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はい、こんばんは、なおくんです。ということで、前回の放送の続きです。
とにかく明るい安村さんがイギリスでバズったことで浮き彫りになった日本のお笑いのガラパゴス化というテーマです。
今回3本目の放送ですね。前回前々回に引き続きの放送です。
はい、ということで、続きなんですけれども、ちょっと前回の話を振り返っておくと、
とにかく明るい安村さんというね、お笑い芸人の方、安心してください、履いてますよ、ということでそういうネタが有名な方ですね。
そのお笑い芸人の安村さんがそのネタをですね、イギリスの英国、イギリスのオーディション番組でそのネタを披露したらめちゃくちゃね、現地で受けたということがありました。
で、それが日本でも話題になっていました。で、それをですね、見ることによって僕が思ったことなんですけれども、
安村さんがね、英国で受けたことはすごい嬉しいことだし、日本人としても誇りに思えることなんだけれども、
日本ってこんだけお笑い芸人がいて、お笑いというものが文化として根付いている割には、安村さんみたいに世界で活躍する人がそんなにいないっていうのは、逆に不思議だよなっていうふうに思ったんですね。
それは何でかということを考えると、日本のお笑いっていうのは、ほとんどが日本人にしか分からないお笑いばっかなんだなっていうことが、
顕在化したというわけですね。ま漫才とかですね、滑らない話、一本グランプリ、アメトークみたいなそういったね、ものっていうのは、英語に訳したところでほとんどその外国人には分からない笑いばっかなんですよ。
で、お笑いっていうのはもちろんそういったねトークとか漫才とかだけではないですよね。
ほんと安村さんみたいなああいう動きで笑わせる笑いであるとか、本当に別にその言葉とかいらないような笑いっていうのもありますけど、
日本のお笑いっていうのはほとんどそういうものが発展していないんですよね。
だから日本のお笑いっていうのは、これだけ日本国内で文化として根付いているにも関わらず、アニメ、漫画とかですね、ラーメン、日本食みたいな感じで、
世界的にヒットしてもおかしくないぐらいに日本国内で流通しても関わらず、お笑いというものに関しては全然世界で受けていないという現状がわかったという、
そういう話を1本目にしました。
で、それはどうしてこうなったかっていうと、やっぱりね僕はね、別にダウンタウンの松本さんだけのせいとは言えないんですけれども、
やっぱりそのダウンタウンが作ってきたお笑いの文化みたいなものがすごく大きく影響しているなというふうに思っているわけなんですね。
滑らない話も松本さんが作り出したフォーマットですし、1本グランプリも松本さんが作ったもんですよね。
M-1グランプリは松本さんと仲良かった島田信介さんが作ったものだし、そういったところからほとんどが吉本を弾いているダウンタウンが作り出したお笑いの平成から脈々と続いているダウンタウン、吉本主体のお笑い文化、
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それがほとんどが日本人にしかわからないようなものだったので、結果的に世界に対して遅れをとっている、世界のエンターテイメント市場で全く戦えないお笑いになってしまったという現状があるわけでございます。
非常にもったいないですよね。こんだけ日本でみんな頑張っているのに、このグローバル市場では全く通用しないっていうのがね、
だから日本で活躍するのは全然悪くないんだけど、みんながみんな日本でやったらもったいないじゃないですか。
これから少子高齢化という日本社会においてはなかなか未来が見えないわけなので、やっぱりどう考えても世界で活躍した方が良さそうなものなんだけど、
安村さんみたいな感じで世界に活躍できるようなお笑いっていうのがなかなか日本で育ってなかったっていうのがね、顕在化してきたということです。
日本のお笑いっていうのはね、松本さんの話を僕はしているのは、僕自身も本当にダウンタウンのお笑いはめちゃくちゃ好きだし、
好きだったし、過去形になっちゃってますけどね、好きだったし、本当に楽器の使いのトークはもう全部、ほぼほぼ見ましたね。楽器の使いのトークも見たし、
ごっつい漢字のコントも見たし、松本さんの本もね、異書っていう本もそれこそ何回も読みましたし、もう本当にすごい好きだったんですよね。
だからこそ、それだけ松本さんのセンスであるとか考え方とか、そのお笑いっていうものがいかにこう、今の日本のお笑いのカルチャーに大きな影響を与えているかっていうのが個人的にはわかるつもりなんですよね。
だからこそすごくそれが、今のこの時代には合わないものになっちゃってるような気がするんですよね。で、それをやっぱり変えていかないといけないような気はしてます。
これはなんかね、一つ前の放送で言ったんですけども、この日本のお笑いっていうのはね、すごく閉じたものになっちゃってるんですよ。
やっぱりその漫才しかり、一本グランプリもそうだし、アメトークもそうだし、滑らない話もそうだし、結局その苦労とにしかわからないマニアックなものにどんどんなっちゃってるんですよね。
例えば一本グランプリの大喜利なんかそうですね、もう大喜利っていうのは本当にもうセンスの戦いじゃないですか。
なんとかと言いました、それはなぜみたいな感じで、ちょっとひねったことを言って、その一言だけで笑わせるっていうのは、もうこれお笑いオタクじゃないと多分わかんないですよね。
日本人はね、みんなそういうの見慣れてるからわかりますけど、日本人でもお笑いを普段見ない人は多分ああいう大喜利とか見ても意味わかんないって人多分多いんじゃないですかね。
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大喜利っていうその感覚っていうのは慣れてないとなかなかわかんないですよね。っていう感じなんですよ。
