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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今は5月12日日曜日、母の日ですね。20時43分なんですが、これは多分、明日の月曜日にアップしようと思っています。
はい、音って大丈夫なのかな?何か時々心配になるんですよね。
えー、今週の金曜日の17日の15時17時にタスクシュートジャーニー第5回というのをやりまして、そこでケンスーさんという方を、
まあ有名な方ですけどね、特にSNSでは有名な方ですが、招きして、Jさんと私と3人でね、
公開カナエ弾をやります。
ちょっとこの時間帯は難しいという方多いと思うので、もちろんアーカイブ配信もさせていただくので、
ぜひ興味持っていただけると良いかなと思います。
こういうのも私やってますということで、今日はこういうのもやってますというのはどういう話なのかというのをやろうと思っているんですが、
あとですね、19日に手帳セミナー、タスクシュート手帳セミナーの第1回をやります。
これもオンラインもリアルも両方開催いたしますので、ぜひ今週中にですね、ご検討いただいてチェックしていただけるとありがたいです。
はい、今日は早速何の話題か実はあんまり漠然としているんですけど、
先日ですね、僕、メンタリストと言われている人たちは正式のカウンセラーの人も、野良カウンセラーと言われている人も含めて片っ端からツイートを追っているんですね。
そういうタイムラインがあるわけですよ。
時々炎上したり、土炎上したりしていて、あ、おや?とか思うわけですけれども、
いつも思うんですけどね、炎上っていうのは誤解の産物以外の何物でもないなとつくづく思うんですが、
今回はですね、なんかちょっとこう、別にいいと思うんですよね。公開されていたわけだからね。
ここで取り上げても炎上の火に油を注ぐことはないと思うんで、
ちょっとだけ話題にさせていただくとですね、
いちいちこれの許可を得にいくっていうのも変だと思うんですよ。
ちょっとすいません、フォトキャストで喋るけどいいですか?みたいな。
それはおかしいんじゃないかって思うんで、名前は出しませんけどね。
なんかこう、憧れでカウンセラーになるというのは危ないんじゃないか?みたいなことが書かれていた。
私その意味はよくわかる気がするんで、別にいいんじゃんと思う。
そういうことを書くのはね。
でもなんか憧れでカウンセラーになっちゃダメなのか?みたいな感じで炎上をちょっと仕掛けてたわけですけれどもね。
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僕はそれはすごくあそこで激しくみんなが興味を持つのもいいんじゃないかと思っちゃうんで、
別にだってね、すごく話題になるということはある意味すごく非難されるわけですよ。
今度ね、それこそ金曜日にお招きするケンスーさんなんて、
多分炎上なんてしょっちゅうあったと思うんですよね。
今はないかもわかんないですけどね。
そんなことは全然いいことなんじゃないかと思えるのはメンタルが強いとかいう形になっちゃうんですかね。
でもまあしょうがないと思うんですよね。
言ったことに対して批判を浴びるという。
私なんかも多分出すところに出したら炎上でボウボウなんじゃないかってよく思うんですけど、
最近そんなことは全然気にならなくなってきたんですよ。本当に。
なぜそんなことを気にしなければいけないのかがよくわからなくなってきたという。
まあ年を取ったということもあると思うんですけどね。
なぜ若い時は気になるんだろうなって考えてみると、やっぱりこれも不思議なんですよね。
なぜならば、僕若い頃の自分って今と比べてもですね、なお評判の極めて悪い人間だったわけですよ。
大学とかの多分ね、同級生の女の子だって顔も見たくないと思ってる人結構いっぱいいるじゃないかと思うんですよね。
だから今なんか僕はすっかりそれほどね、みんなに大いに嫌われてるってわけじゃないので、
なぜ今気にならなくなって当時はあんなに気にしていたのかと。
だって当時失うことの目線って何もなかったんで、それこそ同級生の評判すら地に落ちているような人間だったんで、
別にこれ以上嫌われたってなんてことないじゃないですか。そういう言い方はおかしいですけどね。
今の方がまだしも気にする理由がありそうなもんなんですけど、今の方が明らかに気にしていないんですよね。
これも考えるといろいろあるんだけど、今日はちょっとそういう話題はめんどくさいのでほっといて、
このプチ炎上の方に戻りたいんですけど、ひとつ僕がよく思うことがあって、
