1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol. 241 山本五十六の兄、高..
2023-10-21 16:18

Vol. 241 山本五十六の兄、高野譲と北海道


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サマリー

高野ゆずるさんは、かばと囚事官であり、月型監獄の監督です。彼は月型村の地雷別への移住に積極的に取り組んでいます。

00:40
はい、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日は10月21日土曜日です。
今日は久しぶりに配信をすることになって、少し設定をミスったりして、今ようやく始められたんですけど、
最後放送したのが9月の何日だったかな。20日過ぎて、1ヶ月ほど間が空いてしまいました。
授業をやってたっていうのもあるんだけど、最初の講師を設定するのに、話を何にしてとかってやってる準備をしようかなっていううちに時間が無くなっちゃってるんですけど、
あんま何もなくても、とりあえずやるっていうふうにしようかなというふうには思ってるんですけど。
今日は山本五十六の兄、高野譲という人の話をしようと思います。
夏に北海道に行ったときに、越後村のことを、越後村っていう愛別市の野っぽろとかですね、その辺のあたりで新潟の人たちがまとまって移住していった場所があるっていう話は何回か話をしていて、
その話をですね、今回も学生と一緒に取材に行ったっていう話を多分1回帰ってきて話していたと思います。
昨日またちょっと追加の取材で新潟でまたお話を伺って、またいろいろ新潟側から見た風景っていうのも分かってきました。
北海道に行ったときに、越後村の集落にも行ったんですけど、そのときに越別市の博物館というか資料館というところに行って、
ほんのちょっとだけ越別の歴史の中で、北越植民者が果たした役割みたいなのが少し展示されてるところを学生と見に行ったんですけど、
その展示を見に行ったときに、月形町、月形村、ごめんちょっと今自治体で言うと何になるんですかね。月形町ですね。
かばと群月形町っていう私も行ったことないんですが、そこにあるかばと囚事館の跡ですね、博物館になっているところのポスターが貼ってあって、ここ行きたいなと思ったんですけど、
今回のテーマは越後村の取材とはあんまり関係ないかなと思って、実は行きませんでした。
昨日話を聞いて、その話がつながって行けばよかったなというふうに後から思ったんですが、どういうところかというと、月形町っていうところにかばと囚事館という監獄があって、
この監獄が明治時代に作られるんですが、ここには多くの政治犯が本州から連れてきて収容されていたということと、
政治犯の人たちを労働力として使って、北海道の中心部の空地あたりのインフラ整備、とりわけ道路整備を行っていた。
そして過酷な労働環境の中で政治犯を含めた囚人たちは倒れていったという、多くの犠牲の上に北海道の道路ができているんだみたいな話がよく出てくるんですよね。
俗に鍵括弧囚人道路というふうに言ったりするんですけど、ここをやってたのがかばと囚事館というところで、いうのが中心的な役割を果たしたと。
ここら辺までは勉強したことがあったんですが、昨日ちょっと北越植民者のことを話をしていたら、どうも月型に北越植民者の移住地というのがもう一個あって、
エベツの他にも月型にも移住していたということがわかりました。
タイミングはよくわからないんですけど、ちょっと帰ってきて調べてみたら、月型町のウェブページが言っているところですが、先にこの月型村のチライオツというところに入っていったというふうな書き方を月型町の方ではしています。
前後関係はよくわからないですけどね。
エベツの方では先にエチゴ沼と言われるところに最初に入っていって、その後数年後にまた新しい入植地をノッポロで見つけたというような話になっているんですけど、
前後はわからないですが、エベツだけじゃなくて月型にも移住地があったというような話が出てきました。
おそらく月型にまとまった土地があるということがわかって、これを払い下げてもらうか何かして、やったのではないかなというふうに思われます。
その中で一つキーパーソンで出てくるのが高野ゆずるさんという人なんですよね。
