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2024-09-05 37:21

061坂口安吾「精神病覚え書」

061坂口安吾「精神病覚え書」

鬱病を患っていたことがあるそうです。その退院翌日の文章。これだけ書ければ大したもんだと思います。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
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さて、今日はですね、 坂口安吾さんの
精神病覚え書というテキストを読みます。
入院してたみたいです。 退院した翌日、結びの最後に、文章の結びに
退院の翌日と書いてありましたので、 入院してたっぽいですね。
ただまぁこの人文章の絶報を鋭く、その 動作の角度もかなり鋭いので、
何をどう患って入院したかわかりませんが、 そんな自身の病状、あるいは病院内の風景とかを切り取って書いてくれていると思います。
ちょっとね、精神病はね、最近言わない言葉ですけど、 昔なので、
こういう物言いになってるんでしょうな。 それでは参ります。精神病覚え書。
1ヶ月余りの睡眠治療が終わって、どうやら食欲も出、 歩行もいくらが可能になった頃、
まだ戸外の散歩は無理であるから、 医者のふりをしてちょっと外来を見せてもらった。
幸い僕の担当が外来庁のセンタニさんであったから、 運を言わさず僕が勝手に乗り込んだようなものであった。
他の精神病院のことは知らないが、東大に関する限り、 ここが精神病院の何より良いところである。
お医者さん、看護婦、つきそい。 全て患者の神経を苛立たせないようにこれ努め、これを
僭越に注意を払ってくれる。 神経界外の病棟は決してこう行き届くはずはないだろうと思った。
だから僕は他の病気で入院する時でも神経科へ入院して、 その専門の病室へ通うのが何よりだと思ったほどである。
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僕が外来で診官の診察を見た時、患者は20人ぐらいであった。 そのうち7、8人は学童であったが、
これはちょうど時期が休暇にあたっていたせいだという話であった。 学童の親たちは言い合わせたように
引き付けという言葉を使い、転換という言葉を用いた者は完全に一人もいなかった。
この引き付けの学童たちはいずれも知能劣等であった。 ドストエフスキーの片鱗などは加減もなく、
ほとんど大部分が知能劣等なのが普通だということであった。 センタニさんや若いお医者さんの話ではパウロが転換ではないかということであり、
バイブルに現れるパウロの表現に転換の要素が見られるということであったが、 マホメットが転換らしいということは普通言われていることであり、
狂信的世界は確かに幻想の実在的確信を伴い、 宗教家に転換患者がかなりいるのではないかと思われる節はある。
僕が退院する2日前、 小林秀夫が見舞いに来てくれて、
ゴッホは分裂病ではなく転換じゃないのかと言い出した。 一般に精神病のお医者さん方がゴッホを分裂病だというのは、
ヤスパースなどを読んでその通り思い込んでおられるだけで、 小林秀夫のようにゴッホに関するほとんどあらゆる文献を読んでいるわけではない。
小林秀夫は十何年間の間、ドストエフスキーについてほとんどあらゆる文献を調べ、 今はまたゴッホ研究をやり出しているのであるが、
図らずもドストエフスキーとゴッホの発病時の表現に著しい類似のあることを見出したよしであった。 この2人の芸術家はいずれも自らの発作について主旗を残しているのであるが、
まず発病の時期に宗教的な三昧教を見る。 小林はルリジアスなんとかと言った。
僕らは酒を飲んで話を交わしていたので細かいことは忘れてしまったが、 このルリジアスなんとかという表現が2人の主旗に同じ言葉が用いられているので、
小林はゴッホも転換じゃないかと疑いだしているのである。 これだけの類似でゴッホも転換だと速断するのは元より不当であり、
だいたい分裂病の症状は多種多様で無限の方があり得るからなおさらわからない。 しかし分裂病の方が多種多様だということについては、つまり精神病学がまだ幼稚であり、
