00:02
こんばんは。まもなく9時から、みおの生きるライブを始めます。
あ、鳥栖さんこんばんは。はいはい。
じゃあ、ちょっと9時になるまで遊んでようかな。
遊んでたら、かずきさんがいらっしゃってました。
こんばんは。
こんばんは。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。あれ、もしかして今の聞こえてました?
聞こえましたよ。
聞こえてらっしゃったんですね。
あ、ゆうさんこんばんは。
ちょっとひろのぶさんがいるので、
じゃあ、少し待ってましょうかね。
そうですね。
はい。私の声は聞こえてますか?ちょうどいいでしょうか?
ちょうどいいです。
あっきみありがとうございます。
あ、ひさぽんさんこんばんは。
あ、ひろのぶさんがいらっしゃいましたね。
はい。ひろのぶさん、ひろにーさん。
ひろにーさんをモデレーターにさせていただきます。
はい。みなさん、こんばんはお願いします。
はい。よろしくお願いします。
こんばんは。ひろのぶです。
よろしくお願いします。
もう続々とみなさまがご挨拶していただいております。
ありがとうございます。
こんにちは。
こんにちは。
あおりんさん、キャプテンさん、こんばんは。
こんばんは。お願いします。
はい。よろしくお願いします。
こんばんぶーんですね。
ですね。こんばんぶーんでございます。
こんばんぶーんって書いてくれてますね。
はい。みなさまこんばんぶんでございます。
こんばんぶーん。
はい。ひろにーさん。
はい。お願いします。
あ、わたし?わたしがあれなの?
はい。みなさんこんばんは。こんばんぶーんです。
今日は遊びに来ていただきありがとうございます。
ありがとうございます。
今日はですね、かづきさんとひろのぶさんのスペシャル対談ということで、
プロの講演家とプロのナビゲーターのみおさんですか。
わたくしですか?はい。
あれ、ナビゲーター人でしたっけ?
はい。
03:00
はい。
みなさん3人のプロがですね、楽しく話をしていただけると思いますので、
みなさんぜひ楽しく聞いていただければと思います。
はい。みおさんにバトンタッチします。
はい。わかりました。
では、あこまちゃん、えいちゃんこんばんは。
あこまさんこんばんは。
えいさんこんばんは。
みなさんこんばんは。
こんばんは。ありがとうございます。
すごいですね。
すごいですね。
では、流れるように、こんばんぶー。
ぶーさんこんばんは。
ぶーさんもいるよ。
ぶーさんもいるよ。
はい。では、えっと、
今日ですね、このひろのぶさんと古市かづきさんをゲストにお迎えして、
わたくしのチャンネルで対談をするという、
いったいどんなつながりがどんななってるんだろうって、
みなさま気になってらっしゃるかと思いますので、
今日はちょっと自己紹介を少し前にしながらお話ししていこうかなと思ってますが、
かづきさん、ひろのぶさんよろしいでしょうか。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ではですね、先にわたくし、
ですね、紹介することもないんですけど、
わたくしミオ夢月夜と申します。
FM毎日放送を7月の16日から始めてまして、
7ヶ月ぐらいになりました。
毎朝6時1分にミオの生きるラジオっていうのを楽しくやってますので、
よろしければ、はい。
謎のつながりですが、
はい、よろしければ聞いてください。
よろしくお願いします。
イエーイ。よろしくお願いします。
では、かづきさん、お願いします。
はい、よろしくお願いします。
ミオライブの皆さんでよろしいですかね。
リスナーの皆さん、初めましての方が多いと思いますけれども、
初めまして、古市和樹と申します。
交通事故で首に骨を負って死にかけて、
そして現在はジストニアっていう風な病気を抱えながら、
講演家として活動させていただいております。
奇跡の講演家、古市和樹でございます。
よろしくお願いします。
イエーイ。
今の短い間にたくさんいろんなポイントがあった気がするんですけど、
福信さんに今の事故紹介の中で聞いてみたいことはありますか。
そうですね。もしかしたらこの後のお話であるかもしれないんですが、
06:02
首の骨を負った事故ってすごい大きな事故だと思うんですよね。
そのあたりの話が皆さんはどういうことだろうと思ったと思うんで、
そのあたりに聞かせていただけると嬉しいかなというふうに思うんですが。
そうですね。またお話しさせてもらいます。
さっきね、一番お若いっていうことをコメントいただいたんですけど、
全然言ってなかった。ごめんなさい。25歳です。よろしくお願いします。
イエーイ。
私と同い年。イエーイ。
同い年。
イエーイ。
私も同い年。
同い年。
はい。ひろのぶさんのご質問に。
首の骨を事故で折っちゃったんですか。
そうですね。8年、9年前の17歳の時、高校3年生の時ですね。
父の運転する車で骨事故にあって、
僕自身は首の骨を折るっていう大事故になりました。
そうなんですね。
はい。
8年前っていうことは今はもう感知されて、
お仕事、生活をされてるんでしょうか。
それがですね、感知して何の後遺症もなく普通に生活をしてたんですよ。
してたんですよ。
そしたら今度は3年前にですね、
突然原因が全くわからない全身性ジストニアという風な病気を発症しました。
拍手はおかしいか。
発症しました。
教えてもらってもいいですか。ジストニア。
はい。ジストニアっていう風な病気、皆さん聞きなじみのなかなかない病気だと思うんですけれども、
神経の病気でして、突然手足が震えてくるみたいな。
そんな感じの病気だったりとか。
勝手に手が動いて、屈曲して手が動いちゃって固まっちゃったりとか。
手が強烈にグーになって、爪が手のひらにめり込むぐらい、
手を握って開かなくなったりとか。
そんな感じの病気を、大体糖尿して3年目とかになるんですけど。
それをきっかけで今こういう活動させてもらってるんでね、ご縁ですよね。
はい、そんな感じの病気です。よろしくお願いします。
お願いします。そこから奇跡の後援家というのにつながるんですかね。
そうなんですよ。そこから奇跡の後援家というのにつながります。
奇跡とは、今までのその人生自体が奇跡だったんですか。
そうですね。まさにおっしゃっていただいた通りで、
特に何が奇跡かっていうと、大きく1つ、2つ、3つ、4つみたいな感じなんですけど。
1つはですね、その骨事故の時に首の骨を折ってしまって、
09:02
最初何を医師から言われたかっていうと、一生の車椅子生活です。
二度と自分の足で歩けるようになるとは思わないでください。
っていうふうなことを言われました。
当時の僕っていうのは、バスケットとダンスにすごく打ち込んでいてて、
バスケットの冬の大会に出るために練習したりだとか、
ダンスの発表会のために練習してるみたいな時期だったんですけど、
そのタイミングで交通事故にあってしまって、
もう二度とバスケットかダンスとか、そんなレベルじゃない。
歩けるかどうかっていうところを言われてたんですけど、
なんと3週間で退院しまして、リハビリも終えて、
9月に骨事故、9月に首の骨折って、
12月にもう踊ってるっていう奇跡体験を1つしております。
平信さんすごいですね。
本当にすごい。まさに奇跡の講演家ですよね。
最初、もう歩けるようにはならないですよってお医者さんに言われたんですよね?
