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2023-02-26 28:34

【742】「すぐやる」のがなぜ難しいのか?

やりたいことをさせまいとする力

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こんばんは。先送りせずすぐやる人になる、ポッドキャスト第742回、2月26日日曜日の今、夜20時42分ですね。
つい先ほどまでちょっとね、別の仕事をしていて、その直後の収録といったことになります。
で、まあ多分この番組始まって以来、今晩はスタートなんですけど、取って出ししようと思っているわけですね。
これ始めた時は午前中というか朝にやるということにしていたので、ここからおはようございますだったわけです。
グッドモーニングバイブスというタイトルで、なかなか上手いタイトルつけられたなと思ってたんですけど、
グッドバイブスの間にモーニングを入れてた。だから朝にしかできないところから始まってたんですよね。
夜にとってもおはようございますを言っては朝に出してたと。
そのうちグッドモーニングボイスという名前にして、頭文字は変えずにGMVのままやってたわけですしばらく。
でもモーニング縛りがあったからやっぱりおはようございますだったわけですが、ようやくこうですね、そういう縛りもなくなったので、
これもこんばんはだろうとこんにちはだろうと構わないじゃんということに今更思い至りまして、
別に前からそういうふうに言っておけばよかったんだけれども、そんなこんなで今この挨拶が朝に限定されないものになったという感じです。
朝に出してほしいという要望もあるかと思うんですけどね、その要望に関しましては朝に聞いてくださいと言ったことで、
ご容赦いただこうかなと思っておりますね。
今日は色々今日やったんですよ。
現在私進めている3ヶ月チャレンジという中で4名の方とですね、
これは私にとって非常に今まさに自分のライフワークはこれだという感じになっておりまして、
倉園さんとやっておりますウッドバイブスのファクトリーと書き上げ塾も非常に私の中で参加しているとかすごく参加してますね。
すごくこう自分がやれているっていう感じ、仕事できている感じではないんだけど、
これもですね、上がってくるのを読むたびに何かこう自分の中ではここでしかできないことに携わることができているという感覚はあるんだけど、
一人でやってるわけじゃないですからね、やっぱりね。
二人でやってるものなので、まさにこれが私の仕事だっていう感覚というのとはちょっと違うんですよね。
ものすごくここで何か成果を出したいっていうのはあるんだけれども、
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これこそ私の中核であるっていうのとはやっぱりちょっと違う。
これは、これはこれっていうのかな、そういう感じなんですよ。
全く同じようなスタンスで全く違う仕事をしているのがタスクシュード協会の方でして、
こちらもまさに私がここで自分が必要としているリソースを注いでいる、
必要とされているリソースを注いでいる感覚はあるんだけれども、
これこそ自分の中核かって言われると、それとはまだ違うんですよね。
やっぱり書き上げの方、本を書き上げるとか、グッドバイブスっていう風になってくると、
倉園さんが中心っていう、これも僕の勝手な感覚なんです。
この勝手な感覚っていうのが今日のテーマですね。
なんだけど、どうしてもそういうのがないわけにはいかない。
もう一つのこのタスクシュードっていうのがやっぱり協会、Jさんが構築している。
それがJさんだけが構築しているって感じではないんだけど、
やっぱりJさんこそが構築している中心メンバーであるっていうのは、
僕も中心メンバーなんだけど、そこに嘘はないんですけどね。
やっぱりJさんが引っ張ってくれているっていうのはあって、
タスクシュードというのはやっぱり大橋哲夫さんが作ったものだっていうのが僕の中にやっぱりありまして、
私は自分が書けていいとか思っているわけでは、
さっきのグッドバイブスにせよ、書き上げ塾にせよ、ないんだけれども、
これ私初だっていう感じではないという意味っていうのかな、そういう感覚はあります。
