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はい、sasayukiです。
ながらcastを始めます。 この番組は自分大好き
60歳の私、sasayukiの声のブログ、 声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、 息がハァハァ上がったり、周りの雑音・騒音、風切音などが入ったりしますが、
何卒ご了承下さい。 今日はね、ちょっと冷え込むと言われてて
静岡14度とか15度って感じでね。 ちょっと今も曇ってますけど、
青空も見えてますけどね。 ちょっと今日は肌寒い感じ
になりそうですね。 実は昨日ですね、
あのラジオナの ノベルティーが届きました。やったー!
ちょうどね、過去回から遡って、 あの、第1回からずっと聞いてるんですけど、今ちょうど200回ぐらいまで来てて、
200回のノベルティーがボールペンだっていうところを聞いたので、
それが来るかな? で300回とか400回も
全部まとめてくるといいなぁなんてね、 勝手に思ってたんですが、昨日届いたらですね、
100回のステッカー、第100回記念の。 で200回記念のボールペン、そして今回の500回記念の缶バッジの3つが入ってました。
つまり300回と400回は作らなかったのか、 作ったけどもう終わっちゃったのか、
どちらかは、またねこれから聞いていくとわかるのかなと思ってますけど、いずれにしてもですね、
大変嬉しいです。
ボールペンは使おうと思います。 缶バッジとステッカーは、とりあえず宝箱にしまっておくかな。
というわけでね、なんかこんな風に物を埋め、 こういうノベリティをもらうなんて、
滅多にないことなんでね、ほんと嬉しいですね。 ラジオナさんありがとうございます。
さて、 今日はね、一旦その話から離れまして、
また、ちょっと恒例になりつつある、
ちこちゃんに叱られるネタで行ってみようかと思います。 じゃあ行ってみよう。
今日は再放送でしたね。 なんか見たことあるっていう問題なんだけど、
でもわかんないんだよねー、ほんと。 情けない話ですけどね。
最初はね、
先生をお母さんと呼んでしまう理由
例えば小学校の時だよな、 学校で
先生をお母さんって言い間違えちゃうことって、 なかったですか?
俺ね、覚えてるんだよな。3年生の時かな? ありました。
女の先生で、 その人にお母さんって言っちゃったことありますね。
それはちょっと恥ずかしい思い出なんですけども、 それはなぜ?っていうね、
問題が出ました。 これね、
見た時に、ああこれ、 再放送だなって思ったにもかかわらず、
よく答えは思い出せないんだよね。
この話をするか、 もう一個面白かったのは、
急がば回れって言うじゃないですか。
その回れっつーは何だ?っていう話で、
何を回るの?っていうのが、 もう一個面白かったですね。
この2問ありますが、 どっちがいいかな?
結局どっちにしようかまだ迷ってるんだけど、 それでもやっぱりあれかな?
面白いのはあれかな? やっぱり先生、お母さんって言い間違えちゃう方にしてみましょうかね。
これ、もういきなり解説をしていこうと思うんですけども、
心の辞書っていうものが人間にはあるらしいんですけども、
いろんな言葉を覚えていくんですね。 成長に応じて。
2歳から3歳にかけて、
語彙の爆発って言ってたかな? その語彙数が急激に増えていくっていう時期が3歳でやってくるらしいんですけども、
そうやって子供は言語、単語に限らずだと思うんですけども、 言葉を獲得していくっていう過程があります。
あるそうです。まあでもそれはそうだよね。 獲得していくよね、みんなね。
その時に、覚えた言葉を自分の心の中に、
辞書的なものができて、そこに、
格納していく、しまっていくらしいんですね。
それが関連性のあるものが近くに保存されるというか、格納されるっていうことらしいんです。
そこでお母さんと先生が近い場所に保存されているので、取り出す時に、取り出し間違えちゃうっていうことがあるらしいんですね。
なんでその心の辞書の中で、近い場所にあるために間違いやすいっていうことのようです。
言い間違いっていうのがですね、2つあるって言っている理由が、
一つは単純に音が似ているっていうことらしいですね。 これは
容易に推測できる。
特に幼い子供の事例をこのテレビではやってたんですけども、
これは先日、ゆる言語学ラジオでもやってたんですけども、
その下の位置とか、どの辺で音を出しているのかっていうようなところで、
心的辞書における関連性
いたしかたないっていう感じでも言ってましたけどね。
あと、母音のイっていう母音が割と難しいというか、やっぱり間違いやすいって。
そんな話もしてたんでね。概要欄にリンク貼っておきますので、もしこの特に子供の言い間違いに
興味ある方はね、
聞いてみてほしいんですけども。 ただもう言い間違いっていう言い方をしてなかったなぁ。
なんつってたかな?もっと肯定的に捉えようって言ってた気がしますね。
なんとかかんとかって思い出せない。 そんなことも言ってましたね。
その時はゲストに音韻学者の方を呼んでたんで、より面白い回になっています。
そういうようは、発音の難しさ、未熟さみたいなところでの言い間違いが一つ。
もう一つが先ほどお話しした心の辞書、心的辞書。
隣にあったりすると、それを呼び出す時に、
呼び出す、もしくは取り出す時に隣の出しちゃって間違えるっていうことで、
最初の話に戻りますけども、先生に対してお母さんって言っちゃったりするっていうのは、
そのタイプっていうことらしいですね。
言葉の音の類似性と呼び間違い
この手のことってどうだろう? あるかな?今あるのかな?
