1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 102夏目漱石「坊っちゃん(後..
2025-02-06 1:55:22

102夏目漱石「坊っちゃん(後)」(朗読)

102夏目漱石「坊っちゃん(後)」(朗読)

熱いバディものでした。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


Spotify、Appleポッドキャスト、Amazonミュージックからもお聞きいただけます。フォローしてね


ご意見・ご感想・ご依頼は公式X(旧Twitter)まで。「寝落ちの本」で検索してください。

サマリー

夏目漱石の「坊っちゃん」の後編では、主人公が下宿を引き払って新しい住まいを探し、さまざまな人々との関わりを通じて成長していく様子が描かれています。また、下宿先の家族との交流や教頭、赤シャツとの複雑な人間関係も展開されています。後半では、坊っちゃんが清からの手紙を受け取ることで物語が進展します。彼は手紙の内容を慎重に読み進め、田舎生活や人間関係について考察します。ここでは、主人公が周囲の人々との複雑な関係や学校での状況を描いています。物語は、多様な人物の行動や心理描写を通じて、主人公の内面の葛藤と成長を浮き彫りにしています。また、主人公が教育者としての責任や不正と向き合う姿も描かれ、古賀や赤シャツとのやり取りを通じて、主人公の成長や葛藤が浮き彫りになります。学校での上司との対立や人間関係の葛藤に直面する様子も示されています。登場人物たちの個性的な性格や交流を通じて、世の中の矛盾や人間の心の複雑さが見えてきます。主人公の送別会では、登場人物たちがそれぞれの思いを語り、特に占り君の転任と別れの場面が中心となり、彼に対する複雑な感情が表れます。また、送別会の中で主人公が酒席での騒動や人間関係の葛藤に巻き込まれ、職場の生徒との関係や学校の状況に悩む姿が描かれます。そして、主人公の心情が深く掘り下げられています。このエピソードで朗読される「坊っちゃん」の後半部分では、主人公の感情や東京に関する描写が展開され、彼の心の葛藤や周囲の人々との関係が巧みに表現されます。後半では、学校での喧嘩に巻き込まれ、その騒動が新聞に取り上げられます。主人公は友人の山嵐と共に困難に立ち向かい、教員や同級生との関係に影響を与える様子が描かれています。また、主役が赤シャツの策略を見抜き、新聞の虚偽記事に対する抵抗を試みる場面もあります。校長との対談や仲間との連携を通じて、主人公は知恵比べに挑む一方で、厳しい環境下での決意表明も行います。様々な挑戦に直面しながら成長する主人公の姿が見られ、特に赤シャツとの対決や友人との絆が物語の中心となっています。夏目漱石の「坊っちゃん」の朗読を通じて、物語の深いテーマやキャラクターの描写が展開されています。

00:04
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式エックスまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
それから番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
新しい下宿先の探索
さて、今日は夏目漱石の坊っちゃんの後編です。
11節全体であるうちの1から6を前回読みまして、
今回は7からということですね。おしまいまで読もうと思います。
前回までは松山の中学校に赴任して、
そこで先生方にあだ名をつけて回り、
嫌なやつばっかりだなみたいな。
あと寄宿生からいたずらをされて、
それが生徒ばっかり悪いわけじゃなくて、先生も悪いんじゃないですかみたいなことを教頭が言い出し、
教頭におべっかを使う連中もそれに賛成し、
先生に唯一喧嘩っぽくなってた、
下宿先を紹介してくれた夫だけが、
いやそんなは税度が悪いに決まってるでしょって言い出したみたいなところからですかね。
それでは参ります。坊っちゃん後編。
7
俺は即夜下宿を引き払った。
宿へ帰って荷物をまとめていると、
女房が何か不都合でもございましたか。
お腹の立つことがあるなら言っておくれたら改めますという。
どうも驚く。
世の中にはどうしてこんな容量得ないものばかり揃ってるんだろう。
出てもらいたいんだか、居てもらいたいんだか分かりはしない。
まるでキチガイだ。
こんなものを相手に喧嘩をしたって、
江戸っ子の名残だから車屋を連れてきて、さっさと出てきた。
出たことは出たが、どこへ行くという当てもない。
車屋がどちらへ参りますと言うから、
黙ってついてこい、今にわかると言って、さっさとやってきた。
面倒だから山城へ行こうかとも考えたが、
また出なければならないから、つまり手数だ。
こうして歩いているうちには下宿とか何とか看板のある家を見つけ出すだろう。
そうしたらそこが天位にかなった我が家だということにしよう。
と、ぐるぐる歓声で住みよさそうなところを歩いているうち、
とうとう梶谷町へ出てしまった。
ここは私族屋敷で下宿屋などのある町ではないから、
もっと賑やかな方へ引き返そうかとも思ったが、
ふといいことを考えついた。
俺が敬愛する裏成君はこの町内に住んでいる。
裏成君は土地の人で先祖代々屋敷を控えているくらいだから、
この辺の事情には通じているに相違ない。
あの人を訪ねて聞いたらよさそうな下宿を教えてくれるかもしれない。
幸い一度挨拶に来て勝手は知ってるから、探して歩く面倒はない。
ここだろうといい加減に見当をつけて、ごめんごめんと二遍ばかり言うと、
奥から五十ぐらいな年寄りが古風な私足をつけて出てきた。
俺は若い女も嫌いではないが、年寄りを見ると何だか懐かしい心持ちがする。
大方清が好きだから。
その魂が方々のおばあさんに乗り移るんだろう。
これは大方裏成君のおっかさんだろう。
切り下げの品格のある夫人だが、よく裏成君に似ている。
まあ泡狩りというところ、ちょっとお目にかかりたいからと主人を玄関まで呼び出して、
実はこれこれだが君どこか心当たりありませんかと尋ねてみた。
うななり先生、それはさぞおこまりでございましょうとしばらく考えていたが、
この裏町に萩野といって老人夫婦切りで暮らしている者がある。
いつぜや屋敷を開けておいても無駄だから、確かな人があるなら貸してもいいから修繕してくれと頼んだことがある。
今でも貸すかどうかわからんが、まあ一緒に行って聞いてみましょうと親切に連れて行ってくれた。
その夜から萩野の家の下宿人となった。
人間関係の複雑さ
驚いたのは俺がイカ銀の座敷を引き払うと、
あくる日から入れ違いにのだが平気な顔をして俺の居た部屋を占領したことだ。
さすがの俺もこれには呆れた。
夜中はイカさましばかりでお互いのせっこをしているのかもしれない。
嫌になった。
世間がこんなものなら俺も負けない気で世間並みにしなくちゃやりきれないわけになる。
巾着切りの上前を張れなければ三度の御膳が頂けないとことが決まればこうして生きてるのも考えものだ。
と言ってピンピンした達者な体で首をくぐっちゃ先祖へ住まない上に外文が悪い。
考えると物理学校などへ入って数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、
600円を元手にして牛乳屋でも始めればよかった。
そうすれば貴女も俺のそばを離れずに住むし、俺も遠くから婆さんのことを心配しずに暮らせる。
一緒にいるうちはそうでもなかったが、こうして田舎へ来てみると貴女はやっぱり善人だ。
あんな気立てのいい女は日本中探して歩いたって滅多にはない。
婆さん、俺の立つときに少々風邪をひいていたが今頃はどうしてるか知らん。
せんだっての手紙を見たらさぞ喜んだろう。
それにしてももう返事が来そうなものだが。
俺はこんなことばかり考えて二三日暮らしていた。
気になるから宿の婆さんに東京から手紙は来ませんかと時々尋ねてみるが、聞くたんびに何にも参りませんと気の毒そうな顔をする。
ここの夫婦はイカギンと違って元が種族だけに双方とも上品だ。
爺さんが夜になると変な声を出して歌いを歌うには並行するが、イカギンのようにお茶を入れましょうとむやみに出てこないから大きに楽だ。
婆さんは時々部屋へ来ていろいろな話をする。
どうして奥さんをお連れなさって一緒においで何だのぞなもし、などと質問をする。
奥さんがあるように見えますかね。
かわいそうにこれでもまだ二十四ですぜと言ったら、それでも、
あなた二十四で奥さんが終わりなさるのは当たり前ぞなもしと冒頭を置いて、
どこの誰さんは二十歳でお嫁をもらえたの、
どこの何とかさんは二十二で子供を二人お持ちしたのと、
何でも礼を半ダースばかりあげて反駁を試みたには恐れ入った。
それじゃあ僕も二十四でお嫁をもらえるけで、
世話をしておくれんかなと田舎言葉を真似て頼んでみたら、
おばさん正直に本当かなもしと聞いた。
本当のほんまのって僕は嫁がもらいたくて仕方がないんだ。
そうじゃろうがなもし、若いうちは誰もそんなもんじゃけれ。
この挨拶には痛みって返事ができなかった。
しかし先生はもうお嫁が終わりなさるに決まっとらえ。
私はちゃんともう二十四ぞなもし。
えー、活眼だね。どうして二十四ですか。
どうしてて、東京から頼りはないか頼りはないか出て、
毎日頼りを待ち焦がれておいでるじゃないかもし。
こいつは驚いた。大変な活眼だ。
当たりましたろうがなもし。
そうですね。当たったかもしれませんよ。
しかし今時のお仲は昔とちがうて油断ができんけれ、
お器用をつけたがええぞなもし。
何ですかい?僕の奥さんが東京で真男でもこしらえていますかい?
いえ、あなたの奥さんは確かじゃけれど。
とりあえず安心した。それじゃあ何を気をつけるんですい?
あなたのは確か、あなたのは確かじゃが、
どこに不確かなのがいますかね。
ここらにもだいぶおります。
先生、あの東山のお嬢さんをご存じかなもし?
いえ、知りませんね。
まだご存じないかなもし。
ここらであなた一番の別品さんじゃがなもし。
あまり別品さんじゃけれ、学校の先生方はみんな、
マドンナ、マドンナと言うといでるぞなもし。
まだお聞きんのかなもし。
うん、マドンナですか。僕は芸者の名かと思った。
いえ、あなた。
マドンナと言うと、東人の言葉で別品さんのことじゃろうがなもし。
そうかもしれないね。驚いた。
お方、科学の先生がおつけたなぞなもし。
のだがつけたんですかい?
いえ、あの吉川先生がおつけたのじゃがなもし。
そのマドンナが不確かなんですかい?
そのマドンナさんが不確かなマドンナさんでなもし。
やっかいだね。
あだ名のついてる女には、昔からろくなものはいませんからね。
そうかもしれませんよ。
ほんとにそうじゃなもし。
貴人のお祭じゃの。
妥協のお百じゃのてて。
怖い女がおりましたなもし。
マドンナもその同類なんですかね。
そのマドンナさんがなもし、あなた。
そりゃあの、あなたをここへ世話をしてくれた子が先生なもし。
あの方のところへお嫁に行く約束ができていたのじゃがなもし。
へえ、不思議なもんですね。
あの占り君が。
そんな遠復のある男とは思わなかった。
人は見かけに言わないもんだな。
ちょっと気をつけよう。
ところが去年あそこのお父さんがお亡くなりて、
それまではお金もあるし、銀行の株も持っておいでるし、
一般実行が良かったんじゃが、
それからというものはどういうものか、
急に暮らし向きが思わしくなくなって、
つまり子がさんがあんまりお人が弱すぎるけれ、
お騙されとったんぞなもし。
そりゃこれやでお越し入れも伸びているところへ、
あの教頭さんがおいでて、
ぜひお嫁に欲しいとおいいるのじゃがなもし。
あの赤シャツがですか。
ひどいやつだ。
どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。
それから?