そうですね。僕というか母が言われてたらしいんですけど、言われてました。
だけど12月にはダンスをしてたと。
はい、もう踊ってました。
それは、和木さんの中で何が起こったからそうなったと思ってますか?
これがですね、その骨事故っていうのは父の運転する車だっていうことを言ってたと思うんですけど、
その骨事故で僕の父は亡くなってます。
その時に母がかけてくれた言葉っていうのが僕の中ですごく大きくて、
すごく大切な言葉を母からもらったんですけれども、
何をもらったかっていうと、
お父さんはひょっとしたら死ななくてよかったかもしれない。
僕と、あとで弟も乗ったんですけど、
僕と弟と、あと父と、
全員が後遺症を持ったまま生き残るっていう風な道はあったかもしれない。
ただお父さんは神様的なものと、
何か見えない何かがすごい壮大な力のもと、
何かの契約をして、命の契約をして、
全てを引き受けて持っていってくれたから、
今こうやって元気に生きてるんだよっていうようなことを母に教えてもらって、
だからこそ一生懸命生きようねっていうようなことを母が言ってくれました。
そのおかげですごく頑張れたっていうのがありますね。
小野子さん、ちょっと私は言葉が出ないんですけど。
本当に壮絶な出来事があって、
12:03
そして和樹君が生かされた命ですよね。
その生かされた命をこうやって講演家として、
若い人たちに、若い人たちだけじゃないな、
話を聞いてくれてる人たちに勇気や希望を与えてるっていうのは、
やっぱり天国で見てくれているお父さんも、
頑張れというふうに思ってるんじゃないかなってすごく思いますね。
私も2人の子供が大きいんですけど、いるんですけど、
よく熱出したりとか、何か具合悪くなったりしたら、
変わってあげたいって思うんですよ、親って。
それをお父さんは自分の命、神様と契約して、
元気をプレゼントしてくれたんだなって、
今思ったらちょっと言葉が出なくなってしまいました。
そうなんですね。
これは本当に奇跡というか、
生きるためにお父さんがくれたプレゼントですね。
そうですね。本当にだからこそ一生懸命、
生きていかなきゃいけないなっていうふうに思ってたところ、
突然、今度はジストニアっていうふうな病気になって、
手足が震えてきて、仕事ができなくなったんですよね。
その時に母が、僕が講演家を目指すきっかけにある、
大島圭介さんの講演会に連れて行ってくれたんですよ。
大島圭介さん、はい。
日本を代表する、日本トップの講演家の方なんですけれども、
その方の講演会に連れて行ってもらって、
ちょっと挨拶もさせてもらう機会があって、
その時に、ついさっきまで、
誰もが感動し涙するような講演会をしてた方から、
会ったその日に、君は講演家になれるって言われたんですよね。
ごめんなさい。話がちょっと繋がらないんですけど。
いきなりぶっ飛んでますよね。僕も繋がってないんですよ。
どういうことかっていうと、その時僕はつれついて歩いてたんですよね。
病気をしてたので足が震えたっていうのも。
つれついて歩いてて、その時に圭介さんに挨拶させてもらったんですね。
そしたら、圭介さんたちはすごく遠慮せずに、
気にかけずに聞いてくれるっていうのがあって、
その杖はなんでついてるのっていうようなことを言ってくれたんですよ。
そしたら、この病気でっていう話をさせてもらった時に、
その次の言葉で君、講演家になれるっていきなり言われたんです。
言われていましたよね。
15:01
そうです。なっちゃったんですよ、それで。
講演家になっちゃったんですよね。
講演家になれるって言われて、
分かりました、なりますって言ってなっちゃった感じですか?
