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こんにちは。横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
さて、今日はクリスマスですね。
皆さんのところにサンタクロースは来てくれましたか?
我が家は、息子はポケットモンスターの新しいゲーム、娘は動く犬のぬいぐるみハウス付きをお願い通りにもらうことができて、朝から大喜びです。
大人になるとサンタさん来ないなんて可哀想💛と子供たちに哀れまれた母です。
とはいえ、私も自分にしっかりクリスマスプレゼントを用意しましたよ。
今年は、乳白色とマーブル色が美しいパワーストーンのブレスレットと、スタイフデモを配信中のマイウェイラボ山口沙耶香さん作成の自分との約束を守る手帳、2023。
今日から使い始めることに決めていました。
皆さんはクリスマスの思い出といえば何が思い浮かびますか?
今回は、世界一周の船旅配信終了後、しばらく遠ざかっていた旅配信を思い返して、母と南フランスの旅行中に過ごしたクリスマスシーズンのお話をしようと思います。
私と母が12月、クリスマスに南フランスを旅行したのはいつのことだったか、正確にはもう思い出せないんですが、
当時、確か私は最初イギリスにいて、日本に帰る前にフランスを旅して帰ろうということになり、母とパリのシャルルトゴール空港で待ち合わせたことを覚えています。
この時の旅日記は残念ながら手元にないので、古い記憶を手繰り寄せながらのお話になります。よろしければお付き合いください。
ちなみに母は、え?フランスの空港で待ち合わせなんて一人でそこまで行けるかしら?フランス語全くわかんないわよ、と不安がっていましたが、
私は、大丈夫大丈夫、イギリスで待ち合わせたって英語わかんないんだから行けばなんとかなるわよ、と日本から母を知った激励して一人で渡航させたんですが、
思い返しても母が一人で飛行機に乗ってやってくるなんてこの時が最初で最後だったことでしょう。相変わらずの鬼娘ですね。
母はこの時、空港で娘と会えなかったらどうしよう?とかなり心配して成田空港で高額な海外でも使える携帯電話のレンタルを持ってやってきました。
もちろん問題なく会えたので、この時の携帯電話はただの無駄になりましたが、昔はそういうものでしたよね。今ならスマートフォンのSIMカードを差し替えるだけでどこでも使えるんですけどね。
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私は母が到着する前夜からパリに乗り込んでいたんですが、とにかくパリは物価が高い。そして12月は寒い。寒すぎて顔が上げられないほどでした。
雪はあまり降らないのですが、空気が冷たく最強寒波の襲来とかで最高気温も1、2度という感じでした。
パリで一人で宿泊するとなると、高いは狭いはまあホテルを選ぶことが大変なんです。
それでもなんとか治安も立地も満足できる。
北駅近くのホテルに泊まったんですが、スーツケースとベッドと小さなテーブルで部屋がいっぱいになったことを覚えています。
そんなホテルでも朝ごはんのパンとカフェオレはおいしいんだからさすがおフランス。ロンドンなら同じ価格でもこうはいくまいと思ったものです。
母とナミダも再会をし、この時は約1週間の旅行でパリからフランスが誇る高速鉄道TGBや私鉄に乗り、私と母は南フランス、プロバンスへ向かいました。
アビニオン、アルル、エクサンプロバンス、そしてマルセイまで行き、パリに戻ってきて2泊した記憶があります。
行き先や旅店への決定、電車やホテルの予約、通訳はすべて私が行っていました。
当時は20代中盤だった私、当時まだ50を超えた程度だった母。
毎日ものすごく歩いて、ものすごく食べて、とっても充実していた楽しい旅だったことを覚えています。
当時の自分の年齢より今の母の年齢の方に近いんだと思うと、そりゃ母も今より元気だったはずだなと思いますね。
母は昔から美術鑑賞が好きで、私と母2人でよく上野の美術館などには小さな頃から行ったものでした。
反して全く美術に無関心な父と弟。
全員一緒の家族旅行では名画を巡る旅などは望めないので、多くの著名な画家たちが愛した南仏・プロバンス地方を旅してみようということになったのでした。
