2020-09-25 21:35

【GMV 228】なぜダラダラしてしまうのか?

ダラダラ時間は依頼に応えているから
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
一昨日、町田でですね、倉園圭造さんと
グッドモーニングな人生相談というYouTubeの番組の配信をしてきました。
あの番組というのはですね、お悩み相談とか人生相談とか
あと、よくありそうな疑問とか質問などを投げていただくと
私と倉園さんでそれにお答えしたものを収録するという内容になっているので
相談ドリブンなんですよ。相談がないと始めようがないので
ぜひ、これを聞いた方の中で送ろうという方はすでに送られていると思うんですけれども
グッドバイブスの公式ウェブの方にフォームがありますので、質問記入フォームがですね
そちらにお送りいただければと。別に私向きとか倉園さん向きの質問とかでなくても
でもそういうのが聞きたいということになるかもしれないんですけど
あと、必ずしも込みった内容でなくても全然構いませんので
短いご質問、お悩み相談で結構ですので、送っていただけるとありがたいかなと思います。
その質問とはまた違うんですけど、私が最近よく受ける
これは昔からそうですけどね、ダラダラしてしまう時間を何とかしたい
これ、いつぐらいからこんなにあるいはタスクシュートが浸透してきて
ダラダラを記録したくないということなんですかね。私はこれをどうしても逆に受け止めてほしいんですが
ダラダラであろうがなかろうが記録することでですね、見えてくるものがあるんですよね
どうしてもあるべき姿というものに私たちはよっぽど縛られているらしく
先送りというやつもそうなんですよ。同じなんだと思うんですけどね
先送りをするということは何とか防ごうというふうになりやすいんですよね
書いてあることをやることの方が未来の自分にとって都合が良くなるはずだという
完全に思い込みなんですが、もう強烈な思い込みがあって
それをですね、事実に全く反するケースがあったはずなのに
そういうことを全部例外的な問題とみなして先送りしなかったことをすなわち前みたいになっちゃうんですよね
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すごい無理のある発想なんですけれども
ダラダラも同じで、先送りしたあげくダラダラだと最悪だということになってしまうんですが
これをですね、詰めていくとみんな不幸になるということがありましてですね
その話は今日あんまり深入りしないんですけど
こっち方面行くと地獄なので、これはですね忙しくて地獄とかじゃないんですよ
なんかもっとひどいことが起こるので、その話をどうやってしようかなということもあるんですが
今日はそうじゃなくてですね、まずダラダラ過ごすという時間の過ごし方って何なのかなと考えたところを話していきたいんですね
よくよく聞いている方のお話を伺っていると、私このダラダラ時間はもうなくなったんですね
ないと思うんですよ。なんでないんだろうと思ったんですね
なんでもいいんですけど、ついダラダラと漫画読んじゃうとかゲームしちゃう、この辺一番多いですね
私は多分客観的に見るとダラダラと野球を見ているんですが、ダラダラと思ったことはないんですよね
それはですね、やることをやっているからだとか言われるんですけど、それは大きな間違いなんですよ
やることをやっているという定義そのものがないんですよ
そんなものは子供の時はなかったじゃないですか
いつしかできたんですよ、そのやるべきことをやっているという言葉に意味を持たせた瞬間がどこかにあったんですね、人生の中で
私もあったんですよ、いつしかそれがまた消えたんですね
やるべきことをやっているというその観念が消えたんですよ
少なくともそれに意味を認められなくなったんですね
そしたらダラダラというものは同時に消えますよね
やるべきことをやったからダラダラしてもいいとか、やるべきことをやっていないならダラダラ、ここが一番ポイントなんでしょうね、しちゃいけないとか
そういうのが僕の中にないんですよ
やるべきことをやるというのがない、なぜならやるべきことというのがないからですね
やるべきことをやってもいないのにダラダラしていると、本人が思っている時が一番きついんだと思うんですけれども
このやるべきことって何なんだろうと
これはシンプルなんですね、グッドワイブスではシンプルです
人の依頼、私はここにも一つ自分の肉体からの依頼というのが入ってきます
どっちを優先ということはないんだけれども、両方がバッティングしたら、その瞬間あんまりないんですよ、ないんですが