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多くの方をひとまとめに分裂病と呼んで済ましているだけのことではないかと思われる節が多い。
事実、精神については医者のみならず、分子も哲学者もその実態に確たるものを知り得ていないではないか。 小林秀夫はフロイドの方法が東大において使用されているかどうかを聞き、
使用していないという僕の返事にちょっと意外な顔をした。 僕自身発病して入院するまでフロイドの方法をかなり高く評価していた。
しかし入院してのちは、突如としてフロイドの方法はダメだという唐突な確信を抱いた。 だいたい分裂病が精神意識によるかどうかは疑わしいが、僕の場合は鬱病であり、
それにアドルム、 催眠薬中毒の加わったものである。
分裂病に比べれば鬱病にはまだしも潜在意識の作用は確かにある。 何かが抑圧されていることが病状を悪化させる一つの理由となっていることは確かである。
鬱病で入院してたんですね。 東大で鬱病を治療するには主として持続睡眠療法であり、
他に電気療法なども用いるらしい。 分裂病にはエンシュリン、電気あるいは脳手術である。
僕の受けた治療は持続睡眠療法であった。 これはある種の催眠薬によって人工的に1ヶ月ほど昏睡させるものである。
この昏睡の期間に患者は食事を取り、 用便をし、時に医者と話を交わし、
僕の場合は本や新聞を片目をつぶりながら 読んでいたりしたよしであるが、
それらのことは全く覚醒後は記憶に残っていない。 1ヶ月眠って目覚めた時、一晩眠ったとしか思わない。
初めは1ヶ月の日時の過ぎていることが どうしても信じられないものである。
この傾向は治療としての持続睡眠にのみあるものではなく、 催眠薬の中毒病状がすべてそうで、
入院直前、僕がアドルムを多量に用いて、 昏睡を求めた時にもふと覚醒して、
一夜ちょっと眠った自覚しかないのに1週間が過ぎており、 どうしても信じられないことが3度ほどあった。
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持続睡眠療法もアドルム中毒の場合もそうであるが、 半覚醒時に鼻裸しくエロになった。
すべての患者がそうかどうか僕は知らない。 しかし害してそうなるのが自然だろうと思われるのは、
何人も性欲については抑圧しつつあるものであり、 また催眠薬が、
これらの抑圧を解放するというよりも、性欲の神経に何らかの刺激を及ぼすものだと思われる。 フロイド的な抑圧の解放を意味するものではなく、
薬物にそれらの悪作用が付随しているだけのことでなければ、 ない方がよろしいであろう。
この悪作用を伴わない催眠薬が発明できれば、大変よろしいように僕は思った。 東大で持続睡眠に用いるズルフォナールという催眠薬は、
半覚醒時にエロチックになるけれども、粗暴にはならない。 ところがアドルムという催眠薬は、これを多量に連用した後の半覚醒時に鼻裸しく凶暴になるのである。
アドルム中毒患者は日本の学会にはまだ報告されておらず、 僕が第一号であったと千谷さんの話であったが、
僕が入院して1ヶ月半ほどに第二号が現れた。 これは28歳の婦人で、
おまけに僕の倍量100錠ずつ連用したというのだから無茶である。 この患者も鼻裸しく凶暴性を表したということであった。
僕自身の場合から推して、アドルムという催眠薬は用法によく注意しなければならない。 定量の1錠、せいぜい2錠を限度にしてそれ以上は決して持ち入れない方がよろしい。
アドルムは何か地底へ引き込むように睡眠へ引き込むが、 僕の場合は1時間、長くて1時間半で目が覚めた。
また服用する。また1時間で目覚める。また服用する。 こうして次第に中毒してしまったのだが、
何分僕は無理に仕事をするために覚醒剤を多量に用いざるを得なかった。 それだけまた眠るためには多量の催眠薬を用いざるを得なかったこととなり、
要するに生活が不自然でありすぎたのである。 アドルム中毒は甚だしい現状ともない、
歩行が不可能となり、極めて不快であり苦痛なものであるから、 こういうことにならないように注意すべきだと思う。
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そんなことを言いながら私は2ヶ月のうちに、 某雑誌社と手を切るために56万円の借金を支払うため、書いて書きまくる必要に迫られており、
