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  2. 【GMV 397】裏切りのトラウマ
2021-06-14 35:15

【GMV 397】裏切りのトラウマ

絶対に裏切られたくないから人とはつき合わない
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
大王のと言いますか、雨降ってきました。
これはやっぱり庭のケアをしているとこういう感情になるんですけど、私もこう…
親はですね、家が寺だと庭のことをずっと意識してるんだけど、子供は意識しないじゃないですか。
水まくのめんどくせえぐらいにしか思ってなかったんで、今になって父の気持ちがよくわかる気がするんですけど、
要するに雨が降ると都合がいいこともいっぱいあるわけです。
まあここのところずっと降ってなくて、ずっと降ってないとずっとまかなきゃならないじゃないですか。
しかも面白いことに大体ダメなんですよ。完全に代わりにはなんないんですね。やっぱり人工的な水まきっていうのは。
なので、降ると抜群に良くなるんですよ。
降らないと肥料をプラス水を一生懸命やって、でもなんかだんだんうまくいかなくなる。
うまくいくやつもあるんですけどね。だけど降れば一発で全部うまくいくんですよ。
だからいちいち頑張っていれなくてもっていうところがあって、素人だからこういうことを言ってて、
多分徹底的に計算し尽くしている人であれば、雨なんか降らなくったって今の時代なんとかなっちゃうんだと思うんですけど、
そうは言っても降らない日がやっぱり10日ぐらい続くと結構厳しいことになるのもあるんで、そういう観点ができます。
それはまあいいとして、先日オンラインでセミナーしたんですね。
その時にこのグッドモーニングバイブスの話が出て、フロイトの話がちょっと出て、いろいろ出たんですけれども、
要するにフロイトっていうのはトンデモ感がある。
これはもう研究してる人みんな言ってて、特に用語はなんとかならないのかっていうのはあるわけですよ。
アナルキとかって言っちゃうわけですよね、思いっきり。
別にあれをですね、排説期とか言っとけばいいわけですよ、何も。
エグそうな言葉を使わずに。
言葉を固くしてしまうとですね、たぶんいざその人がやってきた、つまり患者さんがやってきた時に、
なんとか期っていうのを意識するようではたぶんうまくいかなくなるんだと思うんですね。
ことは性欲っていうのもすごくそうなんですけれども、問題は性欲ってものはどうしてそういうものがあるんだろうっていうようなことが、
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フロイトの話はすごく重要なんですね。
不審にじゃないですか、ある意味。
例えばお父さんとお母さんが子育てをしますと、これについてありとあらゆることを学校で教えることっておそらくできないんだと思うんですね。
で、学校にも様々な人がいます。
私、前に留学中に知り合った女性がですね、世の中の小学校3,4年の頃に、なんでこんなのもできるようにならないんだっていう連中には、
今どうやって生きてるんだろうって思っちゃうっていう人がいたんですよ。女の子だったんですけど。
別に自分はすごいできるっていうわけじゃなかったが、そんなことを言っても33×48ぐらいはやれるようになるだろうと。
だけど全くできるようにならない。
あれで生きていけるんだろうかっていう話をしていて、面白いなと思ったんですね。
算数はともかくとして、子育てとかって、
しかしですね、今よりもはるかにややこしい状態で、1万年前とかそれこそ10万年前とかになってくると、
いわゆる産界とか、衛生とか何にもないわけじゃないですか。
だから多分死亡率が今よりも桁違いに高かったと思うんですけど、でも子育てができていたから僕らいるわけじゃないですか。
で、今の時代だけで考えてもそうなんですけど、結局こうした時どうすればいいんだろうということを完璧に習うわけにはいかないんですよね。
私もこう経験してみてわかったんですけど、難しいですよね。
で、この難しいことをですね、意外とほとんど全ての人がとりあえず何とかやっているとか、
まあ何ともやっていないから、毒屋みたいなこともあるだろうとか虐待みたいな話もあるだろうという話もあるんですが、
そうは言っても、まあ何とかかんとか、どんな人でもある意味やってますよね。