どうやったらなれますかって聞いてましたね、その後に。
もうじゃあ、なる前提なんですね。
決定してましたね。どうやったらなれますかっていうふうに聞いてて、
いろんな経験をするといいよっていうふうなことを教えてもらった時に、
僕はじゃあなれるかもしれないっていうふうに思って、
そのまま講演家になりますっていうふうな宣言をさせてもらって、
半年後に学校で講演レビューをさせてもらうっていうふうな、
そういったところも奇跡の巡り合わせで、奇跡の講演家として誕生した、
っていうふうな経緯があります。
奇跡を引き寄せまくりですね。
引き寄せまくりですね。
分かりました、奇跡っていう意味が。
ありがとうございます。
本当にそうですよね。
ただね、もう一つ面白い話をさせてもらっていいですか。
もちろんもちろん。
今ね、話聞いててね、僕も実は思い出したんですけど、
僕も実は大島恵介さんのキャラ番隊でお手伝いをしたことがあるんですね。
で、僕はそのお手伝いの時に、
なんていうんですかね、実際イベントが始まる前に、
スペシャルクルーですね、スペクルーの人たちは、
大島さんと少しだけお話をさせてもらえるような時間を持ってもらえるんですよ。
で、大島さんに質問ないですか、なんていうコーナーがあって、
僕はね、手を挙げたんです、パッとね。
その時僕は、やっぱり講演家になりたいなと思っていて、
大島さんの講演は本当に素晴らしいので、
僕は手を挙げて、
大島さんのような人を魅了するようなお話をするにはどうしたらいいですかねっていうふうに質問をしたんですね。
その時にやっぱり大島さんが、いやもう十分慣れてますよってやっぱり言ってくれたんですよ。
もうすでになってたんですね。
なので、僕には古市義雄さんというね、尊敬する講演家もいるんですが、
その2人が僕を導いてくれてるなと、僕もそんなふうに思ってますね。
ここにもいらっしゃいましたね、奇跡の講演家が。
いや、僕はその奇跡はないんですけどね。
僕はもうありふれた相談員としているんですが、
そういうふうに言ってもらって、確かにかずきくんが勇気をもらえたっていうのはよくわかります。
18:00
そういう魅力を持ってる人です、大島圭介さんという方はね。
では、かずきさんとひろのぶさんのつながりっていうのは、
これはね、ひろ兄さんなんですよね。
ここでひろ兄さんが登場するんですね。
そうなんです。
はい、登場です。ありがとうございます。
登場です。
登場したところで、続々と皆様来ていただいてまして、ちょっとお名前言ってもいいですか。
バキンさん、まこにぃさん、ウォルターさん、トウモさん、アポロさん、にぃさん、ありがとうございます。
いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
ここからですね、かずきさんとひろのぶさんとひろ兄さんの慣れ染めを聞く感じになるわけですね。
ひろのぶさんとひろ兄さんの3人のイチャイチャを見ていただければ。
サンズラブになっちゃいますか。大丈夫ですか。
サンズラブの話になっちゃいますけど。
展開していこうかなというふうに思ってます。
ひろ兄さん、お願いします。
まずひろのぶさんはですね、大島恵生さんの予宿の講演会があって、それのスペシャルクルーでボランティアスタッフですね。
そこで2022年ですよね。
そこでちょっと出会ってですね、実は家も近いということもあったり、あと同い年ということもあって、
あとひろのぶさんが、これからお話すると思いますけど、居場所を広げるという活動に私は話を聞いて共感して、
ひろのぶさんとイチャイチャしたいなと思いまして。
かずきさんも大島恵生さんの予宿の講演会を知り合って、かずきさんのお母さんとも知り合って、
そこにAちゃんが出てくるんですけども、池おじさんのひとりAちゃん。
Aちゃんから繋がったんですね、そういえば。
繋がって、そこでかずきさんというかての講演家、奇跡の講演家がいるってことでそこで知り合ったと。
かずきさんとひろのぶさんは向かってる方向は同じなので、
この二人を繋げたいなと思って、繋げさせていただいたというような経緯になります。
よろしいでしょうか。今のでわかりますかね。
今のでわかりました。
かずきさんとひろのぶさんはイチャイチャしてるんですか?
21:02
イチャイチャはちょっと年の差があるので。
息子みたいな、息子と同じ年齢ぐらいなんですよね。
そういう感じですよね。
今後この対談が決まったのは、ひろにぃさんつながりで、かずきさんとひろのぶさんと3人でという感じなんですか?
そうですね。前も一回やったんですけど、去年ですね。
ぜひまたやりたいなっていうところと、
あとやっぱりプロのナビゲーターのみおさんがいるので、
みおさんに引き出していただきたいなと思いまして、今今回になったということになります。
ありがとうございます。
僕とひろにぃさんは、キムタク世代なんですね。
キムタク世代っていうのは今年で52歳なんですよ。
それで、かずき君は今度誕生日が来るって言ってましたっけ?
誕生日がそうですね、3月に来ますね。
だけど今は25歳なんですね。
なので2552なんですよね。
それで初めてやったときに、もう一度この2552で一緒にコラボしたいねなんて2人で話していて、
今日それが達成できて、3月になるともうかずき君は26になっちゃうので、
2552が叶わなかったんですが、今回叶うことができました。
おーすごーい。パチパチパチパチ。
パチパチパチ。
こんばんはー。
そうですね、2552。すごいですね。なるほど。そういうつながりがあったんですね。
そうなんです。
つながってるのかつながってないのかわからない。
確かに。
つながりを感じますよね。僕たちは勝手に感じて終わったよね。
そうです。もう絆があります、そこにはね。
確かに。皆様、確かにってコメント入れてくださいね。
ということで、そのキムタク世代のヒロノブさんを、今回初めて、お声はセッションで聞いてるよっていう方多いかと思うんですけど、
ライブでも初めての方もいらっしゃると思いますので、ヒロノブさん自己紹介お願いします。
はい、僕の自己紹介させてもらいます。
本当に僕のことを初めて知る方もいらっしゃると思うので、基本的なところも含めてお話させてもらいたいんですが、
僕は名古屋にある大学の学生支援センターというところで、毎日悩みを抱えている大学生の相談を受けていると、そんな仕事をしています。
今日も昨日も、明日も。明日は違うな。明日は違う。お休みをもらってるんですが、大学生の相談を受けています。
24:07
小さな大学なんですが、やっぱり悩みを抱えている学生って多くて、年間ではだいたい3000件ぐらいの相談が入るんですね。
僕一人じゃないですけどね、職員が何人かいますが、その支援センターに3000件ぐらいの相談が入ります。
なので僕は本当にいろんな学生を、そんな仕事を、僕は大学の職員になって調べたらもう30年近く経ってて、
