2021-01-20 47:51

【GMV301】「何者かになりたい」とは?

多くの人にほんの少しずつ役に立つ存在になっていくということ
00:00
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
301回。 最近あちらこちらで紹介していただいて、グッドですね。
あの読者さんが増えて大変ありがとうございますというところだったんですけど、 気がついてみると数字が元に戻っていてですね。
あのなかなか、いやもちろん新しく登録してくださった方はそのままで、 前から聞いてくださっている方が徐々に減っていったということもあり得るんで、
誰がどうなったってのはわかんないです。数字だけなんでですね。 わからないんですけど、まああの
道は長いなという気がしました。 まあこの長さはイリュージョンですけどね、完全に。
あの、本当この感覚って慣れて大きくて、 もちろんあの、まだ私の感覚の中に未来みたいなものってないわけじゃないんですけど、
グッドこうですね、先のことを考えるたびに、 ああ意味のないことをしていると思うようにしただけでですね、
考えなくなるんですね、本当に。面白いもので。 えっと本当に今は気がついたら夜になっていて、気がついたら寝る時間だみたいな感じになってきていて、
今ここってのは、 あのある程度の日数はかかりますけれども、決してそんなに
なんて言うんですか、認識が難しいことじゃないんだなと思います。 まあでも考えてみれば当然なんですよ。
なぜならばほとんどの人間は明らかに最初はこうやって生きてたんで、 あのむしろ相当の訓練を積まないと常に未来のことを意識するなんてことの方が難しいと
思いますね。 それでそれと関係があるようなないような話なんですが、今日はたまたまですね、
本当にめちゃくちゃたまたまですね。 えーと
ダメだ、正確な名前が出てこないんで。 えーと
有名な人が本を書いて、映画館もされてっていう話がありました。
たぶん誰かがすぐに教えてくださると思うんですけど、僕それ多分すぐ忘れちゃうんで。 あの
まあ皆さん、私が誰のことを言っているのかは、命名の方の葬儀に任せますが、まあ別に間違った人を思い出されても何の問題もないと思うんで。
でその人のチケットを、 その人の
ファンの人が代理販売をするっていう話が盛り上がっていて、 私はそれがどうして問題なのかすら、最初はさっぱり理解できなかったんだけど、
その代理販売をするっていう、おそらく人が書いたブログですかを読んで、ああそうか、なるほどそういうことなのねということが
漠然と 納得して、そこで繰り返し出てきたキーワードが
03:02
何者にもなれないっていう言葉と、何者かになりたいっていう話をずっと書かれていて、この話なんか
私がフリーランスになって、ある程度本が売れてからは、ある種の方向から絶え間なく
訴えられる話だと、その都度一生懸命考えようとしてきて失敗できてるんですけど、 つまりよく意味が分かるんですよ
何度なくは、ただ私はその、何て言うんですかね、最後まで一生懸命ロジカルに突き詰めて考えたいというところがちょっと
なんて言うんですかね、執着しがちなんですよね、物事に。 あの
すいません、ちょっと脱線しちゃうようなんですけど、つまり私は例えば学生時代は、ここに例えば目の前に木があるとするじゃないですか
この木は本当にあると言えるんだろうかみたいなことを、本当に5時間くらい考えちゃうようなタイプだったんですよ
子供の時からそうで、これが私中学受験で、よく中学受験そこそこうまくやれたなと思ったんですけど、どうしても考えが
えっとですね、しなくていいことを考え続けるという悪い癖があってですね、悪くないっていう人もいるんですけど
時と場合によるんですよね、例えば私あの
えっと
あるっていう言葉があるじゃないですか、存在するみたいな意味のある
ペンがあるとか卵があるとかっていう、このあるは裸行変革活用に文法上なるんですよね
あらないとかって言わないじゃないですか、あります、ある、あるけれどとかある時
あれとは言うんですけど、あろうってのも変ですしね、で何故これは裸行変革活用になってしまって
五段活用としては成立しないのかということをすっげー真剣に調べたんですよ
本当に何かこう解明なんとか大辞典みたいなのを引いてまで調べてて、そういうことをやっていたからですね
受験の成績がいまいち上がらなかったんですよね、なんかね囚われちゃうというのかな
だからこの何者かになるとか言って言われても、その何者かっていうのは何者なんだろうみたいなことを
なんかこう無駄にというのはおかしいんですけど、そういうことじゃないのはわかるんだけども
そこを考えたくなっちゃうんですよね
で、なんとなく考えてみて、ややグッドバイブス的な話だし、そうでないところもありますが
この番組で喋ろうと思ったんですけど、この何者かになる問題のややこしさの一つはですね
ブログ記事にもあったんですけど、まずその方は会社を辞めて
自分の時間、これもキーワードですよね、私が本の中でタイトルとして出てきているこの自分の時間を使って
