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2021-09-23 32:57

【GMV 463】人の顔色など伺いたい人はいない

ルールがあるから傷つくなら、必ず傷つくことになる
00:06
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
2つお知らせがあって、1つは10月の1、2で
コミュニケーショントレーニング、グッドバイブスベースですが
オンライン合宿をやります。
懇親会みたいなのとか、寝るのはさすがにオンラインで寝るとかではどうしようもないので
あれですけれども、めいめいご自宅で寝ていただくんですが
これは私たちも初の試みでやってみると
どんな風に展開するかはさすがに予測がつきますけど
やった感じがどんな感じがするのか
経験していただかないとどうにもならないかなという気がします。
私もそんな合宿とか行ったことないですしね、行くもんじゃないか
私が子供の頃にそもそもオンラインはなかったので
合宿というのは当然リアルに決まっていて
あれはあれで、後から見れば楽しいんですけど
だいたいただ苦しいだけのものでした。思い出すんですが
私は化学部にいたんですよ、部活としては
合宿とかにも行ったことが実はあったりするんですけど
わけわかんないことに山に登るんですよ
化学と別に何の関係もなく、あんまり見たこともないような山に
みんなで苦労して登って降りる、半合水半やるみたいな
しかも例の先輩後輩的世界なんで
僕向きじゃないんですよ、とにかく
大変だったという
やってる時は家に帰りたい以外は何もないなという感覚だったけど
終わってみると結構楽しかったという
記憶が改ざんされてるんじゃないかって感じもしましたけど
改ざんされているほうがいいですからね
あれは二度と行きたくないと思いながらやるよりは
改ざんされてるほうがいいんで
そういうものでしたけど
それに比べるとこのオンライン合宿は
全然いいことづくめなような気もするので
苦しさが足りないとか
そういう人間には不思議なところもありますけど
そういう大変なところはないので
コミュニケーションが
僕のほうに上手くなるというよりは
苦手意識がなくなるっていう風に思っていただければいいと思います
これはやっぱり学生時代に知っておきたかったって
無理なんですけど
学生時代に私はこれでとことん苦労しましたから
岡野淳さんはね
やる気クエストとか時間クエスト
私の作をベースにといって
くださっている岡野淳さんが
03:00
プレゼンで一対他で話すことは得意なんだが
一対一とかの会話は苦手だっていうのが
どっかで書かれてたんですけど
あれがよくわかる気がするのですね
意外とコミュニケーションというのは
一対他でやるときは
緊張さえしなければ何とかなるんだけど
一対一とか一対三とかになってくると
むしろ一定の努力を要するという
何かね一定の努力を要するっていう言い方が
すでにグッドバイブス的じゃないんですけどね
この一定の努力を要する
その努力は大体気持ちのいいもんじゃない
っていう人はぜひですね
検討していただけると
全然違う風景が終わった後はあるんじゃないかと
何しろコミュニケーションしないで
生きていかないじゃないですかやっぱり
今の時代は全くしないでも生きていけるような
雰囲気もなくはないですけど
ほとんどの人は結局コミュニケーションって
これから無限回やると思うんですよね
これが全体的にネガティブイメージなのか
そうでないのかは
結構違うんじゃないかと思うんで
そういう効果があります
ちなみにコミュニケーションスキルを磨くみたいな
一般的にイメージされるのとは
全く違うものなので
そういう意味でもいいかなと思います
もう一つがですね
その私の本10月13日発売になるやつなんですけど
つい顔色を伺ってしまう私を手放す方法と
これもでもコミュニケーションに関することなんですよ
こっちはもう明らかに一対他ではないです
一対他を考えてみれば
含めても良かったかなと
今にして思うんですけど
でもやっぱり当初含めようと思ってないことを
後から本に含めて