こういう学生支援の仕事をしてもう20年ぐらいになるんですかね。
そういうように学生のことをずっと見てきていますから、いろんな学生を見ています。
そういう中でね、強くて元気な学生もいるんですが、
これなんて生きている価値がないとかね、私にはどこにも居場所がないと。
そういうことを言って、大学生なのに僕の目の前でボロボロ泣くような子もいるんですよね。
そういう子たちを何とかしてあげないと僕は思っていて、支援センターの中では、
価値がないという子には、君は僕の宝物だよという言葉を必ず言うようにしますし、
どこにも居場所がないという子には大丈夫、僕は君の居場所になるよという話をしているんです。
そうやって彼らを支えているつもりなんですが、
やっぱり全国を見ると、それだと大きすぎるかもしれませんが、支援センターに来れずに悩みを抱えている子ってたくさんいるんですよね。
子っていうだけじゃないと思いますが。
そういう人たちに少しでも居場所を広げるっていう活動ができないかと、
そういうことを考えて、初め何していいかわからなかったんですが、
まずはYouTubeでそういったことを発信していこうと思って、YouTubeを始めたんです。
それから講演家を目指したりとか、本を出したりとか、
そういうことをして、元気がない、下を向いている、夢をなくした孤独な人たちに対して居場所を広げていく。
僕一人の力では無理だと思うんですが、たくさんの人に協力していただいて、居場所を広げていく。
そういう活動をしたいと、なんでもう4年前YouTubeを始めた頃からずっと言い続けている活動になります。
ありがとうございます。4年前からYouTubeをされてるんですね。
今、1000人以上の登録者がいるってこの前おっしゃってましたけれども、
学生さんってことは、和木さんと年齢が近いですよね。
そうです。
その和木さんと年齢が近い学生の方が生きている価値がないっていうふうに思ってしまう。
27:00
っていうのは、和木さん同じ年代から見てどういうふうに思いますか。
ちょっと抽象的な質問なんですけど。
僕も講演をさせてもらってるからことをすごく思うのが、
自分の価値に気づくっていうところって、なかなか難しいと思っている人たちがたくさんいるんだなっていうふうなことを、
こういう活動をしててすごく感じるようになって。
自分に価値を見出せてないからこそ自分に居場所がないっていうふうに思っている人たちだったりとかっていうのは、
かなりの数がいるなっていうふうなことを感じてて。
その中で、めちゃくちゃいろんな人たちにものすごい可能性だったり、価値だったり、すごいストーリーだったり、
後ろを振り返ればついてきてくれる人っていうのは絶対にいるはずなんだよっていうふうなことっていうのは、
やっぱり伝えていかなきゃいけないなっていうふうなことは、答えになってます。
めちゃくちゃなってます。
私は全然25歳じゃないですけど、
何もしてんでもないですけど、
自分の価値はないと思ってましたね。
今でも思ってるかもしれない。
なので、和木さんがおっしゃってることはめちゃくちゃわかります。
そもそも価値って何なんだろうって思ってしまうタイプですね。
広沼さん、価値って何ですかね。
今の若者たちは、本当に自分に価値がないと思ってる子が多くて、
その価値を僕たちは伝えたいと思いますよね。
僕が言うように、君は僕の宝物だというわけだから、
価値があるんだよってことを僕は伝えているわけなんですけど、
なかなかそれを実感として彼らは持てないんですよね。
それはなぜかというと、僕はこういうふうに思うんですよね。
夢を持たなきゃいけないっていうことを大人はよく言いますよね。
僕も夢を持つことはすごく大切だと思うし、
それがその人のバイタリティーもなるし、価値もなっていくと思うんですけど、
僕の目の前に来るボロボロ泣いている子たちは、
そうやって言われることが辛いんですよね。
なので、簡単に夢を持ってほしいっていうことが言えないなっていうことを僕は最近すごく感じるんです。
なので僕は彼らに言うのは、
30:03
誰かに感謝してもらうこと。
それが君の価値だと思ってもいいと思うよと。
夢がないと、やりたいことがないと、向かっている道がないと、
自分には価値がないって思っちゃうんですよね。
自分の価値は、やりたいことがあるとか、バリバリ頑張っている人とか、
輝いている友達たちが周りにいるので、
それが人の価値だみたいな感じに彼らは思っていて、
それができない自分を比喩して、自己肯定感が低くなって、
それでも頑張れ頑張れって言われるから、
辛くなって、逃げたくなって、苦しくなってくるんですよね。
なので、そこじゃないっていうことを僕は伝えてあげていて、
感謝してもらうこと。
それって何ですかって、分かんないっていう子もいるんです。
その時に僕がよく言うのは、
今日、家に帰る途中で、コンビニでシュークリームでも買って、
それをお母さんにプレゼントしてみろと。
心配かけてごめんねって言って、シュークリーム渡したらどうだと。
それでお母さんがありがとうって言ってくれれば、それがお前の価値だって。
感謝をされることがお前の価値なんだと。
そういう、この人がいてくれてよかった、
お前がいてくれてありがたかったって言ってくれる人を、
一人でも多く作っていきなさいと。
それが君の価値なんだと思うよと。
そういうふうに僕は言うんですね。
なるほど。感謝してもらうこと。
そうですね。
和木さん、今日、ありがとうを言ったり、言われたりしましたかね。
そうですね。言ったり、言われたりありますね。
実はたくさんある気がしてて、
皆様も今日、例えばお買い物行ったりとか、家族と一緒に過ごしたりして、
ありがとうって何回ぐらい言いましたか。
何回ぐらい言われましたか。
私、今日買い物行って、店員さんにありがとうございましたって言われたし、
私もありがとうございましたって言った。
感謝しあってますね、ひろさむさん、私。
いいと思いますよ。
この間ね、違う講演でね、
1万回言ってたかな、3万回言ってたかな、
ありがとうを言い続けたっていう人がいて、
それはね、もう何でもない時でもありがとう、ありがとうって言うんだって言って、
本当にありがとうをされた時に感謝のありがとうを言うのもそうだけど、
何にもない時にありがとうを言う。
そして今度はね、嫌なことをされた時にもありがとうって言うっていう風に彼は言ってたんですよね。
そうしたら人生が変わってきたって言って。
嫌なことをされた時。
ありがとう、そういうことに気づかせてもらったとか、
33:02
それでもありがとうを言うんだってね、そんな風に言ってました。
そうしたら人生が変わってきたっていう話をね、
ことだま塾っていうコミュニティの中ではそんな話を聞きましたね。
そうですね。
なるほど。
かずきさんは嫌なことをされたり言われた時にありがとうって言えますか?