何者かになるべく計算をしようと考えたんだという話があって、別におかしくはないじゃないですか
06:05
ちょっと危ういと思う人はいっぱいいると思うんですけど、おかしいとは思わないですよね
例えばそれは病気だっていう人は別に僕はいないと思うんですよ
神経症の範疇にも入りにくいなと思ったんで
何者かになるべく、何でもいいんですよね、この場合の勉強は
プログラミングでもいいし、公認会計士でもいいし、いいと思うんですよね
で、すると
ところが続かないと、そうだろうなと思うんですよ
そうすると続く人が何者かになるべき人で
続かない人は凡人なんだっていうような話にだんだんなっていくんですけど
そりゃないだろうって思うんですね、まず第一に
なんでなんだろうって思うんですよ
一つにはなんで続かないんだろうと
ここで習慣化とか意思力って出てくると思うんですけど
ナンセンスだと思うんですよ
まず習慣化の問題では決してないと思うんですね
意思力っていう話もそうなんですけど
おそらくこれ誰も続かないだろうなって私は思うんですよ
だからこれは意思力の問題だと思えないんですね
で、ただその焦燥感だけはちょっと伝わってきて
なんか心がざわつく
僕のことじゃないんですけども
僕の息子とかのことでもないんで
まあまああれなんですけれども
なんかこう、あ、そうか
その毎日勉強とかを最初はしてたんだけど
だんだん続かなくなって
自分だけ取り残されてる気がするという話があってですね
この話、他方面からなんで
今日長くなりそうな予感はしてるんですけどね
まあでもこれ聞いてる人は何分なのかを分かって聞くんで
ここら辺になんかこう
面白い未来ものみたいなのが感じられるんですけど
あのー、ですね
えー、なぜ続かないかと言いますと
えー、一つはあの
大きな誤解がやっぱどこにしてもあると思うんですよね
これを言うとただ
なんかこう皮肉ってるような
批判してるような
薄くね、感じになるんで嫌なんですけれども
えーと、でもこれ続く理由がないと思うんですよ
で、なんで続かないかという話をすると
実はややこしくなるんですけれども
あの、まずですね
私たちは、えー
これは精神分析の話になってきますね
あの、ままごとをして生きていける生物であり
ままごとをしていないと生きていけない生物ですらあるんですね
えーと、先日もよくお話ししましたけれども
例えばですね
えー、なんだ
なんでもいいんですよ
えー、野球とかってあるじゃないですか
えー、あれはままごとじゃないですか
なんかの役には立てないわけですよね
で、えーと
なんか、ね
えー、あるボールところからピッチャーズマウンドから
キャッチャーのところまで
160キロ投げられる人はすごいわけですよ
160キロのボールを
09:00
でも、160キロのボールを投げたからって
なんなんだって話じゃないですか
将棋でもなんでもいいですよ
ままごとですよね
将棋ってのは戦争を模したシミュレーションゲームですので
えー、最近そうだ
家で集まれ、動物の森を
が、やたらホットでして
私はゲームできないんで
できないっていうか
なんだろう
モチベーションが不足してるんで
眺めてるんですけど
えーと、その中で流通するお金は
ベルっていう単位なんですけど
このベル勝手に使っちゃダメだからねとかって
娘が妻に言ったりするわけですね
このベルがまさにままごとじゃないですか
ベル大事なわけですよ
でもそれはゲームの中で大事なんですよね
ベルいくら使ったって別に
懐痛まないじゃないですか
現実には
ところが現実のお金だって同じですよね
この種のことは
えー、吉本隆明さんとか
えーと、最近で言えば
そう、あっちの方が有名ですね
あのー、サピエンス全身
冒頭に出てくる話ですね
イリュージョンなわけじゃないですか
このイリュージョンの価値は
みんなが価値があるって
どれだけ信じるかによって決まりますよね
現にそういう風に相場って変動しますよね
価値が今どれだけあると
みんなが信じているかと
ドルと円でどっちが価値があると
今信じているかによって
相場って変わっていきますよね
つまり、えー
なんて言うんですかね
ままごとってそういうものだと思うんですよ
これはご飯ですよと
入り口はこっちですよと
で、えーと
うちの子もやってた時に
やっぱり子供ってすごいなと思う時と
すごいなと思いつつ
面白いなと思うんですけど
あの、本当に食べちゃダメだからねって
言うんですよね
でも、なるべく本当だと思いたいわけじゃないですか
はいどうぞ
もぐもぐみたいなやるわけじゃないですか
だけれども本当に食べちゃダメなんだよって
子供の方がわざわざ注意を与えてくるんですよ
つまり、えー
信じそうになる
けれども本当のことではないという
ギリギリのラインまで行くのが
大事なわけですよね
私恋愛もそうだと思うんですけどね
で、えーと
ゲームって全部そうで
野球だろうとサッカーだろうとそうで
大体サッカーって大変変ですよね
えーと、なぜ手を使っちゃダメなのかと
それはでもそういうものなんですよね
で、なんかすげえミスをした人が
あのすごいこうアフリカの方とかで
