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2024-05-28 25:45

032太宰治「酒ぎらい」

032太宰治「酒ぎらい」

お酒の失敗は一度や二度じゃありませんが、向いてる酒と向いていない酒がわかってきました。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式xまでどうぞ。
さて今日は、
太宰治の酒嫌いというテキストを見つけたので、 読もうと思うんですけど、
絶対嘘ですよね。この人はお酒にしくじて人生をダメにしたようなものだと思うんですけど、
わざわざ酒の題材に書くってことは、 好きすぎて嫌いみたいなことだと思いますけどね。
まあそれだけ大した内容じゃないと思うんですけど、
こんだけお酒飲んだぜみたいな内容になってそうなので、 ふわーっと聞いてそのまま寝落ちしていただければと思います。
それでは読んでまいります。 酒嫌い
二日続けて酒を飲んだのである。 おとといの夜と昨日と二日続けて酒を飲んで、
今朝は仕事しなければならぬので早く起きて、 台所へ顔を洗いに行き、
ふと見ると一升瓶が4本空になっている。 二日で4瓶を飲んだわけである。
もちろん私一人で4瓶を飲み干したわけではない。 おとといの晩は珍しいお客が3人、
この三鷹の牢屋にやってくることになっていたので、 私はその2、3日前からそわそわして落ち着かなかった。
一人はW君と言って初対面の人である。 いやいや初対面ではない。
お互い10歳の頃に一度顔を見合わせて話もせず、 それっきり20年間別れていたのである。
一月ほど前から私のところへ、 ちょいちょい日刊工業新聞という、私などとはとても縁の遠い新聞が送られてきて、
私はちょっと開いてみるのであるが、一向に読むところがない。
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なぜ私に送ってくださるのか、その真意をげしかねた。
下劣な私は、これを押し売りではないかとさえ疑った。 家内にも言い聞かせ、とにかくこれは怪しいから、 そっくり帯封も破らず、そのままにして保存しておくよう。
あとで代金を請求してきたら、ひとまとめにして返却するよう、 手筈を決めておいたのである。
そのうちに、新聞の帯封に差出の名前を記して送ってくるようになった。
Wである。 私の知らぬお名前であった。
私はいくどとなく首振って考えたがわからなかった。 そのうちに、
金木町のWと帯封に書いてよこすようになった。 金木町というのは私の生まれた町である。
津軽平野の真ん中の小さい町である。 同じ町の生まれゆえ、それで自社の新聞を送ってくださったのだということは判明するに至ったが、
やはりどんなお人であるか、 それを思い出すことができないのである。
とにかくご好意のほどはわかったのであるから、私はすぐにお礼を帆書に書いて出した。 私は十年も故郷へ帰らず、また今は肉親たちと恩親さえ普通の有様なので、
金木町のW様を思い出すことができず、 残念に存じております。
どなた様でございましたでしょうか。 おついでのおりは汚い家ですがお立ち寄りください。
というようなことを書きしたためたはずである。 相手の人のお年のほどもわからず、あるいはふるさとの大先輩かもしれぬのだから、
失礼に当たらぬよう、 言葉遣いにも十分注意したはずである。
折り返し長いお手紙をいただいた。 それでわかった。
裏の陶器所のお坊ちゃんなのである。 堅苦しく言えば青森県区裁判所金木町陶器所所長の長男である。
子供の頃は何のことかわからず、 ただ陶器所陶器所と呼んでいた。
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私の家のすぐ裏で、W君は私より一年上級生だったので、 直接話をしたことはなかったけれど、
たった一度その陶器所の窓からひょいと顔を出した、 その顔をちらりと見て、
その顔だけが二十年後の今となっても色あせずに、 はっきり残っていて実に不思議な気がした。
Wという名前を覚えていないし、 それこそ何の恩恵もないのだし、
私は高等学校時代の友人の顔でさえ忘れていることが ままあるくらいの健忘症なのに、
W君のその窓からひょいと出した丸い顔だけは、 真っ暗い舞台に一箇所スポットライトを当てたように、
鮮やかに目に見えているのである。 W君も内気なお人らしいから、
