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2024-08-16 14:30

#82 地元の視点から見える移住者/ゲスト:小笹智靖さん

引き続き、小笹智靖さん(さささん)との対話回。

「沼津で商売を初めて気づいたこと」の流れから私のような「移住者に対してどう思っているのか」ストレートに聞いてみました。

今回の配信で出てくる、人がいないところで商売をスタートしたときのモチベーションの話は、過去に限ったことではなく、今でもとても大切にしたい考えだなと教えてもらったような気がします。

さらに移住者、仲間、「縁」に対して触れ、さささんの「人との関係性」の考えはとても深いものでした。

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それで言うと、サッサンが戻ってくるっていうのと、やろうっていうのは別軸だと思うんですけど。
そもそも戻ってこいよっていうのは。
戻ってきたのは、結構不節制なブラック企業なんですよ。
今ここで言っても、会社名を言わなければならないんですけど、残業時間が250時間。
そんな変な会社に至って、病気になっちゃったんです。病気になったというか、人間ドックで引っかかっちゃったんですね。
それでこのまま行くと、40歳ぐらいまでに死にますよっておじさんに言われて。
1日7食とか食べちゃってたんで。
ずっと起きてるから、7食ぐらい食べて。
その病気をきっかけに、こんな生活してたらもうダメだなと思って、
向こうで転職よりも、一回地元に帰って考える時間が欲しいなぐらいだった。最初帰ってきたきっかけは。
これいくつぐらいなのですか?
それは30。
考えるきっかけが欲しいな、でもお金は稼がなきゃいけないな。
学生自分はずっと飲食店とかバーとかで働いてたんで、
料理の知識とかもあったので、お店を持とうと。
そこからがスタートだった。
そこから知識もあったし、地元の流れを組んで、じゃあ地元でやろうなんですね。
結局そのときに、もちろんお店オープンするときに、最初にかかるお店の回送費だったり、家賃だったりとかっていうのをざっと算出するじゃないですか。
僕は横浜に住んでたんですけど、横浜と沼津だと5倍ぐらいかかるんですよ。
よく言うやつですね、ほんまに。
その頃まだ沼津の揚げ土というシャッター街で、家賃がかなり安かった時代なんですね。
なので、ここで勝負してみるかみたいな。
本当に何の変哲もない、周り全部シャッターみたいな保持で始めたんです。
でも原点じゃ原点。
原点ですね、かなり。
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そこで気づいたこととか、改めて沼津ってこういう場所だなって感じたことってどんなことですか。
そこで気づいたのはね、
僕より先に1年前に同じ町内で八百屋を始めてた人がいました。
その人が多分僕の街をどうにか、小さい町内だったら30代ぐらいの力でどうにかできちゃうんだっていうのを気づかせてくれた人が、その八百屋さんですね。
小松さんって言うんですね。
リフズさんですね。
彼が本当に若い人がやってる店がその町内で2軒とか。
あとはシャッターで、シャッターがずっとやっているお店屋さんみたいな感じで。
なぜ続くのかみたいな感じですね。
よく田舎の謎みたいな感じ。
なんだけど、その中でいろんな夜市とかを比較して、
昔からあるお店屋さんも巻き込んで、こういうのをやっていきたいんですっていう。
そこからですね、僕は彼にずっとついていってお手伝いをしていたっていう感じですね。
へえー。今じゃ想像できん。
今じゃちょっと考えられないですね。いっぱい若い方が。
ということはサッサさんよりも下の人たちが。
当時のサッサさんよりも若い世代がお店やってたりとかもしますもんね。
やっぱその流れは、沼津にとっては少なからず影響はしてると思います。
というのは、沼津で、それより5年とか6年、僕が帰ってくるより5、6年前っていうのは、
沼津でちょろっと成功すると、
例えばアパレル系の人とか、物販系の人とか成功すると、大体東京出てくるんですよ。
ただその流れがね。
その流れがあったんですけど。
でも僕らが戻ってきて、30ちょいちょいで落ちて楽しそうにしていると、
そこにやはり興味を持って寄ってきてくれる若者、その当時若者ですね、が増えるんですよね。
それがひとつきっかけだったかもしれないですね。
僕は今まだ、沼津って統計的に見ても移住者がすごい多いですみたいな感じだから、
謎に移住者ですみたいな人と自然出会えるんですけど、当時はそんなことなかったってことですね。
よう戻ってきてくれたみたいな。
基本的に言い方悪いですけど、僕が初めてお店を出した町内も、もう手を尽くした。
よく言いますよね。一周回った。
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先人たちはもう手を尽くして、それでももう集客はできないし、人は出てこないっていうところで、
最後に若者ができるんだったらやってみなさいよっていうところだったから。
乱暴ですよね、でもね。
だからやりやすかったのかもしれないですね。
あ、そっか。逆に言うと好き勝手できるというか。
そうですそうです。
ある種失敗前提って感じなんですね。
ここはもうどうにもならんよ、お前らがやってもっていうテンションで、
じゃあ俺らはもういいからやってごらんっていう。
