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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅配信、プチセレブ・バックパッカー🇮🇳インドへ行く❣️B級グルメと、ダイヤはお好き💛の続編をお届けしたいと思います。
こちらの旅行記は、私が中学・高校時代を共に過ごした学生時代の親友と2人、21日間のインド・バックパッカー旅行をした時の旅行記を1日ずつご紹介しているものになります。
過去配信は概要欄のほうに記載してありますので、まだ聞いていない方や聞き漏らしてしまった方はぜひ聞いてみてくださいね。
それでは、今回は5月26日、インド到着後17日目の旅の模様をお話ししたいと思います。
5月26日、金曜日、17日目、女の子ですもの、ダイヤがお好き。
あっとアグラ
アグラフォート駅に着いたのは、予定より1時間遅れの午前7時30分、朝6時前から今か今かと降りる準備を私たちはしていた。
アグラに着いてすぐリクチャーに乗り、目星をつけていた政府公認のホテル、タージケーマホテルへ。
リクチャーのお兄さんは、流暢な英語でガイドもこなす、いかにも世界的観光地、アグラの商売人という体であった。
それにしても、アグラは今まで見たインドの街の中でも何かが違う、と思っていたら、ずいぶんと街がきれいで静かだ、ということだった。
オートリクチャーの入れない空気まで行き、そこから歩いてタージケーマへ向かう。
緑あふれる歩道を歩いていくと、ほどなくして立派な南国リゾート風の建物が見えてきた。
政府公認ホテル、タージケーマだ。中に入ると、内部は案外普通の造りで飾り気もない。
敷地内にあるコテージの一室を見せてもらった。
部屋はまあまあ広いし、しかもバスルームは非常に広い。
だが窓がなくて薄暗いし、戸棚は完全にぶち壊れている。
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この表現は美しくないが、ただただ壊れているというよりもかなりひどい壊れようであった。
エアコンは動くようだが、テレビはつかない。
テレビという名前のインテリアの一部らしい。
窓のある部屋はあるかと聞いたら、NOと言われたので、仕方なくここでOKということにした。
荷物を置いてチェックインのためにフロントに戻ると、いろいろと書類を書かされた上、一泊分の料金は先払いという。
どうでもいいがインドに来て初というくらい愛想の無さである。
何を聞いてもはっきり答えないし、分かってるのか分かっていないのか。
1000ルピーを渡したら朝だから移り得ないという。
朝食付きと書いてあるから確認したところ、今日は金を払えば用意できるが、明日は朝食は付いているという。
2日間泊まる予定だったが、最終日の朝は列車の都合上早く宿を出るので、今朝の分と朝食を交代してほしいというのもダメと言われた。
そして最高に頭に来た、相手の言い分。ここは政府、直営運営だから。
きぃー、役所め。融通の効かさなさはワールドワイドということか。
950ルピーも払って、気分が悪いったら荒らしない。
このホテルで後にも先にも初めて出会った客で、日本語教師をしているという日本人の女性のティーコさんも、このホテルの態度にはキレ気味であった。
レストランのチャイは12ルピーと高いのに、このチャイ、とっても味も薄いのだ。
こうなったら宿を変えようと思って、払った料金を返してもらうべく交渉に行ったが、案の定それはできないという。
さらに、ここにはクリントンも来たんだぞ。何が不満なんだ。高いからか、と不尊な態度で言ってくる。
むきー、この態度もムカつくー。
クリントンも小泉も関係ない。お金だって持ってる。気に入らないのはここの部屋とあんた達の態度だ、とはっきり英語で言ってやった。
英語だとこれだけ強く言える自分にもびっくり。あらあら、私ったら。
そんな私の怒りにも、相手は恐怖を受け流す柳の葉のように首をフラフラさせながら、
ホテルマネージャーが11時にならないと来ないので、来たら彼に文句を言え、という。
ああもう全く。それもめんどくさいので、とりあえず今夜はここに泊まり、明日は違う宿にしよう、と決めた。
少し休憩をして、今日のプランを立てる。
まずは地球の歩き方に、それと大君に勧められたレストラン、ジョニーズプレイスへ。
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まあ暑い。ジョニーさんはいなかったけれど、パパイヤスズキにのビッキーさんがいた。
日本人の旅行客の書いている、という伝言ノートを見せてくれた。
その伝言ノートには数々の先人たち、つまりこのジョニーズプレイスを訪れた日本人の旅人が、いろんなことを記していた。
