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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
はい、本日は父と娘のヨーロッパ旅行記、17回目になります。
前回ね、私15回目で言っていたと思うんですけれども、前回16回目でした。
はい、全く数をちゃんと数えられてないですね。相変わらずでございます。申し訳ございません。
今日は17回目の旅行記になります。
この旅行記は、私の両親が結婚25周年の記念に、ヨーロッパを家族で旅行した時の旅行記になります。
前半を父、私の父がイギリスからフランス、スペイン、フランスまでの旅行記を、その後半ですね、フランスで両親は帰国しまして、
その後私と弟たち2人が旅した部分を、私が旅行記をつけて、日本に帰ってから一冊の旅行記にまとめたものになります。
ご興味のある方は、以前の配信ですね、ハッシュタグ父と娘のヨーロッパ旅行記、17回分でございますので、もし興味があれば聞いていただければと思います。
今回は、父と母と別れてからは第7日目、8月26日、スイスインターラー県からルチェンまでの行程をお話ししたいと思います。
雨のスイスは、というテーマになっております。
それではスタートしていきましょう。
朝7時、太陽を期待して目覚めた私は、すぐに激しい雨音を聞いて、落胆のため息をついた。
もう一度寝直してやろうかと思ったほどだ。
しかし、10時のチェックアウトでぐずぐずしていても仕方がない。
シェルトホルム・ミネは諦めて、小牛丼へ行こうと予定を変更した。
買っておいたチーズとハムを挟んだサンドイッチ、かさばっていたミニカップラーメン、サラダ、オレンジジュースを持ち込んで、共同キッチンで豪華な朝食をたっぷりいただいた。
湯沸かしポットもあったので、紅茶も自分たちで用意できた。これは安上がりでありがたい。
出発の準備をして、親切なおばあちゃんと白いポニーのウェンディーに別れを告げ、ウェスト駅のロッカーに荷物を入れる。
バスを待つ間にも雨はますます激しさを増し、本当にこれが8月?と思うくらい寒い。
テレホンカードを買って久しぶりに家に電話をかけてみた。
日本にいる母親が出て、3人で少しずつ話をした。
省入堂行きのバスが来るから、と電話を切ったのに、肝心の省入堂行きのバスが来ない。
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来たと思ったら、バスの運転手が手をひらひらさせている。
省入堂は大雨のために、クローズ、と言う。
何なの?全くついてない。
結局、やることも行く場所もなくなってしまった私たちは、早々に次の目的地、ルゼンに向かうことにした。
アルプス登山や絶景のハイキングコースを誇る世界的に有名なこのインターアラー県は、
ひとたび雨が降れば、こんなにも何もやることはなく、どんより暗く、ただ寒いだけなのであった。
車窓からの眺めが素晴らしいと、評判のゴールデンラインパスも、
山々は暗く陰鬱で細い幽微な滝は、土色の水をゴーゴーと上から撒き散らすだけ。
雲と霧の境目も曖昧である。
晴れていれば、おもちゃ箱のような民家と咲き誇る花々、きらめく緑の草をはむ牛たち、
アルプスのふもとに抱かれた、これがゾスイスというスイスらしい風景が存分に楽しめたんだろうが、
窓ガラスに当たる雨は、止む気配を全く見せなかった。
2時間ほど走って、電車はルゼンに到着。
私はスイスのガイドブックはあんまりよく読んでいなかったので、全くどんな場所か知らなかったんだが、
着いてみてまずその大きさと華やかな滝あふれる街並みに驚いた。
なんでもスイスのみならず世界的に有名な観光地らしい。
インターラー県は、登山やハイキング、トレッキングといったアウトドア派の起点となる街だが、
ここは街自体が古い歴史や見どころがあるのだ。
そのため駅近くのインフォメーションセンターにまず入った。
もらったホテルリストを頼りに安宿を探そうと街へ出たが、今までのように簡単には見つからない。
