キース・ヘリング展の紹介
はい、sasayukiです。 ながらcastを始めます。
この番組は、自分大好き、 61歳の私、sasayukiの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、 息がハァハァ上がったり、周りの雑音・騒音、風切音などが入ったりしますが、何卒ご容赦ください。
はい、今日ね、 お休みなんですが、
えーっとね、 眼科に行くという用事があって、
出勤ルートを今歩いております。 実はもうね、
午後4時前の夕方なんですね。
僕の通っている医者って、 基本的に職場のそばなんですよ。
で、 ちょっと隙間時間に行けるとかですね、
早く終わって帰りに寄るとか、そういう感じで行っていることが多いので、
まあ今日本当はね仕事するつもりでいたんで、 仕事終わりに寄ろうと思ってたんですが、
まあ今日ね、休みにしちゃったので、 こういう時は若干めんどくさいですね。
職場からは近いけど、家からは 電車に乗って行かなきゃいけないんですけどね。
まあちょっと今から行くので、ついでに収録しちゃおうっていう腹です。
今日はですね、えーっと、正月明けに行った キースヘディングの展覧会のお話をしようと思います。
じゃあ行ってみよう。
はい、もうねー、会期19日までだったかな。
もう終わりそうなので、このタイミングで配信するの、ちょっと申し訳ないんですけども、
静岡市美術館、
JR静岡駅の真前にあるんですけども、 そこで今やってるんですね。
で、キースヘディングは僕は、 どうだろう、高校生ぐらいの時かなぁ。
すごい好きだったんですよね。
で、いまだに好きで。 その好きさ加減をどう表現するかな。
最近は買わないんだけど、
ユニクロコラボで、
キースヘディングのTシャツとか、
あとキャップとかね、 あったりしたんですが、
結構ずっと、 毎年買ってましたね。
もうその辺の時代の服は、
さすがにね、 古くなっちゃったんで、
まあ、 ほとんど処分されてしまったんですけども、
まあだいたい、 一枚は買ってましたね。
あとまあ、 大学時代かなぁ。
キースヘディングのことを書いた、
ソフトカバーの用書があったんで、 結構カラーもいっぱい載ってて、
まあ学生時代に、 自分にとってはそれでも高かったんだけど、
そんなものを買ったりとか。 あとはね、割と直近では、
数年前に、小淵沢にある、
中村キースヘディング美術館だったかな。
ここに行ったこともあります。 ここはね、キースヘディング専門の美術館で、
ここは本当に行く価値あるので、 ぜひ行ってほしいんですけども、
今回はね、 その中村キースヘディング美術館の、
結構協力を得て、 やっているようなので、
そういう意味でもね、 充実した展覧会でした。
ヘリングの初期作品と経歴
今回の展示は、 かなり点数多いなぁと思いました。
静岡市美術館って、そんなにめちゃくちゃ大きな、
美術館ではないんですけども、
限られたスペースではありますけども、 そこにかなり作品をみっちり、
置いた感じはしましたし、 かといってね、
なんだろう、 息が詰まるって感じでもなく、
非常にバランスの取れた展示でしたね。 立体作品もあれば、
基本は彼はポップアートっていうのかな、 絵画がメインなので、
それがたくさん飾られているわけなんですけどね。
非常に見応えがある展示でした。
よく知られた作家だとは思うんですけども、
一応その年代順に追っていくような感じでも あるんですけど、
彼が有名になったきっかけっていうのが、 地下鉄に描いた、チョークで描いた、
落書きというと言い過ぎかな、
黒い紙に白いチョークで描いた作品が 有名になったきっかけ
だと言われているんですが、 これってね、もともと彼は美術系というかメディア系の
学校に通って、 その後、
アルバイトをしていたっていう話なんですけども、
たくさんの人にアプローチできるような 方法はないかなっていうふうに考えていたそうです。
ある日、地下鉄の広告、
多分枠があって、その中に広告のポスターが 貼ってあるってことだと思うんですけど、
広告もさ、期間が終わったら、
剥がしちゃうわけじゃなくて、 剥がすの大変だから、
たぶんね、 その上から黒い
紙を貼るらしいんですね。艶消しの。 なので、地下鉄の
校内、ホームとかに、期限が切れた
ところに黒い紙が貼ってあって、 彼が、キースヘリングは、それに
自分の作品を書いたらどうかって 思いついたらしいんですよ。
そのバイトへ行く途中に、
近くの画材屋に飛び込んで、 画材屋か文房具屋か、
チョークを買ってきて、 書き始めたっていう
話なんですね。 なので彼の初期の作品は、その黒い紙に
白いチョークで書かれている。 今回、その作品が
割と最初の方に、 6、7点
飾ってあったんですよ。 結構これはたぶん珍しいものだと思うんですけども、
ほとんどが個人の所有でした。 なんかね、今回その中村キースヘリング美術館のものがメインで、
それには別にね、 持っている人のクレジットはなかったんですが、
そうでないものについては、 名前が書かれている。
で、 この地下鉄のシリーズ、黒い紙のシリーズは、
そういう人の名前が入ってたので、
個人のコレクション なんですね。
中には、 本当にさ、
紙の縁っこが、 ちょっとギザギザにというか、破れているものもあって、
まさにこれさ、
ひっぺがしたんじゃないかなっていう気が しましたね。
いやー、もし仮に、 その当時、
その地下鉄に乗ってた人で、
これすげーと思ってさ、