アビニョン・アルル・エクサンプロバンス。
12月も末に近いとはいえ、とても明るく光に満ちあふれた土地で、どこを切り取っても絵画の題材になるにはふさわしいような田園風景、静かで美しい町の風景、人々の暮らしが垣間見られました。
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アビニョンはアビニョンの橋の上でという歌が有名な土地ですよね。
かつては教皇庁が置かれていた中世の映画を今に伝える雄美なことで、美しくゆったりと流れるローヌ川と歌にも歌われたサンベネ橋、教皇庁の厳格な建物とのコントラストが非常に映える美しい町でした。
私はここでラムの毛糸に余れたオレンジ色の手袋、マフラー、大きなオレンジ色のフェルトのリボンがついた帽子のこの3点セットを買ったことを覚えています。
南仏の品物というのは実に生き生きとして、それでいて派手すぎない鮮やかな色彩のものが多いんです。
冬の寒さの中、どうしても黒や茶色のコートや手袋、カバンなどが多くなってしまうので、このオレンジの3点セットはとっても目立って可愛かったです。
さすがにもうどこかに行ってしまいましたけど、ずいぶん長い間愛用していたものでした。
アルルは御保が愛した地。フランス語も読めずアルルという発音も聞き取れないので、電車でうっかり乗り過ごしそうになった駅でした。
今でもアルルの発音は言えません。フランス語のトコちゃん先生ならね、パーフェクトに発音されるんでしょうけどね。
その作品のモデルとなった羽橋を目指し、ローカルのバスに乗って揺られたものの、アルルの街からどんどんバスは遠ざかり、乗客は一人二人降りて、住宅地から田園風景に景色は変わっていき、ものすごく不安になりました。
その時にバスの運転手さんが、「ここだよ。」と教えてくれたのでバスを降りました。
御保の羽橋の舞台になった羽橋はすぐに見つかったものの、さてどうやって帰ったらいいのか。帰りのバス停はどこなんだろう。
母と二人、南仏の田舎の道で迷子になり、2時間以上ひたすらバスが来た道を戻ったこと、それは今でも二人のいい思い出話です。
エクサンプロファンスでは大きく華やかなプロファンス地方を代表する街、私はあまりこの街のことをちゃんと調べてなくて、一泊という短い滞在を決めたことを呪いました。
とても魅力あふれる楽しそうな街でした。
大きな広場では数日後に迫ったクリスマスに向けてクリスマスマーケットが大規模に開かれて、さまざまなお土産品、クリスマスの装飾品、おいしそうな屋台フードが軒を連ね、
暗い夜の闇に幻想的に輝くツリーや光の装飾は旅人たちにクリスマスシーズンの夜の楽しさを教えてくれたものでした。
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おいしい夕食の後に屋台を眺めながら、クレープとホットワインを屋台で購入して、ハフハフ言いながら母と食べたこと、よく覚えています。
ここは印象派の画家で有名なセザンヌのゆかりの地で、セザンヌのアトリエは本当に彼が晩年を過ごしたアトリエの一軒家を大切に保存したものでした。
その窓から見える緑の鮮やかさ、山の稜線の美しさ、光の鮮やかさ、風の匂い、画家が彼の絵画の中に永久に閉じ込めておきたかったものの片鱗を伺える場所でした。
そして最後はマルセイユ。マルセイユには12月24日、25日、26日と2泊3日滞在しました。ここで私はヨーロッパのクリスマスの恐ろしさを知ることになったんです。
到着したのは12月24日の夕方、出発は26日の夜でした。フランス最大級の港湾都市マルセイユ。
私は港湾都市横浜の生まれですので、やはり港町が大好きなんですよね。
シドニー、バンクーバー、ナボリ、ドブロブニク、ハバナ、アカプルコ、パナマ、数々の港湾都市を訪れましたが、それぞれに良さがあります。
マルセイユの港ルビューフォールや旧港ラ・カラベルには、いかにもお金持ちの象徴である綺麗なクルーザーたちが聖戦と並び、夕日に照らされてさざ波を立てる光景は非常に印象的で美しかったことを覚えています。
この観光名所ルビューフォールの向かいにあるホテルには立地も素晴らしく、ツーリストインフォメーションの目の前だったのに、このインフォメーションセンターは私たちが滞在中一度も開くことがありませんでした。