なかなか言うのは難しいですよね。
ですよね。
嫌なことをされた時とかっていうのに感謝っていうのはやっぱり僕もまだまだできる部分ではないんですけど、
やっぱり人生がこうだんだろうな、
好転してきたなとか、逆転できてきたなっていう風に
覚えるようになったタイミングっていうのが、
何に自分自身が感謝できるようになったかっていうのは明確にあるものがあります。
タイミングっていうことか、出来向きですか?
タイミングだったりすると思うんですけど、
僕自身で言うと、
突如事故の経験、そして今東洋として突入に戦っている自分自身のミストニアという病気、
ここに僕自身が感謝できるようになってから、
すごく人生が前向きになって明るくなって、いろんな出会いがあって、
そういうことが明確に起き始めてきたなっていうところがあるので、
やっぱりさっき広信さんが言ってくれたみたいに、
嫌なことされてもありがとう。ここに関してすごく難しいと思う人もいると思うんですけど、
今自分が感じている困難にどれだけ感謝できることかっていうふうなことを、
その方はわかりやすく言ってくれてるんじゃないかなっていうふうに僕は感じました。
なるほど。
和木さん、自分の病気に対して感謝を感じてるっておっしゃってましたよね。
はい。
病気になると辛くて痛いし、
なんで自分だけってなると思うんですけど、
そうではなく感謝って思えるその心っていうのは何かきっかけがあったんですか?
そうですね。先ほど三尾さんが言ってくれたみたいに、
かなり辛かったですし、なんで俺がってもちろん思いましたし、
泣いた日もありました、この病気になってから。
ただ、やっぱり今自分がやらせてもらっている活動だったりとかっていうところは、
この病気がなかったら、おそらく僕やってないんですよ。
なるほど。
この病気になったからこそ、失ったものっていうのがたくさんあります。
ダンスができなくなったりとか、バスケットができなくなったりとか、
36:01
自分の中で自分が最も表現できる自分の能力の宝物であるものはダンスだと思ったんです。
それが明確に失われた中で、自分に残っているものっていうものが
本当に分からなくなったっていうのがあるんですけど、
その中で今この自分の病気があるからこそ、
再び踊ることに対する活力にもなり、ワクワクにもなるし、
自分がそれを克服して乗り越えて、もう一回ダンスのステージに立つという夢があるんですけど、
その時に一体どれだけの人に感動してもらえるんだろうっていうようなことを考えるときに、
自分が今までただこの病気にならずにただ踊っているだけでは、
到底届けられなかった感動っていうのが、今の自分には届けられるなって思ったときに、
この病気になれてよかったなというか、自分はすごくラッキーだとなっていうふうに思うようになった。
いやー、ひろのぶさん、私は今日もちょっと累戦があれですけど、
本当にね。
かずき君と同じ苗字の、さっき僕が名前を言った古市義雄さんというね、
僕の尊敬する講演家がいるんですけど、
その古市義雄さんもまさにかずき君と同じようなことを言っていて、
古市さんは、それこそバイクの事故で全身が火傷れてしまうんですよね。
それで病院にいて、それこそよくテレビでも見ますよね、
包帯ぐるぐる巻きになっている状態で、あるときその包帯を取る日が来るんですよね。
その姿を見たときに、どうして自分を生かしたんだと、殺してほしかったと、
その姿を見て、もう自分じゃないと、そこには怪物がいたって彼は思うんですよ。
でもそれでも古市義雄さんが生きているということを、
たくさんの人に聞いてもらったらいいって言って、古市義雄さんは講演家になるんですよね。
それで古市さんが頑張っているその姿を見て、
たくさんの方が古市さんの頑張りで私は頑張ることができているんですと、
こんなにいじめられてても古市さんのことを考えれば頑張れます。
こんなに虐待を受けてても古市さんのことを考えたら頑張れますっていう、
お手紙をいっぱいもらうんですよね。
それで古市さんはずっとあの事故の前に戻りたい、
あの事故の前に戻りたいとずっと思い続けて生きてたんですけど、
あるとき小学校に講演に行ったときに、
ある小学生が古市さんにタイムマシーンがあったら、
あの時の前に戻りたいですかって質問をするんだそうです。
それを聞いて古市さんは戻りたいと自分が言うと思ったのに、
そこでふと今までのことを思い出して、
39:02
あの時に戻ってしまったら、
今こういうことを伝えることもできないし、
それで人を勇気づけることもできない。
僕はあの時に戻らない方がいいんじゃないかって言って、
その小学生にタイムマシーンがあっても、
タイムマシーンには乗りませんと。
なぜなら今を僕は幸せに思っているからですと。
っていうことができたって言うんですよ。
なんでその大きな事故を彼は会ってよかったと、
そういうふうに思えたと、そういうふうに言ってましたね。
まさに今、和木くんが言ってくれたのと同じ感覚なんだなというふうに僕は思いました。
そうですね。
多かれ少なかれ生きている中で、
楽しいことしかない人って絶対いないじゃないですか。
小さなことかもしれないけど、
辛いことって毎日起きてて、
だけどその辛いことがあったから、
今があって、
和木さんが和木さんじゃなければここにいないわけですし、
ひろにんさんとひろのぶさんと和木さんが出会うこともないですし、
今日というこの場が起こらなかったわけですよね。
そう考えると、いらない過去はないんだなって今思いました。
そうですね。
そして和木さんがダンスをするところを想像して、
私はお母さんの気分になってもうちょっと泣いてしまいました。
僕の話が取れちゃうのであまり多くは語らないですけど、
僕のダンスの復活ステージに関しては、
相当とんでもないことになってきてますね、ひろにんさん。
そうですね。
ダンスプロジェクトが主導してるってことですか?
