1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 『夢判断』はわかりにくい?【..
2023-12-23 38:40

『夢判断』はわかりにくい?【GMV 906】

夢の解釈が間違ってても構わない?

サマリー

今週のエピソードでは、タスクシュートジャーニーやホッドキャストのお知らせがあります。また、ブログをやめてポッドキャストにすることを考えている話や精神分析の用語についても触れられています。夢判断について考えることがあります。多分、慎重で賢明な人ほど、真っ先に指摘する人になりたくないと思われるでしょう。ここでは別の話が出てきます。夢判断はわかりにくいです。フロイトの言葉には効果があるけれども、夢の解釈は自分の心と関係があると思われます。夢の報告は信頼関係の証拠でもあり、本人が困っている問題に対する助言を受ける場となります。20歳まで育った人のタスクシュートが記録されない場合、どう対処するかについて話します。

タスクシュートジャーニーとホッドキャストのお知らせ
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
12月23日の土曜日、朝8時6分です。
今週はかなりね、結局娘の学校次第なんですね。イレギュラーになり、今日は収録してるけど平日は3日空いたみたいな、そんな感じになっちゃいましたが、
時間の兼ね合いの問題で、別に僕の体調が云々とか、一切関係ないんですよ。
普通にやれると思ってたんだけど、寝坊してすっ飛ばしたみたいなのが一回あったんだけど、他はまあ、やむなくこうなりましたとしか言いようがありません。
はい、えっとですね。
あ、お知らせというわけじゃない。今日、タスクシュートジャーニー、ジェイマス・ザキさんと、残席9ぐらいだったかな。
もう結構ギリギリになってきつつあるんですけれども、
まだこれ、
本日中お申し込みいただけたと思いましたので、
よろしければ是非ですね。
あの、お申し込みいただければと思います。
今日中ですね。
これはもう今日やっちゃいますから。
明日以降、
まあ、アーカイブ配信がないわけではないんで、わかんないんですけどね。
ただまあ、タスクシュートジャーニーに関しましては、シリーズで一応やっていくということで、
あのー、
まあ、これ、えっと、の次が私とジェイになるかはわからなくて、
他の対談者の可能性もな、
結構あると思うんですけれども、
まあまあ、そういう、
まあ3人でとかね、
そういう感じのシリーズになるかなとは、
えー、まだ確定的でないですけれども、
思ったりもしています。
あとそうだ、あのですね、
えっと、
これはもう、
この番組では初登場の名前になると思うんですけど、
大下知恵さんというですね、コーチングされている方がですね、
あのー、
この番組でもお馴染みではないと思うんですけど、
ゾエさんというですね、タスクシュートクラウドライトの開発者さんと、
あの、ホッドキャストを、
えー、始められました。
えーと、知恵ゾエってあってですね、
知恵とゾエみたいな、
確か私、あのー、見知ってる限り、
ブログをやめる理由とポッドキャストの話
倉園慶三さんがね、あのー、
別の知恵さんと知恵とゾノっていうのをやっていて、
あのー、全然関係ないんですけど、
あのー、一文字違い。
あのー、一文字違いだからなんだってことも全くないんですけども、
まあ知恵とゾエというのを始められているんで、
まあよろしければ、あのー、聞いてみてください。
ホッドキャストですね。
ホッドキャストだけど、スタンドFMだったような気がしますね。
まあ僕も聞いたんですけど、
なるほど、なるほどと思いまして、
なるほど、ついでにですね、
あのー、僕もちょっと2024年になると、
4年を皮切りにちょっと、
この番組のリニューアルで、
まあリニューアルって大体、
あの、嫌なお知らせだと思う方が多いと思うんですけど、
まあそうかもしれませんが、
えーと、やめるとかでは、減らすとかやめるんじゃなくてですね、
さらにこう、テーマを開放しようかなと思っています。
まあ要するに先日も言った通り、
枯渇してるわけですね。
同じ話をぐるぐるしていると。
まあそれもこれのポイントだと思ってるんだけど、
えー、もっとこう、何でもありにしようかなと。
で、そう思ったことの一つがですね、
ブログとの兼ね合いで、
もういい加減、こう、僕はブログを卒業したいというか、
卒業おかしいんだけどですね、
あのー、もうブログを書くのやめて、
ポッドキャスト一本にしたいなーという、
えーと、他のことはXでいいなーみたいなね、
思っているんですよ。
あのー、X対して書いてませんけどね。
でもまあ、なんかこう、
Xにテーマっていらないじゃないですか、別に。
まあテーマ絞って書かれてる方もいらっしゃいますけど、
僕もテーマ絞るということには、
えーと、ほぼ興味を失っているんですよ。
どうせ枯渇するに決まってますからね。
出なければ、その人は、
それだけを喋る人になるんだけど、
それはそれで多分飽きられるんだろうなって思うんですよね。
あのー、特に知り合いでも何でもないんで、
ここに勝手にまた出すのは恐縮です。
恐縮なんですけど、
千葉さんって方がですね、
哲学者の方なんですけど、
結構すごいTwitterやられていて、
もうなんか何でも、
