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2024-12-04 1:50:34

<特別公開>高橋久美子×有松遼一 『わたしの農継ぎ』発刊記念 「わたしたちの 農継ぎ×能継ぎ ~同い年対談~」

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2024年10月3日(木)
高橋久美子×有松遼一「わたしたちの 農継ぎ×能継ぎ ~同い年対談~」

<内容>
9月17日に発刊となった著書『わたしの農継ぎ』の「農継ぎ」という造語には、ただ農地を引き継ぐだけでなく、技術や生き方、暮らし方を継ぐという、高橋さんの意思が込められています。

そのためには、農業のやり方自体を、今という時代に合わせる必要もある。
それはたとえば、地元と都会の二拠点で暮らすこと、チームで畑をすること、自然農を心がけて種を継ぐこと…などなどで、本書には、その奮闘が綴られています。

ちいさいミシマ社から『舞台のかすみが晴れるころ』を上梓している有松さんは、能楽師として、芸能を引き継ぐことを日々実践し、考えてこられています。残したいもの、変えていくべきもの。

ともに1982年生まれ、40歳を超え、ちょうど世代をつないで「継ぐ」役割を担う年頃のお二人に、その苦労や見えてきたこと、これから実践していきたいことなどを語らっていただきました。

農や能に興味がある方、あるいは、何かを継ごうと奮闘している方、ぜひ!
 
<関連書籍>

『わたしの農継ぎ』 『その農地、私が買います』 高橋久美子(著)

『舞台のかすみが晴れるころ』 有松遼一(著)

 

※一部、会場のお客さまの音声が聞こえにくい箇所があります
※AIによる文字起こしのため、一部文字表記に誤りが生じる場合があります
 

イベントの背景
ホシノ
今日は足元の悪い中、お集まりいただいてありがとうございます。オンラインの皆様もありがとうございます。
今日のイベントは、『わたしの農継ぎ』という、先月発売になりました書籍の刊行記念で開催させていただいています。
『わたしの農継ぎ』の著者の高橋久美子さんです。よろしくお願いします。
ちいさいミシマ社というレーベルから、『舞台のかすみが晴れるころ』という書籍を書いていただいております有松遼一さんをゲストにお迎えしています。
今回の企画なんですけれども、高橋さんが地元の愛媛で農業を継ぐ、農継ぎということをされているという書籍にちなみまして、
「継ぐ」というところにフォーカスして考えた時に、有松さんも能楽師として、長い伝統誇る農を継ぐというお仕事をされていて、
二人が同い年ということもありまして、今この年に継いでいく、私も同い年なんですけれども、そういうことで82年ですよね。
企画させていただきました。
字が違う、お能の能と農業の農がどう繋がっているのかですとか、
あと有松さんが能楽の中でもワキ方というところをされていることと、高橋さんが元々バンド時代にドラムをしていたこととかも、
もしかしたら繋がりがあるやもということもありまして、そのあたりたっぷり伺いたいと思っております。
途中に謡いの実演と、あと皆さんにもやってみようコーナーというのもありますので、ちょっとその時はお手元の資料を使っていただけたらと思います。
それではお二人どうぞよろしくお願いいたします。
タカハシ
よろしくお願いします。
アリマツ
始まりました。
タカハシ
始まりましたね。
アリマツ
すごく楽しみにしていたんです。
タカハシ
私もですよ。
アリマツ
このイベント、ミシマ社でのこういうトークイベントっていうのは何度かされているんですか?
タカハシ
2回目ですよね。
前回は中田先生とやらせていただいて、その時は大阪だったんです。
アリマツ
そうなんですね。
タカハシ
2回目で、京都は初めてです。
アリマツ
そうですね。いかがですか?京都いらっしゃって。
タカハシ
もうやっぱり京都って私は古いイメージだったんです。古い街並み。でも割と新しいものがボンボンボンってあって、それと古いものがいい感じに融合しているのがさすがって思ったんですよね。
アリマツ
そのご実家のところと比べるとやっぱり同じ関西でもちょっと違いますか?雰囲気。
タカハシ
いやいやもう全然違います。
アリマツ
そうですか。
タカハシ
実家周辺は畑しかないので。
アリマツ
まさに畑なんですね。
タカハシ
そうかもしれん。そうですね。で、30年前からあんまり風景は変わってなくて、畑が荒れるかそのまま維持できてるとこもあるかぐらいで、その大きい建物ができるとかはないので、
やっぱ京都も前バンドしてた時とかよく回ってきてたんですけど、その時からまたやっぱ雰囲気変わってるなと思ったり。
アリマツ
今はじゃあ高谷さんは東京にいらっしゃる期間と、そのお実家に帰られる期間ちょうど半々ぐらいですね。
だから1ヶ月ごとに移動するみたいな。
タカハシ
1ヶ月東京、1ヶ月愛媛っていう風にして、愛媛では農業、ちょっと待って司会者みたいになっとるやんけ。
アリマツ
なんか自然となんかそういう風になっちゃったんですけど、大丈夫ですか?
タカハシ
大丈夫、大丈夫。有松さんは京都出身ですか?
アリマツ
私は生まれは東京なんです。
タカハシ
東京からか。
アリマツ
東京で生まれて、大学の時に初めて京都に来て、今ちょうど20年、20年ぐらいになるんですけど、だからこっちはまだ、よそ者というか外様。
タカハシ
外様大名ですね。
アリマツ
でもなんかこのご著書、『わたしの農継ぎ』で中で出てきたんですけど、東京にずっといらっしゃるのと、でもそのお実家にいらっしゃるのと、なんかこう両方あるからちょっとバランスがいいみたいなところあると思うんですけど。
タカハシ
そうですね、そもそも多分東京に出てなかったら愛媛実家の畑を継ごうとか、そこに私行ってなかったと思うんですよ。
アリマツ
なるほど。
タカハシ
外に出たけん、こんなに自分のおったとこはいいとこだったんやなとか、そういうことが分かって、それを何とかこの風景を守っていけたらいいなと思ってやり始めたことなので。
畑がある限り畑をたぶんしてしまうんですよ、愛媛におったら。
アリマツ
なるほど、それがもう全てでずっとそれって。
タカハシ
作家業がたぶん成り立たなくなるんですよね。
なので半々ぐらいで、東京におるときは集中して、もう畑がないのでやれる感じなんですね。
アリマツ
高橋さんはずっともうそのご実家にいらっしゃるときから、言葉が湧いたりとか書いたりしてたんですか。
タカハシ
してましたね。
アリマツ
そうなんですか。
タカハシ
小学生の時から短編のSFを書いたりとかして、ノートに貯めていったりしてた。
アリマツ
この本の中にも小説の中だったらこうするとか、ここで主人公やったらこうするのにっていっぱい出てきたので、そういうのがデフォルトで高橋さんの中にあるような。
タカハシ
あります。
あって、事実は小説よりも奇なりって言いますけど。
アリマツ
超えてきますよね。
タカハシ
ほんとに超えてくる。自分の中で小説の主人公にするんやったら、食べるの好きで、もし農業を継ぐ女の子が継ぐというか、農家の家に体験に来るとかも、食べ物が好きな子を主人公にしそうやけど、来た子が別に食に興味ないですみたいな感じの子が入ったりとか。
アリマツ
冷凍ポテト買ったんでいらないですみたいな。
タカハシ
こっちの方が小説すんやったら面白いなっていうのをリアルで思ったりはしますね。
アリマツ
言葉あふれてるっていうので音楽なさってということになる。
タカハシ
そうやね。これ人生長く。
そうね。
アリマツ
二人とも40数年あるんです。
タカハシ
そうですね。
でも有松さんの本を読んでたら、もう同じ42年間なのかと思うぐらい、奥深い、思慮深い、突っ走らないと思って。
アリマツ
いやいやいや。
タカハシ
自分の突っ走り具合が、うわ、ガキすぎるぜと思って。
アリマツ
いやいやいや。
タカハシ
ってなるぐらい。
アリマツ
すごいいっぱい。
タカハシ
めちゃくちゃチガヤ生えまくってますよ。
アリマツ
僕も負けずといっぱい生えてたんです。
タカハシ
めちゃくちゃ生えてますけど。
アリマツ
でもね、全部同じ色だったら今日どれをやるか分からなくなっちゃって。
タカハシ
なるよね。
アリマツ
そうそう。
タカハシ
でもほんまに、なんか体を使ってやってらっしゃるから、そこが自分の前のドラムとか、今やってる農業とかも、頭だけじゃなくてやっぱり。
自分にとっては重要なポイントなんやなって思ってるんですけど。
アリマツ
この本も拝読して思ったんですけど、雑草刈りで疲れて、文章も書けませんっていう時と、わりと今日は体力があって、いっぱい書けましたっていうところがすごいね、にじみてきてて、すごく面白かったですね。
農業の現状
タカハシ
そうやね。
アリマツ
その日その日の、やっぱり夏が大変なんですね。
タカハシ
夏はもう、ちなみに農をやってるというか、農業じゃなくてもやってますみたいな方っていますか?
アリマツ
お庭があって、草むしりしてますとか。
タカハシ
おるおる。
アリマツ
結構いらっしゃいますね。
やってますか?
タカハシ
そうなんですね。
夏はなかなか地獄ですよね。
夏の草引きが。
質問者さん
どうされてますか、夏は。
タカハシ
虫たちが飛んで、戦いで、あと虫が残る中。
アリマツ
そうです。
タカハシ
わかるー。
虫はどう、私も無農薬でやってるんやけど、手で潰す?もう。
質問者さん
死害に蜂がかかってきて。
タカハシ
あー。
質問者さん
ハチにも刺されまくり。
タカハシ
え?
質問者さん
あと京都のヒルがすごいんですよ。
タカハシ
京都ってヒルがおるんですか?
アリマツ
出ますね、出ます。
けっこういます。
そうですね。
タカハシ
京都ってヒルがおる、そんな感じなんじゃ。
そうか、地面としてるとこにヒルがいるイメージですけどね。
そうなんですか。
人たちが。
アリマツ
そうですよね、動物はね。
タカハシ
なるほど、鹿にヒルが来てってことか。
切り替えですよね。汗かいて気持ちええって思うぐらいじゃないとやっていけんよね。
頑張ってる方もいるんですね。嬉しいですよね。
アリマツ
他にもいらっしゃるんですか?
庭なさってる。
庭、畑ですか?
質問者さん
農園主がいて、それが体験農園っていうのをやってらして、それをちょっと4年ほど歩いてやってるっていう感じなんで。
本格的にやってる人に比べれば全然楽にできますけれども。
タカハシ
でもいいぐらいですね、4年ぐらい。
質問者さん
そうですね。
タカハシ
食べていく分を芽が出て、実がついたりつかんかったり腐ったりとかするのを体験できるって大きいですよね。
質問者さん
そうですね。
アリマツ
やっぱり一度期になるときはなるし、ならんときは全然ならんっていう。
タカハシ
ある野菜はバーってできるけど、逆にこっちの野菜はできんとかね。
質問者さん
そうですね。
アリマツ
いろいろ。
タカハシ
それをね、実際に見れるのがでかいですね。
質問者さん
その、なんていうか、収穫時期がいつでも取れるっていうのはやっぱりすごいっていうか、相当のことをやらないとできないんだなっていうの。
自然にやっててもそうはならないんだなって。
タカハシ
ならんですね。
質問者さん
よくわかりました。
アリマツ
高谷さんのところの畑ってどのくらいあるんですか?
タカハシ
6反ぐらいやっていて、自分でやってる分は。
父がやってるところを合わせるともっと大きいんですけど、たまにそこも手伝ったりするんですけど、6反はどれくらいですか?
アリマツ
6反というのはどんくらい広いんですか?
タカハシ
一旦300畳ぐらいでしたっけ?
アリマツ
なるほど。
タカハシ
一旦300畳です。
アリマツ
じゃあ1800畳。
はい。
なるほど。
タカハシ
1600畳。
アリマツ
なるほど。
能舞台何個分ぐらい?
タカハシ
能舞台です。
アリマツ
せめて東京ドームのほうがわかりやすかったけど。
6反も、じゃあ全部お父様じゃなくて、高橋さんがチーム。
タカハシ
はい、私たちがやってるチガヤ倶楽部で6反分ぐらいやっていて、サトウキビが1反、あと普通の畑があと5反ぐらいですかね、やってますね。
アリマツ
で、なんか新規開拓というか開墾をしてるんですか?
