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  2. エピステモロジーって知ってる?
2022-10-27 22:36

エピステモロジーって知ってる?

本日の音声配信では慶応大学の今井なつみ先生による「学びとは何か」という本についてごく簡単にご紹介し、それが語学学習の現場ではどのように応用できるかについても僕の意見を簡単にご紹介しました。

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/murasupe/message
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今日、お話ししたいのは、「学びとは何か?」という、今井松見さんの本です。
まず、この本を読もうと思ったのは、
一つには、台湾の安倍喜美彦さんが、「小さな言語学者の冒険」という、あの本が今無料で読めます。
月替わりで安く、無料で読める方だったかな、ちょっと忘れましたけど、とにかく安く、あるいは無料で読めますよ、ということをツイートしていらっしゃっていて、
それでですね、僕はまだこの本、名前とかタイトルはもちろん知ってたんですけど、結構人気ある本ですからね、
小さな言語学者の冒険という、この本をダウンロードしたら、その本にですね、結構この今井松見さんの学びとは何かという、この本がすごく引用されていて、
そういえば、この本も読んでなかったなと思って、小さな言語学者の冒険の後に、この本をダウンロードして、ちょっと読んでみたというわけですね。
でね、今お聞きの皆さんね、このエピステモロジーっていうね、そういう単語聞いたことあるでしょうか。
実はね、僕この本を読むまで、このエピステモロジーっていう言葉聞いたことなかったんですよ。
聞いたことあったかもしれないけど、少なくとも覚えてはなかったです。
でね、これがね、実は最近読んだ、また別の本でも、これにね、このエピステモロジーっていう言葉自体は使われていなかったんですけど、
結構ね、それにかなり深く関わる本を他に読んでいたこともあったりして、この言葉を聞いてすごくぴったりしたという感じがしますね。
このエピステモロジーということは何かということについて、ちょっとご紹介する前に、その本についてね、まず具体的なところをご紹介しておきたいと思います。
この本のタイトルはもう一度言いますが、タイトルが学びとは何かって書いてあって、でもね、多分ね、サブタイトルとして、以下が続いています。
学びとは何か、探求人になるためにですね、探求人というのは探求するっていう探求に人ですよね、人、それで探求人になるためにというふうに書いてあります。
で、著者は今井睦美さんですよね、確か慶応大学の先生だと思いましたけど、今のところですね、176個の評価がついていて、平均点は、
4.4ですね、かなり人気がある良い本というふうに思っていいんじゃないかと思います。
内容もいいんですけど、これね、さらにいいのは、これ、Kindle読み放題に入っているんですよ。
定価は880円で、Kindleの定価は880円なんですけど、Kindleの読み放題サービスに入っている人は、実質無料でダウンロードして読むことができますので、
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その意味でもすごくいいと思います。
紙で買うと968円ですね。
本の長さは232ページなので、印刷版も新書なんですよ、新書。
内容もやっぱり新書的にはわかりやすい本なので、とても読みやすいと思います。
発売日は2016年の3月18日ですね。
だからもう6年以上前、6年半くらい前ということです。
以上がこの本に対する基本的なご紹介なんですけど、
まず最初のエピステモロジーとは何かということなんですけど、
この本では知識観という言葉という、
ちょっとなんか形容詞があって、要するに知識観であるというふうに書いてありました。
知識観って何かというのは、要するに知識観の観というのは観察するの観ですよね。
観察してみるの観です。
要するに知識についてどのように認識しているか、
どのようなイメージを持っているか、それが知識観。
カタカナで言うとエピステモロジーというものだそうですね。
知識観という言葉自体、日本語でも僕あんまり聞いたことないんですよ。
聞いたことあるかな、あるかもしれないけど、ちょっと覚えてないっていう、
そのくらいのことですよね。
今までの知識観というのはどういうものだったかというのが、
今井夏美先生は知識ドネルケバブモデルという言葉を使って説明しています。
これは伝統的な従来の古い知識観、つまり古いエピステモロジーということですね。
これをちょっと以下に引用してみますね。