で、お好み先生が非常にアルフロイド派の人ですけど、面白いことを書いていて、
中にはね、別に能力の問題とはまた別に意思が全くない女性だっているはずなんだと。
子供はいるけれども、できれば毎晩飲み歩いて、男の人とですね、家のことなんか全くしたくないっていう人もいるはずなんだと。
でもそれは犯罪的とか罪悪だとまでは言えないじゃないですかと、非常に面白いなと思ったんですけどね。
つまりそのぐらいのエゴは普通の人だって、そこまでじゃないかもしれないけど持っている人がいてもおかしくないじゃないですかと。
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これ非常に男女問題にも関わってくると思うんですけど、そういう視点ではなくて、子育てだけの視点をとってみたとしてもですね、そういう視点ってあるでしょうと。
子供の世話なんかやりたくない、全くしたくないという人だっているんだろうと。
でも子供は育つように心の機能が働くと、自分の子供だけはちゃんと育てようという気持ちがどっかに働いて、
必ず似たようなパターンを踏みながら、例えば非常に子供のことを第一に考えるというお母さんも一方でいるというわけですよね。
だけどそういうお母さんにしてみたって、やっぱりたまには休みたいと思う。
この辺の心理的な機能の動きっていうのが、どんなケースでも結構よく似てくるということなんですよね。
ここにエリプスって話が根本的に出てくる理由があるんだと。
つまり子供は、この番組ではよく言うところの甘えがあって、お母さん100%自分のことを見ていてくれないと嫌だと思っていると。
これがまず大事なんですよね。
だけども、子供は多くの場合、お母さん100%自分のことを見ていてくれると勝手に信じ込んでいると。
でもそうでないということがどんなケースでも出てくる。
これどんなケースでも出てきますよね。
100%だからグッドイナフという言葉が出てくるんですけど、
100%自分のことだけを見ているわけじゃないということに、いつか必ず気づかなければいけない。
その時必ず、たとえほんのちょっとだったとしても裏切られたという気持ちが子供は持つものだと。
それはそういう気持ちを持っちゃいけないという意見の人もいますけど、
いけないもいいもなく持ちますよね。
必ずそういうのを持つ瞬間があるはずだと。
それもクラインという人たちの考えによると凄れが凄い早いんですけどね。
ゼロ歳何日目ぐらいで持つみたいな考え方の人もいます。
いつ持つにしても持ちますよね。
この時に決定的にそれを意識しなければいけないのが、お母さんにはお父さんがいるということなんですよね。
これが何でも性欲で説明するのはおかしいということに対する、多分僕はこっち側からの答えになると思うんですよ。
この自分を裏切られたという気持ちになった時に、それは決定的な理由がある。
自分が裏切られたという気持ちになるところに自分が生まれた原因がある。
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これが凄い葛藤を生み出すというのが多分エディフスなんだと思うんですね。
実際には違いますよこれ。
この三角関係は決定打であって、実際には子供が裏切られたと思う理由は、確かにクラインの本にも時々出てくるんですけどもっともっと前にあると思うんですよ。
例えばお母さんに甘えようとしているのにお母さん疲れて寝ちゃったとか、裏切られたみたいな。
つまりエディフスに至る前に、プレエディフスとか言ったりするんですけど、プレですね、プレエディフスと言ったりするんですが、
至る前に裏切られたって思う理由っていっぱいあるわけですよね。
さっきも言った通り、はなはだ簡単に裏切る人もいれば、なるべく子供を第一にしようっていう人もいますよね。
でもどんな母子環境で家庭環境で家族環境がどうであれお父さんいないとかあるじゃないですか。
愛人作っちゃってるとかもあるじゃないですか。
死んじゃったってケースもありますよね。
いろんなのがあるのに同じようなパターンをある程度は持っているから、ある意味言葉が通じるわけですよね。
同じような経験をしてきているっていう部分があって、しかもその経験が僕らの人間的な価値観みたいなものを育つと。
そういうことにここが必ず関与してくると。
しかもですね、この種のことってほとんど言葉が操れないときに体験するじゃないですか。