あんまり良い結果にならないので
あれで良かったんだろうなと
1対1ではこれをやりまくってるっていう方って
いらっしゃいますよね
なんか人の顔色を伺うと
別にそうする必要もないのに
そうしてしまうと
これは間違いなくですね
私は親が黄金だったって話ではないですよ
でも親の顔色を伺うということを
どこかで学んでしまったということが
多分あると思うんですよ
もしかするとすっごい身近なおじさんとか
身近な先生とかの
っていうこともあり得ますが
おそらくはやっぱり親だろうなっていうのが
自然ですよね
本は一般論を書きますから
だから私はそこに甘えというキーワードが
断じて必要だったんです
甘えというキーワードが断じて必要で
HSPっていう話があるんですよ
もちろんHSPっていう方のことは
意識してました
大人の発達症がADHDとかもね
意識はしてましたが
そういうこと
それにとどまらずですね
人の顔色を伺ってしまうということってあって
しかもそれを
良いことだとかやりたいと思ってる人って
多分いないと思うんですね
だからこういう本はありだと思ったわけですけれども
06:03
顔色を伺うのを
手放せばいいと
言っても難しいじゃないですか
好きでやってるわけじゃないだけに余計
その辺と
幼い頃の親子関係というものが
必ず関係していて
それは必ずしも親が
やたら厳格とか
ちょっと虐待的とかでなくても
あり得ることだと
いうふうに捉えて
私自身がそういう人間でしたからね
ものすごく人の顔色を伺って生きてきていて
しかも私はもう
タスクシュートを知る前までは
ほぼ完全に諦めてましたから
私は一生
人の顔色を伺う義務を追って生まれてきたぐらいに
思ってましたからね
それ好きでやってたわけじゃもちろんないですよ
そして今思うとなんですけど
人の顔色を伺うということと
気が小さいということは
イコールじゃないんですよ
私は当然イコールだと思ってたんですが
そうではないんだということを
知ったんですねやっぱり
この辺はグッドバイブスを通じて
理解していったって感じなんですよ
必ずしも自分は気が強い方だとは思いませんが
さほど気が弱いとか気が小さいということが
自分の一番問題だと思っているわけじゃないんですよ
でも顔色は伺う
ここにいろんな要素があるんだけど
甘えという言葉で
大体集約できるかなと
要は甘えというものを
ものすごくネガティブに考えている人間なんですね
人間だったんですよ
これは間違いなく
父にも母にもあるんですね
逆に言うと面白いことに
うちの父母には甘えさえしなければ
構わないみたいなところが
これもまたあるんですよ
一歩間違うとですね
甘えさえしなければ
少々不正なことをしてもOKみたいな
特に父にはそういうところがあって
非常にその独特の
あれで僧侶ですからね
独特の
これエディプスなんですけど
エディプス的な価値観が実は強くてですね
それが私に
完全に個人的じゃない形で
乗り込んできてしまっているんですね
個人的じゃないというのが
この場合テーマなんですよ
甘えを否定するのはいいんですよ別に
あの本の中では甘え否定するのやめましょうねって
書いてるんですが
個人的にやればいいんですよ
私は甘えというのは
こういう感じで好かないみたいな
ところがこれが
親からの丸コピーみたいにして入ってくると
融通がすごい効かないことになるんですよ
甘え悪みたいになっちゃうんですよ
多分精神病理っていうか
神経症とかいうものは
全部そういうことなんだと思うんですよ
09:01
ところがこれ成人すると分けられ
分けにくいんですよ
自分の持って生まれた価値観なのか
そういうのが
自分の持って生まれた価値観なのか
親からの丸コピーなのか
それを区別するのは
心理的にはほとんど不可能で
まさに自分の心の中から
こういう感じがしている
って思っちゃうんですね
これを分けていくのが
多分カウンセリングで
やるべき仕事なんですけれども
日常生活に差し支えるほどであればですね
私は甘えというものが
すごく拒否的に感じてたのは
ものすごく
個人的なものではなかったんですね
常に母とか父の
一緒にいるときの感じと
一体化してしまっていて
しかもそれが