何でも言いたいこと言うぞーみたいな感じで、
僕やっぱ、あれが、
あのー、Xでは一番読む気がする人のやり方なんですよね。
あのー、なんかこれについて言いますよーとか、
情報発信しますよーというのは、
大体僕はもう終わらなくなってる。
ほぼ見なくなるみたいな感じがあって、
あのー、見るのは決まってですね、
とにかく当人が喋ってる感じがするやつ。
もう今の時代、
Botもあれば、
AIもあるわけで、
これからさらにAIが増えるわけで、
別に、
人が喋らない、
テーマが決まってる情報発信ならば、
相当な部分ですね。
例えば今私、
ぜひ見たいと思ってるけど、
果たして見られるのかという、
ナポレオンの映画があるんですけど、
僕やたらナポレオン追ってたんですよね、
一時期に。
えーと、
それは訳がそれなりにあるんだけど、
まあどうでもいい話なんで、
すっ飛ばしますが、
えーと、
ナポレオン追ってたわけで、
ナポレオン、
ナポレオンの話は色々知ってるところがあって、
うわ、
ナポレオンの情報発信したいとか思うんですよ。
唐突にね、
映画始まったから。
だから、
えーと、
唐突にナポレオンを語るという話になった場合、
えー、
ノートでやるって、
一苦労なんですよ。
なんか、
色々出してきたくなるじゃないですか。
そしてやらなくなる。
んだったら、
あの、
Xとかでガンガン出しちゃえばいいよねって、
思うわけですね。
思うわけですねっていうか、
別に、
出さなくてもいいわけですよ。
この、
出してもいいというのが、
つまり、
僕のテーマじゃなくて、
僕のテーマじゃないというのが、
つまり、
えーと、
ブログで頑張って書くという気がしなくなり、
えー、
そして、
ブログで書いたからといって、
何が起こるわけでもないのは、
もう、
じゅじゅ、
えーと、
なんかこう、
1万ぐらい承知していて、
もう、
やる気が全くしなくなるというね。
なんかになんなきゃいけないわけじゃないんですけどね。
えー、
精神分析の用語についての思考
先日、
Jさんが言った通り、
行動は行動で終わりというのが、
理想的だと思うんだけど、
だとすると、
やらなくなるんですよ。
この種の行動は。
趣味に近いんで。
で、
思ったんですよね。
こう、
ぐるっと考えてみると、
エッグでしょ、
ノートでしょ、
で、
ノンジャンル、
ノンジャンルとなったら、
ここだけで、
ジャンルを決める理由があるかっていうと、
ない気がするんですよ。
しかも、
な、
名前も、
幸いなことに、
グッドモーニングボイスという、
どうでもいいタイトルになってるから、
あ、
これも別にね、
これがライフハッカーのための精神分析とか、
ビジネス書読者のために精神分析入門以前とか、
そういうタイトルだと、
もう、
明らかに縛られるじゃないですか。
一見、
めちゃくちゃ広そうだけど、
どうせいつかは枯渇するに決まってて、
2週目、
3週目、
5週目になって、
それが大事っていう話を、
昨日したんだけど、
えっと、
やってる人間は、
それだともう、
ほとんど仕事になるんですね。
趣味でやるんだったら、
そんなことはしなくなる。
本人が納得すると、
それについてしゃべる理由って、
ほとんどなくなるんで。
先日、
昨日ですね、
たまたま3ヶ月チャレンジの方と、
お話ししていて、
で、
その方が、
私の話を聞いてと、
書かれてましたけれども、
なんかちょっと、
テーマ、
あの、
キーワードをまとめられていて、
うわ、
すごいと思ったんですよね。
そして、
そのキーワードでまとまってる内容が、
いちいちこう、
まあ、
僕とか、
関係が深いから、
っていうのはあるんですけれども、
関係が深いというか、
話をよくしてるから、
という風に、
言えると思うんですけど、
じゃあ、
いちいち納得感が強くてですね、
あの、
いや、
そりゃそうだろうって話になるかもしれませんが、
あの、
精神分析用語でですね、
あの、
結構、
驚くんですよ、
やっぱり。
それぐらい、
精神分析というのの用語は、
えー、
家中に、
市中に、
出回ってなさすぎて、
えー、
当然そう思ってるよね、
っていう誤解をするよりも、
何よりも、
えー、
自分の理解は合ってんだろうか、
って、
いちいち気になってしまうという、
変な世界だなー、
って、
思うんですよね。
あの、
それじゃないじゃないですか、
普通、
それなりの用語であっても、
例えば、
えー、
そうだなー、
なんでもいいんだけど、
ニーチェの超人とか、
あんま悩まないですよね、
超人の定義、
これで合ってんのかな、
自分のこう、
思い込みじゃないかな、
みたいな、
思い込みだって別にいいじゃないですか、
ここがおかしいんですよね、
精神分析がね、
無意識って言葉ですら、
あれ、
いいのかな、
みたいになってしまう、
えーと、
東映ドイツ化とかになってしまうと、
もう完全に、
自分は何かを誤解してるんじゃないか、
思ってしまうというね、
思うほうが、
学問的には、
いいのかもしれないけど、
僕は別に、
学者でやってるわけじゃないから、
これを思うというのが、
邪魔だっていうのが、
もう、
思うわけですね、
そういうふうに、
考えて、
もう、
見たりして、
いや、
こういう用語みたいな話だったら、
それこそ、
無意識と夢
えーと、
ブログとか、
ノートとかでも、
いいんだろうな、
と思いながら、
