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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
こちらの番組では、あなたとワンちゃんの10年をよりよく変えるをもとに、
犬と生きる十数年間をもっと本気で楽しみたいあなたに、幅広い分野から犬に関するお話をお届けしています。
大好きな旅の話、子育ての話も時々お届けしています。
飼い主さんが変われば、犬が変わる。犬のことをもっと知って、あなたも犬育てのプロになりませんか?
より具体的なトレーニング・執着・アニマルコミュニケーションについては、メンバーシップでお話しています。
さて、最近はペトロス系のお話が多いんですけれども、また今回もお付き合いいただければと思います。
今回は、愛犬にかけるのをやめた言葉とかけ続けた言葉というテーマでお話をしていきます。
愛犬のターミナル期、振り返れば今年に入ってからはもうそんな状況だったと思うんですが、病状が日に日に悪くなっていきました。
食欲がある日とない日、元気な人を全く動かない日が数日おきに訪れ、ゲリやおうと食欲減退、無気力な日の頻度が多くなり、だんだんと体重が減っていきました。
投薬の量が増え、病院に行くことが増えてきたのは2月末からで、3月末には無事に引っ越しができるんだろうか、とみんなで心配していたことを思い出します。
薬はシリンジで吸い上げ、直接口の中に入れていました。これは癒やそうにするので、4月末、点滴をやめてからは投薬もやめました。
いろんなものを食べてきたみごとさんですが、病状が悪化してからは流動食のようなものがメインとなりました。
本人は固形物を食べる習慣が長かったので、固形物を食べたがりましたが、そうするとゲリやおうと血便などもしてしまうので、いいところがおかゆ状。
家族はよく、こんなに痩せちゃってかわいそうに、こんなものしか食べられなくなっちゃってかわいそうに、と言いましたが、私はこのかわいそうにという言葉をかけることに違和感があり、
ある時から他の人が使っても自分はこの言葉を使わないということを決めました。
かわいそうにというと、みことはかわいそうな犬になってしまう。それが嫌だったし、彼自身は自分はかわいそうな犬だと思ってはいなかったからです。
かわいそうという言葉は不思議な言葉です。
相手に対して憐憫を誘う上に、共感を求める場合もあります。だから私はかわいそうだよね、という共感を求められなければかわいそうという言葉を使うことに注意をしています。
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みことは自分をかわいそうとは思っていないし、彼はかわいそうな犬ではなく、今を一生懸命生きている犬でした。
かわいそうという言葉が家族から出るとき、前はこんなことができていたのに、以前と比べて今は、という良かった時代と比べていることがわかったんです。
ですが犬は今を生きているんです。
昔のみことは良かったけど、今のみことは不幸だよね、という言葉がかわいそうの裏には隠されているような気がして、私は使うことができなくなりました。
もう一つの言葉はごめんね、という言葉です。
彼に対しては、私は数知れない追い目がありました。
厳しくトレーニングしちゃってごめんね、お留守番をばっかりさせてごめんね、もっとまるまるしてあげたらよかったのにごめんね、細かく言い上げたらキリがありません。
その追い目は後悔となり、放っておけば自責念と罪悪感。
そしてペットロスへ拍車をかけていたことでしょう。
ごめんね、もっとこうしてあげていればよかった、こんなになってしまってかわいそうに、という言葉をかければかけるほど自分のメンタルが落ちていくだけで過去は変えられないし、愛犬が元気になるわけでもありません。
だから私はかわいそうとごめんねをやめました。
その代わり私が最後までかけ続けた言葉、それは大好き、愛してるよ、ありがとうでした。
自問のように、この言葉を何度も何度も繰り返しました。
この状況においてかける言葉で何も変わらないのであれば、せめて愛犬がかけてほしいと思う言葉をかけよう。
長いお散歩や一緒にカフェやアジリティやレトリーブのトレーニングはもうできなくなってしまったとしても、彼が好きだった言葉をかけ続けよう。
そう決めた私は、かわいいね、すごいね、という言葉もかけました。
ふらふらになりながらも、拝雪のために立ち上がる彼に、すごいね、えらいね、と声をかけました。
愛犬に対して、自分がこうありたい、こうしてあげたいということができたということは、私がペトロスの重大な症状、ペトロス症候群に陥らなくて済んだ理由だと思います。
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きっと、ごめんね、かわいそうに、もっと、もっと、という言葉をかけ続けていたら、今のメンタルは違ったと思います。
特に、ありがとうは、一番よく伝えました。
今までしてあげられなかったこと、今までしてきてしまったことを、ごめんね、と謝るのではなくて、
今まで愛犬がしてきてくれたこと、共に過ごした思い出や、共有した経験に、ありがとうを伝えるようにしました。
例えば、一緒に旅行に行ったことをなでながら話すときに、
昔、一緒に沖縄に行ったよね。もう行けなくなっちゃったね。悲しいなぁ、ではなくて、
一緒に沖縄に行ったよね。あの時は楽しかったよね。一緒に行けて嬉しかった。ありがとう。
と、いろんな思い出を振り返りながら、ありがとう、を伝え続けました。
あなたが人生の最後を迎えようというとき、かけてほしい言葉は、ごめんね、かわいそうに、
ありがとう、大好きだよ、どちらが嬉しいでしょうか。
私だったらやっぱり、ありがとう、大好きだよ、がいいなぁと思います。
そして、この言葉を紡ぐ人の心も少しは和らぐのではないかなと、
実体験を通してそう思っています。
できれば、元気なうちからもっと意識をして言えていればよかったなぁと思いますが、
それでも気がついて、たくさんの愛と感謝を伝えられてよかったと思っています。
できないことにフォーカスするより、できたことにフォーカスをする。
これは、私の考え方のすべての基本になっていることです。
いつか、あなたが、あなたの愛する誰かとお別れをしなくてはならないことになったとき、
思い出していただけたら嬉しいです。
自分ならどんな言葉で、愛する存在に送り出してもらいたいかを。
最後まで聞いていただき、ありがとうございました。