早い子は確かに早いですけど、2歳とか3歳で結構、2歳じゃないな、3歳で結構巧みな子もいますが、天才的な子もいますからね。
でも外してこの辺はまだ片言ですよね。
それ以前は言葉がそもそも発することができないという状態で、
何が起こるかというと、この種の記憶がどんどんどんどん蓄積されるんですよ。
で、それを無意識と呼ぶと。
だから無意識に性がまつわってくるのはものすごく当然のことで、
しかもその性にはすでに三角関係みたいなものが含み込まれていて、
しかもそれが嫉妬とかね、そういうかなり原始的な感情にまつわる部分もどんどん積み重なっていっていると。
これが全部無意識の、つまり意識化できないですから、言語化できない時代の話なので無意識の中に入っていると。
だからこの観点って別に社会的に男女平等とかそういう観点で見ることもできるんですけど、
あくまでも赤ちゃん側の視点で見ているんですよ。
主観的な視点ですし、すごく育てられる側の視点で思いっきり赤ちゃん側で一生懸命類推してみると、
こういうことってあるよねと。
お母さんを100%信頼しきっている。
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そのお母さんが100%信頼に値するかどうかというのはここじゃ問題になっていないんですよ。
だいたいその経験は1回きりのものだし、お母さん1人しかいないんだし、
しかもお母さんがどういうものであるかも、社会的などういう文脈の中にいる人なのかも一切わからないじゃないですか。
その中でのこういう感覚なんですよね。
これについて一生懸命分析というのは変な気もするんですがしているわけですね。
だからこの中にはどうしても裏切られたというのが結構重大な問題として蓄積されているはずなんですよね。
裏切るつもりがあろうとなかろうとですよね。
そういうものがあると。
決定的なのはさっきも言ったけれども、自分の出生のその原理の中にこの裏切りというものはあるんだと。
だからアジア性コンプレックスとかエリプスコンプレックスとかどっちも同じような主題なわけですよね。
お母さん100%自分のことを愛してはくれてないと。
そこにショックを受ける。
ショックを受けるんだけれども、それがなかったら自分はそもそも生まれてない。
だからこれはすごく葛藤になっちゃうと。
こういうことは今後もずっと横を引くわけじゃないですか。
グッドファイブスでも時々信頼というのは100%信頼するって言うんだけど、
100%信頼できないっていうのが問題になるわけですよね。
だからこれは意思の問題っていう言い方をするんですけど、
100%信頼したいんだけどできないと。
これを甘えと私は言うんですけれどもね。
100%信頼したいんだけどもできないと。
できないから拗ねるとかネタムとかさまざま出てくるわけですよね。
さまざま出てきた時にどうしようもなくなったと。
この感情がどうしてもこう思っていて辛いし、でも許せないって時に
カウンセラーというものを受けに行くとこの話が出てくると。
この話が出てくると全てを性で説明しないでほしいって言うんだけど、
もともとのこの話性なんですよ。やっぱり。
だから全てが性で説明されちゃうんですよね。
ジゾイドっていう話をしてたんですけれども、
やっぱりこれセミナー中期に出てきたことで、
私が有名になっているいろんな小説の作品って、
その人の代表作といちいち一致していないケースが多いって話をしたような気は確かにするんですね。
したんですよ。その記憶はあります。
その時に、だったら何が代表作なのかをいちいち上げてほしいっていう話がありまして、
それをやるとっていうか、それをしようという気持ちが全然わからなかったのは、
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グッドバイブスと何の関係もないからなんですが、
あんまりこの番組関係ない話もしてるからまあいいかなと思って、
ただいざしようとするとですね、なんかやっぱりグッドバイブスと関係なさすぎるなっていうのが変に引っかかってくるんですよね。
僕はやっぱり整合性にこだわるところがあるんだなと思うんですが、
例えば、僕がドストエフスキーとかだと、やっぱり罪と罰ってめちゃくちゃ有名じゃないですか。
一番面白いのは圧倒的にカラマーゾフの兄弟だと思うんですね。
もう一つ、もう二つあるんだけど、圧倒的に面白いのが白痴という、
