コミュニティの可能性
おはようございます、Moです。こんにちは、こんばんは。みなさんお元気ですか?
私はおかげさまで元気です。今日も毎日お祝いしようを聞きに来てくださってありがとうございます。
最近ね、なんかあの、ポッドキャスト界隈の方とツイッターでね、結構つながることができるようになって、
今までね、やっぱり自分としては、なんか古典コミのメンバーだし、えっと、樋口塾のメンバーだし、ということで、
その中でね、たくさんなんかあの、いろいろな方とお知り合いになるのに忙しくて、
ね、みなさんのポッドキャスト聞いたりとか聞き合ったりとかして、なんかその中にいたみたいのが、こう2年間ぐらい続いてるわけなんですけど、
まあね、最近はツイッターの方でもいろんな方とつながることができて、なんかちょっとずつなんですけど、
こういうね、なんかちょっとした可能性っていうかね、このインターネットがあるし、えっと、このツイッターあるし、
今までね、たぶんなんか、えっと、これから年取ってどうしようとかって、もう私も結構思ってたんですよね、コロナの前とかはね、
なんか子供たちも大きくなっちゃって、なんか私どうするのかなーみたいな、結構まあ同じぐらいの年の人と話してるときは、
どうすれば私たちこれからーみたいなことをよく話すようになってたので、なんかね、オンラインでのね、なんかお付き合いというか、
コミュニティーをどうやってやったらみんなで楽しく、この1人ずつの人たちの生活の一部で、
えっと、なんか、人の、みんなのね、毎日を豊かにできるような感じにできるようになるんじゃないかなーっていうのをね、ちょっと考えたりとかして、
もうね、ほんとね、まあ基本的にまあ寂しがり屋なんでしょうね、私ね、それぞれの人がみんながね、
自分のね、なんか無理をしない感じでどういう付き合いができるようになるような、そんなね、このツイッターとかSNSの使い方ができたらね、
嬉しいなーみたいな、まあなんかほら、このインスタとか、まあフェイスブック、私とか結構ヘビーユーザーだったんですけど、
最近はね、たまにね、家族のことをアップしたりとかして、ママ友とかでずーっと長くね、知り合いの人たちには、
年賀状みたいなものかな、年賀状とか季節のお便りの代わりみたいな感じで、フェイスブックになっちゃってますけど、
だけど、最近ね、そういうことも、まあいろいろ駆使してね、いろんなものを駆使して、せめてね、この老後、これから老後って言ってもさ、
老後に向けての考え方
もしかしたらこれよりも倍近く生きていくんだとか思うと、ゾッとするよね、ほんと長い、人生長い、
だからさ、それからこれからをさ、自分で飽きないで、毎日飽きないで、どうやって生きていこうか、みたいなのもチラッと考えるわけですよ。
心配っていうよりも、ああ、やだなあ、歳とってって思うのが、そういう自分がいたらやだなあっていう感じがあるので、
なるべくね、いろんなことを学んでたりとかすると気分がいいみたいなので、そういうのもね、やっと最近こう、
年にね、コロナになって、なんか自分と向き合う時間も増えてきて、落ち着いてね、そうやって分かってきたことだなと思っても、
この歳になってね、こんなの分かってる場合じゃないですよって、ほんと皆さんとのね、ジェネレーションの違いがね、分かるんですよね。
やっぱり、あの私たちはITに囲まれて生きてきてないので、皆さん、これ聞いてくださってる方は私たちと同じぐらいか、ちょっとしたぐらいの方が多いみたいなんですけど、
20代、30代ぐらいなのかな、30、20、まぁほんと10代の人とかもね、生まれた時からもうインターネットあったみたいな時代の人たちと、私たちってほんと考え方が違うので、
私たち世代はね、やっぱね、なんか若い子たちをね、もっとね、ちゃんと理解しようとするね、気持ちでいかないと、
インターネットがある状態で生まれてきてる人たちはね、やっぱり情報量が違うし、その情報の処理の仕方とか、ご自身の中でね、
そういう処理の仕方とかもすごくロジカルにね、されてたりとかすることが多いので、中にはだから、情報がありすぎてその処理が間に合わない、それ当たり前だと思うんだけどね、
人間のその情報量に、普通にね、なんか生きてきた、普通ってまた言ってるけど、自然に生きてきた時に、ほら目に入る情報とかとは違うわけじゃない。
なんか、例えば蝶々が飛んでてとか言って、そういうゆっくりの状態は、あー蝶々が飛んでるなーとかいう風に見て、そこに美しさを感じるとか、そういう感じじゃないもんね、情報の今の入り方っていうのはさ、