で、漫才とかもね、どんどんどんどん行動になってますよね。
例えばそのコンビニの店員と客をやりますみたいなそういうフォーマットが一時期流行ったじゃないですか。
それをもう逆手にとって、なんかそのかつてその漫才といえばコンビニと店員だよねっていうそのフォーマットを逆利用してそれをあえてやるベタな漫才みたいなそういう感じになっちゃってるので、
やっぱりそれって結局お笑いのそのフォーマットをわかってないと笑えないじゃないですか。
そういうハイコンテクストな話題っていうかお笑いがどんどんどんどん行き過ぎた結果、日本のお笑いオタクの人しか通じない。
まあ日本のお笑いオタクというかまあ日本人はそのみんなずっとお笑いを見てるからそういうのがわかるんだけど、それはもう全く海外に通用しないわけですよね。
で、これはもう本当にお笑いのジャズ化というふうに僕は思ってるんですけども、もうジャズになっちゃってるんですよ。
ジャズになってるってどういうことかっていうと、ジャズっていうのはあの僕の感覚ですけど、もうオタクの音楽なんですよね。
これジャズ好きな人が聞いてたら申し訳ないんですけれども、ジャズっていうジャンルがあって、そのジャズっていうのは即興演奏とかやるわけなんですけども、
その即興演奏を最初はまあ適当に楽しんでいたのが、どんどんどんどんそのいかにこうなんかコード進行を複雑にするか、複雑なコード進行を楽しめるかとかですね。
それからそのソロ回しをして、そのソロの中でいかにこうイケてるフレーズを弾けるか。
イケてるフレーズを弾くには、ただのそのペンタトニックスケールだけでは芸がないから、ちょっとそのマニアックなスケール、音階を使ってちょっと驚かせようみたいなことがどんどんどんどん行き過ぎていった結果、もうクロートにしかわかんないそういう世界になってしまったんですね。
だからもう素人お断りみたいな感じになって、それこそねこの間あのねあのニュースになってましたけど、ラーメンの二郎系ラーメンのね、あのお店の店主がね、あんまりラーメンのわかってないお客さんのことをクソ素人がって言ってね、あのー言っていたみたいなことでちょっと炎上しましたけど、まあそんな感じになっちゃってますからね。
まあクソ素人がという風にね、言いはしないけれども、まあ日本のお笑いもね、そういう感じになってるんですよ。
まあ要はですね、その素人お断りみたいな世界になっちゃうんですよね。それはもう別にそのラーメン業界に限らずお笑いもそうだし、ジャズの文化もそうだし、やっぱねこう、なんだろうな、文化がねこう行き過ぎると結局ね、全部その閉じていくんですね。閉鎖的になってもう一元さんお断りみたいな空間になっちゃうんですよ。
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これはクラシック音楽もそうですね。クラシック音楽も、あの現代音楽って知ってますかね。現代音楽って言っても、あのもう8長調とか2長調とかそういうなんか超、何長で作るのはもうなんか刺激がないっていうかもう飽きたからもう無長にしようってことで、もう長がないっていうね、もう意味わかんない音楽になってますよね。
こう12音技法とかって言ってね、あのもう本当にもう宇宙の音楽みたいな音楽を作ったりとかしてますし、結局そのなんかね、わかんないけどそういうものって行き過ぎるともうほんとシュールなものになっちゃうんでしょうね。
ピカソの絵画とかもそうですね。多分ピカソも普通の絵を最初描いてたんだけど、だんだんだんだんもうあのどんどんどんどんわけわかんなくなって、もう芸術もそうですね。芸術もそのなんか便器、なんかね便器を飾ってそれが芸術だとかですね。
なんか缶のなんかね、なんかミートソースでしたけど、なんかの缶をたくさん並べてこれが芸術だとか言ってね、もうわけわかんないじゃないですか。だからもうなんか絵の世界にしろ、お笑いにしろ、ジャズ音楽にしろ、クラシック音楽にしろ、もうこれ行き過ぎるともうクロートにしかわかんない、もうマニアにしかわかんない、なんかもう行き過ぎたものになっちゃうんですよね。
だから大喜利とかも多分一本グランプリとかも、お笑いを知らない人からするともう意味がわかんないじゃないですか。もうそれこそピカソの絵みたいな感じになっちゃってるんですよ、外から見ると。でも日本人はみんなそれを見慣れてるから、それにその異常性に気づかないんだけど、これをグローバルな視点で見た時にもう意味わかんないと思いますよ。だからそのとにかく明るい安村さんみたいな芸がめちゃくちゃイケるんですよ。
正直なところは日本人からしたらすごい安易な笑いっていうか簡単な笑いに見えるわけじゃないですか、ああいうお笑いってパンツ一丁で裸に見える感じの格好をして笑わせるっていうのは、日本人的な一般的なお笑い好きな日本人の感覚からすると、なんか言い方悪いけどしょうもない一発芸みたいに見えちゃうんだけど、でもそういうのがめちゃくちゃイギリスで受けたんですよね。
こんな受けるんだっていうくらい受けたっていうことはやっぱり日本の笑いっていうのはすごく閉鎖的かつジャズ的になっちゃってるなっていうことを改めて思わされたわけなんですよね。だからやっぱり世界で受けるためにはもうちょっとこういい意味でお笑いのレベルを下げてもっとわかりやすい笑いにしていく必要があるんじゃないかなと。
かつ、もっと英語を勉強して世界に向けて発信する人が出てきてもいいんじゃないかなというふうに勝手ながら思ったっていう話でございます。
はい、ということで今回はですね、とにかく明るい靖倉さんがイギリスでバズったことで浮き彫りになった日本のお笑いのガラッパゴスカというテーマで、つらつらと思ったことを話してみました。
はい、ということで聞いてくださってありがとうございました。以上です。