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  2. あなたのしたことはそんなに悪..
2023-08-21 48:20

あなたのしたことはそんなに悪いことなのか?【GMV833】100チャレ編

タスクシュート を反省材料にしないようにする。

サマリー

クラサノオさんが紹介したクールリングを使って頭を冷やし、会社や学校に行きたくないと感じる方やうつ症状に悩んでいる方についてお話しています。また、タスクシュートやグッドバイブスファクトリーの話にも触れています。やるべきこととやっちゃいけないことに分かれているような感じがしますよね。しかし、人は他人の行動に罪悪感を感じることは難しいです。清田さんの不倫に比べてピクミンをやりすぎることは悪いことではないと思います。タスクリストに向かう際に自分自身を責めずに、他人から責められた場合は別のことを考えてみることが大切です。人々は生きるために多くの仕事をしています。その仕事が美しく終わることは稀ですが、結果を出せていることが重要であり、生きるためには十分な能力と仕組みが働いています。自分の行動記録を見ることで、なぜ自分が今日を過ごせたのかを考えるべきです。一人でサバイブすることをアドバイスされたり、悩みに対する罪悪感について考えたり、サポートしてくれる人や生存に関連した行動について言及しながら、タスク管理に罪悪感を持つ必要はないと述べています。他の人や物に依存していることを意識すると、物事の価値や大切さを感じることができます。

00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
1月21日月曜日朝の8時、ちょうどぐらいですね。
だいぶ、なんかこう、過ごせるようにはなってきた感じで、まあ朝だからという感じでもありますが、
昼は、いわゆる危険な暑さってやつに多分またなるんだろうなという感じはしますけどね。
クールリングと頭の冷却
先日、クラサノオさんがですね、ポッドキャストで紹介していたクールリングという、
これ、している人をそういう目で見ると、割としている人がいなくはないんだなってことに気がつくんですけど、
僕は全然意識してなかったので、全く気づいてなかったんですけどね。
これは大変いいなと思いました。
今もやってるんだけど、さっき庭に水まいてた時もやってたんですよ。つけてたんですね。
首に要するに、いわゆる固化する温度が、まあ氷とかよりは高くて、
そういうNASAで開発した高いやつで、まあそういう物質はありますよね。
で、ちょっと冷やすとすぐ固くなって、冷えるわけですね。
そこの温度で一応自分を保てる物質でできてて、それを首につけるんですよ。
で、僕はこれは聞いた瞬間にもう絶対買おうと思ったんです。
僕はですね、たぶんこれ体のちょっとアレなんだと少し思うんだけど、
足が冷えやすくて頭が熱くなりやすいんです。
もうこれ聞いただけでも深いそうじゃないですか。
で、年齢を追うごとにその傾向は高まってきてですね、
昔は全身が熱くなる傾向が結構あったんですけど、今は頭が熱くなるんですよ。
で、アトピー治すべく全力を尽くして食事とか運動とかめちゃ頑張った時は、
足が冷えなくなったんですよね。
あれはほんとやる価値が一つあるんだなって思ったんですけど、
ただその努力に必して、足がただ冷えないというだけで、
ちょっとね、コストパフォーマンス的には良くないんですよね。
俗に言うスパ的には良くないんですよ。
なんかもう、あれですよね、ご飯食べない、砂糖取らない、果物食べないみたいな。
しかも運動一日中結構しまくりみたいな。
足冷えないよな、そりゃとは思うんですよね。
で、肉とかやたら食うんですよね。
あんまおすすめできないです。
今のような話だけではやらないでください。
やるなら糖質制限のそれなりに信用のあるお医者さんにかかった方が。
今はもうそれなりにありますから。糖尿病とかとの兼ね合いでありますから。
あとアスリートとかやってるんですよ、きっとある程度。
ある程度でいいですからね、これね。
で、まあ僕はそれやめちゃってるんですが、頭が熱くなるんですよ、今ね。
で、まあこの季節だけなんだけど、ここまで頭熱くなるのかも。
なんかこう、喋ってるじゃないですか、こうやって。
気がつくと多分頭の中だけ37.5度ぐらいまでいって、
全然こう、何を喋ってるのかが途切れ途切れになっていくみたいな、
そういうことが起きるので、これはいかんなとずっと思ってて、
一応こう、保冷剤を布で巻いて頭に当てるという、
それも今もしているんだけど、それだけだとやっぱりいまいちなんですよね。
それにそれは局所的に冷やすことになるんで、
そこだけやたら冷えるみたいになっちゃうんですよ。
このクールリングで、完全には抑えられてるわけじゃないんだけど、
でもやっぱりこう、一定程度以上の温度には頭の上がならないので、
これは非常にいいのでですね、
セミナーとか、水巻きとかですね、水巻き外でやるからクーラー効いてないわけですよね。
必ずと言っていいくらいこのパターンではまるんで、
非常にこれはいいです。
勧めしたい。
そういう時にね、物を売ってるブロガーとかだといいんだと思うんですけど、
アフィリエイト的にね、がっつりやれば、
まあノートでやればいいんですけどね。
まあまあ、とりあえず流せばクールリングですぐ見つかりますんで、
24度と18度だって、僕24度のやつを使ってます。
18度のやつもいいかなと思ったんですけど、
なんかそこまでじゃなくてもいいかなと。
首が冷えちゃうわけだから、
本当は頭冷やしたい。
まあでも首冷やすとですね、ここの多分動脈太いのあるじゃないですか、