タカハシ
そうなんですよ。新規開墾はもう道になりそうです。開墾したところが。やからもう報われずな感じで。
アリマツ
なんかちょっと若干ネタバレですけど、最後のほうでちょっと衝撃の。
タカハシ
そうなんです。衝撃のあのあたりはせっかく開墾したんですけど、もう全部道になるんですよ。そうそうそうそう。
アリマツ
でもそれなんか木とか植えたり作物とかしてる子たちはどうなるんですか?
タカハシ
もう伐採されるんですよ、全部。なんかやっぱり借りた農地ってそこが恐ろしいところで、
持ち主の方がもうここは売るけんなとか、もう手放すけんなってなったらなんちゃ言えんというか。
みかんのはるかの木が結構うわってるけど、それも伐採されるし、でちっちゃい自分が新しく開墾して売れたところは母と一緒に全部、
引っ越しして。他に移築して、葡萄とかレモンとかはすごい大きくなったから多分移築できないんですよ。
それ道、変な話、人通るんですか?通らんでしょうね。ここだけの話通らんですよ。
なんで見てくるんやろ。そこなんですよ。これ政治的な話になっていきましょう。
いろいろな絡まりが出てくるでしょうね。昔からの何か。
アリマツ
そういう道作るとか、あとソーラーパネルですか。これがそもそもの一番最初ですね。
タカハシ
そうですね。
アリマツ
もう全部畑潰してソーラーパネルするみたいな計画がやっぱり油断すると増えてくるんですか。
タカハシ
いっぱいですね。いっぱい狙われてるかな。だしもうみんな手放したいんですよね。
なんか高齢化でね、高齢化だけじゃなくてイノシシやサルがすごいどこの全国どこも出てると思うんですけど、
そうなると私たちはもうネットで天井まで全部囲ってるんですよね。
それって相当お金もかかるんですよ。私たちは黒糖を販売して、その売り上げでそういうのを立ててるんだけど、
じゃあ近所の自分が食べる分だけを育ててるおじいちゃんおばあちゃんがそれを全部自分らでできるかって言ったら、
そんなん絶対できんから、みんなもうじゃあうちはもう辞めるっていうので、
アリマツ
辞めていって太陽光パネルになるっていうのがもう今の、
タカハシ
私たちの地域はそうなって、うちらしかもうやってない。全員もう辞めちゃって。
アリマツ
それはもうその後継ぐ人というか後継者ももう例えば息子さん娘さんいてても都市部に行っちゃってるし、
自分じゃ責任持てないからもう譲っちゃうみたいなところもあるんですか。
タカハシ
それがある。あとはなんか有松さんのこの本にも書かれとったけどね、
お金に結びつかないことが全て無駄になっているみたいなことも書かれてて、
農業と地域のつながり
タカハシ
なんかすごいそれがある。現代の価値観って、
それってお金になるんかっていうコスパとかタイパとかいう言葉が飛び交うようになって、
兼業農家って今私たちがやってるところは中山間地域なので機械も入りづらいし、
ほんまにね手間がかかるんです。手間がかかる割にはお金になりにくいんですよね。
そうすると下の世代にその農地を継がせるのが親たちは嫌なんですよ。
こんなお金にならんことを子どもらにやらせたらないって。
それで私世代の子が残っとったりもするんやけど、誰もやっとらんという現状もあります。
アリマツ
じゃあもうなんか皆さん普通の会社員とかになったりとか、
どっかお商売されたりとか公務員さんとかになるっていうことですね。
タカハシ
そうされてるからね。だっけほんまは地元の同世代の人らと一緒にやれたらええんやけど、
一緒にチガヤ倶楽部の農業チームをやっとる子らも隣町とかちょっとお町の子たちなんですよね、来とる子が。
地元の子は誰もおらんという感じで。
アリマツ
お町の子の方が農業をするっていう楽しさとか新しさが新鮮なんですかね。
どっぷりそこの人よりお町の人の方が楽しくやってくれるんですかね。
タカハシ
そうなんだと思う。
これも有松さんメールで書いてくれとったけど、
ほんまに農地とか日本の原風景が財産じゃないかとか書いてくださってて、ほんまにそうやなって思うので、
観光地にわざわざ行かんでも東京からとかもいっぱい手伝いに来てくれてて、
彼らはあぜ道に座っておにぎり食べるだけで最高なんですよ。
幸せやな、こんなとこがあるんやなって。
それって地元の人からしたら驚愕なんですよ。
こんなとこまで飛行機台張るってなんしよんだって。
アリマツ
高橋さんも月一でわざわざ東京から移動してきて、
飛行機代とか新幹線とかもかけてくるじゃないですか。
そのご実家ってこともあるんですけど、
でも東京からいらっしゃる方とかもあって、何がそうさせんのかなと思ったんですけど。
土日は家でゴロゴロしたり、遊びに行ったりじゃなくて、畑に行くっていう人たちがいるんですよね。
タカハシ
そうですね。何がそうさせるのか言うたら、やっぱみんな足りんのじゃないですか。
それが足りてないんやと思う。エネルギー補給みたいな感じで、ミネラルの一部みたいな感じで。
それで足りてないから来るんじゃないかな。それは東京にはないものなんかもしれんね、なかなか。
そこに来ることで、なんか満たされるんやと思う。
それでいい気持ちになって、また東京にみんな帰っていくし、また来るわなみたいな感じで来る。
3ヶ月に1回来る子もいるし、なんかやっぱえんでしょうね。
アリマツ
何かが足りなくて、求めていって、満たされて帰っていく。
それは時給いくらとか、そういう世界じゃないんですよね。
タカハシ
そうなんですよ。時給いくらにしちゃうと、時給20円ぐらいになっちゃいますからね。
そういうことじゃないっていうことに気づき始めてる人が来てるんやなって思いますね。
楽しさと新しさの発見
アリマツ
ちなみにそういう人の傾向ってあるんですか?
美味しいもの好きの人は、なんかそういう嗅覚聞くんじゃないかなと。
タカハシ
間違いないですね。
アリマツ
なんか自分で育てた野菜を食べるとか、作物をいただくっていう喜びって、やっぱりやった人じゃないとできないその至福があるんだろうなと思いました。この本によって。
タカハシ
ある。それはある。
それはあるけど、さっき私だったらこれを小説の主人公だったら違うふうに書くなって言った女の子なんかは、食べ物に興味ないんですよ。
一緒にみかん狩りとかして、絶対収穫やけん喜ぶわと思って、みかん持って帰るよって言っても、私別にみかん好きじゃないんで。
何よこいつ!って言うところから始まったんですけど。
その子は、なんと土木とか建築に興味があるから。
単管建てて猿の柵するときが一番嬉しそうでしたね。
アリマツ
工作が好きなんですか?
ですよね。
タカハシ
なんやって思ったけど、最高な人が入ったじゃないかと思ったり。
アリマツ
でもね、こっちからしたらそれをやってくれる人が嬉しいですよね。
タカハシ
そう。で彼女は山梨から引っ越してきて、一人で愛媛にいたんです。
アリマツ
あ、そうなんですか。
タカハシ
田舎におったら、もう家族に乾杯みたいな現象が起きると思いがちかもしれんけど、そんなことないので。
なるほど。
私、マンションとかアパートに一人でポンって住んだ場合は、東京と一緒ですよ。
アリマツ
そうですよね。
タカハシ
会社とかコンビニに行くだけなんで、他は何もなくて。
その子は3年間おったけど、田舎に来たらもっと面白いことがあるかなと思ったけど、何もないと。
もう寂しすぎて帰ろうかなって思ってたらしいんです、山梨に。
そこで、なんか私のライブかなんかに来とって、実は私、この辺に住んでるんですかっていうから。
近いんですよ。
今度は一緒にやらんで、誘ったんですよ。
アリマツ
そこから入って。
タカハシ
そうなんですか。
なんか友達とかもできて、今楽しいんじゃないかなとは思います。
アリマツ
じゃあ、畑を通じて人の繋がりも提供されているんですね。
タカハシ
ちょっと待って、有松さんの話しようよ。
アリマツ
いやいや、そっか。
いつから。
全部は畑の話でいいですよ。
タカハシ
今日とかいっぱいあって、ちょっと待って、今から能は能、でもお能バージョンに入ります。
アリマツ
そっちの能バージョン。
タカハシ
まずは私が思ったのは、お能って国とか文化財的に守られてるものかなって思ってたんだけど。
アリマツ
能楽師って、僕も確定申告の時に職業欄に自営業って書くんですよね。
つまり全員が、そうなんですよ。
だから全員自営業でそれぞれ独立してやってて、
講演があるってなると七人の侍みたいに集められて、講演を打ってまたバーっと去っていく。
それがすごくかっこよくて、
なんか今日の獲物誰だみたいな。
で、スパッとやったらもうさよならってすぐ帰るんですよね。
タカハシ
しかも歌舞伎みたいにツアーじゃないんでしょうね。
アリマツ
そうなんですよね。
だから1週間とか10日間とか1ヶ月全国ツアーとかじゃなくて、
その1日1回のその講演のために風のようにフワーって来て、スパッと仕事して、
フワーとまた次の町へ行くんですよね。
タカハシ
じゃあチームで行動っていうかバンドともまた違うんですね。
アリマツ
そうですね。
タカハシ
その時によって来る方が違ったりするんですかね。
能楽とその独特なスタイル
アリマツ
そうなんです。だから講演を打つ人がこの人とあの人とってオファーをして来てもらって、
でも終わったらすぐ、だから私たちはあんまりこう練習をみんなで、
例えばスタジオからずっと練習するとか、
やっぱりは終わってじゃあ打ち上げとかっていうのはあんまりなくて、
タカハシ
打ち上げないんですか。
アリマツ
フワーっと来てフワーっと帰って。
タカハシ
打ち上げが一番楽しいのにね。
アリマツ
そうなんですよね。で、大きい講演の場合はちょっと宴会とかを見たりもするんですけども、
基本的にもう風の又三郎ですね。
タカハシ
又三郎や、ほんまや。
アリマツ
そうなんです。
タカハシ
あー、しゅーっと現れて最後、あれ?
アリマツ
なんかね、それがねまたこう、こんだけ練習してきましたっていうんじゃなくて、
フーっと来て、でフーっとプロ技見せてフーっと帰る。
これが格好いいのですよ。
タカハシ
カルガモの足の下は見せんってことだよね。
アリマツ
そうそうそう。
タカハシ
あいつやりよるなーっていう感じで上達したなーとか。
アリマツ
そうなんですよ。
そうなんですよ。
だからそれはもうそこに来る以上はみんな責任を持って、それがこう自分の何というか仕事の流儀なんですよね。
タカハシ
えーでも、例えばそのえーとですね、コミ。
コミっていうのが中で出てきますよね。
ンとかヌとかこう。
アリマツ
そうですね。こうグッとお腹でとるのをコミって言いますね。
タカハシ
やっぱ体を使うじゃないですか。
アリマツ
はい。
タカハシ
すごい、待ってくださいね。質問のちょっとあれが変わりましたけど、すごい体鍛えてたりするんですか?
アリマツ
僕ね、全然その手の筋トレ全然してないんです。
なんかね、ワキ方って舞台に出てきて結構ずっと座っているってことが多いんですよね。
能楽師って4つ職業の部署があって、シテ方っていうのとワキ方っていうのと狂言方っていうのと囃子方っていうこの4つ部署があって、
シテ方というのは衣装をつけて謡いを歌ったり舞ったりする、いわゆる能楽師っていうイメージの部署なんですけど、
お囃子っていうのは音楽。
そうですね。
狂言っていうのは前半と後半の間をつないでくれたりとか、あるいは狂言だけでやる演目っていうのもあるんですけど、それが狂言です。
で、ワキ方というのは舞台の一番最初に出てきて、舞台設定をして、
で、鏡の間の向こうからメインの人が来たらあなたは誰ですかとか愛媛で畑してるんですかとか大変ですかとかっていう話を引き出して引き出して、
で、舞台を畑の話で満たして、で、最後。
タカハシ
ってことですね。
そうですね。
シテ方の方を踊りやすくする。
アリマツ
そうなんです。で、最後を帰す、見送るっていう役割がこのワキ方なんですね。
話の聞き上手じゃないと、あと舞台進行役っていうのがワキ方なんですけども。
舞台進行。
タカハシ
そうそう。だから今日もなんかそういう役割なのかなって。
アリマツ
違いますよ。
今日はシテで来ていただいて。
タカハシ
同じぐらいしゃべりました。
私もドラムだったから、どっちかっていうとワキ方なんですよ。
アリマツ
えっと、高橋さんがなさってたバンドは3人チームだったんですか。
タカハシ
そう、3人チームで2人フロントマン2人いて後ろにいるので。
アリマツ
なるほど。2人ともギター弾きながら歌ってたんですか。
ギターボーカルとベースなんですよ。
タカハシ
ギターボーカルとベースでウステロ2ドラムってなると、やっぱり背中で見て、さっきのムーじゃないですけど、こうやって何というか。
指揮者がいないって書かれてたけど、同じですよ、バンドも。指揮がないので。
アリマツ
なんか耳でこんなんしてるのあれ。
タカハシ
やらないんですよ。
アリマツ
そうなんですか。
タカハシ
クリックに支配されるのが嫌なので。
アリマツ
クリックはチッチッチってやつ?