いや、
別に、
Xでも良くないっていう感じが、
蓄積って話が、
昔よくあったんですよ、
あの、
Xは流れていくという、
流れてほしいぐらいに、
思うんですよね、
どうせ、
ここには間違いが、
大量に含まれるから、
いちいち、
蓄積したくないわけですよ、
別に、
いいと思ってんだけど、
あの、
蓄積したいという気持ちは、
ないんですね、
誰かが、
勝手に蓄積するなら、
別に、
その人の自由なんで、
結構なんですけど、
大体、
あの、
蓄積って、
もう、
僕の中では、
あの、
不毛感に漂ってるわけですよ、
あの、
象の墓場って言葉はね、
これは、
暮らしたタダノリさんだったかな、
いいなって思ったんですけど、
もう、
Evernoteって、
完全に、
蓄積したものが、
なんかこう、
えーと、
そこら中に、
大量にありましてですね、
えーと、
まあ、
いいよねと、
あの、
すごく大事だって方は、
そうだと思うんですけど、
僕はもう、
あれ、
なくなって困ることは、
ほぼない、
でも、
どうせ困るんですよ、
そうは言っても、
ここが捨てられなくなる、
最大の理由なんですよね、
えーと、
1万に1つぐらいは、
なくなる、
困るものが、
あるんですよ、
だから困るんですよね、
こう、
えーと、
もっと頑張ってほしいなって、
思いますよね、
AIすごいって話、
ですけれども、
その、
私がなくなると困る、
1万に1つのやつを、
探してよ、
っていう検索に、
答えてくんないんですよね、
AIは一切、
えーと、
なんかこう、
私では絶対描けないような、
絵は描いてくれるのに、
えー、
なぜかこの程度のことも、
できない、
結局それは、
僕がしなきゃなんないわけですよ、
いかにもAI向きに、
思うんだけど、
そうはいかないんですよね、
えーと、
こういうことは、
できないだろうに対しては、
いろんなことが、
いや、
それもできます、
あれもできます、
って言ってくれるんだけど、
いざ、
私がやってほしいことは、
ほぼ何もしてくれない、
すっごい不思議な、
ツールですよね、
例えば、
あの、
ね、
えーと、
美術の鑑定が、
できないだろう、
みたいなことを、
昔言われてたんだけど、
美術の鑑定って、
全然できるじゃないですか、
多分、
少なくとも、
将来はできるようになりそうな、
感じがしますよね、
でも、
えーと、
じゃあ私、
あの、
美術の鑑定申告しといてね、
って、
絶対やってくれないんですよね、
これは一体、
どういうことなんだって、
思いますね、
まあ、
多分、
専門家の人が、
答えてくれるでしょう、
私は、
えーと、
それは、
なぜなのかは、
答えられないけど、
やってくれないことは、
わかります、
やってくれないだろうな、
って感じがします、
まあ、
これをやってくれちゃうと、
えーと、
多分、
ある種の人が、
困るってことは、
あると思うんですけれども、
理由は、
それではないはずなんだと、
思うんですよね、
でも、
あの、
もう、
ほんと、
ラッセンと、
僕に、
僕の目から見ると、
ラッセンとの違いが、
わかんないわ、
みたいには、
なるんですよ、
この辺がね、
納得がいかない、
えーと、
非常に納得がいかない、
ところでは、
ありますよね、
一番やってほしいこと、
例えば、
皿洗っといてよ、
とか、
この、
なんか、
いや、
一歩間違うと、
別に、
10歳児でもやれそうなことは、
やれないくせに、
えーと、
こう、
ニューヨーク美術館の、
バランス振りが、
あの、
AIってやつだな、
って感じが、
今の僕の、
えー、
いい加減なAI、
こういうのね、
蓄積されたくないわけですよ、
全然、
少しも蓄積されたいと、
思いませんよね、
この、
デタラメな話は、
流れていってほしいですよね、
今、
僕はすごく流れていって、
ほしいわけですよ、
適当にしゃべりたいから、
えー、
というわけで、
えーと、
今日は何を適当に、
しゃべりたいかというとですね、
別に、
ナポレオンの話がしたいわけじゃ、
なくてですね、
その、
昨日、
えー、
無意識とか、
そういうのを、
眺めていて、
えー、
つらつらと思ったわけですよね、
久しぶりに、
夢判断なんかも、
フロイトの下巻を、
読み返し始めて、
あー、
あー、
盲点
あー、
って感じ、
以前、
最初に読んだときは、
まさにね、
えーと、
まったく、
えー、
おかしいんじゃないか、
フロイトって人は、
としか思わなかった、
あの本がですね、
あー、
なるほど、
そうね、
帽子がフェニスです、
とか言われて、
それが、
えーと、
いやー、
その通りだよね、
とは、
まったく、
思わないんですよ、
大事なのは、
そういうことでは、
全然ないな、
って思ったんですね、
大事なのは、
えーと、
どうして、
帽子の夢を見よう、
という意志を、
一切持ってない人が、
帽子の夢を見ちゃうのか、
それも変な分、
帽子の夢をね、
えーと、
まあ、
その、
帽子の夢を見た人は、
あるご婦人で、
えーと、
旦那のフェニスの形が、
この話を、
プロイトが、
性的に解釈している、
という、
多分、
ある種の人から見ると、
もう、
完全に、
えーと、
頭のおかしい発想なんだ、
と思うんですけれども、
それが、
正しいかどうか、
じゃないんですよね、
と、
僕は思うんですよ、
その帽子の夢を見よう、