だから首切るとかいう話になるんだけど、
この動脈の多分血液温度を下げるんでしょうね。
多分これが効くんだと。
これすごい僕はこれを入手する前から欲しくて、
さっきの保冷剤の布に巻いてたやつを首に巻いてたんですけど、
あれだとダメなんですよね。
いかにもダメだなって感じがする。
冷えてる時はやたら冷えてるし、
すぐその割には溶けちゃうしっていう感じで、
でも理屈は同じですね。
保冷剤と多分似たような物質でできてると思う。
それとですね、今週末になりました。
土曜日ですね。
山崎さんをゲストにお迎えして、
先送りしない心理学というタイトルでやります。
うつ症状の不可解さ
これはやるぞって感じがありますんでね。
できれば自腹を切らずにやりたいというのもあるので、
ぜひオンラインで5人くらい来ていただけると非常にありがたい感じですね。
今日お話しするのは100チャレ編ということにしまして、
100チャレの方もぜひこういう話に興味があればね。
マスクシュート以外には何も今のところ興味ないですって方は、
この話は面白くないかもしれませんが、
仕事が滞るとか、会社に行きたくないとか、子供が学校に行きたくないとか、
そういったことも併せて仕事を管理で困るといった方は、
ちょっと来ていただくといいかもしれない。
例えばですね、私も最近ずっと昔から思ってたんですけど、
会社休むとか長く休業する、休職するって方、
何かというとうつって診断されてるけど、
それどうなのって話を専門家の人に聞いてみたくなるじゃないですか。
特に精神分析側ってところに大きな意味があると僕は思うんですよね。
全部うつなの?みたいな。
でもその中にそうつっぽい話いっぱい出てきますけど、
あれはどうなんでしょう?っていうね。
なぜそれを全部うつって言ってしまうんだろうかとかね。
あと明らかにどう考えてもそれは、今回山崎さんなんで、
これはヒステリーと言うべきかもしれないし、
それがダメなら自己愛とか言うところかもしれないんですけど、
どっちの話も全く出てこないで、
あ、うつですみたいな。
それなんかめちゃくちゃ違うじゃないですか。
それはどうしてそういう診断名になって、
本当にそういうことなのかということと、
結局それは多分ですけどね、精神科で考える場合と、
カウンセリングで考える場合とでは、
意外と全く違う考え方を取る可能性があるじゃないかと。
で、それは自分には関係ないということもあるかもしれませんけど、
でもそれにしてもですね、今、会社だとか大学だとか、
行かれないって方、大勢いらっしゃるんですよ、本当に。
で、これらの人はみんな、みんながみんなじゃないかもしれないけど、
ほとんどかなりの割合でうつって一度言われてる。
それってどうなんだろうなって、私のようにかじった人間からは、
大いになんか不可解なものを感じさせられるわけですね。
うつという話になればね、
当然こう、こううつ罪というものが今の世の中にあるわけですから。
それでいけるようになるんだろうかっていう、
もちろんなる方はなるんですよ。
その全部が全部に疑いがあるって話ではないんですよ。
でも、ならない人はどうなるんだろうっていうね。
これは昔私、アメリカで留学してた時に、
異常心理学の先生が繰り返し言ってたことなんだけど、
薬が効いたと。そんな薬はないけど素晴らしい薬が出て、
99.9%治った。
99.9%って彼は書いたんですね。
0.1%はどうするんだという話を生徒に振るうわけですよ。
これは本当にそういうことってあるよね。
0.1%は比率としては極めて低いですけど、
人数にすると相当な数になりますからね、アメリカで。
うつと診断され、こううつ罪が処方され、効いた、素晴らしい。
効かなかった人はどうなるんだって話は、
意外とどこにも書いてなかったりしますよね。
99.9%なんて数字は見たことないですからね。
素晴らしいって書いてあっても、もっとパーセンテージが
グッと低くなっているのが実情ですから。
これが風邪薬とかとは違う話なんです。
もちろん風邪薬だって100%に効いてるかどうかは、
統計取ってもそうはなってないと思うんだけど、
でもほとんどの人が治るという肉体の病気の処方とは、
これは明らかに全く何かが違うわけですよね。
そういう話に興味が、僕はあるんですけど多い。
少しでもあるという方は、
26日をちょっと検討してみていただきたいと思います。
これね、事前にお申し込みいただいて、
当日来られないという方には動画アーカイブ配信します。
無料じゃないですけどね。
動画区で配信します。
27日以降はダメです。
動画配信単独では販売しません。
ということです。今回はね。
次回以降これについてもっと真剣に悩んでいきたいと思っているところではありますが、
今回はゲスト講師の方のご要望に沿ってこの形にします。
タスクシュートとグッドバイブスファクトリー
100チャレ編だぞと今日しゃべったのは、
つまりタスクシュートの話をするよってことになるんだけども、
認定トレーナーの話しようかなと思ったんですけど、
ここで認定トレーナーの話するのは何となく僕の感覚に合ってないので、
しません。
タスクシュートの話を一般的にします。
これももう皆さん聞き飽きてるとは思うんですよ。
だから僕もあんまり気が乗らず、
100チャレ編とかやめますって言っちゃったんだけど、
100チャレ編久しぶりにやってみますけど、
グッドバイブス編も多分今週やると思うんですけど、
タスクシュート、
グッドバイブスファクトリー、
これもぜひ皆さん一度、
無料なんで一月は体験してみていただきたいと思うんですけどね、
グループセッションが昨日あったわけです。
大棟倉園さんがそのセッションでお話を聞いて回答するという中で聞いてて、