人を頼んで掛けおうてみると、
富山さんでも子がさんに義理があるから、
すぐに返事はできかねて、
まあよう考えてみようぐらいの挨拶をしたのじゃがなもし。
すると赤シャツさんが手鶴を求めて、
富山さんのところへ出入りを知るようになって、
とうとうあなたお嬢さんを手名付けておしまいたのじゃがなもし。
赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、
お嬢さんもお嬢さんじゃててみんなが悪く言いますのよ。
いったん子がさんへ嫁に行くてて承知をしときながら、
いまさら学士さんがおいでたけれ、
成長と葛藤
その方にかえおうてて、
それじゃ今日さまへ住むまいがなもしあなた。
まったく住まないね。
今日さまどころか、
あしたさまにもあさってさまにも、
いつまで行ったって住みっこありませんね。
それで子がさんにお気のどくじゃてて、
お友達のほったさんが京都のところへ意見をしにおいきたら、
赤シャツさんが、
あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。
早くになればもらうかもしれんが、
いまのところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ。
遠山家と交際をするには、
べつざん子がさんにすまんこともなかろうとおいるけ、
ほったさんもしかたがなしにおもどりたそうな。
赤シャツさんとほったさんは、
それ以来おりあいが悪いという評判ぞなもし。
よくいろいろなことを知ってますね。
どうしてそんな詳しいことがわかるんですか。
かんしんしちまった。
せまいけれ、なんでもわかりますぞなもし。
わかりすぎて困るくらいだ。
このようすじゃ、
おれの天ぷらや団子のことも知ってるかもしれない。
やっかいなところだ。
しかしおかげさまで、
マドンナの意味もわかるし、
山嵐と赤シャツの関係もわかるし、
大いに高額になった。
ただ困るのは、
どっちが悪者だか反然しない。
おれのような単純なものには、
白とか黒とか片づけてもらわないと、
どっちへ味方をしていいかわからない。
赤シャツと山嵐とはどっちがいい人ですかね。
山嵐ってなんぞなもし。
山嵐というのはホッタのことですよ。
そりゃ強いことはホッタさんのほうが強そうじゃけれど、
しかし赤シャツさんは学士さんじゃけれ。
働きはあるかたぞなもし。
それから優しいことも赤シャツさんのほうが優しいが、
手紙の到着
生徒の評判はホッタさんのほうがAというぞなもし。
つまりどっちがいいんですかね。
つまり月給の多いほうが偉いのじゃろうがなもし。
これじゃあ聞いたって仕方がないからやめにした。
それから2,3日して学校から帰ると、
おばあさんがニコニコして、
「へえ、お待ちどうさま。やっと参りました。」と
一本の手紙を持ってきて、
ゆっくりごらんと言って出て行った。
取り上げてみると清からの頼りだ。
付箋が2,3枚付いてるからよくよく調べると、
山城屋からいか銀のほうへ回して、
いか銀から萩のへ回ってきたのである。
その上、山城屋では一週間ばかり登流している。
屋ではだけに手紙まで止めるつもりなんだろう。
聞いてみると非常に長いもんだ。
坊ちゃんの手紙をいただいてから、
すぐ返事を書こうと思ったが、
あいにく風邪をひいて一週間ばかり寝ていたものだから、
つい遅くなってすまない。
その上、いまどきのお嬢さんのように
読み書きが達者でないものだから、
こんなまずい字でも書くのによっぽど骨が折れる。
老いに代筆を頼もうと思ったが、
せっかくあげるのに自分で書かなくっちゃ。
坊ちゃんにすまないと思って、
わざわざ下書きをいっぺんして、それから清書をした。
清書するには二日で済んだが、
下書きをするには四日かかった。
読みにくいかもしれないが、
これでも一生懸命に書いたのだから、
どうぞしまいまで読んでくれ、という冒頭で、
四尺ばかり、なんやらかやら、
したためてある。
なるほど読みにくい。
字がまずいばかりではない。
大抵ひらがなだから、
どこで切れてどこで始まるのだか、
苦悼をつけるのによっぽど骨が折れる。
せっかちな小文だから、
こんな長くてわかりにくい手紙は、
ご縁やるから読んでくれと、
頼まれても断るのだが、
このときばかりは真面目になって、
はじめからしまいまで読み通した。
読み通したことは事実だが、
読むほうに骨が折れて、
意味がつながらないから、
また頭から読み直してみた。
部屋の中は少し暗くなって、
前のときより見にくくなったから、
とうとう縁端へ出て腰をかけながら、
丁寧に拝見した。
すると初秋の風が、
食事と生活の苦悩
手を動かして素肌に吹きつけた帰りに、
読みかけた手紙を、
庭のほうへなびかしたから、
しまい際には四尺余りの半切れが、
さらりさらりと乗って、
手を放すと向こうの生垣まで飛んでいきそうだ。
俺はそんなことには
かまっていられない。
ぼっちゃんは竹を割ったような気象だが、
ただ感触が強すぎてそれが心配になる。
他の人にむやみにあだ名なんかつけるのは、
人に恨まれるもとになるから、
やたらに使っちゃいけない。
もしつけたら、
手紙で知らせろ。
田舎者は人が悪いそうだから、
気をつけてひどい目に遭わないようにしろ。
気候だって東京より不順に決まってるから、
ねびえをして風邪をひいてはいけない。
ぼっちゃんの手紙はあまり短すぎて、
様子がよくわからないから、
この次にせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。
宿や茶台を五円やるのはいいが、
あとで困りはしないか。
田舎へ行って頼りになるのはお金ばかりだから、
なるべく契約して、
万一のときに差し支えないようにしなくっちゃいけない。
お小遣いがなくて困るかもしれないから、
為替で十円あげる。
せんだってぼっちゃんからもらった五十円を、
もっちゃんが東京へ帰って
家を持つときのたしにと思って、
郵便局へ預けておいたのが、
この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。
なるほど、
女というものは細かいものだ。
俺が円腹で紀夫の手紙を
ひらつかせながら考えていると、
しきりの襖を開けて、
萩野のおばあさんが晩飯を持ってきた。
まだ見ておいでるのかなもし。
えっぽど長いお手紙じゃなもし。
と言ったから、
ええ、大事な手紙だから、
風に吹かしてはみ、
吹かしてはみるんだと、
自分でも容量を得ない返事をして銭についた。
見ると、今夜もさつまいものにつけた。
ここのうちは、
いか銀よりも丁寧で、親切で、
しかも上品だが、
欲しいことに食い物がまずい。
昨日も芋、おとといも芋で、
今夜も芋だ。
俺は芋が大好きだと名言したりそういないが、
毎日続けに芋を食わされては、
命が続かない。
占り君を笑うどころか、
俺自身が遠からぬうちに、
芋の占り先生になっちまう。
清ならこんなときに、
俺の好きなマグロの刺身か、
かまぼこのつけ焼きを食わせるんだが、
貧乏氏族のけちん坊と来ちゃ仕方がない。
どう考えても清と一緒でなくっちゃだめだ。
もしあの学校に長くでもいる模様なら、
東京から呼び寄せてやろう。
天ぷらそばを食っちゃならない。
団子を食っちゃならない。
月食にいて芋ばかり食って黄色くなっているなんて、
駅での出会い
教育者はつらいものだ。
前週坊主だってこれよりは
口に栄養をさせているだろう。
俺は一皿の芋を平らげて、
机の引き出しから生卵を二つ出して、
茶碗の縁で叩き割って
ようやくしのいだ。
生卵ででも栄養を取らなくっちゃ、
一週間二十一時間の授業ができるものか。
今日は清の手紙で
家に行く時間が遅くなった。
しかし毎日行きつけたのを
一日でも欠かすのは心持ちが悪い。
汽車にでも乗って出かけようと、
例の赤手ぬぐいをぶら下げて
停車場まで来ると、
二三分前に発車したばかりで
少々待たなければならぬ。
ベンチへ腰をかけて四季島を吹かしていると、
偶然にも浦成くんがやってきた。
俺はさっきの話を聞いてから、
浦成くんがなおさら気の毒になった。
普段から平地の間に
居候をしているように
小さく構えているのが
いかにも哀れに見えたが、
今夜は哀れどころの騒ぎではない。
できるならば月給を倍にして、
遠山のお嬢さんと
明日から結婚させて、
一ヶ月ばかり東京へでも
遊びにやってやりたい気がした矢先だから、
「やあ、お湯ですか。さあ、こっちへおかけなさい。」
と威勢よく席を譲ると、
浦成くんは
恐れ入った体裁で
家へかもうて遅れなさるなと
遠慮だがなんだかやっぱり立っている。
少し待たなくっちゃ出ません。
くたびれますからおかけなさいとまた進めてみた。
実はどうかして
そばへかけてもらいたかったくらいに
気の毒でたまらない。
「それではお邪魔いたしましょう。」と
ようやく俺の言うことを聞いてくれた。
世の中には野田見たように
生意気な出ないで住むところへ
必ず顔を出すやつもいる。
山嵐のように
俺がいなくっちゃ日本が困るだろう
というような面を肩の上に
乗せているやつもいる。そうかと思うと
赤シャツのようにコスメチックと色男の
トン屋を持って
自ら任じているものもある。
教育が生きてフロックコートが着れば
俺になるんだと言わんばかりの
タヌキもいる。
みなみなそれ相応に威張ってるんだが
この浦成先生のように
あれども亡骸ごとく
人質に取られた人形のように
おとなしくしているのは見たことがない。
顔は膨れているが
こんな血行な男を捨てて赤シャツに
なびくなんて、マドンナもよっぽど
気の知れないオキャンだ。
赤シャツが何ダース寄ったって
これほど立派な旦那様ができるもんか。
あなたは
どっか悪いんじゃありませんか?
だいぶ大義相に見えますが。
いいえ、別段これという
寿命もないですが。
そりゃ結構です。体が悪いと人間もだめですね。
あなたはだいぶ
ご丈夫のようですな。
ええ、痩せても病気はしません。
病気なんてもなあ大嫌いですから。
浦成君は
俺の言葉を聞いてニヤニヤと笑った。
ところへ
入口で若々しい女の笑い声が
聞こえたから
何心なく振り返ってみると偉い奴が来た。
色の白い
肺から頭の背の高い美人と
四十五六の奥さんとが並んで
切符を売る窓の前に立っている。
俺は美人の形容などが
できる男でないから
何にも言えないが全く美人に相違ない。
なんだか水晶の玉を
香水で温めて手のひらへ握ってみたような
心持ちがした。
年寄りの方は背が低い。
しかし顔はよく似ているから親子だろう。
俺は
や、来たなと思う途端に
占り君のことはすっかり忘れて
若い女の方ばかり見ていた。
すると占り君が突然
俺の隣から立ち上がって
そろそろ女の方へ歩き出したんで少し驚いた。
マドンナじゃないかと思った。
三人は切符所の前で
軽く挨拶している。
問いから何を言っているのかわからない。
停車場の時計を見ると
もう五分で発車だ。
早く汽車が来ればいいがなと
待ち遠しく思っていると
また一人慌てて城内へ駆け込んできたものがある。
見れば赤シャツだ。
なんだかベラベラ全たる着物へ
チリメンの帯をだらしなく巻き付けて
例の通り金鎖をぶらつかしている。
あの金鎖は偽物である。
赤シャツは誰も知らないと思って
見せびらかしているが
俺はちゃんと知っている。
赤シャツは駆け込んだなり
何かキョロキョロしていたが
切符売り下所の前に話している
三人へいんぎんにお辞儀をして
何か二個と三個と言ったと思ったら
急にこっちへ向いて
例のごとく猫足に歩いてきて
や、君も言うですか。
僕は乗り遅れやしないかと思って
心配して急いできたから
まだ三四分ある。
あの時計は確かかしらと
自分の金顔を出して
二分ほど違っていると言いながら
俺の側へ腰を下した。
女の方はちっとも見返らないで
杖の上に顎を乗せて正面ばかり眺めている。
年寄りの夫人は時々赤シャツを見るが
若い方は横を向いたままである。
いよいよマドンナに違いない。
やがてピューと汽笛が鳴って車が着く。
待ち合わせた連中は
ぞろぞろ我が家に乗り込む。
赤シャツは井の一号に
上等へ飛び込んだ。
上等へ乗ったって言われるどころではない。
住みたまで上等が五線で
片方が三線だから
わずか二線違いで上下の区別がつく。
こういう俺でさえ上等を奮発して
白きっぽを握ってるんでもわかる。
もっとも田舎者はケチだから
たった二線の出入りでも
すこぶる区になると見えて
大抵は下等へ乗る。
赤シャツの後からマドンナと
マドンナのおふくろが上等へ入り込んだ。
占り君はカッパンで押したように
下等ばかりへなる男だ。
先生。
下等の車室の入口へ立って
なんだか躊躇の体であったが
俺の顔を見るや否や思い切って飛び込んでしまった。
俺はこの時なんとなく
気のどこでたまらなかったから
下等の後からすぐ同じ車室へ乗り込んだ。
上等の切符で下等へ乗るに
不都合はなかろう。
温泉へ着いて
主人公の内面の葛藤
三階から浴衣のなりで
ゆつぼへ降りてみたらまた
占り君に会った。
俺は会議やなんかでいざと決まると
喉が塞がって喋れない男だが
普段はずいぶん弁ずるほうだから
いろいろゆつぼの中で占り君に
話しかけてみた。
なんだか哀れっぽくってたまらない。
こんな時に一口でも
ゆつぼの心を慰めてやるのは
江戸っ子の義務だと思ってる。
ところがあいにく占り君のほうでは
上手い具合にこっちの調子に乗ってくれない。
何を言っても
えとかいえとか限りで。
しかもそのえとかいえが
だいぶ面倒らしいので
姉妹にはとうとう切り上げて
こっちから御免こうむった。
湯の中では赤シャツに合わなかった。
もっとも風呂の数はたくさんあるのだから
同じ汽車で着いても
同じゆつぼで会うとは決まっていない。
切断不思議にも思わなかった。
風呂を出てみるといい月だ。
町内の両側に柳が植わって
柳の枝が丸い影を
往来の中へ落としている。
少し散歩でもしよう。
北へ登って町の外へ出ると
左に大きな門があって
門の突き当たりがお寺で
左右が儀郎である。
山門の中に誘客があるなんて
前代未聞の現象だ。
ちょっと入ってみたいが
また狸から会議の時にやられるかもしれないから
お寺通りにした。
門の並みに黒いのれんを掛けた
小さな甲島田の平屋は
俺が団子を食ってしくじったところだ。
丸城鎮にしるこ