という意志を、
一切持たない人が、
なぜ、
帽子の夢を見ちゃうのか、
ってことだ、
と思うんですよね、
えーと、
無意識っていうのを、
えーと、
堅苦しく定義すると、
つまり、
アクセスできない、
わけですよ、
で、
アクセスできない、
というのは、
つまり、
アクセスしちゃったら、
もう、
それは、
全意識であって、
無意識じゃないんですよ、
だから、
アクセスできる、
無意識は、
ないんですよ、
原理的に、
それが、
すごい、
僕は、
えーと、
原理的に、
ってところが、
大事なんですよ、
これは、
あのー、
いや、
無意識、
アクセスできるでしょ、
っていうか、
もしれないけど、
アクセスできてしまったら、
それを、
思い出せるんですよ、
それはもう、
全意識なんですよ、
思い出せてしまったから、
思い出せてしまった以上は、
無意識ではないんですよ、
無意識っていうのは、
思い出せないから、
無意識なんですね、
じゃあ、
この世にないのと、
同じじゃん、
というと、
あるいは、
見られないものと、
同じじゃん、
というと、
まさにそうなのです、
無意識というのは、
見られもせず、
意識されもしない、
ただし、
夢には、
出てくるんですよ、
だから、
私の中に、
あるんですね、
ここが、
すごい重要、
盲点とかでは、
盲点というのは、人から見ると明らかみたいな感じで、割と指摘しやすいじゃないですか。
これが分析家の仕事なんですよ。
分析家は指摘できるかもしれない。
でも普通の人はパッパッと指摘できるようなレベルのものではないケースが普通ですよね。
それが他人には、身近な人にはどんどん指摘できるのに、本人が全く気づかないんだとすると、
確かにそれは盲点的な話になるけど、それは序張りの窓では済まされない。
序張りの窓って話としては、ちょっとした面白話で済むんだけど、
これをリアルに日常で絶え間なく起きてるって言うなら、それはもっと問題にならなければならないですよね。
だって困りますもんね。
本人が全く気づかないところで、その人はほとんどの場合、外出時に鍵を開けっぱなしにして出ていく。
火はつけっぱなしにして出ていく。
でも本人は全く意識できていない。
周りの人にはそれが明らかに、だってめちゃくちゃ危ないですよ。
分かる。これは盲点だよ。
ああ、では済まされないですよ、絶対に。
だから深刻なんですよ、ことはね。もう少しは。
それをカウンセラーさんが指摘してあげる。
ただ、指摘すると言っても、指摘をダイレクトにすると災害の場合傷つきますから、
これを侵襲的って言うんでしょうけれども、傷つきますよ、絶対にこれは。
いや、なんでそれ傷つくのっていう人がいるとすると、それは相当なもんだと思うんですよ。
これは、やってみるとよく分かると思うんです。
この人、こういうところを直せばいいのにと、空気を読めないよね、みんなそう思ってるよね、みたいな。
指摘しに行ける人は誰だって話なんですよね。
盲点になっている指摘
多分、慎重で賢明な人ほど、真っ先に指摘する人にはなりたくないと思うんですよ。
ここに別の話が出てくる。
真っ先に指摘する人っていうのは、多分そのことが盲点になっている。
だから、この見えることが見えない。
で、これはですね、指摘された人が傷つくということになってくると、
それは完全に無意識じゃないのかもしれないっていう話も少し出てくると思うんですよね。
うすうす勘づいていた可能性あるよねっていうこともあるんですよ。
だったらそれは無意識じゃないんですよね。
さっきの定義上、全意識にやっぱりカテゴライズされる。
この辺、局所論的なややこしさが僕はあると思うんですけど、
つまり、グレーゾーン的なところがどうしても出るよなと。
でも、だからといって、
全意識についてですね、それは無意識的だとか、
敵って言葉はあれなんだけど、
まあいいや、無意識的だとか、潜在意識だとか言っちゃダメなんですよ。
あくまでも全意識は全意識、無意識は無意識なんですね。
ここで潜在とかいうことを出してくると、
遠肌海人さんが、それは野の医者の用語ですとか、
さらっと言ってくるんで、言ってこないけどね、そんなこと。
僕、彼の言葉を聞いたのはビデオの中だけですからね。
だけれども、無意識と全意識ってのは、
一応はっきり意識、
区別しておく必要があって、
そうしないとフロイトが書いていることの意味って、
非常に分かりにくくなっていくんですね。
僕らがフロイトの本の中で、
まず一番分かりにくいと思っているところが、
私は特にそうだったんだけど、
無意識ってものがよく分かってなかったからなんですよ。
無意識ってのは本当によく分からないもので、
意識はできない。
つまりこの世のどこにもないようなんだけど、
私に強烈な影響を与えてくるものなんですね。
強烈じゃない。
強烈な影響を与えてくるものかもしれない。
しばしば曖昧な影響を与えてくるものかもしれないけど、
とにかく私のものなので、
私の心にあるものなので、
影響を与えてはくる。
だけれども、
それにアクセスするのは、
かなかな困難であるっていうような感じ。
ほぼ不可能だったり、
非常に困難だったりしますね。
だから先日でノートにも書きましたけど、
あのシーン私は非常にいいと思うんだけど、
うまく書けなかったかもしれませんけどね。
あの高階涼子さんの牛乳が嫌いですよ。
牛乳が嫌いなのは無意識となせる技です。