やっぱりこの点、何回強調しても強調しきれてないんだなっていうのが、
まず、昨日久しぶりにまた、
久しぶりではなく頻繁に感じることをまた再確認したと。
だからこの話をするって流れなんだけど。
で、もう一つの話も僕は、
本当は例えば前回の東京ライハ研究会でちらっと最後に言ったけど、
最後にちらっと言っただけで終わっちゃったと。
40分でやっぱりね、
いつも喋ってることプラスアルファで喋ろうって言っても、
無駄に無理があるわけですよね。
第2回をやんなきゃいけないと思うんだけど、
前提としてですね、
どうしてもタスクをリスト化すると、
人は他人の行いに罪を見ることが難しい
やるべきこととやっちゃいけないことに分かれるような感じがするんですよね。
これは私がどれほど冷やす目で言うわけではないし、
慰めで言うわけではないと言っても、
たぶん心の底では信じてはもらえてないところがあるんだろうなとは思うんですよね。
これは倉園圭三さんのGood Vibesでお話になっている、
許すってのとよく似た構造を取ってる。
もしかすると同じ話なのかもしれないんですが、
いや、どんな罪でも許すとか、
自分が何をやらかそうと許すって言っても、
倉園さんがどれほどそれを強調していてもですね、
これを心から信じようという気になる人っていうのは、
やっぱり少なくとも1回目聞いただけでは、
タスク化にはならないだろうなとは思うわけですよね。
これはすごく、なんていうんですかね、
僕らがもしかすると、
今回も最新のポッドキャストでも同じ話をされているかもしれませんが、
どれほど強調しても強調しすぎることはないと思うと同時に、
世の中の現実ははなはだそうなってはいないんですよ。
僕、これでまず思い出すのはですね、
タスクシュートとは全然関係ないんだけど、
北京オリンピックのジージー佐藤さんのラッキューなんですよね。
あれを思い出すんですよ、この話。
なぜ、あの話いい話だと思ってるってところが大きいんですけどね。
なぜかっていうと、罪じゃないじゃないですか。
どう考えてもね。
あの時のパッシングの仕方って半端なかったんですよね。
やっぱ日の丸を怪我したみたいなね。
これってすごいなって、精神性みたいな話。
なんかこれは1960年とか50年ならやむを得ないかと思う。
70年でも80年とかもそうかな、やむを得ないかと思うんですけど、
あれは2000年代以降の話なんで。
そんなにナショナリズムでオリンピックするかなみたいな。
いや、しますよ。
日本人はやっぱり日本の金メダルの数にしか興味ないと思います。
それはそうだと思うんですけど。
でも、野球でボールを落としただけじゃないですか。
子供も攻めますけどね、あれね。
僕もよく落としてたんでこの話したよね。
よくわかるんですよ、攻めるのは。
で、ましてプロだからあそこで落とすってのはね、しかも一度じゃないしね。
わからんではないんですけど、だからこうなんですよね。
あれを自分がやらかしたときに自分を全く攻めずにいられるだろうかって考えたときに、
これが意外ときっと全く簡単ではない。
まああのジージー佐藤さんは奥様にメールで死にたいっていう風に送ったそうなんですけどね。
でもこの経験はすごい彼にとってはいい経験だったんだろうなとトータルで見ればですね。
僕はやっぱりその今日この話はしませんけど、ロッテファンだから、
あの清田って選手がいてね、あの清田さんをかばったときのジージーさんのですね、
ツイッターでの叩かれっぷりも半端なかったんですよね。
すげーなっていう叩かれる理由はほとんど僕からすると全然ない。
ジージーさんは悪いことは何もしてないと思うんだけど、
あの落球も別に悪いことはしてないんですけどね、落球しただけなんで。
この時の叩かれ方を見てもですね、人に罪を見ないということが、
ある種のケースではどれほどなぜか難しいか。
清田さんはですね、別に犯罪はしてないと僕は思うんですよね。
あのコロナ禍で奥さんいるにもかかわらず他の人とエッチしちゃったっていうのは、
罪だという人にとってはすごい罪なんでしょうけどね。
それでですね、千葉ロッテはそういうスキャンダルをかなり嫌って早々に解約しちゃったんですよね。
これね、僕は日本人の感覚からするとあれかと、この話しちゃってますね僕ね。
あれかと思うんだけど、これ契約違反だと僕は思うんですよ、たぶん。
その選手をその理由で解除、契約解除できるのかな、そんなに簡単にって思ったんですよね。
だからジージーさんは、清田はですね、またこう、彼は選手の問題なのかもしれないんだけど、
この球団訴えるっていうのは僕は別に悪いことだとは思わないんですけど、
まあそれは罰金がされますわね。
ピクミンをやりすぎることは悪くない
で、僕も少しイラッとしなかったかっていうと微妙なんですよ。
清田に同情的だったけど、清田選手にはすごい当時の外野手なんですよ、彼は。
だけど彼はいい選手なんですよ、結構。
このセンスが微妙だということが、僕はロッテのようなチームでは大事な選手だなってよく思うんですよ。
なんかこう、訳わかんないところで打てる人なんですよ。
そういう人じゃない人が多いんですよね、あのチームは。
なんかみんなが同時に打てなくなっていくみたいな、その中で清田さんは打つみたいな、
そういうこう、空気読めなさみたいなのが野球ではすっごい大事だって思うんですよね。
あのソフトバンクに柳田っているじゃないですか、柳田外野手ね、彼も外野手だったと思うんですけど、
彼がきっとそう見えるんですよね。
ここでいきなり打っちゃうんだっていうことができる人って大事だと思うんですよね。
空気読める人って、あの空気と一緒に絞んでいくんですよね。
不思議なんですよ、野球ってのは本当に。