どうも2、3ヶ月後にまた精神病院へ逆戻りせざるを得ないのではないかという不安にも襲われている。
僕はしかし、それを克服するだけの意志力を持たなければならないということを信じており、 必ず戦い勝つ、
勝たねばならぬとも信じているのである。 多分僕は勝つだろう。
話が脇道へ逸れてしまったが、 僕が東大へ入院し、僕の受ける療法が持続催眠といって1ヶ月昏睡させるものだと聞いたときに、
僕が思い出したのはフロイドであった。 つまり、昏睡させておいて医者が暗示を与え、
抑圧された意識を解放しようとするのではないかと疑ったのである。 それはダメだ、ダメです。
僕は幻聴だらけの眠れない夜、心に叫び続けていた。
僕は精神の最も衰弱し、最も不安定の時期であるゆえに、 フロイドの方法が両方として実は不可能だということを悟ったのである。
つまり、最も精神の衰弱し不安定となっている僕は、何の暗示を受ける必要もなく、 あらゆる抑圧がほとんど不可能になりつつあり、そして抑圧が不可能になりつつあるということが、僕を最も苦しめ、病状を悪化させているのであった。
つまり患者としての僕が、その時最も欲しているものはただ一つ、抑圧。 それに他ならなかったのだ。
抑圧を解放してはならないのだ。 あらゆる抑圧を解放すれば、人間がどうなるか分かりきっている。
色と欲、ただ動物。 それだけに決まっているのだ。
フロイドの方法は理論的に公正に巧みであるが、 あそこから決して実際の治療は出てこない。
僕個人の場合であるが、患者としての僕が通説に欲しているものは、 ただ単に健全なる精神などという漠然たるものではなく、自我の理想的な公正ということであった。
だいたい健全なる精神とは何のことだろう。どこに目安があるのだろう。 ある限度の問題かもしれないが、そんな限度は患者としての僕にとって問題ではなかった。
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僕はその時思った。精神病の原因の一つは、抑圧された意識などのためよりも、 むしろ多く自我の理想的な公正、
その激烈な記念に対する現実のアンバランスから起こるのではないかと。 僕が回復後、精神病者を観察していた結論も害してそうであった。
僕が外来患者の診察を見学したとき、10人くらいは分裂病であったが、 どうです?驚いたでしょう?というセンタニーさんに答える僕の言葉は、
「いいえ。」ということだけであった。
一人の患者を除いて、あとは極めてありふれた僕の見慣れた人たちであった。 僕らのような分子家業をしていると、ほとんど毎日のように見知らぬ青年が訪ねてくる。
それらの何分の一かは明らかに現在分裂病と言われているものであり、 東大神経科の外来室にいる患者と異なるところがなかったのである。
退座したまま30分も喋らずにいて、どうしても喋る言葉が浮かびませんと、 肖然と帰っていく青年。
履歴書や身分証明書のような色々のものを取り揃えてやってきて就職を頼み、 紹介状を書いてやり、宛先の雑誌社に電話をかけて置いてやるのに姿を見せず、
1ヶ月ほど過ぎてまた肖然と現れて、 どうしてもいけなかった心境を述べて重ねて同じ紹介を依頼し、
そういうことが綿々と重複する青年。 原稿を読んでくれと送ってよこし、その翌日には恥ずかしいから焼却してくれと電報をよこし、
またその翌日にはあれは確かに傑作だったから読んでくれと電報をよこし、 その翌日にはやっぱり焼いてくれと電報をよこし、
こういうことが10日間も続く青年。 手の指を5本切るから1本について1万円ずつ金をくれなどと、こういう文学青年の訪れは多かった。
どの作家も経験があるに相違ない。 僕が東大神経科の外来で見た10人ほどの患者は、
僕の応接間へ現れても不思議ではない人たちが種であった。 分子の応接間と精神病院の外来室とは似たようなところだと僕は思った。
いっそ応接間の隣へ電気治療室でも作ったら、僕のためにも便利だろうと苦笑したほどであった。 そして僕は思った。
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僕の応接間でもそうであるが、精神病院の外来室においても、 患者たちが悩んでいる真実のものは潜在意識によってではなく、むしろ激しい記念と反対の現実のチグハグにある、
