2021-02-13 26:50

【GMV 休日編319】依頼の受け止め方

何かがやりたくなったら依頼されたのかもと考えてみる
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おはようございます。グッドモーニングバイブス、休日編です。
これからですね、休日にできるときは、週に1回は休みますけど、休日にできるときは、休日編をやることにしました。
不意に思いついただけなんですけれども、クラブハウスでしたっけ?とかの影響もあると思います。
クラブハウスをちょっと聞いて思ったのが、こういうふうに、
まあ、所々で全然内容はもちろん違うんですけど、割とこう、素人ラジオっぽいものも結構アリなんじゃないかと。
もともとアリだったわけですけれども、今は賑わってますよね。
あの賑わいがいつまで続くかというような話もあるんだけれども、一瞬でも盛り上がるということは、少なくとも一時的にでもそういう需要ってあるんだろうなと思ったんですね。
まあ今コロナということもありますし、私のなんかこう伸び続けてるんですよ最近。なので、
ダラダラトークになっちゃうんですけど、特に休日ならいいかなというふうに思って、今までとどう違うのかと言われても大して違いやしないんですが、
クラウドのけいぞうさんとやってるぶっちゃけ相談というのがあるんですけど、YouTubeの。あっちの方が断然コンテンツ価値はありますが、
動画ですしね。ぶっちゃけトーク的に行こうかと。でもやっぱりそれも今までとどう違うのかと言われると困るんですが、
そうですね。違いはないですね。違いがあるとすれば、平日のは一定の緊張感の下で朝8時に撮ってますが、
多分休日のはこれぐらいの時間に一定の緊張感すらなくダラダラと喋るという程度の違いです。
なのであれですね、どちらの方がいわゆるコンテンツ価値が高いものが聞きたいかというだけで聞くならば、平日編の方だけ聞いていただくといいかもです。
ただし、休日編で書くと思うんですけど、私忘れうる人間なんで、その辺はもう休日編を聞いてしまったらそういうもんだと思っていただければと思います。
で、えっとですね、最近、何ら変わらないなこれ。最近、依頼というものについて悩むという、悩んではいないんですけど、考えることがありまして、
これ聞いていただいているZoeさんという方がですね、Twitterで、ちょっとちゃんと読んでなかったんでサラッと読んだだけなんですけど、別ブログを立てたいみたいなことを書かれていて、
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でも誰に頼まれているわけでもないので落ち着こうみたいなのがあったんですけど、こういう悩みって私たち普通に覚えますよね。
つまり何か不意にやりたくてことがあるんだけど、それを果たしてやる意義とか時間がどっかにあるんだろうかと考えると、日々もいっぱいいっぱいだしみたいに思うわけですよね。
ですが、果たして本当に依頼がないんだろうかって思うんですよ。
もちろん明示的にね、Zoeさんに向かって誰かがゲームブログを作ってください、別立てでお願いしますって言った人はいないと思うんですよね。
でも、そのようなことをやりたいと不意に思うということは、ただその人の心の中だけで発生する事案じゃない気がするんです。
私は佐々木さん、自分の時間がないんですというタクさんと一緒に書いた教長の本がありまして、
あの中で一つ目の大きな議論のテーマになったのが、自分自身の純粋な欲求に基づいて動く行動、それをするための時間とはいかにみたいな話だったんですね。
で、私はそのようなものは存在しないという風に言ってるんですよ。
これは私が20歳前後にすごく考え込んだことでして、反抗期だからなんですよ。
なぜ反抗期と関係があるかというと、社会とか他人のために、これは突き詰めて言えばフェロイトの言うところの対象離引動なんですけど、
対象のためには何もしてやるものかという強い決意のようなものが芽生えたんですね。
親ですね。
そうするとなんと驚いたことに何にもできなくなるんだということに気づいたんですよ。
これが危険だと思ったのはですね、うんこも出なくなるんですよ。
すいませんね、こういう話で。本当にそうなるんですよ。
うんこって親のために出してるのって言われるかもしれませんが、人間というのは難しい生き物でしてですね、なぜそもそもうんこといれでするんですかね。
これは親にそうしつけられたからに間違いないわけですね。
自然にそういう風にやる動物なんていないわけじゃないですか。