お雑煮とかいたのがぶら下がって
城鎮の火が野木場の近い
一本の柳の幹を照らしている。
食いたいなと思ったが
我慢して通り過ぎた。
食いたい団子の食えないのは情けない。
しかし自分の言い名付けが
他人に心を移したのは
なお情けないだろう。
俺が成くんのことを思うと団子はおろか
三日ぐらい断食しても不平はこぼせないわけだ。
本当に人間ほど
当てにならないものはない。
あの顔を見るとどうしたってそんな
不人情なことをしそうには思えないんだが
美しい人が不人情で
東岸の水ぶくれのような小傘が
善良な君子なのだから
油断ができない。
単白だと思った山嵐は
生徒を煽動したと言うし
生徒を煽動したのかと思うと
生徒の処分を校長に迫るし
嫌味で練り固めたような赤シャツが
存外親切で俺によそながら
注意をよくしてくれるかと思うと
マドンナをごまかしたり
ごまかしたのかと思うと小傘のほうが破断にならなければ
結婚は望まないんだと言うし
イカギンが何癖をつけて
俺を追い出すかと思うと
すぐ野田校が入れ替わったり
どう考えても当てにならない。
こんなことを器用に書いてやったら
定めて驚くことだろう。
箱根の向こうだから化け物が寄り合っているんだと
言うかもしれない。
俺は将来構わない性分だから
どんなことでも悔いにしないで
今日までしないで来たのだが
ここへ来てからまだ1ヶ月経つか経たないうちに
学校での人間関係
急に世の中を物騒に思い出した。
別段際立った大事件でも出会わないのに
もう5つ6つ歳を取ったような気がする。
早く切り上げて東京へ帰るのが一番良かろう。
などと
それからそれへ考えて
いつか石橋を渡って
野ゼリ川の土手へ出た。
川というと偉そうだが
実は一軒ぐらいのちょろちょろした流れで
土手に想定12丁ほど下ると
あいおい村へ出る。
村には観音様がある。
湯の町を振り返ると
赤い日が月の光の中に輝いている。
太鼓が鳴るのは
夕角にそういない。
川の流れは浅いけれども早いから
神経質の水のように
やたらに光る。
ぶらぶら土手の上を歩きながら
約3丁も来たと思ったら
向こうに人影が見え出した。
月に透かしてみると影は2つある。
ゆえ来て
村へ帰る若い衆かもしれない。
それにしても歌も歌わない。
存外静かだ。
だんだん歩いていくと
俺の方が早足だと見えて
二つの影帽子が次第に大きくなる。
一人は女らしい。
俺の足音を聞きつけて
10軒ぐらいの距離に迫ったとき
男がたちまち振り向いた。
月は後ろから射している。
その時俺は男の様子を見て
果てなと思った。
女はまた元の通りに歩き出した。
俺は考えがあるから
急に全速力で追っかけた。
先方は何の気もつかず
最初の通りゆるゆる
方を移している。
今は話し声も手に取るように聞こえる。
土手の幅は6尺ぐらいだから
並んで行けば
3人がようやくだ。
俺はくもなく後ろから追いついて
男の袖をすり抜けざま
2足前へ出したきびすをぐるりと返して
男の顔を覗き込んだ。
月は正面から俺のゴブ狩りの頭から
顎の辺りまで
えしゃくもなく照らす。
男はあっと小声に言ったが
急に横を向いて
もう帰ろうと女を促すが早いか
湯の町の方へ引き返した。
赤シャツは図太くてごまかすつもりか
気が弱くて名乗り損なったのかしら
ところが狭くて困っているのは
俺ばかりではなかった。
8
赤シャツに勧められて釣りに行った帰りから
山嵐を疑いだした。
赤シャツに下宿を出ろと言われたときは
いよいよフラチな奴だと思った。
ところが会議の席では
案に相違してとうとうと
生徒原罰論を述べたから
親変だなと首をひねった。
萩野の婆さんから山嵐が
占り君のために赤シャツと
談判をしたと聞いたときは
それは関心だと手を打った。
この様子では悪者は山嵐じゃあるまい
赤シャツの方が曲がってるんで
いい加減な邪推を誠しやかに
しかも遠回しに
込みこもしたのではあるまいがと
迷っている矢先へ。
のぜり川の土手でマドンナを連れて
散歩なんかしてる姿を見たら
それ以来赤シャツはクセ者だと決めてしまった。
クセ者だかなんだか
よくわからないがともかくも
いい男じゃない。
表と裏とは違った男だ。
人間は竹のようにまっすぐでなくっちゃ
頼もしくない。
まっすぐなものは喧嘩をしても心持ちがいい。
赤シャツのような優しいのと
親切なのと高尚なのと
このパイプ等を自慢そうに見せびらかすのは
油断ができない。
滅多に喧嘩できないと思った。
喧嘩をしてもエコーインの相撲のような
心持ちのいい喧嘩はできないと思った。
そうなると
一線五輪の出入りで
控え所全体を驚かした議論の相手の山原氏の方が
はるかに人間らしい。
会議の時に金ツバマダコを
ぐりつかせて俺を睨めた時は
憎いやつだと思ったが
後で考えるとそれも赤シャツの
ネチネチした猫なで声よりはマシだ。
実はあの会議が済んだ後で
よっぽど仲直りをしようかと思って
一個と二個と話しかけてみたが
野郎返事もしないで
まだ目をむくってみせたから
こっちも腹が立ってそのままにしておいた。
それ以来山原氏は俺と口を聞かない。
机の上に返した
一線五輪は未だに机の上に乗っている。
埃だらけになって乗っている。
俺はむろん手が出せない。
山原氏は決して持って帰らない。
この一線五輪が
二人の間の障壁になって
俺は話そうと思っても話せない。
山原氏はガンとして黙っている。
俺と山原氏には
一線五輪が立った。
しまいには学校へ出て
一線五輪を見るのが苦になった。
山原氏と俺が絶好の姿となったに
引き換えて赤シャツと俺は
依然として在来の関係を保って
交際を続けている。
のぜり川であった翌日などは
学校へ出ると第一番に俺のそばへ来て
君今度の下宿はいいですかの。
また一緒にロシア文学を
釣りに行こうじゃないかのと
いろいろなことを話しかけた。
俺は少々恨しかったから
夕べは二編会いましたねと言ったら
ええ停車場で
君はいつでもあの自分出かけるのですか。
遅いじゃないかという。
のぜり川の土手でもお目にかかりましたねと
くらわしてやったら
いいえ僕はあっちへはいかない。
世に入ってすぐ帰ったと答えた。
何もそんなに隠さないでもよかろう。
家にあってるんだ。
よく嘘をつく男だ。
俺なんか大学総長が務まる。
俺はこの時からいよいよ赤シャツを
信用しなくなった。
信用しない赤シャツとは口をきいて
関心している山嵐とは話をしない。
世の中はずいぶん妙なものだ。
ある日のこと。
赤シャツがちょっと君に話があるから
僕の家まで来てくれと言うから
惜しいと思ったが温泉行きを決心して
四時ごろ出かけて行った。
赤シャツは独り者だが
教頭だけに下宿は特の昔に引き払って
立派な玄関を構えている。
家賃は9円50銭だそうだ。
田舎へ来て
9円50銭払えばこんな家へ入れるなら
俺も一つ奮発して
東京から貴を呼び寄せて喜ばしてやろう
と思ったくらいな玄関だ。
頼むと言ったら赤シャツの弟が
取材に出てきた。
この弟は学校で
俺に大数と算術を教わるに至って
出来の悪い子だ。そのくせ渡り者だから
生まれついての田舎者よりも人が悪い。
赤シャツに会って
用事を聞いてみると
大将は例の琥珀のパイプで
きな臭い煙草を吹かしながらこんなことを言った。
君が来てくれてから
前任者の時代よりも成績がよく上がって
校長も大いに良い人を得たと喜んでいるので
どうか学校でも
信頼しているのだから
そのつもりで勉強していただきたい。
えーそうですか。
勉強って今より勉強できませんが。
今のくらいで十分です。
ただ先立ってお話したことですね。
あれを忘れずにいてくださればいいのです。
下宿の世話なんかする者は
賢能だということですか。
そう、ろこずに言うと
意味もないことになるが
まあいいさ。
精神は君にもよく通じていることと思うから
そこで君が今のように出世してくだされば
学校の方でもちゃんと見ているんだから
もう少しして都合さえつけば
待遇のことも多少はどうにかなるだろう
と思うんですがね。
えー放給ですか。
放給なんかどうでもいいんですが。
上がれば上がった方がいいですね。
それで幸い今度
転任者が一人できるから
もっとも校長に相談してみないと
むろん受け合えないことだが
その放給から少しは融通ができるかもしれないから
転任者の影響
それで都合をつけるように
校長に話してみようと思うんですがね。
どうもありがとう。
誰が転任するんですか。
もう発表になるから
話しても差し支えないでしょう。
実はコガ君です。
コガさんはだって
ここの人じゃありませんか。
どこへ行くんです。
ヒューガの延岡で。
土地が土地だから
一休法が上がっていくことになりました。
誰が代わりに来るんですか。
代わりも大抵決まってるんです。
その代わりの具合で
君の待遇上の都合もつくもんです。
はー結構です。
責任への覚悟
しかし無理に上がらないでも構いません。
ともかくも
僕は校長に話すつもりです。
それで校長も同意権らしいが
君にもっと働いていただかなくてはならんと
なるようかもしれないから
どうか今からそのつもりで
覚悟をしてやってもらいたいですね。
今より時間でも増やすんですか。
いいえ。時間は今より減るかもしれませんが。
時間が減ってもっと働くんですか。
妙だな。
ちょっと聞くと妙だが
半全とは今言いにくいが
まあつまり
君にもっと重大な責任を
持ってもらうかもしれないという意味なんです。
俺には一向わからない。
今より重大な責任といえば
数学の主任だろうが
主任は山嵐だから
薬子さんなかなか自食する気遣いはない。
それに生徒の人望があるから
典人や名職は学校の特策であるまい。
赤シャツの段は
いつでも容量を得ない。
容量を得なくっても用事はこれで済んだ。
それから少し雑談をしているうちに
浦成君の送別会をやることや
ついては俺が酒を飲むかという問いや
浦成先生は
君子で愛すべき人だということや
赤シャツはいろいろ弁じた。
姉妹に話を変えて
君俳句をやりますかと来たから
こいつは大変だと思って
俳句はやりませんさようならと
そこそこに帰ってきた。
北区は馬匠か
神井どこの親方のやるもんだ。
数学の先生が
朝顔やにつるべを取られてたまるものか。
かえってうんと考え込んだ。
世間にはずいぶん気の知れない男がいる。
家屋敷はもちろん
勤める学校に不足のない
故郷が嫌になったからといって
知らぬ他国へ苦労を求めに出る。
それも花の都の電車が通っている
ところならまだ下だが
ヒューガの延岡とは何のことだ。
俺は船着きのいい
ここへ来てさえ一ヶ月経たないうちに
もう帰りたくなった。延岡といえば
山の中も山の中も
大変な山の中だ。
赤シャツの言うところによると
船から上がって一日馬車へ乗って
宮崎へ行って宮崎からまた
一日車へ乗らなくてはいけないそうだ。
名前を聞いてさえ
開けたところとは思えない。
猿と人とが半々
住んでいるような気がする。
いかに聖人の占り君だって好んで
猿の相手になりたくもないだろうに
なんという物好きだ。
ところへ相変わらず婆さんが
夕飯を運んでくる。
今日もまた芋ですかいと聞いてみたら
いえ、今日はお豆腐ぞな虫と言った。
どっちにしたって似たものだ。
お婆さん、古賀さんは
ヒューガへ行くそうですね。
本当にお気の毒じゃな虫。
お気の毒だって好んで
行くんなら仕方がないですね。
好んで行くって誰がぞな虫?
誰がぞな虫って
当人がさ。古賀先生が物好きに
行くんじゃありませんか。
そりゃあなたはお家外のカンゴロー
古賀の転任
ぞな虫。
カンゴローかね。だって今
赤シャツがそう言いましたぜ。
それがカンゴローなら赤シャツは
嘘つきのほらえもんだ。
教頭さんがそうを言いるのは
もっともじゃが、古賀さんの
お行きともないのももっともぞな虫。
そうなら
両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。
一体どういうわけ
なんです?
今朝古賀のお母さんが見えて
だんだん訳をお話ししたがな虫。
どんな訳をお話ししたんです?
あそこも
お父さんがお亡くなりになってから
あたしたちが思うほど暮らし向きが
豊かに乗ってお困りじゃけれ
お母さんが校長さんに
頼みて
もう四年も勤めているものじゃけれ
どうぞ毎月いただくものを
今少し増やしておくれんかててあんた。
なるほど。
校長さんが
ようまあ考えてみとこうと
お言いたげな。
それでお母さんも安心して
今に増給の御沙汰があろうと
今月か来月かと首を長くして待っておいてたところへ
校長さんがちょっと来てくれと
古賀さんにお言いるけれ
行ってみると
学校は金が足りんけれ
月給をあげるわけにゆかん。
しかし延岡になら
あいた口があって
そっちなら毎月五円四分に取れるから
お望みでよかろうと思って
その手続にしたから
行くがええと言われたげな。
じゃあ相談じゃない
命令じゃありませんか。
さようよ。
古賀さんはよそへ行って月給が増すより
元のままでもええから
ここにおりたい。
古賀さんの代わりはできているけ
仕方がないと校長がお言いたげな。
変人をバカにしてたら面白くもない
じゃあ古賀さんは行く気はないんですね。
どれで変だと思った。
五円ぐらい上がったって
あんの山の中へ猿のお相手をしに行く
当変木はまずないからね。
当変木って先生何ぞなもし。
なんでもいいさ。
まったく赤シャツの策略だよね。
よくない集中だ。
まるでだま集中ですね。
月給上げるなんて不都合なことがあるもんか。
上げてやるったって誰が上がってやるもんか。
先生は月給が上がれるのかなもし。
上げてやるって言うから断ろうと思うんです。
なんでお断るぞなもし。
なんでもお断りだ。
おばあさんあの赤シャツはバカですね。
卑怯でさ。
卑怯でもあんた月給を上げておくれたら
おとなしくいただいておくほうが得ぞなもし。
若いうちはよく腹の立つもんじゃが
歳をとってから考えると
もう少しの我慢じゃったのに惜しいことをした。
腹立てたために
こないの損をしたと悔やむのが当たり前じゃけれ。
おばあの言うことを聞いて
赤シャツさんが月給を上げてやろうと
言いたらありがとうと受けておくなさいや。
年寄りのくせに余計な世話をやかなくってもいい。
俺の月給は上がろうと下がろうと
俺の月給だ。
ばあさんは黙って引き込んだ。
じいさんはのんきな声を出して歌いを歌ってる。
歌いというものは
読んでわかるところをやに難しい節をつけて