だって高階涼子さんが牛乳が嫌いな理由、
なんていうのは高階涼子さんの心の中にしかない。
だけれども実はそれは高階涼子さんが作り出したものであって、
元々嫌いな理由はどこにもなかった。
だから無意識で影響絶大ですよね。
そして本来存在しなかったという意味では、
アクセスが極めて困難になっているわけですよね。
本能とかじゃないわけだ。
本能で牛乳が嫌いって言うんだったら、
そもそも人間は牛乳飲まなかったでしょうね。
そういう意味でもあれは極めてパーソナル。
完全にパーソナルでしたよね。
嫌いになりたかったんだから。
牛乳嫌いって言えると、
かっこいいと思ってたから牛乳嫌いになったわけですよ。
で、かっこいいと思っているけれども、
牛乳が好きなままでは嫌いっていうのは辛いから、
本当に嫌いになったんですよね。
そしてそんなものは忘れるに限ります。
覚えてたら好きってことを忘れられないから、
嫌いってことになっちゃうから、
もう忘れてしまえば本当に嫌いになれる。
だから完全に無意識化されていくんですよね。
そういうあれは特殊な話ではありますけれども、
ああいうことがつまり、
言ってみれば夢判断とかにも書かれているという、
そういう文脈で読んでいくと、
だいぶ分かりよくなるんだなというのを、
昨日改めて確認し直したということなんですよ。
症例ドーラも治療としてあれはダメなんでしょうけれども、
私としてはすごく理解しやすくていいと、
僕は思うんですね。
ドーラにフロイトは実質説教している感じなんですよね。
けびょうを使ってお父さんの浮気をやめさせようとしちゃダメですよ、
っていう話をしているわけです。
これは浮気をやめさせようとしちゃダメですよ、
とは言っていないはずなんですよね。
けびょうを使ってそれをしちゃダメですよと。
そうするとあなた、
そのけびょうで困ることになるよっていう、
この話は高階良子さんの構図と完全に僕は被ると、
思うんですよ。
けびょうとは違うけど、
牛乳嫌いっていう、
やっぱりある意味けびょうなんですよね。
牛乳嫌いに彼女はなりたかったわけです。
そうすると世の中を渡っていくのに便利だった。
それはお父さんを愛人と別れさせたいという、
ドーラの気持ちとよく似ていますよね。
同じじゃない。
そういう現実に有利にことを囲うために、
自分を病気にさせるという手段を用いるわけですよね。
最初は、
多分無意識じゃないですよ。
でもそれが強く働き始めると、
そしてより本当らしくなっていくということは、
最終的に本当になるのが一番いいので、
本当になっちゃうと。
本当になっちゃったら無意識ですよね。
無意識にお父さんが別れてないなら、
すぐにこう調子が悪くなる。
倒れるとかそういう。
無意識の力と夢判断
で、私はそういうことをやっている人は、
これを指摘するとまさに、
いやいやそれはひどいじゃないですかってことに、
なるじゃないですか。
だからフロイトの治療がうまくいかなかったって話になる。
これをダイレクトに指摘してしまうと、
傷つくんですよ、やっぱり。
だってやってることは、
ある意味後ろめたいじゃないですか。
学校に行きたくないという理由で、
子供がけびを使うことよくあるじゃないですか。
その時にいろんなアプローチの仕方もあると思うんですよ。
甘えたこと言ってるんじゃないのって言って、
めちゃくちゃ怒るってケースも少なくないと思うんだけれども、
基本的にあんたそれけびおでしょ。
ダイレクトに言ったら子供傷つくじゃないですか。
これを信州的って言うんだと思うんですよね、やっぱりね。
つまりそれが事実であろうとなかろうと、
事実であるケースが多いんでしょうけれども、
ダイレクトに指摘しちゃダメなわけですよね。
盲点というのとは少し違うと思うんですよ、これは。
笑い話だったり、面白話では済まされないし、
子供がやってることを、
例えば体温計、戸畑海人さんが言ってたんですよね。
みんなやったことあるんじゃないかと思うんだけれどもね。
体温計にスコープに当てるわけですよ。
そして、あるいは摩擦熱を使ってですね、
程よい感じの温度に、
37度ジュザストとかだとイケって言われるじゃないですか。
37度7分とかになると、
医者に連れてかれる可能性が高いですよね。
そうするとバレるじゃないですか。
だから37度4分ぐらいにしておくという技を身につけたっていうのを本に書いていて、
彼は面白く書くんですよ。
でもこれを、
彼がそれをやって、
やってた時に、
やってたところを誰かに見られて指摘されると傷つくじゃないですか。
だから心臭的になるわけですよ。
ドーラの症例は遥かにそれより深刻なのに、
フロイトはかなり積極的にダイレクトに喋ってるから、
多分傷ついたと思うんですよね。
そして治療がうまくいかなくなるという事態を多分招いたという気は、
少なくともそういうことが起こって不思議な話ではないと思うんです。
ただし、話としてはめちゃくちゃわかりやすい。
これで、
これを言われてみるとですね、
あの人が夢判断で書いていた話の意味というのも、
まんま完全には理解できなくても、
十分理解できる筋の話だなという感じはしてくると思うんですよね。
このけびょうだけが全てじゃないですけど、
要するに無意識の力ってのはそういう風にして働く。
本人が意識からアクセスできなければできないほど都合が良く、
都合がいいというのはつまり、
現実生活を営む上で、
