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2024-02-25 13:53

耳毒【サトリの学講】 #9 イエス・キリストは仏陀です

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00:09
みやけん鴨島のサトリの学講
はい、久しぶりでございます。サトリの学講です。
普段はイラスト講師、NFTクリエイターとして活動している私、みやけんが
えっとね、かつて時折やっていた、趣味で勉強していた
スピっぽい話をするという自己満足の企画でございます。
えっとですね、1ヶ月半ぶりぐらいになるでしょうか。
はい、よろしくお願いします。
あの、今日は日曜日の放送ということになるんですけど
今撮っているのが夜の0時、55分、1時とかね、そういう時間でございます。
昨日の放送で朝方に帰りたいなと言いながらも
えっとね、今日はイベントがあるので寝れないぞっていう話をしてたんですけど
あのね、この時間でですね、この深夜の今の時間でですね
実に脳が回転しております。
収録した頃は全然何から手をつけていいのかっていう感じだったんですが
やはりですね、この時間に向かっていくにつれて
だから11時ぐらいからかな、だんだんだんだんこうやるべきことが絞れてきてですね
今あとこれとこれとこれとこれをこうしてこうしてこうしてこれで形ができると
そしてあとこの資料を作ってこれでこれの形ができると
そしてあとはこの準備をしておけば明日はイベントのブースの形ができるとというのが
ずらっと綺麗に頭に並んでおります。
なんでこの時間やねん。
で、やるべきことが整理されて
よし、じゃあこれやるしかないぞっていう状態に今ね、頭はなってるんですが
もうね、眠くなるんですよ、そしたら。
いやーそりゃそうですよね、昼間起きてんだから。
いやーなかなかやっぱりこれね、この集中力の波をね
なんとしても昼間に持っていかないといけないですね。
ということは余談でございまして
今日はですね、悟りの学校ということなので
じゃあこれなぜ撮ろうかって思ったかっていうとですね
03:00
昨日の配信の中で茶盛りのテレフォンショッキングですね
あれはニーダーさんでしたかね
との対談というのがあって
その後、そうまさえさんがですね
なんでしたっけ
シャク、シャク、シンエ
シャクシンエモン、シャクさんですね
出てこない
が、おしゃべり、スタッフで配信した話にですね
インスパイアを受けまして
ちょっとこれは言っとこうかな
これは僕ちょっとこの企画で言おうかなと思ったので
撮ろうとしたということでございまして
日曜日はいつも歌を歌って弾き語りの歌をやってるんですけど
もうね、ちょっとしばらくギター弾いたりする日はなさそうなんで
それ以外のことでなんか日曜日らしいことをしようかなと思った次第でございます
よろしくお願いします
ちょっと遅いの早かった
えっとですね
あのーなんだっけ
ちょっと壮大な話だからややこしいな
あの
なんかスタッフでつながる方がですね
スピリチュアル系というかですね
そういう方結構多くなってきて
そういう話を聞くことも多くなってきて
だからなんか自分はね
またちょっとずれた立ち位置なので
どうしようかなっていうのがあって
この企画はなかなか動いてなかったんですけれども
あの
まあまあそういう中の一人ですね
その新田さんとかそうまさやさんとかもね
ただ今日の話、今日じゃない昨日の話で
すごくこれって思ったのは
イエスキリストの話とかしてたんですよ
今だから僕の周りのスピリチュアル系の人っていうのは
どっちかっていうとやっぱり
仏教的な感じが多いのかなと思ってて
空足禅式のね
のが多くて
キリスト教って一神教でね
ゴッドを崇めるみたいなのなので
ちょっと今我々が感じている
06:01
発信している悟りのお話とか
お釈迦様のお話とかとは違うよねって
思ってると思うんですが
僕が敢えてここで言いたいのは
実は違くないんですよっていうことを言いたいんですよ
これは僕がだから学んできた中での
メンターの言葉でもあるんですが
結局ですね
イエスキリストという人も
ブッダなんですね
つまり悟りを開いた人なんですよ
だから発信しているメッセージは
お釈迦様と同じなんですね
ただ発し方が違う
要は使っている言葉が違うのと
どうしてもこのユダヤ教っていうね
