2020-09-02 27:45

【GMV 217】搾取を恐れる人は皆テイカーになっていく

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アダムグラントのギヴアンドテイクの話をしました
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
とは言っても、少しも早くなく、かろうじて午前中といったところですけど、
不安ゼロで生きる技術の作者の蔵園圭祐さんと私なんですが、
今というか、だいぶ前からGood Vibes Factoryというオンラインサロンをやっておりまして、
そこでのやり取りは、主にお悩み相談と、私たちから配信する動画なんですけどね。
会員限定で見られるという。
サービスそれ自体は非常にオーソドックスで、今普通にいろんな方がやっているサービスなんですけど、
これですね、本を読んだ方は1ヶ月限定サービスとかできないかなと時々思うんですけど、
それは本というものの性質上難しいんですが、2000円なんですよ、税別ですが。
よろしかったらどうかなと、今ここでCMしているわけなんですけど、
どうしてこう思ったかというとですね、
なんていうのかな、昨日も不安ゼロを読み直してみて、
なんて言うんですかね、今日これからお話しすることなんですけど、
要はこうある種の前提というか価値観が私たちって中核的にあるじゃないですか。
こうしなきゃいけない、こうしなきゃいけないって、もう意識いちいちしないレベルであるんですね。
そういう視点で読むとこの本どう読めるだろうと思った時に、
なかなかですね、ここを取り除くと楽になれるっていう部分をこそ取り除かれにくいということがよくあるんですよね。
私は大橋哲夫さんという方とタスクシュートを広めるにあたってもいつもこの問題がどうしても残ると。
例えば私なんかは最近もう未来計画は立てないって話をいっぱいしてますけど、
いくらいっぱいしても未来計画を立てるというのはもう、
そうですね、もう富士山のように絶対的に一番やるべきことになっている人からするとですね、
佐々木のこの部分は全部無視してタスクシュートしようと。
それでもいいんですけど、だとするとですね、私の本の半分ぐらいは無意味なものになってしまうんですよ。
こういうことがあるので、本題サロンってそういうのの補足するような意味でも非常にいいんじゃないかなと思うんですよね。
あらゆる著者の、私はお金がそんなにあるわけじゃないですけど、
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あらゆる著者に実際リアルな声を聞きたいと思うことはすごくよくあります。
すでに亡くなっている著者もいっぱいいるからそんなことできないんですけど、
私、昔すごく学生時代愛読していたコリン・ウィルソンという人、この人も肩書き不明な人で、
犯罪研究家だったり、オカルト研究家だったり、思想哲学系の部類に入っていたり、
小説家としても結構売れたという、すごいダサいかつエネルギッシュな人なんですけどね。
この人をすごく愛読していた時期があって、若い頃にかぶれるとかよく大学の先生にからかわれたんですけど、
そういう面もあると思うんですけど、やっぱりあれだけ書いている人の本は面白いんですよ。
で、会いに行って話したことがあるんですね。イギリスまでわざわざ行って。
こういうことを結構する人間で、今だったらですね、オンラインサロンとかってあるのは大変。
オンラインサロンってなんかすごくこう、なんかこの話もこれからするんですけど、
搾取されるっぽく感じられるかもしれませんけど、僕なんかイギリスに行ったんですからね。
往復でかかったお金を考えると、オンラインサロン50ヶ月分くらい家に行きますよね。
イギリスってあの時期、物価めちゃくちゃ高かったんで。
話聞きに行っただけじゃなくて、観光にも行ったから、
全額がコリン・ウィルソンさん代に行った以上ってわけじゃないんだけども、
やっぱりこう、作者に生で接するというのは、今みたいに普通になってくると、
その価値が下落して感じられるとは思うんですけど、会って話すとですね、
急に見えてくることがいっぱい出てきて、
翻訳で読んだことしかないわけじゃないですか、私なんかも。
そういうのが英語で過労死でやり取りしたんだけど、
そういうことができる今の時代、だったら私絶対入ってますからね。
彼のオンラインサロンとかがあれば。
あの人はそういうことしそうにないところはありますけど。
そんなこんなで、よかったらGood Vibes Factoryというのがあるんで、
公式サイトの方から見ていただければすぐ見つかると思うんですけどね。
前置きとCMが長くなりましたが、
アダム・グラントという人のGive & Takeという本を読んだんです。
確かそういうタイトルだったと思う。
すごい簡単なんですよ、この本は。
大成功を収めている人はみんなギバーという、
もう与え尽くすような人だと。