私たちはどこでどういう風に欲求を満たせば誰がどう喜ぶのかをちゃんと知ってるんですよ。
1歳児を超えたら明らかにこれを知ってるんですね。
だからなんですよ、フロイト派って気色が悪くていろいろ言われるんですけれども、私はすごいためになること言うなって思うんですよね。
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お母さんは赤ちゃんがうんこするとめちゃくちゃ喜びますよね。
特に便秘とかの時すっごい心配するわけですよ。
だから必ず喜ぶ。あれはプレゼントなんですよ。
だからプレゼントなんだって言うんですよね、フロイト派は。
なんで幼児が、昔かわいハヨウさんが書いてたんですけど、幼児がうんこ投げてきて困るんですという相談はよく寄せられると。
どうしたらうんこ投げなくなるでしょうかって。
簡単なんですよね。赤ちゃんはそれをプレゼントだと思ってるから投げてよこすわけですよ。
だって昔喜んだわけじゃないですか。
投げたら怒るっていうのは裏切りですよね。
こっちが高いプレゼント買ってって奥さんが怒りだしたら裏切りじゃないですか。
前喜んだじゃんって話なんですよ。
これはあれですよね、スキナーも絡んでますよね。
ネズミはレバーを倒すとチーズが出るからレバーを倒すわけですよ。
いいことがあることを動作するわけです。
倒して出なくなったら裏切りですよね。
倒して電気ショックとか与えられたらひどいもんです。
でも親って平気でそういうことをやってくるわけですよね。
前出した時あんなに喜んだのに今投げた時そんなに怒るというのはどういうことだって話じゃないですか。
これ良い酔っぱい悪い酔っぱいの話に直結してると思うんですけれども、そういうことが起こるわけです。
私たちって、なんていうのかな、
どんなことでもいいと思うんですけれども、
つまり依頼に応えるということは、
依頼に応えるというのかな、
依頼がそこにあるということは、
ちょっと表現が強いな、
依頼があるということは、
私の20代の時ですよ。
いやもう20歳の時だと思う。
奴隷になるということだっていう感覚がどこかで生まれる気がするんですね。
これが多分独立心というものと関係があると思うんですけど、
私はもう48なので、
佐々木さん自分の時間がないんですということについてですね、
依頼に応えていては奴隷だとは言わないんですよ。
それはもう20歳で終わるべきことですよね。
純粋な知的欲求とかいう言い方ありますけど、
私あれに条件を一個つけたんですよ、例外を。
あるんですよ、そういうのがね。
例えば、人類が滅亡した時のために核戦争か何かでね。
星新一もそういう小説書いてましたけど、
あれはだからつまり皮肉なんですけど、
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宇宙に向かって早々を流す、早々ってのは痛むやつですね。
そういうのは、それはあれですよね。
人の依頼に応えているとは到底言えないものですが、
普通私たちのやる行為ってのは全部、どこかで他人とつながってしまう。
私はそれをどことん切り捨てようとしたら便秘になったと。
そういうことが起こるんですよね、不思議なことに。
強い心理が働きすぎると、そういうことって起こっちゃうんですよ。
多分あれを突き詰めると食欲がなくなります。
つまり私たちが物を食べるっていうのは明らかに自分の欲求ゆえになんですが、
自分のお腹を乱すためだし、自分の肉体の栄養を取るためなんですが、
他人のためにやってあげてるんですよね。
そういう部分があるんです。
しょうがないというか、多分ですね、そういう生き物なんですよ。
だからここで独立心のために、どこまで自分自身のためにやれるかということを考える時期はあると思うんですが、
私は少なくとも40中盤を過ぎているので、これを今更持ち出したくはないわけですよ。
だからあそこが一大テーマになりうるということは起こるんですが、
それはやっぱり大学生のテーマだろうと個人的には思うんですね。
ビジネスを書く人間が云々する部分じゃないなと。
純知的欲求っても、あれですよね。
例えばフェルマーの定理みたいなやつにしても、結局誰かの喜びになっちゃうじゃないですか。
あれを解いたからといって人類に貢献はしない。
少なくとも人類社会の進歩とかの役には立たないと思うんですけど、
でも純粋な知的パズルみたいなものを解いたとしても、
あんなに複雑な9面の何たら半たらを使って解いたとしても、
やっぱりそれを多くの人が喜ぶわけですよね。