タカハシ
そう。
アリマツ
1、2、3、4みたいな。
タカハシ
打ち込みをしてるバンドは聴かないとね、どうしても打ち込みとドラムが合わないとズレちゃうからやるけど、やってなくて。
本当にあうんの呼吸じゃないんですけど、2人の呼吸を見ながら、今日はもうちょっと早めがいいんだなと思ったらテンポ早くしたりとかっていうのをやっていく。
アリマツ
でも前の2人は前向いてるから後ろの高さは見えないですよね。
タカハシ
でもたまに合わせる人とかはこうやって見て、一緒に息を吸って吐くところで合わせるみたいな。
アリマツ
吐くなんですね、やっぱり。
そうなんですよ。
やっぱり息なんですよね。能で一番大事なのは息で、最初から最後までずっと一つの息が流れているようなっていうイメージがありますね。
一つの線でずっと。
だから、私は例えば旅のお坊さんとかで出てくる時も出囃子っていうのがありますよね。
出囃子がちょっとなんかこうしっかりしてる感じやなと思ったらグーッとしっかりしてみたりとか、
あれはちょっとピッチが上がってきたなと思ったらスラリと歌ってみたりとか、
その辺は別に早まったから早く謡いなさいって言われたわけでも指示が出てきたってわけじゃないんですけど、
自然とお互いに見計らって進めていくんですよね。
それはどこで修行をするかというと、師匠がいて弟子になるんですけど、
書生制度というのがあって、師匠の24時間身の回りのお世話をするんですね。
一番きちんとした修行は住み込みって言って、先生のお弟子さんとか禅寺の雲水さんみたいなので住み込んで、
もう24時間ずっとその生活をするんですね。
お家のお手伝いから、舞台へ出ていく準備から片付けからするんですけども、
西洋のピアニストとかバイオリンストの方の誰々に師事っていうのと結構ニュアンスが違うんですけど、
それが前時代的で極端な話だと全然稽古してもらえないんですよね。
タカハシ
お掃除とか。
農業と能楽の考察
アリマツ
そうなんです。そういう雑用って言ったらあれなんですけど、ということばっかりなんですけど、
でもその中で、この先生は次何を考えてるのかなとか、次どうしたいのかなとか、
この流れで来たらこう来るなっていうのを常に考えて受信するんですよね、センサー。
タカハシ
受信か。
アリマツ
結構現代っ子になればなるほどその辺が鈍になっていて、なかなかセンサーが効かないんです。
その辺畑しててもなんとなく分かる。
タカハシ
分かります。
アリマツ
この辺ちょっと82年ぽいんですけど、運動してて水飲ませてもらえなかった時代っていうか、
休憩させてもらえなかった時代っていうか、その辺がちょっと疲れたんで帰りますみたいな、ちょっと違うんですけど。
タカハシ
先輩にも倦んできたっていうのがありますよね、私たちね。
そうなんですよね。
でも完璧なものっていうのは、やっぱすごく音楽でも能でも農業でもすごくいるものなんですよね。
相手が生き物だからっていうのもありますよね。
人間も生き物だし。
アリマツ
この本にも書いてあったんですけど、同じ農業でも、例えば西日本と東日本では違うし、
今年暑かったけど来年寒い夏が来たらまた違ったりとか、ちょっと植える深さ変えたいとかっていうのは、やっぱり向こうがどう来るかっていうので相手をする。
そうなんです。
タカハシ
こっちが対応、受信して対応していくっていうことで、
勘が必要で、例えばタケノコとかワラビとかが生えてくる季節も、やはり勘がどんどん人間の勘が鈍くなってるから、
そこがね、あるのにね、割と見つけれない子もいっぱいいるんですよね。
アリマツ
ありますね。
タカハシ
あるやん、あるやん、そこみたいな。
そうそうそうそう。
見えてないのかってなると、本当ですねって。でももう必死、必死でもないんですよ。
だってお店に行ったら売っとるから、そこまで必死じゃないけど、もう食い意地が張りすぎてるから、必死でね、うちの家族とかは取るんだけど。
アリマツ
でもやっぱりね、こう人間って見たいものしか見ないっていうか、その関心がこんなにボンってあるのに全然気がつかなかったりとか、
言われてみればわかるんだけど、
タカハシ
そうですね。
アリマツ
そういうのありますよね。
タカハシ
でも音楽とかお能とか多分芸術の一緒に息を合わせるっていうのも、ちょっとなんというか、魔法っぽいっていうか、
魔術っぽいというか、結構なんか、今の現代の人間の動きとは違う感じありますよね。
アリマツ
なんかこう、
タカハシ
人の気を見るみたいな。
アリマツ
そうですね。
なんかこう、自分をコントロールできるしされちゃうっていうか、なんかこう、自分のハンドルできない部分っていうのもあって、
それがなんか怖いエリアだったり、神様のエリアだったり、
自然やとやっぱりこう天気が、空いつも晴れてくれて、いつも雨降ってくれてってわけじゃないじゃないですか。
タカハシ
そうですね。
アリマツ
もう年によっても月によっても全然違いますよね。
タカハシ
そう、特に最近は神様が怒ってる感があるので、
やっぱり農業は難しくなって、どんどんどんどん、
こちら側も知恵とか経験をしっかり積んでやらないと、
特に有機栽培は難しくなってるなって感じますね。
地域ごとの伝統
アリマツ
でもそんな時にね、なんかこう、一つ一つヒントになったりするのって、
なんかその、例えば修行時代になんか先輩からちょっと聞いたアドバイスとか、
なんかことわざっぽいのとか、
そういえばそういう師匠がなんかポロッと言ってたなみたいなのが役立って、
そういえばこういう時はこうしたらいいんやなっていうのが引き出しとなって自分の中にこう、
だからいろいろ話してるのをメモ魔というか聞き魔というか、
どんだけ自分にストックできるかっていうのが大きさにつながるかなという感じがしますね。
タカハシ
ほんまにそういうことの集合のような感じがしてますね、農業は。
いろんな方がいろんなこと言うから、そして植え方なんかも。
そうですよね。
アリマツ
人によって違ったりとか。
なんか流派というか、石積み流派もいろいろ出てきましたよね。
タカハシ
流派も出てくる。
やけんそれを自分なりに解釈して経験を積んで自分なりのやり方をやっていくっていうのを皆さんやられてますね。
やけんそれぞれのおじちゃんおじちゃんに哲学があるんですよね。
それが何かで本で読んだ、もちろん本もあると思うんですけど、
それはやっぱり代々受け継がれたり近所から聞いたりとか、自分でいっぱい失敗を積んで得てるものですね。
アリマツ
私も結構自分、私はワキ方の高安流っていう流儀なんですけど、
親元は名古屋にいらっしゃって、京都あるいは昔は九州とか東京にもいらっしゃったんですけど、
やっぱり地域のやり方っていうのと流儀としてのやり方っていうのが結構いろいろあるんですよね。
だからその流儀としてはこうやってやるんだけども、
地域、ローカルルールっていうほどまでではないんですけど、
やっぱり地元地元に流儀の人がいてて、こう来たらこうした方が具合がいいって言うんですけど、
具合がいいことっていうのがいっぱいあって、
それはうちの法律はこういうことが決まってるんでっていうだけじゃない、
その場で培われてきた文化みたいなのがあって、
それはね割と大事なんです。
私の父が次男だったので継いでないんですけど、
おじさん、だから有松の本家お寺やってるんですけど、
親元宗のお寺で、僕のいとこが今継いでくれてるんですけど、
彼は京都のお寺、智積院で本山で修行して、
また自分の八王子なんですけどに戻ってお寺を継いでいるんですけど、
真言宗の教えで本山で習ったこと、
そしてお父さんが地元でやってるっていうこの2つのルールをしっかりと、
どっちが正しいとかじゃなくてやりなさいっていう風に教わるそうなんですね。
だからその例えば農業大全みたいなので載ってたからこうやるとか、
スマホでこうやってたからやるっていうだけじゃなくて、
なんかこうやっぱりその地域で伝わってるものとか、
それとは別にそのどういうんでしょうか、
学校とか研究所で積まれた知見を生かすっていうところ、
両方だと思うんですよね。
本当に本当に。
どっちが正しいと思うかっていうのがこれを見ててすごく思いました。
コロナ禍と農業
同じやと思って。
タカハシ
私は農業を継ぐってね、
東京と愛媛を2拠点生活しながらでも自分流に継げていってるんですけど、
お能はそうはいかぬではないかと。
その継ぐでも全然そのレベルが違うんじゃないかって思ったんですね。
それは自分流にできるんですか?
アリマツ
そうですね。
現代的な考え方からいくと、やっぱりその農学史ですってなったら、
もうそれだけで食べてますっていうのが、
きれいな自己紹介というか、
職業表明になるんですよね。
ただその時代によって、
私のワキ方とか特に食べられなかったのがあって、
私の上の世代のもう一つ上の世代はいらっしゃるんです。
今の60代世代編がごそっと抜けてるんですよね。
タカハシ
その時代に食べていけないってことですか?
アリマツ
高橋さん的に言うと、もはや80代、90代の世代が息子さんとかいてても、
もうこれやってても食べられない。
ので会社員にならはる人もいるし、
代々のお家の人でもやるの大変なので、
ある程度モチベーションがないとできないと思うので、
それでやってない人もいてて、
特にワキ方っていうのは、
それだけで食べていくっていうのは大変だったので、
辞めちゃったりとか、あるいは平日は、
例えば公務員をして土日だけ舞台をしている人もいました。
今も若干そういうふうにいろんな職業の組み合わせをしてやるっていうのはあるんですけども、
でも、だからこうやって、
二拠点生活のお話もちょっと今日いろいろ伺いたいんですけど、
でもその二拠点っていう生存的したたかさ、
タカハシ
生存的したたかさの欲張りというか、
一番ずるいと思います、本当に。
アリマツ
お金もかかるし、時間も大変なんですけど、
でもいろんなことを吸収できるっていう一方で、
でも専業ではないっていう、
後ろめたさとか、
そうですね。
弱さとか、
タカハシ
ありますよ。
アリマツ
こんだけ、例えば、
一週間、七日間って、
三日間練習して、四日間、
例えば違うお仕事をしてたら、
その四日間、その修行に回したら、
もっといいことができるはずっていう、
タカハシ
あります。
それはあります。
めちゃくちゃあります。
アリマツ
で、今、腕に一芸つけて、
プロフェッショナルでみたいな、
仕事の流儀みたいなのが、
かっこいいっていうか、
本来あるべき姿っていう、
世間の圧、なんか感じたりします?