でも成功から一番遠くにいる人もギバーという人たちで、
この他にマッチャーとかテイカーとか4タイプぐらいに分けられているんですけど、
なんで一番成功するのはギバーなのに、
一番成功から遠いのもギバーなのかと言いますと、
一番成功から遠いギバーの人たちはですね、
テイカーと呼ばれる人たちに搾取されてでも、
自己犠牲的に法師の精神で生きていて成功できない。
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一番成功から遠いと。
だからこの本は大変やっぱりこの部分が受けたんだと思うんですね。
この話実はグッドモーニングバイブスで最初のライブ前にしたことあるんですけど、
要は与えまくっていてはいけないと。
多分この本が受けた最大の理由は、
みんなギバーになればいいんだと思ってるんだけど、
でもギバーになるだけでいいんだろうかと思うじゃないですか。
そこになんだか巧みな答えが用意されている感じがしたからだと思うんですよね。
世の中には搾取する悪い人たちもいて、
彼らをうまく排除して、そういう記事があったんですよね。
そういう記事はたまたま目にしたんですけど、
上手に垣根を作って定価を削除したギバーが成功するっていう本の紹介で、
紹介としては大変それこそ巧みだなと思いました。
ただですね、例えばこういう話が出る背景には、
今言ったようにギバーにはなりたい。
でも搾取はされたくないっていうのがあると思うんですよ。
こういう視点って世の中では至って普通で、
統計はわかんないんであれですけど、
半数以上の人はこれに十分納得すると思うんですね。
ギブアンドテイク売れてますし、アダム・グランドの方も売れてますんで。
と思った時に、という記事を読みつつ、
ファンゼロで生きる技術を読み直してみると思ったわけですよね。
ギバー、ギバーアンドテイクで書かれていることと、
Good Vibesで言ってることは全然違うけれども、
同じようなものとして読むことも当然あり得るよなと。
なんでかというと、僕が説明するなら、
拡張バイアスというものが働くからなんですよね。
正しいことはすでに正しいんですよ、人間にとっては。
だからギバーは正しいけれども、
テイカーに搾取されるようになってはいけないというのは
めちゃくちゃ正しいと考えている人からすると、
もうこれ以上の回ってないから。
あとはGood Vibesで与えた途端に受け取れるという話があったとしても、
この線に沿って解釈されると思うんですね。
テイカーには搾取されないようにこれをやればいいんだというふうに。
それがいけないということも言わないから、
Good Vibesというのは正しさを争わないというのがありますからね。
そうすると、どういうふうに結局解釈されていくんだろうと思ったわけです。
これはですね、修正するとか是正するとか訂正するとかいう話ではきっとうまくいかない。
一番いいのはですね、蔵野圭三さんが直接話をすることだと思ったんですね。
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そういうふうに考えてみると、話が戻ってますけど、
オンラインサロンって悪くないんじゃないかなと。
私たちはそこで、あの難しい字ですよ。
搾取ってやつ。
なんで搾取という言葉がこんなにこう、だって使わないじゃないですか。
共産主義ですかって話じゃないですか。
資本主義者が搾取するってやつですよ、あれは。
元を正すとですね。
その時に多分、この文脈で一番使われた言葉で、
大概書ける人少ないと思うんですよね。
搾取の主は書けますよね。
搾の方。
なんで私たちが搾取されることをこんなに恐れて、
ほとんど怯えているのかと。
ここがですね、私が思うに一転して、
発想を逆にするだけで事足りると思ったんですね。
つまり、何を言わんとしているかというとですね、
このギバーとかテイカーという発想そのものがですね、
テイカーというものを作り出すんだと思うんです。
分類しているのがいけないって話ではないですが、
分類しているのもそうですね。
つまりですね、やっぱり話を、
僕が説明するとこれになるんですね。
確証バイアスが働くんですよ。
確証バイアスが、彼はテイカーだ、
あの女の人はテイカーだって決めるんですよ。
一旦そう決めてみるとですね、
その人は間違いなくテイカーになるんですよ。
テイカーとしての振る舞いだけが目に入ってくるようになるし、
たとえその人が何かをギブしていたり、
マッチングに努力をしていたとしてもですね、
全部テイカーとしてのギブである。
つまり偽善的に見えるだろうし、
マッチング的にも見えるはずなんですよ。
今ちょうど自民党で総裁選やってますけど、
あの辺の話を見ていると、
いかにもそういうものって見えてくると思うんです。
拡張バイアスっていうのはですね、
嫌いな政治家が何をしようとしているかを見ようとすると、
一番目に入ってくるはずです。
元首相が嫌いだった人は、
