00:05
おはようございます、なっちゃのです。今日はですね、イラストレーターの原あいみさんの全身全霊をかけて本を作った話っていう放送を聞いて、ちょっとそれに私がコメントをした時のコメント返しに、ちょっとううって思うことがあって、それについて配信したいと思います。
これは原さんを全く責めるとかそういうことではなく、自分のコメントの開始を見て自分の悩みを見た気がしましたので、ちょっと喋ってみようかなと思っただけなんですけど、
ちなみに全然余談なんですが、今まで私台本ガチでだったんですね。このスタイルを撮る前に台本バーって書いて、それもなんか喋りたいポイント5つ書くとかそのレベルじゃないんですよ。
もう比較もガリガリの文章にして、マス、デス、マスがないぐらいですね。そのレベルにして読んでやってたんです。
でもそれじゃやっぱりハードル高いし、パッと収録ができないっていうことをずっと不便に感じていて、これも一つの練習かと思って、今フリーで喋ってみています。
ちょっともう早速撮り直し3回目ぐらいなんですけど、頑張っていこうと思います。
ハラさんの配信ですね。私が、ハラさんが一番最初に手がけた本をものすごく死を感じるぐらい全身全霊でやってしまったっていう話を聞いてて、ある程度力を抜くことって大事だよねっていうお話なんですけど、
私がそれに、今私はちょっと全身全霊でライティング講座を受けてしまっている側面がありますみたいなふうに返ってきて、私がそのようにコメントをして、
ハラさんが私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来てですね。
ハラさんが言ってくれたように、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んで
たかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり
03:00
たかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり込んでたかもよ、みたいなコメントが来て、私の年齢の時にはもっともっとのめり
た分、なんか私ってずーっとこう無理ができないんですね。例えば、私もあれと同じように中学受験させられた組なんですけど、そこまで勉強にのめり込めない。眠い時は眠い。ご飯食べたい時はご飯食べたい。もう勉強なんか基本的にはやりたくないっていうスタンスだったので、もうなんか自分の限界を超えるみたいなことができなかったんですよ。
それこそ本当に、中堅のところに入って、そのまんま中堅コースを行って、大学も中堅だよね、みたいな感じなんですけど。だから、もっと姉みたいに限界突破みたいなことをしていれば、もっといい学校行けたんじゃないかとかね、そういうことを思ってしまうわけですよね。
鬼滅の刃の無限列車編でですね、火の柱の人が、ちょっと私全然詳しくない。煉獄さんがですね、自分の限界を超えろみたいなことを言う場面が、本当に多分煉獄さんが鬼にやられちゃうぐらいの時に、そういうことを言って、最後の一撃みたいなことがあった気がしてるんですけど、
あの時なんか目も目もみたいな感じですよ。あんなに心熱くして、自分の限界を超えて、目も私に足りないこと、目も目もみたいな感じだったんですね。
はい、もうなんか痛いですよね。それぐらい、なんかこう自分に足りないのはエネルギーだ。もうエネルギーが足りなくて、なんかこうすごく力なく、なんかこうのらりくらり生きてきたんだろうな、みたいな私が、今さら自分の限界を超えるなんてできるわけもなく、
それなのに、原さんの話を分かったような気がして、そうですよね、私もそうなんです、みたいなことを言っちゃったのがすごく恥ずかしかったんですね、っていうお話なんです。
イラストレーターの原井美さんなんて今、たくさん個人で本を出されて、すごい活躍されて、アメプロもすごい読まれてて、インスタもフォロワーがすごいいっぱいいて、みたいな方に、お前なんかが共感すんなよっていう感じというか、私なんかが共感していい身分では全くありませんでしたっていうことをすごく思ってですね、
06:01
何度でも言っちゃうんですけど、原さんは全くそんなつもりはないと思いますよ、なんですけど、ちょっと調子乗った自分がすっごい許せなくて、すっごい恥ずかしくて、もうその場で長文のコメントを打ちかけたんですけど、あ、これはもう長文のコメントなんで、長文罪からちょっと配信にしてしまおうというふうに思ったわけです。
ちょっと今こういう活動をやっているのもそうなんですけど、まあ私は発信者になりたいというよりかは、発信者になりたいということはそうなのかもしれないんですけど、発信者になりたいっていう広くそういう意味ではなく、やっぱり何かを書いて仕事をしていくっていうことがしていきたいって思ってるんですよね。
で、もうずっと書くっていうことに関して個人の名前で仕事ができるならば、本当に自分のことが嫌いっていうか、全部が全部嫌いっていうことじゃないんですけど、すごく嫌な自分の側面もちょっとは認められるようになるかなっていうふうに思っていて、
で、ようやくこの一休っていう比較的時間のあるこのチャンスにちょっと奮起しようと思って、もうこれが最後のチャンスぐらいに思ってやっているわけなんですよね。でも、なんか私って本当にこうやってのらりくらり生きてきているだけなので、
例えばなんか先生に褒められたら、もうそれだけで商品欲求が満たされて、シューンって、何て言うんですか、この投資がなくなっちゃうみたいなことがあってですね。それで、なんかそんなことを繰り返していくうちに、なんか私は何をやりたかったんだっけみたいなことになって、
で、あの活躍している同年代とか友達とかを見ると、ああって、なんか私いつの間にか止まっちゃってたって思うのを、もうこれ何回繰り返したって、もう本当にそういうところが嫌で、あのやってる雇用活動をやってるんですけど、
だから、なんか限界突破みたいなことをしないと、なんか自分の目指すものになれないんじゃないかみたいな感覚があって、ちょっとその感覚とどう付き合いながら、でも結局は自分の体力で自分の足で歩むしかないっていうことはわかっていつつも、
やれることさえやんない日があったりとかいうことが、もうなんかああーっていう感じなんですよね。だから、あの原さんの話を聞いて、もうそこまで打ち込めるっていうことが、そもそも私にとってはすごいんですよ。
すごくて、そんなこともしたことない私がなんか気軽に、あ、わかりますみたいなこと言っちゃって、もう本当にすいませんみたいな感じなんですけど、ちょっとそういうことをちょっと恥ずかしく思って、ものすごく反省して、でまた自分のコンプレックスに向き合うことになるっていうことを思いましたので、配信してみました。
09:00
台本なしどうでしょう?結構いけたんですかね。なんか日合わせ書いてますが、以上にしようと思います。それではまた。