私同様、外へ出て遊ぶことはあまりなかったのではあるまいか。 その時、たった一度だけ私はW君を見かけて、
それが二十年後の今になっても、 まるでちゃんと天然色写真に撮っておいたみたいに、
映像がぼやけずに胸に残っているのである。 私はその顔をはがきに描いてみた。
胸の映像の通りに描くことができたので嬉しかった。 確かに蕎麦菓子があったのである。
その蕎麦菓子もてんてんと散らして描いた。 かわいい顔である。
私はそのはがきをW君に送った。 もし間違っていたらごめんなさい。と大いに非礼をおっしゃして、
それでもやはりその絵をお目にかけずにはいられなかった。 そして11月2日の夜6時ごろ、
やはり青森県出身の旧友が二人、接宅へ来るはずですから、 どうかその夜はおいでください。
お願いいたします。と書き添えた。 Y君とA君と二人誘い合わせて、
その夜、私の汚い家に遊びに来てくれることになっていたのである。 Y君とも10年ぶりで会うわけである。
Y君は立派な人である。 私の中学校の先輩である。
もとから情の深い人であった。 5、6年間いなくなった。
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大試練である。 その間独房にてずいぶん堂々の修行をなされたことと思う。
今はある書房の編集部に勤めておられる。 A君は私と中学校同級であった。
画家である。 ある宴会で、これも10年ぶりくらいでひょいと顔を合わせ、大いに私は興奮した。
私が中学校の3年生の時、 ある悪質の教師が生徒を罰して得意顔の瞬間、
私はその教師に軽蔑を込めた大拍手を送った。 たまったものでない。
今度は私が散々に殴られた。 この時、私のために立ってくれたのがA君である。
A君は直ちに同守を9号してストライキをはかった。 全学級の大騒ぎになった。
私は恐怖のためにわなわな震えていた。 ストライキになりかけた時、その教師が私たちの教室にこっそりやってきて、
どもりながらちんしゃした。 ストライキは取りやめとなった。
A君とはそんな共通の懐かしい思い出がある。 Y君にA君と2人そろって私の家に遊びに来てくれることだけでも、
私にとって大きな感激なのに、 今またW君と20年ぶりに会うことができるのであるから、
私は3日も前からそわそわして、 待つということはなかなかつらい心理であると、今さらながら痛感したのである。
よそからもらったお酒が2瓢あった。 私は平常、家に酒を買っておくということは嫌いなのである。
黄色く薄にごりした液体が、 いっぱい詰まってある一升瓶は、どうにも不潔な、ひわいな感じさえして、恥ずかしく、目障りでならぬのである。
台所の隅にその一升瓶があるばっかりに、 この狭い家全体がどろりと濁って、甘酸っぱい変な匂いさえ感じられ、
なんだか後ろ暗い思いなのである。 家の西北の隅に、
異様に周回の不情の者が、 とぐろを巻いて潜んであるようで、
机に向かって仕事をしていながらも、どうも潔白の精進ができないような不安な、 後ろ髪ひかれる思いでやりきれないのである。
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どうにも落ち着かない。 夜一人、机に頬杖ついていろんなことを考えて、
苦しく不安になって、 酒でも飲んでその気持ちをごまかしてしまいたくなることが時々あって、
その時には外へ出て三鷹駅近くの寿司屋に行き、 多いすぎで酒を飲むのであるが、
そんな時は家に酒があると便利だと思わぬこともないが、 どうも家に酒を置くと気がかりで、
そんなに飲みたくもないのに、ただ台所から酒を追放したい気持ちからガブガブ飲んで、 飲み干してしまうばかりで、
少量の酒を家に備えて、 気に臨んでちょっと飲むという落ち着きすました芸はできないのであるから、
自然、オールオアナッシングの流儀で普段は家の内に一滴の酒も置かず、 飲みたい時は外へ出て思う存分に飲むという習慣がついてしまったのである。
友人が来ても大抵外へ誘い出して飲むことにしている。 家の者に聞かせたくない話題などもひょいと出るかもしれぬし、
それに酒はもちろん酒の魚も用意がないので、 つい面倒くさく外へ出てしまうのである。
大いに親しい人ならば、そうしておいでになる日があらかじめわかっているならば、 ちゃんと用意をして、
夜通し、くつろいで飲み合うのであるが、 そんな親しい人は私にほんの数えるほどしかない。
そんな親しい人ならば、どんな貧しい魚でも恥ずかしくないし、 家の者に聞かせたくないような話題も出るはずはないのであるから、
