00:05
寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて、
無事、 低音だけ声を取り戻しました。
前回は鴨の長明、 佐藤春男役の
包状記、これの前半を読んでまいりました。 5つの天才に見舞われて無常を歌い上げた、
その後、今回後編からは一人生活を楽しみ、 仏教徒としてその自分を見つめていくみたいなところを、今回読んでいこうと思います。
それでは参ります。 現代語訳包状記後編。 私は父方の祖母の家族を次いで、
その家屋敷をも受け継いでそこに住むために、 祖母の長く住んでいた土地に長くいたのであるが、家族のものに
先立たれたり、 いろんな不幸が落ち続いてあったために、すっかり私は元気を失ってしまい、
ついにはそこに住んでいると、いろんな過ぎ去った不幸を思い出すので、 嫌になってとうとうその土地を見捨てる決心をしてしまった。
そして自分はもう俗世では決して満足が得られないので、 これをも捨ててしまって、
人の来ないところに小さい居居を作って住むことに定めたのである。 その時私はちょうど30歳であった。
この居居は、 祖母から受け継いだ家と比較すればその10分の1くらいのもので、まごとに小さいものであった。
それでもその中に自分の今だけは作ることができたのであるが、 住処と名付けるだけの部屋を作ることはできなかった。
ささやかな間書きを作ったけれども、これを飾るところの立派やかな門は作ることができなかった。
竹を柱にして車を入れるところを作っていた。 がこの居居は少し風が強く吹きでもすると吹き飛ばされはしまいかと
心配になり、 またその上に雪でも荒れ狂ったならば、
03:00
いつ押しつぶされてしまうかわからないというようなまごとにもって危険千万な建物なのである。 その上に河原の近くに位置しているために洪水が出たとすればひとたまりもなく、
押し流されてしまう危険があり、 あまりに人里離れた土地上に盗賊の心配また大変なものである。
こうして俗世を離れてきても、いろいろな心配は常に耐えるものではないのである。 心配事や苦しいことばかりが世の中には多くて、少しも落ち着いて暮らすこともできず、
まごとに住み難い世の中だ。 嫌な世の中だと何だと不平を言いながらも、
私はすでにもう30年という長い間、この苦しい辛い世の中に耐え忍びながらも住んできたのである。 そしてその間にあったいろいろな出来事や嬉しいことよりも悲しいことの多かったこと、
思いがけない災難に遭ったこと、 失敗したこと等によってしみじみと自分の運命の情けないことを悟ることができた。
それでもまだまだ全く世を捨てることはできなかったのであるが、 ついに50歳の春には全く家を捨て、苦しい世を捨て、
全くの遁性を決心してそれを実行したのである。 もとより私は孤独の身で、妻や子はないのであるから、
そうした家族の愛に悲化されるということは全然ないのだから、 そういったことには全然悩まされることもなかった。
また好意好感や尊い感触や たくさんの宝球等というものにも全然用事のない意味であるのだから、何一つとして属性に引き付けられるようなものもなく、
大変に楽に世を捨てることができたのである。 こうして全く遁性の生活を人里離れた大原山の雪深いところに送るようになってから、
もう長い間の時が経ち、 何回かの春秋を繰り返したわけである。
もう弱いも60近くなり、 あともう嫁行くばくもない時になってから、一つの新しい住まいを作って済んだことがあった。
ちょうどこれはついに行き暮れた旅人がやっとの思いで、 一世の宿りの場所を見つけてほっとしたようなものであり、
またこれは年老いたカイコがマイを作って籠るようなもので、 誠に儚いものではあるが、何か心楽しいものではあるのである。
この新しい住処は以前に作って住んでいたものに比べれば、 その百分の一にも及びもつかない小さいものではあった。
06:09
こういうふうにだんだんと年を取っていくにつれて、 自分の住処までがだんだんと狭くなっていく。
なんだかいかにも自分の運命そのもののように思われて寂しい。 現在自分の住処はどんなものであるかというと、
世間に普通一般に住処と言われているものと比較すれば、 それはもう住処ということさえできないような茶地なものである。
がこれで自分一人が住むには誠に相応していて、 心持ちの良い住処であることには間違いはないのである。
広さはわずかに一畳四方という小さなもので、 高さもそれに相当して七尺に満たないものなのである。
一体私はどこに住まなくてはならないという考えは全然ないのであるから、 ここがいいとかあそこがいいとかなんてことは少しも考えないで、