以下引用です。
知識はきれいに切り取ることができる断片である客観的事実として存在し、
その断片を人から教えてもらう。
知識イコール事実のエピステモロジーでの知識モデルは、
客観的な事実である知識編をペタペタ表面に貼り付けていって、
ひたすら大きくしていくイメージを喚起させる。
それで私はこれを知識ドネルケバブモデルと呼んでいる。
知識イコール事実のエピステモロジー、
それを根とする知識習得についてのドネルケバブモデル、
ペタペタ貼り付けモデルがなぜ生きた知識に結びつかないのかをこれから述べていこう。
ここまでが引用ですね。
ドネルケバブって中東とか行くとよく見ると思うんですけど、
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基本的には鶏肉が多いんですけど、
鶏肉を巨大な樽みたいな形に、
でかい鶏肉の塊を作って、
それを直火で焼きながらぐるぐる回すんですよね。
火が通っていったところからそげ落としていって、
僕はシュワルマというのが大好きだったんですけど、
サウジアラビアに行ったときね。
今も実はシュワルマはインドでも食べられますけどね。
そういうシュワルマにしたり、
他のいろんな料理にするために巨大な円筒型のものを準備しているわけですね。
それがドネルケバブ。
そのドネルケバブの巨大な、
焼く前の生のチキンのドネルケバブっていうのは、
どうやって作るのか僕もよくわかんないんですけど、
巨大な塊になっているわけですね。
それをペタペタ表面に貼り付けていってできるのかな、
よくわかんないけど。
少なくとも食べるときはそこから、
火が通ったところからそげ落としていって、
それをだんだん渡していくんですよね。
それが貼り付けていくところは、
実はよくわかんないんだけど、
少なくともそげ落としていって、
はいどうぞって言って渡したら、
それが相手のものになるっていうね。
そこのところのイメージだけでも、
従来のドネルケバブ的なイメージを、
知識のメタファーとして使うのには、
わかりやすいんじゃないかと思います。
簡単に言ってしまうと、
知識っていうのは、
コピー&ペーストをできる情報であるっていうね。
それがこのドネルケバブモデルの、
従来のエピステモロジー、
従来の知識感なんだと思います。
さっきね、
これがなぜ生きた知識に結びつかないのかを、
これから述べていこうっていうことに、
そういうふうに書いてあったんですけど、
その最初に書いてあるのが、
母語なんですよね。
母語。
今井なつみさんは、
母国語っていう言葉を使っているんですね。
それについてはいろいろ批判もありますけど、
ここではこのままご紹介してみますね。
以下引用です。
母国語は様々な知識の中でも、
使うための知識、
つまり生きた知識の代表である。
そもそも言語は、
断片的な知識をペタペタ貼り付けていき、
ボディをどんどん大きくしていけば、
使えるようになるわけではない。
音韻の規則、
文法、
分厚い辞書にリストしてある
単語の意味をすべて暗記しても、
使えるようにはならない。
ここまでで引用終わりですけどね。
09:00
本当にその、
生きた知識っていうのが、
母語っていうのが生きた知識の代表で、
全部知識を、
文法とか語彙とか、
漢字の書き方とかを暗記しても、
それが使えるようにはならない。
僕も本当にまさにその通りだと思います。
特に、
似たような面ではですね、
人が似てるとかっていうのもそうですよね。
例えば、
顔が誰と誰、
例えば誰でもいいですよ、
有名な俳優の誰かに似てる人がいる。
目が似ているとか、
鼻が似ているとか、
そういう言い方はできると思うけど、
目の角度が何度くらいとかね、
あるいは目と目の距離がこの感じとか、
そういう風に数値化して、
それをどうして似ているのかっていうのを、
説明する、
言語化して説明することは、
多分普通できないと思うんですよね。
だけど、少なくとも、
その俳優に似ている人と似ていない人、
っていうのを見分けることはできると思います。
あるいは、
その俳優とそれに似ているけど別人、
その人を見分けることもできるとは思うんですよね。
そうやって使うことはできるけど、
でもそれがどうして違うのかっていうのは、
なかなか言語化したりすることができないっていうのも、
一つの例としてあるんじゃないかと思いますね。
この本では、
サブタイトルがね、
さっきも言いましたけど、
探求人になるためにっていうところですよね。
やっぱりここのところが一番、
読者にとって役に立つところだと思うので、
これが確か第6章だったかな。
第6章以降が非常に実践的な役に立つところなので、
そこをちょっとご紹介してみたいと思います。
まずここも引用文ですね。
以下引用です。
誰もがそのような人材を育てたいと思う。