と見るのが正しいのだということを、 彼らは自分の悩んでいるものを知っているのである。
ただ人に言わないだけだ。 そして人に縋ったところでどうにもならないということを悟り、
そういうところから遠心的になり、やがて神経が消耗してしまう。 僕の応接間と精神病院の外来室との違うところは、
外来室においては彼らは自らの意思ではなく、他の人々に勧められてきており、 したがって医者に対しては外部的なことだけしか語らないが、
僕の応接間では彼らは自らの意思によってきており、 主として内部的なことを語ろうと努力していることの相違である。
だから彼らは特技場の内製については普通人よりも考えあぐね、 発作の時期でなければむしろ行い正しく、
慎んでいるのが普通であり、精神病院の看護婦などが患者に親切で、 その仕事に愛着を持つようになるのも、
患者らの本性の正直さやつつましさが自然にそうさせるのではないかと思った。 一般に犯罪者と精神鑑定とは、
はなるべからざるように見られているが、転換の場合とか異常発作の場合とかはとにかくとして、 例えば小平の場合などは、これを精神異常というのは奇妙であり、
明らかに犯罪者という別の定義があるべきではないかと思った。 小平事件というのがあったようですよ。その犯人のことを言っているみたいです。
一般に精神病の患者は、自らにかするに酷であり、 むしろ過度に欲発的であって、小平のような平凡さ、
動物的な当然さはないものである。 精神病者が最も多く戦っているのは、むしろ自らの動物性に対してであり、
僕が小平を精神異常ではなく、むしろ平凡であり、 単に犯罪者であると定義する由縁はここにあるのである。
精神病院の患者は自らにかするに酷であり、 むしろ一般人よりも犯罪に縁が遠いと僕は思った。
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精神病というものは、家庭とか就職先とか、 それらの摩擦がなければ生じないもので、
また自らにかする戒律がなければ生じないものである。 だから責任ある地位につき、自らにかする現なる社会人は、
おおむね精神病者と断定してよろしく。 小平のようなものがむしろ普通人の形態に禁じしているのである。
僕が見た外来患者のうちで、僕の応接まで見かけることのない唯一のタイプの患者は、 47の女であった。
服装から判断して農家の主婦であったかもしれない。 彼女は膝と足を紐と手ぬぐい用のもので
2カ所縛られ、 その夫と思われる者、
またもう一人の肉親の一人と思われる青年の二人に抱えられて外来室へ運び込まれてきた。 彼女は原子を見ているのである。
右に天皇が見え、左に観音が見え、 彼女はただ拝み続けているだけで、医者の問いに返答せず、
返答するのは夫と思われる男であり、 その度に彼女は怒って夫を手で振り払うようにした。
こういう患者は僕の応接前現れたことはないが、 世間にはかなり多いに相違なく、
こういう患者をめぐって、ある種の宗教が発生しているに相違ない。 それらの教祖は別として、その神徒は何者なのだろう。
何者でもなく人間なのだろうか。 一体精神病者とは何者であるか。
僕のいた東大神経科は重症者を置かない。 置く設備がないからである。
廊下の出入口の一箇所に鍵がかかるだけで、 個々の病室には鍵がかかっていない。
窓に鉄の格子がはまって脱出は不可能であるが、 窓は普通の洋室の位置にあり、
凶暴な患者は他の部屋へ乱入することもできるし、 窓ガラスを割ることもできる。
僕の置いた部屋は永久戦犯の王子が発病直後送られた部屋で、 発病直後は凶暴で、このガラス部屋は噴霧であったから松沢へ送られたそうである。
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東大の外来室ではセンタニさんの見分けによって、 重症であり凶暴であると判断せられた者は松沢へ送られる習慣であり、
したがって僕の病棟では脳梅毒患者を除いてひどい患者はいなかった。 分裂病は20歳前後に発病し、
周期的に繰り返して昆通することがまずないので、 入院患者も3度目の入院とか6度目とかいうフルツアー者が多い。