私は大いばりで実に楽しく、 それこそ通院できるのであるが、
そんな好機会は二月に一度くらいのもので、 あとはたいてい突然の来訪に孫つき、つい外へ出ることになるのである。
なんといっても本当に親しい人と家でゆっくり飲むのに越した楽しみはないのである。
ちょうどお酒があるとき、ふらと親しい人が尋ねてきてくれたら実にうれしい。
ともあり遠方より来たる、 というあの子が自ら境中に湧き上がる。
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けれどもいつ来るかわからない。 常々酒を用意して待っているのでは、とても私は落ち着かない。
普段は一滴も酒を家のうちに置きたくないのだから、 その辺なかなかうまくいかないのである。
友人が来たからといって、何も事さらに酒を飲まなくても良さそうなものであるが、 どうもいけない。
私は弱い男であるから、酒も飲まずに真面目に対談していると、 30分ぐらいでもうヘトヘトになって、
卑屈におどおどしてきて、やりきれない思いをするのである。 自由活達に意見の改陳など、とてもできないのである。
AとかHとか、生返事していて、まるっきり違ったことばかり考えている。 心中絶えず愚かな堂々巡りの自問自答を繰り返しているばかりで、私はまるでアホである。
何も言えない。 無駄に疲れるのである。
どうにもやりきれない。 酒を飲むと気持ちをごまかすことができて、
でたらめ言っても、そんなに内心反省しなくなって、とても助かる。 その代わり酔いがさめると後悔もひどい。
土にまろび、大声でわーっとわるめき叫びたい思いである。 胸がドキンドキンと騒ぎ立ち、いてもたってもいられぬのだ。
何とも言えず、わびしいのである。 死にたく思う。
酒を知ってからもう十年にもなるが、一向にあの気持ちになれることができない。 平気でいられるのである。
惨喜。 後悔の念に文字通りてんてんする。
それなら酒を寄せばいいのに、やはり友人の顔を見ると変に猛興奮して、 怯えるような震えを全身に覚えて、酒でも飲まなければ助からなくなるのである。
厄介なことであると思っている。 おとといの夜、本当に珍しい人ばかり三人、
遊びに来てくれることになって、私はその三日ばかり前から落ち着かなかった。 台所にお酒が2箱あった。
これはよそから頂いたもので、私はその処置について思案していた矢先に、 Y君から
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11月2日の夜、A君と二人で遊びに行く、 という葉書をもらったので、よし、この機会にW君にも来ていただいて、
4人でこの2箱の処置をつけてしまおう。 どうも家の内に酒があると目障りで不潔で気が散っていけない。
4人で2箱は不足かもしれない。 だんたまたま家境に入った途端、
両母がまぬけ顔して、もう酒は切れましたと報告するのは、 効く方にとっては花々狂雑めのものであるから、もう一箱、
酒屋へ行って届けさせなさい、と私はもっともらしい顔して家の者に言いつけた。 酒は3箱ある。
台所に3本。 瓶が並んでいる。
それを見てはどうしても落ち着いているわけにはいかない。 大犯罪を遂行する者のごとく、
心中の不安、緊張は極点にまで達した。 身の程知らぬ贅沢者のように思われ、
犯罪意識がひしひしと身に迫って、私はおとといは朝から意味もなく庭をぐるぐる回って歩いたり、
また狭い部屋の中をのしのし歩き回ったり、 時計を5分ごとに見て、
一途に日の暮れるのを待ったのである。 6時半にダブリュー君が来た。
あの絵には驚きましたよ。 感心しましたね。
そぼかすなんかよく覚えていましたね。 と親しさを表現するために、
わざと津軽なまりの言葉を使ってダブリュー君は笑いながら言うのである。 私も久しぶりに津軽なまりを耳にして嬉しく、
こちらも大いに努力して津軽言葉を連発して、 飲むべしや、今夜は死ぬほど飲むべしや、
というような具合で一刻も早く酔っぱらいたくどんどん飲んだ。 7時少しすぎにY君とA君とがそろってやってきた。
私はただもう飲んだ。 感激を何と言い伝えていいかわからぬのでただ飲んだ。
死ぬほど飲んだ。 12時に皆さん帰った。
私はぶっ倒れるように寝てしまった。 昨日の朝目を覚ましてすぐ家の者に尋ねた。
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何か失敗なかったかね? 失敗しなかったかね?