では、どのようにしたらよいのか。
子供が将来選択した分野の達人になる手助けをするための
本当にシンプルな鉄則。
それは以下の2カ条である。
第1条、
探求エピステモロジーを持つこと。
それでちょっと中略ですけど、
第2条、
親も探求人であること。
っていう風に書いてありますね。
これは子供って書いてあるけど、
子供っていうのは、
今井夏実先生はよくね、
母語の習得ですよね。
第一言語の習得について
研究されている方なので、
子供の例もたくさん出てくるんですね。
それで今ここに子供って書いてありますけど、
でもこれは要するに本人ですよね。
成長したい本人が
この探求エピステモロジーを持つってことですね。
このね、
探求エピステモロジーっていうのが
ちょっと定義を引用するの忘れていましたけど、
要するに
ドネルケバブモデルではなくて、
自分の中に
自分でですね、
12:02
調べていって
それで自分で見つけること
自分で気がつくことですよね。
自分で気がついて
その気がついたことに
気がついたことがすでに自分の中にある
他の知識と結びつけて
それで
いろいろな関係を持つってことですね。
すでに自分が持っている
いろいろな知識と
関係を持って結びついて
そういう形で
自分の心の中に入るという
それが探求エピステモロジー
っていう知識観
それが本当の知識だっていうことですね。
だから
学習する本人が
知識っていうのは
コピー&ペーストできる情報である
って思っていたらダメなんですね。
それはドネルケバブモデルの方ですから。
そうじゃなくて
自分の心の中に作るものだってことです。
新しく作るんですよね。
コピー&ペーストするんじゃなくて
自分の心の中に
新しく作る。
この本の中で
使われていたかはちょっと覚えてないんですけど
創発するっていう
言葉もよく使われていますね。
創発するっていうのは
創造力、クリエーションの方の
創造ですね。
それに初はもちろん発見とか発明の初です。
これで創発っていう言葉が
よく使われると思うんですけど
要するに心の中に作る
自分の心の中に新しく作る知識をね
コピー&ペーストするんじゃなくて
新しく作る
そういうのが
この探究エピステモロジー
というものです。
そういう知識感を持つっていうことが第一条で
第二条は
やっぱり親自身も
そういう探究人である
つまり同じ
エピステモロジーを持つっていうことですね。
僕の場合なんかね
父親はいないし
母もちょっと
こういう
もう87なので
ちょっとそういう
探究人という感じではないんですけど
多分そうだったのかな
でも少なくとも
僕にとって僕の親がどうだったか
っていうのとは
ちょっと離れて
でも実際ね
今の僕くらいの世代にとって
親が
変わることってのは正直無理なわけですよね
なので
ここのところは
なんていうんですかね
親に限定しない
限定する必要はないと思います
昨日ご紹介したスイッチ
っていう本で環境っていうのが
とても大事ってありましたよね
そこの本を考えると
そこで書かれていることと考えると
やっぱり周りにね
そういう
探究心を持っている人と
そういう人の中に
そういう人のグループに入るっていうことですよね
コピー&ペーストができる
15:00
つまりコピーペーストで
知識を増やすことができる
って思っていない人
探究して自分の知識を増やすことができる
っていうね
そういう探究エピステモロジーを持っている
人たちの
そういう人たちと
たくさん付き合うようにするってことが
子供じゃない
成人にとっては大切なんじゃないかな
という風に思いますね
そうするとそれが普通なんだっていう風になってきて
自分もだんだん
そういう探究エピステモロジーを持つ
ようになってくるっていうことだと思います
今ね
僕が昨日ご紹介した本と
結びつけていったりしましたよね
そういうことが多分
自分の知識を
作るっていうことなんだと思います
ただこの本に書いてあること
この本に書いてあることを
そのまま
要約して
ムラスペで話すだけだったら
それはまだあんまり
なんていうんですかね
その
コピー&ペーストの状態と
そんなに離れていないと思うんですよ
だけどそれが
今まで書いてあった他の知識と
結びつけてそしてさらに
アウトプットするっていうね
それをやっていくと
ただ
本を読んでそれをムラスペで話す
っていうこと以上に
僕の心の中にちゃんと
なんていうんですかね
居場所ができて
そこに入ってですね
これから僕が必要なときに
それを取り出すことができるようになるんだと思います
学校教育の変わり方についても
ちょっと少し
本当に短くですけど書いてあるところがあります
それ以下引用しますね
探求エピステモロジーを持ち
ずっと学び続ける探求人を
育てるために何をするべきか
まず第一に
学校は知識を覚える場ではなく