なんかこう、これまでやたら打ってたのに、急になんか2試合連続1点も取れてませんみたいなことが不意に起こるんですよ。
何が起こるんだろうみたいな。
相手のピッチャーが1点だけなのかもしれないんですけど、見てるとこういう不可解なことが起きて、
でもその中で1人だけやたら打ってる人がいるわけですよ。
これ非常に僕は大事なことだと思うんですよね。
それが恨みに出てるんですよ、多分。
で、まあロッテを訴えたわけですね。
それが間の悪いことに優勝争いのど真ん中で訴えたい。
優勝争いの真ん中だったかな。
少しちょっと微妙だったけど優勝争いに絡んでるタイミングだった気はするんですよね。
これはファンは怒りますよね、断じ断然。
何しろ私も10歳の時からロッテのファンで、ロッテオリオンズで川崎球場だった時代で、
有藤道夫さんとか、レロンリーとかがいた時代で、高沢とかいいですけどどうでも、
村田超司さんとかね、聞いたこともない名前ばっかりかと思うんですけど、
10歳の時からだからかれこれ40年1回も優勝してませんからね。
下告状とかで2位通過で優勝とか3位通過で日本一とかあるんだけど、
1位になったのはないんですよ、この間。
一度もないと思う、40年とね。
僕はずっと見てるから、1位でもあれば記憶から消えるはずないからですね。
一度もないですね、40年間。
それの優勝争いしてる時にこの馬鹿げた騒動で球団を訴えるみたいなね。
でも彼ら多分悪いことはしてないと思うんですよね。
ジジイさんは別に清田さんの擁護をしたというんじゃなくて、
擁護はしてるんだけど、バッティング練習とかに付き合ってたとかそういうだけなんですよ。
これでここまでバッシングされるところを見ると、
人は他人のこの種の行いに罪見るなっていうのはですね、
見る時はあるいは見たくなった時は見るなっていう。
そうなってくると自分自身に罪悪感を持たないってできるかなと。
犯罪はしてませんよ、これどっちもね、全然。
僕は犯罪こいじゃないと思う。警察動いたとか検察動いたとか聞かないからね。
だってコロナ禍の中で奥さんがいるのに不倫したってのは犯罪じゃないですよね。
犯罪的だっていう人がいっぱいいるのはわかるけど、
多分僕はそれは刑法には触れないと思うんだ。
だから犯罪ではないと思うんですね。
で、20分もかけて何の話をしているのかというとこういうことですよ。
タスクシュートにあることをやらずに、
ダラダラとピクミンばかりしているのは犯罪かってことですよ。
なんならばやりたくもないSNSのガチャっていうの知らんけど、
ゲームをやっちゃうのは犯罪かって。
今の清田さんとか北京オリンピックのラッキューと比較してほしいんですよ。
罪悪か。僕は全然罪悪じゃないと思いますね。
自責の念を1ミリも抱く必要はないと思うんですよ。
明日の朝、朝から朝6時には起きて出社しなきゃいけないのに、
タスクリストに向かう際の考え方
夜の3時を回ってもまだピクミンを、しかも面白くもないのになぜかやっちゃって。
でもそれは清田さんのその不倫に比べて悪いから。
僕は清田さんのあれは罪ないと思いますからね。直感的にないと思います。
刑法に触れてないという話じゃなくて、奥さんは怒ると思いますよ。絶対に。
だけどあれはファンには関係ない話だと思うんですよね。
だから僕が怒る気持ちにはならなかったんですよ。
この感覚をそっくり自分のピクミンに向けた時に、
いやピクミンは犯罪的だろって思うのは、これは相当僕はおかしいって思うんですよ。
で、タスクシュートに何を書いていようと、
それを一個もやらなくても、一個もやらないってことは、
タスクシュートは構造上ありえないと思うんだけど、
一個も着手しなくたって、そんなのは、
ラッキューに比べても全然悪くないですよね。全然悪くないと思う。
で、ラッキュー全然悪くないと思うか思うんですよ。
つまり、負けますけどね。ラッキュー2回もガイア収穫すれば。
負けますけど試合は。別に全然悪くない。
つまり、これって仕事で組織に迷惑をかけているじゃないですか。
でも僕はそれで自分を責めなきゃいけないとは感じないし、
現にその時の日本代表の人たちは、
ジージーさんを責めてた人は誰もいなかったっていう話を、
ジージーさんが書いてたんですよ。僕はそうだろうなって思うんですよね。
だから、これでですね、責められる言われはないと思うんですよ。
ピクミンやりすぎてめちゃくちゃ眠くて会社に行って、
まともに業務してませんっていうことで、
誰かに責められる言われはないんじゃないかなって僕は思うんですけれども、
じゃあ自分責めずに、誰かが責めてきたときに、
処下門になっちゃいませんかって言うと、なっちゃいそうな気がする。
これは何なんだろうと思うんですね。
でも少なくとも基本方針として、
タスクリストというものにそういう規定がいないと、
後から振り返ってレビューしてですね、
このピクミンの時間はダメだろうみたいに思って、
全部合わせて何時間やってるよっていうふうに思って、
そこを減らして代わりにこれをすればよかったのにって思うっていうのは、
その方向でこのリストに向かわないでほしいと思うんですね。絶対に。
そういう気持ちになっちゃったら、
一旦そういう気持ちになりそうになったら、
別のことを考えてみてほしいんですよ。
どうしてこのリストを今日、違うリストだと思いますよ。
生活を支える仕事
当初理想としてたリストとは絶対違うものになると思うんだけど、
なぜでもこのリストで今日1日を過ごすことができたんだろう、
こう考えてみてほしいと思うんですね。
これ100チャレンジですからね、タスクシュートでないにせよ、
そういうリストがあるものという想定でしゃべってます。
自分の行動記録なりを見てですね、反省するのではなしに、