あれを大定理、どってことない定理なんですけど、
あれの解が読めたというのは、
ベートーベンの後期始住層に相当するみたいなことを言った人が誰かいましたね。
後期始住層に相当するわけでしょう。そう感じる人がいるわけですよね。
それってやっぱり他人のためになってしまうと思うんですね。
だから自分自身のためだけの行為って多分ないなと思った時に、
さっきのZoeさんのゲームなのかな、
何かのブログを新しく立てるというのはきっと、
そういう依頼感みたいなものがあると思うんですね。
人がそれを望んでいるようなところがあると思うんですね。
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で、それって何なんだろうという話なんですよ。
これ明瞭な依頼の形をとってくれれば話簡単なんですが、
そうはならないと。
ただ私たちはもう一方で明瞭な依頼の形をとった奴はやりたくないという変な生き物なので、
少なくともライフハックをやっている人の中にはそういう考えの人がたくさんいらっしゃるので、
この問題は別途あるんだけど、
とりあえず時間が豊富にあると仮定してですね、
自分の中に上がってきた欲求は全て何らかの形で
人からの、人に求められているものだとしたら、
それはどういう形で発生するんだろうと。
これがですね、見えてくると、
依頼に応えるということと自分で好きなことをやるということが
多分合致しやすくなるだろうなと思うんですよね。
最近東京ライフ研究会のベックさんがですね、
北さんがライフハック系の活動を盛んにものすごく活発にされているんですよ。
多分ご存知の方はこれ聞いている中には多いと思うんですけど。
で、これは誰が明瞭な依頼を出したかというと
暮らしたさんかなぐらいな微妙なラインなんですけど、
たまたまベックさんが給食されている間にどんどん構築されていくんですよね。
これって彼の生来の願望だったのか、それとも誰かからの依頼なのかって考えると
分かりにくいなぁと思うわけです。
ただ会社を給食している間にここまで危機としてやられているんだから、
多くの人はこう考え出すと思うんですよ。
この人にこれやらせてあげたいなって。
多分そう感じると思うんですよね。
もちろん会社でやっていることを待ち望んでいる人々も会社の中にいるでしょうから
そこに難しさみたいなものが当然出てくると思うんですけれども
とはいえずっとなかったものが不意に立ち上がってきて
しかも結構多くの人がそこに活発に参加されているのを見ると
この人にはこれやらせてあげたいなって思うと思うんですよね。
これはどうなんだろう、依頼なんだろうかって。
やっぱり僕はこれは依頼に見えてくるんですよね。
でも本人の中では
多分アベックさん給食したらぜひこういうのを作ってくださいと
かつて言われたことがあったとかいうことではないと思うんで
はっきりとしたその形を取らないんだけど
これが一種の依頼であることはおそらく間違いないような気がする。
でですね、最近
うちの奥さんと娘さんが
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集まれ動物の森をやっているわけですよ。
あれって私すごくグッドワイブスなゲームだなと思っているんですね。
私がこれまでに知っている多くのゲームとすごく違うのは
まず目的というものがはっきりしないんですよ、あのゲームは。
グッドワイブス的なんですよ。
一回やっちゃうと二度目は絶対ビジョン作っちゃうんだけど
一回目はですね、何のためにこれをやるとかがあんまりはっきりしないんですよね。
そしてゲームバランスというものが
核要素が、核というのは血因の決裂がいっぱいあるんですよね。
まずある意味いくらでもお金は儲けられるし死ぬことはないし
時間もいくらでも使える。この段階である意味ダメですよね。
昔のゲームだったら。つまりなぜHPみたいなものがあるかというと
それはダメージを食らわなければダメージを回復させる意味がないからです。
ダメージを回復させる意味がないんだったら
例えば薬だの、回復の魔法だの、立派な武器だのは
一切意味を持たなくなりますよね。不死身なんだから。
集まる動物の森には基本的に敵も出てこない。
そうすると何にもしなくてもいいわけですよ。
僕が子供の頃にやってたゲームっていうのは
何もしないと死んじゃうんですよ。敵が攻めてきてすぐ死んじゃう。
何もしないのは許されないというのは
つまりゲームに参加しろってことなんですよね。何かやれと。