南米かな、なんかこう打ち殺されるみたいな
完全にこうゲームと現実が
あの区別がわかんなくなっちゃう人もいるほど
熱を入れられるわけですよね
しかし、ままごとであることは間違いないわけです
たとえそのままごとによってですね
スーパースター、ままごとのスーパースターですね
であるから30億円とかもらえるかもしれないけれども
ままごとであることに違いはないんですよ
決して現実に何か役に立つとかいうことでは
ないはずなんですよね
12:00
駅伝であろうと何であろうと
大体私よく言いますが
マラソンなどというのは行って戻ってくるわけです
しかも何か持ち運んでくるってわけじゃないわけですよね
行ってただ戻ってくるわけですよ
で、それが何の役に立つとかはないと思うんですね
私はこの何者かになるというのは
発想としてはですね
むしろ逆じゃないといけないと思ったんですね
彼らは本当に役に立つとかいうことではないからこそ
ものすごい人っていう風になっていけるんですよ
私、今自分がやっていることの中で
具体的に実際に本当に役に立っているのは
何だろうかって考えると
収益にならないものばっかりなんですよね
妻がお風呂から上がった時のために味噌を溶いておくとか
役には立ちますよね
金にはならないですよね
娘に勉強を教えるとか役には立つんですが
金にはならないんですよ
これはどういうことかというと
多分ものすごく結局お金になることって
みんなこのことで
多分この何者かになるという問題では
悩まれるんだと思うんですけど
悩む人はですよ
多くの人がその人を知ってるっていうことが
付随するじゃないですか
有名ってことですよね
有名ということは
つまり多くの人に間接的に役に立つってことですよね
間接的に役に立つ人の数が増えれば増えるほど
その間接性は上がってきますよね
直接的でなくなるわけですよ
だからものすごく多くの人の役に立つということは
その一人一人に対しては
ほとんど役に立たないということが
多分両立するはずだと思うんです
反比例していくわけですよね
でそれのよしよしというのを問うのは
僕は全然意味ないと思うんですよ
その人がスポーツを見て感動して
元気になるとかって言うじゃないですか
なると思うんですよ
ただそれはそのためにやってるわけではないですよね
もしそんなことを言うのであればですね
テレビとかで一切放映されないスポーツみたいなものは
それこそ何の役にも立たないことになっちゃうんですよ
だけど私たち人間というのは
何かの役に立つという定義がすごく難しい生き物で
なぜならままごとで生きている側面が
すごい大きいからだと思うんですね
この場合のままごとは比喩ですよ
要するに何でもいいんだけれども
あらゆるところでこれが付きまとってくるじゃないですか
文化って全部ある意味そういうことじゃないですか
何かこう特殊なルールの下でのみ
その価値が見えてくるみたいな
そういう物の見方をしなきゃいけない
だからルールがわかんない人には
15:01
そもそもその価値自体がわかんないわけですよね
ラクビーって結構ルール複雑なんで
わからないっていう人いっぱいいますよね
ノッコンですねとか言ったって
わかんないわけですよね
ノッコンっていうのは何なのかと
なぜあそこでスクラムを組まなきゃいけないのかという
スクラムを組んだ時ってのは
どういうふうにしなきゃいけないのか
わかってないとあれ少しも面白くないんですよ
急に時有名になりましたけれども
またすっかり下火になってますよね
ある意味では
あの価値っていうのは結局多くの人が
多くの人がですね
より多くの人がその価値が
わかればわかるほどその価値が高まるというような
構図になっていて
ダイレクトに何の役に立つからいいんだとか
そういうものじゃないと思うんですね
ということは
あんまり現実と整合性を取ろうとしている
ケースにおいてはですね
むしろ具体的な役に立つことをやった方が
手っ取り早いと思うんですよね
ここが会社を一旦辞めて
役に立つ人間になろうとすることの
その先にさらに何者かになるんだ
っていう発想の難しさだと思うんですよ
そんなことを続けるのは
誰にとっても困難なはずだと思うんですね
なぜならば私たちは多分ですね
具体的に関わっていることしか
具体的に関わることしかできないんですよ
だから毎日同じことを続けるっていうこと自体が
既に嘘くさくて
イリュージョンじゃないですか
毎日同じことをするなどというのは
毎日英語の勉強するって言ったって
やることは毎日変わるわけですよね
それがしかも具体的に
何かに関わらないのにするっていうのは
実はとっても難しいことだと思うんですよ
毎日ご飯を作ることはできますよ
なぜなら毎日それを食べますからね
しかも家族がいれば
それを食べる人が他にもいるわけじゃないですか
こういうことが簡単なことなんですよね
つまり具体的に役に立つことをやると
ところが何者かになるために
多くの人に将来
間接的に役に立つことを目指すってことになってくると
毎日やることは何にもないわけですよね
あの真似する対象のない
ままごとをやるようなものなんですよ
