1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. ポッドキャストで演劇~問いを..
2024-12-03 28:38

ポッドキャストで演劇~問いを見つける力は争いも無くす

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しょーまさんが、ポッドキャストで演劇を作りたいっていう話を以前した気がする

って話を受けて、シュウの記憶にある話をしてみたが、それとは違ったかもしれない…

ただ、初期の頃ではあったみたいで…


収録日:10月18日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードで、シュウさんとショウさんは環境問題や子供の自然に対する考え方について対話を交えながら、問いを見つける力の重要性を掘り下げています。彼らは日常生活に潜む疑問や新たな知識の発見を楽しむ様子を描写しています。また、問いを見つける力が人々の思考や行動に与える影響を探討しています。争いを少なくするためには、自己対話を通じて感情を分析し、より深い理解を促進することが重要であると述べられています。

未知の理を探る旅
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことは言い詰まり、
未知の理を探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことは言い詰まり、です。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことは言い詰まり、です。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことは言い詰まり、です。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことは言い詰まり、です。
これも本当に脈絡も何もないですけど、最近みっちゃんといろいろ話したりするんですけど、たまたま発電の話になって、それを発電の話してて、どういう風に発電ができるみたいな。
で、その時に、例えば火力発電とかだったら二酸化炭素とか出るよみたいな感じな話をしてて、結果的にその話の結論として、結論というか最後に彼が言ったのが、
シュウさんは環境に優しいねって言った。 え、みっちゃんは僕の生活のこととかもそこを踏まえて僕が話した時に。
どのぐらい知ってるんですか、みっちゃんは。
えーっと、たぶんエアコンとかも使ってないし、水とかも雨水とか溜めて、トイレとかもそれを使って流したりとか、本当にそういうとこまでは話してますね。
ある程度話してくださってるんですね。ありがとうございます。
で、結果そしたら、シュウさんは環境に優しいねって言われて。
嬉しい。
自然に優しいね、環境って言葉を使った方が、自然に優しいか地球に優しいねか言うと、そうなんよって。
めちゃくちゃ嬉しい。子供にそんな言ってもらえるとか、僕どんなご褒美ですかっていうくらい嬉しいですね。
嬉しい。
優しいねって言ってて。
でもなんか、我々は我々でやれるところまでで考えようねみたいな感じで。
そこまで今、別にシール、シールのあれなんで、なんか変に責任感じないように。
シールの?
シール。
シールか、ごめんなさい。
シールの。
シュウさんみたいな生活をシールような、もうあれなんで、変に自分もそうしなきゃみたいに思ったらあれなんで。
できる範囲で考えないとねみたいな話はしてたんですけど。
気をつけてください、僕の。
真似とかされちゃうと逆にまずい気がする。
やりたいというのもそれでやればいいんですけど、彼の自由にそれはやればいいんですけど。
問いを探求する
でも最近本当にもったいないみたいなので、結構その話からいろいろ気にしてくれるようになりましたね。
いやーなんかね難しいなと思ってて、僕もその長男とかが、もうこれも多分話したことある気がするけど、
僕がひょんな感じでというか、もうその生き物の命を大事に的な話もしたことあるだろうし、
雑草も抜かなくて自然な状態にみたいなのをやってたりとか、
マンションから1個建て、今のここの1個建てに引っ越してきてからは、しばらくそういう試行錯誤というか、
極端に振り切ったみたいな感じの時期があったもんで、
もうどんなにちっちゃい虫でも絶対殺さないっていう風になっちゃったんですよね、長男が。
それがちょっと行き過ぎた感じで伝わっちゃったなって思ってて、反省してることの一つなんですよね。
そうなんですか。