なんか流れてきて、タイムラインとかで流れてきたりとか、テレビで出てきたりとか、あの画像でさ、YouTube見てたらさ、なんか見たくもないのにコマーシャルが入ってきたりとかさ、そういうのってもう異常だよね。
だって、あの私たちの体ができることを超えてるわけじゃない。だから、まあさ、それに追いつけないっていう人がいるのは当たり前だなって、もう最近ちょっと思ってるんだよね。
で、思ってるんだよねーとか言って、ね、それ、ここでさ、おばちゃんが一人で言っててもしょうがないことなんですけど、そういうことをほんとつくづく最近感じていて、はい。
あるものに集中する
今日はね、最近いろんなことを考えている中で、こういう風に考えたら少しは楽なんじゃないかなって思うことがあって、あるものに集中する。
でね、あのいつも言ってるかもしれないんだけど、なんで私がなんかいつも結構機嫌がいいのかって言うと、あのね、やっぱこれは親からの教えなのか、まあ何なのか、半分DNAでね、あの半分DNAで決まっちゃってる性格とか、なんか私たちはね。
でも半分は生まれた時からの環境とかによるっていうことがあるらしいのでね、それを考えると、まあ親から言われたことと、あとはまあ昔からどっかのね、どのぐらいから続いているのかわからないですけど、私のね、この命はね、それにもう途方もなくなるんだけど、そういうこと考えるとね。
それ考えるだけでボケっとしてて多分、何時間とか言っちゃうよね、きっとね。そのぐらいになっちゃうんだけど、まあそういうふうに、そんなボケっとしてるわけでもいかないというか、まあせっかちなので、次々って思っちゃうんですけど、まあとりあえずそういう感じで、DNAがどこから続いているかわからないけど、その辺の考え方かもしれないんだけど、だからもう私が今ここで言ってることも、まあいろんな人から聞いたことの、まあたまたま私がこう言ってるだけなんだけどね。
でもとにかく、私、事実としてね、私が感じていることは、機嫌がいいといつも。それで、じゃあそれはどうしてかってずっと考えてきてるわけなんだけど、あるに集中してるからなんじゃないかなって思うのね。
ないものを欲しがらない。欲しい。実は欲しい。だけど、まあちょっと無理かなみたいなのいっぱいあるわけじゃない。で、それがね、なんかやっぱり人と比べちゃうとあるんだよね。そういうのっていうのがとっても。
でも自分がさ、一番簡単なことで言うと、例えば、自分のキャパを超えて何かめちゃくちゃ頑張って、例えばだけど、選抜チームみたいなのに入りましたと、スポーツの。
だけどそれって、その瞬間に出る力とそれをずっと続けられるかどうかの力っていうのは違うじゃない。だからやっぱりどんなにすごい人でもそれを何年も何年もにわたって同じレベルで続けられるんだったら、その選抜チームに入るのはいいかもしれないけど、その本人にとってそのキャパを超えていることを何年も続けたりすることができない状態であるなら、
なんかそれって、目指すのはすごくいいことだし、いろいろ言い切れないこともあるけど、だけど今日言いたいのは、どこまで無理、立ててる目標が絶対に選抜チームに入らなきゃいけないという目標だったとしたときに、
自分の体力とか精神力とかそういったものが、可能性としては一生懸命やれば出るかもしれない。だけどそれはその瞬間だって、実は選抜チームの、本当に息を吸うのと同じようにスポーツができちゃうような人だって世の中にはいるわけで、そういう人たちとやっていく中で辛い時間になってしまうとか、そういうことになるかもしれない。
だから、そういうことも考えたときに、自分はそれを目指すべきなのかどうかとかね。でも目指して、それが経験となって、例えば選抜チームに入ったけどダメでした、なんかやっぱりちょっと辛くなっちゃいましたって、それをやめるのはいいよね。
でもやっぱり人生の中でそんなことばっかりだとね、辛いことがあるんじゃないかなって。あと日々のね、チョイスをするときに、いつもちょっと頑張る方ばっかりを選んでる人とかがやっぱり、私もよく見るんだよね。もう頑張らないといけないっていう精神がやっぱりあるからかな。
だけどそれをずっと続けていると、何も到達している気持ちにならないし、満足感がない。いつも失敗している自分みたいになっちゃったりするし。だからそういうことを考えると、やっぱりあるものの中でこれだけできてよかったねみたいな方がいいかなって最近思ってきて。
そればっかりだとつまらないよ。だから少しは頑張ったほうがいいって。だから塩梅なんだけど、でもどんな人でもここで生きている限りはね、必ず自分の中にあるっていうものが、そもそもこれを聞いてくださっているとしたらあるよね、絶対何かが。