そのおすすめによると、オムライスとバナナとマンゴーのらしい、そしてマトンカレーがなんといってもおすすめらしい。
オムライスとビッキーさんおすすめのコフタとバナナらしいを注文した。
コフタというのはコロッケのようなもので、中身はポテト、チーズ、その上にトマトソースがかかっているものだ。
小さなオープンキッチンで、一品一品手作り、料理をしている姿もよく見える。
この場合、オープンキッチンというのは客席に向かっているわけではなく、表の通りに面して向かっている。
ビッキーさんの手際の良さに感動。オムライスで私たちは二度目の感動を味わうことになった。
味は地球の歩き方の評判に違わず素晴らしかった。おいしい。
オムライスにはキャベツが入っていてシャキシャキしている。
これは聞くところによると韓国スタイルなんだって。
そういえば、パナラシでもよく見たけれど、ここはアグラでも韓国語をよく見かける。
お腹いっぱいになったところで、自称ガーデナー、つまり庭師のおじさんが自分で作ったオイルを売りに行ってきた。
とてもいい匂いだったので、親友と二人分ずつ買うことにした。
私はレモンとローズ、友人はロータスとローズのオイルにした。
レストランに来ていたビッキーさんのおじさんに交渉して、バザールに連れて行ってもらった。
露店ひしめく市場かと思ったらそうではなく、政府公認のお土産屋さんであるエンポリウムだった。
中は広く、もちろんエアコンもバッチリ効いていて、とっても綺麗である。
高そうな絨毯やかしみや絹製品、金細工などが揃っている。
見たら絶対に欲しくなると分かっていたので、見ないようにしていたのに、入ってしまったよ、ジュエリー室。
この足がいけないのよ。
そして散々悩んだ挙句、小さなダイヤのついた金の指輪を買ってしまった。
記念品とはいえ、本当に本物なんだろうか。
とはいえ、リングはそのデザイン自体がとてもかわいくて気に入った私だったが、いまだに疑問が残る。
でも、接客のおじさん、ムスタファさん、自称36歳、見かけ46歳はとってもいい人で、
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到底貧乏バックパッカーの私たちには手の届かないアンティークのネックレスやルビーやゴールドのネックレスを変わる変わるつけさせてくれ。
写真まで撮らせてくれた。
私が、いいなあ、これかわいいなあ、と言うと、じゃあつけてごらん、と言うので、
いやそんな恐れ多い、しかもこんなに汚い格好じゃ似合わないし、と言ったら、彼はとても洒落たセリフを言ってくれた。
格好は問題じゃない。あなたは美しく輝く心を持っている。
それはそのネックレスをつけるのにふさわしいものだから、自信を持ちなさい。
あなたが遠慮する必要は何もない。
おお、いいこと言うね、おっさん。
だけどせっかくなら、やっぱりドレスを着てつけたかったわ。
ちなみにこの時に私が着ていたのは、カンボジアのTシャツである。
チャイやクッキーまでご馳走になったし、まあ多少ぼったくられたとしても、これも旅の思い出だよね、大切にしようと。
サイズを直してリクチャーに戻ると、時すでに3時間ぐらい経っていたのであった。
リクチャーのおじさん、またしてしまってごめんね。
次に向かったのは普通の街にあるお土産屋さんで、私は自分用のスカートを買った。
前の店では16歳から18歳ぐらいに見えると言われたが、なんと今回は10歳から12歳ぐらいかと思った。
はい、史上初の低年齢記録が打ち出されました。
で、おい、ただただ用事体系と言いたいだけでしょうが。
店の若い男の店員はニヤニヤしながら散々私をからかった。
あんた、私よりも5歳年下って言ってたわよね。
一度ジョニーの店に戻り、マンゴーラッシーとアップルジュースでリフレッシュした。
時すでに午後4時30分になっていたので、私たちのわがままをずっと聞いてくれたリクチャーのおじさんに再度お願い。
ヤムナ川を渡って日没の田島原が一番美しく見えるところに連れて行ってほしいと私たちをお願いした。
おじさんは心よく引き受けてくれた。
途中、民間の立ち並ぶ道や車をひしめく大通り、橋を渡ったが、
アグラは他の町に比べて本当にきれいで静かだ。
私たちが村梨から来たからこそ余計そう思うのかもしれない。
舗装された大通りには横断歩道も車線もあるのだ。
ブラックタウンキープクリーン&グリーンという気の利いたキャッチフレーズの看板が見られる。
あなたの町をきれいにそして緑に保ちましょう。
という意味だ。
おじさんはデコボコ道を貴重便に避けて、ものすごく安全運転をしてくれる。
これだけでもインド初。どうもありがとう。
17時過ぎ、日没スポットに着いた。
大米人の姿や大きな観光バスが止まっているのも見える。
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山名川自体はほとんど日上がっていると言ってよい。