でもこの3ヶ月チャレンジは私初だっていうのがあるわけですよ。
Zoeさんに手伝っていただいているコミック書かれ、振日っていうブログをやって、
私と教長のSE女子のエクセルとかを書いてくださっているZoeさんに手伝っていただいているんだけど、
私がやっぱり中核でやってますっていうのは3ヶ月チャレンジははっきりあるんですよね。
そういう意味で今は私はこの3ヶ月チャレンジが一番これで仕事をできているとか、
一番これで収益が上げられているというわけでは決してないのですが、
私にとってこれは最も私らしい仕事に今はなっているかなと思っております。
こういう3つが私の今、僕の中では仕事をしているっていうのはこの3つをしているっていう意味にはなっているわけですよね。
タスクシュート協会と3ヶ月チャレンジとクラゾノさんとの活動の書き上げ塾という感じですね。
またこれが収益状況の話が中心になってくると違う比率なんだけれども、
その辺の話はまたおいおいといったことにしようと。
それでですね、その3ヶ月チャレンジの今回第2ヶ月目のスタートのイベントをやったんですけど、
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これが私がやっぱり非常に今一番問題意識として持っている。
問題意識として持っているということはつまり回答を持ってはいないとも言えるんだけれども、
例えば一番はっきり僕が回答らしきものを持っているのはタスクシュートなんですよね。
これはもう僕に関して、僕自身の中ではタスクシュートについてこういうふうに聞かれたらこういうことが言える。
こういう問題だったらこうだというのがものすごくクリアになっていて、
タスク3ヶ月チャレンジはそうであったほうがいいと思うんですけど、そうはなっていないんですね。
始めたばっかりでまだ3ヶ月がそもそも経ってもいないというものなので。
この中でですね、やっぱり私がでもこれが中心に来ているはずだと思っているのが、
人は自分の心と格闘しているということなんですよ。
これだけだったら、ていうかこれ自体はグッドワイブスでも同じような話は出ていて、
同じではないんだけど、同じような話はあるんだけど、
私の中ではその心と格闘しているという部分がめちゃくちゃ強いように意識しているわけですね。
そしてそれは人によって全然全く違うので、
だからこそ少数コミュニティの中で、しかもそれを強く意識し合ってやり続けていくと、
突破口が見えてくるのではないかと思うわけですね。
で、例えばですよ。
メラニ・クラインの説明はいらないというか飛ばしますが、
メラニ・クラインという人が、
人は一生涯無意識の空想というものと関わっていくみたいな、
無意識の空想の影響を受け続ける。
この無意識の空想が始まるのは0歳だと思うんですよ。
多分。
大きくなったとしても1歳。
クラインはそういう意識があったと思う。
そういうふうに言っていると思っているんだけど、
僕はそれに基本賛成なんですよね、完全に。
僕は多分、どんなふうにそれを作り出されたのかは知らんけど、
多分0歳の時に抱かされた。
もちろん意識はできないし、コントロールもできない。
その無意識の空想によって、
どう現実を見て、何を恐れ、何を喜ぶようにセットされた。
その影響から逃れていくことは原則できないと思っています。
これはいろんなご意見があると思うし、
宗教では特に違う意見が出ると思うんですけど、
僕はこの意見に基本99%賛成している人間なんですよ。
だから、どんな無意識空想を私が抱いているから、
というのをまずはっきりさせたい。
少なくとも以前よりはだいぶ理解が及んできたけれども、
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これが完全にはっきりすることも恐らくないだろうなと思って、
完全にはっきりすればその影響から大きく逃れることはできるのかもしれないけど、
僕はこれは完全にはっきりさせることはできないんじゃないかと思っています。
そして、例えばこの無意識的な空想の影響として、
私は静電気を必要、人よりは明らかに恐れる傾向があって、
これがやっぱりですね、これほど長くGood Vibesの話を聞いたり、
倉園さんの話を読んだり聞いたりしていても、
軽減はすごくできたんだけど、なくなってはいない。