困難とか学校行くのが嫌だとかね、
お父さんが浮気してるのが嫌だとか、
何でもいいのですが、
現実には困難が付きまとうわけですよ。
現実原則としてですね。
お父さんが浮気してるのがどんなに嫌でも、
まあ嫌でしょう。
娘の立場からすれば。
でも、それをとどめるような力は自分にはないわけですよね。
だからといって、
まるまるお兄さんは受け入れてるんですよね。
お母さんはあんななんだから、
お父さんが浮気したって時代が時代ですからね。
1900年になるかならないか。
まあなった後なのかな。
でもその辺だから、
お父さんが浮気するのはむしろいいことなんだ、
ぐらいのことをお兄さんは言ってたみたいな。
それもどうかわかんないですけどね。
ドーラさんの言い分ですからね。
でも、まあそういうこともあるのかもしれない。
そして、で、そういう時にでもドーラ納得いかないと。
お兄さんはそれでいい、
そういうふうに納得できても、
私はそういうふうには納得できないんだと、
まあはっきり言ってますよね。
で、それって結局、
まあドーラの無意識に、
のもう一つの側面ですよね。
なぜそんなにこだわってるんだろうと。
まあおそらくですけど、
ドーラはお父さんが好きなんですよね。
えーと、社会正義的な話もありますよ。
もちろん、あの正義に戻るみたいなね。
そんなのはいいことじゃない、
みたいなのもあると思うんだけど、
今に比べるとあれは、
えーと、あって悪いことではない、
妙な言い分も通りそうな話なんで、
お兄さんの言い分ですね。
だから、それだけではない。
おそらく、
ドーラはお父さんのことが好きなんですよね。
で、お父さんもドーラのことは好きなんですよ。
ただ、えーと、
それと愛人の話は全く別っていうことですよね。
そしてその後の、その他の話もいろいろと、
えーと、まあよろしくない感じの話が、
特に今だったら、
非常によろしくないことになるでしょうけど、
当時どのくらいよろしくないのか、
よくわかんないけれども、
しかも日本の話じゃないしね。
ただ、なんかまあ、
よろしくないんだろうなっていう雰囲気は伝わってくる。
でも結局のところ、えーと、
フロイトの夢判断
何か全貌が明らかになってる。
とかね、そういう、こう、
特捜部がなんかしているって話とも違うんで、
まあ、わかんないといえば、
わかんないこともたくさんあるような気はします。
結局一人の言い分がすごく効いてるし、
えーと、それをしかもフロイトが書いたことですからね。
彼は臨床をやって、
臨床診療をやっていたわけであって、
別にこう、刑事だったわけじゃないです。
客観的にどういう話があったのかってのが、
わかってるわけじゃないけれど、
そこに無意識ってものが、
本人たちが、
ほとんど意識してない力が、
強烈に当人たちに作用していて、
おそらくそういったことは夢にも出てくる。
夢に出てくるのは絶対その人の心の中身ですよね。
あるいは心が作り出せるような、
まあ、心が作り出すって言っちゃいけないと思うんだけど、
本当は。
でもまあ、そういう話ですよね。
その人の心と関係があるのは間違いないと思うんです。
ただ、その夢を見ようと思って見ることはできない。
だから、とっても無意識というものを理解する上で、
夢がまあ、王道なのは、
なるほどなっていう、
だからといって夢がわかりやすくなるわけじゃないですよ。
相変わらず僕は夢判断読んで、
夢の中身からなぜフロイトはこう考えられるんだ、
というのはいっぱいあるんだけど、
そんなことは大したことじゃないってことなんですよ。
どっかしら頑張って考えていけば、
少なくとも当人には、
思い当たる節は絶対出てくるって、
それが正しくなくてもいいんですよ。
思い当たる節というものを探す気にまずなればですね、
まあ、大概ならないんですよね。
はっきり言って。
なぜならば、思い出したくないからですよ。
高階良子さん書いてましたよね。
思い出したくない。
思い出すということは、
現実の不都合な面に向かうことに必ずなるんですよ。
この話の構造上。
自分は学校に行きたくない。
で、思い出したくないってことになってくると、
つまり病気を作り出したということになるとですね、
あえて摩擦熱で体温計の温度調節してる間は、
まだいいわけですよ。
意識的にやってるわけだから。
でも、これが何もしないのに、
熱は少しは出てくるみたいになってきたら、
ここまでやっちゃうわけですね。
あの、無意識なの、体なのっていうのは。
ご主人様がそんなに困っていて、
病院、学校、そんなに行きたくなくて、
親がそんなに物分りが悪いならば、
この辺の条件は揃いますよね。
熱ぐらい上げようと。
できちゃうわけですよ。
37.4℃ぐらいまで。
狙ったように上がってくるということができちゃうんです。
この辺から私が少し、
シリアスになってきて、
話がややこしくなってくる。
止めようと思っても、もう止まらないわけですからね。
で、熱が出てくるという事態が発生して、
しかも本人が無意識になってくるとですね、
なんで熱あるんだろう、みたいな。
そして、摩擦熱で体温計の温度を上げていた時は、
医者に行きたくなかったのに、
この辺になってくると、
医者に行きたくなってくるじゃないですか。
検査してもらおうとかね。
で、なんともないですよ、という。
お定まりのパターン。
私このパターンで、
まさに40半ばの頃、