ただ気の向くままにどこへでも土台を組み屋根を組んで、 板と板との継ぎ目には掛金をかけるのみでいたって粗末なものではあるが、
それだけはいつでも気の向くところに至って簡単に建てられるという便利があるのである。 だから建ててしまってからでもそこに何か気の向かないことでもあれば、
すぐに壊してしまって他の場所に移っていくのである。 他の場所へ移るにしても少しの費用しかいらないのである。
せいぜい車が二両ばかりあれば結構なので、 この車の借賃さえ支払えば労力は自分でできるのだから、
至ってやすやすと引っ越しもできるのである。 現在日野山の荘庵を建ててから後に、
その荘庵の東側に粗末ながらも三尺余りの日差しを取り付けて日よけにして、 その下で芝を折ったりするのに楽なようにした。
南には竹の沿岸を越しらえたり、 北に寄った方に障子を隔てて阿弥陀様の映像を安置して、
その側に不幻様の像を掛け、その前に保家経を置いた。 西の端には物を置くのに便利なように赤棚を作ったりして、
いろいろと住居らしい設備をして行った。 自分の寝床には東の端にわらびの穂を取ってきて、敷いて置いた。
西南の方には竹の釣り棚を作った。 それは真っ黒な川の籠三つばかりを置くためであり、
09:00
その籠の中には幾冊かの和歌の書物や音楽の書物、 または王城揚州等の抜き書きしたものが入っている。
これはすれずれなる尾に読み勝つ慰めにするためでもある。 その側には織琴と継ぎ際と名付けてある琴と琵琶等を一針ずつ立てかけて置いた。
成仏のごときものが現在の私の住まいである。 住処の周囲の景色はどんなものかというと、
南の方には石で作ってある水をひくための掛け置けが作ってある。 毎日の必要な品である薪はすぐ近所に森があるので、少しも苦労することもなく集めて
くることができるのである。 すぐ側には戸山という山があるが、
この山への道には真崎一良が一面に生い茂っていて、 全くその道を埋めてしまって登るのには少し困難を感じるようである。
谷間には薄草たる草木が茂っているので少し暗さを感じるほどではあるが、 虹の方はカラリと打ち開けているので、
西側にあると言われている浄土のことや、 仏様のことをそちらの方を向きながら木葬するには誠に良い場所である。
春は藤の花が谷間に一面に咲いて、 紫の雲がたなびいているようで全くうっとりするような景色が西の方に見られるのである。
夏が来ればホトトギスがしきりとあの哀切な声で泣き、 昔の人の言ったように死での旅路の道案内をすると言われているこの鳥の鳴き声は、
なんだか自分が死んだ時には必ず道案内をして極楽王女をさせてやると約束しているように聞かれて、 誠に嬉しく感じるのである。
秋はヒグラシが山一面に泣き出して、私にその悲しげな声を聞かせてくれる。 その声は私にこの世の儚い運命に対する悲歌を聞かせてくれるような気がして、なんだか物悲しく、
物思いに沈ませるのである。 冬になると全山雪に覆われてしまう時が時々あって、
しみじみと雪の山の美しさを味合わせてくれるのである。 また降った雪がだんだんと消えていってなくなってしまったり、
また降って積もったりするのを眺めていると、人間の罪悪というものもちょうどこの雪のように積もっては、 仏様の大きな御心によって清めてなくなったり、
また罪を犯してまた清められたりする有様を思い出さずにはいられないのである。 毎日毎日仏様にお念仏を申しているのであるが、どうしてもそれが億劫になり、
12:14
また仏様への度胸が大義で仕様のない時には自分から怠けてみたり、 お念仏も度胸もしない時さえあるのだが、そうしたといったところでここには誰もいないのだから、
怠けたことを恥ずかしいと思うような友もいないものだから、つい怠けてしまうのである。 こうした人里離れた山の中にたった一人で暮らしているのだから、自然に無言の行をしなければならないのだし、
また自分から必ずしも仏のお忌ましめを守ろうと努めている戒ではないのだが、 こんな山の中では仏様の戒律を破るような誘惑は全くないのであるから、自然と戒律を守ることになってしまうのである。
何も聖人君子になろうとしているのではないけれども、 話す相手とてもないこんなところでは自然と無言の行をなすことになり、 また自然と仏様の道を行うようになってしまうのであって、何も自分からの助力でこうなったのでは決してないのである。
あまりに退屈で仕方のないときには、丘の谷のあたりを通る船を眺めては、 船の後に残る泡の消えたり現れたりするのを見て、人間の運命の儚さを考えたりすることもある。
また、 個人の満車見が行ったところの風流を真似て歌を読んでみたりするのである。