すっごいカウンセリングされている方って仕事も頑張ってると思うし、PRもすごい頑張っていらっしゃるんですよ。
SNSとかを見たりすると、ノードとかもすごい頑張っているなと思う人もいっぱいいらっしゃるんですけど、
少なからぬ方がですね、これはね、やっぱりそういう風になるのかも、これがテーマになっているのか、今日は思うんですけど、
このネガティブさを言うっていうかPRされるんですよね。
カウンセリングという職業はネガティブに語るというね、どうしてなのか、そうしなければいけない文化的流儀でもあるのかなって思うぐらいなんですよね。
決して良いものではないみたいなね、これ伝統的に言われてそうなんですよね。
本当に辛い商売だみたいなことをずっと書いていて、でも救われることもちょっとはあるみたいな。
これはね、何なのかなと、一種の手雷なのかなって時々思うんですけど、
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そして一部すごいやっぱり大御所の方とかは、大御所しかやっちゃいけないかなと思うんですけど、結構中身について語るじゃないですか。
基本的にカウンセリングのことについてツイートしている人っていうのは、もちろん中身についてPRされている方もいらっしゃるんですよ。
でもね、これもすっごく不思議なんですけど、僕なんかは、わざわざなのかな、わかんないですけどね、ちょっとわかんないですよ本当に。
野良カウンセラーが危険だってことしか書いてない人が割といっぱい、やや多めにいらっしゃるんですね。
つまりこれって、コーヒーの美味しさをPRするにあたって、インスタントコーヒーはいかに美味しくないかの話しかしないみたいな、ちょっと感じを受けるんですね。
それに、そういう流儀なのかもしれないけど、確かに野良が良くないのはわかりました。
そちらに行くとなぜ良いんですかっていうのは、実はほとんど全く書いてなかったりするんですよ。
正式じゃないと危険ですよとは書いてあるんだけど、正式を受ける良さっていうのはね、書いてないんですよね、あんまり。
書いてる方もいらっしゃいますよ、でも書いてないんですよ、あんまり。
野良がいかにダメかってことは書いてあるんですよ。
で、次にカウンセリングっていうのは憧れるような商売じゃなくて、すっごく報われないんです。
でもちょっとはいいこともあるよみたいな、なんかこの雰囲気って受けに行きたくなくなりませんかね。
その受けに行く良さについてはPRされておらず、行っちゃダメなところについては書いてある。
そしてそういう商売はすごく辛いとも書いてある。
でも結局その商売においてはユーザーは何が得られるのかはあんま書いてないみたいなね。
これは私なんかこうPRとしてどうなんだろうっていうのをちょっと感じるんですよ。
これってさっきのコーヒーの例えで言うと、カフェ店主、喫茶のすごい老舗で昔から長くやってる店主さんが
インスタントコーヒーはあれはコーヒーじゃないねっていうのを出す。
まあそれはいいじゃないですかね。
でも本物のコーヒーのユーザーについてはあんま別に何も語ってなくて、
いや本当喫茶店って辛い商売なんだよねみたいな、本当に辛いんだよって。
で、なんで辛いのかあんまり書いてない。
で、最後にでも帰りにちょっとだけすっごい気難しいおじいさんが100円ウォーク置いてってくれるとか、
そういう良さがあるんだよ、以上みたいな。
いやこれカフェとかに行きたくならないですよね、これだったら。
まあ僕はそこに行きたくなっちゃう人間なんですけど、
普通に考えるとこのPRの仕方はまずくないかっていう感じが普通にするんですよね。
だから僕カウンセリングのPRはいっぱいあるだろうにって思うんですけど、
その野良に研究している暇がないぐらいあるだろうにって思うんですけど、
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なんかね、いっつもこういかに怪しげな宗教はダメとか、
壺を買う騙されている人たちを見ると辛いみたいなことは書いてあっても、
決してこうだからインスタントコーヒーだけで満足させられている人を見ると辛いとしか書いていない、
それはある意味では本物が素晴らしいっていう、
なんかね、闇に包まれた本物の素晴らしさみたいなものを書いてある感じもするんだけど、
それはそれでなんかちょっと危険な香りさえするじゃないですか。
そうでなくてもカウンセリングって素人が手を出すと危険だみたいでね。
これカフェではほとんどないじゃないですか。
あの喫茶の真似事をしているところのコーヒーのものは危険だよってことは別にないじゃないですか。
危険じゃないんで。
カウンセリングはその危険性まで書いてあるから、