しかし分裂病は知能を侵されることがないから、 仕事に従事して才能ある限り、単に変わり者と世間に目せられているだけで、
終生精神病院の厄介になることはなく、 世を過ごす人々が多くあるに相違ない。
転換も今ではそれを一生欠かさず服用し続けていれば、 発作を起こさずに済む薬があるそうである。
ひどいのは脳梅毒だ。これは知能を侵される。 つまり治法状態となる。
肉体の条件が良ければマラリア療法で食い止めることができるが、 僕のいた時、病棟の廊下をうろついていた
40ぐらいの女の脳梅毒患者は、 もう肉体力がなくてマラリア療法を施えず、
仕方なしにペニシリンを打ったり、人工栄養などでようやく生きて、 治法状態で廊下をうろついている始末であった。
こういう患者は結局、凶死する以外に仕方がないということであった。 問題は分裂病であり、また鬱病、相鬱病などの患者である。
僕のいた病棟は重症者がいないのだから、病状について僕はよく知らないし、 特に僕は一人だけの別室にいたから、廊下や便所ですれ違う以外に、
他の患者とは特別の接触がなかった。 僕の幻聴と絶望の苦痛に満ちた初病当時、
先谷さんが診察に来てくださって、すぐ入院させたいが、 あいにく一人の部屋が塞がっており、
今すぐ入院することのできるのは5人の合部屋だという話であった。 その時僕は精神病者というものを凶暴なものだと幻想しており、
何より僕自身歩行も不可能で、 防御や抵抗の手段が失われているのだから、5人の合宿ということに病的な恐怖を抱いた。
27:00
その時石川淳が見前に駆けつけてくれて、 あい部屋だっていいじゃないか。ただ眠るのだから他人の存在は問題ではない。
1時間1分でも早く入院しろ。 昔吉原に割部屋というものもあったし、汽車の寝台も割部屋みたいなものであり、
同じ部屋で寝ている奴が殺人犯だか強盗だか検討がつかなかったはずだが、 それを恐れたこともなかったし、問題が起こったということもない。
割部屋だと思えば何でもないさ。 と慰め進めてくれた。
今割部屋がなくなったし、割部屋があったら、 いつ洋服など身ぐるみ盗んでドローンされるか検討もつかず、
それだけ世間が平和じゃないんだと石川淳が、 彼らしい実会によって世相を概談していたのを妙にはっきり記憶している。
ところが東大の神経科へ乗り付けたら妙な偶然で、 まだ退院には間があると思われていた患者が退院し、
僕は一人だけの部屋へ入院することができた。 衰え果てた僕はその時ひどく安心したが、
治療が終わって健康を取り戻してのちは、 むしろ5人の愛部屋へ入院しなかったことを残念だと思った。
僕は彼らの生態を細かく観察する条件を失ってしまったのである。 しかし廊下や洗面所や便所で、
競争に満ちており無礼であり、センスを失いガサツな人々は、 むしろおおむね突き沿い立ちであり、
患者は静かで慎んでいるのが普通であった。 僕の入院が知れ渡ると、新聞記者が写真版同版で十何組も乗り付けて、
センタニさんは撃退するに手こずられたよしであった。 すると僕が麻薬中毒だという説が飛び、警視庁の3人の麻薬係が現れ、
センタニさんはカルテを見せて説得するのに2時間もかかったとこぼしておられた。 すると今度は僕が精神病院の3階から飛び降り自殺をしたというデマで、
また十何組という写真版同版の新聞記者に病院が大迷惑をかけられたが、 その時某新聞の記事に曰く、
病院側が僕と記者との面接を拒否したことから次第にデマが生じたと書いていた。 こういう記事を書く社会部記者の教養を疑わざるを得ない。
精神病患者の発病当時の苦痛というものは、他人と面会などのできる性質のものではないのである。 数日間食事を取ることもできず、
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歩行も不可能であり、第一、喋ることもできない。 現状と絶望に苦しむばかりで、ともすれば発作的に自殺するか、人を殺すか、
誠に際どい神経の極度の不安定な状態である。 この状態では、特に親密な人々によってはともかく慰められ、力づけられ、
反対に面識なく行為を持たない人間に対しては、面会は不可能であり、 あえば何をやるかわからず病状を悪化させるばかりである。
医者が厳しく新聞記者の面会を拒否したのは当然であり、 そのことについて認識のない新聞記者の教養は、機会という以外に言葉がない。