それはすっごい難しいことだと思うんですね
子供がみんなままごとをやる時に
お味噌汁ですご飯ですパンですとかやるのは
目の前に具体的に真似するものが
はっきりわかってるからじゃないですか
子供はラクビーの真似事とか
お父さんがラクビーの選手とかなら知りませんが
まあしないですよね
よっぽど家で野球見てたりしても
打ちそうだったんですけど
子供は野球のままごととか真似事ってしないもんです
18:02
つまりわからないんですね
そんな難しいものは
わからないもののままごとはできないんですよ
これが多分何者かを目指して
毎日同じことをするっていうことが
いかに難しいことかをよく表してると思うんです
例えば一度も小説を書いたことがないのに
会社辞めて作家になるっていうことを決めて
小説を書いて一日中小説書いていられるという人は
まず極めて稀だと思うんですね
ましてそれが小説の文体を勉強するとかになってくると
もう悲惨なものを僕なら感じます
それはですね
子供にままごとをやってもいいけど
フランス料理じゃないとダメだよって言ってるぐらい
無茶な話をしている感じがするんですよ
つまりままごとっていうのは
なんかこう現実じゃあっちゃダメなんですけど
しかし現実的でなきゃダメなんですよ
それが複雑になればなるほど
一部の人間にしかできないと思うんですね
例えばフィギュアスケートとか
あれもままごとじゃないですか
なんだかさっぱりわからないと思うんですね
本当はどっちが上手いかだって
点がつかなきゃわからないと思うんですよ
普通の人が見てる限り
あれやろうと思う人って相当なもんですよね
相当なもんですよ
あれ一番最初にやってきた
どういう人だったんだろうって思います
ロシア人とかなんでしょうけれども
人がやってるから真似できるのであって
しかもそれは相当多分目の前で見ているから
真似できるのであって
誰も周りでそれをやってる人がいないのに
ひたすらアイススケートの練習を
リンクもないとこでやりますとか
できないじゃないですか
でも多分会社を一旦辞めて
役に立つ
しかもそれは架空の大勢の人に
少しずつ役に立つことをする
これを目指すってのは
すっごい難しいことだと思うんですよ
だからきっとですね
一つのパターンが出来上がると思うんですね
将来何者かになるといった時には
私たちはテレビで見られるものを目指すんですよ
普通は将棋とか
それも最近将棋が有名になってきたからですよね
将棋とか野球選手とかサッカー選手とか
何者かになるにも
あまりにもイメージできないようなものには
なれないということですよね
ということは毎日毎日
それを自然と目にできるようなものでないと
きっとですね
意志力とかでは目指せないんですよ
それは門人であるか
特別な人であるかの違いじゃないと思うんですよね
レンドルっていうレンドルだったよな
テニスのどこか四大大会の何かを制した人なんですけど
21:06
それはもうめちゃくちゃ何者かなんですけど
お父さんが子供の頃ずっと
四大大会のプロの試合ばっかり
生で見させてたっていう話なんですけど
そういうことだと僕は思うんですよね
非常に大事なことだと思うんですよ
ここ空想で埋めるのは論外で
なぜならばテニス自体が空想みたいなものなのに
それをさらに空想で埋めようとすると
多分続かないんだと思うんですよね
そして本当は私はそれでいいと思うんですよ
つまり何者かということ自体が
多分一種のおままごとなので
大概の人はこれに本当の意味で
熱を入れられないのは当然のことだと思うんですよね
具体的に役に立つ部分がほとんどないことに
私たちはあんまり熱中できないじゃないですか
ご飯の代わりにおままごとばっかりしてたら
困っちゃうじゃないですか
あれリアルじゃないからいいんだけど
リアルじゃないということは
やっぱりですね子供でさえそうなんですよね
おままごとずっとしてますよね
ご飯よって言われると
やめてご飯を食べに行きますよね
この感覚がかなり弱くなっていないとですね
何者かになるっていうのは
困難を極めると思うんですよね
何者かになるって言うのは要するに
新食を忘れておままごとがしたいですっていう人で
ここが難しいところなんですけれども
なぜならば人間というのは
そうはいっても実際のご飯に
おままごとの要素を入れてくる生き物なので
そうですよね
私なんかあんまりこだわらない方なんで
妻に怒られるんですが
皿を綺麗な皿を出せとか
魚にはこの皿だとか
それって別にどっちでもいいわけじゃないですか
箸右側とかコップの奥位置とか
でもそういうのってあるじゃないですか
これはおままごとだと思うんですよ
サピエンス全史にあった通りで
集団で幻想を見てるのと同じだと思うんですね
これが現実にも人間の場合は
入ってこないと生きていけないという
特殊なところがあるために
どの程度現実で
どの程度ままごとなのかっていうその比率は
しかも文化や人によって様々なので
難しいんですよね
おままごとを大事にするべきなのか
現実を大事にするべきなのかで
私たちが葛藤するのは当然で
そういう意味では何者かであるということを目指すのが
