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2023-06-17 05:15

#232 道とは〜コラムを読んでみた。

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道とは〜コラムを読んでみた/ ふむふむ、優しいんだなぁ、この先生は、、、/ 幸福とは、

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自分以外の誰かを頼る
道とは、人は困難に遭遇すると、それを打開する方法を知ろうとして、自分以外の誰かを頼る。
すべてのことを自分ではできない以上、そのことに詳しい人に適切な具体策を尋ねた方がいいことも少なくない。
ただ、私たちの生活上でも、人生においては、人から伝え聞いた方法だけでは不十分な場合が多い。
それがなかなか言葉を通じては伝わらないのである。
読むことと書くことをなりわいにしていると、読書法、文章法に関する質問をしばしば受ける。
コツを教えてくださいというのである。
昨今では、コツとカタカナで書くようになった言葉は、もともと骨と書いた。
すなわち、コツとは手軽にできる効率的な方法などではなく、ある期間真剣に取り組んだものだけが台徳できる方法なのである。
骨法という言葉もあるが、それはあることの骨髄に触れる秘められた童貞に他ならない。
経験のない人が何回試みてもできないことを専門家はごく短時間でやってみせる。
すると、経験のない人は経験がないゆえに自分にもすぐそれができると思い込む。
ここに方法の罠がある。
詩やエッセイを書く講座を自分たちで運営するようになってから、今年で10年になる。
講演活動はそれ以前から行っていたのだが、ある時強い違和感を覚えた。
話していることは伝わっている。しかし、それはほとんど実践されないだろうという予感だった。
かつての自分もそうだったが、講演会に臨む時、発せられる言葉をなるべく聞き逃す前とする。
そのことにエネルギーを注ぐ。
しかし、実践しようとする前に次の事柄に関する方法を探すのである。
講座を自分たちで運営する必要を感じたのは、どうしたら書けるか、読めるかという方法を伝えるためではなく、
書けない、読めないという状態にこそ意味があることを経験してもらう場が必要だったからだ。
人は真に試めてみるものに困難を感じる。
書けないことに向き合う
私はピアノを弾けないとは思わない。全く弾けないからである。
弾けたら良いと憧れることはあっても、弾けないことに心を砕いたりはしない。
だが文章は毎日のように書けないと感じる。
矛盾して聞こえるかもしれないが、できない。
そう感じるところに方法とは呼べない道のようなものが音もなく静かに開けてくる。
講座では、書けなくなったという声があちこちから聞こえてくる。
私はその声を受け止め、心から惨事を送る。
やっとできないという地点に達したことを告げ、その困難に意味があることを分かち合う。
方法は自分以内の人から与えられたこともあるだろう。
だが道は自分で切り開いていく方がない。
フランスの哲学者アランが書いた幸福論には次のような一節がある。
幸福はいつも我々から逃げていくものだ、と言われる。
人から与えられた幸福というのなら、それは正しい。
与えられた幸福などというものは、およそ存在しないからである。
しかし、自分で作る幸福は決して裏切らない。
ここでアランが述べている幸福の法則と呼ぶべきものは、これまで述べてきた道にも当てはまる。
方法に従っているとき、その先に見出すものは必ずしも必要なものではないかもしれない。
だが道は私たちが必要としている何かへと導く。
学生時代は極力授業には行かず、市中で行われている講演会に出向いた。
そこが私の大学だった。
自分で道を切り開く勇気
いろんな人の名前、考え方を知ったはずだったが、あるとき心を病んだ。
理由ははっきりしている。
就職活動が始まって、社会で働くという現実を直面せざるを得なくなったのだが、
世の中に足を踏み出せないのである。
どういう形であれ、人はあるときを境に、社会という海に船出し、人生という航海を始めなくてはならない。
学生時代の私は、自分が望んだ知識、方法も学んでいたのかもしれない。
しかし、人生という海に出るための勇気を見出すことができなかった。
気づけば自信を失い、部屋に閉じこもるようになっていた。
生きる勇気を感じるようになったのは、何か方法を見つけたからではなかった。
うまく生きられない自分をそのままに受け入れようとしたとき、どこからか湧き出してきたのである。
転んでもよい。自分の中からそんな声がしたのを覚えている。
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