なんか普通に考えるとですね、ある種の人からすると、
近寄りたくない場所になっちゃうんじゃないかあの書き方ではと思ったりもするんですよね。
読んだことないと思うし、実体もそうじゃないのかもしれないけど、
いかにカウンセリングに行ってワクワクとして幸せになるかみたいなこと書いてないですよね。
そういうことを書くのは決まって危険で怪しくてダメだっていうことは書いてあるんだけど、
でもやっぱり人がPRされているところに来る時っていうのは、
なんか少しはポジティブなことを書いてないとですね、
ひたすらひたすらネガティブな話がずっと続いて来いって言われても、
まあ僕みたいな人間しか行きたくならないですよ。
それじゃあはっきりっていう気がしなくはないんですよね。
やっぱり我々のね、タスクシュート協会というところで僕は一応理事ってことになってるんですけど、
タスクシュート協会の認定トレーナーさんを集めるって時にも、
J松崎さんですけど主にPRするときは本当ワクワクしてみんなが生き生きとしてますって言いますよ。
そうですよね。PRってそういうもんですよ。
少々モッテると思われようとなんだろうとですね、
ここでやっぱり他のね、例えばこうなんとかっていうタスク管理の手法は本当あれは危険で良くないですよみたいな。
タスクシュートこそが本物ですって言って、
でもタスクシュートの協会って本当ねやってて辛くて、
いや良いことも全然起きなくて、
たまーにね、たまーに人が救われて良いことがちょっとだけあるんですよって言って、
人は集まらないと思うんですよね、はっきり言って。
そんなPRの仕方では。
でもこれが結構カウンセリングの世界では地で行われているというのが僕は、
これもったいないんじゃないのかな、不思議なPRの仕方だなっていうのを毎回毎回感じますね、見ていて。
もっとPRの仕方あるだべっていうね、余計なお世話なんですけどね、はっきり言って。
あれで実に上手くいってるって言ったらこのPRの仕方の方が実はいいのかもしれないですけど、
なんかね、上手くいってませんって話もいっぱい聞くんですよね。
未聞きする。最近はそうでもないのかもしれないですけどね。
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SNSが登場することによってカウンセリングのPRってどうなっていくんだろうという、
非常にこうマニアックな楽しみなんですけど、僕はこの楽しみがですね。
野球のほら、SNSの活用とかはまあ分かるじゃないですか。
あと地震が来た時にどういう風に災害時にSNSをどう使うかみたいなの。
もう災害時じゃなくたってすげえ議論されてるし、日本地震がどうしても多いんで、
もうすごく書かれてますよね。そういうのは分かるじゃないですか。
でもこのカウンセリング業界におけるカウンセリングに来てほしいっていうPRは、
なんかね、もうほんと今は黎明中の黎明期で、なんかあれなのかもしれない。
だから下手にカウンセリングの本質的なやつはここにありますっていうPRをすると、
大御所にめちゃくちゃ怒られるとかね、ってことがあるのかもしれないので、
私にもその辺の内部事情の詳しいところは分からないのですけれども、
先日のこう、どうってことのないですね、
それこそ憧れでカウンセリングなんかになるのは良くないですよみたいなことを書いただけで、
割と炎上しちゃうっていう、そういうPRも僕はないなって思うんですけど、
それじゃなんていうんだろうな、水を指すこと以外は何もしないですっていうことになりかねないんで、
不思議だなとは思うんですよ。不思議だなと思うんですけど、
同時に炎上するほどの値段かっていうのも思わなくはないですよね。
先日ちょっとね、これもまた非常に面白い、
もう完全に脱線なんですけど、
あの、なんだっけな、野良カウンセリングやってる人はちょっとこう、
私のところにスーパーバイズに受けに来ませんかみたいな、
これも面白い誘い方だなと思って、
近い場合見てると本当に僕は、僕のワクワク感は尽きないんですけど、
まあ僕が勝手にワクワクしてるだけかもしんないですけどね、
一応行ってみるかぐらいに思うんですよ。
ちょっと遠いから行けないんですけどね、
そんなところまで行ってるとまた家族に怪しまれるんで、
すいません、行かれないんですけど、
別に僕は野良カウンセラーでもないし、カウンセラーじゃないんでね、
そういう自覚はないんです。
でもスーパーバイザーやってくれるんなら、
何のスーパーバイザーをやってもらうかが問題なんで、
行けないんですけどもどっちにしても、
まあまあ興味深い誘い方だなと思ったわけですよ。
あれに乗って行った人はどのくらいいるのかは、
もう別に興味あるわけですけどね。