意識できないレベルで
一体化しちゃっていて
だから人に甘えてるって言われる
そこを指摘されるのを
一番嫌だったわけですよ
もうその人間と一緒に
侵入したくなるぐらい嫌だったわけですよ
これ困るじゃないですか
相手に乗ってもいい迷惑じゃないですか
佐々木に向かって甘えてるって言うと
殺意を抱かれるとかね
そんなことを知ってたら
多分言わないと思うんですよ
メリット何にもないじゃないですか
相手からしても私にしてもね
これはだから
そういうふうにも
ガッチガチの感覚というものを
備えてしまっているから
そういうことが起こるわけですね
そういう本も
出しますということです
これを私個人の個人紙から
少し
個人紙から若干始めて
本当に短いですけど
一章の半分ぐらいですけど
そこから展開しているという
流れになっています
キーワードは
甘えというものに対する
嫌悪感みたいなもんですね
嫌悪感があって
嫌悪感というものを手放せれば
自然と人の顔色
これは不思議だと思うんですけど
伺うということも
手放せるようになるはずです
この時に
相手の甘えを先に許容するのか
自分の甘えを先に許容するのか
問題というのが
実は本を書く上ではあるんですよ
本を書く上では
本を書く上では
自分の甘えを先に許容するのか
問題というのが
実は本を書く上ではあるんですよ
どっちかを先に書かなきゃならないですから
でもこれ実際には
両方同時に起こるんで
こういう時に本を書く時っていうのは
絶対に本を書く時には
起こる現象なんですけれども
やっぱ悩むんだなって思いました
我ながら
どっち先に書いても本当はいいんですよ
両方同時に起こることだから
でもアクションっぽい小説でも
その悩みって
前後するがみたいなことが
断り書きとして書いてあるような
感じの話ですよ
12:00
先にこっちを書いておかないと
こっち書けないなっていう
その前後があるんだけど
実際にほぼ同時に起きていることなんだけど
小説とか文章は
全てを同時に書くことはできないので
必ず順を覆わなければならないから
こういうことが起こるんですよね
はい
私も今もう一つ書いている
ハウツー本でもそういうことがやっぱり起きます
プロジェクトの話
タスクの話先に書くのか
これどっち先に書いても
ある程度は
何て言うんですかね
不都合が生じちゃうんですよ
しばしば編集さんに
先にこっちの定義をしておいてください
ってさらっと書かれるんだけど
先にそっちの定義をするためには
結局先に反対の話書かなきゃならないじゃん
みたいなそういうことが起こるわけです
それしょうがないんですよね
同時に定義するということが
文章はできないですから
これは余談です
エリプスエリプス
私が最近言っていることと
最近またツイッターで
余計な言葉を知りまして
親ガチャってやつですね
つまり子供は親を選んで
生まれることはできない
っていう話ですよね
私この全く同じセリフを
私のこの顔色をうかがう本の中でも書きました
子供は親を選んで生まれることはできない
だから
グッドイナフなわけじゃないですか
このグッドイナフというのは
やっぱり
全ての親はグッドイナフなんですよ
と言いたいんだと思うんですよね
ミニコットは
グッドイナフというのは
ここからはグッドイナフだが
それ以下はそうではないって話は
してないと思うんですよ
多分なんですが
ミニコットに言わせると
母親はグッドイナフであるって
これを書くとですね
間違いなく今の時代では
品色を変えられないんですけど
あの人の書きっぷりっていうのは
パラドキシカルですから
逆説に満ち溢れている書き方が
好きなんで
多分というか恐らく確実に
母親がいなくったって
その母親はグッドイナフ
つまりもしかすると母親は
既に亡くなってしまっているかもしれませんが
しかしグッドイナフなんですよ
これは何度もこの番組では言うんですが
幼児から見た世界なんですよ
幼児から見た世界に
母親がいるだのいないだの
分からんわけですよ
外から見れば分かりますよ
明らかに
でもそこにいるのが父親だろうと
非常に極端な話をするならば
AIのロボットだろうと
いいんですよ
いいというのはどういうことかというと