まあこのタイトルが今問題になり得るんだろうなと思うんだけど、白痴。
もう一つが悪霊っていうやつなんですけど、
僕は悪霊が一番好きは好きな気がするんですが、
その悪霊という中にですね、あれ誰が主人公なんだろう。
でもニコライ・スタブ・ローギンって人が出てくるんですよ。
スタブ・ローギンという、この人に異常に惚れ込んだシーナ・リンゾウという日本の作家が
永遠なる序章という短編小説の中で銀次郎っていう銀だけ取ってですね、
いうのを作り出すんですけど、銀次郎って変だろうって思うんですけどね。
これは余談なんですが、そのニコライ・スタブ・ローギンって人、
この人が僕が思うにですね、やっぱりジゾイドの原点みたいな、
まあ原点もっといっぱいいるんでしょうけれども、
でもあの時代からすでにこういう人って予想されてきてるんだなって思うんですね。
で、一言で言うとこの人はとんでもない人なんですね。
異常行動ばっかりしてるんですよ。
で、グッドバイブスと無理やり関連付けるわけでもないんですけど、
関連付けるとこのスタブ・ローギンって人は、
完璧にカプセルに入っているっていうタイプなんですね。
やりたいことが何にもない。
だけど非常に、まあこの辺は小説なんであれなんですが、
非常にイケメンで非常に優秀なんで、
あっちこっちから引っ張られる。
まあこの時代、共産革命が起ころうとしてるんで、
特に共産革命の方から引っ張られるんですけど、
何にも本人はそういう気持ちがない。
で、僕はですね、この人でもリアルにいるとすると、
昔々ですけれども今となっては、
宮崎勤っていう人が、僕は埼玉に住んでたんですけどね、
埼玉県で連続幼女誘拐殺人っていう事件が起きたんですよ。
もう大々的に報道されました。
すごい悲惨な事件だったんですね。
もう本当に何の目的だか分かんないんだけど、
小さい女の子を誘拐して殺してしまうっていう、
たまったもんじゃないですよね。
でもですね、この宮崎っていう青年と、
すごいダブルなんですよね、スタブローギンって人は。
描かれ方が違いますけどね。
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でもあの、多分当時のロシア当局で小説の一部に検閲が入って、
発表できなかった場所があるんでしょうけど、
ここにあるんですよ、そういう幼女誘拐殺的、
幼女じゃないな、少女だな。
でも明らかにこういうのってやっぱり、
なんて言うんですかね、ドステフ好きって人は
分かるんだろうなっていうのをちょっと感じます。
何の目的意識も持たないで生きるっていうのは、
結構やっぱり大変なことで、
目的意識っていうのかな、
現実が好きじゃないんですよね。
ジゾイドなんで。
何がどうジゾイドかっていうと、
やっぱり何にも信じがたいっていうのがあると思うんですよ。
何一つ信じられないっていう。
で、えっと、
共産革命なんか当然として、
共産革命が起ころうとしているわけだから、
旧体制ってあるわけじゃないですか。
あの国だとツアーっていうのがすごいんですけど、
肯定ですよね。
肯定とかに一生懸命尽くすっていう人たちもいるわけですよね。
古き良きロシア。
全く信じられない。
こういう人たちからすれば。
共産革命も全く信じられないと。
他に様々はもうないですよね、あんまり。
あとはロシア政教ぐらいですよね、あの国だったら。
全く信じられないってことになってくると、
こう、何て言うんですかね、
やりたいこともなければ、
信じられる何物もなくて、
とにかくこう、生きていかなきゃならないと。
で、それだけは結構煩わしいというわけで、
彼はひたすらこう、煩わしそうに気候に走るっていう感じの主人公なんですよ。
これで小説が作れるっていうのがすごいなって思うんですが、
ちゃんと小説にはなってる。
で、この中の彼が最後のシーンで、
結局彼は最後死んじゃうんですけれども、
やることないですからね。
ある女性に手紙を出して、
好きなのかどうか大変疑わしいんですけど、
私はあなたを愛してないと。
ただ、看護婦になってほしいって言うんですよね。
すごいやっぱり、なんて言うのかな、
先進的だなって思いました。
お好みさんが、もう私たちはデゾイド化していくと、
最終的にどこに行くかというと、
最終的にどこに行くかというと、
クラゾノさんがカプセルと呼んだものと同じです。
UFO。
中に入る。
そしてこのUFOに対外的なことは全部やってもらうことになると。
で、アレックスさんみたいなですね、