やっぱり人より恐れている。間違いなくね。
例えばうちの娘なんかよりは恐れている。
例えばこれをタスク管理でどうにかできるのかというとできない。
仕組み化といったようなものでこの恐怖が何とかできるかというとやっぱりできないですね。
これがもしできるというのならば、
例えばタスクシュートの基本的には発案者である大橋さんにできるはずだということになりますよね。
そうすると大橋さんが恐れるもの、なんとなく私が考えるところの彼の無意識的空想の中で、
彼が恐れなければならなくなったものの恐れが取れるはずだから、
彼は恐れや不安から完全に解放されることになることになるんだけど、そうはならない。
僕はやっぱりそういうふうになることを人は期待してタスク管理を始めはしないと思うんですよ。
恐れゼロにできるかと。
自分ならではのというか、自分の特徴的な、自分の恐怖症に近いものを抱いている恐れ。
例えばある種の人は虫が怖いとおっしゃいますよね。
蜘蛛が怖いとかね。
蜘蛛恐怖症がタスク管理に治らないと僕は思うんですよ。
それよりは、無意識的空想に目を向けた方がいいんじゃないかと。
そういう考え方の中で、例えばある種の習慣とか、先送りなんですね。
先送りというのは、私はこの番組でも通じて言ってますけど、入り口であると思ってます。
何かを先送りしている。
あるいは、例えば結婚みたいな話になってくるんだけど、
ある種の人と一緒になりたいという気持ちをずっと先送りしているとか、
そういう先送りまで含めて、先送りというものはタスク管理ではどうにもできない。
なぜならば、さっき言ったような恐怖症みたいなものはここに絡んできていて、
その恐怖症は、僕は無意識的な空想、ゼロ歳児、一歳児のところにインストールされてしまった
無意識的な空想というものから生み出される恐怖が。
例えばですけれども、確定申告をやろうとすると何か恐ろしいことが出てくるという問題を
その人の心の中に作り出して、だからなかなか確定申告に取り掛かることができない。
そうは言っても、3月15日までに終わらせればそれでいいという話なんですけれどもね。
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この確定申告を何とかしたいといったときに、
例えばタスク管理から始めるというのはわかると思うし、ごく自然だと思うんですよ。
でもタスク管理にどう書こうと、確定申告と書こうと、タイトルを変えようと、スターを付けようと、
朝一にやろうと、ファーストタスクに設定しようと、プロジェクトノートを作ろうと、何をしようと、
やっぱり確定申告をやろうとすると、ものすごく気が沈むとか、自分が無気力になっていくといったときに、
僕はやっぱりこれは、そういう方法論ではないところから見なければどうしようもないんじゃないかって思うんですよね。
で、例えばそこのところでグッドバイブスっていう話にたまたま行き当たるかもしれない。
で、そのときにやっぱり同じ問題に格闘しなければならないと思うんですよ。
つまり何が怖いんでしょうっていう話。
このことを考えること自体がもしかして嫌かもしれないんですよね。
あるいは考えたつもりでこの話をしたいのが一つあるんですけど、考えたつもりになっていて、何が怖いんだろうなって考えてるつもりになってるんだけど、
実は全然考えてないとかね。
例えばこういうことがあると思うんですよ。
怖いものを紙に書き始めて、それで怖いものと向き合ってることにしてしまうと。
こういったことをですね、ビオンという人は記号を使うのが好きなので、
Kって脳を知るってののKだと思うんですけど、K-O-Wね。脳のKのマイナスをつけてマイナスKって言うんですよね。
多分そういう意味なんじゃないかなって僕は思うんですけれども、
例えばそれについて考えてることにしておくとかね、そして考えない。
我々で言うとね、難しいんですけどこの辺のことは。
例えば私が静電気が怖いのは痛みがあるからなんですよ。
指先に痛みが走るのが嫌いなんですとか言ったらマイナスKなんですね。
僕はそんな風に、じゃあ指先に痛みが走らないですね。
例えば足の先に来る静電気はOKなのか、全然ダメなわけですよ。
こういうマイナスKってのは多いんですよね。
考えたことにしておく。答えたことにしておいて考えている振りをする。
そういう風にして自分の向き合うべき問題に向き合わない。
