00:01
みなさん、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、ちょっと調べたんですけど、週末に、最後ギリギリだったんですけど、
白根の、新潟市南区ですね。
南区の白根というところにある、白根大凧歴史の館ですね。
白根というのは多古で有名なところなんですけど、
そこの記念館の中で、多古の展示じゃなくてですね、
昔あった伝鉄というですね、についてのお話を、お話じゃねえや、写真展をですね、
この間ちょっと見てきたので、ちょっとその話をしたいと思います。
このテーマですね、実はこのところちょっと、
今年3年生のうちの私のところのゼミの学生が、苦しみながら調べているテーマで、
彼らがやっているところは、実はツバメじゃなくて、白根のことをやっていまして、
その話はどこかでしたと思います、一度ですね。
で、白根という町にとっての伝鉄というのは、今もう鉄道がなくてですね、車とバスですよね。
というので、新潟市内の中で南区というのは、非常に交通の便がですね、あまり良くない場所の一つなんですよね。
なんですけど、でもそこも元々は伝鉄が走ってましたっていう話から、ちょっとそれを調べ始めて、
その前には伝鉄の前には蒸気船があってとかですね、そこら辺に迫っていこうとしているんですが、
なかなか、もう伝鉄が廃止になってもう20年経ちますので、なかなか、
伝鉄はまだなんとかなるにしても、その前の蒸気船の時代とかになるとほとんどもうね、
あまり資料が見つからないとか言って苦戦しているみたいですね。
で、伝鉄の方もですね、白根というよりは、実は白根じゃなくて、
味方とかタコ合戦をやる白根の反対側、白手の相手っていうかね、ライバルの方ですよね。
そっち側に駅があったとかですね、いろんなことが分かってきて、
だから白根の人にとっての鉄道の存在っていうのは、利用はしてたんでしょうけど、
03:05
地元の駅だったかというとそういうわけでもないのかな。
そういう話をいろいろやっているところです。
今回はですね、それは全然ノーマークだったんですけど、実はいつからかな。
9月の終わりぐらいから1週間ぐらいだったと思いますけど、
1週間か2週間かね、伝鉄ロマン、何だっけな。
伝鉄ロマンなんとかかんとかっていうですね。
要するに新潟交通電車線という、いわゆる伝鉄が走っていた時代の写真をですね、
展示するイベントをやっているということが分かって、
今日で終わりだというのが分かってですね、ギリギリいつだっけ、3日の日ですか。
3日の日飛び込みでちょっと見てきたということです。
もう終わってますけどね、無料でした。
内容は、要するに伝鉄が走っていた時代の沿線の風景を撮影した写真を展示していまして、
一般的な展示の内容と、それと同時に写真家の人、笹毛たけしさんという、もう亡くなっていますが、
この伝鉄の写真を撮っていた方の写真と、2種類展示されていました。
はい、おはようございます。コメントありがとうございます。
伝鉄、笹毛さんの写真もどっちも素晴らしかったというかですね、
伝鉄のあるものがもう亡くなってから新潟に来た私から見れば、
あ、なるほど、だから昭和というのか平成というのかですね、
かつて自分の子供の頃、あるいは自分がまだ若かった頃にですね、
自分はその風景を知らないんだけど、
新潟の街の中では人々の生活の中に伝鉄というのはこういう風に使われていたんだなというのがいろいろ見える。
現代に連なるところがいろいろ見える写真があって、
伝鉄で学校に通っている若者の写真とかね。
その辺もやっぱり80年代、90年代だからこそ撮れた写真という感じのものも結構ありましたけどね。
というのが写っていましたし、
一番印象的だったのは廃止直前の写真で青山のあたりの鉄橋を渡る伝鉄線の写真というのが結構印象的で、
06:01
今も残っている川沿いのマンションを背景に、その背景に伝鉄線が走っているというところで、
現代ともうなくなってしまった鉄道というのがそこでギリギリ繋がっているという感じでしたね。
伝鉄線は99年になくなっているんですが、
その前に93年の段階で、どこまでだったかな、途中まで廃止になっているんですよね。
白根のあたりは最後まで残るんですけど、
93年の段階で一番最後の、今背景に入れているつばめのあたりのところまではもう行かなくなるんですね。
正確なところはちょっと記憶していないんですが、
93年に一部廃止になって、最後なくなっていくんです。
ウィキペディア確認ですけど、
93年に月型からつばめというのがなくなり、
その前に92年に白山から東関谷というところも休止になり、