ひっぺがして、 自分のものにしちゃった人がいたとしたら、
それめちゃくちゃ、 価値の高いものになっているはずですね。
そういった、
なんて言うんだっけな、 その一連のシリーズを、
サブウェイなんとかか、 アンダーグラウンドなんとかか、
なんかそういうシリーズがあったりして、 なかなか見応え、
最初にね、僕としては、
結構満足できましたね、最初から。
展示の中にですね、 年付というのかな、彼の、
功績というか、生涯をまとめた表があったんで、 それを簡単に言うとですね、
1958年5月4日、 ペンシルバニア州で生まれて、
1978年から79年、 ピッツバーグのアーツ&クラフトセンターで、
働きながら小学生として授業を受け、 ニューヨークに移り、スクールオブビジュアルアーツに入学。
在学中は、ドローイング、パフォーマンス、 インスタレーション、ビデオアートなど、
幅広い分野を経験するほか、 キースソニアから記号論を学ぶ。
1980年、 クラブ57で展覧会のキュレーション、
P.S.122で展示を企画する。 この辺で、
アートの仕事に触れ始めて、 そしてニューヨークの地下鉄駅構内でサブウェイドローイングを開始。
以降、1985年まで続ける。 つまり、80年から始めて85年まで
サブウェイドローイングを続けると書いてあります。
彼の後の活動と影響
1982年にはパラダイスガレージで 1ヶ月ドローイングを展示。
ピアーの仕事が今回、割とフィーチャーされてまして、
ピアー、今でもありますよね。チケットピアー。 昔はピアー、今もそうかな。ピアーって月刊誌で出てましたね。
僕が住んでた名古屋でも出てて、 なんかピアーを買うっていうのはある種、
そういう文化に敏感な証みたいなところがありましたね。
ピアーの別冊のカレンダーという雑誌があって、 そのためにニューヨークで
10日間の密着取材が行われる。 これは最初の展示のところで彼が
そのサブウェイドローイングをやっている様子を カメラマンさんが撮るっていうのの、その写真が展示されていましたね。
多分この辺からピアーでも注目するぐらいなんで、 かなり有名になってきた。
実際ピアーの表紙なんかもこの時は書いているんですね。 ピアーというかそのカレンダーっていう
雑誌かな?別冊。 84年にはベネチア・ビエンナーレに参加と書いてありますね。
パラダイスガレージ。 まあそれ
クラブだと思うんですけどね。 で自分の誕生日を祝う
パーティーオブライフの第一回を開催。
そのパーティーにはマドンナも参加する。 時の人ですね。1984年というとね。
85年パリ・ビエンナーレに参加とか。 ここで結構いろんなことをしています。
スウォッチの時計デザイン。これ展示されてましたね。 あと反アパルトヘイトのポスターを2万枚制作。無料で配布する。
このポスターも展示されていました。
サウスアフリカって書いてある有名なやつですね。 ロイ・リクテンスタイン、オノヨーコ、ジャン・ミシェル・バスケア
アンディ・ウォーホルとポスターを共同制作。
これはユニセフによるアフリカ緊急援助基金のための展覧会。
レイン・ダンスっていう展覧会で、そういった人たちと共同制作をしています。
1985年ですよね。
ちょうどそういう時期でしたね。アパルトヘイト。
Do They Know It Christmas っていうのがあって。
We Are The World があって。 その後サンシティっていうLP
出ましたね。 ちょうどそういうアパルトヘイトが問題になってた時期ですね。
1986年には 個展をアメステルダムでやって、ニューヨークの双方にポップショップっていうね
自分のグッズっていうのかなぁ 作品を売る店を
オープンします。
キーセヘリングの作品と影響
アンディ・ウォーホルとディズニーに捧げた作品。 アンディ・マウス。これも有名ですね。
これも展示されてました。
ポンピドゥセンターの開館・開設 10周年記念展に出品とかですね。
あと88年には 東京の
青山通り沿いの空き地にポップショップ東京を開店すると。 広島で行われたコンサート
広島88のビジュアルイメージを 手掛けたことを機に、壁画制作を計画し広島を訪問。
ニューヨークでアート・アゲンスト・エイズ展に参加。
この頃に
エイズと診断されます。 89年にはエイズ危機における人権運動に従事する。
そして 最後の個展を
ニューヨークでやって キーセヘリング財団を設立。
1990年 ニューヨークグリニッチビレッジのアパートで
エイズによる合併症による死去とあります。 それが90年ですね。
本当に短いですね。 ちょうどその1980年ぐらいから
脚光を浴びて約10年で
あの世に旅立ってしまったっていうキーセヘリングですけども
その彼の作品、主な作品が展示されている。 なかなか貴重な展覧会ですね。
はい そんなわけで今日は静岡市美術館で
会期、終わりが近づいてますけども キーセヘリング展について話してきましたが
印象に残った部分についてもう少し言いますと
最初のサブウェイドローイングは非常に貴重で 素晴らしかったと思います
それからですね
好きなモチーフとして 赤ちゃんが出てくるんだよね
キーセヘリングの絵の中に それが
登場した初期の作品ですね 蛍光ペンで描かれているのかな
そこだけちょっと暗いトンネル風になってて 光を当ててちょっとネオンみたいに光っているような
絵が何枚かあるんだよね そこも非常に面白かったですね
ピラミッドっていう モチーフだったり
あと 古代エジプトのアンクってわかります?