また、夕べともなって夕風がかつらの木にあたってさやさやと木の騒ぐときには、 陣陽光の夕景色を思ったりするのである。
ときには、 かつらダイナゴンを真似て秋風という曲を琵琶で弾いたりすると、
松風の音がこれにまるで和するように聞こえてくるのである。 流船という曲を弾くと谷間を流れる水の音がこれに和するかのように聞こえてくるのである。
私の琵琶をはずる技能は決して上手であるとは言えないのであるが、 誰のために弾くということもなく、ただ自分で弾いていることを楽しみ、
山の孤独の寂しさを慰められればそれで結構なのである。 荘安から少し行った山のふもとに一つの小さな小屋があって、そこには山番の人が住んでいるのである。
そこには一人の子供がいて、 その子供がときに私の琵琶を尋ねてきて、私と話し合うのである。
15:06
まあ私の琵琶のただ一人の客人と言ってもいいのである。 話すことも別段になく、
それかといってなすこともないときにはこの子供を友として、 その辺の山を招養するのである。
その子供は実際で、私は六十の坂を越している年寄りではあるが、 年こそ違っているけれども、二人で山を歩いてお互いを楽しむということには少しも差し支えはなく、
まったくいい友達同士なのである。 あるときには山を歩きながら草花をとったり岩梨をとったりするのである。
またときにはぬかごを拾ったり、せりを摘んだりするときもあるのである。 そんなことにも飽きたときには山陸まで行って他にあるところの落ち葉を拾って、
ほぐみを作ったりするのである。 またあまりにお天気のいい名古屋がの日には峰に登ってみて、遠く
ふるさとの空を眺めたり、小綿山、伏見の里、戸場、 厚樫等の辺を見渡したりするのである。
こうした景色の優れた山々は、誰といってこれを占有する人がいないので、 心いっぱいに楽しむには何の騒りもないので、まことに心楽しいことである。
心が穏やかであって少しも歩き疲れるということのないときには遠くへ行くこともあるのである。
そんなときには墨山を越えて風取りを過ぎて行って岩間の神社に参景をして、 石山にもお参りをすることになっているのである。
もう少し遠くの方にある阿波津の原に行って、 イニシエのセミマルの棲んだと言われている
カリヤの廃墟を訪ねてセミマルの霊を慰めたり、 田中神川の彼方にあるところのサルマルダユーの墓所にお参りすることなどもあるのである。
こうした遠出の帰りには季節季節に従って、 春は桜の花の小枝を折り返り、秋は楓の一枝を折り返る。
または一束の用紙を、人籠の好みを取って帰って仏様にお供え申したり、 また自らの食料にしたりするのである。
月の美しくさえ渡った夜には月光を美しく差す窓辺に寄って、 昔お互いに付き合った古い友達のことを思い出しながら、
悲しげに月に叫ぶ猿の鳴き声を聞いたりすると、 思わずも涙の目に浮かぶことさえもある。
18:02
草むらにいる蛍の火はまるで牧島のかがり火ではないかと思われるばかりに、 たくさん谷間に輝いていて私の淋しい心を慰めてくれるし、
また明け方の眠りを覚ます暁の周囲は、 なんだか木の葉を吹き散らす嵐のように思われたりするので、
なんだかもの淋しくその音に聞き入るのである。
ほろほろと鳴く野の鳥の鳴き声を聞くにつけても、 今の一生は父の声ではなかったか、
それとも母の声ではなかったかと疑ってみたりして、 昔、父母のいます頃の生活を懐かしく思い出してみたりするのである。
こんなに山深く住んでいると、同じく山深くに住む鹿などが、 慣れ慣れしくいよりの近くまでやってくるのを見ても、
自分がどれだけ属性から遠く離れて暮らしているかということを示されたように思われて、
なんかしら寂しいような感も抱かれたりすることもある。 60余りの老朽に入ってみると、夜の眠れないことが時々にあるのだが、
そうした時の唯一の楽しみは炭火をかき起こして、 これに温まるのが何よりである。
こうした時には炭火でも大切な友達になってくれるものなのである。 別に恐ろしいことがあるというほどに山奥でもないのであるけれども、
陰気なフクロウの鳴き声を聞いたりすると、なんだか心寂しく、 哀れさをしみじみと感じさせられて、感に絶えぬこともないではない。
このように山の中の景物は、春夏秋冬それぞれに面白みのあるものを与えてくれて、 なかなかに尽きるものではない。
まして私たちよりも内勢の深く、 知覚の鋭い人々であったならば、
私の感じたもの以外にもまだまだ面白みのあるものを発見して、 これを楽しむことができたであろうけれども、
私のようなものでは異常のようなものにしか楽しみを見出すこともできず、 なんだか身を哀れに思うのである。
私がこうやって山の中に入って住むようになってから、はや5年の月日が経ってしまった。 月日の経つにつれてよりも所々の破れ損じているし、