今生きてるんだったら
つまり今成人になってるんだったら
何らかの形で生きていけるだけの環境は
供給されましたよねと
それだったら虐待してもいいのかって
そういう話はしてないんですよ
これは環境供給をされているということに
それをどういうふうに
幼児が主観的に捉えるか
という話なんです
15:01
しかもそれは
誰もが通る道であるところの
アレゴリーなんですね
これがものすごく大事で
誰もがそういう経験をしてきましたよね
っていう比喩なんですよ
こういう経験をした人もいれば
しない人もいましたよね
そういう比喩なんですよ
例えば野球に例えるとって言ったとき
野球が好きな人にはいいですが
野球は知らんという人には困るじゃないですか
それでは精神分析のように
要育とか
心の奥底に潜む価値観みたいなものを
問題にする世界では困るので
誰もが間違いなく
この道だけは通ってきた
人間だったらね
そういう比喩を
扱っているわけです
だから現光系が一番
僕はいい例だと思うんですけど
お父さんとお母さんのセックスを見てしまいました
見たことはないはずなんですよ
誰も
誰もとは言わないけど
大半の人は
でもいいんですよそれは
そういう比喩なんですね
そこから私たちは阻害されているでしょう
っていう話がポイントなんですよ
そういう寂しさって
みんな知っているでしょう
お父さんとお母さんがセックスしちゃいけないのとか
そういう話ではないわけですね
でもフロイトの時代は
かなりのところこの比喩が
まともに入ってくるんですよ
フロイトの本かな
だったかな
何かに書いてあるんですよ
完全に西洋っぽいんですよね
西洋のしかも上流社会っぽいですよね
重そうな扉で鍵までかけられていて
お父さんとお母さんから
フロイトが閉め出されている
4歳か5歳の子
手の中に入れてちょうだいと
ドアの前で泣いたという
記憶について書かれているんです
これも記憶だから
絶対にその通りだったかどうかなんて
わかんないと思うんですけど
でも西洋ってそういうことがあるんでしょう
これが現行型の
何て言うんですかね
阻害ですよね
つまりこれを虚勢恐怖とは
多分言うんだと思うんですよ
このまま家を追い出されるんじゃないか
みたいな恐怖を
子供は主観的に捉えますよね
主観を問題にしているのであって
だからグッドイナフなんだ
グッドイナフというのは
つまりあなたは
お母さん的な存在から
生まれてきてからずっと
環境を供給され続けてきたわけだけれども
それを主観的に
どんなふうに捉えてきたんだろう
って問いなんですよ
そんなのはもちろん
覚えているわけがないんだけれども
なんとなくそういうことを
人間の頭でも
覚えているわけじゃないですか
このグッドイナフな供給が
例えば捉えたりした時に
私たちはパニックに落ちたことがあるという
トラウマを持っていると
そういうのを刺激されると
社会生活の中でもトラウマを起こしちゃうと
これをうんとマイルドにするとですね
18:00
心が傷つくわけですよ
うんとマイルドっていうのは
そうですね
家から捨てられるとか
そういうあるいは
それこそ大変な目に遭うみたいな
そういうことまで行かなくても
っていうことなんですよ
追い出すよと言われただけでも
トラウマに心は傷つくってことは
あり得るんだけど
その時に私たちが意識しているのは
そのいわゆるエリプス的な阻害だ
っていう話をしているわけです
私いつもこのことは
本当に必ずそうなっちゃって
嫌なもんだと思ってたんですよ
私はこのエリプス的な阻害を
多分だから苦手なんで
先日も言いましたよね
どんなところに行っても
人間が作る組織である以上
そういうふうになっちゃうじゃないですか
一番イメージしやすいのが
あの私は実際には
見たことも経験したことも
入ったことはもちろんないんですが
ヤクザ屋さんの世界ですよ
なんか父親になってるじゃないですか
でもああいうのって
マイルドには当然なるけれども
どんなに先進的で
つまりそういうんじゃない
小さな社会でも
そこが社会である以上
そういうふうな形を取りますよね
例えば朝9時に来なければいけない
出社しなければいけないとか
っていうのは