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両方がバッティングしたら自分の肉体からの依頼優先です
自分の肉体からの依頼、これはもう簡単で空腹と排泄と睡眠です
お風呂は入らないなと最近思うようになりました
お風呂って入らなくても死なないので、お風呂入りたい欲求というものはですね
トイレのように切実な形をとることはないんですよ
ケアですけれども、睡眠と排泄と空腹と休憩ですね
これ大事ですね
これ後ほど話しますが、これとダラダラが絡むんですね
自分の身体からの依頼と他人からの依頼
他人からの依頼の中には、金銭的報酬が含む含まないは関係ありません
人から依頼されたらそれをやる
しかも、これも後ほど言いますが、本気でやるというのがグッドバイブスには尽きますよね
この二つをやるんですね
そうすると、それがやるべきことなんじゃないかと言われるんですが
それは、やるべき時になるまでやらなくていいから
やるべきことというようなものにならないんですね
だって未来のどのタイミングでお腹が空くとか
未来のどのタイミングでトイレに行きたくなるかを
あらかじめ完璧に予測することは不可能な上に
意味もないと思うんですよ、別に
そんなことをする
まして他人からの依頼が発生するタイミングというものがですね
事前に読むことは不可能ですね
だから依頼が来てからやればそれでいいわけです
ただとはいえ、依頼が来てすぐに全部できないものもあります
本書いてとかですね
依頼が来て、はい本書きましたっていう
10分くらいでやるわけにいかないので
その依頼を持ち越すことになる
それの翌日のやるべきことってやつに入ってくるんですよ
それだけの話なんですね
で、ダラダラとかはこの中に出てくる余地がない
余地がないんですよ
だって別に他の時間どう過ごすとかとは関係ない
このダラダラは
未来の自分の生活水準を高めるとか
自分のスキルをアップするとか
人によっては自分の価値を高めるとか
そういう発想と関係があるんですけど
グッドバイブスでは
自分の価値は高くなったり低くなったりしないので
自分の価値は関係ないんですね
この話も今日はしないです
この話にハマり込むとやっぱり
その先には地獄が待ってると思うんで
いいことないと思うんですけど
この話は置いといて
で、スキルアップはあると思うんですよ
ただスキルアップというのは
依頼を受けてから考え
もしスキルが足りてないならばですけど
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それも相当割と滅多にないケースなんですけど
勝手に思い込むものを含めると
むしろいつもそれにハマり込むというケースもあるんですが
ないんですよそんなものが
そんなに
で、スキルアップのケースがあります
でもこれは依頼の中に含まれますよね
依頼されるからスキルアップを要するの
必要とするのであって
依頼がないのに
スキルをアップしておく必要は別にないと
私は思うんですよ
あと
基本的な自分の肉体からの要求に対する
スキルアップとかは
食事のスキルとか
トイレのスキルとかも
とっくに身についていると思うので
ここももちろんなし
そうするとですね
やっぱり依頼と関係のない
やるべきこととか
なんていうんですかね
これ生産効率ってみないんですけど
スキルアップは全然生産効率
むしろ悪いと思うんで
生産効率というのはおかしいと思うんですけど
自己計算とか言うんですか
この時間はないんですよね私の中に
趣味ならば別
趣味として自己計算をするのは別ですが
それだったら別に趣味として野球みたいなのと
何も違わないじゃないですか
違うというのは
自分の価値を高めるって話と
絶対繋がってきてると思うんですけど
そっちは地獄なんで
パスですね
地獄以外の表現欲しいですね
やっぱり僕は今のところ
地獄だという感じがするんですよ
競争社会が地獄のようだとかじゃないですよ
もっと徹底的に地獄なんですよ
その話は置いとくとして
どうしてもね
今日やり始めるとキリがなくなるし
話が進まなくなるので
ダラダラするという時間はないわけです
自己計算も野球を見るのも
僕の中では同じなんで
これあえて言ってるとかじゃないですよ
全く同じなんです
違うはずないと思うんですよね
自分の価値が高くなったり低くなったりしないのに
英語の勉強するのは
野球を見るより価値が高いというのは
しかもそれは未来が読めての話ですよ
あくまでも
自分の価値が高まるということにしたって
英語の勉強することに意味があるかどうか
本当は分からないんですからね