元首相がどんなことをしても悪意からしているように見えるはずです。
そうじゃないとむしろ意味がないんですよ。
拡張バイアスというものはですね、
無駄に作られているものではないので。
たぶんこの感覚というのは、
私たちにとってですね、
拡張がないところで判断することができないという、
きっとできなかないんですけど、
とても気持ちが悪いという、
私たちの生理的な感覚から来るものだろうと思うんですね。
つまり、例えばですけれども、
テイカーを排除するとかいう話であればですね、
私なんかはすでにかなり多くの人から排除されている気がするんですね。
なぜならば、テイカー的に振る舞うことって
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人間絶対ありますから。
例えば間違ってそうするということにせよですね、
あるんですよね、間違いまで含めれば。
いや、100回に1回テイカーとして振る舞っただけでは
テイカーにされないでしょうっていう人いるかもしれませんが、
私はそうは決して思いません。
たぶんですね、特に搾取されることに懸念を覚えている人はですね、
100回に1回テイカー的に振る舞った人を
必ずテイカーとみなすはずです。
その人がギバーだとみなすことは危険だからですよね。
油断してはいけないわけですよ。
人にテイクされるということについて警戒しているのであれば。
ある人が、それこそ10000回に1回でもいいんですよ。
間違った行いをしたら、やつはテイカーだということになるんですよ。
だってそうしておいたほうが安全じゃないですか。
テイカーを巧みに垣根を作って排除するということであればですね、
その人をギバーだと。
1000回に999回の義務的な行為をカウントしておいて、
この人をギバーにしておいたほうが自分は安全だとみなす理由は何もない。
実に簡単にわかりやすい例で言うと、
あるところでバイト先で着替えをするとするじゃないですか。
で、ある人が財布をくすんでたと。
絶対その人のことをですね、
潜在的犯罪者と私たちはみなして、
囲碁を行動するようになると思います。
その職場で働いている人はですね、
たまたまそれまで盗まなかった何千日という日は、
日についても実は盗んでいたのではないかとか、
盗むチャンスを伺っていたに違いないと絶対思うと思うんですよね。
私たちのものの感じ方ってそういうふうにできているはずです。
ある人がテイカーに見えたら、
もうその人はテイカーなのであって、
その人のその後の行為、それ以前の行為は、
すべてテイカー的な本性というものから出てくる行為だとみなすはずです。
なぜか、私たちは盗られたくないからだと思うんです。
で、テイカーが一番、テイカーと呼ばれている人たち、
お金をすごく儲けている人たちとか、
とにかく搾取しまくっているような人たちが、
何を一番考えているかというと、
テイクされることを恐れているはずなんですよ。
つまり、私たちはお互いテイクを恐れるんだったら、
みんなテイカーなんですよね。
決して私はですね、テイカーだけを巧みに排除したギバーという人がいるとは信じられない。
ここがですね、あの本で一番僕が引っかかっていたところなんだなと。
これは、グッドバイブスを読んだちょうど同じような時期に、
ギブアンドテイクを読んだんですね、私。
どっちが先だったかということは、
すでに記憶の中で曖昧になっているぐらい、ほぼ同じ時期に読んだんですよね。
非常に引っかかる本だったんですよ。
売れるのよくわかったんだけど、気持ちよくスイスイ読めるんですよ。
でも非常になんかこう、気分が悪くなるところがあって、
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つまりそれはですね、自分は何に人に分類されるだろうかと。
自分は何に自分で分類するかを考える意味ってあんまりないと思うんですね。
いや私はギバーに違いないとか、ダメだと思うんですよ、そんなこと言っても。
やつはギバーか、やつはテイカーかということになると思うんですよ。
そうするとですね、世の中に一人でもテイカーがいたら、
もう結構油断のならない世界だと思うんですよね。
そして自分の身の回りに一人テイカーがいたら、
巧みに排除するとか何とか言っていられないと思うんですよ。
サイコパスっていう話があるんですけどね、心理学には。
サイコパスを私たちは見分けられないって話が頻繁に出てくるんですよね。
アメリカの心理学では本当この問題が社会問題みたいに言われてるんですけど、
私はそうは思わなくて、あの油断のならない国でみんなが
スーパーで10億を買って身構えてる世界の中で、
人をサイコパスにせずにいられるものだろうかと。
世の中にはそりゃドライな人もいればウエットな人もいるし、
マイルドな人もいればエッジの効いた人もいますけれども、
おそらくですね、こう抜け目なく非常にいろんなことをやり、
場合によっては自分のために人を平気で、
