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2024-08-22 16:35

057夢野久作「探偵小説の正体」

057夢野久作「探偵小説の正体」

探偵小説を書く人がその正体について語ってくれています。犯人はホテルのコックだ!今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼などは、公式エックスまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて、今日は
夢野久作さんの 探偵小説の正体
を読もうかと思います。 夢野久作さん
陸軍将尉・禅宗等を経た後、大正15年 綾香市のつづみで小説家デビュー。
代表作ドグラマグラは日本探偵小説3大記書に数えられ、 本書を読破した者は必ず一度は精神に異常をきたすと言われているそうです。
そんな夢野久作さんが 捉えた探偵小説の正体
ってのは何なんですかね。僕も今回 さらっとも読まずに
いきますので、どんな結末になるのやら楽しみですね。 それでは参ります。探偵小説の正体
探偵小説はジフテリアの血性に似ている。 ジフテリアの血性をジフテリア患者に注射すると素敵に効く。
百発百中と言っていいくらい恐ろしい効果をもって ジフテリアの病原体をやっつけてしまうらしい。
それでいてジフテリアの病原体はまだ発見されていない。 近代医学の威力をもってしても正体がつかめないでいる。
つまり薬の方が先に発見されているのに病気の正体の方が判明しないので 裁判が確定しているのに犯人が捕まらないみたいな格好に
なっている。 一種のナンセンスといえば言える状態である。
探偵小説の正体も同様である。 探偵小説を欲求する真理の正体をつかむことそのことがすでに一つのこの上もない
ナンセンスでありユーモアであり冒険であり怪奇であり神秘であり何かみたいである。
探偵小説の正体を探偵するとはこれいかにである。 事実、探偵小説の興味の本体がどこにあるかを探り出すことはなかなか容易でないらしい。
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探偵小説と張り紙をした古屑カゴの蓋を取ってみると、 怪奇、冒険、ユーモア、ナンセンス、変態真理といったような読み物の妖怪変化が
うじゃうじゃと押し合いへし合いながらすくっている。 その中から探偵小説らしい奴を一匹引っ張り出そうとすると
ちょっと見たところ全然別物に見える他の化け物連中が その探偵小説の胴体に背中や尻ペタ同士でシャム兄弟のように繋がり合って
ギャーギャー悲鳴を上げながら絡み合って出てくるからびっくりさせられてしまう。 探偵小説の横っ腹から足だけを2本にゅーと出してバタバタやっている冒険小説。
探偵小説のお尻の穴から片手を突き出しておいでおいでをしている変態真理。 肩の横っちょに頭を並べている怪奇小説。
お尻だけ共通し合っているユーモア小説。 コブになって額にかじりついているナンセンス小説。
探偵小説の体の隅々に毛のように創生しているエログロ小説といったような塩梅で結局 探偵小説と名づくる動物はメスで解剖できない超科学的なものになってしまう。
ある人は探偵小説の魅力を謎々の魅力と同一のものだという。 それはそうかもしれない。
探偵小説は18世紀の松場。 フランスはパリに居住する勇敢婦人が当時の社交界に横行するスパイ連中の秘密戦術に興味をかられて、
暇つぶしに創作し始めたものに方がしているという。 だからできるだけ筋を入り組ませて、できるだけ読者の感化を潰せるように競争して書いたのが
始まりだという説明を聞くと、 なるほどそんなものかと思えないこともない。
しかしそれからのち、探偵小説が台を重ねて発達してきたのであろう。 筋の極めて簡単明瞭なものでもゾッとさせられたり、あっと言わせられたりするものが出てきた。
トリックらしいトリックが一つもなくとも、 探偵小説は成立するようになってきたから、必ずしも探偵小説即謎々とは言い切れなくなってきたわけである。
少なくとも我々がいわゆる探偵小説のあるものの中に感じ得る魅力の中には、 謎々以外のたくさんのものがあることは否定できない。
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何度読んでも面白い探偵小説だの。最初から犯人を明示してある探偵小説を、 探偵小説でないと断言するのは少々乱暴ではあるまいか。
ある人は探偵小説を一つの精神的な砂欠だと説明している。 我々がこの血も涙もない資本万能の優異物科学的社会組織の中で芋を洗うように、
もしくは洗われるように押し合いへし合い小づき合い、 ぶつかり合って生活していく間に感じたあらゆる非良心的な闘争、
生存競争そのものが生む清掃たる罪悪感、 残忍な勝利感や骨に食い入る劣敗感など、
そんな毒悪な興奮に鬱血硬化させられ続けている我々の精神の循環系統のある一箇所、
探偵小説というメスで切り破って骨血を射出し、毒気を包散しようとしているのだ。 血圧を下げて安眠しようとしているのだ。
書く方もそんな気で書き、読む方もそんな気で読んでいるのだ。 そこからほとばしる血が黒ければ黒いほど気持ちが良くて、
毒々しければ毒々しいほど愉快なのだ。 だから探偵小説の読者は皆善人なのだ。
だから普通の小説が愛情の小説なら、 探偵小説は良心の小説なのだ。
良心の戦慄を書くのが探偵小説の使命なのだという説もある。 これも一応最もな気がする。
多文に共鳴もできるようであるが、しかし探偵小説の定義がそうと決まれば、 ストーリーと謎々だけで成立している
いわゆる本格の探偵小説は飯が食えないみたいなものになるはずである。 ところが本格の探偵小説は決して冷やがりなんかする気色はない。
新聞の3面記事が読める人なら、必ず本格の探偵小説を理解し得ると考えてもいいくらいの大衆的な指示を受けつつ、
堂々と門を張っていきつつある。 本格以外の探偵小説は探偵小説にあらず、