華やかなショッピング街や趣のある旧市街をバックパッカー3兄弟はうるうると雨の中さまよっていたのであった。
最終的に川沿いあるパブの上のホテル。ピックイック円。
巣どまりで1人50ユーロ。高い。しかし部屋は広く綺麗でテレビ付き。
何より街の中心地に位置し観光には非常に良いロケーションということもあって、
スイスにあってはかなりの掘り出し物ホテルだと後で納得したのであった。
荷物を卸し一通り今後の予定を練り直してから街へ出る。
疲れはあったがせっかくルゼンに来たのだ。
インターラー圏での時間を取り戻すことはできないけれど部屋に至って何も始まらない。
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大雨のせいで街の中心を流れる川はだいぶ増水していたが、川沿いに広がるルゼンの街は人通りも多く華やかで美しい。
街に架かる川のシンボルカペルバシは1333年に建てられたというとても古い木造の橋。
特徴的なのは屋根がついているということだ。
両側には花のいっぱいつまったバスケットがつられ、肌寒いながらもスイスの人々が短い夏を精いっぱい楽しんでいることが伝わってくる。
再びインフォメーションセンターに立ち寄り大聖堂を見学してから氷河公園へ。
氷河公園はこのルゼン一帯で発見された氷河の化石の展示。氷河やルゼンの歴史に関する博物館のような施設だ。
中にアルハンブラ、鏡の迷宮と名付けられたミラーハウスがあり、本物のアルハンブラに行った私たちはこれ違くない?とためらいはしたものの入ってみたら結構面白かった。
公園を出る頃には雨は上がり、重く垂れ込めていた雲も心なしか薄くなって太陽の光が射し始めた。
と思いきや町の北方に一部だけ残る城壁の塔に登るとすぐに外は嵐の様相になってしまった。
弟は人一倍スイスに期待していただきにがっかりしてしまったようで半ば本気で怒っていた。
一体誰に?しかし本当に我々一家にしては珍しいほどの悪天ぶり。天候だけはどうにもしようがないとわかっていてもせっかくスイスに来たのに何をしに来たんだろうと嘆きたくなってしまう。
しばらく塔の上で雨宿りをして雨が上がることを期待して外に出る。
夕飯を食べようと適当なレストランを探しながら歩いていると少しだけ青空が顔を覗かせた。
まったくなんて天気だろうイギリスに逆戻りしたみたいだ。むしろイギリスの方が天気が良かった。
空腹とトイレの行きたさに耐え切れず結局駅のレストランに腰を打ちつけた。
駅のレストランじゃなあとあんまり期待はしていなかったがいい意味でこれは裏切られた。
まるでヨーロッパの貴族の食卓に出てきそうなお皿は銀のカバーがついてのサーブ。
私が注文したルゼンフーペストリーは小指の先ほどの小さなウインナーとマッシュルームがクリームソースとともにパイの中に入っていて周りにも美しく盛り付けられていてびっくり。味もとても良かった。
食後のアップルティーと合わせて約2000円。まあまあのお値段だ。
弟たちもそれぞれおいしくいただけたようでデザートはちょっと高くて無理ということでスーパーでオレンジジュースを買ってホテルへ行った。
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途中渡ったカペルーパ市はライトアップされ夜の川面にもう一つの橋を浮かび上がらせていた。
ゆらゆら揺れる水面に浮かぶ橋はとても幻想的で美しかった。
教会や旧市街の建物も温かなオレンジ色の光で彩られそれが川面や水面に揺らめく光を映している。
昼間と同じように湯泉の夜は美しく華やかに感じられた。
夜に戻ると部屋の電気が切れていた。
変えてもらった明日のパブのお兄さんはパブの込み合う時間にもかかわらず迅速で丁寧な対応をしてくれた。
晴れたら明日こそは湖を渡って近年までは悪霊が棲む山と乳酸を禁じられていたという。
ピトラスさんに登ろうと三兄弟は太陽を願いながら24時過ぎ眠りについたのであった。
はい、ということで今回の旅行記はこちらまでとなります。
この日はですね、スイスインターラー県からルチェンに出発したところになります。