今日みたいな時代には
明日にも自動完全翻訳装置みたいなものを
AppleとGoogleみたいなところが
作り出してしまって
英語を喋れるとか読める価値は
極めてあれですよ
独特な技芸に属するようになる可能性は
今この瞬間にもあり得ると思っています
わりと私は
世の中そういう意味では
無邪気だなとも思うんですよ
でも世の中のビジネスに対する嗅覚って
すごいところがあるから
今までの英語塾とかがダメになったら
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すぐパッと違うものに変わるんだとは思うんですけどね
でも英語を喋れる価値というのは
日に日に
物凄い勢いで
価値が暴落しているような気がして
私は仕方がないんですけれども
基礎教養としてとかという言い方をしますよ
学校はね
でも今誰もソロバン使ってないじゃないですか
あれ
ご存じない人多いと思うんですけれども
まだ小学校ではソロバンを教える時間って
存在してますからね
ほんのちょっととはいえ
でも存在してますからね
ソロバンですからね
一人一台スマホを持っている時代に
ソロバンですからね
そうなりますよね
もしかするとというか
多分私は英語も
趣味としてやるにはいいと思うんですよ
だって今毛筆で文字書く人
結構いらっしゃるじゃないですか
全く無意味だとは見なされてないですよね
ただし
毛筆で全く達筆でないということが
生活に支障は来たさないですよね
ましてほら
石板に字彫らないじゃないですか
あれね
実は反抗を作る人はやるんですよ
うちの父は
彫っててですね
一時めちゃくちゃ迷惑なんですよ家族は
粉塵がね
いそこらじゅうに家に飛ぶんですよね
だから石に字彫る人も
まだ世の中にいないわけじゃないんですよ
でも極端だと思われるかもしれないけど
英語はそうなり得ると
僕は思うんですよね
石に字彫るところまでは
いかないかもしれないけど
ソロバンクラスまで
みんなが必要としなくなる可能性は
十分あり得ますよね
という話で
だから
スキルアップの時間ってのは
趣味なんだと思うんですね
基本的には
そうするとダラダラすることと
スキルアップをすることは
何にも違いはないと思うんですよ
そうなってくると
ダラダラするってどういうことなのか
というとですね
むしろ逆なんじゃないかなと
多くの人はね
毛筆で字書く人も
うちの父がそうですよ
石に字彫る人も
これもうちの父がやってました
好きでやってるんですよ
あれダラダラとか全然関係ない
だから私は言うんですけれども
野球見るのと同じなんですよ
だって親父は
うちの父はですね
みんなに家族に非難されてたんですよ
特にその粉塵で
それでもやってたんですよ
あれ野球見ていてくれた方が
よっぽどみんなにとってありがたいんですよ
誰も褒めないんですよ
あれやってても
趣味なんですね
趣味なわけですよあれは
でも技芸でしょ
だからスキルアップはするわけですよ
あんなの惚れるようになる人
うちに誰もいませんからね
ついに誰も褒めませんでしたけれども
褒められることはないけれど
やるそれはもう趣味ですよね
完全に
英語ペラペラもそのうち
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そういうものになるはずだと思うんですけれども
そういう意味ではあらゆるスキルが
そうなっていくはずだと
僕は思うんですけれども
そういう意味ではないんですね
つまりあれとダラダラは違うんですよ
私も野球自分が見ているのは
ダラダラとはちょっと違う気がするんですよね
あのダラダラ過ごすって
何なんだろうと思うんですよ
どういう時間の過ごし方なのかと
で、ちょっと考えついたのがですね
あれは依頼に応えている時の過ごし方なんですね
ただし本気ではできない
あのー
依頼に本気で応えましょうと言いますよね
私ちょっとタスクシュート的な
言い方で言わせていただくと
それだけに集中してやりましょうってことなんです
事実上同じ意味です
えーと
だから本を書くんだったら
本を書くことだけに集中してやると
休憩はね
休憩だけに集中してやる限りですね
えー
自分の肉体からの依頼に応えていることになるんです
その間何をするとかはいいんですよ
ただ休めることをしないと
休憩をしないと
ただ休めることをしないといけない
私なんかの場合は
やっぱりあれですね
特に漫画読むなんだけど
杉さんの漫画読むのが杉義晴さんですね
あれを読むのがかなり
休憩としてあの
効力を発揮しますね
すごく休まる感じが何かします
で、あのー
これダラダラじゃないんですよね
なぜならば