タカハシ
あります。
どっちに対してもあります。
作家業に対してもあるし、
農業に対してもあって、
農業はもともと専業ではなくて、
兼業なので、山間地域なので、
なんだけど、やっぱり近所の方たちの信用を
勝ち取れないっていうのはありますよね。
それが一番大きいですよね。
なんていうか、
東京にも保険残してるよね、
みたいな感じはあって、
そのチクチクとその視線は感じたんですけど、
3年ぐらいやってきて、
ちょっとずつ認めてくれ始めたし、
そういうやり方もあるのかな、
ぐらいに思ってくれ始めたのかなとは思うんですけど、
そうですね、どっちに対してもあるけど、
なんかコロナの時期に、
やっぱり東京にいたときの、
このなんていうか、
自分たちね、
有松さんのこの本はまさに、
このコロナ禍でのことだと書かれてるんですよね。
イベントとかも全部なくなってしまって、
ライブとかも全部なくなって、
自分は作家なので、
書くことに集中できて、
ずっと書き続けてたっていうことだったんですけど、
人間がこれだけ翻弄されてるのに、
植物はもう全然関係なく花は咲くし、
すごいなっていう生命力みたいなものを感じて、
それで土をすごい触りたくなったんですよね、
コロナの時期は特に。
それで東京の庭いじりをいろいろして、
野菜も育てたりしてたら、
近所の人たちも一斉にそれをやり始めて、
近所の方たちがトマトとかきゅうりとか育ててるんやけど、
育て方がわからんから、
たくさん聞いたらわかるっていう噂になっていって、
世の中の人がどんどん来てくれるので、
うちも来てくださいって。
なんかええなって思ったんですよ。
アリマツ
やっと東京でっていうことですね。
タカハシ
東京の中でもそういうふうにできるぞって思ったんじゃけど、
愛媛ではあんなに土地が余ってるのに、
ちっちゃい庭でコチョコチョしてる感じが、
なんか足りんくなったっていうのもあって。
アリマツ
それは不思議ですね。
何がどう合致しないのかな。
すごいいっぱいあり余ってるのに、
なんかこう違うんですよね。
タカハシ
愛媛の畑にはいっぱい土地が余ってるでしょ。
だけど緊急事態宣言が出て、東京におらないから。
アリマツ
移動できないから。
タカハシ
庭でやってるぐらいでは足りない。
アリマツ
そういうことか。
タカハシ
それで愛媛でもやろうっていうふうになってきて、
予定生活ってなっていくんですけど、
なんかやっぱり土っていうものを求めてた。
本当的に求めてて。
東京の人たちも求めてるんだって思いました。
あの時は特に。
アリマツ
今も例えば東京から畑チームで来てくれる子っていうのは、
なんかそういう同じようなものを求めてる。
タカハシ
同じような感覚で求めていて、
母とか私がいろんな作り方を教えたら、
それを持って帰ってまた東京の自分家の庭でやってて、
ニンニクとかネギとかいろいろ育ててる。
アリマツ
結構みんな上手にやるんだ。
タカハシ
木も育ててる。
すごいなってやってますね。
農業の課題と現実
アリマツ
それは農業のほうでしたね、今は。
じゃあ作家の方は、
例えばもうこんだけのエネルギーを作品に込めたら、
もっといいものができるかもしれないのに、
こんなもう畑耕してたらもう体疲れてしまって、
持つ時間がないやないかって。
タカハシ
それは本物の問題です。
これはちょっと今問題やなと思ってます。
アリマツ
もうなんかもう今日はもうバタンキューでございますみたいな時もあるんですよね。
タカハシ
バタンキューで、たくさん編集さんに、
すいません今日はもう無理ですみたいなのとかを送ってた。
実態に送ってて、
どんどん伸びて伸びてみたいになって、
なってるからやっぱ問題です。
これは問題です。
そうなんです。
問題のままです。
アリマツ
でも本当に全員に24時間を等しく与えられてるんですけど、
30時間40時間持ってる人はいないので、
タカハシ
そうですね。
アリマツ
人よりなんかこうたくさん欲張ろうと思ったら、
タカハシ
頑張らないといけないね。
アリマツ
でもなんかその、
タカハシ
いいですか?
アリマツ
寄る年波もあるし、
これいつまでできるかなとかっていうのもありますね。
タカハシ
思いますか?
アリマツ
50歳や60歳になったら、
なんかこうちょっと働き方とか、
なんかこう背伸びできる限界、
だから徹夜がね僕だんだんできなくなって。
タカハシ
できませんね。
有松さんでも徹夜する?
アリマツ
めっちゃ僕8月31日タイプなので、
いつも夏休みの宿題を日記を1ヶ月半分を書いたりとか、
夏休み大作めっちゃやる。
タカハシ
読んでたら。
アリマツ
そうなんですよ。
タカハシ
だから。
掃除3回したとか書いてあったの。
掃除あるんですか?
アリマツ
そうそう。
なんかやらなあかんのに、
宿題やらなあかんのに掃除したりとか、
部屋の模様がえしちゃう人。
タカハシ
私もですよ。
アリマツ
現実逃避というか。
タカハシ
勉強の前日にクラリネット磨いたりとか。
アリマツ
めっちゃ綺麗になるんですよね。
タカハシ
その日にお母さんが来たときに、
えらい部屋綺麗やけどって。
アリマツ
ところで宿題どうなったっていうことなんですけど。
タカハシ
そうなんですね。
そうですか。
何の話してたっけな。
アリマツ
何だっけ、コミの話。
そういえばですね、
会場に来ていただいている方には、
高橋さんの野草茶をお配りしています。
すごいなんかシール全部貼ってくれて可愛いです。
これデザインしてくれた、
鈴木さんのイラストですよね。
じゃあちょっとここでいただいてみます。
タカハシ
飲み方がやっぱ美しいですね。
茶道部の部長さんだったんですもんね。
アリマツ
そうなんです。
すごいなんか、
スーッとする。
そうなんです。
レモンハーブ的な。
タカハシ
レモングラスが入ってる。
アリマツ
そうなんですね。
タカハシ
私たちの畑で育てているレモングラスと、
ミシマ社の自由が丘に、
めっちゃでかい柿の木があるんですけど、
その柿の葉っぱをよく取らせてもらって、
柿の葉茶を蒸して、葉っぱを蒸して作っているんです。
それも入ってて。
アリマツ
じゃあブレンドというか、いろんなものを。
タカハシ
サトウキビも入ってます。
私たちの。
アリマツ
その甘みちょっと感じるの。
タカハシ
甘みはサトウキビが入ってて、
あとなに入れたっけなぁ。
みかんじゃん。
うちのみかんの皮を用に干して、
3年ぐらい経った方がいいんですよ。
アリマツ
そうなんですか。
タカハシ
その陳皮を入れてます。
アリマツ
それは、
家レシピみたいなのがあって作ったんじゃなくて、
いろいろ試してみて。
タカハシ
そうね。
常時30種類ぐらいの草をいっぱい取ってるんですよ。
東京でもいっぱい草生えてるんですよ。
そんなのを取って、乾燥させてて。
アリマツ
ストックをこう。
タカハシ
ブレンドしたり、姫から持って帰ったり。
アリマツ
すごく美味しい。
タカハシ
好きで飲んでます。
アリマツ
オンラインの人なんの時間やって思ってます。
タカハシ
ほんまよ。ごめんよ。ほんまやな。
そうなんです。
能はだって、
650年とか続いてますよね。
アリマツ
いわゆる教科書で見る、
観阿弥とか世阿弥とか室町時代の人たちからずっと続いてます。
タカハシ
世界最古の芸能といわれて。
アリマツ
ずっと現役で続いてるっていう意味では、
すごくシェイクスピアなんかより古い芸能ですね。
タカハシ
そんな中でやっぱり、
農で言ったら、
今みかんが、
私が子どもの頃なんかは、
みかんがものすごく暴落して、
海外からのみかんが入ってきたから、
それでほとんどやめていくんです。
農と能楽の文化
タカハシ
みなさん食べていけないし、
作れば作るだけ赤字になっていた時代が長くて、
それで、
今になって、
みかんが足りんやないかっていう状況になってるんです。
アリマツ
みかんの値が上がるニュースとかもありましたよね。
タカハシ
昔はキャリーいっぱい20キロで、
100円ぐらいで引き取られてて、
相当安かった。
今でも600円ぐらいまでなったって母が言ってて、
そんな状態で、
いっぱい途絶えていった家があるんですけど、
そういう途絶えていった時代というか、
アリマツ
そういうのありましたか?
江戸時代っていうのは、
みんな地方公務員、国家公務員だったんですね。
自営業じゃなくて。
藩をお抱えって言うんですけど、
江戸幕府の公式の専属役者というか、
あるいは地方地方の藩代表のお抱えっていうのがあって、
有名な徳川家康が、
江戸幕府開く時に、
そのままほったらかししてたら、
みんな幕府倒そうとか、
お金を悪いこと使おうとするから、
お金をとにかく使わそうっていう風な、
知恵を使わすんですけど、
一つは参勤交代って言って、
1年ごとに引っ越しさせるわけですよね。
大きいお代目は行列内学するとか。
タカハシ
社会の授業や。
アリマツ
もう一つやってたのが、
農を習いなさいっていうのをやってたんですよね。
小京都って呼ばれる地域が、
結構あっちこっちありますよね。
あれって、能を習うことで、
まず謡いで、
日本とか中国とか、
いろんな古典をまず、
体の中に入れるっていうこと。
能をやるためには、
小族とか表とか、
いろんなものを作らなきゃいけないので、
いろんな職人さんを西陣から引き連れてきて、
地方地方にいろんな文化が栄えてくる。
農ってやると楽しいので、
農業もそうだと思うんですよ。
やると楽しいので、
みんなやって、
神男女狂鬼って、
ここのMSライブでやったことあるんですけども、
神様がお能、
武士が主人公のお能、
女性が主人公のお能、
物狂いのお能、
あるいは鬼のお能って、
いろんな主人公のキャラクターのお能を通じて、
人の心を学ぶというか、
例えば、戦争したら、
命を奪い奪われて悲しいよねとか、
愛する人はこういう気持ちだよねっていうのを、
能を見て学ぶんですね。
よく時代劇なんかで、
殿様がいてて、
能を見てるシーンとかってあると思うんですけど、
音楽と農業の関係
アリマツ
その能の一番最初に、
翁っていう演目をするんですね。
これ、もともと翁芸能って言って、
能とはちょっと違うルーツの芸能だったんですけども、
五穀豊穣を祈る、舞台上で祈るって、
半分で神事みたいなものなんですけども、
それがね、寺社とかでたくさん行われていて、
翁っていうのはですね、
舞台上で役者が、
笑っているおじいさんの表をかけて、
神様になるんですね。
この先はもう大丈夫だよって、
予祝って言うんですけど、
あらかじめ祝福するんですね。
その後、狂言が、
もみの団、すずの団、
もみを植えていくんですね。
あるいは、すずってやって、
種植えですね、
っていう舞をするんですね。
だからその能の根本って、
農なんですよね。
ヨーロッパの人たちはですね、
葡萄を育てる、
小麦もそうなんですけど、
葡萄を育てるっていうのが、
もう死活問題なんですね。
あの人たちは、
切り裂きをもらって、
ワイン作るっていうのが、
あっちの生活なんですけど、
日本人にとっては、
お米を育てるっていうのが、
基本なんです。
例えばね、
10万石のところだったら、
今年は5万石しか取れませんでした、
ってなったら、
やっぱり5万は死んじゃうわけなので、
ただその死活問題なんですよね。
タカハシ
今よりもっと農業は大変だと、
そうですよね。
どうにかできない。
アリマツ
そう、テクノロジー的に。
だから本当に神様に祈るっていうのが、
大きかったんですよね。
室町時代のね、
あの屏風絵なんかを見ると、
お田植えをしててですね、
で、その横では、
やっぱりね、
つづみ、ドラム打ってるんですよね。
ちょっと無理矢理、
高橋さんの方に寄せてるんですけど。
あのね、
神社の御神体って、
鏡とか、
剣とか、
あとは金のぬさとか、
いろいろあるんですけども、
つづみがね、
御神体っていうところもあるんですよね。
つづみが、
タカハシ
へー。
アリマツ
そうなんです。
音楽っていうのはですね、
人の心をね、
司ってしまうんですよね。
それが、
例えば戦争のマーチとかだったら、
タカハシ
確かにね、
高揚させるための。
アリマツ
戦威、高揚ってなっちゃうんですけど。
田植えってすごくね、
しんどいんですよね。
腰曲げるし、
ずっとずっとやらなきゃいけないので、
一人だとしんどいから、
全員、
あの、
女性たちで、
例えば一列になって、
チームでやったら楽しいかなって。
タカハシ
田植え歌とか、
おばあちゃんとかも歌ってましたけど、
それでこう、
定規でこう、
ね、
昔の機械がなくて。
アリマツ
そうなんですよね。
それ、
5月時期、
さつきにやる、
さおとめって言うんですけど、
で、
その時にはやっぱり、
歌が、
心をこう、
踊らすので、
歌が大事だし、
その、
がんばれがんばれって、
囃すって言うんですよ、
これ。
だから、
能の場合はですね、
音楽って言わずに、
囃子って言うんですね。
タカハシ
囃子。
アリマツ
なんかこう、
盛り上げる本体があって、
それを、
周りから、
ヒューヒューとかですね、
がんばれがんばれとか、
って言うのが、
タカハシ
囃子なんですね。
アリマツ
ちょっと、
タカハシ
沈頓屋的な感じなんですね。
アリマツ
そうなんです。
だから、
本体の人より、
目立ってはいけないんですね。
タカハシ
え?
アリマツ
だから、
俺の音楽聴けって言うのは、
囃子方じゃないんです。
タカハシ
あ、そうですか。
アリマツ
あくまで、
主人公、
舞台で待っている人を、
そうかそうか。
なんかまあ、
ちょっとこう、
寄り添うBGM音楽というか、
それを、
本人も気づかないような、
パワーを引き出してあげるっていう、
こう、
なんか、
キングメーカー的なというか。
タカハシ
確かに、
能のその、
能ね、
たまに見ることが、
あっていくんですけど、
こう、
農業と能楽の共通点
タカハシ
わーってなっても、
なんかピークを迎えさせてくれませんよね。
アリマツ
なるほどね。
タカハシ
いったれんたれーって思うけど、
なんかまた、
あれ?
