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2024-06-08 12:01

#2494 制約があるからこそ生まれる創造性 from Radiotalk

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#2494 制約があるからこそ生まれる創造性
・制約というルールの中で創造をする
・論理的であることは制約を守ること
・制約を楽しめるようになろう

参照リンク
✔︎【UG# 126】マイクラ式論理的思考力講座 / OTAKING talks about logical thinking skills
https://youtu.be/oyziG280Rr4

#202406n #制約 #創造性
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はい、お疲れ様です。なおくんです。今日は2024年の6月の8日土曜日でございます。今日もよろしくお願いしまーす。
いやー今日はね、なんか暑いですね。なんか蒸し暑い感じがしておりますけれども、
皆さんがね、住んでいる地域ではどうでしょうか? あなたが住んでいる地域ではどうでしょうか?
はい、ということでね、話していきたいと思うんですけども、今日はですね、
制約があるからこそ生まれる創造性。
はい、こういったテーマで話していきたいと思います。
制約があるからこそ生まれる創造性ってあるよねっていうことをね、ちょっとね、最近思ったので、それをね、ちょっと話そうと思うんですが、
ちょっと前の収録トークで、創造性は落書きから生まれるっていう話をしたんですけども、ちょっとそれとはある意味で言うと真逆な話でもあるんですよね。
その創造性は落書きの中から生まれるっていうのは、なんかもう本当に枠を外して自由に好き勝手落書きをしている中から、
なんかこう、人に発表したいものができたりとかすることがあるよね、みたいな話をしたんですけれども、
今回はある意味で言うとそれとはちょっと全然逆の発想というか考え方なんですけれども、これも一つの真理というか、
あり得るなっていうふうに思うのでちょっと話していきたいと思うんですが、 制約があるからこそ生まれる創造性。
やっぱりその自由に発表したり発想したりとかする
のが創造的と思われがちなんだけど、でも現実問題いろんな制約がありますよね。 例えばこのラジオトークだったら、この収録トークであれば音声だけで表現しなくてはならない
っていうまず一つ制約がありますよね。 あと12分間、この収録だったら基本的に12分間の中で12分以内に収まるように話をしなくてはならない
っていう制約がありますよね。 あとはそのサムネイルだったら、収録トークに載せるサムネイルを使いたいなったら1枚しか載せることができないとか、
あと概要欄にその言いたいことを付け加えたいんだったら、概要欄は800文字までしか書けませんとか、そういういろんな制約がある。その制約の中で表現していくっていうのがほとんど現実社会の場合、何かしらそういう制約があるので本当に自由に表現したいっていうのは
ほぼ無理じゃないですか。 なのでいかにそのルールの中で表現していくかっていうのがあると思います。
だけど逆に言うとその制約があるからこそ 創造性が生まれるっていうこともあると思うんですよね。
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例えばラジオトークだったら この12分の中で表現しなきゃいけないから、じゃあ12分で収まるように会話を
トークを持っていくにはどうすればいいかっていうことを考えるわけですよね。 そこで考えるからこそ、その12分以内でまとめるような話を生み出そうという創造性が育まれるわけですよね。
あとたまに僕はサムネイルで図解を書きながら、サムネイルを図解として用いながらトークをすることもあるんですけれども、
じゃあその1枚しか使えない画像をどうやって作るかっていうことを考えたりするわけですよね。 これがプレゼンみたいな感じでスライド何枚も使ってもいいですよみたいな感じだったらまたちょっと違いますよね。
その1枚の画像でどう表現するかってことはあんまり考えなかったりしますね。 っていうことなので、その制約みたいなものがあるから
人間っていうのは逆に創造性が生まれるっていうことがあると思います。
それに関してのすごい面白い、わかりやすい説明があったので概要欄に貼っておきたいと思うんですが、それは岡田斗司夫さんが
論理的リアルトが何かっていうことについてわかりやすく例えを用いて説明してくれた動画なんですけれども、それがすごい
わかりやすかったんですよ。論理的に話すとか、論理的に説明するってかっこいいとか思われがちなんだけど、その論理的ってどういうことなのかっていうことを
すごいわかりやすい例えで説明されていって、それをちょっと僕なりに解説すると、子供が
車のおもちゃを持って遊ぶ時に、子供は車のおもちゃを空に飛ばしたりとか
ブーンって好き勝手な場所に移動させたりとかするんだけど、それは自由なんだけど論理的ではない
っていうことなんですね。じゃあ逆に大人がもし車のおもちゃで遊ぶ時から、大人は車を飛ばすってことはしないですよね。
大人だったら車を地面に置いて、車は基本的にまっすぐ走る。そして曲がる時はちゃんと
ゆっくりと曲がるみたいな、そういう遊び方をするんですね。それがいわゆる論理みたいなものなんですよね。
つまりそのある程度ルールがあるんですよ。車は飛んじゃいけない、車は急にバックしないとか、車は道路に沿って走るものであるとか、