野木下には落ち葉が深く積もっているし、 そしてその葉は朽ちるに任せてあるのだ。
また苔が床の上にいっぱいに生えるようにさえなった。 都からの時々の風の頼りに、尊い身分の人たちの多くが亡くなられたということを聞くことがあるのだが、
21:04
それと同じように身分の癒やしい人々もたくさんに死んでいることであろうと思われる。 多くの住処がたびたびの火災のために焼け失せたという話を聞くのであるが、
この癒やしい自分の住処だけは、火災にも合わずまことに平和なものである。 どのように狭いものであったところで、夜の寝床はあるのだし、
昼の初見をしたりするところもちゃんとあるのだから、 自分自身が住む上には何ら不便も不足も感じないのである。
宿狩りが小さい貝の中に住むのもきっと自分の身の程をわきまえてのことで、 宿狩りには小さい貝が相応した住処なのである。
またミサゴが人を恐れるのあまりに、波の荒い海岸にいて人々を近づけないのである。
宿狩りやミサゴのように自分は自分なりの小さい住処に住み、 そして世の中の儚さ、自分の運命の哀れを知って世を離れてこうした山の中に住み、
富も求めず、喰らいも求めずに、まして俗世間と交際あるようなこともなく、 ミサゴや宿狩りが自分自身だけの平安を楽しむように、
ただ一人で何の不安もなく暮らしているのである。 すべて世の中の人々が家を建てる目的はほとんど自分自身のためでは決してなく、
親のためだとか妻子のためだとか、他の家族のために建てるというが普通である。 または他人への身へのために建てたり、主君や師匠のために建てたりするものである。
財産や宝物を入れるために建てたりすることもあって、 決して自分だけのために建てるということはないものなのである。
ところが現在の私の建物は純粋に私自身のために建てたものである。 人のために建てるといったところで私にはすでに良心はないのだし、
妻や子供すらもないことだし、また一緒に住むような友達もなく、 使用人も置いてないのだし、
全然今の境遇では家を建ててやるような人はいないのであるから、 結局自分自身のために建てることになったのである。
現在の世の中においては人の友達になるためにはまず何よりもお金持ちでなければならず、 そしてその人に慣れ親しむということでなければならず、
必ずしも情に深くて素直であるということは必要とされないのであるから、 このような軽薄な友達付き合いをするくらいならば、
それよりも山の中にいて自然を友とし、 音楽を友としてその日その日を暮らすのがどれだけに良いことか知れやしないのである。
24:11
また人の使用人になろうとするような人々はまず給料の多いことを望み、 何でもお金になるところへのみ行きたがっている始末で、
可愛がって情けをかけてやって養ってやっていても、 給料が少なかったりすると決してそこには使われていることは承知しない有様なのである。
これでは人を使ってかえって苦しまなくてはならないのである。 そこで使用人を使わずに自分自身を使用人にするのが一番良いことなのである。
多少はそうすれば厄介なこともあるけれども、 人を使って苦しむよりはどれだけ良いかも知れないのである。
歩かなければならないことがあれば自分の足で歩くことにするのである。 そうすれば多少は苦しいことであるが、
義車や馬車に乗って気を使うよりはどれだけ楽であるか知れないのである。 私の身は二つの使用人を兼ねているのである。
一つは手でこれは召使いの用をしてくれるのだし、一つは足でこれは乗り物の役をしてくれて、 どちらも私を十分に満足させてくれるのである。
こうしたために自分の体が苦しくなってきたら使うのを止めて十分に休ませて、 また丈夫になったら使うということをしているから決して無理をするということはないのである。
だるくなって歩くのも仕事をするのも気が向かない時でも何も気にやむことはないのである。 まして毎日働いたり歩いたりすることはこの上ない身の養生となることなのである。
だからどうしても何もしないで怠けているというわけにはいかないのである。 歩いたり自分の身の回りのことを他人の手を借りるということは明らかに一つの罪悪でならなければならないのである。
衣食のことについても同じことが言えると思うのである。 富士の頃も朝の薬といったようなもので切るものは十分に間に合うのであって、
それ以上のものは不要なものなのである。 また延べにあるツバナや峰にあるイワナシの実などを取って食べていれば、 それで十分に生きていけるのであって、それ以上はまた不要なものなのである。
他の人々とは全然交際しないのであるから、どんなに貧しいみなりをしていたところで、 誰も何とも言うものでもないのだし、