これさ、私、哲学聞いてくださっている人、なんかもうさ、やばくないって思ってるかもしれないけど、あるはあるとかって教えてもらってるからね。それと、そのあるとそのあるは関係あるのかちょっとそれもわからないけど。これからね、哲学の世界を知っていかなきゃいけないから、これはまあ私としてもチャレンジだと思ってるんですけど。
まあ哲学聞いてくださってない方はもしよかったらね、聞いていただければと思うんですけど、そういう番組がありますので、もしご存じない方はカタカナで哲学ってどっか入れていただくと多分出てきたりすると思うので。
聞いていただきたいと思うんですけど、なんかもやもや自分でね、するときには何を自分が持ってるだろう、持ってるというか何があるんだろうとかっていうことをね、全部ノートに書くとかわからないですけど、なんかちょっと考えてみるとね、いろんなものあると思うんだよね。
本当に。でね、ないものばっかりをね、目指してる人で、本当私はね、ちょっとまあこういう言葉を言うとあれですけど、不幸だなって思っちゃう人はね、やっぱりね、お金をいっぱい持ってる人はね、私結構見てきてるので、その中でお金いっぱいあってすっごく幸せそうな人とそうじゃない人いるんですよ。
だからね、そうだなあ、そういうのあるの方に集中してる人で、なんか幸せじゃない人を見たことが逆にないというか、あるに集中してる人なんだろうなって思うんだよね。やっぱりいろんなことは自分にあるから人に分け与えられるみたいな人もたくさんいるし、そっちをね、見るとね、やっぱりなんか元気な人とか元気でね、いろんなことをもう本当にたくさんしゃべるときも、え、そんな言葉で言ってるの?
っていいんですか?ぐらいのことを言ってくださる先生方がそうなんだけどね、学者の先生方がやっぱり自分の持っているものを本当に次世代に伝えたいっていう気持ちでね、いろんな話してくださってるのを聞くとね、やっぱりそれってご自分がやっぱりあるものに集中されてるからなんじゃないかなって思うんだよね。
私たちの成長
先生方がね、代理を求めてるわけじゃなくてなんか単純な言い方だとね、あのやっぱりご自身の持っていらっしゃる地というかね、それをね、もうすべてこう出し切ろうとされてるところとかがね、感動するんですよね。だからそういう方たちを見るとやっぱりあるものに集中されてるかなと思います。
それで私もね、それはあのあるものに集中してるから最近は機嫌はそうだよなーってやっとなんとなく腑に落ちてきたので、今日ねここにちょっと残しておきたいと思いました。もしあの最後までね聞いていただいてありがとうございます。
で、もしね本当あの私もたまにこういう人間なので落ち込む時もあるんですよ。でも本当にポッドキャストなんかやってらんないよとかと思う時、やってらんないよっていうのはこんなにやらせていただいてるのにだよ。
こういうアプリケーションもあって、私の声を世界につながってしまうものに乗せさせていただいてるみたいなそういうさ感謝の気持ちもあるんですけど、私なんかこんなポッドキャストなんてやってたってしょうがないよとか思うことが多々あるわけですよ。
だけどやっちゃうみたいなね、このなんかさ。だからそういうのもちょっとありますけど、とりあえずあの弟子のねトートちゃんが100歳まで続けなさいっていうことでね、いつもくじけると言ってくれるので、なんとかこうやってね続けていきたいと思うんですけれども、
ちょっとね、アップルポッドキャストとかは心に秘めておいていただいていいんですけど、星をつけていてみてもらえませんか。それね、ちょっとどんな感じなのかなと思って、いろんな方がねやっぱり星の数を気にしていらっしゃるので、今まで私全然気にしなかったんでね、よく見てみたらなんか全然ついてない。
アップルポッドキャストの方にはちょっと前からつけていただいている方とかもいて、本当感謝なんですけど、ちょっとね、ここでね、声かけしてみるとどうなのかなって、ちょっと実験?実験というか実験のなんか、ラットにされるの嫌ですっていう人はしなくていいし、1位とかつけていただいていいですけど、前回も言いましたけど。
もしよかったら、ちょっと星つけていただいてみてはいかがですかね。ちょっと相談なんですけど。こんなやって、ちょっとこう言ってみると、してくださる方がいるかなと思って、ちょっと楽しみにしています。はい。では、最後まで聞いていただいてありがとうございます。じゃあまたね、今日もね、皆さんにとっていい1日でありますように。いい感じの1日でありますように。