もう実はちょっとずつ進んでいってて、
どこで踊るか。
そしてゲストで誰が出るか。
ちょっとね、とんでもないことになってきてます。
まだ僕踊れないのに。
ゲストで踊るのはもちろんひろのぶさんとひろにんさんとAちゃん。
マイムマイムぐらいな歌い方を踊りましょう。
同じく。
みんな踊れるよ、マイムマイム。
マイムマイム踊りましょうか。
みんなで踊ろう。決まりましたかずきさん。
みんなでマイムマイムでございます。
マイムマイムって何なんだろう。
たぶんかずきさん知らないよね。
分かんないな。
キムタク世代しか分かんないんですよ。
42:03
え、そうなの?私キムタク世代じゃないけど。
そうですよね。25歳ですもんね。
そうか、ではかずきさん今日の宿題はマイムマイムという。
見てください。
勉強してきます。
そっか、当たり前にみんな知ってるもんだと思ってました。
確かに。
今マッチキンさんが遅れましたということで来ていただきましてありがとうございます。
ありがとうございます。
母さんが伝授してください。
え、鳥刺しさんの息子さんマイムマイム知ってるってかずきさん。
中1の息子さんですね。
え、なんでなんだろう。
僕分かってないな。
小学校とかで習ったような気がするんだよな。
宿題で。
このライブ終わったら速攻でYouTube開きます。
よろしくお願いします。来週テストに出ますから。
ということは来週もコラボライブが決まったってことでよろしいですか。
挑戦的になったかもしれないですね。
そうそう、ちょっとコメントを遡って
ウォルターさんが小林政官さんの教えですねって25000回のありがとうっていうのコメントいただきましてありがとうございます。
すいませんという言葉をありがとうに変えましょうと。
日本人は何かあるとすいませんって言葉の最初にすいませんって言うけど、それをありがとうに変えると
ありがとうに気づける人になるよっていうお話だったと思うんですね。
私も実はすいませんばっかり言う、下向いてすいませんっていう人間だったので
そこからすいませんを少しずつありがとうに変えてきて、今もう10年ぐらいになるのかな。
やっぱりありがとうっていう言葉は魔法の5文字だと私も思ってます。
いいですね。
ウォルターさんありがとうございます。
僕ちょっと一つ皆さんに伝えたい話が出てきたので、喋ってもいいですか。
もちろんです。お願いします。
ありがとうございます。
とある方から僕もこれを教えてもらって、これはすごい話だなっていうふうに思ったことなんですけど
皆さんぜひちょっとね、絵文字でも表現できるものですし
画面の前でちょっとね、やってほしいなって思うことなんですけど
今先ほどあがったありがとうを表すジェスチャーって一体どんなものがあるんですか。
ありがとうを表すジェスチャー。絵文字とかでも表すジェスチャー。
45:00
先日ありがとうございましたってコメントで打つときの絵文字とかって何が出てくるか。
よかったらコメント欄にあげてみてください。
ありがとうを表すジェスチャー。それに付随する絵文字。
そしたらちょっと思いついてもらったら。
じゃあ次行きますよ。
はい。
次行きます。
今絵文字は顔文字で送ってくれてるんですけど、ジェスチャーに付随する絵文字で送ってほしいです。
ジェスチャーに付随するですね。はい。
ジェスチャーを表す絵文字っていうのが多分あると思うので。
うんうんうん。
そしたらじゃあ次行きます。
はい。
ごめんなさいとかすいませんを表すジェスチャーってどんなジェスチャーですか?
あー。
色々な絵文字見てます。
はい。
そしたら次は祈るジェスチャー。よろしくお願いしますってするときのジェスチャーってどんなの?っていうのを皆さんちょっと思い浮かべてほしいです。
で今コメント欄に色んなものを送ってくれてます。
今本当に色んなものが便利になってきてるので色んな顔文字とかっていうのが表現されてると思うんですけれども。
まず僕が今からコメント欄で出していきます。
はい。お願いします。
おそらく皆さんコメントで打ってるとこういう風に色んなものがあると思うんですけど、
実際に自分たちの手で体で表すときですね。
ありがとうございます。こういう風にするんじゃないでしょうか。
ごめんなさい。こういう風にするんじゃないでしょうか。
よろしくお願いしますってこういう風にするんじゃないでしょうか。
これはご実家がお寺をやられてる方から教えてもらったことなんですけど、
日本人っていうのは、ありがとうを表すとき、そして謝罪を表すとき、そして祈りを表すとき全てに手を合わせる。
この行動自体がものすごく愛で溢れてる行動なんだよっていうようなことを僕は教えてもらいます。
だからありがとうって言ったり、ごめんなさいって言ったり、この子のことよろしくとか、
48:01
今日よろしくお願いしますって言ったりとかっていうこの動作がついてないんですけど、
この言葉には全てその裏に愛があるんだよっていうようなことを教えてもらったときに、僕めちゃくちゃ感動したんです。
この話をごめんなさいをありがとうに変換するっていうようなことを教えてもらったときに、
その裏には全て同じ感情が含まれている、同じ思いが含まれているっていうようなことを伝えたくなって、
皆さんにお伝えさせてもらいました。
確かにそうですね、手を合わせるっていうのはね、
視野を合わせて幸せってよく言いますけどね、手を合わせる。
確かにそう言われるとごめんなさいもありがとうもすみませんもね、みんな手を合わせるジェスチャーになりますよね。
愛が溢れてるんですね。
かづきさん、実はですね、私の今目の前に、
倉間寺っていうお寺のしおりがあるんですよ。
いつかスタンドFMでお話ししようと思って、ずっと目の前に置いてあるんですけど、
ちょっとその言葉を言ってもいいですか。
皆様もぜひジェスチャーをしていただければと思います。
寮の手を合わす合唱は、
元来インドや東南アジアで行われる礼法で、
神物に限らず相手を尊敬する姿です。
心を込めて手を合わせて祈り、
全てを仏に委ね、
ありがとうと感謝の念を捧げるとき、
ほのぼのとした喜びと安らぎに包まれるでしょう。
って書いてあるんですね。
ちょっと鳥肌が立ちました、私今。
もしかしたら、かづきさんが聞いたお寺の話と、
この倉間寺って何かつながっているのかもしれないですけど、