この平気でに大きないろんな意味付けが行われてるんですけど、
平気で蹴落とすという人は絶対サイコパスだと、
あの国でみなさずにいるのは困難だと思うんですよね。
つまり、テイクされるのを恐れれば、
すでにテイカーに限りなく近づくと思うんですね。
一歩先を行きますよね。きっとテイカーの人たちというのは
もっと恐れてる。時間を1分でも失うのを恐れてるし、
お金を人に1円でも損させられると、
多分非常にこなれた人は上手に振る舞うでしょうけども、
クレーム入れまくりになりたいような気持ちになってると思うんです。
それは全部同じことで、テイクされるということが
もう身の破滅を意味するような気がする。
少なくとも驚くほど不愉快なんだと思うんですよ。
こういう話はしょっちゅう聞きましたから、アメリカでもね。
例えばサイコロジー、心理学の学部長、女性でしたけど、
アポイントメント入れるじゃないですか。
アポイントメント外の時間に何か質問すると、
正午あなたは私の時間を3分取ったよって言われるんですよ。
すごい優しいんですよ、その先生。
でもそういうことを言われるんですよ。
しかも時計を見て、この国は本当に大変な国だなと
あれは本当に思いました。
今日本でも同じようなことを言いたがる人がいるじゃないですか。
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3分とか5分とかですね。
人の時間を湯水のように使うとか。
みんなテイカーですよね。だって時間を奪っていくわけだから。
この価値観でいる限りはですね、
私はギバーなんてこの世に一人も居やしないと思うんですよ。
どういうふうに、例えば、
何ならばその人から時間を奪ったことにならないんだろう。
私がしたのは、いわゆる授業における質問だったりしますから。
あるいは次の進学先だったり。
別に世間話をしたわけじゃないんですよ。
世間話だったらむしろいいのかと。
だから結局のところ、何において搾取された、
搾取していると感じるかっていうのは、
都度都度私たちは当然決めているはずです。
都度都度決めるしかないわけですよね。
感情的に奪われたと感じられたら、それはもう奪われているので。
しかもそれは1回でも起こったら、
さっき申し上げた通り1回でもそれをやって、
その人が非常に酷くカチンと来たら、
多分その人はテイカー扱いだと思います。
この人たちを全て巧みに排除していくということは、
多分私は4ほどの人を除いたら、
友達はゼロになっていくんじゃないかと。
私そういう話もあるアメリカ人、
その人はかなり変わった心理学の教授だったんですけど、
社会心理学かな。
今私たちの、僕に言ってたんですけどね、
この国では日本人がよく言っているところのフレンドみたいなのはゼロだと。
あの人の言うことは多分極端だったと思うんですけど、
でもそのことを意味しているんですよね。
人はしばしばやっぱりサイコパスのように振る舞っていると思われるし、
友達でも裏切っているというふうに見なされることがあると。
で、見なすこともあると。
だけれども、
それを何とか食い止めているのが、
私なんかには分かりにくいだろうけどって言われたんですけどね、
教会なんだっていう言い方をしてました。
つまり宗教なんだってことですね。
そういうようなことになっていくだろうなと思うんですよね。
絶対的に悪人を自分の中に入れない。
テイクする人は絶対入れないということになるということは、
誰にせよ、
そんな3分とか立ち話しで奪う可能性は誰にせよあるわけじゃないですか。
私もそう言われたけれども、別に排除されたわけじゃないですけれども、
非常に恐れるようになりました。
絶対にアポイントは週に1回しか入れなくしましたし、
アポイント5の時間にしか絶対行かないというふうにするようになりました。
その前に行こうもんなら何言われるか分かったもんじゃないですからね。
多分アメリカではアメリカなりのうまい振る舞い方があるのかもしれないけれども、
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でもこの種のトラブルは実際に起こるんですよね。
割と頻繁に。
ニコニコニコニコしてやり取りしてるから、
後で怖いメールとかが来るとすごいギョッとするんですよ。
この辺は文化の違いなんですけれども。
やっぱりギブアンドテイクもアメリカの本じゃないですか。
というかアメリカで受ける本だと思うんですよね、あれは。
和白にでも受ける本ではありましたけれども、
やっぱりその辺のことというのはすごく考えさせられるというか、
つまり私たちはテイカーに奉仕するギバーであってはいけないという発想では、
多分普通の意味でいうとこのギバーになんかはなれないというふうに、
この話はグッドバイブス的な話ではちょっとないんですけれども、
だとするとグッドバイブスだとひたすら犠牲になるのかって話になりそうですけど、
グッドバイブスはそもそも人がギバーであったりテイカーであったり