ダメなことだとか愚かなことだとは
言えないと思うんですよ
ただ何者かになるということが
とっても大事な時であればですね
24:00
私は思うにその今のような構造があるならば
勝っ飛んだ方向であるほど
ある意味いいんじゃないかと思うんです
勝っ飛べばいいっていうのとは違うんですけど
あんまり現実と整合性を取ろうとしている
ということは多分あんまり
うまくいかないような気がしてしまうんですね
だいたい変じゃないですか
野球とか駅伝もそうですし
カーリングとかもそうですよ
フィギュアスケートも途中いった通りで
そうですし
囲碁とかだって変じゃないですか
どれ一つとってもですね
生活を少しでも便利にしようとかいう
発想からは出てこないと思うんですよね
全然便利になってないですから
あの一見したところ
私たちが必要生活必需品だと思っているようなものですらですね
例えばこの使ってるスマホもそうですし
昔はあのガラケーと今では言われている
パカパカする携帯とかがすごい流行っておりましたけど
ああいうものだってそうですが
なくたって全然生きていけますよね
だってなかった時代の方が
私の人生で置いても長いわけです
私昔NTTドコモの子会社に勤めてたんですけど
そこで目の前のおばあさんがですね
ちょうど私と向かいの席にいたんですけど
あの持ってますって言ったら持ってませんよ
いりませんよあんなものいらないでしょうって
ドコモのサービスの子会社なんだけど
やっぱりそうなんですよね
つまりなくたって生きていけるわけですよね
全然でこういうものを開発した人は
何者かであるわけでしょう
この何者かっていうのはつまり
役に立つっていう意味では
多分役に立つんですよね
数万人とかに
でもほんのちょっとずつだと思うんです
そこが大事なのかなと思うんですね
具体的に役に立つっていう意味だったら
そういうことをするのはとても簡単ですよ
私の例えば実家で私の父が
パソコンのつい昨日もそうだったんですけどね
ジャストシステムの市太郎というものの
印刷のサイズがわからんということで
電話をきちんとかけてきて
1時間弱対応するわけです
これ役に立つってことじゃないですか
何者かになりたいって人は
こういうことをしたくないじゃないですか
外してそういうことをやっていては
自分の時間がなくなるわけでしょ
つまりそれって
役には立ちたくないわけですよ
そうではなくて何者かになりたい
その場合は役に立つっていう部分は
捨てなきゃいけないとある意味思うんです
捨てなきゃいけないは言い過ぎかな
でもあんまりそこの整合性にとらわれていると
多分何者かになるって発想から
遠のいていくような気がするんですね
この私がよく話題にするここで
タスクシュートというのがある
今タスクマというのを私使ってますけども
27:01
これはやっぱり一人の特殊な人が
考え出したものだと思うんですよね
こういう人が何者かだなって
時々思うわけですよ
タスクシュートなくたって
誰も困ってなかったじゃないですか
タスクシュートがある
そして使っているうちに
ないと困ると思い始める人が出てくる
こういう順番だと思うんですよね
僕も野球ないと困りますもん
でも野球なくたって困らない人って
いっぱいいるはずだし
野球なくたって人類は生きていけるでしょう
間違いなく
これがおままごとっていう意味だと
僕は思うんですよね
それで考え出した人はすごいですよ
野球であってもタスクシュートであっても
でもこれは今世の中に普通にある
人として役に立つとか
お父さんの役に立つとか
そういう発想からは生まれてこない
と僕は思うんですよね
携帯であっても何であってもですね
私はそういう人でありたいとは思わないんですよ
何者かである
つまり数百人でもいいですけど
にちょっとずつ役に立つすごい人っていうのは
発想が違うと思うんですね
普通の発想だけではそういうことにはならない
そういうものは生み出せないとよく思うんです
だから続かないんだと思ってるんですよ
自分の時間をそういうものに使おうとしても
無理だとしかもそういうものを生み出すのだって
結局自分の時間とは言いがたくなってくる
タスクシュートっていうのを生み出せば
そのサポートとかに当てなきゃ
なんないじゃないですか
タスクシュートに携わっている時間は
最初は自分の時間以外の
何者でもなかったと思うんですよ
他の誰かのものではなかったから
でも他の人の役に立ち始めると
結局それをサポートしたり
マニュアル作ったりセミナー開いたり
それ自分の時間なんだろうかっていうと
そこはもう捉え方ですよね
だから自分の時間ってのは
私はないんじゃないかというふうに思うんですよ
どういうものであっても誰かの役には立つんで
しかもその誰かの役に立つものというものが
幅広くなればなるほど
ちょっとずつしか役には立たなくなっていくはずなんで
反比例は言い過ぎかもしれませんけれども
反比例に近いと思うんですよね
別に私は野球を見ては元気になったから
仕事に邁進できるぞって思ってるわけじゃないんですよ
でもないと困る気が今はするんですよね