一神教であるところのユダヤ教の世界で
話をし始めたものだから
どうしても後世に語り継がれるときに
そっちに取り込まれて
伝承がそっちに取り込まれたっていうのがね
キリスト教の聖典であるところの
新約聖書っていうのは
あれはキリストさんの死後
何百年後かに
編参が始まったやつですからね
完成するまでもまだ
しばらく時間がかかったっていうものなので
だからイエスキリストが発し
言った教えとかが書いてあるわけじゃないんですよね
この辺りは仏教の教典も一緒ですけど
じゃあ当時何を発していたかっていうと
お釈迦様と一緒だということなんですよ
だって同じ
仏陀ですからね悟り人ですから
僕は学んだ中では
マホベと同じだって言ってましたね
要は悟りを開いた人と
後から周りがいろいろあがめ立てまつって
ストーリーを紡いだ結果
イスラム教という
コーランという教典ができて
イスラム教というものになったっていうことで
この人たちは全員悟り人で
発しているメッセージは同じです
キリストの話に戻りますけど
本人もユダヤ人であり
ユダヤ教徒の教えで生まれ育ったというかね
いうことらしいんですけど
実在したのかどうかっていう話もありますけどね
一応実在したということでいきましょう
なので悟りを開いて
だからね
ネハンとか仏教でいうとネハンとか
09:00
悟りの境地とか
そういったものを
イエスキリストの言葉でいうところの
では愛
ラブ
ゴッド
という言葉で
あとはヘブンとかかな
という言葉で表しているんですよ
だから
まあそれは本人がそう表したか知らないですけどね
後の人がそう付けたのかもしれないんですけど
要は
その時に発したメッセージは一緒で
別に
一心教っていうかですね
ワンネスって言いますけどスピリチュアルでは
全ては一つ
存在
存在という一つの存在という
一つというね
数字に当てはめるべきでも本当はないんですけど
全でありゼロであり一でありみたいなね
が唯一
唯一です
存在は全てが唯一ですっていうのを
やっぱり
この一心教の神は一人だっていうところとやっぱり
後の人がね
混同しちゃったっていうね
ところがあるんですよ
土台が一心教のユダヤ教なもんだからね
だからイエスキリストは悟り人としては多分
多分というか
僕が勉強した限りでは
そういう意味で唯一って言ってたのをやっぱり
一人しか神様いないっていうね
偶像
偶像崇拝の禁止とかも一緒ですよ
そうやって神様という方があって
それを拝みなさいっていうのは間違いだからねっていうのが
偶像崇拝の禁止であって
っていうことでですね
だからそこもねイエスキリストもそういう観点で見ると
あの実は結構
同じ
ブッダと
ブッダとじゃない
お釈迦様と同じブッダであると
いうことになってくるらしいんですね
だからやっぱり
あっちはどうしても
一神教ってなっちゃった時点でもう
完全にメッセージがずれちゃいますからね
で数日間合わせるために
悪魔だなんだとか
登場させてみたりとかですね
偉いことになっていくんですけど
その方が大勢の人は話が分かりやすいし
宗教としては
広がりやすいっていうのはあったからですね
というお話でございまして
要は
今はねキリスト教は
ああいう感じの宗教となっていて
その階層たるイエスキリストは
そういうことを言った人だっていう風に思うんですが
12:03
イエスキリスト自身は
お釈迦様と同じような意味で
愛とかヘブンとかゴッドとか天の国とか
言っていたわけですよ
だからクー
クーのことをゴッドと言っていたという
そんな感じですね
ネハンのことを天国
言っていたみたいなね
ことらしいですよ
知らんけど
最後に知らんけどつけたらもう
何でも許されるっていうね
というのが今の僕の解釈というか
理解でございます
あくまで自己満足企画ですので
だから何だろうな
いろんなスピリチュアルが何だ
って分派がいろいろとか言ってるけども
最終的には本当に
この悟りの境地というものに関しては
唯一同じ
英知に繋がる
っていうので僕はすごく納得しております
関や関や分かれたのはやっぱり
後世の人が勝手に解釈して
偶像化してあるいは経典化して
分派していったものだと
というふうに思って
理解しているところでございます
という話でした
以上
終わります
今ここを見つめよう
では三宅でした
13:53

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