どれほどこれがひどくても、だからこれがひどく見えるような、
リアルな記録を一応手元にあるという想定で話したいんですよ。
落休はちょっと関係ないと思うんで、どんな業務かな分かりませんけどね、
なんならば今日本当は会社に行かなきゃいけなかったのに、
ズル休みしちゃいましたみたいな、ズル休みなんてことはないと思うんだけど、
休んじゃいました。
だとして、しかも休んで家のことをやろうと思ったんだけど、
一切せずにピクミンやってましたと。
これを見てですね、なんでこれで今日1日は過ごせたんだ、
って考えてみてほしいんです。
この時、何が助けになったんだろうと。
結局、それほど意味沿わないことが起こっているということであればね、
その人にとってですよ、別に1日中ピクミンやってるから、
それが質の低い人生だとは僕は思いませんが、本人は思うわけでしょ。
QOLが低すぎるとか、これではダメすぎるって思ったとして、
そのダメすぎる自分をそのままの状態で荒らしめているってのは変だけど、
そうやって生きていられる、そうしてくれてるのは何なんだろうって考えてみてほしい。
この話を本当は私はソラケンでしたかったんだけど、時間が切れてるんですよね。
こういうくだらない考えと思うんだけど。
清田さんの話とかをしてないですけれども、
でも僕のことだから話は脱線していくんですよ。
しかもそれに反省を加えませんからね。
だけど、やっぱりこれは考えてみてほしいんですよね。
僕はデビューするときに結局ある意味自分考えてるのはこれだなと。
クラウドのケドさんが同じような話をGood Vibesでされたのを聞いたことがあって、
仕事の結果と能力
僕は結構びっくりしたんですよね。
確かにコンテクストに似てるんですけれども、
私、昔、だいぶ昔、やっぱり前もそうだ、話したタスクセラピーというので、
繰り返しこの話をしていた時期があったんですよね。
なぜなのかわかんないですけどね。
生きてるじゃない、という話ね。
あなたは今生きてるじゃないですか。
これを言うと怒り出す人がいたんですよね。
それで僕は黙ってしまったというか話さなくなっちゃったんですけど、
つまりバカにされてると思っちゃうんですよね。
僕はクラウドのさんがGood Vibesを話すみたいに、
いろんなところで丁寧につないで喋っているということがあんまりうまくできなくて、
ぽうとつに喋っちゃうから、生きてるじゃないですかみたいなのが、
たぶん何の脈絡もなく出てくるように聞こえるんだと思うんですよ。
特に当時はすごく実験的な状態で喋っても、
タスクセラピーという試み自体が実験的なものだったし、
その中で私は割と皆さんの当時はGood Vibesとか知らなかったからね、
分断だろうと攻撃だろうと構わないから逆張りでいくっていうのを
すごい徹底してた時期があったんですよ。
一時なんだけど。
つまり、例えばJ松崎さんはそのタスクセラピーにいたんですよ。
7つの習慣をもとに逆算方式でいかに人生を良くしていくかって話をしている。
その真横で僕が一切やらなくても死にはしなければいいんですみたいなことを言うんですよ。
でも僕はこれが売りだって思ってたの当時ね。
Jさんも内心は不快だったかもしれないけど笑ってらしたし、
まあその受けてたんですよ、これはこれで。
で、僕がもっとこの話で良かったなと今思うのは
原宿でもこれやってた時あるんですけどね、タスクセラピーじゃなくて、
この中でもさらにこの2人だけで先鋭化して喋ってた。
Jさんはあれがちょっと気に入らなかったのか面白くなかったのか、
その後ドイツに行っちゃったんで。
でもまあこれだけが理由じゃないでしょうけどね、ドイツはね。
この2人で真逆のことを喋るっていうので、
その後ほとんどの人はJさんの話のところに群がるんですよ。
僕はこれが良いなってずっと思ってたんですよね。
この回もったいなかったなと思うのはもうちょっと上手くやりようがあったと思うんだけれども、
今Jさんはどちらかというとそういう話じゃない方向に向かっているんで、
原件ではそういう話が出たんですよね。
お前言ってることがドイツにしばらくいても逆になってるじゃねえかみたいな
思う人がいたっていう話を聞いていて、
自分の行動記録を見返す
逆になったっていいじゃないですかって感じが僕はするんですけれども、
横で真逆のことを僕は喋ってた。
あれは2010、多分5年ぐらいだったと思うんですけど、
ほんの一時なんですよね。
原宿でJさんと3,4,5回ぐらいかな。
もうちょっとやったかな。
あのー、実に不思議なね、飲食店で。
あそこはちょっとご迷惑をかけたかもな。
割と大人数でドヤドヤと終わったと言ってたんですよ。
で、そこでみんなで割り勘でお金を出していくっていう、
しかも真昼間かな。
実に不思議な集団でしたよね。原宿ですからね、これ。
そんなことをやってた時代もあったわけですが、
僕が言いたいのはですね、つまり、
来てるじゃないですかっていうのはですね、
仕事してるということはつまり、
例えばプロジェクトを進めるなりなんなりで、
どんなことでもいいんだけれども、
どこかで生きるためなわけですよね。
割と直結してると思うんですよ。
生きるためという意味では。
プロジェクトがちゃんと終わりませんでしたとか、
思った通りに進みませんでしたというのは、
それは問題だなって感じるんだと思うし、
そういう感じはいるのかもしれないんですけれども、
それはでも結局、いろんな人が生きるために
やってることじゃないですか。
その目的は果たせてるわけですよね。
あまり自分が思い描いたほどスマートであるとか、
美しくはないのかもしれないけど、
その美しいとかスマートっていうのは、
それこそわからないんじゃないですか。