水の引いた川も砂漠のようになっていて、
ところどころ水たまりと水の流れが傾きかけた太陽の光を受けてきらめいている。
そんな自然の美しさを抑え圧倒的な存在感を持って、
田島春は一瞬にして私たちの目と心を奪い去った。
小さな水の流れにその向こうにそびえ立つ田島春は白く輝いて本当に本当に美しい。
しかしここはインドで、いや世界でも有数の観光地アグラ。
物売りとどこからか湧いて出てきたのか子供たちのアタックがすごい。
日が暮れ始めるまでゆっくりと日陰で対岸のタージを眺めようと思っていたのに、
木陰に腰掛けた途端ずらりと周りを取り囲まれてしまった。
あの、見えないんですけど、田島春。
そのうち、ナコという名前のラクダに乗った少年がやってきて、
ラクダに乗って写真を撮れ、もちろん有料だとしつこく誘ってくるインド人観光客も多数いるというのに、
そっちは眼中にないようだ。
悪いけどそっとしておいてほしいな。
ようやく少し日が陰ってきたのを見計らって川のほうへと降りて行った。
私はラクダ使いの少年ナコにお金は払わないという条件で川の流れのそばまで一緒に行き、
タージの写真やラクダとナコの写真を撮った。
お金の代わりに彼にも持っていた。
お菓子をあげたのだがずっとくっついてきた。
他の大勢の子供たちが大変だ。
6、7人が口々にチョコレート、キャンディ、マネーと手を差し出して騒ぐ。
これでは日没のタージをめでるどころの騒ぎではない。
彼らは物恋というわけではなさそうだ。
きちんとした身にある用意している子もいる。
からかっているのか、それとも本当に生活のためなのか、それが私たちにはわからなかった。
悲しい上に、ちょっと頭に来ていた私は、ここは完全無視の態勢をとることにした。
30分くらい何も言わずにそこにいると、ようやく彼らは私たちの周りから離れていった。
完全に日が沈んで暗くなってしまうと怖いので、
私たちは18時半ごろオーベイジンツアーの曲が弾き上げるのと一緒にリクチャーが止まっている大通りまで引き返した。
もう少し落ち着いてみたかったな。
しかし19時近くなっても相変わらずうだるような暑さだ。
リクチャー越しに吹きつける風は心地よい。
今夜はタージンの眺めがおすすめだというシャンティロッチという宿の屋上にあるレストランで夕食をとった。
ほうれん草とカッテージチーズのカレー、ベジタブルパラダ、チキンビリヤニ、どれもこれも本当においしい。
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インドはいつどこで何を食べてもおいしいな。
感動してしまう。辛いけどね。
食事もだけれど屋上からの眺めは素晴らしかった。
私たちが席に着いた頃はまだ薄暗いくらいで夕闇に沈むゆく街並みの中にタージンの春がただ一つ。
ほのかに輝いて浮き上がっていた。
やがてその白く輝く姿も闇に沈み、完全に見えなくなっていくと、
街の明かりやここと同じような屋上レストランで人々がくつろぐ姿やそこから流れる音楽が夜のアグラを彩り始める。
夜のタージン、真春をライトアップしないのが惜しまれるが、大満足の食事の後はタージン競馬まで歩いて帰った。
シャワーを浴びて疲れと汚れをとる。
明日はこのタージン競馬、最大の売りである継承ガーデンから朝日のタージン真春を見ることにして、朝5時にアラームをセットして就寝した。
はい、ということで、5月26日金曜日、17日目、アグラのお話、させていただきました。
この日は、アグラに到着した時の様子でしたね。
朝早く到着して、宿にチェックインして、少し休んでから、昼食を食べ、お土産を買ったり、タージン真春を見に行ったり、ということでした。
このタージン競馬というホテルですね、政府公認というお住み付きがついているホテルにもかかわらず、そんなに綺麗なホテルでもなく、そして、接客態度が非常に良くなかったということで、珍しくね、怒り浸透の文章が書いているんですけど、
これも、約20年経ちますと、全く覚えていないですね。全く覚えていませんでした。
この旅の日記を読むまでは、タージン競馬のことを一つも覚えていなかったですね。
ただ、このジョニーズプレイス、このオムライスを食べた店のシェフがですね、パパイヤ・スズキみたいな、すごいアフロヘアなんですよね。
この食事がとっても美味しかったのと、非常にこのおじさんが気さくでいい人だったのは、よく覚えています。
そしてですね、正規の値段だったのか、ぼったくられたのか、わからない金のリングですね、金のダイヤのリング。
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それはですね、なんと今でも持っています。
今でもね、たまに見ると思い出すんですよね。