逆に良かったですよね。
それで沼津さんの話にもなっちゃうかもしれないですけど、
何がモチベーションだったんですか、それで言うと。
当時ですね、もう30そこそこで僕は自分のお店をやっていたので、
街にお客さんがお店に来てくれないのは自分の店のやり方が悪いからだっていう反面に、
圧倒的に歩いてる人が少ないだろうっていう。
なんとなく想像してます。
なので、街に出てきてくれる理由を自分たちで作らなきゃいけないっていうところからですよね。
じゃあただお店で立ってるだけじゃなくて、いろんなこと考えてお客さん呼ばないとっていう。
割と大事なことですよね。
そこから、その間がもしかしたらラブライブもあったかもしれないですけど、
比較的盛り上がり出した時期ですよね。
アッパー街が徐々に埋まり出して、ほとんど若い人のお店で埋まり出して、
なんとなくそのエリアがにぎわってくるという実感は、僕10年やってる中ではありました。
確かコロナだったと思うんですけど、ちょっと端折ってる部分もあるかもしれないんですが、
ジンを作ろうってなったっていう流れであってます。
僕40歳で、いろんなところを点々として閉鎖的な街とかも一応見てきたんですよね。
だからこそ、沼津に移住してきたときに、
いや僕移住者でさっさとなんかしたいんですよ、みたいな感じは絶対かと思ったんですよ。
そんなことない。もう亡くなってると思うからね。
でも仮にそう言ったとき、自分がまだ何もやってないのに、なかなかそこを踏み込めないなと。
むしろリスペクトだよなっていうのはすごい意識してた中で、
本当にそういう人たちがたくさんいるなっていうのに、徐々に気づいていった日々で、この1年半ぐらい過ごしてきたんですけど。
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それで言うと冒頭の話になっちゃうんですけど、県外も見られたりとか。
僕なんか言ってもわけわからないじゃないですか。急に、ほんまに縁もゆかりもなくやっている中で。
自分も沼津のためにみたいなのは本当に思ってなくて、自分ができることを祝々とみたいなことを思いつつも、
佐々木さんから見たときに、異重者、特に僕みたいなんて、どう見えてるのかなっていうのが、
ありがたいでしかないかな。
嬉しい。
例えば同じ、さっきの沼津くんの話に戻りますけど、
沼津くんが目指していたもの、街にとって目指していたものとかが、なんとなく一緒に行動してるとわかっていて、
同士みたいになってくるんですよ。同じ方向を見ているが別々で、商売は頑張っているみたいな人たちが、
やっぱり、それの延長かなとも思うんですよ。
もう全然聞いてる皆さんが知ってるか知らないかわかんないですけど、
島屋んとか、僕の店の一番最初の頃からのお客さんで、渡来鑫介というのがいて、
島屋んが、例えば今一緒に上流場をやっている永田という男を連れてきたり、
それこそ新町の、今やっているきなり車をやっている山ちゃんを連れてきたのも島屋ん。
それは僕のやっているサッサというお店が、ハブじゃないですけど、そこにいろんな人が集まって、
そこからのご縁なので、僕はだからありがたいでしかないね。少なくともそこでちょっとずつ増えていっている仲間は、
似たようなベクトルの下を過ごしているから、仲間が増えたっていう感じはあるんですね。
だから移住者っていう感じも全然ないんですよね。
沼津の中でももちろん、まだ会ったことない人もいるかもしれないし。
このご縁っていうことが今出たんですけど、割とご縁を感じるって年取ってからなんですよ。
一つ一つの出会いを大切にしようという。
それ気づけのすごくないですか。
ちょっとないがしろにしてしまいがちというか。お客さんとかだからよりよりというか。
そういうことはサッサさんは意識されてたってことなんですかね。
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意識しているのかな。
意外と僕、偏屈なところがあるので、そんなに簡単に人と仲良くなれないんですよ。
大丈夫ですか。
そこは閉鎖的ではあるのかもしれないですけど、やっぱり探るは探るというか。
この人は本当の男はどうなんだろうみたいな。
疑ってかかるみたいなことですよね。
これでオッケーだったりすると、普通の人よりも結束は固いというか、タイプなんですね、どっちかというと。
めっちゃ聞きたかったんですけど、オッケーラインって何なんですか、サッサさんの。
オッケーラインはね、僕はね、すごく簡単で平和な人です。
無等派じゃないってこと?
何かこう、人のことをネタんだり、会社とかやってると握手しようとしたりとか、そういうズルがしっこくないやつ。
捨て身で人を助けてしまう人っていうのはすごく共感できるところかもしれないですね。
確かに。僕も意識してるのはそれかもしれないです。
なんか自分がやりたいと思ったことを素直にやりたい場所で、
この間も夏祭りがありましたけど、もう一つでも盛り上がってくれればみたいな気持ちなんで、お金なんか本当にどうでもいいと思っちゃうタイプですし。
何より儲けるっていうのって、最後だろうなって割と僕も思ってるので、
自然にできてるのはすごいありがたいなって思ってる中で、こうやって笹さんと何かができるとか、考えてもなかったんですよね。
それはご縁だなとは思いながら関わってはいますね。
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