それでですね、本当にこのインターラー県ルチェンの間は非常に天気が悪くて寒くてですね、いまだに私もよく覚えています。
日記の中には、旅行記の中には書いてなかったかなと思うんですけれども、
前日のインターラー県は晴れていたんですけれども、夕方から雨が降りだしてですね、
翌朝、ここに書いてあったシェルトホルンホーって読むのかな、ミネという字ですね。
そこに登山電車で登ろうという話をしていたんですけど、
そして帰りは歩いて少しばかりトレッキングを楽しもうということを期待していたんですけれども、
まあ朝からね、ザーザーぶりでございまして、もう本当にね、絶望感でしたね。
そしてね、ここでね、弟が長男がですね、スイスを一番期待していたんですけれども、
あまりにも天気が悪くて期待していたことができなかったので、名言を残しました。
何と言ったかと言いますと、雨のスイスやることなしというね。
これはね、我が家に未だに残っている名言ですね。雨のスイスやることなしということで、
まあやることはね、きっとあったんだと思うんですけれども、
インターナー圏に関してはね、あまりやることがなかった。
そしてね、山がダメなら洞窟に行ったらいいじゃないということで、
行こうと思っていた小乳洞も大雨のためにね、増水の危険があるので、
クローズ、閉鎖ということでね。
なのでですね、行くところがなくなってしまった我々は、
次の目的地のルツェンという町に行きました。
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このルツェンはですね、かなり大きな町で、
それこそ観光地というかね、ショッピングセンターですとか、
古い町並みもあってですね、見ているだけで楽しいという町並みでした。
ここの中にも、このルツェンで一番覚えているのは、
この木造の橋ですね、カペル橋。本当に美しい橋でした。
この橋はね、屋根もついている。確か屋根もついていたので、
雨に濡れることもなかったんですよね。
そして氷河公園というところだったらしいんですけれども、
氷河やルツェンの歴史に関する博物館のような、
インフォメーションセンターみたいな感じでここに書いてあったんですが、
私の記憶の中には、このアルハンブラー、鏡の迷宮というね、
ミラーハウスに入ったというイメージ、思い出があったんですけど、
これ氷河公園だったんですね。今思い出しました。
なぜアルハンブラーなのか、私たちはね、
すでにグラナナでアルハンブラー宮殿に行っておりましたので、
きっと憧れというかね、オリエンタリズムというか、
そういった灼熱の太陽の地に憧れがあって、
なんでそんな名前になったのかっていう感じがするんですけどね、
その名前はちょっと謎です。
ルツェンはね、ルツェンもインタラー県もやっぱり天気が悪かったので非常に寒かったですね。
まあ何度かっていうのは書いてないんですけれども、
とても寒くて持っている服をたくさん着込んだ記憶があります。
ルツェンの1日目はやっぱりあまり天気が良くありませんでした。
ショッピングをするにしても、男性手持ちがあまりないので、
ウィンドーショッピングですね。
そして弟たち、男の子たちというのはね、
やっぱりショッピングに興味がないので、
あまり見ていてもつまらなかったと思いますけれども、
街中をぶらぶら散策してこの日は終わりました。
そしてですね、翌日、次回は8月27日ということで、
ルツェン最後の日、スイス最後の日となります。
このルツェンでですね、最後に弟たちと別れましてまた、
私は1人ドイツにまた戻ります。
そして弟たちとは再会することなく、
日本でまた会おうねということで別れるということになります。
最後の兄弟3兄弟の旅の1日、ルツェンでどうなるんでしょうか。
そして天気は回復するんでしょうかということで、
次回はルツェンの1日、そして3兄弟最後の旅の様子をお伝えしたいと思います。
今回も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。