どんな展開だったら美しくてスマートなのか。
僕はやっぱり、昨日もそうでしたけど野球とか見てるんで、
仕事が美しく終わることはほぼないなって思うんですよね。
だいたいそれって相手にとってはめちゃくちゃ
無様な結果に終わったってことになりますからね。
こっちがすごく美しくやったら。
これは勝負事だからそうなるんですけど。
多分その美しさとかは大した問題じゃないと思うんですよ。
結果を果たせてると思うんですよね。
みんなが生きてるんだから。
僕はこういうのを考えるときは、
よくアリさんとかハチさんのことを漠然と思い描くんですよ。
基本的に仕事っていうのはああいうもんだと思うんですよね。
珍しいですけどね、昆虫であんなことやってるのは。
ああいうもんだと思うんですよね。
生きるためにやってるわけですよね。組織化して。
もし生産高みたいなことを言ったら、
ハチだって毎年毎年生産高を測ってたらですね、
ハチミツの取れ高がちょっと今年少ないんじゃねーみたいなことを
考えるかもしれないけど、もちろん彼らは考えつかないですよね。
この種の能力はないので。
そうすると、結局何を着土にするか。
生きてるかどうかだと。
そんなに簡単に生きられないですよね、彼らはね。
僕らの場合、やっぱり実はそんなに簡単に生きてるとは思わないんだけど、
少なくとも彼らよりは生きるということについて保証済みだと思うんですよ。
その分、悩まなくて本当はいいはずなのに、
明らかに彼らの100倍以上悩んじゃってるところがあると思う。
やってることが複雑だからということはありますが。
でも組織としてやってることは複雑かもしれないですけれども、
個人としてやってるタスクなどというのは、
もちろんそれは大変な人は大変だと思いますよ。
簡単だとは言いませんけれども、
この生きるという基準をとりあえずクリアできればいいということであればですね、
そこまでパツンパツンで目が回るほどだめで、
毎日毎日自分の能力を30倍ぐらいに高めないと終わらないなんてことはありえないと思うんですよね。
そんなんであったら僕らは多分本当にみんな生きていけないと思うんですよ。
割とそうじゃないですか。
江戸時代とかですらそんなに割と人がわたわた死ぬ時期、
時代みたいな年代みたいなのもつい来ないだとは言いませんけれども、
そんなに人類史で古いところまで遡らなくてもそうだったわけで、
もっとずっと遡れば結構人などというのはそんなに絶やすく長くは生きられなかったと思うんですよね。
今その状態は割と安々とクリアしている感じがあるんだと思うんですよ。
前に私、生命保険の人に聞いたんですけど、
70、80、70までかなに自分の知り合いが亡くなっているとすると、
これは何人ぐらいで何パーセントぐらいかっていう質問を受けたんですよね。
それが実に低いんですよ。
低いってことは保険屋にとっては得にならないんで、
この保険屋さんは営業うまかったわけですけれども、低いんですよね。
そんなに簡単に今は人は死なないんだっていう、
だから生命保険というのを売り込むのは難しいんですよという生命保険のセールスだったんですけどね。
だから来ていればいいっていうのは釈然とされないと思うんだけど、
でも今言った通り簡単ではないはずなんですよ。本来は。
生きさせてくれるためにはそれなりに相当な部分が動いているってことだと思うんですよね。
ここをもっと発見するというのもちょっと変なんですけれども、
でもやっぱり意識の上では発見してですね。
もっとそこを自分に強調していいと思うんですよ。
意味沿わないログかもしれないんですが、
意味沿わないログが連日続いてにもかかわらずちゃんと生きているんですよ。
それはそうしてくれている人とそうしてくれている仕組みが多分機能してるからだと思うんですよね。
その全貌は絶対ないですが、その片鱗はタスクシュートをちゃんとつけていればログに出てくると思うんですね。
これを僕は結構タスクセラピーの時代に実は強調的に喋ってた。
今よりも罪悪感みたいな観念はあんまり持ってきてなかったから、
今より自分責めないようにしましょうねみたいなことは言ってたんだけど、
もっとそこはさらっと言ってましたから。
その上でっていうのかな、それと並行してなんですけどね、
自分責めないということはこれでいいんだってことになりますよね。
これでいいのはなぜいいのかというと、生きていられるからなんですよ。
そして生きていられるということは、それでいいと思っている人が周りにいてくれていて、
単にそれだけじゃなくて、それでいいあなたを支えようとしてくれているからのはずなんですよ。
一人でサバイブしなさい
多分、僕なんかの能力から考えてですね、一人でサバイブしなさい。
それこそピクミンにハマってるからいけないんだな、
あんなところに放り込まれて一人でサバイブしなさい。すぐ死んじゃいますよね。
でも現実の自然ってなかなか過酷ですよね。
夜そこら辺で寝てたら、結構今のような健康状態を維持するのは容易なことじゃないと思うんですよ。
いろんなものが実は自分の性を支えるっていうのも、
陳腐な表現に聞こえてくるんですよね。
でもこれは大変なことなんだと思うんですよ。
それがですね、何やってようとちゃんと大丈夫なようになっているというところが素晴らしいんですよ。
そう思っていいと思うんですよね。
で、さっきのとはいえ仕事とか家庭ですらやらかすとかいうことは自分の心の中では起きるんですね。
心の中で起きるんですよ、これは。
事実として起きるとかは絶対おかしいと思うんで。
そういう時に僕はですけど、じいじいさんのランキューを思い出すんです。
あれは事実としては何も起きてないんですよ。
上から落ちてくるボールを誰かがキャッチし損ねて、