そういう制約がある。その制約がある中でいかに楽しむかっていうのがそのルールであるとか論理みたいなものなんですね。
だけどそれって一方ですごくつまらないし、同じような、みんながその同じルールの下でやってるのでほとんどが同じような結果になるということなんだけど、
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じゃあそれをぶち壊して好き勝手、子供みたいに車を空に飛ばしたりとか、車が急に自由に飛んだりとかするのが楽しいかって言ったら、
それはまあ、なんか、やってる方には楽しいかもしれないけど、見てる方としてはなんかちょっとわけわからなさすぎてさ、
それ楽しめないですよね。いや、車は空飛んじゃってるじゃんみたいな、なんかそういう理不尽さというかさ、その理不尽さというか、
なんていうか、それでなんか納得できないみたいな。
例えばさ、映画とかの、映画とかの結末が全部夢落ちだったら、なんかそれって、
面白くないですよね。確かに自由かもしれないけど、なんかそれ全部台無しにしちゃうよねみたいな、そういう感じ。
だからある程度ルールがある中でやる方が面白い場面もあるんですよね。
例えばバスケットボール、バスケットボールというスポーツをじゃあ自由にやっていいって言って手で持って走り出したら、
それって自由かもしれないけど、それはなんかルール違反じゃないですか。
みんながこうドリブルをしながら、あの、パスを回して進んでいくっていうそういう制約がある中で楽しむからみんなが楽しめる。
それはバスケットに限らずサッカーもそうですね。サッカーならサッカーなりのルールがある。
足を使ってボールを運んでいかなきゃいけないから、そういう制約の中で楽しむのがサッカーっていう遊びですよね。
なので、そういう制約があるからこそ楽しめるっていう、それが大人の世界というかさ、そういうものがあると思うんですよね。
それはそれぞれの分野にいろんな制約があって、あなたが生きている世界にもいろんな仕事であったりとか趣味であったりとか、
家族の関係であったりとか、そういう中にもいろんなしがらみといったりするようなルールみたいなものがあると思うけども、
その中でなんとか上手くやっていくのが実際の現実社会であって、
でもそのなんとかやっていく中で、しんどいルールがあるけど、そのルールの中でいかに想像力を発揮するかっていうのが面白かったりもする場合がありますね。
ということをちょっと思ったりしましたね。
まあ、1時間4コマ回っていうね、僕4コマ漫画を1時間で描くっていう、
失礼しました。
ショッキーがガチャンってなっちゃいましたね。
そういうね、ツイッターのハッシュタグ企画で毎週土曜日にやってるんですけども、今日もやるんですけども、
それも制約があるんですよね。
4コマ漫画というフォーマットの中で、1時間以内にお題が発表されてから1時間以内に書き上げる。
そしてお題っていうのも自分で好きかって考えていいわけではなくて、お題もあらかじめその提示されたお題、向こうから与えられたお題、
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そのお題を見てから1時間で4コマ漫画を完成させるっていう、そういう制約があるんですよね。
この制約があるから結構楽しいんですよね。
これもスポーツみたいなもんですよね。
それで同じように、全く同じ条件で参加する他の人がいるからこそ、実力をちゃんと比べられるっていうのもすごい面白いですね。
時間かけて4コマ漫画を書く人もいれば、お題がいろいろある中で、
だから4コマ漫画の実力って比べることができないんだけど、
1時間4コマ漫画っていう中であれば、ある程度その条件が同じですよね。
だからそういう意味でスポーツをやってるような感じがするのが面白いですよね。1時間4コマ漫画は。
そんなことを思ったりしました。
だから制約があるからこそ生まれる創造性っていうのもあって、
それは別の考え方をすればすごくしんどいなって思うことがあるんですけど、
でもそれがあるからこそ面白いっていうふうに考えることができたら、いろんなことを楽しめるんじゃないかと思いますね。
今、ソーシャンクのソラニーっていう映画を思い出しましたけど、ソーシャンクのソラニーっていうのもそれにすごい近いところがありますよね。
言ってますかね。有名な映画なんでね。一度見たことある人多いと思いますけど。
無理つの罪で刑務所に捕らえられてしまった主人公が、
刑務所の中で自分なりに希望を見出して生きていくっていう感じの映画なんですけれども、
それを見ててもそういうのを感じるんですよね。
刑務所で暮らすっていうのは本当に人間にとってほぼ最悪の制約ですよね。
しかもそれも全然自分の罪ではないところで、冤罪ですからね。
そういう中でめちゃめちゃ不自由な制約を課せられてしまった主人公が、
だけどその制約の中で何とか自分なりにクリエイティビティ、創造性を発揮していろんなことをするわけですよね。
それがすごく希望を与えてくれるというか、どんな環境の中でもクリエイティブに生きることはできるんだっていうことを教えてくれた映画かなっていうふうに僕は思っているんですけども。
そんなことを思い出したので話しておきました。
ということで、今回は雑談みたいにつらつら喋りましたけども、制約があるからこそ生まれる創造性ということについてお話をさせていただきました。
はい、ということでこのトークも12分という制約の中でお話ししました。聞いてくれてありがとうございます。
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