私たちそうですね、手を合わせますね。
なんと素敵な時間でしょう。
こんなに寒いはずなのに、
暑くなってきました、私。
ありがとうございます。
広野武さん、どうでしょうか。
51:00
寝ながらも暑くなり、
本当ですね、暑い。
いい話ですよね、本当にね。
広野武さんは何か、手を合わせるとか、
感謝とか、生きるっていうところで、
毎日気にしてるよとか、
こういうことを発してるよっていうのはありますか。
僕ね、ライブ配信をしているときにね、
夢を持って頑張ろうみたいなことを言ったときに、
あるリスナーさんがね、
私には夢がないと言って、
それだけじゃなくてね、結構厳しいことを言ってきた方がいたんですよ。
それは何かというと、
夢を持てなんて無責任なことを言わないでくださいと、
僕に言ってきてね。
夢がある人っていうのは、
明日のために今を生きてる人なんですと。
だけど、今私たちは、
今のために今を生きてるから、
夢なんか持てませんと。
僕はね、そのときに、さっきの話じゃないけど、
シュークリーム食べたいとか、そういうことも思わないですかって聞いたら、
そんなことすら思えませんと。
今を生きることに精一杯なんです、私はと。
言ったんですよね。
その方からね、DMまでもらって、
DMでやり取りをしたんですね。
そのときにね、僕は一生懸命考えたんですよね。
そのときに書いたエッセイがあって、
それがね、一番小さくて一番大切な夢っていうね、
そういうエッセイを書いたんですけど、
一番小さくて一番大切な夢って何なのかなと。
自分なりに考えたら、
シュークリームを食べたいって夢すら持てないっていう人に、
何か夢を持ってほしい。
何だろうかなと考えたんですね。
そのときに僕が浮かんだのは、
生きようと思うこと。
それが一番小さくて一番大切な夢なんじゃないかなと。
さっき、ありがとうってやっぱり人から言われることって大切だって僕話したんですけど、
生きていることが周りの人からすれば、
もうそれだけでありがとうなんですよね。
生きているっていうだけで、
もうその人が死んでしまえば、
周りの人は悲しんで辛くてしょうがないですもんね。
だからその方が、
私は生きることに精一杯なんですと言ったんですけど、
それこそが一番小さくて一番大切な夢を叶えてる、
毎日毎日毎日叶えてることになるんじゃないかなと。
で、その小さな夢を叶え続ければ、
いつの日かシュークリームが食べたいっていう夢も、
出てくるんじゃないかなと。
そういう風にね、最後そのDMで僕はその人に伝えたんですね。
ただその人はね、
分かりましたと、精一杯生きようと思いますという返事をくれたんですけどね。
うん、やっぱり生きるっていうことって、
54:01
本当にみんなを喜ばすことなんじゃないかなと、
そんな風にね、思いました。
ありがとうございます。
一番小さくて一番大切な夢は、
一番大切な夢、生きようと思うこと。
とても重たい言葉だなって、私は思いました。
かづきさんはどう思いましたか。
そうですね、やっぱり、
今、若い人たちの自殺だったりとかっていうところも、
すごく大きな問題になってきている中で、
やっぱり今を生きるっていうところが、
やっぱり一番身近であり一番小さくて、
そして一番壮大な夢であるっていうところは、
僕もすごく共感するところがあるなというふうに思っていて、
やっぱり今を生きるっていうところに、
すごく苦しみだったり絶望を感じる人たちっていうのは、
少しずつ増えてきているなっていうところは、やっぱり思ってきています。
その中で、僕自身が伝えていきたいなっていうふうに思っていることで言うと、
皆さんの中の、私はもうだめだって思う理由だったりとか、
何かを始めるために、
いや、無理だろう、やれないだろうっていうふうに思う理由って、
たぶんいくつかあると思うんですよ。
で、実はそれらすべてが、
あなたが何かを成し得るために、
すべてがやれる理由に逆転できるんだよっていうようなことを、
僕は伝えていきたいなっていうふうに思っていて。
逆転できる。
今を諦めている理由が、すべて明日を目指すための理由になるんだっていうようなことを伝えている。
あー、なるほど。
僕で言うと、病気になってしまったから、ものすごくいろんなことを諦めた。
ただ、今は病気になったからこそ、いろんなことをやりたいし、いろんなことにチャレンジしたいなって。
で、ほとんどの何かの分野だったりとかで、すごいことを成し得ている人たちっていうのは、
ほとんどの人だったら、私がこれがあったからここまで来れたんだっていうふうな理由が、
ほとんどそれを挑戦することを諦める理由になる。
例えば、私にはたくさんの、私に今小さい子供が抱えているから、こんなことにはチャレンジは今はできないって思っている人と、
57:08
私には小さい子供がいるからこそ、今ここを頑張らなきゃいけないんだって思っている人。
これは、諦めている理由と頑張る理由っていうのが同じで、どっちを選択するかっていうようなこと。
僕みたいに病気になったから無理だ。病気だからこそ頑張らなきゃいけない。頑張るんだ。
これは、やれる理由とやれない理由っていうのは、実は全部一緒なんじゃないかなって。
そういうようなことを僕は思っている。
今、平野さんが言ってくれたみたいに、今を生きるのが苦しい人たちっていうのは、
それこそが、明日を生きるために頑張れる理由に逆転できるんだっていうようなことを伝えていきたいなって思っています。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
私のために言っていただいた言葉だと、私は取ってます、今。
ありがとうございます。
そう思って感じている方は、この中にもアーカイブを聴いている方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、
本当にそうだなって思いました。
だるちゃん、こんばんは。
そして、屋根浦のしんがんさん、素敵な掛け合いをありがとうございます。
あ、もう、ひろにぃさん、57分になってしまいました。
早いですね。
よく二人の話は私は聞いてるんですけど、もう今日また聞いてしまって、
ちょっともう延長したいぐらいですけど、
まだ時間あるので、またぜひやってほしいなと、やりたいなって思いました。