それに対してある人がツッコミを入れてて、
その野良カウンセリングやってるっていう人がですね、
自分でやってることはもしかして悪いことかもしれないと思って、
正式のカウンセラーのところに行って、
スーパーバイズという名のお説教を受けて、
本当私のやってることは良くないことでしたって言って、
畳むかっていう、そんなことが起こるかっていう風にね、
それじゃほとんどマゾだろっていう、
まあそうは書いてなかったんだけど、
そういうノリのツッコミが入ってて、
そのツッコミもどうだなと思ったんですけど、
僕とかは結構行きたくなっちゃったりする口なんで、
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少し僕はやっぱり心がおかしいのかなと思わなくはないんですけど、
いやマジで行こうかなって思っちゃうわけですよ。
だからサンチャレ畳もうってのは全然思わないんで、
その辺もすごいおかしいのかもしれないんですけど、
そういう人間心理っていうのはそういうものでもないなみたいな、
だからそういうね、
お説教をわざわざ受けに行ってお説教されて、
心を入れ替えて、
自分の商売畳むみたいなことが絶対ないかっていうと、
絶対なくはないんじゃないのかなって思ったりもするんですよね。
まあおかしな話だとは、
確かに不合理だって言われりゃ不合理なんですけど、
でもそういうことが全くないと言うと、
全くなくはないだろうなとも思うわけです。
まあいろいろ人ってひねくれてるんでね、
そんなに素直じゃないんですよ、ある意味。
内部でもない、いろいろ複雑なところはあるわけですね。
でなんですけれども、
まあこれで話はだいたい終わってもいいぐらいなんですが、
もうすぐ21時だしね。
うち21時半ぐらいにご飯食べる形になっちゃってるんですよね。
あんまりよくはないんだけどしょうがない面もありますし。
でね、みんな朝早く起きられなくなっちゃったんですよ。
いろいろな事情があって、特に日曜日とか。
これも脱線なんですけどね。
えーなんだっけな。
僕が今ですね、考えてるのは、
結局この3ヶ月チャレンジのことなんですね、主にね。
でもうすごいそれについては、
毎日毎日ずっと3ヶ月チャレンジのことばっかり考えてるっていう日も、
少なくないわけですよ。
運営どうしていこうかとか畳もうかとか思ってるわけではないですよ。
あのー念のためですが。
またこれをカウンセリングではないっていうのは、
僕はもう自分の中でははっきりしたんで、
これもね全然いいんですよ。
昔ほど正式かノラかみたいなのが中で、
僕が悩むことではないなっていう、
割とこう決着がついてるんですけど、
そのそうして考えるうちに、
カウンセラーってすごいことやってんなって思うんですよ。
ノラと言われている話とはまた別にですね。
だからなんでああいうPRになっちゃうんだろうっていうのは、
少し気になりだしてるわけですね。
自分だったらもっとうまくできるかっていうと、
僕もPR下手なんで、何も偉そうなことは言えないんですけど、
あのー一つですね、
カウンセリングってすごいなって思うようになったことの一つはですね、
回数がめちゃくちゃ多いですよねやっぱりね。
その臨床のパッと見てても。
それから2年が過ぎとかって平気で書いてあるわけですよ。
まずこれがノラカウンセリングと言われているものでは、
非常に難しいと思うんですよね。
この固着状態のまま2年経って人が傷つけるかっていうと、
どうしたってやっぱりその仕事術とかビジネス書っていうのも、
最近ようやく我々もですね、
じっくり時間をかけてやるんですみたいなことを言えるようになってきましたけど、
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もう寝立ての頃はそういう悠長なことは言えなかったんですよやっぱり。
いやもう秒で聞きますみたいなね。
1分間勉強法みたいなね。
それももう60秒とか言い出すわけですよ。
24時間以内に効果出しますとかね。
そういうことを言わないわけにはいかないっていう、
やっぱりそのなんていうんですかね。
まあ競争的世界の謎にあったわけですよね。
スピードハックスなんて、
メインタイトルがスピードハックスで、
サブタイトルにも仕事の3倍のスピードでみたいなこと書いてあって、
メインにもサブにもスピード入れてないと思う。
それによって売れたぐらいだね。
そういうところがあったわけですよ。
ここはね、何て言うんだろうな。
読者の良識にも委ねたいみたいな。
実際に24時間で効果出ないってのは、
分かってて勝手ねみたいなところは僕の中にはありました。
はっきり言って。
なるべく速攻性がある話をしたいとは思うから、