知識を使う練習をし
探求をする場となるべきだ
知識を使う練習とは
持っている知識を
様々な分野でどんどん使い
それによって
新しい知識を自分で発見し
得ていくということである
はいこれで終わりですね
例えば今僕がやっている
日本語教師養成講座もあるんですけども
来週で終わりなんですけどね
それも
勉強の部分は
反転授業のビデオで
見てもらって
実際のセッションでは
皆さんに作ってきてもらった教材とか
模擬授業をしてもらったりとか
あるいは
自動採点の
グーグルフォームに
みんなで答え合うとか
そういうようなことをして
やっているわけです
もちろん
自動採点にお互いに答えたりするためには
その前に自分で
自動採点のグーグルフォームを
作ったりしなければいけないわけですよね
そういうことをやることによって
僕がその前に
18:00
ビデオで話していることを
実際に使ってもらったりしている
わけですね
特に
講義型の
講義型の
授業というのは本当に
なくていいというか
あってもいいんですけど
それだけじゃ全然足りないということですよね
コピーアンドペーストの
情報を伝えるところも
必要だとは思いますよ
情報を伝えるところも
必要だけど
一方的に話すとかということ以外に
自分で気が付いてもらうような
情報の伝え方というのもたくさんありますので
そういうふうに学校教育も
変わっていってほしいなというふうに
思っています
文系シラバスが特にそうなんだけど
でも文系シラバスに限らず
一斉授業の場合は
そこで伝えることとか
というのはとてもピュアなエッセンス
であることが
多いんですよね
とてもピュアでエッセンスで
それはとても美しいんだけど
でもそれがすぐに取り出せるかというと
すぐに取り出せるというか
自分で作った知識なのかというと
それがそうじゃないことがある
なので
例えば文法を教えるときにも
例を見せて
自分で気が付きましょうというパターンのほうが
創発に近いわけですよね
これは別に文系シラバスとか
区別とは関係ないですけど
先生が一方的に説明するよりも
例を見せて
ここはこうなってますけど
ここはこうなってますよね
これどうしてだと思いますかと考えてもらって
こういうルールがあるんだなと
自分で気が付くほうが
創発的な
知識になるんじゃないかなと思いますね
例えば言語教育に関しては
これもやっぱり
文系シラバスと行動中心アプローチ
とは別に
現場で使うということですよね
現場で使うときは
いろんなそれまでの
自分の経験とかと
関係してくるわけですよ
例えば僕は今でもよく覚えてるんですけど
インドに初めて来たときに
ニューデリーで
このお店空いてるかどうかよく分からないところがあって
今空いてますかと聞いてみたことがあるんですね
実際に入る前に
アプリで調べて
言えないから
自分で言える実力なかったので
アプリで調べて
そこのお店にいる人に
働いてる人に聞いてみたんですよ
そうするとやっぱり
目的がありますよね
お腹が減っていてご飯が食べたいので
今このお店が開いているのが
閉店なのか
開店中なのかを聞かなきゃいけない
そういう目的があるし
360度周りがお店とか
入り口っていう映像があるわけですよね
しかも移動すると
その移動に従って
見え方も変わるっていう立体感とかもあるし
21:00
食べ物の匂いとか
あるいは準備している食器の
触れ合うガチャガチャした音とか
あるいは食器とか食べ物
実際に食べたときの質感とかね
座ったときにこの椅子に
かかる自分の体重
それをお尻で感じたりするわけですけど
そういうものすべてが
そのときの
ヒンディ語の表現に
関わってくるわけですよ
これが教室で勉強するのとは
全く違う感覚だな
というのが分かりました
そういうときに実際に使って
こう言えば通じるのね
こう言ったらうまく通じないのね
そういう体験がまさにこの知識を
自分の中に作っていくもの
なんじゃないかなという風に思いましたね
あともう一つ
言いたいことがあったんですけど
それはですね
学ぶ力は自分で身につけるというのがあって
これは非常に自律学習に近い考え方なんですけど
すみませんちょっと今日はもうだいぶ
時間が過ぎているので
今日はここまでにしておきたいと思います
それではですね
本日もこのムラスペに
ご参加くださいましてありがとうございました
今日のね
学びとは何かっていうね
こういう今井夏実さんの本に出てくる
このエピステモロジーという概念ですね
この概念につきまして
もしご感想とか
コメントとかありましたら
ぜひムラスペのハッシュタグ付きで
ご共有いただければと思います
それでは本日も
良い一日をお過ごしください
そして冒険は続きます
22:36

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