わざとわからなくする術だろう。
あんなものを毎晩飽きずに唸る
じいさんの気が知れない。
俺は歌いどころの騒ぎじゃない。
月給を上げてやろうと言うから
別段欲しくもなかったが
いらない金を余しておくのももったいないと思って
よろしいと承知したのだが
転任したくもないものは無理に転任させて
その男の月給の上前を跳ねるなんて
不人情なことができるものか。
当人が元の通りでいいというのに
延岡くんだりまで落ちさせるとは
一体どういう了見だろう。
太宰厳の卒でさえ
博多近辺で落ち着いたもんだ。
河合又頃だって
相原で泊まってるじゃないか。
とにかく赤シャツのところへ行って
断ってこなくっちゃ気が済まない。
小倉の袴を着けてまた出かけた。
大きな玄関へ突っ立って
頼むと言うとまた例の弟が取杉に出てきた。
俺の顔を見てまた来たか
という目つきをした。
用があれば二度だって三度だって来る。
夜夜中だって叩き起こさないとは限らない。
教堂のところへ
何回に来るような俺と見損なってるか。
これでも月給がいらないから
返しに来たんだ。
すると弟が今来客中だと言うから
玄関でいいからちょっと埋めにかかりたい
と言ったら奥へ引っ込んだ。
足元を見ると畳付きの
薄っぺらなのめりの細下駄がある。
奥でもう万歳ですよ
という声が聞こえる。
お客とはのだだなと気がついた。
のだでなくてはあんな黄色い声を出して
こんな芸人じみた下駄を
履くものはない。
しばらくすると赤シャツがランプを持って
玄関まで出てきて
まあ上がりたまえ外の人じゃない吉川君だ
と言うからいえここでたくさんです。
ちょっと話せばいいんですと言って
赤シャツの顔を見ると金時のようだ。
のだコート一杯飲んでると見える。
さっき
僕の月給を上げてやるというお話でしたが
少し考えが変わったから断りに来たんです。
赤シャツは
ランプを前へ出して奥の方から
俺の顔を眺めたが
突然の場合返事をしかねて呆然としている。
増給を断る奴が
世の中にたった一人飛び出してきたのを
不審に思ったのか
断るにしても今帰ったばかりで
すぐ出直してこなくっても良さそうなものだと
呆れ返ったのかまたは双方合併したのか
妙な口をして
突っ立ったままである。
あの時承知したのは
小賀君が自分の希望で転任するという
話でしたからで
小賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです。
そうじゃないんです。
ここにいたいんです。
君は小賀君からそう聞いたのですか。
それは当人から聞いたんじゃありません。
じゃあ誰からお聞きです。
僕の下宿の婆さんが
小賀さんのお母さんから聞いたのを
今日僕に話したんです。
じゃあ下宿の婆さんが
そう言ったんですね。
まあそうです。
それは失礼ながら少し違うでしょう。
信頼と不信
あなたのおっしゃる通りだと
下宿屋の婆さんの言うことは信ずるが
教頭の言うことは信じないというように聞こえるが
そういう意味に解釈して
下宿屋ないでしょうか。
俺はちょっと困った。
文学士なんてものはやっぱり偉いもんだ。
妙なところへこだわって
ネチネチ押し寄せてくる。
俺はよく親父から
貴様はそそっかしくてダメだダメだと言われたが
なるほど少々そそっかしいようだ。
婆さんの話を聞いて
発燈を持って飛び出してきたが
実は占り君にも占りのお母さんにも
会って詳しい事情は聞いてみなかったのだ。
だからこう文学士流に
切りつけられるとちょっと受け止めにくい。
正面からは受け止めにくいが
俺はもう赤シャツに対して
不信任を心の中で申し渡してしまった。
下宿の婆さんも
けちん坊の欲張り屋に相違ないが
嘘はつかない女だ。
赤シャツのように裏表はない。
俺は仕方がないからこう答えた。
あなたの言うことは本当かもしれないですが
とにかく憎急はご免顧をもります。
それはますますおかしい。
今君がわざわざおいでなったのは
憎風を受けるに忍びない
理由を見出したからのように聞こえたが
その理由が僕の説明で
取り去られたにもかかわらず
憎風を拒まれるのは少し
返しかねるようですね。
返しかねるかもしれませんがね。
とにかく断りますよ。
そんなに嫌ならしい程度までは言いませんが
そう、2、3時間のうちに特別の理由もないのに
表現しちゃ将来君の信用に関わる。
関わってても構わないです。
そんなことはないはずです。
人間に信用ほど大切なものはありませんよ。
よしんば今一歩譲って
下宿の主人が
主人じゃない、ばあさんです。
どちらでもよろしい。
増給の拒否
下宿のばあさんが君に話したことを事実としたところで
君の増給は小賀くんの所得を
削っていたものではないでしょう。
小賀くんは延岡へ行かれる。
その代わりが来る。
その代わりが小賀くんよりも多少低給できてくれる。
その常用を君にもあわすというのだから
君は誰にも気の毒がある
必要はないはずです。
小賀くんは延岡でただ今よりも衛進される。
信任者は最初からの約束で
安く来る。
小賀くんは延岡へ行かれれば
これほど都合のいいことはないと思うですがね
嫌なら嫌でもいいが
もう一遍うちでよく考えてみませんか。
俺の頭はあまり偉くないのだから
いつもなら相手がこういう巧妙な便説を振れば
親そうかな
それじゃあ俺が間違ってたと
恐れ言って引き下がるのだけれども
今夜はそうはいかない。
ここへ来た最初から赤シャツはなんだか
虫がつかなかった。
途中で親切な女みたいな男だと思い返したことはあるが
それが親切でもなんでもなさそうなので
反動の結果
今じゃよっぽど嫌になっている。
だから先がどれほど上手く
論理的に弁論をたくましくしようとも
堂々たる共闘流に俺をやり込めようとも
そんなことは構わない。
議論のいい人が善人とは決まらない。
やり込められる方が悪人とは限らない。
表向きは赤シャツの方が
重々最もだが
表向きがいくら立派だって
腹の中まで惚れさせるわけにはいかない。
金や威力や理屈で
人間の心が変えるものなら
通り菓子でも巡査でも大学教授でも
一番人に好かれなくてはならない。
中学の教頭ぐらいの論法で
俺の心がどう動くものか。
人間は好き嫌いで働くもんだ。
論法で働くもんじゃない。
あなたの言うことはもっともですが
僕は増給が嫌になったんですから
まあ断ります。
考えたって同じことです。さようなら。
送別会の準備
と言い捨てて門を出た。
頭の上には天の顔が
一筋かかっている。
9
占い君の
送別会のあるという日の朝。
学校へ出たら山嵐が突然
君、せんだっては
イカギンが来て君が乱暴して困るから
動画出るように話してくれと
頼んだから真面目に受けて
君に出てやれと話したのだが
後から聞いてみるとあいつは悪いやつで
よく偽筆絵
偽楽観などをして売りつけるそうだから
全く君のこともデタラメに
違いない。君に
賭物やコットを売りつけて商売しようと
思ってたところが君が取り合わないで
儲けがないもんだからあんな
作り事をこしらえてごまかしたのだ。
僕はあの人物を知らなかったので
君に大変失敬した。
勘弁したまえと長々しい謝罪をした。
俺は何とも
言わずに山嵐の机の上にあった
一銭五輪を取って
俺の釜口の中へ入れた。
山嵐は君それを
引っ込めるのかと不審そうに聞くから
うん、俺は君に奢られるのが
嫌だったからぜひ返すつもりでいたが
その後だんだん考えてみると
やっぱり奢ってもらう方が
いいようだから引き込ますんだと説明した。
山嵐は
大きな声をしてアハハハと笑いながら
そんならなぜ早く
取らなかったのだと聞いた。
実は取ろう取ろうと思ってたが
なんだか妙だからそのままにしておいた。
近来は学校へ来て
一銭五輪を見るのが苦になるくらい
嫌だったと言ったら
君はよっぽど負け惜しみの強い男だと言うから
君はよっぽど
ごじょっぱりだと答えてやった。
それから二人の間にこんな
問答が起こった。
君は一体どこの生まれだ?
俺は江戸っ子だ。
うん、江戸っ子か。
道理で負け惜しみが強いと思った。
君はどこだ?
僕は藍津だ。
藍津っぽか。
強情なわけだ。
今日の送別会へ行くのがい?
行くと思う。君は?
俺は無論行くんだ。
今日だけは浜まで見送りに行こうと思ってるくらいだ。
送別会は面白いぜ。出てみたまえ。
今日は大いに飲むつもりだ。
うん、勝手に飲むがいい。
俺は魚を食ったらすぐ帰る。
酒なんか飲むやつはバカだ。
君はすぐ喧嘩を吹っかける男だ。
なるほど。江戸っ子の敬重な風を
よく表してる。
何でもいい。送別会に行く前に
ちょっと俺の家へお寄り。
話があるから。
山嵐は約束通り
俺の下宿へ寄った。
俺はこの間から
浦成君の顔を見るたびに
気の毒でたまらなかったが
いよいよ送別の今日となったら
なんだか哀れっぽくって
できることなら
俺が代わりに行ってやりたいような気がしだした。
それで送別会の席上で
大いに演説でもして
その業を盛んにしてやりたいと思うのだが
俺のベランメ調子じゃ
到底物にならないから
大きな声を出す山嵐を雇って
一番赤シャツの荒着もひじいでやろうと
考えついたから
わざわざ山嵐を呼んだのである。
俺はまず冒頭として
マドンナ事件から解き出したが
山嵐は無論
マドンナ事件は俺より詳しく知っている。
俺が
野ゼリ川の土手の話をして
あれはバカ野郎だと言ったら
山嵐は君は誰を捕まえても
バカ呼ばわりをする。
今日学校で自分のことをバカと言ったじゃないか。
自分がバカなら赤シャツは
赤シャツはバカじゃない。
自分は赤シャツの同類じゃないと主張した。
それじゃあ赤シャツは
ふぬけのほうすけだ。
と言ったらそうかもしれないと
山嵐は大いに賛成した。
山嵐は強いことは強いが
こんな言葉になると
俺よりはるかに辞を知っていない。
あいつっぽうなんてものはみんなこんなもんなんだろう。
それから増給事件と
将来重く投与すると
赤シャツが言った話をしたら
山嵐はフフンと鼻から声を出して
それじゃあ僕を免職する考えだなあ
と言った。
免職するつもりだって
君は免職になる気かと聞いたら
誰がなるもんか。
自分が免職になるなら
赤シャツも一緒に免職させてやる
と大いに威張った。
どうして一緒に免職させる気か
と押し返して訪ねたら
そこはまだ考えていないと答えた。
山嵐は強そうだが
チェエはあまりなさそうだ。
俺が増給を断ったと話したら
大将は大きに喜んで
さすが江戸っ子だ。えらい。
と褒めてくれた。
裏乗りがそんなに嫌がっているなら
なぜ流林の運動をしてやらなかった
と聞いてみたら
裏乗りから話を聞いたときはすでに決まってしまって
校長へ二度
赤シャツへ一度行って談判してみたが
どうすることもできなかったと話した。
それについても
小川があまり好人物すぎるから困る。
赤シャツから
話があったとき断然断るか
一応考えてみますと逃げればいいのに
あの弁説に誤魔化されて
即席に許諾したものだから
後からおっ母さんが泣きついても
自分が談判に行っても
役に立たなかったと非常に残念があった。
今度の事件は全く
赤シャツが裏乗りを遠ざけて
マドンナを手に入れる策略なんだろうと
俺が言ったら
無論そうに違いない。
あいつはおとなしい顔をして悪事を働いて
人がなんか言うと
おとなしい顔をして悪事を働いて待ってるんだから
よっぽど感仏だ。
あんな奴にかかっては
鉄拳制裁でなくちゃ効かないと
コブだらけの腕をまくってみせた。
俺はついでだから
君の腕は強そうだな
柔術でもやるかと聞いてみた。
すると大将
二の腕力コブを入れて
ちょっと掴んでみろと言うから
指の先で揉んでみたら
何のことはない
ゆいやにある軽石のようなものだ。
一回の腕なら赤シャツの五人や六人は
一度に張り飛ばされるだろうと聞いたら
無論さと言いながら
曲げた腕を伸ばしたり縮ましたりすると
力コブがぐるりぐるりと
川の中で回転する。
すこぶり愉快だ。
山嵐の照明するところによると
肝心寄りを
二本寄り合わせて
この力コブの出るところへ巻きつけて
うんと腕を曲げると
ぶつりと切れるそうだ。
肝心寄りなら俺にもできそうだと言ったら
そんか、できるならやってみろと来た。
切れないと外文が悪いから
俺は見合わせた。
君どうだ
今夜の送別会に大いに飲んだ後
赤シャツと野田を殴ってやらないかと
会場の様子
面白半分に進めてみたら
山嵐はそうだなと
考えていたが
今夜はまあよそうと言った。
なぜと聞くと
今夜は小賀に気届くだから。
それにどうせ殴るくらいなら
あいつらの悪いところを見届けて
現場で殴らなくっちゃこっちの落ち度になるからと
分別のありそうなことをつけ出した。
山嵐でも俺よりは
考えがあると見える。
じゃあ演説をして小賀君を
大いに褒めてやれ。
俺がすると江戸っ子のペラペラになって
重みがなくていけない。
そして決まったところへ出ると
急に流音が起こって
喉のところで大きな玉が上がってきて
言葉が出ないから
君に譲るからと言ったが
妙な病気だな。
人中じゃ首血は効けないんだね。
困るだろうと聞くから
何そんなに困りはしないと答えておいた。
走行するうち
時間が来たから
山嵐と一緒に会場へ行く。
会場は家臣邸と言って
ここで第一棟の料理屋だそうだが
俺は一度も足を揺れたことがない。
元の家廊とか
屋敷を買い入れて
そのまま開業したという話だが
なるほど見かけからして
いかめしい構えだ。
一棟の屋敷が料理屋になるのは
陣羽織を縫い直して
道着にするようなものだ。
二人が着いた頃には
人数も大概揃って
五十畳の広間に
二つ三つ人間の塊ができている。
五十畳だけに床は素敵に大きい。
俺は山代屋で占領した
十五畳敷の床とは
比較にならない。
尺を取ってみたら二軒あった。
右の方に
赤い模様のある瀬戸物の亀を据えて
その中に松の大きな枝が挿してある。
松の枝を挿して
何にする気か知らないが
何ヶ月経っても
治癒気遣いがないから
銭がかからなくってよかろう。
あの瀬戸物はどこでできるんだと
博物の教師に聞いたら
あれは瀬戸物じゃありません。
イマリですと言った。
イマリだって瀬戸物じゃないかと言ったら
博物はえへへへと笑っていた。
送別会の開始
後で聞いてみたら
瀬戸でできる焼き物だから
瀬戸というのだそうだ。
俺は江戸っ子だから
陶器のことを瀬戸物というのかと思っていた。
床の真ん中に
大きな掛物があって
俺の顔くらいの大きさな字が
28字書いてある。
どうも下手なもんだ。