やっぱりタイマーかけて5分ダッシュだみたいなことは書きますけど、
それはそれなりに、
カウンスル罪的に、少なくともそれによってね、
ずーっと滞ってた、
税務申告の、いや違うな、ずっと滞ってた、
税理士さんへの支払いがこれでできたぐらいのことが起こればいいなぐらいだ。
だってそれで1000円ぐらいならいいじゃないですか。
で、プラスアルファでなんか、今まで知らなかったツールが1個見つかりましたでも、
ある意味いいなと思うわけですよ。
それで1000円、悪くはないんじゃないでしょうか。
ぐらいなね、そういうところがあって、
あとはもう元気になれるぐらいな勢いで、
もうちょっとちゃんとしたことは書いてるんだけど、
そうは言っても、てかちゃんとしたことほど、
24時間で効果出ないんですよ。
で、その、でも24時間で効果出ますって書いておかないと、
並ばないんですよ。売れないとかじゃなくて、
もう店頭に並ばない。
店頭に並べていただかなければ、
その方法論なりを人目に触れさせることはできないんで、
そこはもう、皆様の良識で、
なんとかちょっとこう、この業界を盛り上げていきましょうぐらいな、
そういうところがあったんですよ。
これ、まんまんのことをですね、なんと驚いたことに、
沖縄でライハックの研究会、昔は沖縄でできたからすごかったですよね。
沖縄でやってたときに、
三宅甲島から来ましたって人に、このまんまのことを言われたことがあるんですよ。
で、やっぱ、そういうもんだよなって思いながら、
割とホッとしたりもしてたんですけど、
そういう中でですね、今思うのが、
カウンセリングってそういうところは、
ほんと半端なくすごいなって思うんですよね。
だって2年も5年も8年もですね、
その硬着状態が年単位で起きてるのに、
かよってるわけですよ。
今なんかも、
例えばそれこそクラゾノさんのGood Vibesでも、
10回とかってあって、
10回だって大変だと思うんですよ。
でも10回なんてあっという間に取りすぎちゃうじゃないですか。
21:00
週に2回ずつ、2年経っちゃったら、
100回とかいくわけじゃないですか。
しかもその間、ほとんどこれといった進展はなかったとか、
最近はさすがにそうじゃないのかもしれないけど、
そういうこと書いてあるわけですよね。
それはすごいことだと思うんですよ、私は。
それが可能だっていう枠組みがセットできてるだけで、
すごいと思うんですよね。
だから当然のことながら、
そのカウンセリングというものが、
日常の中に入っちゃってて、
さらにその上で、
そういう人が例えば、
宗教活動とかもしているかもしれないわけじゃないですか。
現にしてると思うんですよ。
それっていうのは私はダブルカウンセリングとかじゃ、
やっぱりないと思うんですよね。
ある意味それは、
ある意味この言い方はものすごく語弊があるなと思いつつ言うけど、
家族なんですよ。
つまり1個目の本当のっていうのかな、
血の繋がった方の家族が、
あまりにも機能が、
例えば非常に偏っているとか、
例えばもう東大に入っていないんだろう、
お前はうちの子じゃないみたいなことを言うとかね。
その代わりにっていうのはおかしいけれども、
やっぱり代行家族みたいになってると思うんですよね。
そこで支えているっていう部分が、
すごいでかいと思うんですよ。
だから私は、
昔はですね、
そういうこと言われちゃうんだろうなと思いながら見ていたことが、
例えばあって、
カウンセリングより保健師の先生の方がすごく役に立ってるんだよ、
みたいなことを言われてしまう大変さっていうのが、
カウンセリングってものにはあるよなと。
つまり保健師の先生がうまいことお話をして、
聞いてあげたりしたりお話をするというのは、
即効性がある意味、
それも即効性すごい薄いと思うんだけど、
でも即効性があると思うんですよ。
それよりもある意味カウンセリングっていう作業は、
単にその下の土台に入っている作業なんだな、
これはっていう。
だから、
2年も一歩間違うと、
それ以上数年もない間、
目に見える進展がない中でにもかかわらず、
この人がすっかり忘れていたような反省みたいなものを、
語っている相手がいるってことが意味があるんですよ、きっと。
だって喋んないですよ、やっぱりね。
無理やり聞かせてしまうってことはあるんだけど、
それはイヤイヤ聞いてるんですよ、大概の場合。
カウンセラーっていう人たちは、
イヤイヤ聞いてるのかもしれないけれども、
でもやっぱり聞いてくれるわけじゃないですか。
何年もの間。
しかもほとんど同じような話を、
進展がないというのはそういうことになると思うので、
しかもそれがトラウマチックな話だったりするわけじゃないですか。
だからさっき言ったような、