このパターンで病院10個ぐらいはしごして、
ありきたりな話じゃないですか。
よく聞きますよね。
体のどこも悪くないのに、
どうしても体調が優れなくて、
医者をはしごして、
なんともない、なんともないって言われて、
帰ってきて、でも調子は出て良くならない、
みたいな、そういう話って聞くじゃないですか。
心身症の典型的なパターンの一つだと思うんですけどね。
私もそういうパターンにハマったわけですよ。
別に不登校とかじゃなくて、
体温計をストーブで炙ったりしていたわけではないわけですよね。
でも調子が出ないってことが起こると。
で、つまりそれは、
それについて真剣に考えると、
何かが見えてきそうなんだけど、
見えないわけですよ。
見えるというのは、本人にとって都合が悪いから。
だからカウンセリングに行っても、
話すことはないはずなんですよね。
ここからスタートするんだと思うんですよね。
よく読んでみると、
ここがだから一つのすごくややこしいところなんですよ。
クライアントさんは、
自分の悩みが分かってないにも関わらず、
調子が悪いから行くんだけれども、
なんともないですとか、
わけわかんないことを言ったりするわけですよね。
悩み相談の難しさ
この話は、私はことがライフハックの相談でも、
同じ事態は招くだろうなって感じがします。
別に私、悩みないんですけど、みたいな。
困ってることないんですけど、
ちょっとこのタスクシュート見てください、みたいな。
すげえ困ってるじゃん、みたいなね。
見る人が見ると、分かってるんですよ。
分かっちゃうというようなところがあるんだけれども、
さっき言いましたけれども、
それをダイレクトに指摘してはダメなんですよ。
これをダイレクトに指摘すると、
相手は絶対傷つくように、
この構造上になっているんですよね。
現実に適応できてない部分があるんだから。
だから、僕が思うにですね、
お悩み相談で、
私も最初の頃そうだったんですけど、
お悩み相談で、
十分この悩みなら対応できるなっていうのは、
絶対ダメなんです。
何の役にも立ちませんよ、
っていうのを言ってるようなものなんですね。
これでは。
ある意味では。
最初はしょうがないと、僕は思うんですよ。
最初は。
カウンセリングだって、
きっとそういうフェーズはあると、僕は思います。
つまり、こういう相談が来てほしいな、
と思ってちゃダメな感じがしますよね。
でも、そういう時期ってあると思うんです。
こういう相談なら対応できるな、みたいな。
こういう個人的なお悩みなら行けるよね、みたいな。
行けない悩みだからこそ、
来るわけじゃないですか、本当は。
あるいは行くわけですよ。
もうどうしようもないから行くわけですよ。
何で自分困ってるのか、
分かりもしないからこそ行くんですよね。
で、しかもその悩みをダイレクトに指摘されると、
傷つくような構造なんですよ。
どうすりゃいいんだって話。
こっから話は始まるんだと思うんですね。
だからこそ、夢とかはいいわけですよ。
たとえその解釈が外れていたとしても。
夢の報告ができるってことは、
もう昔流行った言葉なんですけど、
ラポールっていうんですかね。
めちゃくちゃ成立してる時だと思うんですよね。
だって、見ず知らずの、
なんか頭のおかしそうな夢判断書いてる
フロイドさんに、
自分の夢の話しませんよね。
この場合の夢っていうのは、
昨日寝た時に見たい夢ですよ。
ましてこの人、夢判断とか言ってるんだったら、
絶対夢の話なんかしたくないと、
何言い出すか分かんないじゃないですか。
だから、したくないと思うんですよ。
でもしてるということは、
フロイドをよほど信頼しているか、
よっぽど困ってるかの、
大体、療法なんですけれども。
絶対、
そういうことだと思うんですよね。
タスクシュートとかの話に、
いきなり飛んでますけど、
手帳とかの話でも、
全部同じ。
だから、本人が悩んでいると言ったことは、
まず警戒してかからないといけないとは、
思うんですよね。
個人相談の難しさ
記録ができないんですって言ったら、
記録ができないことは、
悩みじゃないだろうな、
みたいな感じは、
どこかになきゃいけないと思うんですよ。
本当は違うことが、
ただ、この問題の難しいところはですね、
えーと、
ここが僕は、
えーと、
私たちの立場のややこしいところだなって、
思うんだけれども、
まあ、
えー、
有利でもあれば不利でもあるポイントとして、
でも、
その話のことが、
例えば、
親子関係がめちゃくちゃもつれてるだとか、
えーと、
夫婦間が非常にうまくいってないだとか、
そういう話になったとき、
果たして、
このライフハック相談室で受けていいものなのか、
それはライフハック相談室じゃないけど、
僕が勝手に作った言葉ですけどね。
受けていいものなのかって問題は、
出てくるじゃないですか。
これ学校の先生が昔、
今でもかもしれませんが、
悩んだことと同じだと思うんですよね。
えーと、
いや、このままでは大学行けそうにないんですとか、
いや、このままでは中間試験やばそうです、
という悩みなら答えられますよ。
そりゃ、
学校の先生、
多分、
進路指導みたいな。
でも、
実は、
えーと、
いや、だけど、
家に帰ると親父が酒飲んで暴れるんですよ、
っていうのが問題で、
それが理由で勉強が全く手につかないってなったときに、
その子の勉強の、