あまりまずいから漢学の先生に
なぜあんなまずいものを
れいれいと書けておくんです?と尋ねたところ
先生はあれは開翼と言って
有名な書家の書いたもんだと教えてくれた。
開翼だが何だか
俺は未だに下手だと思っている。
やがて初期の河村が
どうかお着席よと言うから
柱があって寄りかかるのに
都合のいいところへ座った。
開翼の掛物の前に
狸が羽織袴で着席すると
左に赤シャツが
同じく羽織袴でじんどった。
右のほうは主人公だというので
占り先生
これも日本服で控えている。
俺は洋服だから
貸し込まぬのが窮屈だったから
すぐあぐらを書いた。
隣の体操教師は
黒ズボンでちゃんと貸し込まっている。
体操の教師だけに
いやに修行が積んでいる。
やがてお膳が出る。
とっくりが並ぶ。
漢字が立って一言
開会の字を述べる。
それから狸が立つ。
赤シャツが立つ。
ごとごとく層別の字を述べたが
三人とも申し合わせたように
占り君の両教師で
学校を扶植をして
今回さらわれるのは誠に残念である。
学校としてのみならず
個人として大いに惜しむところであるが
ご一心上のご都合で
切実に天人をご希望になったのだから
致し方がないという意味を述べた。
こんな嘘をついて
層別会を開いて
占り君の感謝
それでちょっとも恥ずかしいとも思ってない。
ことに赤シャツに至って
三人のうちで一番
占り君を褒めた。
この良友を失うのは
実に自分にとって大いなる不幸である
とまで言った。
しかもその良い方がいかにももっともらしくて
例の優しい声を一層優しくして
述べたてるのだから
初めて聞いたものは
誰でもきっと騙されるに決まってる。
マドンナも大方
この手で引っ掛けたんだろう。
赤シャツが層別の字を
述べたてている最中
向かい側に座っていた山嵐が
俺の顔を見てちょっといなびかりをさした。
俺は変電として
人差し指で別貫光をして
見せた。
赤シャツが座に服するのを
待ちかねて山嵐が
ぬっと立ち上がったから俺は嬉しかったので
思わず手をパチパチと打った。
すると
狸を始め一堂がことごとく
俺の方を見たには少々困った。
山嵐は
何を言うかと思うと
ただいま校長を始めことに
教頭は小賀君の転任を非常に残念がられたが
私は少々反対で
小賀君が一日も早く
頭頂を去られるのを希望しております。
延岡は
壁苑の地で頭頂に比べたら
物質上の不便はあるだろうが
聞くところによれば
風俗のすこぶる純木なところで
職員生徒のことごとく
常大牧畜の気風を帯びているそうである。
心にもない
お世辞を振りまいたり美しい顔をして
君子を落とし入れたりする
肺から野郎は一人もないと信ずるからして
君のごとき
私は小賀君のためにこの転任を祝するのである。
終わりに望んで
君が延岡に扶任されたら
その地の宿所にして
君子の高級となるべき資格あるものを選んで
一日も早く
円満なる家庭を形作って
かの不定無節なる
お天馬を自律上に置いて
暫し接しめんことを希望します。
えへんえへんと
二つばかり大きな石払いをして
席に就いた。
小賀君は
二つばかり大きな石払いをして席に就いた。
俺は今度も手を叩こうと思ったが
またみんなが俺の顔を見ると嫌だから
やめにしておいた。
山嵐が座ると
今度は占い先生が立った。
先生はご丁寧に
自席から座敷の端の末席まで行って
因言に一同に挨拶をした上
今晩は一心情の都合で
九州へ参ることになりましたについて
諸先生方が
小生のためにこの盛大なる送別会を
お開きくださったのは
誠に感銘の至りに
絶えぬ次第で
ことに、ただいまは校長、教頭
その他諸君の送別の自由を
頂戴して大いにありがたく
服用するわけであります。
私はこれから遠方へ参りますが
何卒、従前の通りを見捨てなく
御愛子のほどを願います。と
送別会の騒ぎ
へえつ配って席に戻った。
占い君は
どこまで人がいいんだか
ほとんどそこが知れない。
自分がこんなに馬鹿にされている校長や
教頭にうやうやしくお礼を言っている。
それもギリ一遍の
挨拶ならだが、あの様子や
あの言葉つきやあの顔つきから言うと
真から感謝しているらしい。
こんな成人に
真面目にお礼を言われたら
気の毒になって赤面しそうなものだが
狸も赤シャツも真面目に緊張
しているばかりだ。
挨拶が済んだら
あちらでもチュー、こちらでもチューという音がする。
俺を真似をして
汁をつ飲んでみたがまずいもんだ。
口とりにかまぼこはついているが
どす黒くてちくわのでき損ないである。
刺身も並んでいるが
熱くてマグロの切り身を生で食うと同じことだ。
それでも隣近所の連中は
むしゃむしゃうまそうに食っている。
大方、江戸前の料理を
食ったことはないんだろう。
そのうち、官独りが
頻繁に往来し始めたら
司法が急に賑やかになった。
野田校はうやうやしく
校長の前へ出て杯をいただいている。
いやな奴だ。
浦成くんは順々に研修をして
一順巡るつもりと見える。
はなはだご苦労である。
浦成くんが俺の前へ来て
一つ頂戴いたしましょうと
袴のひらをただして申し込まれたから
俺も窮屈に
ズボンのまま貸し込まって
一杯さしあげた。
せっかく参ってすぐお別れになるのは残念ですね。
ご出発はいつです。
ぜひ浜までお見送りをしましょうと言ったら
浦成くんは
いえ。
御用を御のところ決して
それには及びませんと答えた。
浦成くんが何と言ったって
俺は学校を休んで送る気でいる。
それから一時間ほどするうちに
席上はだいぶ乱れてくる。
まあ一杯。
おや僕が飲むというのに。
などと路列の周りかねるのも
一人二人できてきた。
少々退屈したから便所へ行って
昔風な庭を
星明かりに透かして眺めていると
真嵐が来た。
どうださっきの演説はうまかったろうと
だいぶ得意である。
大賛成だが一箇所気に入らないと
抗議を申し込んだら
どこが不賛成だと聞いた。
美しい顔をして人を
貶れるようなハイカラ野郎は
延岡におらないからと君は言ったろう。
うん。
ハイカラ野郎だけでは不足で。
じゃあ何と言うんだ。
ハイカラ野郎の
ペテンションのイカさましの猫っかぶりの
私のももんがあのおかっぴきの
わんわん鳴けば犬も同様なやつ
とでも言うがいい。
俺にはそうしたは回らない。
君は脳弁だ。
第一、単語を大変たくさん知ってる。
それで演説ができないのは不思議だ。
何。
これは喧嘩の時に使うと思って
用心のためにとっておく言葉さ。
演説となっちゃあこうは出ない。
そうかな。しかしペラペラ出るぜ。
もう一遍やってみたまえ。
何遍でもやるさ。いいか。
ハイカラ野郎のペテンションのイカさましの
と言いかけていると
演側はおどたばた言わして
二人ばかりヨロヨロしながら
駆け出してきた。
りょうくんそんなひどい。逃げるなんて。
僕がいるうちは決して逃さない。
さあ飲みたまえ。
イカさまし?面白い。
イカさま面白い。さあ飲みたまえ。
と俺と山嵐を
ぐいぐい引っ張っていく。
実はこの両人とも
便所に来たのだが酔ってるもんだから
酔っぱらえるのを忘れて
俺らを引っ張るのだろう。
酔っぱらいは目の当たるところへ
幼児をこしらえて
前のことはすぐ忘れてしまうんだろう。
さあ諸君。イカさましを引っ張ってきた。
さあ飲ましてくれたまえ。
イカさましをうんと言うほど酔わしてくれたまえ。
おおぎみー逃げちゃいかん。
と逃げもせぬ俺を
壁際へ押し付けた。
処方を見跡はしてみると
膳の上に満足な魚の乗っているものは
一つもない。
魚の部分きれいに食いつくして
五六軒先へ遠征に出たやつもいる。
校長はいつ帰ったか姿が見えない。
ところへ
お座敷はこちら?と芸者が
三四人入ってきた。
俺も少し驚いたが
壁際へ押し付けられているんだから
じっとしてただ見ていた。
すると今まで床柱へ持たれて
例の琥珀のパイプを自慢そうに
くわえていた赤シャツが急に立って
座敷を出にかかった。
向こうから入ってきた芸者の一人が
間違いながら笑って挨拶をした。
その一人は一番若くて
一番きれいなやつだ。
遠くで聞こえなかったが
おやこんばんはぐらい言ったらしい。
赤シャツは知らん顔をして出て行ったきり
顔を出さなかった。
大方、校長の後を追いかけて
帰ったんだろう。
芸者が来たら座敷中急に陽気になって
一同が時の声を上げて歓迎したのか
と思うくらい想像をし
そうしてあるやつは南湖をつかむ。
その声の大きなこと
まるで居合抜きの稽古のようだ。
こっちでは剣を打ってる。
よっ、はっ、と
夢中で両手を振るところは
ダーク一座の操り人形より
よっぽろ上手だ。
向こうの隅ではおいおしゃけだ
と言ってとっくりを振ってみて
さけださけだと言い直している。
どうもやかましくて想像しくてたまらない。
そのうちで
手持ぶさたに舌を向いて
考え込んでいるのは
占り君ばかりである。
そのために送別会を開いてくれたのは
自分の天人を惜しんでくれるんじゃない。
みんなが酒を飲んで
遊ぶためだ。
自分一人が手持ぶさたで苦しむためだ。
こんな送別会なら
開いてもらわないほうがよっぽどマシだ。
しばらくしたら
めいめい童謡声を出して
何か歌い始めた。
俺の前に来た一人の芸者が
あんた何ぞ歌いなはれ
としゃみせんを抱えたから
俺は歌わない。
送別会の騒動
お前は歌ってみろと言ったら
鐘や太鼓でねえ
迷子迷子のサンタローと
どんどこどんのチャンチキリン
叩いて回って
哀れるものならば
私何ぞも鐘や太鼓で
どんどこどんのチャンチキリン
と叩いて回って
会いたい人があると
二息に歌って
おーしんどーと言った。
おーしんどーならもっと楽なものをやればいいのに。
するといつの間にか
あった野田が
スーちゃん会いたい人に会ったと思ったらすぐお帰りで
お気の毒様見たようでゲス
と相変わらず話しか見たような
言葉遣いをする。
知りまへんと
芸者はツンと澄ました。
野田はとんちゃく泣く
たまたま会いは会いながら
と嫌な声を出してギダユの真似をやる。
沖縄れやと芸者は
平手で野田の膝を叩いたら
野田は驚悦して笑ってる。
この芸者は赤シャツに
芸者に叩かれて笑うなんて
野田もおめでたいもんだ。
スーちゃん
僕が木の国を踊るから
ひとつ弾いてちょうだいと言い出した。
野田はこの上まだ踊る気でいる。
向こうのほうで感覚のおじいさんが
歯のない口をゆがめて
それは聞こえませんデンベイさん
お前と私のそんな川
とまでは無事に済ましたが
それからと芸者に聞いている。
じいさんなんて物覚えの悪いもんだ。
ひとりが
博物をつらまえて
近頃来ないのだが
できましたぜ弾いてみまほうか。
よう聞いていなはれや。
カケツ巻き
白いリボンのハイカラ頭
乗るは自転車
弾くはヴァイオリン
繁華の英語でペラペラと
I am glad to see you
と歌うと博物は
なるほど面白い英語入りだねと感心している。
山嵐はバカに大きな声を出して
芸者芸者と呼んで
三味線をひけと号令を出した。
芸者はあまり乱暴な声なので
あっけんにとられて返事もしない。
山嵐は
いさいかまわずステッキを持ってきて
踏み破る千山万岳の煙
と真ん中へ出て
ひとりで隠し芸を演じている。
ところへ野田がすでに木の国を澄まして
カッポレを澄まして
棚のだるまさんを澄まして
丸裸のえっちゅうふんどしひとつになって
朱露帽旗を小脇にかかい込んで
日清団パン破裂して
と座敷中練り歩き出した。
まるでキチガイだ。
俺はさっきから苦しそうに
袴も脱がず控えている浦成くんが
気の毒でたまらなかったが
なんぼ自分の送別会だって
えっちゅうば川の裸踊りまで
羽織場川まで我慢して見ている必要は
あるまいと思ったから
そばへ行って小川さんもう帰りましょう
と待機を進めてみた。
すると浦成くんは
今日は私の送別会だから
私が先へ帰っては失礼です。
どうぞご遠慮なく
と動く景色もない。
何構うもんですか。
送別会なら送別会らしくするがいいです。
あなさまをご覧なさい。
キチガイ会です。さあ行きましょう。
と進まないのを無理に進めて
座敷を出かかるところへ
野田が包卿を振り振り進行してきて
やっ!ご主人が席へ帰るとはひどい。
日清団パンだ。
返せない。と包卿を横にして
行く手を塞いだ。
俺はさっきから感謝が起こっているところだから
日清団パンなら貴様はちゃんちゃんだろうと
いきなり原骨で
野田の頭をぱかりと食わしてやった。
野田は2、3秒の間
毒気を抜かれた手でぼんやりしていたが
おやこれはひどい。
おぼちになったのは情けない。
この吉川をご長着とは恐れ言った。
いよいよもって日清団パンだ。
とわからぬことを並べているところへ
後ろから山嵐が
何か騒動が始まったと見てとって
肩膀を止めて飛んできたが
この低たらくを見て
いきなり首筋をうんと掴んで
引き戻した。
日清、痛い痛い。
どうもこれは乱暴だと振りもがくところを
横にねじったらストンと倒れた。
あとはどうなったか知らない。
途中で浦成くんに別れて
家へ帰ったら11時過ぎだった。
10
学校の状況
祝賞会で学校はお休みだ。
練兵場で式があるというので
狸は生徒を引率して
参列しなくてはならない。
職員の一人として一緒にくっついていくんだ。
街へ出ると火の丸だらけで眩しいくらいである。
学校の生徒は800人もあるのだから
体操の教師が待遇を整えて
一組一組の間を少しずつ空けて
それへ職員が一人か二人ずつ
監督として割り込む仕掛けである。
仕掛けだけはすこぶる巧妙なものだが
実際はすこぶる不手際である。
生徒は子供の上に生意気で
起立を破らなくっては
生き残ると思っている奴らだから
職員が行くたりついて行ったって
何の役に立つもんか。
命令も下さないのに勝手な軍歌を歌ったり
軍歌をやめると
わーと訳もないのに時の声を上げたり
まるで浪人が
町内を練り歩いているようなものだ。
軍歌も時の声も上げないときは
ガヤガヤ何か喋ってる。
喋らないでも歩けそうなもんだが
日本人はみんな口から先へ生まれるのだから
いくら小言を言ったって聞きっこない。
喋るのもただ喋るのではない。
教師の悪口を喋るんだから
下等だ。
俺は宿直事件で生徒を謝罪させて
まあこれなら良かろうと思っていた。
ところが実際は大違いである。
下宿の婆さんの言葉を借りて言えば
まさに
大違いのカンゴロウである。
生徒が謝ったのは
真から後悔して謝ったのではない。
ただ校長から命令されて
形式的に頭を下げたのである。
商人が
頭ばかり下げて
ずるいことをやめないのと一般で