灯台に落ちたからもう家から出ていけと言われました、
みたいなそういう話を延々と、
浪人って灯台に落ちてから数年経ってるのに、
そういう話を聞いているという話があるわけですよね。
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まずそれを、なんだかんだ最初にカウンセリング行った時、
話す気にもなってないと思うんですよ。
そんな話するのは嫌ですよね。
無理やりなんかね、付き合いだした恋人とかには、
そういう話を無理やりするんですよ。
そうすると恋人が嫌がるんですよ。
でもカウンセリングっていうのは、
そういう話を無理やり聞かされ続けていて、
それなのに親民になって聞いてくれて、
しかも何も進展がないのに数年が経ったりするわけじゃないですか。
これをやっぱりやってるっていうことが、
都合見なんだと思うんですよね。
同じようなことをやりますっていうことを、
野良カウンセラーというのか野の医者さんかね、
PRしても、なかなか信じちゃもらえないし、
やっぱり金額的に半額だったとしても、野の医者さんの方がですよ。
半額だったとしても、
進展がないまま1年間野の医者に通い続けてくれるかなんて、
僕はない、絶対無理だって思います。
そこは枠組みがある、構造がある、組織があるっていうことの都合見なんですよ。
その中で鍛えられてきた人たちにしか、
多分なかなか、
なんていうのかな、
担わせてもらえない役割っていうものがあるんだろうと。
そういうことなんじゃないかなっていうふうに、
最近はですね、あんまり直接関係のない中で、
接触障害の本を読んでみたり、トラウマの本を読んでみたり、
トラウマっていうのは僕が一番今まで、
別に避けてきたわけじゃないんだけど、
集中的な関心を寄せてきたわけではない方面なんです。
なぜならば、やっぱり仕事術のところで、
トラウマ扱いますっていうのが良くないんだって僕は思うんですよ。
PTSDの人のお悩みも聞きますみたいな。
されれば聞きますよ、もちろん。聞きますけれども、
それは仕事術からの逸脱度がむしろ大きいって感じがするんですよ。
フラッシュバックの話がここで始まるとかいうのはですね。
それはいろんな意味で、
違う方向性になっていくっていうか、
効かないってことではないんだけれども、
タスク管理っていうところから、
何もずれている感じがするという意味で、
話の途中で出てくるっていうのであればしょうがないと思うんですけど、
毎回毎回その話ですっていうのは、
あまり立て付けとして適切ではないだろうなという感じがしていたので、
あんまりトラウマみたいなPTSDとかそういう方向の方は、
僕は漁ってないんですよね。
漁ってないんですけど、
最近は精神分析と考えてみると、
トラウマというのはすごい関係があるような気もするんだけど、
すごく関係がずれているような気もするんで、
松木先生どういうふうにこれを書いてるんだろうというのに、
27:03
急速に興味を持って読んでいて、
もっと早く読むんだったと思っているところなんですね。
直接関係ないんですよ。
直接は3ヶ月チャレンジの方とかとも、
そうですし、ましてタスクシュートの認定トレーナーさんとか、
100日チャレンジのところの、
トラウマがないって話じゃないですよ。
トラウマなんていうものはある言い方を取れば、
私にだってあるんですよ。
そうではなくて、タスクシュートに乗る話ではないってことですね。
もちろん顔出しますよ、ケースによってはですね。
そして僕はこの本を読んでいくうちに、
やっぱり予想通りのことが起きたんですけど、
自分のトラウマ的経験というものを、
次から次へと思い出すんですよ。
今まですっかり忘れていた話なんですね。
これも僕は単にトラウマの話を読んでいるからではないんですよ。
やっぱりこれを力動的な考察を加えられながら、
トラウマの臨床例というものを読んでいくうちに、
自分のトラウマ的体験を思い出していくんですよ。
そして私はこれが絶対に、
なんて言うんだろう、絶対はおかしいな。
でもこれが根本的に私にとって役に立つと思うから、
こういう本を読んでいるわけですね。
なんかそれによって心がえぐられるとか、
そういうことではないんですよ、これは。
やっぱり忘れていたってことは、
抑圧されていた部分は明らかにあるんですね。
思い出すということによって、
記憶は変更を受けてしまうんですよ。
これは思い出されないときが、
記憶は最も正確に保存されているっていう、
これは脳神経学にもそういうのがあるんですけれども、
変形を受けるんですね、アクセスしてしまうと。
デジタルと違って生身の人間の記憶というものは、
アクセスを受けて前と同じ状態を保存するのは無理なんで、