進み具合の問題は、
その子の勉強の問題じゃないじゃないですか。
でも、
往々にしてそうなわけですよね。
だから、
個人相談というものは、
一見すると誰にでもできそうで、
一見した以上に誰にもできなかったりする、
話だったりするんですよね。
カウンセラーの専門家さんってのが存在するのは、
おそらくこういう理由だとしか思えないわけですね。
で、
えーと、
この話は分かりやすいからいいんだけど、
もっとずっと分かりにくくなってるはずなんですよね。
例えば、
タスクシュートで記録が取れませんというのだってですね、
えーと、
家に帰って、
その人が昔、
子供の頃家に行くとですね、
家にはお金があって、
えーと、
ごちそうも食べられて、
記録ができない主訴
今クリスマスですけど、
クリスマスプレゼントいっぱいもらえたんだけど、
えーと、
自分の話は親は全く聞いてくれなかったみたいな場合、
何でも買ってくれたり、
何でもしてくれるんだけど、
話は全然聞いてくれないとか、
そういう風に、
自分は20歳まで育ちましたみたいな人が、
タスクシュートに記録が残りませんってなった時に、
どうするかってことなんですよ。
記録を残す話はできますよ、
もちろん。
えーと、
じゃあ、
スタッフショットを撮りましょうとか、
えーと、
リマインドを仕掛けておきましょうとか、
いくらでもできますけど、
多分、
何も解決する気はしないですよね。
でも、
だからといって、
えーと、
いきなり家庭環境の話をするって流れにも、
おそらくならないでしょうし、
えー、
そんな話をしちゃいけないようなところでもあると思うんですよ。
さっき言ったように、
ストレートに指摘すれば、
相手は必ず傷つく構造になってるわけですよ、
これは。
だから、
ストレートには話、
おそらくできない。
そもそもそういう話は、
見えても来ない。
最初に話を聞いた時は、
なんかよくわかんない、
取り留めのない話の中で、
記録ができないっていう、
主訴っての、
だけが語られている。
だから、
まるでこう、
対処療法の処方箋のように、
弱い薬を、
えーと、
私も、
体調不良ですって言って、
検査して、
胃カメラまで飲んで、
何にも出てこなくて、
弱ーい薬をですね、
ビオヘルミンみたいなものを、
14日分も出されると。
そして飲んでも、
もちろん全く効かないという事態が、
進行して、
そうして、
繰り返し、
医者に行って、
いずれ、
心療内科みたいなところに行くっていう、
流れの中なんだと思うんですよね。
で、
あとはもう、
どこをどの程度やるかって話なんだろうなー、
と思います。
夢判断の楽しさ
ライフハック相談室は、
まあライフハックなんだから、
言われたことに対して答えておけばいいだけなのか、
えーと、
もっと違うところをお勧めすればいいのか、
でも、
えー、
もっと違うところをお勧めしても、
えー、
ずーっとJさんのところに行くとかね、
そういうことが起こるんですよ、
現実にはね。
必ず起きると僕は思うんですよ。
その人が本来行くべきは、
例えばまあ、
精神分析的、
知事的、
心理療法でポストなのかもしれないし、
CBTなのかもしれないけど、
絶対、
そこには行かないっていう人も、
必ずいらっしゃる。
だから、
ある意味、
えー、
僕はのの医者を笑うっていうのは、
先進的な本だったなと思うんですよね。
のの医者じゃダメですよっていうのは、
すっごい誰もが、
少なからぬ人が言う、
すごく、
えーと、
正しくて、
シンプルな話なんだけれども、
その人をのの医者じゃないところに、
無理やり引きずっていくことは、
許されないんですよね。
のの医者のところに行きたいのに。
だからのの医者を騙しているとは、
限んないってことですよ。
しかも、
それで良くなったり、
えー、
少なくとも、
良くなるとは何を意味するのかってあるんだけど、
社会適応が良くなったり、
えーと、
やや幸せの度が、
幸福度が増したりするというケースになってくると、
えー、
それダメだっていう権利は、
いったい誰にあるんだっていう話になってくるじゃないですか。
そしてそれも、
少なからず進行している、
現在進行形でですね、
進行している話なはずなんですよね。
まあ、
今のように、
とりとめもなく喋ったんだけど、
でも、
僕が思うことは、
一つある。
ですね。
えーと、
野の医者の人は、
これも、
えーと、
ただ、
理想を喋ってるだけですよ。
実現性はゼロだと僕は思ってますけど、
野の医者の人も、
みんな、
えーと、
夢判断を楽しく読めるようになると、
えーと、
そうでない現状よりは、
おそらく、
ベターだろうとは思うんですよね。
ただ、
えーと、
だからといって、
それが、
えー、
実現可能だとか、
こうすればうまくいきますっていうのは、
僕の中には何にもないです。
多分読むようにも断然ならないだろうなと。
読んでる人は絶対いますよ。
でも、
読んでない人もいっぱいいます。
で、
読んで面白いとは全く思わないという人がいっぱいいても、
全然不思議はないですが、
あれを読んで面白いと思う人が野の医者に増えてくるっていうのは、
多分、
日本にとってはいいことなんじゃないかな、
ぐらいなことは思う、
ようになりました。
38:40

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