面白いなと思ったのが例えば傘っていうものがあるんですよ。
雨降ります。非常にリアリティがある雨が降りだすんですよね。
傘挿すわけですよ。ところがこの傘挿さなくてもいいわけですよ。
なんでかっていうとHPないから、別に雨に濡れたからってどっちいうことはないわけですよ。
服乾かすとかいう必要すらないから。つまり傘というのは
じゃあ何のためにあるのかってことなんですよね。傘有料なんですよ。
ベルとかいう単位だけどお金がいるんですね。傘買う必要ないじゃないですか。
ところが傘買うんですよね。オシャレだから。
こうなってくるとこれ現実の世界に似てると思うんですね。
雨降ったからって僕ら死なないですよね。
昔ある種のロールプレイングゲームでは雨にずっと濡れてると死んじゃったりするんですけれども
だからつまりゲームバランスを取るためなんですよね。
雨に濡れても死なないわけです。
ダメージを食らうことすらないわけです。回復もいらないわけです。
だから傘差す必要全然ないです。傘差すメリットがないです。
単に可愛いから差すんですよ。
実はそういう風なアイテムがアイテムっていうかほとんど全部そういうアイテムなんですよね。
家具とかも買うんですけど家具がなければ何かができないとかではないんですよ。
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できないケースもありますが。
そうやって家をオシャレにしていくというのは
オシャレにするって言ったって現実にそれがあるわけじゃないので
なんとなくその見栄えが良くなるという程度なんですよね。
見栄え良くすることには実は意味はあるんだけど
それだってしなくったって別にゲームはやっていられるし
辞めることもできるわけです。
大変不思議なんですよね。
そうすると人はゲームに参加しなくなるんじゃないかと思うと
そんなことはないんですよね。
この点すごく私は現実と似ていると思ったんですよ。
現実ってもはや今の私たちの人間にとっては
多分にゲーム化しているところあると思うんですね。
例えば傘だって探せば探せばというか
現実に100円ショップで買えるのに
私たちは1000円の傘とか
何なら1万円もする傘とか買う人もいるじゃないですか。
それは1万円の傘を使うことによって
賛成から身を守れるとかではないですよね。
ちょっと便利でオシャレだからとかいう理由じゃないですか。
完全にゲームとなっているわけです。
これは大変僕は不思議なことでして
というのは私は昔のゲームをやっていた人間に
思考回路がよく似ているので
傘が雨に濡れなければいいなら100円買うから
という風に考えちゃう人間なんですよ。
それだとさすがにあれだということは分かるんだけど
基本的には100円の傘でいい人間なんですよ。
そうするとゲームにならないんですよね。
ある意味では。
参加度が下がっちゃうわけです。
これって結局どういうことなんだろうと。
このゲームってどうやって進んでいくんだろうと思うと
依頼ばっかりなんですよ。ほとんどが依頼なんですね。
何らかの依頼をされるんです。
例えば幽霊というやつがいて
魂を集めてくれとかいう依頼をするわけです。
集めなくたっていいわけですよ。極論。
でも集めると感謝されて何かが進むと。
そこで行われているのはブツブツ交換なんで
わらしべ長者ですね。その世界なんですよね。
基本的には。
非常にグッドバイブスをゲーム化したみたいな
ゲームだと思ったんですよ。
今ここ今ここで依頼に応えていくと
だんだん自体は良くなっていくという
しかもそれが非常に素朴に良くなっていくわけですよね。
平和だし。
面白いのかなと思うんだけどはまるんで
面白いんでしょうね。人間にとって。
ああいうものって。
つまりこれって
沿江さんが新しいブログを立ち上げるということだなと思ったんです。
そういうことってそういうことだよなとしか思えないんですね。
やるやらないは別ですね。
私たちの中で世界で一つですね。
これは依頼の形を取れば
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依頼になるのにと思えることが
何々すればいいっていうやつなんですよね。
もっと言うと何々が良くないすらそうだと思うんですよ。
これって依頼の形になるはずなんだけど
非難の形を取るんですよ。
非難の形を取るものは依頼になり得るんじゃないかと思うんですね。
これも依頼と受け取るかどうかはまた別なんですが
また別というか依頼と受け取らないほうが普通なんですが
例えばそうですね
最近ごくきのうおとといと