既に父親的なんですよね
このことに含まれているのは
そうしないと
この組織にはいられなくなるぞっていう
少なくともそういうには
そういうニュアンスを
新入社員とかは
感じ取るわけじゃないですか
これがエディプスなんだと思うんです
このエディプスそのものは
別に人を傷つけるために
やるわけじゃないんだけど
このエディプスが
至る所に張り巡らされているうちにですね
人は傷つくんですよ結局
で私は全エディプスは嫌だって
思ったことがあるんですよやっぱり
ここでその
心が傷つく傷つかない問題で
傷つける方が悪いのかいいのかみたいな
私はその議論に乗りたくないし
顔色を伺うの話でも
どっちが悪い話は絶対に
何の解決も見ないと思っているのは
傷つけないようにするとか
しないとかいう話では
これを全部予防できるわけが
ないと思うんですね
なぜならば
組織を作ってしまったら
人間社会には
ルールってものができちゃうんですよ
でルールってものができてしまったら
破ったらどうなるかっていうのを
案に含んじゃうわけですね
でそれが案に含まれてしまったら
そのルールをいかにも破りそうな人は
すでに傷つくじゃないですか
ってことは世の中から
全組織をなくすみたいな話になるんですよね
でもドイタキオさんは
お前の構造の中で
検討はしてますよ
戦後の日本社会のように
ものすごく府県が弱ったような社会においては
もしかして父親なしの
やっていけるっていう希望を
人は抱くんじゃないだろうか
っていうことは書いてます
この程度までしか書いてませんけどね
21:01
で自分はそれは
無理な気がするけれども
分かんないなみたいな
そういう非常に曖昧な
曖昧ではないんですけど
彼は文章が上手いんで
でもそれは文章の上手さで
結局私は曖昧にしてあるように読めたんですね
で河合ハヨさんも
似たようなことを書いてますよね
どうしてもこういう
この問題って生まれてくるんだと思うんです
だって嫌じゃないですか
それまで家で楽しく過ごしていた子供の
これ主観ですからね
どの家でも子供が楽しく過ごしているとか
そういう話は全くないんですよ
とりあえず過ごしていたという主観があるとして
お前そういうことをすると
この家から出ることになるぞって
いきなり言われたら困るじゃないですか
これがエリプスというものが
自分を阻害して
人を傷つけて
自分を阻害して
人を傷つけるものになる
だけれども
そういう風で
そういう体験をしたとしても
何とか持ちこたえていくと
ここでですね
例えば二重人格になっちゃったりしない
ということですよ
ここでお父さんの言うことに
いいダクダクと従う自分と
裏でそれを全然重視しない自分に
完全に分かれてしまって
しかも両方繋がってませんみたいな
そういうことにならないように
頑張ると
それをだからエリプスが
最初に体験したときは
ニードになってしまうんだけど
自分のニーズとしてですね
心にスペースを空けることが
できるようになるっていう話を
多分してるんですよ
多分してるんですけれども
そういう話は
日本では受けていないし
でもエリプスの問題が
消滅したわけでも何でもないので
傷つくという話は
残ってくるわけですよね
目下の人の顔色を
伺うっていうことに
しかならないと思うんですよ
目下の人の顔色は伺わないですよね
どんなに傷つきやすい人だとしても
仮に部下の顔色まで伺っちゃうとしても
その人はただ部下に
お父さん性を見ているだけであって
結局は上の人の顔色を
伺ってるわけですよね
だからこの話っていうのは
上下関係がそこにあるような
つまりルールがあったり
目的があったり
目的があるわけじゃないですか
この会社が金を儲けるみたいな
目的があって
この目的に向かって
少なくともその目的には
価値があると
そういうことに同意できる人しか
その組織にいないほうが
ある意味いいわけですよね
この会社が金を儲けるのに
私は心の底から反対している
という人は
その組織には向かないですよね
だからどうしても
心の自由みたいな話になった時と
エリプスみたいな時も
エリプスみたいな話が
衝突するような感じを
普通に抱くのは
当たり前のことであって