本当はなくても困らないかもしれないですけど
そこはやっぱり厚盛りのベルト同じなんですよ
価値があると信じてるから価値があるんですよ
そういうものって
変な話になるかもしれませんけど
AV女優の戸田誠さんっていう人がいらっしゃってですね
彼女はですね
アルタネイティブな彼女っていう表現を使うんですよね
取り替え可能な彼女っていうわけなんですよ
30:02
これ私すごいここをダイレクトに言う人って
やっぱり登場するんだなって
感心させられたんですよね
その人に要するに言わせると
誰かの特定の一人の彼女になるということは
その人にとってしか意味のないものになると
そうではなくて自分は
そうするとその人は
私の全部を独占したくなるだろうと
エッチするとか裸を見せるとかね
私はそれはそういう方だったかは分かりませんけれども
しかも本心がどうかまでは分かんないですよ
ただ私はそれは同意できないみたいな感じなんですよ
そうじゃなくてあらゆる人にとって
彼女になろうと
でもそうするとできることとしては
媒体を通す以外の方法はないと
だから自分は媒体を通せる職業を選んだ
っていうようなことを面々書いているんですよね
私は大変興味深いと思う
これが何者かになるってことだと思うんですよ
誰かの恋人になっちゃえばいいじゃないですか
役に立ちますよね
すぐに具体的に価値のある存在ということになりますよね
この場合の価値があるは
グッドバイブスという価値があるとは違います
あくまでもこれは
特定の人の何らかのニーズを満たすという必要性です
スキルみたいなやつですね
ところがこれをもっと広範囲に
つまり取り替え可能なものになりたいと
いうふうな言い方をするわけですよね
いろんな人にとっての彼女であると
そうすると当然のことながら
付き合ってるとかじゃないわけだから
関係性は至って薄くなりますよね
あらゆる人に彼女であるかもしれませんけれども
エッチを見られるとかそういう意味ではね
でもそれだと10万人100万人になると
みんなにとって少しずつっていうことになるんですよね
でも有名人の意義ってそういうもんだと思うんですよ
やっぱり知ってるってことに
すでに意味があるわけですよね
私はその有名人の人を知らない方なので
時々やっぱりこうある種の後ろめたさをですね
この後ろめたさ本当薄いもので
もともとそんなことで悩んだことは一回もないですけど
でも感じるんですよ
例えば私はジョン・レノンという人を知らなかったんですよ
大学時代まで
でそのことをですね
すごいやっぱ残念そうに
別に私に抗議したってわけじゃないですよ
残念そう残念だっていうふうな対応をした
反応した女の子がいたんですね
ジョン・レノンは世界の人に知られて愛されてると思ってたのに
知らない奴がこの目の前にいたと
その分ジョン・レノンの価値が下がったような気がしたんだと思うんですよね
33:00
私はそれは大きな誤解で
私があまりにもものを知らないせいで
私はそういうことをあまりにも知らない人間だという自覚は一応あるんで
一時勉強したことがあるんですよ
ホテルカルフォルニアとかそういうのをですね
暗記ペンみたいなのを使って人の会話についていこうみたいな感じでですね
そうまでしないと自分はそういうものに興味を持てない人間なんですよ
でジョン・レノンという人がいるんだと
即座に忘れてしまったんですけど
その後ビートルズってものがあるんだということを知ったんですよ
それで当時インターネット走りだったんで
インターネットで一生懸命見て
やっぱり忘れていったんですけど
やっぱり興味ないってこういうことなんですよね
でも有名なわけじゃないですか
ものすごく多くの人が知ってる
ただし友達だとかいうわけじゃないじゃないですか
だから具体的に役に立つっていう話と
ほんのちょっとずつ間接的に役に立つって話は
反比例はおかしいんですけど
ある種の人にとってはね
その音楽がなくてはならないぐらいになっていくんで
そうじゃないんですけど
でもやっぱ多くの人の平均値をとってみれば
まあなくても例えば私なんかの場合には
ビートルズの曲が今一切なくなっても
人生には多分何の影響も及ぼさない
という程度しか聞いたことがないんですね
だからそういうことだと思うんですよね
CDにしてたくさん配布するとか
映像にしてたくさん配布するとか
みんなが同時に見ることができるとか
それがつまり何者かになるということの意味だと思うんです
ということはその人はですね
そういうふうにしなければならないんだから
これが結果なんですよ
ならないんだからこそ
1日中それをしてなきゃならないわけですよ
よりものすごく多くの人のために
例えばタスクシュートっていうもののユーザーだって
今最大見積もっても1万いるとは思えないんですよね
これが10億になったらどういうことになるかと
多分開発した人は何らかの形で
四六時中タスクシュートと関わっていないわけにはいかなくなってくると思うんですね
けれども例えば私だけがタスクシュートを使っていて
ずっと私とその開発者の人が話しているっていう
それが具体的な関係じゃないですか