小さなロボットを持つんだと。
この小さなロボットは超有能で、
なんでもやってくれるんで、
本人は別に何もしなくてもいい。
何か食べるものはボタン一つで買ってきて、
手に入れて、
他にも様々な欲求も、
基本的にはこのUFOの中で全て済むんだけど、
しかも小さなロボットまで持ってると。
これも1970年代に描かれたものとしては、
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かなり良い線一点だと思うんですけれども、
そうは言っても、
ドステフスキーが描いたのは、
もうロシア革命の頃ですからね。
当時は当然そんなインターネットも何もあるはずがないので、
看護婦になっちゃうんですよ。
看護婦が欲しいと。
で、私は結局体も強いとは思わないしっていうことで、
ロシアにいるのは嫌なので、
なんかスイスとかの方に行って、
この発想がもういいですよね。
非常にジゾイド的だと思うんですよね。
で、そこのところに君も来て、
私の身の回りのことを全部やって欲しいと。
すごい似てるなと思うんですよ。
で、これやっぱりこう、
なんだかんだ言って怖いんですよね。
怖さがなければ、
こういう発想には最終的に行き着かないと思うんですよ。
で、何が怖いんだろうと思うと、
裏切られることだと思うんですよ。
やっぱりこう、明らかですよね。
共産革命のあった頃なんて裏切りまくりなんで、
あの話そういう話ですから。
裏切られるんですよ、結局。
そういう何かを信じて動いていたんでは。
だから絶対に裏切らない存在っていうのが欲しい。
それが結局看護婦って言うんだけれども、
母親なんですよね、彼からしてみれば。
ここに僕は結局、
何でも性欲で説明すると言われちゃうかもしれないんですけど、
結局でも何でも性欲で説明されている感じがするんですよ。
ユングハちょっと違うこと言い出しますけども、
結局、アニマとアニムスみたいな話をしていくところを見ると、
すごくそういうところに戻っていく感じってあるなとは思うんです。
お母さんが裏切るっていうのがそんなに大問題なのは、
お母さんが裏切るからですよね。
絶対裏切らないと思っていたものすら裏切るということが
自分の中で衝撃として残ると。
裏切ってないんですけどね、別に。
要するに100%じゃないというのを問題にしているわけですよね。
そういう時に許せないっていうことがあると思うんです、明らかに。
アジア性コンプレックスなんて思いっきりそれですから、
結局お母さんが許せないっていう問題でしたからね。
許せないっていうのがあるから誰とも関わりたくないということになって
うつうつとするんだけれども、最後の最後に出てくるのが
その少女に手を出してみたり、看護婦が欲しいって言ってみたりするって、
最後の最後になぜか戻ってくるのがですね、お母さんだと思うんですよね。
結局信じたいの方が勝っている間は、生きていくってことはそういうことになっちゃうので、
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何か信じないわけにいかなくなるので、特に当時はそうでしたよね。
ものがそんなにまだ発達していないわけですから、やっぱり人ってことになっちゃうんですよね。
自分一人で全部はまかなえないので。
だけど彼は最後に死んじゃうところを見ると、結局それじゃ生きていけないなってことだと思うんですけれども、
生きていくってことになってくると、何とかいろんなところで信用できるものが欲しいと。
で、お好みさんが書いていたのが、人が絶対に信用できないという人たちは、
ものを信用するしかなくなる。
だから、これがスタブル・オーギンのような人では出てこない発想なんですけれども、
アルフスキーでも酒っていうのはあるんですよね、一つね。
酒に頼ると。あとギャンブルっていうのもあるんですけどね。
ものというと、やっぱり今のような時代だと、ものといえばアレックサかもしれないんですけど、
ものというとやっぱりそれほど機械文明が発達していなければ、ドラッグなんだと思うんですよ。
だからこのテーマになってきたら、ドラッグがまず出てこなければおかしくて、
ドラッグかギャンブルかアルコール。アルコールはドラッグと変わらないですよね。
で、この実際ありますよね、ドスフスキーにも。
賭博者という、非常に分かりやすいと思うんですよ。
ギャンブルっていうのも彼にとって一つ、彼自身ギャンブル狂でしたから。