つまり、たとえグッドバイブスで言われて自分が向き合ってると思ってもなお、
向き合えてないことって出てくるわけですね。
何が怖いんですかっていう問いに、誠実に答えてるつもりでそうはしていないみたいな、
そういうことも起きてくるわけです。
これぐらいやっぱり、そういう時に私たちが心理的に選択する手段というものの、
はなはな酷い、なんて言えばいいのか、巧妙な、上手く立ち回るんですよね。
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上手く逃げ込むっていうのかな、そういうことが始まっていく。
そのこと自体がグッドバイブスとかそうもそうだし、臨床的な取り組みの取り組んでいく意味なんですよ。
自分が逃げるっていうだけじゃなくて、その逃げ方にその人ならではの個性みたいなのが現れて、
仕組み化みたいなのも結局ある意味同じ問題を作り出すんですよね。
ファーストタスクで朝一にやりましょうっていうと、朝一にできない何かしらの方法を考え始める。
意識的、無意識的にやり始める。
そういったことが私が今というか、多分昔からであり、
今一番取り組むことの意味を感じている何かなんだと思ってます。
こういう話に入っていくことが私にとって一番自分がやっていて意味を感じるんですね。
今日の3ヶ月チャレンジの2ヶ月目のスタートイベントで、
一番僕が最初に伺っていろんな話が出て、
どれも実に私の中ではまさにこういう展開というかこういうお話がされることを期待していた話。
期待していたとしても具体的に何が話されるかは全然イメージできてたわけじゃないんですけど、
ただそういう直感があったということですね。
感触が得られていた。
その中でも皮切りで僕が聞いて、それだって思ったのの一つに、
参加者のある方がブログを書くっていうことをチャレンジされていたんですけど、
これ自体は非常にレアなケースだとかではないですよね。
ブログを書くというチャレンジなんですが、
そこでこの3ヶ月チャレンジでは書けても書けなくても報告してくださいと、
自分がチャレンジしていることに報告していただくということとともに、
どうして書けるかどうして書けないかということの報告の方がむしろ重要ということをお伝えしていたんですけど、
ブログを書く、何でもいいんですよね。
学程申告であろうとブログを書くであろうと、
毎日ルームランナーで走るであろうと、何でもいいんだけど、
できないとそのことを報告しにくいっていう、それこそお話があったんですよ。
まさにそれを僕は聞きたかったわけですね、一つに。
これはつまり僕らという人の心というのはそういうものなんですよね。
ブログを書けないということならば書けない、
ルームランナーをサボっちゃったということならサボっちゃったということを報告して、
報告してって主催者が言っても、その主催者が報告してというその言葉に対して信頼がおけなくなるというのか、
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それに対するうっすらとなのか不安が走るのか、
こういうふうに思われるんじゃないかという心理的な気持ちというと、
心理的な気持ちっておかしいな、そういう心理、そういう言ってみれば空想、
ないしほとんど近くを僕らの心は作り始める。
つまりあることがしづらい、したくない、でもしたい、
挑戦しなければならないというふうに自分の心が一つそういう方向を向くと、
それに対するアンチテーゼとともに、つまり書きたいというのが挑戦であれば、
そういう意味では書けないという気持ちがあるからこそ書きたいが挑戦になるわけじゃないですか。
ブログはそれこそ昔あるブロガーさんが言いましたけど、
呼吸をするようにブログを書けるなどという人がブログを書くことを挑戦にするわけがないですよね。
だって呼吸は挑戦じゃないですもんね、呼吸が挑戦だったら死んじゃいますもんね。
やっぱりブログを書くということが挑戦になるということは少なくともその方にとって、
息をするようにブログを書くというようなものではないわけですよね。
息をするようにブログを書くって言った方は日本でも有数のブロガーですけれども、
そういうわけではない。そういうことになってくると、やっぱり心の中のどこかに、