大炎上している辞任があるじゃないですか。
何々という言い方が良くないっていう言い方は
もうあちこちでされてるじゃないですか。
私は不意に思うんですね、そういう時に。
何々と言ってほしいってことなんだろうか、これはと思うんですよ。
こうなると依頼になるじゃないですか。
でもそうは言わないですよね、私たちは。
しかもこの言い方だと不自然な感じがするし。
でもですね、何々したほうがいいよって言いますよね。
だいたいそれを言える間柄って限られてるじゃないですか。
これをあらゆる人に言うと結構喧嘩を売ってるみたいになりますよね。
つまり非難が増しいんだけど
例えばマスクしたほうがいいよとか言うじゃないですか。
マスクしてほしいってことですよね。
依頼の形を取るのか、ジャッジの形を取るのかって
とっても微妙なことなんですけど
ZoeさんもTwitterに書かれてたんですよ、そういえば。
思い出したんですけど。
一つにまとめたほうがいいだろうなみたいな感じで書かれたんですよね。
要するに自分の今ある一つ目のブログの中に
ゲームのあるいは他のものも入れるべきなのか
独立して違うものを立てるべきなのか
混ぜないほうがいいのか、一つのほうがいいのか
これって他人がどう言うかによって
ニュアンスが大きく変わるなと思うんですよ。
いや、一つのほうがいいって言う人もいるじゃないですか。
私この言い方は良くないと思うんですけど。
独立させたほうがいいとかね。
独立させて欲しいのか
一つであって欲しいのか
ですよね、本当は。
僕はそういう感じのほうが
はるかに良いと思うんですけれども
この良いも結局ジャッジなんですけどね。
そう言って欲しいんですよね、結局。
これを欲しいで言えばですね、依頼になり得るんですよ。
依頼でないならば黙ってりゃいいわけですよね。
依頼でないならば。
ところが私たちは滅多に依頼はしたくないんですよ。
すぐジャッジしたくなるんですね。
面白いことに。
いやいや、マスクして欲しいなんて思ってないよ。
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マスクしなよって言うんですよ。
こうやって結構ひどいじゃないですか。
あれですよね、例えば
誰かに禁酒して欲しいと思っている人が
酒やめなよって言って
酒は良くないよみたいな言い方をするじゃないですか。
酒をやめて欲しいんですよね。
いや私は別にあなたにお酒をやめて欲しいとは思ってないとかって
さらっと言うんですよね。
おかしいと思うんですよ。
多分これはやっぱり欲求なんだと思うんですね。
依頼となってしまうと差し出が増しすぎるとでも思うのか
依頼だとは言わない。
けれどもあなたのためをもって
その方が良いとジャッジするとは言うんですよね。
私これ逆の方が良いと思うんですが。
こういうふうなことがありますから
あることを思うとですね
世の中に実は依頼に満ち溢れていて
結局どれが響くかなんじゃないかなと思うんですよね。
今多くの方には
昨日一昨日でやめて欲しいとか
本音を言えばね
いろんな欲しさが渦巻いているわけですけれども
私は響かないんですよね。
こう言ったら怒られるかもしれませんが
響きはしないんですよ。
こうなるよなと
ああいう発言には
すでに問題視される時代だよなとは思いますが
つまりこれを
彼にどうして欲しいとか
どう言って欲しいというのが
強力には出ないんですね。
強力に出るという方はですね
それを依頼として受け止められるということなので
このようにして私は依頼をキャッチしていくということが
起こるんじゃないかと思っているんですよ。
昨日一昨日で渦巻いている一方でですね
世の中でどこにもそれほど
ライフハック界隈を盛り上げて欲しいとかは
思っている人は少ないわけですよ。
だからこのブログを立ち上げた方がいいよとか
言う人は少ないわけですよ。
つまり何が響くかということは
すでに何を依頼とみなすかということと
ことだと思うんですね。
何がそのテーマのジャッジのどこがどう響くか
響けば不快に思ったり愉快に思ったりするんだけど
そうなったらですね
これはどういう依頼を自分は受け止めつつあるんだろうかって
考えてみると
依頼ってものは
フォームに入力するような
きっちりした形式を取ることは少ないのですが
実は結構そこら中にあって
私たちはそれをしょっちゅう受け止めているんだ
ということに気づくんじゃないかと思うんです。
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