それが自分の人生、サバイブに何の関わりもないのに、
そこで悔やむ動物っていないでしょ、絶対に。
痛いと思うんですよ。
猫って実はちょっとそういうところがあって、
なんか曲芸みたいなことにミスるとしょげるんですけどね。
あれすごい能力だなって思いますけど。
普通に考えれば、ボールが落ちてきてそれが落としたからなんだってことなんですよ。
あれが、いやあれはもう先般だとか言い出すのは、
心の中で起きるんですよ。
多くの人間にとってね。
私たちのミスとかやらかすとか、全部そういうもんです。
心の中だけで起きてるんですよ。
忌み付けというやつですね。
これをね、なんか客観的に悪いことをしたみたいに言い出すという人が、
相当の知的な合理性を持っていても、
そういう風に考えちゃうって方がいらっしゃるのは、
僕はむしろ驚くんだけど、
事象としては何も起きてないですよ、あれは。
ああいうことっていうのはね。
僕らのいわゆるミスは、事象としては何も起きてないんですよ。
ただそれに、人間社会として、社会人としてはこうだとか、
おおよそ学校の先生が好むんだけどなぜかね。
これに対して反省材料としなさいというね。
それができない人は教育を受けたとは言えませんみたいな、
そういう話を自分の心の中に組み込んで、
その観点から見るから、
それが何かさも人としてなってないことをしたかのような気がするんだけど、
そんなことはないんですよ。
それをしようとしまいと、
人の生存と関係ないですからって、
これは実は全部目的は人の生存のためのはずですからね。
教育なんてまさにそうじゃないですか。
その生存と何の関係もないなら、
ほとんどそれは趣味の領域のものでしかないんで、
趣味だったら結局のところ、
ピクミンが何匹死のうと、
本当のところそれを罪悪だと思う人はいないわけじゃないですか。
趣味だから。
本当は野球もゲームだからそうなんだけど、
これを何かとリンクさせるんですよね。
それによって金を稼いでいて、
その金で何かを食べているとかね。
そういうふうに生存と遊びをリンクさせることによって、
遊びに生存がかかっているように、
思っちゃうようにできているんですよ。
ある程度はね。
でもこれは心の中で作り上げたものだから、
別にこれ、
その基準を自分に用いたり、
人に用いたりしなくても別に構わないわけですね。
用いたければ、またそれは別なんですよ。
芸能人の不利に責めるとか、
用いたいという人はいるわけで、
そこはもうその人たちの趣味の話なので、
自分がそれを用いるかどうかはまた別じゃないですか。
それは自分で決めても全然いいはずです。
現に私、
芸能人の不利にとかを責めたいと思ったことは、
かつて一回もないんで。
というか、
僕はそもそも芸能的な世界というものを知らなさすぎなんですよね。
先日Jさんがですね、
100チャレで、
なかなか感動的な話をされたんだけど、
僕はあの話についていくのが精一杯だったんですよ。
なぜかというと、
ビートルズが出てくると、
僕は頭の中で、
ビートルズってなんだっけっていう風になるんですよ。
一瞬ですけどね。
ビートルズって何人だったっけというのは、
すごく僕の中であって、
最近ようやく漠然とイメージできてきたんですけど、
ジョン・レノンというのはビートルズの人なんだ、
ぐらいなことは分かるようになったんですけど、
それだって、
とっさには分かんないんですよ。
僕の中でそれはすっごい難しくないんだけど、
歴史小説を読んでる時に、
人名で混乱する感覚が出てくるんですよね。
知らないんで。
僕ビートルズの曲って多分、
どっかでもちろん聞いたことあると思うんですけど、
自分のCDで聞いたとかいうことはないんですよね。
だから街でかかってても、
それがビートルズかどうかとかは分かんないわけですよね。
まず何よりも最初に、
ちょっとね、
とっさに気をつけちゃうことがあって、
アメリカ人ではないんだってことを認識しておかないと、
ついアメリカ人だという認定の下で考え始めて、
なんか土地狂ったことを喋るんで、
これ多分トラウマになってんだろうな。
小さなね。
それはどうでもいいんですけど、
だから僕は芸能人というものに興味が全くゼロなんですよね。
事実上。
ので、
これを責めるとかはないわけですよ。
でもこれ責めたいって人はいるわけじゃないですか。
世の中にはね。
だから、
罪を見る見ないっていうのは、
すごく趣味的な話に実はかかってきていてですね。
それが自分の単なる趣味じゃないんだと、
言い張ってても、
罪と罰の世界をここに導入したいという、
そういう、
今は強い感情なんですよね。
意思と言ってもいいと思うんだけど。
これを、
趣味の領域には投入しないほうが、
僕はやっぱりいいと思いますね。
そこはもう、
ある程度トレーニングでできることなんで。
野球の卓球を見て責めないってことですよね。
プラス、
それを自分の仕事に投入しないっていうことですよ。
ましてタスク管理なんぞに、
投影することはないんですよね。
タスク管理は仕事そのものではないんで。
タスク管理で、
少しでも罪悪感を持つ必要っていうのは、
全くないんですよ。
それでも、
卓球の時みたいにですね、
僕も少年野球で卓球すると、
どうしても顔も上げられなくなるっていうことがあったんだけど、
そうなっちゃった場合、
これは合理的じゃないんですけど、
なっちゃうのはもう感情の問題なんで、
なっちゃった場合、
これを許すっていうふうに、
倉園さんだったらおっしゃるんだと思うんですけど、
なっちゃった場合はですね、
このタスクに関しては、
それを見てですね、
なぜこれでも自分はやっていけるんだろうと。
罪悪感とサポート
その場合に誰がサポートしてくれるの?