悪いことを言わなかったかね? 失敗はないようでした。
という家の者の答えを聞き、 よかったと胸を撫でた。
けれども何だかみんなあんなにいい人ばかりなのに、 せっかくこんな田舎まで来てやってきてくださったのに、
自分は何ももてなすことができず、 みんな一種の寂しさ、厳密を抱いて帰ったのではなかろうかと、
そんな心配が頭をもたげ、 とみるみるその心配が夕立雲のごとく全身に広がり、
やはり床の中で、居ても立ってもいらねぬ転々が始まった。 ことにもW君が私の家の玄関にお酒を一生こっそり置いていったのをその朝初めて発見して、
W君の行為がたまらぬほどに身にしみて、 その辺を裸足で走り回りたいほどに苦痛であった。
その時山梨県吉田町のN君が訪ねてきた。 N君とは去年の秋、
私が三坂峠仕事しに行った時からの友人である。 今度東京の造船所に勤めることになりました。
と晴れやかに笑っていった。 私はN君を逃すまいと思った。
台所にまだ酒が残っているはずだ。 それに夕べW君がわざわざ持ってきてくれた酒が一生ある。
整理してしまおうと思った。 今日台所の不浄のものをきれいに掃除して、
そうして明日から潔白の精進を始めようと密かに計画して、 無理やりN君にも酒を勧めて私も大いに飲んだ。
そこへひょっこりW君が奥さんと一緒に、 ちょっと夕べのお礼に、などと堅苦しい挨拶をしにやって来られたのである。
玄関で帰ろうとするのを、私はW君の手首を堅く掴んで離さなかった。
ちょっとでいいから、とにかくちょっとでいいから。 奥さんもどうぞ、とほとんど暴力的に座敷へ上がってもらって、何かとわがままの理屈を言い、
とうとうW君をもう酒の仲間に入れることに成功した。 W君はその日は明治節で、
勤めが休みなので、二三親戚へご父さんとのお詫びに回って、 これからもう一件、顔出しせねばならぬから、と、ともすれば逃げ出そうとするのを、
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いや、その一件を残しておく方が人生の味だ。 完璧を望んではいけません。
なだと減りくっついて、ついに四章のお酒を、 一滴残さず整理することに成功したのである。
1989年発行。 筑磨文庫。筑磨書房。 太宰治全集10。より。
読み終わりです。 何が酒嫌いだよってくらい、酒のお話しかしてないですね。
えっと、 楽しいお酒だったらいいですけどね。
お酒もなんか日常化、状態化していくと、 少し心に闇を落とすような感じが強くなってきて、
自殺願望みたいなものが湧いてくることがあるので、 お酒もほどほどにしないと危ないと思いますので、
これは僕に次回を含めてですが、お気をつけいただきたいと思います。 福田川隆之介なんかもそれで死んじゃってますからね。
少し何らか暗くなってしまいましたが、 今回のあたりはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
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