そんな息をするようには書くわけにはいかないという気持ちが一つあるわけですよね。
そしてその気持ち、つまりAに対してマイナスA、
Aに対してアンチAっていうそういうぶつかってくる葛藤を引き起こす気持ちというものが邪魔をしているのであればですね、
当然書けないということが起こるわけですよね。
その書けないということが起きたときに、書けないというのはニュートラルにただ書けないというわけにはいかないわけです。
ここには何らかの意味でポジティブな、あるいは何らかの意味でネガティブな書けないというその気持ち、つまり評価が起きてしまうわけですよね。
書けないことがなぜポジティブなのかというと、その人の中で書くべきではない、
そんなに簡単に書いてはならない、あるいは書くということには失敗するはずだ、
とか書いてはいけないんだというその自分の中でブレーキをかける気持ちにとっては、これはポジティブです。
書けないというのは良いことです、ある意味ではね。
そういう心の中の働きがあるからこそある意味書けないわけで、書けない側の気持ちの勝利には一定の意味があるわけですよね。
ところがこの書けない側に加担してしまったという自分、結局書くのに加担します。
書くということに私はここで書くという約束をしますよと、約束はしてないんだけど、
約束をしますよと言ってしまった手前、書けないということはやっぱり約束を破ってしまった自分として批判されるのではないかとか、
批判はされないまでも鈴木は結局それに対して心よく思わないに違いないみたいな気持ちを生み出したいという心理がどこかに働くはずなんだ。
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だってそういう気持ちが生み出されたと思えば、ある意味ではますます書かずに済むじゃないですか。
ブログを書けなかったというだけでなく、それを報告もできなかったということになれば、ますます書くということから自分を遠ざけることができる。
遠ざけたいと思っている心のが心の中のどこかにあるはずですから、ないならば息をするようにブログを書けるわけですから、
書かせまい、この人にこの主体にブログを書いてはいけないんだというものとしては、そういう心の働きとしてはですね、報告もさせたくないわけですよね。
その場合に私の、私という人間のイメージ、佐々木という人間のイメージや心象、ないしはこの3カ月チャレンジのコミュニティ全体の雰囲気というものが、
報告をしづらいなと思わせるようなものだと思いたいという気持ち、そういう風な色付けを報告できなくさせるために、自分の心が近くを通して作り上げていくってことが起こるはずなんですよ。
このことを先に意識しておいてくださいというのが、この3カ月チャレンジのコミュニティで私がお伝えしてきたことで、
まさにそういうお話が上がったんですね。書けないと報告しにくかったってお話をいただいたときに、それを認識してもらったというのが一つの僕がやりたかったことだったって思えたわけです。
結局、報告できたかできないか、書けたか書けないか、それはそれ自体はニュートラルなわけですよ。
どちらでも同じことだと思うんですね。
しかし、心はそこに色付けをしていく。
グッドバイブスデーというかな、グッドバイブスデーじゃないですね。
これは圭蔵さんが時々、時々ではなくしょっちゅうお話になる、私たちは見たい現実を作り出していくんですよ。
まさにそういうことをやるわけです。
最近、対象関係論の本に月先生という、これも有名な先生なんですけど、精神分析の人が、大人の私たちでさえ見たいもの以外は何も見ようとしない。
まったく同じことを言ってるなと思ったんですけど。
なのであるから、我々が比喩としてよく精神分析や臨床で出てくる幼児などというのは、赤ちゃんや子どもなどというのは見たいもの以外見ることができないに決まってるじゃないかと。
その見たいもの以外見ることができないような時代にですね、私たちの無意識的空想というものが作り上げられていくんですよね。
これは素晴らしいもの、もっともっとこれにくっついていこうとか、こんなものばかりを自分の周りに置こうとか。
昔私そういう、なんだっけな、ママテンパリストっていう子育て育児漫画を見たこと、読んだこと、有名な漫画です。
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30万部ぐらい売れたシリーズですごくヒットした漫画なんだけど。