ギャンブルっていうのが一つあって、酒と。酒はいっぱい出てきますよね。
罪と罰にもマルメラードフっていうアル中のおじさんが出てきますけども、そういうことですよね。
中毒というよりは、どっちかというとそれはテーマじゃないと思うんですね。
結局ドラッグにせよ何にせよ依存症って問題は、当然服用を続けていれば出てきますけど、
そっちは彼が書いていたこととはあまり関係なくて、
要するに彼が書いていたのは恐ろしいってことだと思うんですよ。
裏切られるのは恐ろしいと。
だから絶対に裏切らないものとだけ一緒にいたいし、
その裏切られるということによるショックを受けない精神状態でありたいってことだと思うんです。
そうすると命定しているという状態であれば、
だからこれは依存とか離脱とか言った話とは全然…
依存とか離脱ってことを問題にするってことは、結局健康になって生きていたいって話じゃないですか。
どっちかというとそうじゃないんですよね。
生きていたくないっていうことが主題なんだと思うんです。
そうすると、でも死ぬのは嫌だから生きていたくないとすると、命定できる状態でありたいと。
そうするとただそれだけだとどうにもならないから身の回りをしてくれる、
世話をしてくれる人も必要だと。
ここで結局話が戻ってくると思うんですよ。
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お母さんに戻ってきちゃうと。
だけどもスタブローギンのお母さんはワルワラ夫人という、
また非常にスタブローギンが好かなさそうな人がお母さんとしてきっちり描き出されているんですよね。
要するにお母さんが欲しいんだけど、お母さんは嫌なんですよ。
実際のお母さんは嫌なんですよ。
ところがこのワルワラ夫人というのはある意味全然空気を読まない人なんで、
看護婦になってくださいっていう手紙を書いている、その手紙を読んじゃって、
私も行くって言い出すんですよね。
その時に看護婦として呼ばれた女の人はその人スタブローギンのことが好きなんで、
すごく嫌な顔をするっていうシーンがあって、すごい吹き出したんですけれども、
全くそうだろうなと思うんですよね。
こういう風になっちゃうんですよね、世の中ってどういうわけか。
当然といえば当然な気もするんですけど、なぜならば、
そういう風に育てたわけですよね、結局スタブローギンという人をですね。
そういう風に育てるというのは、そのお母さんは結局こう、
なんていうんですかね、自分がUFOになりたいんですよね。
これが僕は究極的には一番エニプスで悩ましいところなんだと思うんです。
子どもの最初の衝撃というのは、
お母さんは100%自分のことを思ってくれてるわけじゃない、
許せないっていう話だったわけじゃないですか。
でも100%お母さんがその子のことを思う、100%ですね。
1%の欠けるところもなくってことになってしまうと、
結局それは外に出さないよっていうことに、この主題いっぱいありますね、
クリム童話とかでも。
一番わかりやすいのはラプンツェルだと思うんですけれども、
外には一歩も出さないよってことになりますよね。
100%であるならば、外に出た瞬間、目の届かないところで事故にあったりするかもしれないから、
がっちり守るという風にされると、
それはそれで裏切られたことになるじゃないですか。
どう考えても自分が愛されてるのではないですよね。
これ完璧にエゴの中に閉じ込められるってことになって、
やっぱり自分は100%愛されてることにならないんですよね。
ここに本当のところのエディプスのジレンマっていうのは、
こういう風に何かの中に閉ざすっていう形では、
愛されたことにならないっていうのが一番最初の形と、
愛いれないわけですね。一番最初お母さんの中にいるわけですからね。
この話を、これが無意識の中に鎮座していて、
いろんなところでいろんな形で紛失して問題という風に僕らが感じるものを引き起こすっていうのが、
多分精神分析の考え方なんだと思うんですよ。
だからこう場合によってはですね、
30:00
これが例えば男の子じゃなくて女の子だったらどうなるのかっていうと、
女の子だった場合もこれも様々だと思うんですけれども、
例えばお父さんに向かうというケースはありますよね。
理想のお父さんに向かっちゃうと。
お母さんが自分を裏切るんだったら、
構わないからお父さんを私のものにしてしまうと。
これも僕はいっぱいあると思うんですよ。