僕はこういう新聞記者の在り方、また新聞の在り方の方が定期を一視、 精神病的ではないが犯罪的なのだと判断せざるを得ない。
つまり古代ら的なのである。 そして挙句は戦争的なのである。
精神病者というものはこんなに無礼であったり、動物的であったりはしないものである。 そして先ほども言う通り、自らの動物性と最も戦い。
あらゆるは戦い敗れた者が精神病者であるかもしれないが、 自らに課する戒律と他人に対する尊敬を持つ者が、
精神病者の一特質であることは忘れるべきではない。 昨年、提議院容疑者の平沢氏が東京へ連行されたとき、
新聞は容疑者に過ぎないものを発表したのは不特義であると言って当局を責めた。 しかしもし刑事署がこれを極秘裏に行い、
ひそかに平沢氏を小樽から東京へ連行した場合、 これを新聞記者が探知したならば、特種として全紙面を埋めるぐらいに書き立てたはずである。
現に平沢氏の前に水戸の坊氏がひそかに取り調べを受けているとき、 これを書き立てたのは新聞であり、当局は秘密にしていたのである。
発表すれば不特義なりと言い、しかも自らはひそかにスクープして発表し、 それを独特としている。
自ら背徳を行いつつ、それを他人にのみ責めて内政することを知らない。 精神病者にはこういう内政の無さ、
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他人への無礼に対して自ら責めることを忘れている者はいない。
だからもし精神病患者が異常なものであるとすれば、 精神病院の外の世界というものは機械なものであり、
精神病的ではないが犯罪的なものなのである。 精神病者は自らの動物と戦い敗れた敗山者であるかもしれないが、
一般人は自らの動物と戦い争うことを忘れ、 天として内政なく、動物の上に安住している人々である。
小林秀夫も言っていたが、ゴッホの方がよほど健全であり、 精神病院の外の世界がよほど機械なのではないか、と。
これはゴッホ自身の説であるそうだ。 僕もまたそう思う。
精神病院の外側の世界は背徳的犯罪的であり、機械戦犯である。 人間はいかにより良く、より正しく行かなければいけないものであるか。
そういう最も激しい疑念は精神病院の中にあるようである。 もしくはより良く、より正しく生きようとする人々は精神病的であり、
そうでない人々は精神病的ではないが犯罪者的なのである。 隊員の翌日。
1998年発行 筑波処方坂口安吾全集07より読み終わりです。
うつ病だったんですね。 の割にたくさんかけてて偉いですね。
偉いって言うとあれですけど。
社会はなんか 大人になっていろいろ分かってくることがあり
見えてくるものもあり 多分見えなくなったこともあるんですけど
大人たちが集団で作ったルールも
従わなければいけないルールも
なんかそれに従わされ続けていくうちに心が壊れていくみたいなことは多分あると思うん ですよね
なんか真面目な人ほど心が壊れやすいんじゃないかなとも思うんですけどまぁそんなに 器用はなくてもねなんか
なんとか なるんじゃないみたいなふうに思うんですけどいかがですかね
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なんか ちょっと
だーるい話になりますが 資本主義の社会に生まれてより多くより上手に
より稼げるよりうまくみたいなもっともっともはもはもは&も&も&もはの世界に生まれ て世界というか国に生まれて落ちてしまって
そのルールを研ぎ澄ましていくと苦しいってことはあると思うんですけどまぁここらへん じゃないみたいな
まあやることはやったよみたいな 特診をするとこで手を打つって言うんですかね
こんなもんでしょみたいなのが ほっとできると
心が休まるんじゃないかなというところで そろそろ
お茶を飲んだらよろしいんじゃないでしょうか
どうでしょうかね
この辺この辺の話は話すと長くなりそうだな
まあ寝落ちをしていればここまで行くことはないんですよいいですか はいということで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう
おやすみなさい
37:21

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