っていう、
グッとこう、
どこか行かないんですよね。
そこがなんか、
日本的と言いますか。
アリマツ
その、
たゆたえみたいなのも、
結構その、
囃子とか、
あるいはその、
話し相手のワキ方も、
それ、
三役って言うんですけど、
ワキ方と、
囃子方と、
あと、
狂言方っていうのは、
シテを盛り上げるっていう舞台。
盛り上げ隊なんですよ。
タカハシ
盛り上げすぎない。
アリマツ
そうなんです。
で、
盛り上げすぎないし、
盛り上がってないなと思ったら、
こう、
これ、
陰と陽って言うんですけど、
あ、あんまり、
ちょっと落ち込んでるなと思ったら、
こう、
こっちが引き立ててあげたりとか、
盛り上がってきたなと思ったら、
ちょっとスーッとこう、
上げに行ってあげる。
タカハシ
それは、
台本上で決まっているわけじゃなくて、
自由自在に、
そう、
お互いにするってことですか?
アリマツ
そうですね。
それは、
こう、
あの、
アドリブというか、
こう、
流れで、
あ、
こっちの方がいいなっていう、
とっさの判断を、
したりするんですね。
そうですね。
でも、
タカハシ
音楽もそうですね。
とっさの判断ですね。
こう、
アリマツ
プラスの時に、
まあ、
マイナスにすると、
ゼロになるけど、
ちょっとプラスとプラスぶつけてみて、
もうちょっと上げようかなとか、
なんかいろいろ、
多分あると思うんですけど、
ドラムでも。
タカハシ
でも、
それが、
まあ、
セッションとかだったらありますけど、
ライブで、
うん。
ライブで、
そこまでこう、
アレンジを変えるっていうのは、
なかなかないかもしれないですね。
うん。
アリマツ
でもね、
舞う人もね、
よく話を聞くと、
その、
囃子とか、
みんなが作ってくれる、
大きな波に乗っかると、
なんかうまくいくっていう。
うん。
だからこう、
あの、
なんだろう、
よくも悪くも、
近代を迎えて、
こう、
作品ってこう、
なんか、
昔の小説家みたいな、
こう、
俺の作品、
俺を見ろっていう感じになっちゃうんですけど、
そうじゃなくて、
みんなでこう、
一緒に、
作っていくっていう方が、
一人以上の力が出るっていうのを、
こう、
やっぱり、
能ではですけど、
能では、
そういう風になってるので、
その辺のチーム、
プレイっていうのは、
なんかこう、
農業、
おんなじところがあるのかなと。
協力と役割の重要性
アリマツ
だから一人で、
そうですね。
なんかこう、
全部こう、
やりますとかじゃなくて、
こう、
それこそ、
いろんな得意な人が集まってきて、
こう、
引き出し合うみたいな。
そうですね。
なんか、
タカハシ
おんなじやなと思います。
アリマツ
そうですね。
その、
タカハシ
えっとね、
もう一個ね、
いや、
その繋がりなんですよ。
繋がりなんですけど、
えっと、
そう、
最初に、
あの、
そう、
最近のことね、
成果主義はどうなのだろうってことも、
本に有松さん書かれてて、
なんか、
いろんな役の人がいて、
できるんですよ、
農業も。
だから、
その作物を植えて育てた人だけじゃなくて、
あぜみちの草刈りした人だったりとか、
おにぎり握って、
昼に出してくれたとか、
もう本当に、
いろんな役目があって、
それができてるから、
その作物を分け合うみたいなのがあって。
アリマツ
なんか100黒糖できたら、
さあ、どうやってみんなで分けようかなっていうときに、
じゃあ、
さとうきび最後に刈った人とか、
煮詰めた人にたくさんあげるかっていうと、
でも、
実は、
そこの農場行くまでに、
雑草いっぱいきれいにしてくれた人とか、
なんか、
それこそ、
高橋さんのお母さんのおにぎり、
いつも作って応援してくれた人が、
もしかしたら、
一番の立て役者だったりする。
タカハシ
立て役者だったりね、
しますよね。
アリマツ
その辺が難しいですよね。
タカハシ
そうそう。
見えづらい。
しかもそこが、
対価が、
私たちはお金じゃないのでってなっていくと、
ますます難しくて、
どうでしょう。
アリマツ
どの辺、
いつもどうしてるんですか。
タカハシ
いつもは、
もう、
うーん、
ようけ頑張ったなって思う子には、
ちょっと黒糖を多めにあげるとか、
そういう感じなんですよ。
で、黒糖の上がりがようけでたよって思ったら、
金一封ですって差し上げることも、
たまにあるんですけど、
そこが、
リーダーがように見とかないといけないところがあるんですよね。
人によっては、
そんなんめんどくさいからどうでもいいやんっていう子もおるし、
そこをちゃんとしたいっていう子もおるし、
人それぞれなんですよね。
アリマツ
結構その辺のさじ加減を間違えちゃうと、
一緒の船に、
船出してるけど、
船がガチャガチャになっちゃったりとか、
立ち行かなくなったりしてしまうんですよね。
ここがいいかなと思ってやったことが裏目に出たりとか、
その辺こう、やっぱり、
コミュニケーションをたくさん取らないといけないってことかな。
タカハシ
そうですね。本当にコミュニケーションを取って、
なんかお金じゃない価値みたいなことを、
もう結局はそこですよね。
伝統を守ることの難しさ
タカハシ
そこで合致した人としか一緒にいれないだろうっていうのは思っていて、
でもお能でいうと、
伝統を守っていく、
600年以上の伝統を守っていくって、
ちょっとなんか種継ぎに似てるなと思って、
種ってそんな600年とかはない。
この間室町時代から続いてるっていう里芋を食べました。
今種がどんどん消滅していってる。
アリマツ
種っていうのは、
種屋さんから買ってきて植えて、
はいおしまいっていうのが普通、スタンダード。
タカハシ
最近はね、そういうふうになってきてるんやけど、
そうやって種をどんどんついでいってる人たちもいて、
うちも古いやつだったら50年60年の種とかがあるんですけど、
その上の代でも途絶えた種たちはどんどん消えていってるんですよ今。
消えていってて、お金に結びつかないっていうのも大きいですよね。
なかなか市場に並びづらいからね、そういうものって。
そうなると、
誰か継ぎたい人いますかってなった時に、
この間もちょっとお話をね、
してた種継ぎのことをしてる方と話した時に、
プレッシャーになると。
そんな600年とか続いてきた種を、
自分がついで、そこで途絶えさせてしまったら恐ろしいから、
しばらく考えさせてくださいってなって、
やめたっていう方とかもいるらしいって聞いて、
そういうプレッシャーみたいなものは。
アリマツ
でも私、高安流っていう流儀なんですけど、
ワキ方は今三流派で、
本当はね、もっといっぱい流派あったんですけど、
明治維新とかで後継者がいなくてとか、
途絶えたり、消えてるんですよね。
だから、これって壮大な伝言ゲームみたいなところがあって、
タカハシ
壮大な伝言ゲーム。
アリマツ
はい、あなたにコソコソって言ったら、次の人が次にコソコソって、
手渡しでもいいんですけど、口移しで渡してるので、
書物とか美術品だったら、
なんかこう物にして、はいって渡せるんですけど、
舞台の上の物って動きとか謡いで、
持ってるみんなの楽器も違うし、
相手がこう来たらこうするっていうのも違うので、
それは生物なんですよね。
だから、例えば種っていうものがあって、
これをついてくれみたいな、こういう光景じゃなくて、
目に見えないものなので、
それをずっと続いている。
で、ワキ方って今三流派なんですけど、
結構先ほど言ったように人数も少なくなってるのもあって、
ここで例えば自分が、はいやめますってなったら、
もう次、次ぐ人がまた減っていく。
で、どういうかな。
タカハシ
あ、なるほど。
アリマツ
割とその、
なんかみかんの木見ておじいちゃん感じたっていうところもありましたね。
はい。
なんか動きやってる中で、
これ、そういえば先生も同じ動きしてたなとかっていうのも感じたりするし、
僕の知らない先生の先生とか、
先生の先生の先生の先生とかもやってたんだなって思うと、
すごくこう、
なんかこう、流れの中の一員になってるんだなっていう思いはありますね。
タカハシ
本当にでも大きい流れですよね。
アリマツ
そうですね。
タカハシ
なんか農も、あ、お能もだし農業もずっと昔から続いているものなので、
自分の一生がすごいその大きい流れの本当に瞬間に思えるっていうか、
だから少し気が楽にはなるんですよね、昔はね、そこが。
アリマツ
なんかそのこの木、今結果出なくてもいいやっていうのも本の中にあって、
その感覚すごく分かるなと思って。
今、あの3月決算とかなんかこう年度年度の、
タカハシ
3月決算出ました。
アリマツ
考え方じゃないですか、1年後。
でも、50年後に成果出たらいいやとか、
100年後に結果出たらいいやと思って、
例えば後継者とか育てる時ってそうですよね。
だから、目が出ないかもしれないし、
うまくいかないかもしれないんですけど、
そういうすごい大きいスパンでっていうのはやっぱり自分の中にも余裕がないといけないし、
でも、それをずっと能てやってきているので、
そういうノウハウがいろんなところのシステムもそうだし、
動きの中でも設計されているので、
それが日常というか、100年後のあなたにバトンを渡すっていうのが普通のことになっているというか、
もうなんか生命保険会社もびっくりの設計なんですけど、
そういうふうになっているんですね。
だからこの農業とか、50年ぐらい経って甘い果実が成るようになったとかっていうのって、
やっぱりスパンが長いのってすごくよくわかるなと思います。
タカハシ
お祭りの時期になったらやっぱりおみこしを自分の東京の地域でもおみこしを担ぐ、
私も時々担がせてもらったりして、
上には五穀豊穣みたいな鳳凰がくちばしに加えてるよね。
稲穂。
ゆっさゆっさと言いながら、
それで神社には必ずおかぐらのかぐら伝みたいなのがあって、
地元で代々受け継がれてる、あれは能なのか何でしょうか、
前みたいな人たちがやっていて、
芸能の流行と廃れ
タカハシ
ああいうのはちょっと能とはまた違うんですか。
アリマツ
いろんな芸能がありますよね。
例えば室町時代も猿学っていうお能の劇もあるんですけども、
むしろその時代は田楽っていう田んぼの神様を楽しませる芸能がいっぱいあったんですね。
ささらを吸ったり、南京玉すだれ的などんちゃんやるのが田楽っていうんですけど、
でも田楽の方が本当に人気もグワー来てたんですけど、
でも今は田楽は復興したりっていう動きがあるんですけど、
結構これはなくなって能がずっと来てるんですよね。
だから芸能っていつ流行ったり廃れたりするのかわからなくて、
でも面白くない芸能っていうのはやっぱり伝わらないので、
やっぱり何かしか人々の心を掴むものがあって、
それをやる人がいて見る人がいると思うんですよね。
全然思わない舞台芸人ってなかなかね、
100年500年続かないと思うので。
タカハシ
例えば歌舞伎だったら割とメディアに出てきたりとか、
ミュージカルと一緒にコラボしたりとか。
コラボレーション。
したみたいな。
ありますよね。
何だろう、いわゆる芸能人みたいな感じの立ち位置になってきてるみたいなのがあったり、
お相撲も中継されるようになったりとかありますけど、
能はどういう進化系みたいなことを考えたりもするんですか。
アリマツ
結構最近は関西の方で鬼滅の刃を能にするっていうのをやられたりとかもあるんですけども、
やはり先ほど言ったように、
能ってその1公演にファッと集まってファッと消えるっていう、
全員が自営業っていう立ち位置がサイズ感がちょうどいいというか、
例えば芸能会社、大きい芸能プロダクションがあって、
それに所属して、公演をするんじゃなくて、
一人一人が、でもね、だから大変なんですよ。会場を予約して、
お客さんにチラシ巻いて、楽屋に大弁当を並べたり、受付チケットを模擬したりとか、
でも全部自分らでやらないといけないんですね。
でも高橋さんもそうですよね。
タカハシ
そうですよね。
そうですけど。
アリマツ
野菜を洗って、何種類も梱包して、ラベル貼って、
伝票を書いてて、これは能楽師と同じだなと思ったんですけど、
それを一人でやると大変なので、何人かチーム、それは家って言うんですけど、
例えば何々家でグループ組んで、奥さん連中と一緒にやったりとかっていうのはあるんですけど、