また食物の至って乏しい山の中であるのだから、 どんなに貧しいものでもおいしく食べられるのである。
27:07
こうして今の自分の生活を変えてみるのは、 何も他の留める人々にこうした暮らしをせよと言って教訓するのではなく、
ただ自分がまだ属性を捨てずに属性に住んでいた時の生活と今の生活とを比較するために変えてみたまでのことなのである。
この世の中というものは、心の持ち方一つで苦しい世の中にもなり、楽しい世の中にもなるものである。
精神がもし安心立命の境地に立っていなかったならば、どれだけお金があり、 立派な住処に住んでいても、それは何もならないのであって、
やはり苦しい暮らしをしなければならないのである。 今自分はこうして寂しい山の中へ来て、
ただ一間しかないところの狭い家に住んでいるけれども、 精神は誠に平安で、
毎日毎日を非常に楽しく暮らしているのである。 その上にこのように粗末な住処だけれども、私はこの住処をこの上もなく愛しているのである。
たまたま都の方に出て卓発をするのであるが、 その時には自分がこんな小敷坊主になったことを恥ずかしいと思うことがあるのだけれども、
この小さな自分の住処に帰ってみると、 俗世の人々が浮世の妙利にのみ執着して暮らしているのを考えてみると、
それらの人々が哀れにさえなってくるのである。 が、私がこんなことを言えば人々は、
お前は夢のようなことを言うと言うかもしれないが、 しかし魚や鳥の生活を深く考えてみるといいのである。
魚は一生水の中に暮らして少しも水に飽きることがない。 また鳥はその一生を林の中で送ることを願っているのである。
この鳥の気持ちや魚の気持ちは、魚自身、鳥自身でなくては知ることができないのである。 私もそのように山の中で世を離れてただ一人、
住んでいるこの心持ちは、本当にそうした生活をやってみなくてはわかるものではないのである。 山の中の環境の楽しさ、
寂しさ等には俗世では味わうことのできない深い味わいのあるものであって、 本当に実践した人でなくてはこの味はわかるものではない。
この味は高位高下に昇るよりも、お金持ちになることよりも、 数等増しで私には良いことであり、楽しいことなのである。
さて、私の一生ももう嫁へ行く幕もなくして、死での旅路に出なくてはならないのであるが、 もう現在では何も今更に嘆くことも悲しむこともないのである。
30:11
仏様の身教えは何事に対しても執着心を持つなとあるのだが、 今こうして心静かに楽しく住み得るこの山の中の相安を、
愛することさえ一つの執着心の現れで罪悪なのである。 私は仏様の世界から見れば何ら価値のない楽しみをごたごたと並べ立てて、
無駄な時を過ごしたものである。 もの静かな夜明け方にこうした真理を考え続けていき、
自分の心持ちを深く反省してみると、 自分がこうして浮世を離れて山の中へ入った最初の目的は何だったかといえば、
それは仏様の道に精進しようとしてやったことなのであるが、 それにもかかわらず自分の生活というものを考えてみると、
外見は聖人のようではあるが、その心持ちはまだまだ聖人には遠く及びもつかないもので、 全く俗人のごとくに濁ったものなのである。
私の住処は、昔のゆいま古寺の宝錠の暗室を真似て建てたのであるが、 自分の行いや信仰の上においては一番
露鈍だったと言われている仏弟子の手裏販毒のものにすら劣っているのではないか。 そしてこの原因は、あまりも貧しい苦しみをしたので、そのためにあまりに苦しんだから、
思うように修行ができなかったのであろうか、 または煩悩があまりにも強かったがために心が狂ったのであったか、
などと自分がどうして悟り入りできなかったのかと自問自答しても、 何ら答えも与えられなかった。
それでただ講説の力を借りて、ナムアミラブツト二三度、 仏の皆を唱えてその加護をお祈りするまでである。
時に兼暦二年三月三日頃。 そう、蓮院が富山の居寄りでこれを書き記したものである。
2015年発行。 岩波書店。岩波現代文庫。 現代語訳。法上記。より読み終わりです。
なんか仏教パート少なかったですね。 なんかもっと、
もっと自分を見つめて仏教仏教してるのかと悟りというか空の話とかたくさん出てくるのかなと思ったら意外と出てこなかったですね。
はい。 ということで未だに喉がガラガラです。
長いなぁ今回の風邪は。 あのお詫びとしてあげた今週お休みしますのパートを削除すべきか否かを悩んでいますが。
33:10
ありのまま残しておけばいいか。
はい。といったところで今日のおところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。