依頼に応えていて
しかも
本気で答えている
つまり依頼に本気になれないんだけど
答えなければならないから答えようとするとき
このダラダラ時間というのが発生すると
自分は思ったんです
えーと
例えば原稿書こうとしても
本気で書く気がせず
それだけに集中してやるということだから
えーこの
やってることの中身によらないんですよ
ダラダラかどうかじゃない
原稿書こうとしたのに
自分でも読み始めたら
これがダラダラなんです
なぜならこれは依頼に答えようとして
本気で答えられてないから
どっちのでもですね
休憩にもなってないし
仕事にもなってない
でも依頼に答えようとしているから
発生する時間なんですよ
あのー
自分のために使っている時間ではないということです
ダラダラしているときというのは
多分大体ですけど
自分の身体からでもなくて
誰かの依頼に答えようとして
ただし本気ではやる気になれない
というときに発生する
それが僕は依頼ダラダラする
という時間になるのかなと
だから私のタスクシュートには
これが出てこないんだなと思ったんですね
依頼が来て本気でやれないなら
受けないですから
フリーランスにはそれができちゃうんですよね
これがサラリーマンの方とちょっと違うところで
えーっと
ここについて何か
もっといろいろと
言えることがなきゃいけないんだろうな
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と思ってるんですね
あのー
自分はフリーランスだから
本気でやらない依頼は
そもそも受けないということが
できちゃうんですよ
そうすると本気でやる依頼か
身体からの依頼か
自分の時間かのどれかになるんで
ダラダラ時間というものが
なくなっちゃうんですね
すべきことがないですから
すべきことをやってから
やるべきことをやってから
遊びましょうみたいな
やるべきことっていうのがないんで
一個もないと言っていいんで
そうするとですね
毎日が休日と変わらないじゃないですか
事実はそういう感じなんですよね
休日と平日の区別がなく
どちらかというとすべての日が
休日みたいなもんなんで
そうなってくると
ダラダラする時間というものが
必要なくなるわけですよね
あれつらいじゃないですか
あの辛さがないんですよ
本気でやるというのは
至って簡単なことなので
それだけに集中して
やってればいいわけですから
その
本気でやらないということは
分裂してやるということになるので
専門的に言うとですね
その時間
それをやりたいんだけど
それはやりたくないみたいな
ところにはまるわけですよね
そういうのが入るんだったらは
やらなければよいことになっちゃうんですよね
それが選択できないときに
ダラダラというのが起きるわけです
だから
あのダラダラが
自分のための時間だと思っている限り
たぶんこの矛盾から
抜け出せないと思うんですね
あれは人のための時間なんですよ
人のための時間だからこそ
なぜかいつまでも続くんですよね
そこには義務的なものがある
ということです
ダラダラせねばならない
理由があるんですよ
だからエンドレスになってしまうんですね
なぜならば
それはその義務を果たすまでは
終わられないですから
もしあれ自分だけのためのものだったら
好きなときに切り上げられるじゃないですか
やめようダラダラやめよう
それで済んじゃう
たぶんそうは言っていないと思うんですよ
いつまでもダラダラするという言い方があるじゃないですか
あれはだから
依頼に応えている態度なんですね
ただし
非常に
本気度が薄く
見えていると
自分野球を見ているとき
これ切り上げるの簡単ですもん
いつでも切り上げられる
自分のためだけの時間ですからね
何か他の人のためとか
懸賛を積むとか
そういう目的が一切ないので
よく裏園さんがおっしゃるところで言う
リアルタイムに
一瞬一瞬で
完結できるんですよ
だからいつ切り上げても
試合の最終結果気になりはするんだけど
でもいつ切り上げても
合わないんですよね
21:00
ダラダラ時間で絶対そうじゃないんですよ
この言葉のニュアンスからして
そうじゃないんですよね
切り上がらないんですよね
それはその依頼に対する
最終的な完成を見ないと
切り上げられない
しかも
その依頼に応えている
アウトプットの部分は
1ミリも積み上がってないので
切り上がらないんですよね
これはアウトプット1だとすると
下を0で割ってるんで
インドレスになっちゃう
そういうことなんではないかと思うんです
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