00:00
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日のタイトルは、問いは立てるものではなく生まれるもの、というものです。
最近は、こういう指摘をよく耳にするようになりました。色々な研究会で、問い作りの授業が提案されたりすると、その反対の意見、批判的な意見として、こういうふうな問いは自然に生まれるものではないのかというような指摘がされることを耳にするようになりました。
今日は、このことについて、私自身が考えたことをゆるゆると語りたいと思います。
まず、今から7、8年くらい前ですかね。黄色い本で、たった一つを変えるだけという本が出版されて、すごく教育界に影響を与えました。
ダン・ロススタインという人ですね。問い作りの授業を提唱されました。
私は出た時から話題になったので、すぐ買って読んで、そうしたらですね、あちこちで問い作りのワークショップなんかが開かれたりして、私はそのワークショップに積極的に参加して、問い作りの手法を学びました。
自分でもワークショップを開催したりとかして、問いを立てるとか、問いを作るとか、そういったことについては1、2年間一生懸命磨いてきたかなと思います。
黄色い本も一緒にみんなで読み合ったりして、学習を深めたりしていた時期があったんですけど、そもそもこのダン・ロススタインさんの実践、アメリカなんですけど、
アメリカの定時制の学校で一生懸命ダンさんが行われた手法なんですよね。そもそもあんまり勉強に対して向き合えない子、もしくは生活自体が厳しくて勉強自体になかなか取り組めないっていうね、
そういう学力的にも厳しく、学びに向かう姿勢にも厳しい生徒を相手にして、いかに問いを立てて、生徒を主体的に学習に向かわせるかっていうふうな、そういう立ち位置の先生が様々な試行錯誤を経て、磨きに磨いて立てた手法なんですよね。
そういう背景を考えると、そういう学びにあんまり向かってない生徒を効果的に問いを立てさせるにはどうしたらいいかっていうところからスタートしていて、それにはある程度のフレームを与える、ある程度の枠を与える、ある程度の型を与えて、その中で鍛えることによって問いを立てる力を身につけさせるっていう、そういうふうなコンセプトだったと思います。
03:06
私はそう理解しています。
枠の中で鍛えるっていうことは、私も今までいろんな生徒を対応してきて、とても必要な手法だと思ってて、やっぱりある程度決められたところにいかはめてみて、ある基本的なスタイルを土台を作ってから、そこからその子自身のやり方であるとか、あるいはその土台を逸脱してもう一回新たに手法を構築するとか、
そういったことが可能になるのであって、いわば叩き台的なところじゃないかなと私は思うんですよね。
なので、枠の中で鍛えるっていうスタイルとしてはとても大きな意義があったと思います。
それは生徒だけではなく、先生自身にもそういう問いを作るっていうQFTという手法なんですけど、そういう手法を枠組みを与えられて先生もその中で授業作りをするということは、先生自身も鍛えられるという意味で大きな意味があったと思うんですよね。
なので、たった一つを変えるだけっていう手法は本当にダンさんが練り練った手法なんですけど、実際やってみたらすっごい時間かかるんですよ。
それをやっぱり何年かかけて鍛えていってって言ったら、やっぱり物の見方とか考え方とか切り取り方も本当に批判的に多面的になるなって思いました。
そういう枠の中で鍛えるという意味では非常に効果的な手法だったと思います。
もう片方でそういったことばかりを授業でやってると、例えば、問いっていうのは自然に生まれるものなんじゃないかっていう、そういう立場からの指摘もあったりなんかします。
なるほど、私自身も問いを立てるとか、問いを作るとか、そういうことを考えずにずっと過ごしてきたタイプの人間で、思うに勝手に問いは生まれてるんですよね、私の中で常にね。
物事に向き合うとき、本を読んだとき、いろんな話を聞いたときに勝手に自分の中で問いが生まれてくる、発生してくる。
それはやっぱり自然な日常の中で自然にいつも自分の中の対話の中で生まれてくるようなものだったんでしょうね、私自身の中ではね。
なので学習者が自然に日常的に探求的なスタイルであるっていう場合は勝手に問いは出てくる。
自分の興味関心があったり、常に物事を見て課題を発見したり解決したりっていうそういうスタンスが身についている人にとっては、問いは勝手に生まれてくるものなんだと思うんですよ。
06:04
やっぱりそれは学習者の自由な考え、自由な考え、自由な思考の中で自分で問いを作るスタイルを自由な主体的な学びの中で形作るっていうこと。
これが本当に自然な問い作りだと思うんですけれど、そうじゃない生徒はたくさんいるわけで、どちらのやり方も補い合いながらやっていくっていう風なのが大事なんじゃないかなと思います。
先生の中では発問のバリエーションが少なくて悩んでらっしゃる先生もいらっしゃるんですよね。そういった方にはやっぱりこのダンロススタイルのたった一つを変えるだけっていうこの手法である程度トレーニングするとものすごく問いの幅が広がります。
私もいろんなワークショップ行っていろんな先生と一緒させていただいたりなんかすると、もうこういうことしなくても問いのバリエーションがものすごい豊かな先生たくさんいらっしゃるわけですよね。そういった先生にとっては問いは自然と生まれてくるものなんですよね。
そういった意味で、学習者によってそれを使い分けるっていうのはとても必要なことなんじゃないかなと。やっぱりある程度問いを鍛えないといけない学習者、そういう人の前にしてはこのたった一つを変えるだけっていう手法は有効活用できそうだし、
もう既に探究的な姿勢が身についている生徒はわざわざその問いを作るっていう負荷をかけなくても自然発生的に生まれてくる主体的な問いを採用した方が学びが深くなるということなんじゃないかなと思っています。
いずれにしてもこのたった一つを変えるだけのあの黄色い本のそのまんまやっちゃうと莫大な時間を消費するんで、私は本当に色々勉強してきた中でエキスだけ本当に要素だけを自分の中で切り取ってこれでやったらいいっていうね、そういうやり方でいつもやっているわけですけれど、
いずれにしても問いを作るという作業はものすごく思考力を働かせる、本当に頭を使う作業なんで、もし問いづくりの授業にチャレンジされていない先生いらっしゃったら、ぜひ一度チャレンジしてみることをお勧めしたいと思います。
それでは今日のお話はここまでで聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。