でもその辺、農家のサイズ感がすごく能楽師と似てると思いました。
タカハシ
家ですもんね、農家も。
アリマツ
でっかいヘクタールをブワーって栽培する芸能もあるんですけど、
自分らの草を程よく伸ばして、やりたいようにやっていく、
勉強しながらやっていくっていうサイズ感の能楽師が多いんですよね。
だから、大きなことはできないんですけど、
やりたいことが自分の範囲内でできるっていうのが、
歌舞伎とか文楽とか、所帯が大きいところと比べて言えるかもしれませんね。
高橋さんも音楽なさってるとき、
芸能、音楽事務所に所属して音楽活動なさってたんですよね。
農業と能楽の共通性
タカハシ
そうですね、そういうやり方もあるし、
今はチガヤ倶楽部っていう農業のチームで音楽をやってるので、
確かにそれはね、好きであればやり続けられるということで。
アリマツ
なんかこう、いいところと大変なところと両方ありますよね。
タカハシ
そうですね。ただ、やっぱりお能って聞くとね、
チガヤ倶楽部のバンドとは絶対違うんですよね。
アリマツ
でも、農業をなさってると、やっぱり歌が出てくるんですね。
タカハシ
出てきます。
アリマツ
やっぱりなんか、ランナーブハイというか、疲れてると歌が出てくるんです。
タカハシ
やっぱりね、疲れてると出てくるというか、歌があると楽しいですね。
歌や踊りっていうのは、やっぱりしんどいことを和らげたりとか、
穏やかにしますね。チームをまとめてくれるから、
なんか昔きっと歌で、
ひみこが歌ってたかどうかは知りませんけど、
なんかそういうものは感じますね。
一緒に歌うと、有松さんも書いてたけど、
私も例えばお法事の時にお坊さんが来てくれて、
みんなでお念仏を唱えるときのトランスと言いますか、
すごく気持ちいい感じが、お能とか見ててもそういう感じがしますよね。
アリマツ
やっぱりみんなで同じ息を吸ったり吐いたりするっていうので、
ハッピーバースデートゥーユーでもそうなんですけど、
全然今日初めての人たちが一体になるっていう感じはあるんですよね。
そうかもしれない。
同じ音を大手出すだけでも全然違ってくるんですよね。
というわけでですね。
タカハシ
そうですよ。今そこに、そうでした。
アリマツ
資料をお配りしてるんですけど、
能 小鍛冶のキリという一番最後って意味ですね。
オンラインの方は資料、画面提示とかなされてるかな。
なんですけども。
ありがとうございます。
小鍛冶っていうのはですね、刀剣のお話なんですね。
三条の小鍛冶宗近っていう人に、
帝から命が下って、天下の名剣を作りなさい。
これで国を治めるっていう命令が下るんですけども、
なかなか自分と同じような力量を持つ相槌がいない。
相槌ってまさにトンテンかんてんですね。
で、その相槌ないのでどうしようかなと思って、
神々の稲荷明神にお参りすると不思議な男の子が現れて、
神様にお祈りしなさいと言って、
祭壇でお祈りしてると稲荷明神、狐の神様がやってきて、
一緒に相槌をしてくれる。
で、その天下の名権、小狐丸ができるというお話なんですけども。
タカハシ
狐丸。
アリマツ
そうなんです。
で、その小鍛冶というのはですね、稲荷明神、稲穂ですね。
なので、五穀豊穣の神様であり、
そして三条の小鍛冶宗近っていうのは代々刀剣の家であるというので、
一条院の命によって、
自分だけじゃないとその代々技を伝えていくっていう、
この継ぐっていうことがテーマなんですね。
だからこれ高橋さんにぴったりやなと思って、
タカハシ
嬉しいです。
アリマツ
この小鍛冶のキリを今回ちょっと選んでみました。
キリというのは一番最後。
あのピンからキリまでとかキリのいいとこっていうように一番最後ってことですね。
お配りしている詩章にはですね、
天下第一の二つ目の三剣にて、
四海を治め給えば、
五穀豊穣もこの時になるや。
すなわち汝が、
宇治の神、稲荷の神体小狐丸を勅使に捧げ申し、
これまでなりと言い捨てて、
また村蜘蛛に飛び乗り、
また村蜘蛛に飛び乗って、
能楽の謡い
アリマツ
東山稲荷の峰にぞ帰りけると。
一番最後のシーンをですね、
前半の3行ぐらいは皆さんとですね、
一緒にちょっと謡ってみようかなと思っています。
能の声をどうやって出したらいいの?
という感じだと思うんですが、
とにかくですね、
大きな声を出します。
謡いって2種類あって、
弱吟と強吟とあって、
弱吟は結構メロディアスで、
いろんな節がついてるんですけども、
強吟というのはですね、
とにかくね、
グラウンドの一番遠くのお友達に、
わーって声をかけるような、
っていう出し方の謡いなんですね。
だからこれ一番最初にね、
やりやすいんですけども、
真ん中に歌詞が書いてありまして、
右側にゴマが降ってあります。
このゴマゴマ一つ一つが、
音の一つ一つなんですね。
台本であり、
楽譜であるというのが、
台本の一種になっています。
なので、これをですね、
皆さんで謡っていこうと思うんですけども、
だから本当に、天が第一の、
で、能にですね、ちょっと振りが振ってあります。
これはね、回しって言って、
ぐーっと上がって、
ドンって降りる。
を回しって言います。
ぐーっと上がって、ドン。
だけです。だから、
天が第一のの「の」だったら、
のーを、
母音で着地をドンっていう風に付けるのが、
この回しです。
あとはですね、
二行目の、
二つ目ののにですね、
ぐーっと、
てんてんてんと引いてあります。
これ引きって言うんですけども、
ぐーっと引いて、
坂をですね、また上がっていく感じです。
タカハシ
これが楽譜なんですね。
アリマツ
そうなんです。楽譜であり、台本であるんですね。
なんか声明とかと似てるんですけども、
しかいをのしかも、
ちょっと伸ばすよっていう記号が付いてますね。
そうですね。
てんてんてんは、ちょっと伸ばしますよっていう記号です。
逆に言うと、それだけなんですね。
ちょっとこれをですね、
リピートアフターミーでやってみたいと思います。
じゃあ、私が、
最初にやってみますので、
その後、
大きな声で、
おーいっていう感じでやっていきます。
いいですか?
じゃあ、いきます。
てんがだいちのお
はい。
てんがだいちのお
上手、上手。
てんがだいちのお
てんがだいちのお
みつる
で、次はてんてんあるとか弾きますよ。
しーかー
しーかー
そうです。
えー、大変結構です。
息がね、こうグーッと出てて、
大変よかったです。
で、これをですね、
みんなで歌っていくと、
こう、なんかね、会場がですね、
一味神水とか、
中世座の芸能っていって、
みんなでおんなじ歌を歌ったり、
心を合わせることで、
お茶でもお花でも連歌でもそうなんですけど、
一堂に会して心を合わせるっていうのが
大事な芸能ですね。
じゃあ、最初のところから
このこのときなれやまで
ノンストップで私と一緒に
いってみたいと思います。
今の感じでいきますよ。
いいですか?
じゃあ、いきます。
じゃあ、さんはいでいきましょうね。
さんはい。
天が大事の
天が
そうですね、いいですね。
大変結構です。
会場に今日お越しいただいたこと、
初めての方、
オンラインの向こうの方、
初めてなんですけど、
なんかこう、同じ歌詞で
同じ空間を一緒にすると、
なんかね、こう、
心がね、重なり合うっていう感じが
するんですよ。
これが能の謡いとか、
元々和歌もそうなんですけども、
の効果なんですね。
じゃあ、この最後まで
能ではどういうふうに歌われるかっていうのをですね、
ちょっとやってみたいと思うので、
なるほど、こういう感じで
小鍛冶の一番最後の部分は謡われるんだ
というふうにちょっと
想像を膨らませてみていただいたら
どういうふうに思います。
じゃあ、能バージョンでちょっとやってみます。
私が独吟って言うんですけども、
一人で謡ってみます。
おこくじょうじゅもこのときなれや
すなわちなんじが
ふじのしん
いなありのしん
たいこぎつねまるを
しにささげもうし
これまでなりと
いいすてて
またむらくもに
とびのり
また
とびのりて
ひがしやんま
農継ぎと能継ぎの対談
アリマツ
いなりのみ
というふうになります。
タカハシ
体が響いているのがすごいわかるね。
本当に。
アリマツ
振動というか空間で
まさに心が震え合うんですね。
共振ですね。
タカハシ
共振ですね。
アリマツ
というふうな形になっています。
これ本当に最初の3行は
もうあっという間に謡えますので、
このね、こかじのきり
すごくノリがいい歌になっていて、
例えば、てんが第一の
ふたつめいのみつるぎにて
しかいをおさめたまえば
ごこくじょうじゅってですね、
こういう数字遊びというか、
そういうレトリックをいっぱい使って
能の文章ってできてるんですよね。
かけ言葉とかほんかどりとか
こういう数字の、あとはライムですね。
こうやって意味もそうなんですけど、
音として歌詞が成り立つように
っていうのが能の謡いの形になっています。
タカハシ
音として。
アリマツ
そうですね。
タカハシ
なんか歌詞とも似てますね。
アリマツ
いや、これね、なんかこの本を読んでても
ちょっと歌詞っぽいところ
時々ありますよね。
タカハシ
ありますか?
アリマツ
なんかリズムで、なんかこう
なんだろう、こう
これってやっぱり作詞家の人の
文章なんだなっていうふうなところが
ありましたね。
なんかこう書くときに、なんかこう
歌詞と音の関係
アリマツ
意識してるとき、例えば
詩を書くとき、小説書くとき、
こういうエッセイ書くとき、なんかこう
モードってあるんですか?高橋さんの。
タカハシ
でも歌詞を書くときはやっぱり
意味が半分で、音っていうのをすごい
意識して書くので、今のその
音っていうのはすごい分かりますよね。
アリマツ
やっぱりもう歌詞っていうのは歌うのが
タカハシ
そうなんですよ。歌うから、あと
言葉の持つ色というか、その言葉の持ってる
なんかその言葉がまとってる雰囲気って
ありますよね。
アリマツ
意味だけじゃなくて、質感とか匂いとかそういう
タカハシ
音がまとってる雰囲気と言いますか、それを
発することで、なんか意味以上の何かが
放たれるようなものを感じるから
そういうのを大事にしてますかね。若干というか。
アリマツ
意味で紡いでいくんじゃなくて、その音の持つ
力を信じるみたいな。
タカハシ
そうそう、まさにそうですね。
アリマツ
でもそれって、なんか机でこうやって
こうやって考えるんですか?それともなんか
畑耕してあっ!ってなるんですか?
タカハシ
それも大きいです。
アリマツ
あるいはなんかお風呂入ってるときに
あっ!ってなったりするんですか?
タカハシ
それもあって、やっぱいろんなパズルみたいに
言葉をどんどんどんどん集めていって
作ってるところはありますね。
そうなんですね。
作文とはまた全然、小説とかとは真逆かも
しれないですね、作り方が。
アリマツ
じゃあ割とこう、拾い集めてメモしておいたりも
するってことですね。
タカハシ
そうですね。
アリマツ
そうなんや。
高橋さんの東京生活の、例えば10あったら
どんくらい、例えばこう詩を書いてて
どんくらい小説書いてて、どんくらいこういう
エッセイ書いててとか、なんかどんな
高橋久美子モードなんですか?普段は。
タカハシ
そうですね、歌詞の依頼はポンといきなり来たり
するので、じゃあ今から2週間後に提出だな
って思ったら、そこまでに何かお題というかね
こういう謡い手のことをまず一番に考えるので
歌詞はそうですね、そうやって言葉をどんどん
集めていって作っていって、作曲家の方との合作
になりますから、その音が乗ったらどういう風な
響きになるかっていうのをやっぱりすごい意識
しながら考えて。
アリマツ
音楽ってすいません、歌詞が先なんですか?音が先
なんですか?
タカハシ
それもね、その方によるんですよね。
だいたいが音が先なんですよ、今は。
アリマツ
なんかメロディがこうなってて、それに言葉を乗せる。
タカハシ
そうなるとますます音じゃないですか。
そうですね。
言葉が意味というよりかは音で。
アリマツ
そうですね。
タカハシ
音が半分半分ぐらいですかね。
なんか今だってポップミュージックとかだと
ものすごく早い曲も多いですから、そうなると
ほとんど音を意識して作ったり。
アリマツ
バンド時代はどうですか?