私は職業からアクセサリーというか、結婚指輪すらいつもつけていません。
どっかに行くときも指輪って本当につけないんですけど、この指輪はどちらかというと、見て思い出を楽しむというようなものをですね、
本当に細い、小さな、何の変達もない指輪なんですけど、
物には思い出が宿ると、その価値って、その人にとっては大きくなるものですよね。
私はアクセサリー、ジュエリー、あんまり興味がなくて、見れば素敵だなとか、いいなって思うんだけれども、
特に年齢を重ねるごとに、ほとんど興味がなくなってしまって、見つけなくなってしまったので、
今日はこのアグラで買った金の、ダイヤ付きの指輪のお話をしたので、
お出かけするときにまた出してつけてみようかなと思いました。
そしてこの夕暮れに沈むタージ、タージマハル。
タージマハルは、この次の日にちゃんと中まで入場料を払って入ることになるんですが、
この日は外から、夕日が沈むときにその夕日を受けて、
ヤムナ川という川が付近に流れているんですが、その川面に二重になって映るような、鏡のようにタージマハルの影が映るような、
そんな光景が見られるということで、川のところに行きました。
ここで本当にね、子どもたちに取り囲まれましたね。
そうですね、すごく貧しくて、なんていうのかな、ちょっと目も当てられないような悲惨な感じの物恋の子どもたち。
懲る方で出会ったような、そういう感じではなくて、どちらかというと外国人にとても興味があるような、そんな子どもたち。
もちろん商婚たくましくて、いろんな物を売りつけてこようとしたり、あわよくば何かもらおうという感じはあったんですけれども、
とても元気で生き生きとした子どもたちだったんですよね。
ただ当時私は、すごくつっけんどんな態度をとっていますけれどもね。
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現地でのこういう時の対応って本当に難しいなって、インドは特に思いました。
そういう煩わしさがないのは、やっぱりツアーということもありますよね。
そしてこのアグラというのは、田谷島原のある町なんですけれども、
ここは本当に世界有数の、世界的観光地として、インドが首都デリーよりもね、おそらく観光客が多いんじゃないかっていうところでもあるので、
本当にここはインドなのだろうかっていうぐらい綺麗な町でした。
とにかく車線がきっちり分かれていて、皆さん普通だと思うんですけど、
日本で見る一般的な町の道路、車道がアグラにはあったんですよね。
中央分離帯がきちんとあって、植栽が植えてあって、看板がきれいに整えられていて、本当に美しい町でした。
ただ、その反面、このアグラに来る前にいたのが、混沌と迷路のような、これぞインドというようなばらなし、その町だったので、なんとなく面白みに欠けてしまったような、そんな印象もありましたね。
どちらがいいのか、どちらが好みなのかと言われると、私にとっては、ばらなしの方が面白い町だなという、いつまでもいたいなと思うのはばらなしの方でしたね。
ただし、私の親、両親が何年くらい前かな、やっぱり10年くらい前にツアーでインドに行って、
大体、インドの王道ツアー旅行だと、インドのゴールデントライアングルと言われる、デリー、アグラ、ジャイプールというこの黄金の三角形の町、三大都市、日本で言ったらどこでしょうね、東京、名古屋、大阪みたいな感じでしょうかね。
そんな感じの三大観光地、もしくは東京、名古屋、京都、東京、大阪、京都みたいな感じかな。
そういう三大都市なんですけど、そこの時にアグラに行ってたじまるを見てきているんですが、それでも、やっぱり日本から行くとカルチャーショックを受けたと言ってましたね。
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たぶんバラナーシなんか行ったら、一本も宿から出られないんじゃないかと思っちゃいましたけどね。
ということで、旅もあや17日目、もう終わりに近づいております。
今回は、アグラについたよ、というアグラのお話をさせていただきました。
次回18日目は、ついにたあじまるに入る、たあじまるの模様を詳しくお伝えしていきたいと思います。
それでは今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
今ですね、私は寝室で録音しているんですけれども、子どもたちがお風呂に入っている間に撮っているんですが、
お風呂の扉も閉まっているし、寝室の扉も閉まっているはずなんですけど、子どもたちのギャーギャー騒ぐ声がとても入っていると思います。
申し訳ございません。お許しください。子どもあるあるですね。
ということで、今回はこちらでおしまいにしたいと思います。また次回のインド旅、お楽しみに。