これは非常にコンピューターの世界と
著しくずれた概念なんですよね。
そうですよね。
セーブデータをロードするために、
セーブデータの中身が書き換わっちゃったら、
ゲームしてても困りますよね。
でもそういうことが起こってしまうんですよ、脳では。
だから思い出さない記憶が一番正確なんですけど、
思い出さない記憶が正確でもしょうがないじゃないですか。
フラッシュバックの怖いところは、
そういう意味では生々しく再現性が何度もあるところなんじゃないかなって、
私は思うんですよね。
それはアクセスというものが十分ではないってことを、
庵に物語っているような、
私は神経科学をアメリカで勉強したときに、
すごくその辺の話をする教授がいらっしゃってて、
すごくその辺の話をする生徒さんもいらっしゃってて、
英語だったからすごい疲れたんですけれども、
なんかすごい難しくて、
役に立つことを喋っているなという感じはしたんですけどね。
アメリカはこういう話が多いんですよ、どうしても。
戦争という問題がありますから。
30:00
もちろんそれだけじゃないんですけどね。
いわゆるこのPTSD的な問題っていうのは、
災害大国である日本でも同じ問題はあるんだけど、
やっぱりアメリカってのはそういうのはすごくこう、
ある意味そういうのを集中的にやる人が結構な数いらっしゃるんで、
そういう話はものすごくよく聞くことは確かにありました。
話がやっぱり反れていってるんですけど、
そういう話ではないんですよ、私が言ってるのは。
そういう話ではない。
フラッシュバックを伴う伴わないの話ではないんですよ。
これを力度でどういうふうに扱うのか。
やっぱり脳で扱ってるっていうのは、
分かる気がするじゃないですか。
それが結局脳神経的にどういうふうになってんのっていうのは、
一般的にすぐ興味の視野が向きやすいところですから。
でも、機動的にどういうふうにそれを考えるのかっていうのは、
すごい不思議だなと思うんですよ。
でも読んでいくになるほどなと、
つくづく思うようになって、
そしたらですね、私の幼少時代の
あ、あーっていうのがですね、思い出されるんですよね。
そしてそこに当然怒りがあるっていうのもよく分かるんですよ。
トラウマ的な体験っていうのは、
腹立たしい体験ばっかりになりやすいですよね、そりゃ。
だって親に、お前は東大に入れなければもううちの子じゃないって、
めちゃくちゃ腹立たしいじゃないですか。
その怒りになかなか自分でも触れることができないっていうレベルに
入ってしまうんですけれども、
当然それは非常に腹立たしい体験になるわけですよ。
信じがたいなっていうふうにも当然思うわけですよね。
で、そういう話になった時に、
でも究極的には何それって言うんだけれども、
何って言えばですね、対象喪失って話になるんですよね。
だからここから物作業ってところにつながっていくんですよ。
対象喪失っていうのは何を喪失するかって、
親ですよね、一つには。
うちの親ってそういう親だったんだっていう、
自分が期待していた姿とは大きく違う親だって、
これはいわゆる親が対象化する陳腫っていう言い方をしてもいいと思うんですけど、
いずれにしても対象喪失が起きますよね。
もう一つは落ちてしまった自分っていうものが、
受かった自分の喪失になりますよね。
この喪失というものが、つまり最終的には不在って話に、
不在の対象って話になっていくんだけど、考えられないですよね。
最初からいなかったんだよっていう風に考えられるようになるのは、
相当なハードルがあると思うんですよ。
最初から灯台に浮かる自分というものがいたわけではないんだ、
いたわけではないんですけれども、
そういう風に自分でその事態に直面するのは極めてきついですよね。
赤ちゃんにとっては、受入してくれない母親というのは、
不在なんだと考えるのに無理があるよ。
やっぱり理想の大学に浮かれない自分っていうものが、
浮かるはずだった自分というものを、
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喪失した体験というのは、
非常にトラウマ的になっていくっていうのは、
書いていてなるほどなという感じがするんですよ。
そこは不在なんだから、喪失したんだから、
やっぱり物作業という展開を取っていく余裕がないんですよね。
これはなるほど数年が必要なわけですよ。
これは私んち寺でしたから、
よくこれで暴力を貪ってると言われるんですけど、
そうは言ってもですね、
やっぱり一周期ぐらいはしないわけにはいかないんですよ。
人間というのは。
やっぱり、
そんなにものすごく長くなくたって、
うちの技術家のおじいさんはそうなんですけど、