この衝突をした時に
24:01
毎度毎度傷つくというのは
すげえ生きていくのは
めんどくさくなるはずだと
思うんですね
だからといって
これと全く無縁で
生きていけるかっていうと
多分自分はですね
難しいんじゃないかと
最終的にはなぜか
なぜかではないんだけど
倉園圭同さんが
グッドワイブズで言う通り
カプセルの中で
一人で生きていくっていう
選択になるのは
そういうことなんですよね
孤独が好きとかいう話ではなくて
人間関係がめんどくさいと
言われているやつでもあるけれども
要はエリプスを受け入れないとすると
家族だって無理なんですよ
そういう悩みって
親になったらあるじゃないですか
親ガチャというのは
子供の立場からの話をしてますよね
でも親だって親ガチャじゃないですか
子供にこれを言うのが
いいのか良くないのか
っていうのはガチャですよ
答えが先にあるかのように
いろんな話をしますけれども
そんなことはありえなくて
言う言わないがどっちがいいかなんて
絶対分からないと
私は思うものですよね
学校に行かないと言っている子に
行かせるのがいいのか
休ませるのがいいのか
休ませるのが絶対いい
っていう人もいますよ
極力行かせなきゃダメだ
っていう人もいますよね
そしてお互いに
エリプスを持ってますよ
間違いなく持っている
おかしいですもん持ってなかったら
そこには何かしらの正しさが
あるわけじゃないですか
正しさは全くないんだけれども
休ませるべきだとか
行かせるべきだとか
言えないと思うんですよね
べきだと言った途端にも
組んでますよね
どう言われようと傷つくじゃないですか
子どもはですよ
傷つかないかもしれませんけれども
その種の傷つきみたいなものを
ゼロにすることなんて
到底不可能ですよね
その時にどっちを言ったほうが
よりいいんだろうというのは
ガチャですよね
僕は絶対ここはガチャだと思うんですよね
そんなことを言ったらですね
今みたいに栄養とかにうるさい時代ですから
朝パン食べさせるのがいいのか
ご飯食べたほうがいいのか
私絶対ご飯は嫌なんです
っていう人に
無理やりご飯食べさせるような話に
なっていくじゃないですか
全くなっていかなくったって
野菜ゼロでもいいのかみたいな話になると
気になると思うんですよね
野菜この子全く食べませんと
ひたすらパンにジャムつけて食べてますと
それだって構わないって言ったとしても
その構わないっていうことに
エディブスがあるんですよ
構わないべきだと
いう話じゃないですか
だって構う人にしてみれば
わかりますよね
これはすっごいマイルドだから
あんまり気にしてないと思うんですけれども
私はこういうのに
全部にかかってくると思うんです
ミニコットがホールディングって
27:00
言っただけのことはあるんですよ
ホールディングは抱え込みなんですよね
抱え込みって強制ですよね
たとえ食べることが絶対必要で
食べなきゃ死んじゃうんだから
食べさせるんだけど
でも子供が食べ物を拒否することは
絶対あると思うんですよね
1歳2歳の頃はしょっちゅうですよね
無理やり食べさせるじゃないですか
これは食べさせるべきだからでしょう
食べさせられて傷ついたって言われても
食べさせるじゃないですか
絶対にそこには
シュットとかマストが
いちいち入ってきていて
結局誰かが強制しているという
少なくとも主観的にはね
強制しないとむしろ虐待になるみたいな
そういう局面が
しかも頻繁にほとんど
毎時間ごとにあったりする状態も
あるわけですよね
しょうがないわけですよ
私家の中にありましたもん
マンションだったから
はいはいここまでよという
放っておくと落ちるんですね
だからそれって強制じゃないですか
ここから先にはいかせないと
子供があんな檻みたいの埋まって
傷つきましたって言われても
やっぱり作るじゃないですか
しょうがないですよね
落ちるよりはよっぽどいいという
後から考えれば子供自身も
そう思うでしょうし
っていう話は
どこにでもずっと
つきまとうと思うんですよね
放っておくべきだって言ったって
放っておくなりに死なない手は
こうじるわけですよね
非常に極端なことを言うと
子供というのは