生徒も謝罪だけはするが
いたずらは決してやめるものでない。
よく考えてみると
世の中はみんなこの生徒のようなものから
成立しているかもしれない。
人が謝ったり詫びたりするのを
真面目に受けて勘弁するのは
正直すぎるバカと言うんだろう。
謝るのも仮に謝るので
勘弁するのも仮に勘弁するのだと思っていれば
差し支えない。
もし本当に謝らせる気なら
本当に後悔するまで
叩きつけなくてはいけない。
俺が組と組の間に入っていくと
天ぷらだの団子だの
という声が絶えずする。
しかも大勢だから誰が言うのだかわからない。
よしわかっても
俺のことを天ぷらと言ったんじゃありません。
団子と申したんじゃありません。
それは先生が神経衰弱だから
悲願ですを聞くんだぐらい言うに決まってる。
こんな卑劣な根性は
封建時代から養成したこの土地の習慣なんだから
いくら言って聞かせたって
教えてやったって到底直りっこない。
こんな土地に1年もいると
潔白な俺も
この真似をしなければならなくなるかもしれない。
向こうでうまく言い抜けられるような
手段で俺の顔を汚すのは
放っておく。
丈夫一はない。
向こうが人なら俺も人だ。
生徒だって子供だって通体は俺より大きいや。
だから刑罰として
何か返報をしてやらなくっては
義理が悪い。
ところがこっちから返報する自分に
手段で行くと向こうから逆ネジを食らわしてくる。
貴様が悪いからだと言うと
初手から逃げ道が作ってあることだから
とうとうと弁事立てる。
弁事立てておいて
自分の方を表向きだけ立派にして
それからこっちの火を攻撃する。
もともと返報にしたことだから
こちらの弁護は
向こうの火が上がらない上は弁護にならない。
つまりは
向こうから手を出しておいて
世間体はこっちが仕掛けた喧嘩のように
見なされてしまう。大変な不利益だ。
それなら向こうのやるなり
グータラル道場を決め込んでいれば
向こうはますます増長するばかり。
大きく言えば
世の中のためにならない。
そこで仕方がないから
こっちも向こうの筆法を用いて捕まえられないので
手のつけようのない返報をしなくてはならなくなる。
そうなっては
エドッコもダメだ。
ダメだが一年もこうやられる以上は
俺も人間だからダメでもなんでも
そうならなくっちゃ始末がつかない。
どうしても早く東京へ帰って
一緒になるに限る。
こんな田舎にいるのは
堕落しに来ているようなもんだ。
新聞配達をしたって
ここまで堕落するよりはマシだ。
こう考えていやいやついてくると
何度か先方が急にガヤガヤ騒ぎ出した。
同時に列はピタリと止まる。
変だから
列を右へ外して向こうを見ると
大手町を突き当たって
薬師町へ曲がる角のところで
行き詰ったぎり
押し返したり押し返されたりして
前方から静かに静かにと
声を枯らしてきた体操教師に
何ですと聞くと
曲がり角で中学校と
師範学校が衝突したんだと言う。
中学と師範とは
どこの喧嘩でも
犬と猿のように仲が悪いそうだ。
なぜだか分からないが
まるで気風が合わない。
何かあると喧嘩をする。
大方狭い中で退屈だから
暇つぶしにやる仕事なんだろう。
俺は喧嘩は好きな方だから
衝突と聞いて面白半分に
駆け出して行った。
すると前の方にいる連中は
しきりになんだ地方勢のくせに
引っ込めと怒鳴ってる。
後ろからは押せ押せと大きな声を出す。
俺は邪魔になる生徒の間を
くぐり抜けて曲がり角でもう少しで
出ようとした時に
前へと言う高く鋭い号令が
聞こえたと思ったら
師範学校の方は粛々として行進を始めた。
先を争った
衝突はお礼がついたに
ないが、つまり中学校が
一歩を譲ったのである。
資格から言うと師範学校の方が
上だそうだ。
祝賞の式はすこぶる簡単なものであった。
旅団長がのりとを読む。
知事がのりとを読む。
参列者が万歳を唱える。
それでおしまいだ。
余興は午後にあるという
話だから。ひとまず
下宿へ帰ってこの間中から
気にかかっていた企業への返事を書きかけた。
今度はもっと詳しく
書いてくれとの注文だから
なるべく入念にしたためなくっちゃならない。
主人公の葛藤
しかしいざとなって
半切れを取り上げると書くことは
たくさんあるが何から書き出していいか
わからない。あれにしようか。
あれはめんどくさい。
これにしようか。これはつまらない。
何かスラスラと出て
骨が折れなくって、そして
企業が面白がるようなものはないかしら。
と考えてみると
そんな注文通りの事件は一つも
なさそうだ。俺は
筆を示して巻紙を睨めて
巻紙を睨めて
筆を示して墨を吸って
同じ書作を
同じように何遍も繰り返した後
俺にはとても手紙は書けるものではないと
諦めて鈴売りの蓋を
してしまった。
手紙なんぞ書くのはめんどくさい。
やっぱり東京まで出かけて行って
会って話をするのが勘弁だ。
企業の心配は察しないでもないが
企業の注文通りの
手紙を書くのは37日の
断食よりも苦しい。
俺は筆と巻紙を放り出して
ゴロリと転がって肘枕をして
庭の方を眺めてみたが
やっぱり企業の事が気にかかる。
その時俺はこう思った。
こうして東京へ来てまで
企業の身の上を案じていて
やりさえすれば俺の真ことは
企業に通じるに違いねえ。
通じさえすれば手紙なんぞ
やる必要はない。
やらなければ無事で暮らしてると思ってるだろう。
頼りは死んだ時か
病気の時か
何か事の起こった時に
やりさえすればいいわけだ。
庭はトツボほどの平庭で
これという植木もない。
ただ一本のみかんがあって
平な外から目印になるほど高い。
俺は家へ帰ると
いつでもこのみかんを眺める。
東京を出たことのないものには
みかんのなっているところは
すこぶる珍しいものだ。
あの青い実が
だんだん熟してきて黄色になるんだろうが
畳めて綺麗だろう。
今でももう半分
色の変わったのがある。
ダーさんに聞いてみるとすこぶる水気の多い
うまいみかんだそうだ。
今に売れたら
ちゃんと召し上がれと言ったから
毎日少しずつ食ってやろう。
もう3週間もしたら十分食えるだろう。
何故か3週間以内に
ここを去ることもなかろう。
俺がみかんのことを考えているところへ
偶然山嵐が話にやってきた。
今日は祝賞会だから
君と一緒に御馳走を食おうと思って
牛肉を買ってきたと
竹の皮のすすみを田元から引きずり出して
座敷の真ん中へ放り出した。
俺は下宿で
芋ゼメ豆腐ゼメになっている上
そぼやいき団子やいきを
禁じられている際だから
そいつは結構だとすげばあさんから
鍋と砂糖を借り込んで
味方に取りかかった。
山嵐はむやみに牛肉を頬張りながら
君、あの赤シャツが芸者に
馴染みのあることを知ってるかと聞くから。
この間裏なりの送別会の時に
来た一人がそうだろうと言ったら
そうだ僕はこの頃
ようやく勘づいたのに
君はなかなか便称だと大いに褒めた。
あいつは
二言目には瀕世だの
精神的娯楽だろうというくせに
裏へ回って芸者と関係なんかつけとる。
けしかないやつだ。
それも他の人が遊ぶのを寛容するならいいが
君があそば屋へ行ったり団子屋へ入るのさえ
取り締まり状態になると言って
校長の口を通して注意を加えたじゃないか。
うーん
あの野郎の考えじゃ
芸者会は精神的娯楽で
天ぷらや団子は物理的娯楽なんだろう。
精神的娯楽なら
もっと大べらにやるがいい。
なんだあのざわまは。
馴染みの芸者が入ってくると
入れ替わりに席を外して逃げるなんて
どこまでも人をごまかす気だから気にかわねえ。
そうして人を攻撃すると
僕は知らないとかロシア文学だとか
俳句が新大使の兄弟文だとか言って
人を煙まくつもりなんだ。
あんなヤオムシは男じゃないよ。
まったく御天女中の生まれ変わりかなんかだぜ。
ことによると
あいつの親父はユシマの影間かもしれない。
ユシマの影間ってなんだ。
なんでも男らしくないもんだろう。
まあ君
そこのところはまだ逃げてないぜ。
そんなのを食うとサナダムシが湧くぜ。
そうか。
大抵大丈夫だろう。
それで赤シャツは人に隠れて
湯の町の門屋へ行って
芸者と会見するそうだ。
門屋ってあの宿屋か。
宿屋兼料理屋さ。
だからあいつを一番へこますためには
あいつが芸者を連れて
あそこへ入り込むところを見届けておいて
面喫するんだね。
見届けるって夜晩でもするのかい?
うーん
門屋の前にマセヤという宿屋があるだろう。
あの表二階を借りて
障子へ穴を開けて見ているのさ。
見ているときに来るかい?
来るだろう。
二週間ばかりやるつもりで泣くっちゃ。
ずいぶん疲れるぜ。
僕は親父の死ぬとき
一週間ばかり徹夜して看病したことがあるが
後でぼんやりして大いに弱ったことがある。
少しぐらい体が疲れたって構わんさ。
あんな貫物をあのままにしておくと
日本のためにならないから
僕が天に代わって中陸を加えるんだ。
ふん、愉快だ。
そうことが決まれば俺も稼いしてやる。
それで今夜から夜晩をやるのかい?
まだマセヤに掛け合ってないから
今夜はダメだ。
それじゃあいつから始めるつもりだい?
近々のうちやるさ。
いずれ君に報知をするから
そしたら加勢してくれたまえ。
よろしい。いつでも加勢する。
僕は計り事は下手だが
喧嘩と来るとこれでなかなか素晴しこいぜ。
俺と山嵐がしきりに
赤シャツ退治の計り事を相談していると
宿の婆さんが出てきて
学校の生徒さんが一人
ホット先生にお目にかかりたい
てておいでたぞなもし。
周囲の人々との関係
今お宅へさんじたんじゃが
おるすじゃけで
大方ここじゃろうてて探し当てておいでたの
じゃがなもし。
としきりのところへ膝をついて
山嵐の返事を待ってる。
山嵐はそうですかと玄関まで出て行ったが
やがて帰ってきて
君、生徒が宿場会の
洋気を見に行かないかって誘いに来たんだ。
今日はコーチから
なんとか踊りをしにわざわざここまで
他人数乗り込んできているのだから
ぜひ見物しろ。
君も一緒に行ってみたまえと
山嵐は大いに乗り気で
俺に同行をすすめる。
俺は踊りなら東京で
たくさん見ている。
毎年八幡様のお祭りには
屋台が町内へ回ってくるんだから
塩組でもなんでもちゃんと心得ている。
とさっぽのバカ踊りなんか
見たくもないと思ったけれども
せっかく山嵐がすすめるもんだから
つい行く気になって門へ出た。
山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら
赤シャツの弟だ。
会場へ入ると
栄光院の相撲か本門寺のお会式のように
行く流れとなく長い旗を
所々に植え付けた上に
世界万国の国旗をことごとく
借りてきたらしい。
縄から縄、綱から綱へ
渡しかけて大きな空が
あいつになく賑やかに見える。
東の隅に一夜作りの舞台を設けて
ここでいわゆる高知のなんとか踊りを
やるんだそうだ。
舞台を右へ半丁ばかり来ると
吉津の囲いをして
池花が陳列してある。
みんなが感心して眺めているが
一向くだらないもんだ。
あんなに草や竹を撒けて
嬉しがるなら、背虫の色男や
びっこの定主をもって自慢するが
よかろう。
舞台とは反対の方面で
しきりに花火をあげる。
花火の中から風船が出た。
帝国万歳と書いてある。
天主の松の上を
ふわふわ飛んで英書の中へ落ちた。
次はポンと音がして
黒い団子がちょっと秋の空を
射抜くように上がると
それが俺の頭の上でポカリと割れて
青い煙が傘の骨のように開いて
だらだらと空中に流れ込んだ。
風船がまた上がった。
今度は陸海軍万歳と
赤地に白く染め抜いたやつが
風に揺られて
湯の町から葵村の方へ飛んでいった。
大方観音様の境内へでも
落ちたろう。
四季の時はさほどでもなかったが
今度は大変な人出だ。
田舎にもこんなに人間が住んでいるかと
驚いたぐらいうじゃうじゃしている。
利口の顔はあまり見当たらないが
数から言うと確かに馬鹿にできない。
そのうち評判の
高知のなんとか踊りが始まった。
踊りというから
藤間か何ぞのをやる踊りかと
早方にしていたがそれは大間違いであった。
いかめしい後ろ八幕をして
立つけばかもを履いた
男が十人ばかりずつ
舞台の上に三列に並んで
その三十人がことごとく
抜き身を下げているには
玉桁。
前列と後列の間はわずか
一尺五寸ぐらいだろう。
左右の間隔はそれより短いとも長くはない。
たった一人列を離れて
舞台の端に立っているのがあるばかりだ。
この仲間外れの男は
袴だけはつけているが
後ろ八幕は契約して
抜き身の代わりに胸へ太鼓を掛けている。
太鼓は大神楽の太鼓と同じものだ。
この男がやがて
いやーはーと
のんきな声を出して
妙な歌を歌いながら
太鼓をボコボンボコボンと叩く。
歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。
三河漫才と
不堪楽屋の合併したものと思えば
大した間違いにはならない。
歌はすこぶる悠長なもので
夏分の水飴のように
だらしがないが
区切りを取るためにボコボンを入れるから
野別のようでも拍子は取れる。
この拍子に応じて
三十人の抜け身がピカピカと光るのだが
これはまたすこぶる迅速なお手際で
拝見していてもひやひやする。
隣も後ろも
一尺五寸以内に生きた人間がいて
その人間がまた
切れる抜け身を
自分と同じように振り回すのだから
よほど調子が揃わなければ
同志打ちを始めて怪我をすることになる。
それも動かないで刀だけ
前後とか上下とかに振るのなら
まだ危なくもないが
三十人が一度に足踏みをして
横を向くときがある。
膝を曲げることがある。
隣の者が
一秒でも早すぎるか
遅すぎれば自分の鼻は落ちるかもしれない。
隣の頭は
そがれるかもしれない。
抜け身の動くのは自由自在だが
その動く範囲は
一尺五寸角の柱の内に限られた上に
前後左右の者と
同方向に同速度にひらめかなければならない。
こいつは驚いた。
なかなかもって
主翼身や脊の戸の及ぶところでない。
聞いてみると
これは鼻肌熟練のいる者で
容易なことではこういう風に調子が合わないそうだ。
ことに難しいのは
かの万歳武士のボコボン先生だそうだ。
三十人の足の運びも
手の働きも
喧嘩の騒動
腰の曲げ方も
ことごとくこのボコボン君の表紙一つで
決まるのだそうだ。
旗で見ていると
この大将が一番呑気そうに
やーはーと気楽にうざってるが
その実鼻肌責任が重くって
非常に骨が折れるとは不思議なもんだ。
俺と山嵐が
関心のあまり
この踊りを余念なく見物していると
班長ばかり向こうの方で