このサポートしてくれる人にまた申し訳ないと思うことはないんですよ。
そう思わないようにしてほしいんだけど、
でも僕が思うにですね、
そう思わなくてもいいようになってんじゃないかなと、
どっか思うんですよね。
つまりその人が助けてくれたり、
あるシステムが助けてくれるのは、
とっても自然なことのように思える何かが、
そこに機能してると思うんですよ。
で、機能しているように、
僕らは生きるとなおいいと思うんです。
ここはちょっとややこしい話になっちゃうんですけどね。
でもそんなこと考えなくてもいいと思うんだけど、
友達が多ければ助けてくれる人が多いとかいう話とは、
まだちょっとこれは違うんですよ。
助けてくれる人ってのは、
友達とは限らない。
肉親であることも多いですし、
家族であることは当然ありますけれども、
様々な縁がそこに多分あるんですよね。
それは1日中やってる、自分のですけど、
やってることを記録していくと、
ログの上に現れると思うんですよね。
間違いなく現れるはずです。
食事っていうのが現れたら、
僕の場合3回は絶対現れますが、
誰かがそれを作ってくれるわけですからね。
料理は自分でするにせよ、
食材は自分で作ってないですもん。
米とか僕は自分じゃ絶対作れませんしね。
小麦も。
これって無理です。
食材とか食事は誰かが作ってくれているはずなんですよ。
タスク管理の罪悪感
つまり、英語の勉強するべき時に
ピクミンずっとやってても、
食事はしているってすごいことなんですよ。
ここで同じような思考を持っているとですね、
いわゆる罪悪感思考を持っていると、
自分は物を食べる資格もないとか、
わけがわかんないことを考え出してしまうんですよ。
これは相当わけがわかんないんですよ。
これはですね、
じゃあ清人さんは物も食っちゃダメなのかっていうのに限りなく近いですよ。
でもそういうふうに言いたがる人っていらっしゃると思うんですよ。
だからそれに乗っかっちゃダメだと思うんですよね。
そんなね、コロナ中に奥さんもお子さんもいる中で
仕事棒に振って風俗行ったりしてどうすんだっていう話をしだして
物も食うなみたいな。
でもそれを自分に適用しかねないんですよ、僕らは。
僕はこれはですね、清人さんにも自分にも全然適用する
言われがないなって思うんですね。
そんなことを人に言う、何て言うんですかね、
権力とか権利を持っている人っていないと思うんですよ。
死んじゃいますからね、その人はね。
で、僕らの僕はタスクシュートに全部書くっていうのは
そういう意味を褒めてるんです。
トイレに行くと。
トイレに行けることの意味
トイレに行けたからトイレに行けてるわけなんですよ。
ここ何にも価値がないっていう風に考えるんだったら
トイレに行けなくなった時のことを考えてみてもらいたいわけですよね。
トイレって自分で作ったもんじゃないでしょ、たぶん。
誰かが作ってくれたものですよね。
あれが機能するようにしているということは
誰かが働いてくれているわけですよね。
で、僕ら当然それをしていい存在ですよね。
他の清田さんももちろんそうだし、
落休した直後のGDさんもそうなんですよ。
という風に考えてみてほしいと思うんですよね。
タスクシュートごときで、ごときでですよ。
タスクシュートのログ程度で、それに自分を責めなきゃいけないと。
一方が違うと物を含むのもダメだみたいに思いたくなったら
どんなにこう、どこをどう考えても変だという風に
考えられるはずだって思うんですよ。
そのために、実に簡単な話です、これは。
このリストというもので自分はずっとやってきているし、
おそらく今後もずっとやっていくんだけど、
それを可能にしてくれるのは誰で、何なんだろう。
過酷な人にとってほど意味がある話ですよ、きっと。
過酷な状況下での意味
僕のお話でもなかなか大変厳しい家庭環境とかで
育った方が出ていらっしゃるわけですよね。
先日紹介した漫画とかでもそうですよ、
お母さんは東郷市庁所で寝ている、ずっと寝ていると。
ヤングキャラで弟の食事の支度やお父さんの食事の支度も
小学生のユイちゃんがしちゃうと。
でもユイちゃんは結局この漫画を書くまで生きてこられたわけじゃないですか。
それを可能にしてくれたのは何で、あと誰なのか。
ここに焦点を絞るとですね、なかなかなんていうんですかね、
過酷である意味あればあるほどそこの価値は高まっていくようなところもあると思うんです。
そして過酷でなくたってこの価値は決して損なわれるようじゃないとやっぱり思うんですよ。
そういう意味でこのように思ってみるのは悪くないんじゃないかなと。
もちろん罪悪感を持たないようにするというのは基本前提としてですね。
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