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2021-08-13 12:07

ながらcast264 電車で立つのは「本当の布施」らしい

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図書館の仏教系の蔵書がスゴい!という話。電車の中では立つのがデフォルトな私ですが、ひろさちやさんの本の中の「損する智慧」という話でそんな話がありました。さらに、別の本では、「布施というのは、他人に恩恵を施すといった傲慢な気持ちを捨てて、自分がちょっと損をすること」で、電車で立っていることがそうだ、と書いてありました。まだ理解できてませんが、毎日朝晩、私は布施を実践しているようです。ちょっと嬉しいですね。
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ながらcastです。この番組は50代後半定年まであと7年ちょいの私、sasayukiが老後貧乏を何とか回避しようと、我が家、瞑想する日々を中心にお届けしております。
同年代の方にはね、こんな奴がおるんかと呆れてもらってもいいんですし、若い人にはね、こんな50代にはなりたくないと
反面教師的に見てもらって、それだったら嬉しいかな、なんて思っています。
通勤途中に歩きながら録音しているので、息が上がったり周りの騒音が聞こえたりしますけども、ご容赦ください。
じゃあよろしくお願いします。
ここのところね、反面信教の話をしたりとか、仏教系の流れが出てきている昨今なんですけども、今日はちょっとしたそれがらみの話で、
伏せ?お伏せ?って言いますよね。伏せのことをちょっと本で読んだので、その話をしようと思います。
図書館に行ってですね、例えば静岡県立図書館、この間行った時に仏教の棚に行ってね、びっくりしました。
めちゃくちゃあるんですよ。
なんだろう、まあ本当驚いたんですけども、結構全集みたいな分厚い本がだーっと並んでいたり、
仏教もいろんな宗派があったり、本当、棚1本と言っても誰もイメージできないかと思うんですけど、
90センチ幅の棚、上から下までを1本としたら、
7、8本は有意味にあったかな。
そんなわけでね、いっぱいあった。で、清水の中央図書館に行った時も、やっぱり結構多くて、
どうだろう、4本ぐらいはあったかな。 なので今まで全く注目してなかったジャンルなんですけども、
改めて見るといっぱいあるっていうのに、 びっくりしたんですけども、僕はね、
そんなガチで、
読みたいってわけじゃなくて、 軽くサラッと読みたいなーなんて
思ってたら、ヒロサチ屋さん、
ひらがなで、なんか仏教関係の本をいっぱい出している人がいて、 結構こう、エッセイ風にまとまってて読みやすいんですよ。
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で、その人の本を何冊か借りて、今読んでます。
何だろう、ちょっと前にはね、
葬式、お墓、
皆明は本当に必要かみたいなタイトルの本とか、 ケチのすすめとかですね。
そういういろんな本を 書いてる人なんですけど、読みやすいんですよね。
エッセイ風で、短い文章でね、 出来上がっているので。
で、昨日読んで、ははーっと思ったのが、 その伏せの話なんですね。
もしくは、小さな損っていう
考え方みたいです。 ちょっとこのことをね、次のチャプターでお話ししようと思います。
私ね、通勤の電車の中で、 基本的には立ってるんですよ、必ず。
席が空いてようか、
僕の場合は、大概列車の一番端っこに 立ってて、それはね、ちょっと前に話したことあるんですけども、
席を譲るのが苦手なんですよね。 だからもう最初から立ってればね、それをしなくてもいい。
前はね、座ってて、で、 高齢の方が乗ってきた時なんかには席を譲ったりしてたんですけど、
そこで、変にこう、お礼を
ありがたがられたりするのも、ちょっとなんか、
なんだろう、気恥ずかしいっていうのかな、
ですし、なんか、 やっぱちょっと自意識過剰かもしれないんですけども、
なんとなく落ち着かないんですよね。
最初から立ってれば、そこの1個分、自分の席は、 誰か座りたい人が座れるわけで、
まあね、いつからか、それが基本になっています。 まあね、なんか疲れちゃってる時は座るんですけどね、