エロ小説、グロ小説、ナンセンス小説と名乗って、 この魅力ある探偵の虹を宣称することを遠慮すべきものなり、
とかなんとか大見を切られても、 大きな声で返事する者がいないくらい素晴らしい勢いである。
だからこの定義はいわゆる偏覚の探偵小説には当てはまるが、 本格の謎々専門のそれには当てはまらないらしい。
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なあに、探偵小説ってのは大人のおとぎ話に過ぎないんだよ。 大人は探偵小説を読んで、おかかの関心、
おびびのびっくり世界に逃避したがっているんだよ。 良心とか義理とか忍者とか生活の苦しみとかいうものには、
毎日毎日飽き飽きするくらい触れているんだから、 そんなものにもう一度しみじみと触れさせる普通の小説なんか、
御免こうむりたいのだ。 そんなものを超越した痛快な、ものすごい素晴らしい世界へ連れて行ってもらいたがっているんだ。
ただし、子供はビックリ太郎でも野良黒五丁でも容易に吊り込まれるんだが、 大人はそうはいかない。
だから科学とか実社会の機構とか専門の知識とかの中でも最新最英の驚異的なやつを、 背景もしくは材料として関心世界やびっくり世界を組み立てなければならない。
そこから探偵小説のすべてが生まれてくるのだ。 そしてそれ以外にも以上にも探偵小説の使命はないのだ。
ルパンでもホームズでも要するに大人のミッキーマウスであり、 デコボコ黒兵衛に他ならないんだよ。
そいつが人の欲しがる拒慢の富、人の惜しがる命、 もしくは最も人の興奮する国際問題などに対して行われた感悪を向こうに回して、
超人的な活躍をするんだから大人が喜ぶはずだよ。 怪奇、変態、冒険、ユーモアなんていういろいろな要素が、
探偵小説の中に取り入れられているのは単に大人を子供のおとき話と同等に びっくりさせる彩りに他ならないんだよ。
うんうん、と。 なるほど、そう言われてみるとそんな気にもなってくる。
大人はおとき話を用えない。 哀れな動物だから、子供がおとき話を聞いて眠りたがるように、 大人は一日の残りの時間を探偵小説とともに寝床の中で惜しみたがるのであろう。
しかしそれだけではやはりなんだかまだ説明が足りないような気がする。
以上挙げたようないろいろな定義を一つにひっくるめて、 もっともっと深刻に掘り下げたようなものが、
探偵小説の魅力の正体でなければならないような気がするようである。 今までにいろいろな形式の探偵小説が、書かれては飽きられ、
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工夫し出されては行き詰まってきた。 書いていく小説家の方ではもういけない。
行き詰まった、行き詰まったと悲鳴を上げている向きがあるようであるが、 しかしそれは各方の側だけの話ではあるまいか。
読者側の方ではまだ飽きても行き詰まってもいないようである。 もっともっと強い深い新しい刺激を求めている自分自身の恐ろしい真理の欲求を、
その日その日の生活の感激にはっきりと感じつつ、 飢え渇いたような気持ちで本屋の店先をうろうろしているのではあるまいか。
その恐ろしい真理の欲求とは何であろうか。 さあわからない。
現にそういう筆者自身が、いつもそんな気持ちで本屋の店先をうろうろキョロキョロする 組みであるが、
さて自分自身に、お前は何を探しているのだと反省してみると、 どうしてもわからない。
たまたま面白そうな本を引っ張り出して中を2、3行読むと、 すぐにチェッと下打ちして元の本棚に押し込んでしまうのがあるが、
何がお前をそうさせているのかと自分の頭に反問しても、 返事は一つも浮かみ上がらない。
そのくせ恐ろしく焦ってジリジリしていることは確かだ。 これぞと思う本があればポケットを空にしてもかまわないぐらい捨て身の決心をしていることだけは確かである。
だが何を求めているんだと言われても返事ができないから困る。 自劣体といってこれくらい自劣体話はなかろう。
これがわかれば一躍世界一の流行作家になれるかもしれないんだが。 人文の発達に伴う読み物の種類の分派を探求し、
総合したところから機能して、 探偵小説がいかなる社会真理の繁栄を象徴しているものであるかを、
はっきりと決めてくれる人はいないか知らん。 現代人が探偵小説の将来、いかなるものを要求しているかを鮮やかに支持してくれる大非評家はいないか知らん。
本屋の店頭に立っていろいろと本を漁っている人の頭を見破って、 帰ってすぐにその欲求通りのものを書くというわけにはいかないものか知らん。
いやいや一流の流行作家はみなそれができるのに違いない。 そうしてわざと黙っているのに違いない。
大人が子供に真実を教えないように。 ああ自劣体。
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1992年発行 筑波書房筑波文庫
ゆめの旧作全集11より読み終わりです。 短かったですね。
あの三浦潤さんがどこがで言ってたんですけど、 ラジオで言ってたのかなぁ。
古本屋さんでね探偵小説というか推理ものを買って表紙を開けたら
犯人はホテルのコックだって書いてあるっていう本を見つけて、 もうネタバレじゃないですか。
で読み進めていくと違うらしいんですよ。 ホテルのコックじゃないらしいんですよ。そもそもホテルが出てこないっていう話をしてましたね。
なんか面白くて笑っちゃいました。 中立小説。
あんまり読まないかなぁ。 登場人物が多いとちょっと
覚えてらんないんだよなぁ。いちいち映像を脳内に立ち上げて顔を作りやしないけど。
登場人物がねカタカナとかあったりするととんと読めなくなってきますね。 あのロシア人の名前とか全然覚えられないなぁ。
皆さんはいかがでしょうか。 と言ったところで、それでは今日はこの辺でまた次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
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