高野ゆずるさんという名前はほとんど知られていないと思いますが、この人は山本一卒のお兄さんです。
ということがわかりました。
高野家というのは長岡藩の藩士の家ですよね。
高野家から山本一卒さんは山本家の養子になるということなんですが、山本家は多分長岡藩の家老職なので、山本家の方が位は上なんですが、高野家も長岡藩士の家柄ということになりますよね。
高野さんの家から山本一卒は山本家に養子に行きますが、もともとは高野家の一番下の子供、一卒というのはお父さんが56歳だったって話ですよね。
なので、だいぶ後から生まれた子供なんですが、たぶんその一番上のお兄さんが高野ゆずるということになる。
高野ゆずるさんの役割
高野ゆずるさんはかばと囚事官ですね。月型の監獄に勤めていたということがわかっていて、
そしてなおかつ月型監獄の監督、月型監督は最初の天国というんですけど、刑務所の署長ですよね。
署長の名前から月型っていうのは来ているはずなんですけど、この月型さんの右腕なのか左腕なのか、幹部だった方だったようなことが月型庁の記述には書かれています。
月型囚事官の話は赤い人という吉村明さんの小説に詳しく書かれていて、非常に過酷な環境で、
もちろん働くことになった受刑者たちの苦難というのは本当に凄まじく、十分な防寒対策が取られないまま労働に駆り出されて、
多くの人たちが糖症になったり病気になったりして倒れていくというようなことが出てくるんですけど、同時に厳しい環境の中で、
百戦錬磨の囚人たちを監視する監修たちも非常に厳しい環境の中で働いていたというような話も書かれていて、みんなが大変だったということですよね。
高野ゆずるさんがどうしてここで働くようになったのかというのはちょっとよくわかりませんが、一般的に言えば長岡藩が防寝戦争で敗れた側ですので、
職を探していく中で、そこに志願してたどり着いたというようなことではないかなと思いますが、詳しいことはよくわかってないですよね。
なので、月型の監獄に入ってくる人は政治犯なのに対して、政治犯として月型に置かれた人というのもおそらくは元私族という人が多いでしょうし、
高野ゆずるさんのような監獄で働く人たちの中にも防寝戦争の負け組の中から才能を見出されて、しかし上は殺虫のような人たちが勝ち組の人が勤めながら下で働いているというような立場だったんじゃないかなと。
だから監視する側も働かせる側も同じように不遇な境遇の人たちが北海道に集っていたというようなことじゃないかなと思うんですけど。
そういうことなんですが、先ほど言っていた月型庁のページで高野ゆずるさんのことを紹介されているのを見ると、高野さんは、
保育園中組者が月型村の地雷別に移住することについても力を尽くしたというような記述がなされています。
なので何らか役割を果たした可能性がある。もちろん吉村明さんの本を読むと、結局付近のインフラを整備していって人を住ませていこうとか、
あるいは監獄だけを置いておくというのはサステナブルではないので、今の言葉で言うと。だからそういう意味では周りに人を住ませていくというようなこともやっていったんじゃないかなと思うんですけど、
そういうことの一環かもしれないんですよね。そういう土地の払い下げをしたのではないかというふうにも思いますが、詳しいことはもうちょっと調べてみないとわかりません。
高野さんの家のこの境遇の中で56歳で生まれた山本一六が山本家の養子となり、その後海軍大学校に進み、海軍の軍人として出世していくと。
というのもまた、負け組の長岡藩の中から身を立てていくということの中で海軍軍人の道を選んでいくということも、たぶん何らかつながってくる話かなというふうにも思います。
というのを昨日お話を伺いました。高野一六さんのことももうちょっと調べてみようかなと思っています。この間ちょっと高野家じゃなくて山本一六の記念館みたいなのを長岡で見に行きましたけど、
その時にたまたま高野さん家のこともいろいろ見て、長岡市民というか長岡の人の山本一六愛みたいなことをすごい感じましたけどね、というようなお話でした。
というわけでちょっと久しぶりに少しお話をしてみました。なるべくコンスタントに、ネタがない日も新潟日報の記事とか見ながら少し話しするとかしてもいいんじゃないかなとは思っております。
今日はここまでにしたいと思います。ありがとうございました。
16:18

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