大人になっちゃうと、先生とお母さんって全然違うものなんだけど、
特に小学校、小学生なんかだと近い位置にあるんだろうなっていうのは、自分でも推測できますね。
そうそう、ここで面白かったのは、その言い間違いが日本だけじゃなくて、世界各国であるよっていうことで、
何カ国かの人のインタビューを載せてましたね。アメリカとかニュージーランド、
あとアジアもそうでしたね。 よくあるよなんて話をしてたんで、非常に興味深く思いました。それが。
はい、そんなわけで今日はチコちゃんネタですね。鉄板の。 今日の疑問は、
先生をついお母さんと呼んでしまうのはなぜ?という疑問にお答えしてきましたが、どうでしたでしょうか?
お分かりいただけましたか? まあちょっと分かったような、分かんないような話でしたね。
その心の辞書、 心的辞書っていうものが、
目には見えないんだけども、 頭の中に作られているっていう、これある種の仮説だとは思うんですけどね。
いろんな単語、概念などを、
まあ僕らは、 心、頭の中に、
まあ保管してあるというか、 ある程度整理して入れているっていうことだと思うんですけども、
それらが、 完全にランダムだと整理しにくいっていうことなんでしょうかね。
まあ、 ある程度関連付けたものが近くにある。
まあ何だろう、マップみたいなものっていう方が近いのかもしれないですね。 辞書って言うと整然と並んでますけども、
まあ何だろう、
単語と単語が線で結ばれていて、 そういうネットワークみたいなものを構築しているっていう方が、
もしかしたら近いのかもしれませんね。 ある一つの単語を
出した時にそこに関連するものが線で繋がっているみたいな イメージかもしれないですね。
例えば、今自分もそうだけど、 物の名前が出てこないみたいなことも、そういう心的辞書みたいなものと
関係しているのかどうか。 ただ、何だろう、
引っ張り出しやすいものと引っ張り出しにくいものもありますよね。
そういう記憶なんかの話と、
今の心的辞書っていうものがどう関わっているのか、
みたいな話も含めて理解すれば、もうちょっとストンと納得がいくのかもしれませんね。
言い間違えっていうのも一つのエラーだとすれば、
必要なものが出てこないっていうのも、エラーだと思うので、そういったものが
まあ
説明できるっていう概念モデルじゃないかなって勝手に思ってるわけですけどね。 最近言い間違えしましたか?
自分でも、でもね、
やっぱり似た単語を言い間違えるっていう方が、やっぱり圧倒的に多い気はしますね。
口がうまく回らないとか、似た言葉と置き換わってしまったりとかっていうのは、
割とありそうな気がしますね。
本当、どうでもいいような話にはなりましたけどね。
さて、今日はここまでにしましょう。 今週僕はこれで仕事は終わりなので、
2日間お休みいただいて、またお会いしたいと思います。 4周年の時にね、
いろいろ話しましたけども、聞いてくださっている人がいるっていうことを改めて、
再確認して感謝しております。 いや本当、これ
が何かを生み出しているわけでもないしね、何かの役に立っているわけでもないっていう
ところで、やってるそんな番組なのでね、 もし楽しんでくださっていれば本当に
ありがたく嬉しいです。 ということでね、これからもまたお付き合いいただけたらと思います。
今日は最後までお聞きいただきましてありがとうございました。 ではまたね!
ちゅーす!