急にうわっという時の声がして
今まで穏やかに
少々縦覧していた連中が
にわかに波を打って
右左に動き始める。
喧嘩だ喧嘩だという声がすると思うと
人の袖をくぐり抜けてきた
赤シャツの弟が
先生また喧嘩です。
山嵐は喧嘩をするので
また師範の奴と決戦を始めたところです。
早く来てくださいと言いながら
また人の波の中へ潜り込んで
どっか行ってしまった。
山嵐は世話の焼ける小僧だ
また始めたのか
いい加減にすればいいのにと
逃げる人を避けながら一算に駆け出した。
見ているわけにもいかないから
取り静めるつもりだろう。
俺は無論のこと逃げる気はない。
山嵐のカカオトを踏んで
後からすぐ現場へ駆けつけた。
喧嘩は今が真っ最中である。
師範の方は
5、60人もあろうか。
中学は確かに3割方多い。
師範は制服を着けているが
中学は式後
大抵日本服に着替えているから
敵味方はすぐわかる。
しかし
入り乱れてくんずほぐれつ戦っているから
どこからどう手をつけて
引き分けていいかわからない。
山嵐は困ったなという風で
しばらくこの乱雑なありさまを眺めていたが
こうなっちゃ仕方がない。
巡査が来ると面倒だ。
飛び込んで分けようと俺の方を見て言うから
俺は返事もしないで
いきなり一番喧嘩の激しそうなところへ踊り込んだ。
よせよせ。
そんな乱暴すると学校の対面に関わる。
よさないか。と
出るだけの声を出して
敵と味方の分解戦らしいところを突き抜けようとしたが
なかなかそううまくはいかない。
1、2件入ったら
出ることも引くこともできなくなった。
目の前に比較的大きな
四半生が15、6の中学生と
組み合っている。
よせと言ったらよさないか。と
四半生の肩を持って無理に引き分けようとする途端に
誰か知らないが下から
俺の足をすくった。
俺は不意を打たれて握った肩を離して
横に倒れた。
固い靴で俺の背中の上に乗った奴がある。
両手と膝をついて
下から跳ね起きたら
乗った奴は右の方へ転がり落ちた。
起き上がってみると3件ばかり向こうに
山嵐の大きな体が
大学生との間に挟まりながら
よせよせ、喧嘩はよせよせと
もみ返されているのが見えた。
おい到底だめだと言ってみてが
聞こえないのか返事もしない。
ひゅーと風を切って
飛んできた石がいきなり俺の
頬骨へ当たったなと思ったら
後ろからも背中を棒でどやした奴がある。
教師のくせに出ている
ぶてぶてという声がする。
教師は二人だ。大きいやつと小さいやつだ。
石を投げろ。
という声もする。
教師はなに生意気なことを脱がすな
田舎者のくせに
いきなりそばにいた市販生の頭を張り付けてやった。
石がまたひゅーと来る。
今度は俺のゴブ狩りの頭をかすめて
後ろの方へ飛んでいった。
山嵐はどうなったか見えない。
こうなっちゃ仕方がない。
はじめは喧嘩を止めに入ったんだが
どやされたり石を投げられたりして
恐れ言って引き下がる
うんでれがんがあるものか。
俺を誰だと思うんだ。
なりは小さくっても喧嘩の本場で
兄さんだ兄さんだとむちゃくちゃに張り飛ばしたり
張り飛ばされたりしていると
やがて巡査だ巡査だ
逃げろ逃げろという声がした。
今までくずねりの中で
泳いでいるように身動きもできなかったのが
急に楽になったと思ったら
敵も味方も一度に引き上げてしまった。
田舎者でも退却は巧妙だ。
黒パトキンより上手いくらいである。
山嵐はどうしたかと見ると
モンツキの人栄羽織をずたずたにして
向こうの方で鼻を吹いている。
鼻柱を殴られて
だいぶ出血したんだそうだ。
鼻が膨れ上がって真っ赤になって
すこぶる見苦しい。
俺はかすりの合わせを着ていたから
泥だらけに至ったけれども
山嵐の羽織ほど損害はない。
しかし
ほっぺたがピリピリしてたまらない。
山嵐はだいぶ血が出ているぜと教えてくれた。
巡査は
十五六名来たんだが
生徒は反対の方面から退却したので
捕まったのは
俺と山嵐だけである。
俺らは生命を告げて
一部指示を話したら
ともかくも警察まで来いと言うから
警察へ行って
署長の前でことの天末を述べて
下宿へ帰った。
新聞の衝撃
十一
あくる日、目が覚めてみると
体中痛くてたまらない。
久しく喧嘩をしつけなかったから
こんなに応えるんだろう。
これじゃあんまり自慢もできないと
床の中で考えていると
婆さんが四国新聞を持ってきて
実は新聞を見るのも大義なんだが
男がこれしきのことにへこたれて
仕様があるもんかと無理に腹ばえになって
寝ながら二ページを開けてみると
驚いた。
昨日の喧嘩がちゃんと出ている。
喧嘩が出ているのは驚かないのだが
中学の教師ホッタボート
近頃東京から赴任した
生意気なるボートが
巡漁なる生徒を試奏して
この騒動を喚起せるのみならず
両輪は現場にあって生徒を指揮したる上
みだりに市販制に向かって
暴行を欲しいままにしたりと書いて
次にこんな意見が付記してある。
本県の中学は赤字より
善良恩順の寄付をもって
全国の整防をするところなりしが
軽薄なる二重支のため
我が校の特権を毀損させられて
この不真面目を全市に受けたる以上は
御人は憤然として立って
その責任を問わざるを得ず
御人は信ず。御人が手を下す前に
当局者は相当の処分を
この無礼官の上に加えて
彼らをして再び教育界に
足を入れる余地なからしむことを
そして一時ごとにみんな
クロテンを加えてお給を据えたつもりでいる。
俺は床の中で
クソでもくらえと言いながら
むっくり飛び起きた。
不思議なかとに今まで体の
ふしぶしが非常に痛かったのが
飛び起きると同時に忘れたように軽くなった。
俺は新聞を丸めて
庭へ投げつけたが
それでもまだ気に入らなかったから
公家へ持って行って捨ててきた。
新聞なんてむやみな嘘をつくもんな。
世の中に
何が一番ホラを吹くって
新聞ほどのホラ吹きはあるまい。
俺の言ってしっかるべきことを
みんな向こうで並べて言いやがる。
それに近頃東京から赴任した
生意気な坊とは何だ。
天下に坊という名前の人があるか
考えてみろ。これでも劣気とした性もあり
名もあるんだ。
刑図が見たければ
ただの饅頭以来の先祖を一人残らず
顔を洗ったら
ほっぺたが急に痛くなった。
婆さんに鏡を貸せと言ったら
今朝の新聞を
見たかなともしっと聞く。
読んで公家へ捨ててきた。
欲しきら拾ってこいと言ったら
驚いて引き下がった。
鏡で顔を見ると
昨日と同じように傷がついている。
これでも大事な顔だ。顔へ傷まで作られた上
生意気なる坊などと
坊呼ばれるようされればたくさんだ。
今日の新聞に
出てくるやつも出てくるやつも
俺の顔を見て笑っている。
何がおかしいんだ。
貴様らにこしらえてもらった顔じゃあるまいし
そのうちにのだが出てきて
いや昨日はお手柄で
名誉のご不祥でげすか
と送別会の時に
殴った返法と心得たのが
嫌に冷やかしたから
余計なことは言わずに
Fででもなめていろと言ってやった。
すると
こりゃ恐れ入りやした。
しかしさぞお痛いことでげしょう
と言うから
痛からおが痛くなからおが俺の面だ。
貴様の世話になるもんか。
と怒鳴りつけてやったら
向こう側の自席へついて
やっぱり俺の顔を見て
隣の歴史の教師と何か内緒話をして笑っている。
それから山嵐が出頭した。
山嵐の花に至っては
紫色に膨張して
掘ったら中から海が出そうに見える。
うぬぼれのせいか
俺よりよっぽど手ひどくやられている。
俺と山嵐は机を並べて
隣同士の近しい中で
おまけにその机が
部屋の戸口から真正面にあるんだから
運が悪い。
学校の反応
妙な顔が二つ固まっている。
他の奴は退屈にさえなると
きっとこっちばっかり見る。
どんだことで
と口で言うが
心のうちではこのバカがと思っているにそういない。
それでなければ
ああいうふうにささやきあっては
くすくす笑うわけがない。
午後、生徒は拍手をもって迎えた。
先生万歳というものが二、三人あった。
元気がいいんだか
馬鹿にされているんだかわからない。
俺と山嵐がこんなに注意の焦点となっている中に
赤シャツばかりは
平常の通りそばへ来て
どうもとんだ災難でした。
僕は君らに対してお気の毒でなりません。
新聞の記事は校長とも相談して
生後を申し込む手続きにしておいたから
心配しなくてもいい。
僕の弟がホッタ君を誘いに行ったから
こんなことが起こったので
僕は実に申し訳がない。
それで、この件についてはあくまで尽力するつもりだから
どうか叱らず。
などと半分謝罪的な言葉を並べている。
校長は
三時間目に校長室から出てきて
困ったことを新聞が書き出しましたね。
難しくならなければいいがと
多少心配そうに見えた。
俺には心配なんかしない。
先で名職をするのは
名職される前に辞表を出してしまうだけだ。
しかし、自分が悪くないのに
こっちから目を引くのは
さっきの新聞屋をますます増長させるわけだから
新聞屋を整語させて
俺が維持にも努めるのが
順当だと考えた。
帰りがけに
新聞屋二段板に行こうと思ったが
学校から取り消しの手続きはしたというからやめた。
俺と山原氏は
校長と教頭に
時間の合間を見計らって
嘘のないところを一応説明した。
校長と教頭は
そうだろう、新聞屋が学校に恨みを抱いて
あんな記事をことさらに掲げたんだろう
赤シャツの策略
と論断した。
赤シャツは
俺らの行為を弁解しながら
控え所を一人ごとに回って歩いていた。
ことに
自分の弟が山原氏を誘い出したのを
自分の家室であるかのごとく
不意調していた。
みんなは全く新聞屋が悪い。
けしからん。
りょう君は実に異彩なんだと言った。
帰りがけに山原氏は
君、赤シャツは臭いぜ。
用心しないとやられるぜ。
どうせ臭いんだ。
今日から臭くなったんじゃなかろうと言うと
君、まだ気がつかないのか。
昨日わざわざ僕らを誘い出して
喧嘩の中へ巻き込んだのは策だぜ。
と教えてくれた。
なるほど、そこまでは気づかなかった。
山原氏はそぼーなようだが
俺より知恵のある男だと感心した。
ああやって喧嘩をさせておいて
すぐ後から新聞屋へ手を回して
あんな記事を書かせたんだ。実に感物だ。
新聞までも赤シャツか。
そいつは驚いた。
しかし新聞が赤シャツの言うことを
そうたやすく聞くかね。
聞かなくって
新聞屋に友達がいればわけないさ。
友達がいるのかい?
いなくてもわけないさ。
嘘をついて事実これこれだと話しやすぐ書くさ。
ひどいもんだな。
本当に赤シャツの策なら
僕らはこの事件で免職になるかもしれないね。
悪くするとやられるかもしれない。
そうなら俺は明日自費を出して
すぐ東京へ帰っちまうわ。
こんな過等なところに
頼んだっているのは嫌だ。
君が自費を出したって赤シャツは困らない。
それもそうだな。
どうしたら困るだろう。
あんな感物のやることは
なんでも証拠の上がらないように
上がらないようにと工夫するんだから
反発するのは難しいね。
厄介だな。
それじゃあ濡れ木に起きるんだね。
面白くもない。
天道ぜかひだ。
まあもう2,3日状況見ようじゃないか。
それでいよいよとなったら
湯の町で取って抑えるより仕方がないだろう。
喧嘩事件は喧嘩事件としてか。
そうさ。
こっちはこっちで向こうの急所を抑えるのさ。
それもよかろう。
俺は策略は下手なんだから
万事よろしく頼む。
いざとなればなんでもする。
俺と山嵐はこれで別れた。
赤シャツが果たして
山嵐の推察通りを描いたのなら
実際にひどいやつだ。
俺は知恵比べで勝てるやつではない。
どうしても腕力でなくっちゃダメだ。
校長との対談
なるほど。
世界に戦争は絶えないわけだ。
個人でも都度のつまりは腕力だ。
あくる日。
新聞の来るのを待ちかねて開いてみると
生後どころか取り消しも見えない。
学校へ行って
狸に採測すると
明日ぐらい出すでしょうと言う。
明日になって6号活字で小さく取り消しが出た。
しかし新聞屋の方で
生後は無論しておらない。
また校長に談判すると
あれより手続きのしようがないのだ
という答えだ。
校長なんて狸のような顔をして
嫌にフロックばっているが
存外無勢力なものだ。
虚偽の記事を掲げた田舎新聞一つ
謝らせることができない。
あんまり腹が立ったから
それじゃあ私が一人で行って
主筆に談判すると言ったら
それはいかん。君が談判すればまた悪口を書かれるばかりだ。
つまり
新聞屋に書かれたことは
本当にせよ、つまりどうすることもできないもんだ。
諦めるより他に仕方がないと
坊主を説教じみた説意を加えた。
新聞がそんなもんなら
一日も早くぶっ潰してしまった方が
我々の利益だろう。
新聞に書かれるのと
すっぽんに食いつかれるとが
似たり寄ったりだとは
今日ただの今
畳の説明によって初めて承知つかまつった。
それから3日ばかりして
ある日の午後
山嵐がふんぜんとやってきて
俺は例の計画を断行するつもりだと言うから
そうかそれじゃ俺もやろうと
即座に
一味怒涛に加盟した。
ところが山嵐が
君は寄せほうがよかろうと首を傾けた。
なぜ?と聞くと
君は校長に呼ばれて
辞表を出せと言われたかと尋ねるから
いや言われない。君は?
と聞き返すと
今日校長室で誠に気の毒だけれども
事情をやもうえんから処決してくれと
言われたとのことだ。
そんな裁判はないぜ。
狸やオオカタ腹ずずみを叩きすぎて
井の内が転倒したんだ。
君と俺は一緒に宿舎を変えててさ
一緒にコーチのピカピカ踊りを見てさ
一緒に喧嘩を止めに入ったんじゃないか。
辞表を出せと言うなら
公平に両方へ出せと言うがいい。
なんで田舎の学校はそういう理屈がわからないんだろう。
じれったいな。
それが赤シャツの差し金だよ。
俺と赤シャツとは今までの行きがかり以上
到底両立しない人間だが
君の方は今の通り置いても
害にならないと思ってるんだ。
俺だって赤シャツと両立するもんか。
害にならないと思うなんて生意気だ。
君はあんまり単純すぎるから
置いたってどうでも誤魔化されると
考えられてるのさ。
なお悪いや。
誰が両立してやるもんか。
それにせんだって子学が去ってから
まだ公認が事故のために到着しないだろう。
その上に君と僕を同時に追い出しちゃ
生徒の時間に空きができて
授業に差し支えるからな。
それじゃあ俺を愛のくさびに
一石二鳥かわせる気なんだな。
こんちくしょう。
誰がその手に乗るもんか。
あくる日、
俺は学校へ出て校長室へ入って
談判を始めた。
なんで私に辞表を出せと言わないんですか。
え?