その10億人のユーザーってことになってくると
もう全くダウンロードしたことを
完璧に忘れているような人まで含むことになるわけですよね
間接的には
でも間接的に関わってくると
そうすると1人の人は
それはすっごくタスクシュートと
延々格闘している時間が長いはずだと思うんです
これが何者かであるということだと思うんです
もはやその人は多分ですが
私とのタスクシュートを
談義みたいなものを10時間とかやってたりするわけにはいかないと思うんですよ
もっと遥かに多忙になっていく
36:01
そういう意味だと思うんですね
こういうふうにして毎日同じことに
集中して関わるということができるように
だんだんなっていくわけじゃないですか
逆じゃないと思うんですよ
最初から会社を辞めて
公認会計士のことに没頭できる
意思の強い人はそういうことができる
できないと思うんですよね
それは結果でしかないと思うんですよ
野球選手が大谷さんとかがですね
肘の手術までして160キロとか投げるべく
1日中野球のことばっかりトレーニングして
分担意でやってるというのは
すごいことかもしれませんけれども
そういうふうにせざるを得ないっていうところも
絶対あるはずなんですよね
最初からそういうことができていなければ
なれないという言い方は
多分正しくない気が私はします
それはやっぱり結果だろうなと
決して自分はですね
物を欠くべく生まれついてきたとか
思わないんですよね
現にもし今
苦に困らないんであればですね
極端な話
ウッドバイブスとかタスクシュートについて
聞かれたことに熱心に応えて
奥さんの家事をやって娘の勉強を見るみたいな
で1日毎日終えれば
今とそう変わらないんですけど
まあいいやって感じがするんですよ
このような思考の人間には自分の時間じゃなかった
何者にもなれませんよね
この思考はでこれが怖いっていうわけなんですよね
これが怖いっていうのはなぜなんだろうと
思ってこの話を始めたんですけど
つまりそれは
集団で見ている幻想の力が
今極端だってやっぱ強いからだとは思います
お金がなくなるのが怖いっていうことと
同じなんですけど
もちろんお金がなくなるのが怖いと思ってる人の方が
ずっと多いと思いますけれども
お金も一つの集団幻想じゃないですか
1万と書いてあったって
それが何の価値を保証してるのかというのは
実は幻想によって支えられてるわけですが
何度も言いますが
人間はこの幻想をみんなが取り払ったら
もはや人間じゃなくなるので
絶対にこの幻想は
多分人間が人間である限りは続くと思うんですけれども
ただこの何者かになるみたいな幻想は
そこまで多くの人が持ってなくても
良さそうな程度のものだとは思うんです
今言ったような事情でですね
ある意味ではアルタネイティブな彼女なので
別にそうでなくたって
というかその発想がかっ飛んでるじゃないですか
だから私はかっ飛んでないと
かっ飛んでいることとの関係性は
39:02
深いと思っているんですね
どこかかっ飛んでると思うんですよ
よく考えてみると
野球選手として一生を得るとかっておかしくないですか
そうしたいって思うって
僕は相当それは変わった発想だなと思うんですね
例えばこれがですね
そうだな野球選手だともしおかしくないと
考えられるのであれば
箱板選手として一生を得ようって
考える人がいたら結構奇妙だと思いませんか
箱板をずっとしていたいな
どうしてなんだろうって思うじゃないですか
でもこれ将棋だろうと箱板だろうと
それこそ最近で流行りのですね
なんか対戦型ゲームでのプロになるみたいなのでも
同じだと思いますね
それは究極的には誰かの役に立つんだと思うんですよ
多くの人の役にも立つと思うんですね
ただしちょっとずつであり
あまりにもそれがちょっとのために
実感としてイメージはできないものだと思うんですね
代わりにほんのちょっとずつ
例えば私が娘の勉強を見ることの価値が
まあ価値は数値化できませんが
価値が50だとしますね
50かける1ですね
0.0000001かける500万とか
そういう感じになるんじゃないですか
それがその何者かであることの価値だと思うんですね
だって私昔浅川に住んでたから
しかも野球が異常に好きだから
浅川市営球場というところでやってる
巨人対西武の2軍の試合とかを見るんですよ
入場料50円で入れますね
あの面白いですよ
結構うまいし聞いたことある選手もいたりしますね
ただまあ価値はないわけですよ
なぜかみんなが価値があると思ってないからじゃないですか
これが間接的にかけるたくさんの人数というものの価値なんですよ
その場には関係者含めて30人もいませんね
30人しかいないプロの球場とかってあり得ないですよね
まあ1万人だってそう多いとは言われないのが
プロ野球の世界なので30人とか見て
おーとかって言ってるわけですよね
でも面白いですよ
見ててものすごく差があるとか
価値がぐっと低いなんていう感じはしないです
つまりやっぱりあれの価値は
見る人の数にかなり左右されるわけですよね
これこそ一人一人の役に立っている部分はすごく少ない
けれどもたくさんの人間にとって