その辺はちょっといい加減ですけども、 疲れてなければ、
だから本当、 月に
1回、2回、座るかどうかぐらいですかね。 まあね、立ってられるってある意味ありがたくて、
自分が元気がある証拠なんですよ。 で、変な話ね、自分が、
例えば手術をした後とか、なんかでね、入院から明けて、
結構ヘロヘロな時期なんかは、 やっぱり座らないといけない状態だったんですよね。
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だから、 立ってられるって、
まあ本当、サンキューって感じなんですよね。
まあ時間的にもね、15分とか20分の話なんで、 対して苦にもならないし、
僕の中ではですね、あの、 手すりとか釣り川に捕まらずに、自立して立ってるっていう、
ある種のゲームをやっているので、 とはいえもこれは何の問題もなく今はクリアできて、
まあそこで本読んだりしてても、 まあヨロケること、今でもたまにありますけどね。
なんかちょうど体重の移動と、 列車のこう曲がるのがタイミングが合うと、
なんか2、3歩ヨロヨロってすることがあって、 若干恥ずかしいんですが、
別にね、だから何って感じなので、 そんな風にしながら何も触らずに立つ。
で、時々つま先立ちで、 より負荷をかけたりして楽しんでます。
で、この話がですね、 さっきの伏せっていう話につながるんですけども、
どうも道元禅師という方が、 正法玄像という本の中でそういう話を書いてるらしいんですけども、
その伏せって何だって話なんですけども、 自分の持ち物や財などを人に差し上げることっていうことらしいんですよ。
で、そういうことをすることによって受け取ってもらって、 向こうもありがたがあるんですけども、
本当の伏せというのは、 貰ってくれてありがとうっていうものらしいです。
ちょっとね、目から鱗なんですけどね。
このヒロ・サチュヤさんの本に書いてあったのは、
電車に座ってて、 ご老人が乗ってきて席を譲るのは普通というか、
あると思うんだけども、最初から立っているっていうことが、 本当の伏せなんだっていうふうに書いてあったんですよ。
僕はよくわかんない部分もあるんですが、そうかと。
つまり、俺が毎日朝晩電車で立っているのは、 真の伏せだったんだということで、
ちょっとですね、嬉しくなったので、 こんな話をしているわけですね。
そこに書いてあったのは、ちょっとした不利益っていうのかな、 ちょっと損をするっていうことが大事なんだって書いてあるんですよ。
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これもね、まだ僕にはよくわからないんですけど、 自分が受け入れられるちょっとした不便とか、
ちょっとね、大変なこととか、
めんどくさいこととか、そういったものを引き受けていくっていうことが、
伏せなんだということらしいです。
まだよくわかりませんね。
今回はただ、自分がやっていることがそうなんだということを教えてもらったっていうことなんですけどね。
まだその考え方に至るには、
ちょっと時間がかかりそうですね。
自分がちょっと損をするっていうことに対しては、
まあ、わりと
なんとなく受け入れられる、 受け入れやすいタイプかなという気もしています。
そういう感じになってきたと言うべきですかね。
自分の都合を優先して考えると、
まあ、あんまり良くないなって思うようになったのかな。
別に大したことじゃないんですけど、例えば、
車を運転していて、横断歩道で
人が渡りそうな時は、
率先して止まるとかね、そういう感じになったりしています。
でもこれはさ、単に警官に捕まえたくないだけなんだけどね。
でもまあ、渡りそうな人がいたら止まるっていう、まあ当たり前のことなんですけども。
もしかしたらこれも不正なのか、
欲なのか、よくわかりませんね。
まあちょっと遠慮しがちっていうのは、
そういう部分と関係しているのかなぁ。
まあちょっと自分が率先して何か取りに行かない。
で、まあ自分の分が減っても、まあそれほど気にしないっていうようなことかなぁ。
まあ、でもとりあえず僕は、
電車の中で立っていることによって真の不正を
しているっていうことになるっていうことでね、
毎日それを励みにしようかな。
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