と狸はあっけに捉えている。
放ったには出せ。
私には出さないでいいという法がありますか。
それは学校の方の都合で。
その都合が間違ってます。
私が出さなくて済むなら
放っただって出す必要はないでしょう。
その辺は説明ができかねますが、
放った君はさられてもやむを得んのですが、
あなたは辞表を出しになる必要を
認めませんから。
なるほど、狸だ。
容量を得ないことばかり並べて
しかも落ち着き払ってる。
俺はしようがないから。
それじゃあ私も辞表を出しましょう。
放った君一人自食させて
私が暗官として
とどまっていられると思っていらっしゃるんだ。
私にはそんな不人情なことはできません。
それは困る。
放ったもん去り、あなたも去ったら
学校の数学の授業は
まるでできなくなってしまうから。
できなくても私の知ったことじゃありません。
君にそうわがままを言うもんじゃない。
少しは学校の授業もさせてくれなくっちゃ困る。
それに来てから
一月一発か経たないのに
自食したというと
君の将来の履歴に関係するから
その辺も少しは考えたらいいでしょう。
履歴なんか関わうもんですか。
履歴より義理が大切です。
それはごもっとも。
君の言うところは
いちいちごもっともだが
私の言う方も少しは察してください。
君がぜひ自食するというなら
自食されてもいいから
代わりのあるまでどこかやってもらえて
とにかくうちでもう一遍
考え直してみてください。
考え直すって直しようのない
明明白々たる理由が
狸が青くなったり赤くなったりして
かわいそうになったから
赤シャツには口も聞かなかった。
どうせやっつけるなら
固めてうんとやっつけるほうがいい。
仲間との連携
山嵐に狸と
談判した模様を話したら
大方そんなことだろうと思った。
辞表のことはいざとなるまで
そのままにしておいても
差し支えあるまいとの話だったから
山嵐の言うとおりにした。
どうも山嵐のほうが
俺よりも利口らしいから
万事山嵐の忠告に従うことにした。
山嵐はいよいよ辞表を出して
学園一堂に国別の挨拶をして
浜の港屋まで下がったが
人に知られないように引き返して
湯の町の正屋の表2階へ潜んで
障子へ穴を開けて覗き出した。
これを知っている者は
俺ばかりだろう。
赤シャツがしのんでくればどうせ夜だ。
しかも酔いの口は生徒やその他の目があるから
少なくとも9時過ぎに決まってる。
最初の二晩は俺も
11時ごろまで張り板をしたが
赤シャツの影も見えない。
夜は9時から11時半まで覗いたが
やはり駄目だ。
駄目を踏んで夜中に下宿へ帰るほど
馬鹿げたことはない。
しごんちすると
うちのばあさんが少々心配を始めて
奥さんのオアリルに
夜遊びはおやめた方がええぞ
なもしと忠告した。
その夜遊びとは夜遊びが違う。
こっちのは天に代わって中陸を加える夜遊びだ。
とは言うものの
一週間も通って少しも
弦が見えないと嫌になるもんだ。
夜はせっかちな勝負だから
熱心になると徹夜でもして仕事をするが
その代わり何によらず
長持ちした試しがない。
いかに天中灯でも明けることに
変わりはない。
6日目には少々嫌になって
7日目にはもう休もうかと思った。
そこへ行くと
山嵐は頑固なもんだ。
酔いから12時過ぎまでは目を生地へつけて
門屋の丸坊屋のガストーの下を
睨めっきりである。
俺が行くと
何人だって泊まりが何人
女が何人といろいろな統計を示すには驚いた。
どうも来ないようじゃないかと言うと
うん、確かに来るはずだがと
時々腕組みをしてため息をつく。
かわいそうに
もし赤シャツがここへ一度来てこれなければ
山嵐は生涯天中を
加えることができないのである。
8日目には
7時頃から下宿を出て
まずゆるりと湯に入って
それから町でケーランをやっつかった。
これは下宿のおばあさんの
芋ゼミに応ずる策である。
その卵を4つずつ
左右のたもとへ入れて
例の赤手ぬぐいを肩へのせて
懐で押しながら末矢のはしご壇を
上って山嵐の座敷の障子を開けると
おい、ゆうぼうゆうぼうと
いらてんのような顔は
急に活気を呈した。
夕べまでは少しふさぎの気味で
旗で見ている俺さえ陰気くさいと思ったくらいだが
この顔色を見たら
俺も急に嬉しくなって
何も聞かない先から愉快愉快と言った。
今夜7時半頃
あの小鈴という芸者が門屋へ入った。
赤シャツと一緒か。
いいや。
それ以上だめだ。
芸者は二人連れだがどうもゆうぼうらしい。
どうして?
主人公の葛藤と成長
どうしてってああいうずるいやつだから
芸者を酒へよこして後から
しのんでくるかもしれない。
ああ、そうかもしれない。もう9時だろう。
今9時20分ばかりだ。
と帯の間からニッケル製の時計を出して
見ながら言ったが
オキランプを消せ。
小枝へ二つ坊主頭が映っておかしい。
狐はすぐ疑うが。
俺は一貫張りの机の上にあった
オキランプをふっと吹き消した。
星明かりで小枝だけは少々明るい。
月はまだ出ていない。
俺と山嵐は
一生懸命に小枝へ顔をつけて
息を凝らしている。
チーンと9時半の柱時計が鳴った。
おい来るだろうな。
今夜来なければ僕はもうやだぜ。
俺は善人を続く限りやるんだ。
善人っていくらあるんだい。
今日までで8日分
5円60銭払った。
いつ飛び出しても都合のいいように
毎晩勧奨するんだ。
それは手回しがいい。
宿屋で驚いているだろう。
宿屋はいいが気が離せないから困る。
その代わり昼寝をするだろう。
昼寝はするが
外出ができないので窮屈でたまんない。
天柱も骨が折れるな。
これで天網をかいかい一層にして
漏らしてしまったり
何かしちゃつまらないぜ。
なぁに今夜はきっと来るよ。
おい見ろ見ろ。
と小声になったから
俺は思わずドキリとした。
黒い帽子を頂いた男が
門屋のガストを下から見上げたまま
暗い方へ通り過ぎた。
違っている。おやおやと思った。
そのうち長刃の時計が
遠慮なく十字を打った。
今夜もとうとうダメらしい。
世間はだいぶ静かになった。
夕角で鳴らす太鼓が
聞こえる。月が
湯の山の後ろからのっと顔を出した。
おごらえは明るい。
すると下の方から人声が
聞こえ出した。窓から首を
出すわけにいかんから姿を突き止めることは
できないがだんだん近づいて
くる模様だ。カランカランと
細けたを引きずる音がする。
目を斜めにするとやっと二人の
影法師が見えるくらいに近づいた。
もう大丈夫ですね。
邪魔者は追っ払ったから。
まさしくのだの声である。
強がるばかりで
策がないからしようがない。
これは赤シャツだ。
あの男もベランメイに似てますね。
あのベランメイと来たら
イサミ肌のぼっちゃんだから愛嬌がありますよ。
臓球が嫌だの
自表を出したいのって、あれはどうしても
神経に異常があるに沿いない。
俺は窓を開けて
二階から飛び降りて、思うさま
ぶちのめしてやろうと思ったが、やっとのことで
辛抱した。
二人はハッハッハッと笑いながら
ガストアの下をくぐって、門屋の中へ
入った。
おい、おい、来たぜ。
とうとう来た。
これでようやく安心した。
のだのちくしょう。俺のことは
イサミ肌のぼっちゃんだとぬかしやがった。
邪魔者っていうのは俺のことだぜ。
失敬千万だ。
俺と山嵐は
二人の帰路を要撃しなければならない。
しかし二人はいつ出てくるか
見当がつかない。
山嵐は下へ行って、
やると夜中に用事があって出るかもしれないから
出られるようにしておいてくれ。
と頼んできた。
今思うと、よく宿の者が招致したもんだ。
大抵なら泥棒と
間違えられるところだ。
赤シャツの来るのを待ち受けたのは
辛かったが、出てくるのを
じっと待ってるのはなお辛い。
寝るわけにはいかないし、
始終招致の隙から眺めているのも辛いし、
どうもこうも心が落ち着かなくって
これほど難儀な思いをしたことは
未だにない。
本当のこと、門屋へ踏み込んで
現場を取って抑えようと発議したが、
山嵐は一言にして、俺の申し出をしりぞけた。
自分どもが
いま自分飛び込んだって乱暴者だと言って
途中でさえぎられる。
訳を話して面会を求めれば
いないと逃げるか別室へ案内をする。
不要意のところへ踏み込めると
仮定したところで、何十とある座敷の
どこにいるか分かるものではない。
退屈でも、出るのを待つより
他に策はないというから、
一言でとうとう朝の五時まで我慢した。
門屋から出る
二人の影を見るや否や、俺と山嵐は
すぐ後をつけた。
一番岸はまだないから、
二人とも上下まで歩かなければならない。
湯の町を外れると
一丁ばかりの杉並木があって
左右は田んぼになる。
そこを通り越すと、ここかしこに
藁吹きがあって、畑の中を
一筋に上下まで通ると手入れる。
町さえ外れれば
どこで追いついても構わないが、
なるべくなら陣下のない杉並木で
貫いてやろうと
見え隠れについてきた。
町を外れると、急に駆け足の姿勢で
早手のように後ろから追いついた。
何が来たかと驚いて、
振り向く奴を
待てと言って肩に手を掛けた。
野田は老敗の気味で逃げ出そうという
景色だったから、俺が前へ回って
行く手を塞いでしまった。
京都の職を持っている者が
何で門屋へ行って止まった。
と山嵐はすぐなじりかけた。
京都は門屋へ泊まって
悪いという規則がありますか。
と赤シャツは依然として
丁寧な言葉を使っている。
顔の色は少々青い。
取り締まり上不都合だから
蕎麦屋や団子屋へさえ
入ってはいかんというくらい緊張がない人か。
なぜ下車と一緒に
宿屋へ泊まり込んだ。
野田は隙を見ては逃げ出そうとするから
俺はすぐ前に立ちふさがって
ベラン名の坊ちゃんとはなんだ
と怒鳴りつけたら
いえ、君のことは言ったんじゃないんです。
まったくないんです。
と鉄面皮に言い訳がおもしいことをぬかした。
俺はこのとき
気がついてみたら
両手で自分のたもとを握ってる。
追っかけるときにたもとの中の卵が
ぶらぶらして困るから
両手で握りながら来たのである。
俺はいきなりたもとへ手を入れて
卵を二つ取り出して
にやっと言いながら野田の面へ叩きつけた。
卵がぐちゃりと割れて
鼻の先から黄身がだらだら流れ出した。
野田はよっぽど
行天したものと見えて
わっと言いながらしりもちをついて
助けてくれと言った。
俺は食うために卵を分かったが
ぶつけるためにたもとへ入れてるわけではない。
ただ感触のあまりに
ついぶつけるともなしにぶつけてしまったのだ。
しかし野田がしりもちをついたところを見て
初めて俺の成功したことに
気がついたから
こんちくしょうこんちくしょうと言いながら
残る六つをむちゃくちゃに叩きつけたら
野田は顔じゅう黄色になった。
俺が卵を叩きつけているうち
山嵐と赤シャツはまだ
談判最中である。
ゲイシャを連れて
僕が宿屋へ泊まったという証拠がありますか。
余裕に貴様の
馴染みのゲイシャが門屋へ入ったっていうのを見て
いうことだ。ごまかせるもんか。
ごまかす必要はない。
僕は吉川君と二人で泊まったのである。
ゲイシャが余裕に入ろうが入るまいが
僕の知ったことではない。
黙れ。と山嵐は
厳骨をくわした。
赤シャツはヨロヨロしたが
これは乱暴だ。漏石である。
利票便じないで湾緑に訴えるのは無法だ。
無法で
たくさんだ。とまたポカリと殴る。
貴様のような貫物は
殴らなくちゃ答えないんだ。と
ポカポカ殴る。
俺も同時に野田を散々に叩きつれた。
しまいには二人とも
杉の寝方にうずくまって動けないのか
目がチラチラするのか逃げようともしない。
もうたくさんか。
たくさんでなければまだ殴ってやる。
野田をポカンポカンと二人で殴ったら
もうたくさんだ。と言った。
野田に
貴様もたくさんか。と聞いたら
もろんたくさんだ。と答えた。
貴様らは貫物だからこうやって天地を
喰わえるんだ。これに懲りて
依頼慎めがいい。
いくら言葉巧みに弁解が立っても正義は許さんぞ。
と山嵐が言ったら
二人とも黙っていた。
ことによると口を聞くのが大義なのかもしれない。
俺は逃げも隠れもせん。
今夜五時まで
浜の港屋にいる。
用があるなら巡査なり何なり起こせ。
と山嵐が言うから
俺も逃げも隠れもしないぞ。
ホッタと同じところに待ってるから
警察が訴えたければ勝手に訴えろ。
と言って
二人してスタスタ歩き出した。
俺が下宿へ帰ったのは
七時少し前である。
部屋へ入るとすぐ煮作りを始めたら
婆さんが驚いて
どうしるのそんなもんしいと聞いた。
お婆さん東京へ行って奥さんを連れてくるんだと答えて
感情を澄ましてすぐ
汽車へ乗って浜へ来て港屋へ着くと
山嵐は二階で寝ていた。
俺はさっそく字表を書こうと思ったが
何と書いていいかわからないから
わたくしぎ
都合これあり
辞職の上東京へ帰り申し
僧侶につき作用御承知下されたく
僧侶以上
と書いて校長宛てに
郵便で出した。
汽船は夜六時の出版である。
山嵐も俺も疲れて
ぐいぐい寝込んで目が覚めたら
午後二時であった。
下所に
巡査は来ないかと聞いたら
参りませんと答えた。
赤シャツものだも訴えなかったなぁと
二人は大きに笑った。
その夜俺と山嵐は
この不条な地を離れた。
船が岸を去れば去るほど
いい心持ちがした。
神戸から東京までは直行で
新橋へ着いたときはようやく
車場へ出たような気がした。
朝霧、今日まで会う機会がない。
キヨのことを
話すのを忘れていた。
俺が東京へ着いて下宿へも行かず
カバンを下げたまま
キヨや帰ったよと飛び込んだら
あらもっちゃんよくまあ早く
帰ってきてくださったと涙を
ポタポタと落とした。
俺もあまり嬉しかったからもう田舎へは
行かない。東京でキヨと
家を持つんだと言った。
その後ある人の
終戦で外鉄の義手になった。
月給は25円で
家賃は6円だ。
キヨは玄関付きの家でなくっても
至極満足の様子であったが
気の毒なことに今年の2月
肺炎にかかって死んでしまった。
死ぬ前日
俺を呼んで
もっちゃん御所だから
キヨが死んだらぼっちゃんのお寺へ
埋めてください。お墓の中で
ぼっちゃんの来るのを楽しみに待っております
と言った。
友情と対立
だからキヨの墓は
小港の陽源寺にある。
明治39年4月
1992年発行
筑磨書房
筑磨日本文学全集
夏目漱石
より
独領読み終わりです。
やあやあやあ
の世界でしたね。
今から一緒に
これから
一緒に
暴力はだめだけど
話してもわかんねえなら殴るしかねえ
っていうね
やあやあって今多分出せないですよね
コンプラ的にね
殴りに行っちゃだめでしょって
言われそうだもんな
緊急報告と家族の話
そういえば先日
久しぶりの
知人の女性からLINEを
いただきまして
緊急報告
的な感じでもあるんですけど
去年の暮れ方にですね
赤ちゃんをご出産されて
女の子だったそうなんですが
それもあったので
僕のこのポッドキャストを
聞いてもらったら
赤ちゃんが眠そうにしてる
動画を送っていただきました。
可愛かったですね。
そして嬉しかったですね。
老若男女にお使いいただければ
とても嬉しいです。
といったところで今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
01:55:22

コメント

スクロール