よくほら、バットマンとか今で言えばスパイダーマンとか、
その腕の中に女の人いたりするじゃないですか。
あのパターンですよね。
あのパターンに非常にエリプスっぽさっていうのが現れるなと思うんですよ。
多分昔の言葉で言えばヒステリーみたいな言い方になっちゃうんですけれども、
そういうお父さんのところに行くと。
でもスパイダーマンなんていないじゃないですか、バットマンも。
つまりどういうことが起こるかというと、
スパイダーマンだと思っていくんだけど、
ただの人間じゃんってことになってすげえ腹が立つと。
これを私はボーダーっぽさって言うんだと思うんですよ。
さっきのとよく似てるんですよね。
本物のお母さんが嫌なくせにお母さんが欲しいと。
そしてお母さんっぽいということにその人の中でなっている女性の方に行くんだけど、
それって要するに人間じゃないわけだから、
本当は人間じゃない方がいいわけだから、
人間だということがわかると絶望的な気分になってしまう。
ジドイドにはそういう問題ってつきまとうんですよね。
だから最終的にはやっぱりアンドロイドじゃなきゃいけない。
この種のSFもアメリカでは結構あるんですよ。
女の子はアンドロイドで末永く幸せに暮らすわけですよね。
そうはいかないから様々なトラブルが起きたりして小説になるんですけど、
この考え方っていうのは非常にさっきの
スイスに行くので看護婦としてついてきてくださいと
全く同じだろうなという気がします。
究極的には裏切られる恐怖感というものから
自分を隔絶するための一つの手段としてこれを考える。
誰でも考えつきますよね、これに関しては。
その時にもちろん葛藤があるんですが、何が一番嫌かって。
僕のこれは推測ですけど、そしてステフスキーとか書いてくれるはずもなく
フロイトすら書いてくれてはいないんだけど
返答対応刺激されたくないんだと思うんですよね。
裏切られるっていうトラウマにせよなんですよ。
裏切られるっていうのはまさにありとあらゆる意味での恐れの
ある意味根源かなとも思うんですけれども
例えば繊細な人っていう方が時々話題にするのは
上司が指図をすると。
あれ何がいけないかってやっぱり裏切りだと思うんですよ。
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例えば自分がやるということになっている業務じゃないものをやれというと
そういう今の契約が大事な時代に
そういう関係ない業務を自分に振るというのは
自分がこういう器用はそうだから甘く見られているとか
いう話なんですよね。
これはその前に私が入った会社では
そういうことは起きないはずだという期待があったと思うんですね。
それに対する裏切りなんですよね、これは。
裏切りに非常に敏感なので
裏切られたという時の返答対応の反応がでかいんだと思うんです。
もちろんそういうことに警戒してますからね。
警戒してるからこそ看護婦がいるんですよ。
その看護婦さんは身の回りの世話とか
病気の世話をすればいいってだけじゃないんですよ、絶対に。
多分スタッフ浪費は知りませんが
対外の人が言いたいことは対外交渉をしてほしいんですよね。
こいつは裏切りそうなやつか、気の許せるようなやつか
ドアの前でどなたですかって最初に出てほしいんですよ、その人に。
で、いい人なら入れるし、悪い人ならうまく蹴散らすと
それを自分がするというのが非常に自信がないんだと思うんですよね、この種のケースでは。
で、一番いいのは、でも生身の人間じゃないじゃないですか。
だって生身の人間の看護婦さんをそこに立たせたら
そっちの男の人がいいとか言って行っちゃったり
内通したりするかもしれない、内通古いな。
だからアレクサがいいわけですよ。
あるいはアンドロイド型の女性がいいわけですよ。
その方が絶対的に信頼がおけますよね。
欲求持ってませんから。
そういう話が、だからジゾイド人間というところに描き出されていて
つまり対人関係の煩わしさと言われているものって
究極的には裏になれることによって
偏頭体を刺激するなということなんだと自分は思うんです。
その話をこうやって無理やりですね、
悪霊の話と繋げてみたりしたのは
悪霊の話を出すとなるとウッドファイブスとどう繋げようみたいな
そういうことに悩んじゃうところがあるんだということもあります。
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