タカハシ
バンド時代は詩先だったんですよ、詩が先なので。
アリマツ
それに音楽とか音をつけて。
じゃあ今の流れでいくと、割とその
意味仕立ての歌詞も結構たくさん作られてたってことですか?
タカハシ
そうなんです。
意味仕立てのものも多いけど、やっぱり歌詞だったら
この論理みたいなところを取っ払って考えれるから
より、なんていうかね、より脳みそが違うんですよね。
歌詞を書くってなったら面白いです、だから。
アリマツ
どんな、もうちょっと言葉がほしいです。
タカハシ
そうですよね。わからないですよね。
よりなんというか、意味を考えずに
自分が面白いなと思ったものを入れても
みんなでいろんな解釈をしてもらえるってことですよね。
聴く人が。だから一個の意味じゃなくてもいいというか。
小説だとやっぱり解釈は一つっていう、エッセイでもそうなんですけど
歌詞はいろんなふうにできるから、なんか踊りとかとも近いのかなと思います。
その言葉では表せないからこそ音で表してるっていうのがあるんですよね。
アリマツ
必然性みたいな感じですね。
タカハシ
歌詞の重要度っていうのは3分の1ぐらいじゃないかと思ってます。
アリマツ
じゃあ残りは?
タカハシ
残りはアレンジ。バンドだからアレンジだったり作曲だったり、あとはパフォーマンスだったりするから。
アリマツ
じゃあその3つが合わさって聴くのが許可できる。
タカハシ
書きすぎないことを注意してます。
パフォーマンスの重要性
アリマツ
なるほど。
タカハシ
みんなの想像を奪うから、書きすぎない。あえて隙間をいっぱい入れとくっていうか。
書きすぎると、じゃあ曲の意味がないじゃないかってなるなって私は思っていて。
アリマツ
なるほど。歌詞にする意味がなくなってきちゃうというか。
タカハシ
そう。言葉の感情を引き出してくれるのは音だと思ってるんですよ。
アリマツ
なるほど。
タカハシ
悲しい歌詞に悲しいメロディーつけたら余計悲しくなるでしょ。そういう感じです。
だからそれはもう作曲家というか曲作る人によるんですけど、あんまりぎゅーって言葉だけで詰めないようにしてるかなと思うんですね。
アリマツ
ちょっとこういろんなチャンネルがつながるように割と窓が開かれてる感じで置いておくんですね。
タカハシ
そうですね。
アリマツ
チガヤ倶楽部で作ってる時はどうなんですか?
タカハシ
チガヤ倶楽部の曲。
アリマツ
なんかそれをちょっとなんか雰囲気が違う風に曲が生成されていく感じを受けたんですけど。
タカハシ
そうかもしれん。それはもうみんなの喜びみたいなものを入れたいから。私だけじゃないからね、曲を作るのが。
みんなから出てきた言葉が自分が思ってもないことであれやと思うことも面白いやんと思ってどんどん入れていってるから。
チガヤ倶楽部っていう生き物ですよね。バンドはバンドでそのバンドって一個の生き物やと思ってるから。
なんか自分が決めたって反対に行く時はあるので、その生き物に乗っていこうっていうのはあります。
アリマツ
そっか。じゃあ割と自分が了承している未知の部分も結構あるってことですね。
タカハシ
ありますあります。あ、そうですね。未知の部分はありますか?やっぱり。
そこ。
アリマツ
僕、舞台の場合はもう本当にね、あのこう、何と言うか。
よっぽどね、遠い曲って僕ら言うんですけど、すごく縁遠かったりあんまりやったことがなかったりとか覚えにくい曲っていうのは遠い曲って言って。
すごく人気があってしょっちゅうやってるのは近い曲って言うんですよ。
自分に対して近いか遠いかなんですね。近い曲はね、もう自動運転にするんですよね。ピッて。
なんかこう、考えてやるって言わればもうその幕の前に立っておまーくって言うと幕が上がるんですけども、
出てくるのもその会場の雰囲気とか、あるいはお囃子が出してくれるやつに、
今日は例えば秒速、何秒で歩もうって思ってやっていくっていうよりは、もう自動運転ピッて押して、
もうあと、それをね、なんか自分がこの辺から見てるって感じです。
体に訓練してもできるように。
自転車越える時に、さあ右足を踏み出して、次左足を踏み出して、交差点を見てって、いちいち考えないじゃないですか。
もう自動運転ですよね。
自動運転してて、ここに新しいパン屋さんできたとか、ちょっとここ坂でどこどこしたとかっていうのを、
こうなんかこっちから見る感じで、もう稽古してやってる曲はもう、
あと自分に任せてしまって、自分でそれをちょっとこう見てるっていう感じがあります。
タカハシ
その体が覚えてるってありますよね。
アリマツ
そういう感じです。
タカハシ
ふと頭が真っ白い、緊張でステージの上で頭が真っ白になる時ってたまにあるんですけど、ありますか?
アリマツ
あります。だからそういう近い時ほど、自動運転が途中でですね、ビビーって止まってしまうと、歌詞何やったっけってなりますね。
タカハシ
ありますよね。
アリマツ
そういう時ほど危ない。
タカハシ
でもそういう時ほど体が覚えてますよね。
アリマツ
そうそう。
タカハシ
歌詞の場合は。
アリマツ
この小鍛冶でも、ノットって言って、ノリと宗近ワキなんですけど、宗近が上げるとかなんですけど、
次の歌詞出てこないなと思ってても、やっぱ体が覚えてると勝手にね、口がパクパク言うんですよ。
タカハシ
そうそう、それに。
アリマツ
そこで自動運転ですね。
だから頭の中では歌詞、わりと僕歌本のこの教科書のこの辺の右の方、こっちから行ってってイメージで覚える、画像で覚える派なんですけど、
結局やることは口と体の域なんで、こっちを訓練しないと出てこないんですけど、
だから頭の中のプロンプターを読んでやるっていう時も、ちょっと難しい曲の時とかあるんですけど、
大体はもう体に任せてしまうんですけど、
こっちのプロンプターが真っ白で、今プロジェクターが真っ白になって回すって感じなんですけど、
口と体が勝手に動いてるって時はありますよね、近い曲の場合は。
タカハシ
ありますね。
でもなんかこう、本にも書かれてたんですけど、なんか私も思ったのが、失敗することよりも、私の場合はですね、
失敗することよりもこなれてくることの方が私は怖いと思っていて、
なんか、それよりもステージの上でやっぱりもうこれで最後の演奏じゃと思って、
この後も20本くらいツアーは続いたとしても最後じゃと思ってやるというか、
なんか少々の失敗は何でもないというか、それは失敗ではないんだって思っていて、
本当の失敗は何というか、魂が燃え尽きないことというか、そこの場所でやってやり尽くせなかったとか、
お客さんとなんかずれが生じるとか思ってたんですけど、その辺りはどうですか。
アリマツ
なんかやっぱり能って一期一会のところがあるので、
そのさっきの7人の侍じゃないですか、集まってお客さんが集まってもらったっていう場はもう、
決して同じ条件はもう二度とないんですよね。
だからそこでやるっていうのが能の考え方なのかなと。
連続公演してても、文楽とか歌舞伎でも同じ精神だと思うんですけども、
例えば初日見て中日見て千秋楽見てっていう見方があるのとは違っても一回しかないので、
それに全力投げをするっていうのがあります。
それが興行的にそれで生活できるしやすいかどうかっていうのはまた別の問題なんですけど、
舞台のパフォーマンスとしてはそういう形になってますね。
タカハシ
そっか、一期一会っていうことなんですね。
農業と能楽のつながり
アリマツ
そうですね。もうそこの舞台はもうやったらおしまい。
タカハシ
どういうタイミングでそのやろうっていうのは決まるんですか?
それは興行が決まった時がってことなんですか?
アリマツ
そうですね。定期のって言って毎年この期間にやりましょうっていう大体の仕組みがあって、
そこで演目何にしようかなっていうのはあるんですけども、
あとは個人でこれをやりたいと思ってますっていう人が一から集めてっていうのがありますね。
タカハシ
そうなんですか。個人でこれをやりたいと思いますで、みんなに呼びかけて。
アリマツ
呼びかけてやるっていう人もいますね。
タカハシ
いやー、結構チガヤ倶楽部的ですよ今の。
そうですね。
私がみんな来てみたいな、今から収穫するけん来てみたいな。
アリマツ
そう、そう。声かけしてやってもらうっていうのもありますね。
タカハシ
ですか。
アリマツ
いろんな割と形。あとはそのオファーがあって、
例えば国のそういう京都市のとか文化庁のとかでオファー受けてやるっていうのもありますけども、
もちろん学校公演っていうのもありますね。
そんな形があります。
タカハシ
すごい身近に感じました今日いろいろ話を伺ってると。
アリマツ
これ本当にクラブの話をみんなあってチーム感というか畑をする人っていうのは本当にこう
バンドのメンバー集めと似てるっていうのもすごくわかるなと思って。
例えば全然関心ない人を畑に引き連れてきてもやっぱり高橋久美子効果は1年ぐらいって書いてありました。
やっぱりしんどい時にその人の成果が発揮されるというか、
本当に何で集っているかっていうのが問われる。
タカハシ
本質的に面白さに気づけないとやっぱり長くは続かないのかなというのは思いますね。
アリマツ
まあね、そのほっといても自分以外の人でもたくさんやってる人はいるし、
その辺の、ちょっとしんどいからやめときますとか参加しますとかっていうの自由なのもすごく参加、逆にしやすい。
タカハシ
確かにね、それはそうですよね。
今までずっとこんかったけど1年に1回ぷいっときたりする子もいるからね。
それはそれでいいもの。学校じゃないから。
自由でね。
なんか皆さん質問とか、せっかくだからありませんか?