同時に役に立てるという意味で
同時じゃないかもしれませんが
まあおおむね同時に
同時に役に立てるという意味で特別なんですよね
そっちを私たちは一般にはですね
そっちに向かうようには多分作られてないんだと思うんです
42:03
それはすなわちおままごとに没頭できる
特殊能力みたいなものがあると思うんです
没頭してるうちにそれが自然になって
普通になっていくという流れの方が
多分自然だとは思います
だから大好きなことをやれって言うんじゃないですかね
もうそれが何の役に立つとか
誰が褒めてくれるかどうでもいいから
それに集中していくみたいな
ただそれもなんかこうですね
かなりの程度いろんな条件が重なって
自然とはおかしいかもしれませんけれども
自分一人で人工的な環境をあつらえて
突進していけるっていう人は本当に限られていて
ほとんど正気をかいているっていう感じがします
その記事を読んだ時
この人は正気だなと思ったんですよ
正気だから難しい
その人はなんて書いてたかな
最初は金融の情報格差を少なくして
みんなに優しい世界を作りたい
あったんですよね
非常に真っ当な感じがするんですよ
しかも整合性が取れすぎている感じもするんですよ
現実との整合性がよく取れている
かっ飛んでないんですよね
要素として
絵本を書いて映画化する
発想がすごい
そんなことをして
みんなが見るって思うとすれば
よっぽど独特だと思うんですね
感覚として
私も自分は最初に本を書いた時は
かなりおかしかったと思います
あのライフハックっていう本を
出せると思う段階でおかしいですよ
今思っても変だと思います
ライフハックって本は出そうな気がしませんよね
2004年の段階では
出そうな日がもしするとすると
やっぱり相当変だったんだと思うんですよね
こういう変さが自然と備わるっていうことが
望ましいことかどうかってこともありますが
変さっておかしさって
備えようとはできないものじゃないですか
ジョン・レノン知らないのと同じなんですよ
気な目で見られます
気な目で見られるっていうのは
人間喜びじゃないから
私はその大学生の時代は
モテたかった方の人間ですから
女の子に気な目で見られたい
と思うことは決してないんですよ
ジョン・レノン知らないっていうのは
私にとって当然のことなんで知らないんだから
そして気な目で見られるわけじゃないですか
この気な目で見られるということが
でも自分では修正できないというところに
何者かになることとの関係性はあるだろうと
思うんですね
だからこそこれについて
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よしやしを論じるのはナンセンスだとは
思うんですよ
それを目指すっていうのも
多分今のようなメディアの発達した時代には
当然だと思うんですね
やっぱり長くなったな
メディアというのがないと
そのキーなものを広げるという理由が
ないじゃないですか
メディアというものがなければ
カーリングというものを僕らが
みんなが知っていくっていう理由がないですよね
だって知らなくても今まで
そのようなものがこの世にあるということを
全く知らなくて
何の苦労もなく生きてきたのに
それ知る理由ってないじゃないですか
というような程度にしか役に立たないものを
たくさんの人が知るっていうことの価値ですよね
やっぱりそれは幻想を
みんなで見ることの価値だと思うんですよね
スタッカーは手を使っては絶対いけないんだ
という幻想をみんなが信じるということの上に
成り立つような価値ですよね
それを私たちは多分目指せないんだと思うんですよ
ただそれだけなんですね
今日言いたかったこと
ただこれだけだとあれなんで
何度も何度も言っていて申し訳ないんですけど
今月に間もなく書き上げ塾の
第3期というものが始まります
この書き上げ塾もそういうことが
僕は裏テーマには入っていると思うんですね
本出すとかってのは何者かになるための
一つの登竜門だと思っていらっしゃる方が
少なくないと思うんですよ
実際はそうかどうかっていうのが
常につきまとうところにはあると思うんですけれども
そうじゃないと言い切れないし
そうだとも言い切れないんで
でその中でですね
えっとそのなんだ
自分の時間というものを使って
例えば本の文章の書き方をよくしていくとか
これはありだと思うんですよね
求められた上でやると一番楽なんですけれども
必ずしもはっきりとした形で求められていない
という時には
学校っていいと思うんですよ
学校は求めてくれるじゃないですか
漢字を練習しなければダメなんですよとか求めてくれる
だから子供はあれをやってられるんですよきっと
そういうことを作るための空間なんですね
学校とは一つのおままごとを
繰り返すことを可能にする空間だと思います
だから何の役に立つんだよ
これっていう問いがどうしても発生しがちであり
その問いを言ってしまったら
それを言っちゃもともこもないんですよ
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