それでゴッちゃんっていうね、主人公の赤ちゃん、子どもかな、男の子が嫌な目に遭うと自分の身の周りに自分が好きだったガラクタなんだけど、
おもちゃを置くわけですよ。
あれをまさにやるんですね、私たちはこの心はね。
刀とかプラスチックのおもちゃの刀とか、なんかこうキラキラした面子みたいなやつとかを置いて、
自分の周りをそうやっていっぱいにして、自分を慰める、怒られた自分を慰めるわけですね。
そういうことをやるわけです。
これが無意識的空想なんですよ。
それが外界に現れた形。
お母さんのおっぱいとかミルクとか、とにかく自分の好きなものを置くぬいぐるみとかね、
そういったものに囲まれれば自分の心がだんだん安らいでいくみたいな、
そうやって空想を作るということをやるということは、逆のことも当然起きるわけじゃないですか。
ブログを書くといったときにですね、
いや、書かせまいとする。
書かせまいとしたらどんな空想が起きるか、それはその人次第ですけど、
例えば書いた途端にものすごく自分を嘲笑った、
しかもそうですね、
例えば昔とても小学校で嫌な先生がいて、
なんかこうものすごい皮肉をいっぱい言ってくる、
その先生のような顔をした人が自分のブログをものすごくゲチョンゲチョンに皮肉を言ってけなしてくるような、
こういう空想を作り上げることで、
ブログというものを書けない自分というものを作り出してくれちゃうわけですよね。
さらにその上にですね、書けなかったら報告をしにくいという、
私の顔みたいなもの、私のイメージみたいなものに被せてくるわけですよね。
あるいはここに参加している人はみんな全然そういうことを思わないんだけど、
この人はブログを書けないなんて報告しているよということで、
またさっきのような皮肉っぽい視線を投げてくるっていう、
そういう空想をしてくる。
このような空想は何の役に立つか、
ブログを書かないということの役に大いに立つわけですよ。
それぐらい私たちの心というものは、
アンビバレントなものを抱えているケースがとっても多くて、
間違いなくですね、この3ヶ月チャレンジというようなもの、
先送りをしたくないんだけどやっぱり先送りしてしまう。
これはまさにアンビバレントじゃないですか。
あることをやりたいんだけどやりたくない。
それは好きなんだけど嫌いである。
そういったもの、つまり量過適って言いますけどね。
AであるんだけどマイナスAでもある。
確定申告だってそうじゃないですか。
きちっと3月、それどころか2月中、
1月中に出したいんだけど永遠に出したくない。
そういう量過的なものというものはですね、
必ずこの問題を引き起こすということです。
これについてやろうとすると、
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嫌な現実が現れてくる。
で、嫌な現実というものは、
人の力を借りて、人の顔の力、人のイメージの力、
皮肉を言うとか、技を洗うとか、
人の酷い場合には殴ってくるとかね、
とにかくいろんな手を打ってくるわけですよ。
全部空想ですよね。
その空想は何のために作り出されるのかというと、
そのアンビバレントな中で、
その行動を取らせまいとする心にとっての勝利を収めるため。
そういうふうに考えていくとですね、
なんで私がこのことをやりたかったのかというのが
分かっていただけると思うんですよ。
なぜならば、私はその報告を受けて、
そういう報告がまさに欲しかったんですと
伝えることは、その報告を、
その報告、そういうイメージを持つ私、
つまり私がそれを皮肉るとか、
あざ笑うとか、そういったイメージとは全く違う
私自身のリアルをお伝えすることができることによって、
ブログを書くというのを押しとどめたい
その人の力に対して簡単になっていくわけじゃないですか。
そういうことをすることができるのは、
空想ではありえないということ。
つまりコミュニティの中にはリアルがあるということ。
そのリアルは、その人の空想を裏切るということ。
そういったことをお伝えしていくことが、
私の今やっている仕事なんだと。
そういうお話でした。
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