抱っこしている真っ最中に
暴れるんですよね
好きにさせたら落ちるんですよ
これがホールリングだと思うんです
これも比喩ですよ
比喩なんですこういうのは全部ね
結局は精神分析のところに行くなり
カウンセラーのところに行くなり
すると患者が暴れると
暴れるというのは
つまりもうこんな
自由連想とかやっても
無駄だったからやめるという
普通に考えれば
カウンセリングなんだから
どうぞやめてくださいって言うんだけど
どうぞやめてくださいとか言った日には
いきなり死んじゃったりするわけですよ
人によっては分かりませんけどね
私には
でもそういうことはきっとあると思う
私がちょっと言っただけで
あの人は突き放したみたいな話に
少なくともなると思うんですよ
ものすごく傷ついたと
だから死んじゃうみたいな
どうすればいいのかと
有金は取るけれども
あなた必ず来なさいって言ったら
強制になっちゃうじゃないですか
こういう難しさが絶対あるはずで
それが生まれないんだったら
むしろ変ですよね
この場合に多分
もう来なくていいですとも
言わないと思うし
そういう言い方をするとは
思うんだけれども
普通の会話だったら
どっちかになっちゃいますよね
これ精神科じゃなくて
普通の内科だったら
絶対そうなりますよね
お医者さんはもう来なくていいです
って言うかもしれないし
あなた病気だから来ないと
大変なことになりますよ
30:01
と言うかもしれないですよね
これ普通の会話だったら
そういう会話になりますよね
精神的に不安定な人であれば
無理やり私はお金を払って
お医者さんに通わされている
っていう傷つきを生みうるでしょうし
逆にもう来なくていいって言われて
私は医者に見放されたっていう
これは昔
親子関係だった時に
どうホールディングされたかに
多分関係があるんだっていうのは
精神分析的な考え方だと思うんですね
結局だからそういうことって
避けては通れないというのが
必ずぶち当たるという
そういう感じがあって
その中で極力でも人は
もちろん傷つくのは嫌なので
顔色を伺うわけですよね
だから結局この話っていうのは
避けられないものを避けようとするから
生まれる話なわけですけれども
そういうふうにして
私たちはエリプスというものを
忌避するわけです
大好きな人もいますよ
それこそ内なる指導者大好きっていう
倉園さんが教えてくださって
部活が一番やっぱり
部活っていうのは未熟なエリプスなので
先輩のような1年先輩
1年や2年程度先輩でしかないような男の子が
お父さん面をする世界ですからね
理不尽なこといっぱいあるわけですよ
あれは私は
エリプストレーニングなんだろうと
思うんですけれども
その中に入っていって
内なる指導者みたいなものを持って
ガンガン頑張るのが大好きっていうケースもあります
これエリプス妖精っていう言い方を
するんですけれども
当然陰性の人もいます
そこって実は私は
大した話でもないのに
すごく重大な話に聞こえてきちゃうというのが
この問題なんだろうなって思うんですけれども
どっちにしても
大人になったらですね
この未熟なエリプスだけで
やっていけるはずはないんですよ
これって複雑じゃないですか
複雑ってことはないんですけれども
かなりの心のスペースを
要求しますよね
内なる指導者に従って
ウサギ跳び100回できれば
人生乗り切っていけるっていうものでは
ないと思うんですよ
だから悩みますよね
そりゃ当然
僕はやっぱり親ガチャって言葉を
読んだ時に
これは当然親の側の問題なんだけれども
ある意味だから環境は選べないと
そういう言い方をすれば
そういう言い方になるんですけれども
もっと言うと
どう選んでもこの問題から
逃れることはできないみたいな
だから環境なんですけどね
宇宙の果てに行くわけにいかないじゃないですか
そこに行っても
ただ空気がなくなるだけなんで
最終的には空気って環境ですからね
つまりすごくウィニコット的な表現を取ると
空気って母親なんだっていうことに
多分なるんだと思うんですよね
32:57

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