しないので、これは定義に無理があるというふうに私なんかは思うんです。
くらどんさんがどうおっしゃるかわかんないけど、私なんかはそう思うんですね。
ある人との関係によってはテイカーかもしれないし、ある人との関係ではギバーかもしれませんけど、
固定的なものではないですよね、少なくとも。
人は結局変わるじゃないですか。
私がグッドバイブスの影響を受けてやだら変わったと思う人は結構いるように変わるんですよね、結局。
だからテイカーは一生テイカーのままになってしまうような定義の仕方は無理があると思う。
結局最終的にはですね、少なくともグッドバイブス的に犠牲精神って
別に称賛されても称えられてもいないので、この2つは同じことか。
犠牲になる必要は別にないんですよ。
なぜならば、与えると減ったり、与えることができないものを与える必要がないっていう発想があるので、
考え方があるのでですね。
それだと何も与えられない感じがするんだと思うんですけれども、
それがそもそも話の出どころからしておかしいと思うんですよね。
ちなみに私は時間はいくらでも与えられると思っているんですけれども、
これはもう考え方の違いです。
時間を搾取されているという考え方には前々からちっとも同意できない。
ただしこれは搾取されると感じる人は時間を与えなきゃいいんですよ。
半径5メートルっていうのもあるじゃないですか。
僕はあれも非常にあると思っていて、
アダム・グラントがどういう人をイメージされているのか分からないんですけれども、
誰から構わずという表現を取ったとき、
私は基本誰から分け隔てなくというのが少なくとも巧みな書き手を築くよりいいと思うんですけれども、
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分け隔てなく接しているからといってですね、
そんなに対応の人と接しないはずなんですよね。
これはその人の知名度にもよるんですけれども、
だから私はグッドバイブスを実践するなら知名度はやたらあるよりはない方がやりやすいだろうなとは思いますけれどもね。
接してくる人の依頼に応えるというだけでは、
搾取されまくるなどという形にはならないと思うんですよね。
これは例外的な話がありますよ。
例えば旦那さんがものすごい人だとか、
お父さんお母さんがとてつもない人で子供が搾取されてしまう位置にいると。
ただこの場合はですね、私はギブアンドテイクであろうとグッドバイブスであろうと別のアプローチがいると思うんですよ。
だってギブアンドテイクで親を排除できないじゃないですか。
親がテイカーだからといって匠に排除してたら自分死んじゃいますよね。
ちっちゃい子供だったら。
どうにもならないことってあるわけですよね。
その辺の話においては。
これはやっぱり自分が排除するというからには排除できるという選択肢が取れるケースの話であって、
だからギバーがお人よしだから成功から遠いというのは非常に恐ろしい言い方でもあると思うんですよ。
恐ろしくなんかないんだけれども。
選択の余地がないという可能性はあるわけだと思うんですよね。
子供じゃなくても。
自分の人間関係においてこの圧倒的にテイカーっぽい人だけが自分の唯一の人間関係であるという人にとってはですね、
その人間関係を簡単に排除できるかというと困難だと思うんですよね。
そういうことはあり得る話だと思います。
何度も同じ話に戻ってきてどうしてもこの点はしょうがないんですけれども、
取られることが怖ければ怖いほど多分私たちは自分がテイカーに近づくはずです。
結局のところテイカーというのは取っているのではなくてあれは守っているんだと思うんですよね。
多分彼らはみんな言うと思います。
特にそれで罪を成したような人はね。
自分は人のものを取ったわけじゃない。絶対言うと思いますね。
自分の時間やお金を守ったんだと。
それが他の人にはテイクされたような感覚になると僕は思うんですよ。
私は3分あなたは私から奪ったと言われたときに何かを奪われた感じしかしない。
私が3分を奪ったという感じは全くしなかったので、その後気をつけるようにはなりましたけどね。
で、あれで私がテイカー認定されるんだとすると、私も相手をテイカー認定しますよ。
絶対ギバーだとは思わないですね。
この人は巧みにテイカーを排除する優れたギバーだという風に感じないと思いますね。
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この辺が実際にはどういう風にあれは機能するんだろうと。
実際にはほとんどの人がお互いをテイカー認定して終わっちゃうんじゃないんだろうかという気がするんですよね。
そのところがですね、なぜこの話を散々しているかというとですね、
多分分類して分離するというアプローチというのは、
ギブという概念とはなはな相性が悪いんじゃないかなという話をしたかったからということです。
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