ありがとうございます。
もう今歌がすごく流れてるんだ、頭の中に。
僕らはみんな生きている。
すみません、ちょっと。
では、10時までっていうことなんで、本当にまだまだどころじゃないけど、
たくさんお話を聞きたかったんですが、
お時間となりましたので、
一言、ありがとうございます。
一言、ありがとうございます。
かづきさん、ひろのぶさん、それぞれ一言ずつ、
こういったお話が聞ける場があると思うんですよね。
直接こういう画面越しではなくて、
生で聞きたいと思いますので、
ぜひ一言ずつ、かづきさんからお願いします。
はい、ありがとうございます。
皆さん、本日は1時間ぐらいですかね。
1:00:00
聞いていただいて本当にありがとうございました。
まだまだ伝えたいことだったりとか、
伝えていきたいことっていうのはたくさんあるんですけれども、
ちょっとでもね、僕たちだったり、僕に
お知ってもらえたらすごく嬉しいなっていうふうに思っています。
そして先ほど、美穂さんが直接聞ける場所がないのかっていうのを
言っていただいたので、ちょっとお話しさせてもらうとですね、
3月23日にですね、
名古屋の名東区文化劇場の方で、
僕の講演会が開かれることになっております。
そしてその講演会なんですけれども、
なんと、小学校6年生の男の子とのコラボ講演になっています。
うーん。
その子自身も交通事故っていうのを経験して、
顎の骨が砕けて、あわや死にかけるっていう経験をした子なんですけれども、
この2人の講演会になっています。
はい。
その講演会で何を学んだのか、どんな感触が生まれたのかっていうことを
皆さんに知っていただきたいなっていうふうに思っていますし、
その講演会のメインっていうのが、
実は僕たち2人の講演会の後のトークセッションにあります。
はい。
そんな事故をしたときに、
その子どもたちに、お母さん、そのお母さんたちは
どんな言葉をかけたり、どんな思いでいたのかっていうことで、
皆さん知りたくないですか?
知りたい。
自分の子どもが育ったときに、
私だったらなんて声をかけたらいいんだろう?
こんな子どもを育てるにはどうしたらいいんだろう?
めっちゃこの質問をもらうんです。
でも僕たちわかんないんですよ、子ども側だから。
うんうんうん。
なので、このトークセッションには、
なんと、僕の母と、そのコラボ相手の木村雷太くんのお母さんにも
友達でいた中村が決定しました!
おーすごい。
それはすごい。
なので、たくさんの人たちにぜひ、
いってらっしゃい。
これは講演会になっておりますので、
またそちらのほうにも参加していただけたら
嬉しいなというふうに思っております。
わかりにくくなりましたけど、
お待たせいたします。
ありがとうございます。
平野部さんお願いします。
ちなみにね、
かずき君の講演会、
僕、ボランティアスタッフできっと会場にいると思いますので、
皆さんぜひ来ていただいて、
僕にも声をかけてもらえたらなというふうに思います。
はい。
僕のほうはですね、
平野部先生が伝え続けている
生きる力がわく話というエッセイ集がですね、
万代宝書房というところから、
3月の2日に発売されます。
はい。
今ね、アマゾンのほうで予約販売ということになっていて、
アマゾンで平野部先生と検索をかければ、
この本が出てきますので、
ぜひね、予約をしてもらえたらなというふうに思います。
はい。
その本の出版を記念しまして、
5月の18日に
名古屋のレジェンドホールというところでね、
1:03:01
出版記念講演会させてもらいますので、
そちらではね、先ほど少しお話をした
古市よしおさんが来てくれて、
お話をしてくれるので、
ぜひ来れる方は来ていただいて、
みんなでワイワイと講演を聞いてもらいたいなというふうに思っています。
よろしくお願いします。
はい。ありがとうございます。
5月の講演会は、僕がボランティアタグでいますからね。
お互い支え合って。
そうなんだ。素敵。
概要欄に今教えていただいた、
3月23日と5月18日と、
あと3月2日の出版と、
リンクを貼っておきますので、
皆様アーカイブ、
10分後ぐらいにはまとめてやりたいと思いますので、
よろしくお願いします。
はい。たくさんありがとうございます。
ひさぽんさん、クローバー、
鳥さしさん、ハート2つ、
こんちゃん、ハート、
ヒロニーさん、ハート、
ありがとうございます。
あっという間の1時間。
アポロさん、ハート、ありがとうございます。
はい。
では、お時間が過ぎてしまったので、
第2回、第3回があると、
ヒロニーさん、
ありますかね。ありますよね。
うん。ありますあります。やりましょう。
はい。
じゃあ、キューピット、ヒロニーさん、
よろしくお願いします。
はい。ありがとうございます。
最後の締めの言葉って、
和木さん、ヒロノブさんありますか?
やっぱりそこは、
ヒロノブさんのあれじゃないですか。
やっぱり。
あれですか。
ヒロニーさんなんか締め、話さなくていいですか?
私は大丈夫ですよ。
本当に、
今日、
2人のお話聞けて、
誰でもよかったなというと、
やっぱりミノさんの、
2人を引き出す力ってすごいなと思いまして、
本当に、
もう、ミノさん、
いい話聞けたんじゃないかな、
というふうに思ってますので、
ぜひ、また2人、
講演会やりますので、
またヒロさん出版しますので、
ぜひ応援してください。
じゃあ、いきますか。
では、いきましょうかね。
今日は、ミオの生きるライブ、
ミオさんと和木くんと、
ヒロニーさんとヒロノブがお届けしました。
このライブに来てくださった、
皆様の未来が、
素敵に輝きますように。
ここでいきます。
せーの。
いいじゃん。
すげーじゃん。
ありがとうございます。
皆様、ありがとうございます。
和木さん、
ヒロノブさん、
ありがとうございます。
そして、
本当にありがとうございました。
では、
3・2・1で終了しますので、
はい、
せーの。
ありがとうございました。
1:06:00
3、
名残惜しくて、
終了せないの。
みんなで、
3・2・1って言ってください。
はい、いきましょう。
3、
2、
1、
1、
じゃあね、バイバイ。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
終了。
失礼します。