だから新潟側が92年になくなって、そのあとつばめ側が93年になくなってということで、
その端っこを取っちゃうといいのかどうかなんですよね。
新潟側が中途半端なところで終わってしまうと、
道路の拡張とかの関係なんですかね。
というようなことが起こっています。
今回気がついたのは、17回の配信の時に1回喋っているということをさっき確認しましたが、
つばめに行った時に産業資料館で、つばめが賑わっていた時のジオラマみたいなのを見てきました。
17回いつだったかな。今年ですけど1回喋っているんですよ。
この野兵衛ラジオで1回喋っていまして、
その17回の時のやつを聞いてみると、この話出てきていないんですよ。
つまりどういうことかというと、つばめ産業資料館のジオラマというのは、
何を展示しているかというと、つばめ駅はこんなに朝賑わっていましたと。
つばめが良いというのもあってというような話だったんですね。
09:04
私はその時の話の中では、今の八彦線の本数とかを見ると、
八彦さんというもう一本今走っている電車があるんですけど、
八彦線の本数を見るとこんなにつばめが良いというのがあったなんていうのは、
覚醒の勘ですねみたいなことを言っているんですが、
その時この電鉄のことに気がついていないんですよね。
だから電鉄が走っていた時代、つまり93年までですね、
この間はつばめ白根を通って新潟までというところが、
白山前か、そこまであったわけですね鉄道ね。
ではどこからつばめに通っていたかというのは別にしてですね、
つばめというのは実は八彦線と電鉄線が接続していた場所であると。
よく見ればわかるんですけど、私は気づいていませんで、
ああそうかと。つまりそのジオラマの風景と、
それからこの白根の展示されているものの写真の構図が一緒、
たぶんこの写真を使って作ったんだろうなという写真があったんですよ。
ちょっと今ここに載せてないですけどあったんですね。
だからつばめに人がいっぱい行ってにぎわっていた、
つばめ行きがにぎわっていた時代というのは、
それなんだなとですね。
で、なので、そしてそこで電鉄も通っていて、
要するにターミナル駅ですね。
つばめ行きがターミナル駅だったという時に人がいっぱいいて、
そしてそこで鎌飯のような名物が生まれていたと。
つばめの人からしたらいやそんなの常識だということかもしれませんが、
すいません、もう全然後から来た。
ニューカマーの私としては新しい情報を今更辿っているという感じなんですけど。
というのでちょっと画展が行きましたという話です。
今回展示の中では、今回の笹上さんの写真というのも素晴らしかったし、
それ以外の写真も素晴らしかったですが、
たぶん主要に関わっているのはかぼちゃ電車保存会というね。
電鉄線の、それちょっとその後学生と話をしてちょっとわからなかったですけどね。
電鉄線というのとかぼちゃ電車というのは、
たぶん電鉄線を走っている電車の中で、
皆さんの印象に強く残っているのがかぼちゃ模様というか、
かぼちゃ模様じゃないかぼちゃ色ですね。
12:01
かぼちゃ色の車両だということであって、
全部がかぼちゃだったわけじゃない。
わからないです。私もわからないで喋ってるんですけど。
わからないんですけど、そのかぼちゃ電車、
みんなに人気になったかぼちゃ電車というのを保存している人たちというのがいまして、
かぼちゃ電車保存会というのが活動されていて、
その展示もありました。
つきがたという、これももう駅としてはなくなって、
かつてのつきがた村ですね。
現在は、つばめ市にあります。
つばめ市、ごめんなさい。つきがたはあれですね。
つばめ市じゃないや。つきがた村はあれですね。
新潟市南区の中に入ってますね。
ということですね。
そこのつきがたにかぼちゃ電車が保存されていまして、
それを見ることができます。
その保存活動を一生懸命やっているということと、
まだ今あるんですかね。
かぼちゃ電車に対する思い入れがあるので、
新潟市内を走っているバスの中で、
かぼちゃ電車に色に塗装されたバスというのも走っていて、
かぼちゃバスと言っている。
あのかぼちゃバスが電車の色だということをみんなわかって見てるんですかね。
そういう意味なんだって誰かに言われたような気がするんですが、
あれそうですよね。電車と同じデザインのものを電鉄のときと同じ色のものを新潟交通がラッピングバスというか、
そういうふうにして走らせているということですよね。
というわけで今日は、
つばめ市の新潟交通電車線の展示を白根に見に行って、
あまり白根の話はしなかったですね。
どっちかというと、つばめ駅の話をいたしました。
今日も一日元気にお過ごしください。