ウポポイの施設について
おはようございます、なっちゃのです。えっと、先週末ですね、2泊3日で北海道に行ってきました。わーい、あのやっぱりゼロサイズを連れてはなかなかのんびりを楽しむっていうわけじゃなかったんですけど、
まあある程度バタバタしても、それはそれで楽しく過ごすことができました。 でですね、北海道いろいろ行きたいところはあったんですけど、まあ限られた時間の中で、
なので、新千歳空港から車で1時間ぐらいの白尾井っていうところにあるアイヌの歴史を伝えるウポポイっていう施設に行ったり、
小樽で散歩したりっていう感じで、まあ結局は札幌周りで過ごしました。で、この北海道旅行ですね、消化不良なこととすごい良かったことがあって、ちょっとどっちも話したいんですけど、
消化不良のことからお話ししますね。アイヌ民族の文化を伝えるウポポイっていう施設に行ったんですけど、
できた当初って言っても、結構最近にできて、4年前ぐらいにできた施設なんですけど、ずっとこのできた当初から行きたいなと思ってたんですね。
で、念願こなってようやく行くことができたんですけど、すっごい立派な施設で、なんか敷地もうんと広くて、
なんかちょっともうぐずって抱っこ紐でうろうろしたんですけど、汗もすごいし腰もやられるしみたいな感じの広さだったんですけど、
まあだからそれはもうすごく贅沢でよくて、アイヌの方が扱われてたそのものの道具とかが展示されてたりとか、
アイヌの人たちの考え方とか、濃縮された文化とか言葉とか、そういうものが知れたことはよかったんですけど、
なんかそれだけだったんですよね。
なんかこれはどうなんだろう。
私的には、このアイヌを語る上では、差別の歴史っていうことに踏み込むべきなんじゃないかなっていうふうには思っちゃうんですけど、
まあこれは賛否両論あるかもしれないんですけど、そういう理由を言っていきたいんですけど、
アイヌの人たちの本当に独特な伝統的な濃密すぎる文化があって、それを明治時代に同化政策というか統一政策というのかな、
そんなんで旧土地保護法で同化した過去があって、
いや別にこの旧土地保護法を今更この法律が悪いとかそういうことを言うつもりは全くなくて、
もともとこれはアイヌの人を法律の名前通り保護する目的があったわけだから、これをどうということはないんですけど、
とにかくこれによって文化が抑圧されたわけですね。
アイヌの人たちっていうのはずっと縄文時代とか弥生時代みたいな生活をしてたって言うと乱暴かもしれないですけど、
身近な例で言うとそんなイメージなんですよ、ウポポインに行った結果。
だからあんまり他国との交易はなかったのかなっていうふうに思うんですけど、江戸時代が鎖国によって文化が花びらめきまくったっていうように、
閉鎖的であるっていうことは文化が濃縮されるって寸釈迦さんが以前おっしゃってたように本当にそうだと思うんですね。
だからそれをやっぱり断絶させた旧土地保護法は結局明治から平成まであったから、そんなに侵されたらもう残んないですよね。
北海道の地名がいろいろ読みづらいっていうのはアイヌの影響が色濃く出てるっていうのはなんかいいなっていうふうには思うんですけど、
平成9年に旧土地保護法が終わって、今度は真逆のアイヌ文化振興法っていう、アイヌの文化を振興しようっていう方に振り切るんですよね。
だからまさに右から左になるっていう象徴的な感じがするんですけど、
とにかく断絶させたから今一度文化振興法とか作ってウポポイとかっていう施設を莫大なお金をかけて作ってるわけで、
それで何で抑圧の覚悟が一切語られることなく完結できるのかなっていう感じがしちゃうんですよ。
この歴史の流れを汲めば、差別っていうか抑圧された覚悟は必要だろうって思うんですよね。
だからそれがウポポイがなぜできたのかっていうこととあまりに密接してるなっていうふうに思うんですよ。
だからそこの流れを汲めるべきなんじゃないかなっていうふうに思うんですけど、
アイヌ文化の抑圧
ちょっと話がそれて、最近郵政保護法で強制不認されてた人たちが損害賠償を求めて、
結局当時の郵政保護法っていう法律は憲法に違反してました。違憲でしたよっていうことが認められたっていうふうに大々的に報じられてましたけど、
私はこの郵政保護法の被害者にハンセン病の勉強を通して出会ってたんですね。
ハンセン病って雷病とも言われますけど、雷菌っていう菌が感染力がすごい弱いんですけど、
免疫が弱かったりとか、だから病気の方とか子どもとか、子どもっていうかどっちかっていう乳幼児とかにかかってしまって、
だから当時は貧困で栄養失調とかだったりするとかかるって言われてたんですよ。
だから結構貧困の人がなりやすいっていうふうに言われてて、
ハンセン病はがっつり見た目に影響して神経に支障が出たり皮膚が変形したりとか、神経なので以前お話ししたミナマタ病のこととかも重なるんですけど、
指先とか顔回りとか足とか運動神経とかにも影響があって顔もただれるみたいな見た目に変わったりとかして、
差別の歴史があるんですよね。
だから私ちょっとミナマタ病のことをしゃべるこのスタイフの回でも話したんですけど、
ミナマタ病の解決に尽力をされた原田増住さんっていうお医者様、つい最近というかここ10年ぐらいに亡くなられた方なんですけど、
ミナマタ病があったから差別が起こったのではなくて、差別があったところに後悔があるんだっていう言葉を残されていて、
この名言の通りハンセン病があったから差別が生まれたんじゃなくて貧困があってそこからハンセン病があったからこそ、
優生保護法と差別の歴史
だからこの貧困っていう差別が先に来てるんですよねっていうこのまんまミナマタ病とハンセン病を言い換えられるなっていう風にも思ったんですけど、
話を戻してそういう風に見た目にもこの病の影響っていうのが出てしまってすごく気味悪がられるので、
どいなかのハンセン病療養所っていうのが今もまだ全国各地にあって、東京だと清瀬から東京内に多摩全松園っていうのがあったりとか、
あと国内で一番差別が過酷だったって言われてるのは群馬の温泉地、草津の本当に山のふもとっていうか山の中っていうかに九龍落泉園っていうところがあって、
っていう風に敵地に追いやられて集団生活させられて虚勢労働があって拷問があって、
そして今回話題の優勢保護法的にこいつらに子供産ませるなっていうことで、男性だと男種、立つ種と書いて男種、女性だと妥体があったわけなんですよね。
それを強制不妊って言ってるわけなんですけど、ハンセン病を語るときにハンセン病はこういう病でこういう症状が出ましたっていうだけではとても収まらないですよね。
こういう症状が出て人々から気持ち悪がられて人権剥奪されたっていうことも含めて完結できるんじゃないかなというふうに思うんですけど、
ハンセン病とアイヌを並べるのは乱暴だったかもしれないんですけど、優勢保護法のニュースもあったから、
ちょっとそっちに引っ張られた感じも否めないんですけど、優勢保護法はとにかく強制不妊だけじゃない、その強制不妊が表面に出てきただけであって、その深みを除けばとんでもない差別の歴史があるんですよね。
ということで、うぽぽいは私的になんか消化不良だなっていうふうに思いました。
なんかあのやっぱり連想ゲームみたいにハンセン病のことも喋ったんですけど、まあやっぱり並べて考えるのちょっと違かったのかなどうなんでしょう。
あのまあ連想ゲームだったっていうことで切り離しておきます。
これで時間が結構経ってしまいました。
あの北海道のいいところを言えなかったので、これはまた次回お話しさせてください。
それではまた。