やっぱり奥様が亡くされて1年ぐらいはですね、
結構、
何て言うんだろうな、
愛称喪失感が畳にもわかる感じがしますよね。
1年ぐらい経ってくると、
ある種元気を取り戻すんですよ。
忘れられたからとかでは全然ないですよ。
結局だから3周期っていうのは、
1つの節目になる2年ですけど、
2年という歳月が、
やっぱり普通に必要かなって感じがします。
それは非常に一般的な話ですよ。
健康的なっていうのかな。
そうすると、なるほど、
精神分析というものに、
あっさり2年経っちゃうわけだというのは、
わかる気がするんですよ。
こういう話で考えてみるとですね。
緊急性を要するじゃないですか。
やっぱりゆっくり野の医者を探している余裕はないわけですよ。
だから正式っていうのには意味があるわけですよね。
寺もそうですよね。
だって亡くなったのは昨日ですって話になって、
はい、今日お葬式をしますっていうのに、
ゆっくりと信仰宗教を探している余裕はないわけですよ。
だから正式っていうものが一定程度の効果を必ず、
用意できますというものがですね、
必要になるわけですよね、そこには。
これが正式のやることの意味かなと。
結局のところ、寺の坊さんというのは、
そういう意味では家族の代理なんですよね。
代わりに痛む人ですからね。
これって赤の他人にお願いしたくないじゃないですか。
そういう意味で坊さんって赤の他人なんだけど、
赤の他人じゃないわけですよね。
こういう意味だったらっていうのが、
葬式っていうのはある意味日常ですからね。
もちろん戸村人にとって日常ではありませんけど、
寺にとっては日常ですからね。
うちの父なんて毎日最大で3件ぐらい、
あれは多すぎますけれども、
行ってた時期があるんですよ。
これはもう冒毒とかなんとかじゃないですよ。
本当に3件行かなきゃならないんで。
ここがカウンセリングとよく似てるんですけど、
休むってことは許されないわけですよ。
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だから父なんかは、
もう本当にお腹がめちゃくちゃあれになって、
何かに当たってとかね。
もうあってなっているにもかかわらず、
3件の葬式にあるってことになったら、
行けませんとは言えないんですよ。
行かなきゃならないわけです。絶対に。
途中で駐座してトイレに行くとかも許されないですよ。
そういう苦労はあるんですよ、
ああいう商売にはですね。
非常に楽に稼いでいるように、
よく言われるんですけれども、
そういう面もないわけじゃないですけどね。
でも非常に楽ではないんですよ。
365日24時間のフル活動なんですよ。
休みっていうものはないわけですよね。
今日は休日だから、
お亡くなりになる人はいませんでした、
というわけにはいかないし、
今日は休日だから結婚式はやりません、
というわけにも結婚式でやりますからね。
だからそういうことなんですよ、これは。
それって結局日常の中に入っていくってことになるわけですよね。
家族に休みってないじゃないですか。
家族は永遠に家族じゃないですか。
休日も家族じゃないですか。
それとよく似てるんですよね。
だから家族代行サービスっていうのは、
休めないっていう凄さがあるんですよ。
ある意味では、
だからコンビニエンスストアってそうですよね。
コンビニってまさにそうですよね。
やや家族感がありますよね。
だからあれ、それはやりすぎだってことになって、
最近閉まる日が出てきまして、
あれ良いことだと思うんですけれども、
つまりコンビニっていうのは家族になってしまうんで、
だからああいう商売って大変なんですよね。
その辺は運送業っていうのも似てますね。
だから私いつも運送業見てると、
うちみたいだなって思うことが少なからずあったんですよ。
話がまた逸れているんですけど、
そういうのがカウンセリングさんの凄さだなと思うんで、
そういうところがですね、
もっと徹底的にPRされてもいいんじゃないかなっていう感じを
最近は抱くわけです。
野の医者なんかと自分らを比較してもですね、
むしろもったいないんじゃないかっていう気がするんですよ。
言われているほど野の医者のところに通ってる人の数って
すっげえ盛大にいっぱいいるわけです。
多分あれですよね、東京ドームいっぱいにするとか、
武道館いっぱいにするとかいう人たちばかりを見るから、
ああいうところに人が行っちゃってるんじゃないかみたいに
思われるかもしれませんけれども、
そういう事実はどこにもないんですよね。
だからここと比較したところで、
お客さんへのPRにそもそも立ってないんじゃないかみたいな
感じすらするんですよね。
いろんな意味でPRポイントは他にあるような気がするわけです。