なんか鍵みたいな 鍵穴みたいな形のモチーフ
あとはねダンス
妊娠している女性
赤ちゃん これもなんとかベビーって確か言うらしいんだけど そういったものが
登場して あと人の動きを表現する 漫画っぽい
動きの時に曲線を2つぐらい並べて描いたりするんだけど そういった表現が現れて
いる そんな一連の作品も
興味ありましたね その次にポップアートっていうところで
めちゃくちゃ良かったのが
これなんだろう トニーシャフラジギャラリーの古典のポスターで
男の人の 背中から見た
イラストなんだけど 一回写真を撮ってるんだよね その男の人の背中には
これすごいプリミティブな 入れ墨のような絵が描いてあるんですよ
で 白黒の版で
多分一回写真を撮ってプリントしてるんだろうなぁ
で その人の部分だけ赤く上から色をつけて シルエットがちゃんとわかるようにするんだけど
それとつながるような感じで 人以外の部分にもそういう
なんだろう 入れ墨なのかわかんないけどプリミティブな模様が
身体以外のところにびっしり 白地に黒の模様が敷き詰められているんですけども
この何だろう
キーズヘリングの 持っている力強さ
みたいなものって こういうプリミティブなものから来てるんだなっていうのをちょっと
感じさせる作品でしたね これね
とにかく
モデルの男性に
これがね 振りダンサー兼振付師として当時から第一線で活躍している
ビル・T・ジョーンズっていう人の褐色の肌をキャンバスに見立てて 白い絵の具で4時間以上に渡り
ボディペインティングをしてそれを写真家の ゼン・コンチが撮影したと
モノクロ写真を作って ヘリングは
オリジナルの写真をオフセット印刷した上に ボディに赤い色を加え
ポスターを制作したっていうね 非常に
興味深い作品もありましたね そこのコーナーには壁一面にガツンと書かれた
同じようなそのプリミティブなイメージの
白黒のでっかい 作品もあってそれはね舞台の背景
だったようですけどね その後スウォッチの仕事とかですね
あとラッキーストライクかな ちょっと広告の仕事
あとは音楽館 あとアンディマウス有名なね
アンディウォーホールをネズミに見立てて 金を持っているアンディみたいな非常に皮肉な
辛辣な絵なんだけど これアンディウォーホールの巨額を得てやってるらしいですからね
太っ腹だよねアンディウォーホールもね あとまぁ
音楽関係で lp のデザインもしてましたね これでもそれは商売っていうよりは自分の愛した
クラブの
イベント の
こんばんは
なんだろう多分 そこがやめるのかななんかそういう特別なライブがあって
その時の録音の
音源 lp のジャケットを作ったりしてましたね その後ねあのやっぱ社会との関わりっていうことでさっきちょっと話をした
アパルトヘイトとかあとセーフセックスですね
エイズの話あと広島 とかですねこういった
あとフリーサウスアフリカっていうこれも有名な ペッターでまぁ風刺絵的な
一枚で ですけどね
でっかい黒い 男
とちっちゃい白い男男というか人ですねーか 白い人がその黒い巨人に首輪をかけてるんだけど
その男黒黒人黒い人が そのちっちゃい白いと踏もうとしてるって言うね
ことですね 非常に高社会的な活動をしてたっていうのを僕にとってはすごくいいなぁと思っ
てた部分でも ありますね
その後はねなんか ちょっとまた暗いトンネルみたいなところに入っていった面白い展示になって
ましたね
最後の方はその さっき言った
ピアノ別冊カレンダーとかですねの仕事とか あとその原宿でのイベント
あの原宿であの それこそあの
何今回パリオリンピックで 入ったさブレイクダンスしている若者とキースヘリング
一緒に移ってで彼は路上にチョークなのかなぁで 絵を描いているみたいなイベントの様子のビデオがあったりとかですね
結構 面白い
日本との関係っていうところでやってましたね この展覧会ね写真撮影 ok しかもしかもというかね
目録ないんですよズボクがなのでもうその場で見てで写真好きなのは写真撮っちゃって いいと思うんですが
最後のね日本の との関わりについては何か撮影ができないそうなのでそれ以外はね
撮影しちゃっていいと思いますんでねそういう意味でもあの ぜひ行ってほしいと思います
よかったらどうぞというところで今日はここまでです 最後までお付き合いいただきましてありがとうございました
ではまたねちゅー