごまかしということでは
嘘ということ
逆転ということとか
反転ということに
繋がっているわけですよね。
だから万引きというのも
投壁っていうことになるんだろうけれども
正規のルートで
手に入れるっていうことが
そもそもあんまりいいことではないわけです。
非常に悪いことを
自分が望んでいるっていうのを
確認するっていう意味でも
これは大切な
行動になって効かねないんですよね。
つまり食べるってのは悪いことで
自分は食べたいわけだから
自分の中に悪いっていう部分は
どうしても
登場すると。
で、もう一つがあれですね。
のすごく羨むという
例えば
私のような人間が時々だから
口走ってしまうことが
無駄な刺激を与えるんだろうなと
食べても太らない人とかっているじゃないですか
そういう人を異常に羨むわけですよね。
食べても太らない。
あれこそあるべき姿だってことになっちゃうわけですよ。
全然そういうわけじゃないんだけれども
あともう一つ
戦亡の眼差しを
戦亡ってのは対処関係では
超重要キーワード
なわけですが
だからあいつをいじめようみたいになりかねないわけですよ。
あいつ食欲がないやつだから
いじめようみたいに。
食欲がない人になりたいわけですから。
だからこの戦亡ってのがやっぱり
ものすごく
ある種の
食べ物を盗むんですけれども
そういう事態を引き起こすわけですよね。
あの
非常に独特な見方が
見え方が発生するんだと思います。
食べ物というものが
礼々しく飾ってあるんだけれども
ある意味食べ物ってガラスケースの中に
入ったりしないじゃないですか。
非常に無防備に置かれていますよね。
果物とか。
そういうものを
おやつとかですね。
おやつを盗むというのは本当によく出てくるんだけれども
悪いことをしているというのかな。
悪いことをしているという意味と
いいことをしてあげているという意味と
両方あるわけです。
おやつなんか食べちゃダメだから
私が食べてあげる。
よく分からない話なんだけれども
非常に分かりやすい話でもあるわけですよね。
食べちゃダメだから
私が食べてあげる。
私は今悪い子になっているからみたいな
そういうノリだと思うんですよ。
ここには完全に
ものすごくめちゃくちゃ東映同一化が
東映の嵐ですよね。
相手を善悪に巻き込んでるし
おやつを食べる悪い人みたいな
よく分からないものに
相手を仕立てあげて
でもその悪の道から守ってあげるために
私が盗んであげるみたいな
これはとても良いこと
39:01
悪いことなんだけれども
なんていうんですかね
良いことなんですよ。
つまり毒を持って
毒を制す的な世界っていうのが
すごいここにはあるんだと思う。
善意気そうですもんね。
食欲というものを
例えばこう
ダメにしていくっていうのは
完全に毒を持って毒を制している
気になってるわけですよ。
この考え方が
時間管理にめちゃくちゃ
適応できるなと。ほとんど全部に
適応できるなと。なんなら僕の
アトピーにもほぼ全部適応できるなと。
肌が悪いみたいな
肌が悪いって言うじゃないですか。
ここに東映があるんですよ。
東映があるところにはどうしても
東映同一化があるわけですよ。
肌が悪い肌になってる。
人に侵攻するっていうのは恐ろしいですよね。
恐ろしくはないんだけれども。
つまり松木さんってすごく
松木節って僕時々言うんだけど
本の中でも
特に東映同一化の話を
人じゃなくて物に当てる
っていうのを観点が
彼のカウンセリングの
非常に独特の部分なんだと思います。
人じゃなくて物に当てる。
だから接触とか
依存というものを
彼はすごく見ていった。
見ていったのが先かもしれないですね。
普通我々は
この人は嫌な人だって言うと
その人は嫌な人として振る舞うみたいな
対人関係で東映同一化を言うんだけれども
食べ物とか
我々やりますからね。
食べ物に東映同一化する。
そして買い物とかにも
東映同一化する。
あるいは依存する対象に東映同一化する。
こういう部分の観点が
すごく多い
ものなんですよ。
食べ物を食べた時は意味が全然わからなかったんだけど
今は非常によくわかる気が
するんですよね。
食べ物はさすがに期待には応えませんけど
でも全く同じ振る舞いしますからね。
食べた後で
すごい体調悪くなってきたみたいになるわけですよ。
悪い食べ物。
それは別に不思議なことじゃないですよ。
すごい東映してるじゃないですか。
悪い食べ物を食べたから直ちに気分が悪くなる
っていうのは本当は相当おかしな話ですよね。
超過して
何かになって
悪さをするっていうのは私も
もう言い入れた瞬間に
わーってなるっていうのは
やっぱり東映してるんですね。
そしてその食べ物が東映同一化して
悪いと思った食べ物が悪い食べ物に
化してしまう。
そして悪さを実際に自分にしてくる。
だからその食べ物を攻撃しなきゃなんだとなる。
その上で
他人をそれに巻き込むという
話になっていく。
これは本当に
コントロール始まるところには
常について回るんだと。
だからやっぱり
悪いと思うものは
基本やめといた方がいいんだけど
特に自分の意図を悪くしたときは
超要注意だってことですよね。
寝たい、食べたい、
その他
もろもろですね。
なんでこれについてそもそも喋るときに
少し淀まなきゃならないの。
42:01
東映してる証拠だと思うんですよね。
42:07

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