アリマツ
もうそろそろ回も終わりに近づいていますが、
タカハシ
ね、オンラインの方々でもなんかチャットとかでね、ありましたら、
せぬ暇っていうのが私なかなかすごい言葉じゃなと思って、
うちなる工夫を自分にさえ隠すっていうこと書かれてましたよね。
アリマツ
そうですね、せぬ暇って言うんですけど、
しない、暇っていうのは間ってことだよね。
せぬっていうのは何もしないってこと。
演技ってこう、例えば走るとか飛ぶとか、やっぱり目立つところがこうなるんですけど、
そのアクションとアクションの間こそ、その曲というか匂いの一番発揮されるところが、
例えば歌詞とかだったら、パワーワードとの間の助詞とか、
タカハシ
そうですね、サビじゃなくてAメロこそですよね、いい曲はね。
アリマツ
導入とか、その持っていくところとかが、何とも言えない曲たらしめるものがあって、
で、そのパワーワードとかドカンといく。
パワーワードとドカンっていうのは、ちょっと乱暴に言うと誰でもできるんですけど、
そこの間々っていうのは実は割と地味な工夫とかがあるんですよね。
タカハシ
じっとこう座って待っている時間っていうのが長かったりされるときも、せぬ暇というか。
アリマツ
そうですね、シテの人、例えば喋ってきたなと思ったらグーッと足をやって、
それを向いて、それを向いた後、いつ外すかとかですね。
っていうのも、シテの動きの中で、お客さんはシテを見ているので、
お客さんのシテを見ている動きを邪魔する。
こう見ているのにパッと動くと、やっぱり目がそっち行っちゃうから、
例えばシテが左の方行った時に自然にふーっと見る手で外しとかで、
とにかく目立たないようにするっていうのがワキ方の仕事になる。
タカハシ
逆に難しいですね。目立たないようにする、存在を消すってことですよね。
アリマツ
徹底的に溶け込む。
でも、例えばこういう壁、素敵な白壁とか金屏風もそうなんですけど、
記者会見とか金屏風があって、金屏風ばっかりわーって見る人いないんですけど、
でもやっぱり屏風ないと、結婚とか執名、披露会見のなんか箔がつかないみたいな、
絵の額もそうなんですけど、油絵そのものだけでも作品なんです。
やっぱり物言わぬ、しっかり支えてもらえる箔があると、安心して見られるっていうか、
だから言われないとわかんないんだけど、言われるとそういえばいい仕事してたなっていうのが。
タカハシ
それも肝に銘じる。
農業も、専業農家はわりかしバーンってニュースとかにもなって、お米がーとかってされてますが、
兼業農家ってわりかし目立たないじゃないですか。
それで収穫は目立ちますけど、収穫じゃないときがほぼほぼですから、収穫たぶん1週間ぐらいなんですよ。
収穫じゃないときの何ヶ月もの間にコツコツと背の暇、手動かせますけど、
そこありきですもんね。
アリマツ
ほんとに草刈り大変なんだなっていう。
タカハシ
ほぼほぼ草刈り8割土木ですね。
8割土木です。
なんかそのせぬ暇の心を持ちたいなって思いました、そこで。
演技と表現の変化
アリマツ
しないときのほうが大変ですね。
タカハシ
そうですね、そこをね。
アリマツ
あ、あ、あ、せっかくなのでよかったら。
お願いします。
質問者さん
有松さんにご質問というか、今大学でサークルで三味線やってて、
地歌っていうジャンルをやってて、琴とか三味線とかのやつ。
つぐとかそういうほんとにそんな大層なものでもないんですけど、一応演奏してて、
なんとなく地歌なんで、言ったら江戸時代ぐらいからの、言ったら続いてるやつなんですけど、
そういう古典曲を演奏するときに、なんとなく自分の人生経験に照らして、
ちょっとここはこう歌ったほうがいいんじゃないかとか、
ここはちょっと速くしたほうがいいんじゃないかとか、
逆に緩んだほうがいいんじゃないかっていうんで演奏するんですけど、
そういう解釈を加えていくのが、結果的に地歌っていうものを継いでるってことになるのかなって思ってるんですけど、
能楽師の方が1個の演目を、1個の演目ないしは農学全体をすぐってのはどういう感覚でやってらっしゃるのかな。
自分の解釈ってものを作品に投影することはあるのかなっていうのをちょっとお聞きしたい。
アリマツ
結構難しい問題ですね。
謡い方とか舞い方にしてもそうなんですけど、まずはですね、徹底的に自分をなくすんですね。
まず、もう修行時代もそうなんですけど、独立してからも徹底的に自分をなくすんですけど、
よくミステリーでお面の下、別人物でトリックっていうのあるんですけど、
僕らからすると、個性をなくせばなくすほどですね、例えば覆えば覆うほどその人の個性どんどん出てくるんですよね。
個性ってそんな尊重そこらでなくなるものじゃなくて、むしろなくすぐらいが臭みが取れて、本当の個性が出てくるっていうふうに指導されるんですね。
だから自分の考えではこう、作品解釈ではこうだからこうしますっていうのはですね、徹底的に否定されてボコボコにされて成長していきます。
だからあんまりですね、考えるっていうことは最初は本当にないんですけど、でもそれなりに経験積んでくるといろいろ考えたりすることはあるんですけど、
そんな時はですね、変えていいところと変えてはいけないところっていう2つあるんですよね、ものって。
その見極めるのはすごく難しくて、これね、歌舞伎の人とも喋ってたんですけど、やっぱ何百年とかずっと続いてきたものを自分の代で変えるっていうこと。
種継ぎもそうだと思うんですけど、すごく自分が変えたことで種が全滅したとかもあり得るんですよね。
で、その見極めって結構ね、技というか経験が必要で、それで師匠に見てもらうんですね。
自分はこう思うから、修行経った後にちょっとこうやってみるっていうので、それは違うって言われたりとか、もうちょっとそれを進めていいとかっていう判断を仰ぐんですね。
で、変えちゃいけないところを変えるとどんどんですね、能じゃなくなっていくんですけど、変えてもいいところ。
例えば江戸時代に、これね面白いことで江戸時代にやってた演能のスピードと現代の演能のスピードは全然違うんですね。
記録見ると朝から始まって夕方終わるまでにこの曲の番数でやると1曲これ何分しかかけてないはずなんだけど、今のと全然違うなみたいな。
だいたい今の方がこっくり時間がしっかり演じられるようになってるんですけど、でも昔は例えば七五三とか奇数を陽数を尊ぶ段階があるので、
例えば最初の段数小節をですね、七と五と三としたりとか、そういうのもあるんですけども、現代ではそれちょっとしんどいからもう1段にしましょうとかっていう現代アレンジも結構あるんですよね。
だから長さも結構手を加えてるんですけど、昔の書き付けはこうしてるけど今はしてないっていうことがいっぱいあって、その辺もやっぱり師匠に教わることで伝言ゲームにつながるんですけど、
やっぱりこのまとめるとその変えていいところといけないところの見極め、そしてその変えていいところで果敢に挑戦するっていうことかなと思う。
その見極めって最初すごく難しくて、というかどんな人もねめっちゃ悩むと思うので、その道の先立つですね、山登りのだいぶ先輩の先行っている道の、道行く道の先行っている人にお尋ねして教えてもらうっていうことになるかなと思いますね。
音楽と文章の感覚
アリマツ
はい、こんな感じでどうでしょうか。
タカハシ
自分を消すっていうのなんかすごいわかるなぁと思いました。
アリマツ
なんかね、そうながらこの本を書くときもなるべく自分を消して、無味無臭の文章を書こう、無味無臭の音楽を書こうっていうつもりで書いたんですよね。
タカハシ
でもものすごく有松さん節ですから、めちゃくちゃ出とる。
アリマツ
でもね、それぐらいねやっぱりちょうどいいんじゃないかな。
タカハシ
ドラムもやっぱり師匠からその同じようなこと言われてます。まずは自分を消すと、人を踊らせることだけを考えてやって、勝手にもう滲み出るものだからっていう。
アリマツ
もうそんな心配しないで。
ありがとうございます。
ホシノ
ちょっとオンラインからいくつかご感想どうしてもいただいて。
ちょっとすみません、思ったよりもたくさんいただいて、時間もあれなので最後に一つと思うんですけれども。
一つご感想をお読みします。
ありがとうございました。お金と結びつかない手間のかかる、でもとても心を整えてくれる農と能の素晴らしさを感じ、生きていく中で自分の心を保ってくれるものの存在の大切さを感じました。
継ぐだけれど、実は過去と未来をつなぐなのかな。生きる上でつなぐことは大きな役割なのかなと思いました。
お感想いただいてます。
ありがとうございます。
もう一方、有松さんにご質問なんですけれども。
音楽は人の心を司ってしまうんですという話と、能の言葉は意味だけでなく音として成立するようにできているという話がありました。
ものすごく興味深いです。
そんなふうに言葉と音と付き合っていらっしゃる有松さんは、能以外の私生活の中での文章の読み方、また音楽の聞き方について、能をやっていることが影響しているかもしれない。
ご自分なりの楽しみ方はありますか。文章、音楽どちらかだけでもありがたいです。
アリマツ
私ですね、それこそチャット文字でもそうなんですけど、音楽聞く時ですね、あんまり歌詞の意味考えないんですよね。
いろんな聞き方あると思うんですけど、すごい歌詞に共感して歌詞めっちゃその世界観っていう人もあると思うんですけど、
私聞くときはもうなんか言葉の、さっきおっしゃってた音とか音の質感とかなんか色、匂いとかだけでね、いつも音楽聞くんですよね。
タカハシ
本能的ですよね、それが。
農業と文化の継承
アリマツ
この本も歌をやってるせいか、言ってる内容はそんなに面白い、別にすごい先進的なというか、最新の知見をっていうことじゃないんですけど、
なんかその音の繋がりとかその流れとか調べっていうんですけど、和歌の世界では、そのを大事にいつも聞いたりしていますね。
だからあんまり、これね、能楽師あるあるで、昔の名人がですね、前半と後半の間にあい狂言っていう狂言の人がところのものとして、もう1回物語を説明してくれるっていうシーンがあるんですね。
多分室町時代はその能の詞章って文章語、文語なので、口語、つまり当時の現代語ですね。
で、喋ってくれることで何か解説みたいな感じで能を見てたと思うんですけども、そのあい狂言のね、語りを聞いて、昔の偉い先生、この曲ってこういう曲なのかっていう風にこぼしたっていうのがあるぐらい、
そのもう本当にオウム返しで、謡いの内容の意味なんてどうでもいいから、そのこのぐらいの息の強さ、このぐらいの高さ、このぐらいのスピードとか動きってもう意味を考えずに徹底的に、これ江戸時代のそういう訓練法なんですけど、徹底的にその真似るわけですよね。
だから意味は置き去りにするんですね。で、後で、あ、そういえばこれこういう意味なのかなっていう風にこう事後的に追いかけるみたいな。
私も普段の音楽はもう本当に音を最初に聞くっていう、もうサマイズされてしまってて、なんかあんまり意味を考えずにですね、なんかだからCM音楽とかにすごく心奪われやすいですね。
だからもうなんかこう、ノリが良かったり覚えやすかったりすると、家でも妻と一緒にそればっかり言ったりしてて。
タカハシ
でも寺子屋とかそうですよね。漢の塾とかもそうですよね。漢文の素読、漢語とかそうですよね。小学生ぐらいの男の子が論語とか。
意味じゃないよね。音で覚えて、あとで人になってから理解していくって。
でもそれって親から言われたことが今になってわかるっていうのともちょっと近いかもしれないですね。
アリマツ
そうですね。タイムラグがありますね。っていう感じはしています。
ホシノ
ありがとうございました。
タカハシ
京都の八百屋さんが来てくれてるっていう噂を。
アリマツ
そうなんですか。
農の
タカハシ
そうか。なんか、八百屋さんもついでらっしゃるんですか。
質問者さん
そうです。
タカハシ
お父さんの代からやってる。
質問者さん
ひいおじいさん。
タカハシ
ひいおじいさんさんの代からやってる。どこら辺で。
質問者さん
京都の中央市場。
中央市場。
あのすぐそばでやってるんですけど。
タカハシ
中央市場っていうとあの大きいその。
質問者さん
大きい市場です。
京都は全国的にもかなり大きい市場があるんですけど。
タカハシ
じゃあもう相当全国からいろんな野菜が届いてそれを。
質問者さん
そうです。
日本中から何百本。
タカハシ
レストランだったりとか。
質問者さん
そうですそうです。
ところに納品するための市場ですね。
タカハシ
すごいですね。ひいおじいちゃんの代から。
そうです。
素晴らしい。
質問者さん
大きい八百屋じゃないんで大したことないんですけど。
タカハシ
八百屋さんいてこそですから。
質問者さん
それは僕ら農家さんいてこそなんで。
本当に。
タカハシ
そうですよね。
うわあ
嬉しいなあ。
質問者さん
父親と仲良くないので。
タカハシ
ちょっとちょっと。
ちょっとちょっとそれ。
質問者さん
首もげそうになりながら本を読んだんで。
タカハシ
それって継ぐ時に一番出てくる問題で。農家の友達たちも
父親とのその衝突みたいなものから独立して
自分だけでやってる人もいたりとか
私みたいにウワーってなりながら
ウワーってなってますよ。
質問者さん
僕の農家の仲間
たくさんいるんですけど、
みんなでそうやって
タカハシ
みんな?
質問者さん
みんなって言うとあれですけど、多いですよね
タカハシ
お父さんはお父さんの今までやってきたやり方があるもんね。
質問者さん
そうなんですよね。そういう話を。
タカハシ
お前みたいな若造に何がわかるっていうのもあるんでしょう。
質問者さん
めちゃめちゃ言われてこられたじゃないか。
タカハシ
めちゃめちゃ言われてますよね。
若造の上に二拠点で生活してっていうのもやっぱり
なかなか認められない。
アリマツ
でもお父さん
素直にありがとうって言ったら
高橋さんもありがとうって言うシーン。
タカハシ
そうですね。
アリマツ
実は二人似てたりする。
タカハシ
よくわかってますね。似とるとこあるでしょうね。
うーん。
へえ〜
質問者さん
後継ぎの悩みがいっぱい。
タカハシ
ありますね。
一回はってなっても有松さん思い出して
グッてこらえました。
質問者さん
そうですね。
そういうのもすごく勉強になりました。
タカハシ
ありがとうございます。
無の境地。
質問者さん
ありがとうございます。
タカハシ
ひいおじいちゃんからすごいな。
アリマツ
ありがとうございます。
ホシノ
では
2時間弱にわたりましてお話ありがとうございました。
二人今日初対面
なんですけれども。
有松さんのお話にあったように
フワッと集まられてフワッとここから。
タカハシ
そうですよね。
ホシノ
かっこいいなという感じがしましたね。
親子関係の葛藤
タカハシ
フワッと集まって一緒に歌ったからね。
ホシノ
でも高橋さんとも本ができたあと話したんですけど。
話してたんですけど、
この本はやっぱり
一冊一単出来上がるんですけど。
農継ぎは本当にずっと続いていく話なので、
タカハシ
止まらないから。
ホシノ
有松さんのお能もそうで、二人が今後どのように活躍されていくのかっていうのが、
皆さんとも何らかの形で
ミシマ社も通して
一緒に何かをやっていけるといいなと改めて思います。では本日改めましてお二人ありがとうございました。ありがとうございました。
01:50:34

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