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2021-09-16 09:43

#056 超相対性理論 #22 美とは何かを聴いて

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自由へ解放されるにはどうしたらいいか考えた。超相対性理論 https://open.spotify.com/episode/3R75elQ0tHErOqmRkKMeXg?si=OBWR8KPNRjGrsCAAo2SAaw&dl_branch=1
00:05
おはようございます、Moです。
これ、いつもは車を運転してないで撮ってるんですけど、
今、ちょっと車に運転しながら撮るのをちょっと試してみようかなと思って、
今、話してみます。
いろいろなソースからのお話によると、
これ、純正Appleのヘッドセットを今使ってるんですけど、
これはあまり良くないという話なんですが、
とりあえず、今話したいことがあったので、忘れないうちに撮りたいと思って話してます。
今日、昨日配信だったのかな?
超相対性理論の美についてっていうのを聞いていて、
美を聞いて思ったことが、美を美しいと思うことについてとか、
自由じゃないと、自由になった時に初めて本当に美しいって自分の中で受け止められたりするのかなって、
自分が美だと思うことについて、自分も受け止められるというか、
具体的に言うと、深井さんが、僕はそういうのを、
自分の飲む水を入れるカップについても自分で考えるとかっていうのを、
自由にされてた人なんだなっていうのを想像したんですよね、今回ね。
その自由さがどこで制限をかけられるのかなって考えた時に、
実はって結構、私実はって使うけど、
小さい時に受けた教育とか、何か自分で自由にものを言った時に、
言った時、表現した時に、それはダメでしょって言われたりすると、やめちゃいたくなりますよね。
私ね、本当に人の話を、いつも聞いてくださってる方はわかると思うんですけど、
ちょこちょいで、全然幼稚園とかでも人の話聞かないで、
自分で勝手にやっちゃう子だったんですけど、
普通の幼稚園に通って、普通って言っても一般的な、
近所の歩いて行ける幼稚園に通ってたんですけど、
今でも覚えてるのは、私、
みんなで、一人ずつが作る工作で、
色を塗ってはいけないっていうルールだったらしいんですよ、それ。
全然覚えてないんだけど。
そしたら、私だけ、色を塗っちゃってた。
でもね、自分的には今でも覚えてるんだけど、
自分的にはいけてるなと思ったし、
03:00
私、本当に相当のめんどくさがり屋なので、
やりたくなかったらやらないですよ、そんなことは。
適当にちょちょっとやって終わっちゃって、適当でいい。
それなのに、結構その時は気合い入れて、今でも覚えてるんだけど、
7色くらいあったペンで、本当に塗り絵とかするときに、
はみ出しちゃいけませんよとかよく言われてたから、
はみ出さないように、木で作ったものを、
本当にきちんと塗ってあったんですよ。
そしたら、「ああ、もーちゃんは塗っちゃったんだ。」
って先生に言われたんですよね。
塗らないでって言ったのに、みたいな。
私、あの時に、うわっ、はっ、とか半分、はっ、って思った気持ちもあるんだけど、
恥ずかしいよね。本当にもう間違っちゃってるから。
そういうね、この前もちょっと言ったんですけど、
自分の親の世代は、貧しいっていうかね、戦後の大変な時に、
本当に、でも戦争に負けちゃって大変だっていう状況の中で、
ちっちゃい時に育ってね、戦後育ってきた人たちだから、
素直に人の話を聞いて、言うことを聞いて、一生懸命勤勉にしていれば、
先は良くなるんだって、そうやって僕たちだって来たんだもん、みたいなね、
そういう親だったんで、本当にいい人たちなんですけど、
またね、そのいいっていうのもあれですけど、
差し当たり、差し障りのないというか、本当に明るくて、
本当にあの親に育てられて良かったなとは思ってるんですけど、
でもそういう時代に生きてきた人なので、やっぱりそういう、
人が言うところの道に外れたりとか、ルール守れないとかっていうのは、
ちょっと恥ずかしいと思っちゃう人たちですよね。
だから娘がもう一人だけ色が付いてるんですよ、その展示とかしたんだけど、
びっくりするんだよね、そういうのを見ると多分。
だから、あらーって言って、でも怒られはしなかった。
まだ怒られなかったから、あの時良かったよね。
だから今の私があると思うんだけど、塗っちゃったんだ、でもほら、
嫌じゃない?塗っちゃったんだとか言われると。
なんでそこで、あー、もーちゃんは頑張った。
こんなよく塗れてるね、いつも。ちゃんと塗れてないのにって言ってくれたらね、
もう私もこんなに回り道しなかったんじゃないかとか、
今、ちっちゃい事件なんですけど思うんですよ。
これをもし参考にしていただけたらいいんだけど、
子供の時の妄想なんだけど、実は今でも多分大人でもあると思うんですよ。
私はわざと自分のことを、例えばなんだけど、
古典ファンの全部聞けない系っていう、聞けてない系って言って、
ちょっとカテゴリー別にね、私は聞けてない系の、聞けてないというか聞かない系のね、
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ファンですって言って自己紹介させていただくんですけど、
実はそこも聞けてないっていうのは、やっぱりちょっと日本ぽく、
自分でやってるわけじゃなくて、やろうとしてるんですけどできないんですよ、
みたいなカテゴリーに自分を入れたいというか。
でもよく考えると、聞かないんですよ。聞こうと思えば聞けるんでね。
時間も別にそっちに、時間を費やせばいいわけですし。
古典ラジオの良さは、多分全部聞いてる人と同じくらい分かってるつもりだし、
なんていうのかな、私が好きなんだからいいじゃんとかって思うわけですよね。
ファンって言ったって、1話聞いたってファンでもいいじゃんとか。
実は1話でファンになったタイプで、しかも皆さんは歴史がすごい好きだから、
そこが良かったと思うと思うんですけど、
私1話聞いたのは、番外編だったんですよね、初めて聞いたのは。
一番初めに聞いたので、一番覚えてるのは、
深井さんがアジアの国に行かれた時に、
うちの奥さんはもう僕のこと分かってるんで、
僕のことよく分かってるんで、僕が一人で外に出ちゃってうろうろしちゃってるのも気にならないんですよ、
って言って、なんとなくヤンヤンさんとヒグさんがシーンみたいになってる。
え、そうなんですか?みたいな。
そこが好きで、番外編をまず聞いて、
それでそれからもハマってるって感じなんですけど、
それから10話くらい色々聞いて、アメリカの歴史とか聞いて、
すごいお話しの上手な方達だなと思って、
不安にその絵から離ってるんですけど、
例えばファンは全部聞かなければいけないとか、
美を語る時も、
こうでなければ口に出したら恥ずかしいとか、
もっと開放したらいいと思うんだよね、自分の。
私も自分はそういうのがあって、
やっぱりね、教養というかね、美についての知識もないし、
これ綺麗だなと思っても、
口に出すのちょっと素敵な絵だなと思っても、
ちょっとなというのはずっとあったんですよね。
おばちゃんになったからやっとこうやって言ったりできる、
口に出して言えるようになったなっていうのがあるから、
余計に今日ね、超相対性理論の美について聞いた時に、
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どうやったら縛られた感を開放できるのかなと思って、
その辺また自由、心を開放して自由になって、
いろんなことをもっと楽しめる、心の底から楽しめるという状態になれるようになったら、
なんかもっとわっかっかするんじゃないかなと思ったりしています。
ではまた、じゃねー。バイバイ。
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