それどころか、24日の夕方に到着したら、ホテルのレストラン、近くのレストランやカフェ、スーパーもドキドキしまっているんです。
なんとか空いている小さなコンビニエンスストアみたいなところを見つけて、飲み物とスナックを買い、部屋に戻って寂しい夕飯となりました。
母と明日は市内観光と港から出るミニクルーズに乗ろうと計画を練っていたものの、翌日25日、クリスマス当日は24日以上に全部閉まっています。
そう、クリスマスは日本では商業的目的、売上重視のため、朝から晩まで各企業が頑張る一日ですが、本場ヨーロッパでは休んで家族とゆっくり過ごす日なのでした。
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ショッピングモールも観光クルーズ船も観光バスも美術館も全部クローズ。
仕方がないので、街をぶらぶら歩きながら、観光名所でもある教会巡りをしました。
マルセイユには大きな有名な教会が丘の上にあります。
ノートルダム・ド・ラ・ガルド聖堂。
1853年から1864年の間にネオビザンチン様式で建てられた巨大な教会です。
鐘楼の上に立つ黄金の聖母像が印象的で、教会のテラスから街を見下ろす素晴らしいパノラマはまさに必見と書かれていました。
頂上を目指して急勾配の坂道を上がっていく先に、シスターたちの一群が見えました。
彼女たちについて私たちは丘を上がっていくと、聖火台の素晴らしい調べとともに眼下にマルセイユの港と都市の風景が広がりました。
そしてこの日の夕食は、なんと、持参していたものの食べることをしていなかったカップ麺でした。
そう、この日もどこにも入れなかったんです。
26日はロンシャン級を見学の後、マルセイユが誇る名物料理、ブイヤベースを食べることができました。
ブイヤベースというと、皆さんどんな想像されますか?
このマルセイユでは、本場のブイヤベースが食べられる伝統料理のレストランがいくつかあります。
パリで料理店を営んでいる父の友人にお願いをして、事前にお店を予約してもらっていました。
なかなかに高級感の漂うお店でしたが、ここで食べた伝統的なブイヤベース、これは非常に思い出深いものになりました。
ブイヤベースはマルセイユで最も有名な名物料理です。
しかも、プロバンス地方以外では見たことのないような独特なスタイルで提供されるんですよ。
なんと、スープと魚は、中身の具ですね、これは別々に出てきます。
もともとは市場で売れない魚で作っていた料理だそうですが、今はどの具材を選ぶかによって料金が変わってきます。
イセエビどうですか、マドマゼルと言われましたが、そうでなくてもこの料理自体がとんでもない値段なので、イセエビいらないと何度も断りました。
そう、イセエビはオプションで選択できるんですが、デフォルトの魚介の量だけでも相当なもの、しかも味が全部同じスープの味なので正直飽きます。
もちろんものすごーく美味しいんですが、神様味変したいですと何度も思いました。
最初に席に着くと前菜、パンの後、スープだけがお皿に継がれて、それを食べた後はスープ味の魚1、魚2、スープ味の貝1、貝2、同じスープ味のエビ1、そして魚3という感じで続くんですね。
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どれもみーんな同じ味、飽きる。ということでデザートが出てきた時にはいろんな意味で生き返りましたよ。
ところがここでまたしても痛恨のミス。デザートにチョコレートアイスをくださいとオーダーしたものの、すでにこのVIAベースコースにはデザートが含まれていたんですね。
コースのデザートに追加の山盛りアイスをひいひい言いながら耐えられたこともまた母との良い思い出の一つです。
それ以来母とはクリスマス当日にヨーロッパ旅行をするのはやめようとなり、その次は11月にイタリア旅行をしたことを覚えています。
ということで今回は母と巡ったクリスマスシーズン南仏旅行の思い出話をさせていただきました。
今年は私は24、25日ともお仕事が少し入っていました。
そしてそのお仕事も終わりましたので25日の夜は実家で私、それから弟家族、そして私の両親、みんなで賑やかにパーティーをしようと思っています。
皆さんもどうぞ素敵なクリスマスをお過ごしください。最後まで聞いていただきありがとうございました。