うまい具体例がパッと出てこないけど、本当に行き過ぎてたんですよ。
例えばその…
アリが台所にプラッと入ってきたりとか。
入ってきた時ですね。
全てのアリを殺さずに移動させるとかって不可能なんで、
でもそれをやろうとしてたぐらい行き過ぎてたんですよ、長男が。
なるほど。
で、難しいなって思って。
嬉しいんですけど、環境に優しいねっていうふわっとした感じで言うと嬉しいけど、
子供って本当に感覚が純粋すぎるからというか、極端に受け取ってしまう危険性みたいなのもあるなって思うから、
そこはちょっと注意していただいてみたいな。
それは僕自身がやっぱりそこまでできないっていうのもあるし、
虫にしてもですね、虫にしても彼も多分大事にするっていうところはあるにしても、
家の中でアリがいっぱい来たらもうちょっと大事にせざるを得ないとかもあるし、
あとはカマキリを捕まえてて、その後バッタ捕まえた時に、
そのバッタはいいんだっていう。
カマキリが大事なんだみたいなところもあるからですね。
前々回で言ってましたね、同じ虫かごを入れちゃうと全滅しちゃうけどいいって言ったら、
カマキリが好きだからいいって言ったってやつですね。
そういうところもあるから、彼なりのバランスが多分あるんだろうなっていうところですね。
いいと思います。
いろいろちょろちょろ話してるから、いろいろ記憶してます。
やっぱちょっと話したことをもう覚えてもねえみたいな感じで、
庭の草もしゅうさん食べてるっていうのを覚えてました。
メインで食べてるわけじゃないんですけどね。
味噌汁にほんのちょっと草が混ざることもあるみたいな、混ざるというか食べられる草は取ってきて入れることがあるっていう。
冬とかはあんまないから、やっぱ春とかメインですけどね。
なんかそんないろんな話をですね、してたり、
あとはさっきの本にでもあったように、何かこう日頃の日常の中に問いはたくさんあるので、
そういうようなのを意識するように朝小学校に一緒に行くときにいろいろそういう話をしてるんですけど、
そこから逆に問いをもらうことがあったりとかですね。
なんか、あれそういやこれ知らんなあみたいな。
今日はなんかこう、高剛性の話?
それこそ環境の話で、植物が二酸化炭素を擦って、光と水で栄養を作って、
それで酸素を出してくれるみたいな話をしてて、
それに必要なのがこう、緑、葉っぱのその葉緑素葉緑体とかって言われるところであるからですね。
そういう植物は緑だからそういうのができるみたいな話をしたら、
赤かったり黄色かったりするのがあるやないかと。
葉っぱで。
で、紅葉するよねって。紅葉したときは、これは?みたいな。
へえ、どうなんだっけ?
わかんない。ここら辺でわかんないですね。
それはやっぱり紅葉すると効率は落ちるらしいですね。
ざっとGPTに聞いた感じだと、
その新生性は確かめてないですけど、
効率は落ちるらしくて、
でも、わずかながらする合成自体はできるし、
しかもその紅葉自体のその現象が、
その冬に葉っぱが落ちるじゃないですか。
葉っぱが落ちる前にその養分を吸収して、
幹側に吸収して、
その冬に備える現象の影響らしいんですよ。紅葉自体が。
そこら辺も知らなかったから、あー面白えと思って。
いやー、全然知らないですね。
全く。
そういうのに出会うみたいな機会が増えるといいなって。
赤くなって綺麗だよね、秋は紅葉だよねとかいう、
本当に当たり前のこととしてもスルーしちゃってたなーって思いますね。
そんなことだらけですよね、きっとね。
そうですね、大人になるほどそうなっていくので、
子供はですね、そういうのを素直にいろいろ感じたりするものの、
小学生でも身の回りのことの新鮮味っていうのが、
結構もう失われる、失われるってまで言わなくてもいいかもしれないですけど、
あんまり気にならない、もう普段のことですし、
どちらかというとすっごいエンタメ要素というか自分の興味ある方に思考が行っちゃったりもするんで、
普段身の回りのところでなんでこうなってんだっけとか、
そういうようなところのフォローじゃないですけど、
ちょっとそこの好奇心をつつくようなことができればいいなとはちょっと思ってますね。
いやー本当そうですね。
僕また無理やりかもしれないんですけど、
僕が弟に素直にその生態のことを頼めない話?頼めない?わけじゃないんですけど、
むしろ頼んでくればいいのにっていうのを弟が言ってきた話って僕の中ではなってるんですけど、
それがちょっとやっぱそこの問い、根本的な問いというか、
改めて一から考えてみるとみたいなイメージで今聞いてたんですね。
それとちょっと接続するところあるなとか思っちゃってて、
なんか家族だから全然挨拶なしで話しかけちゃっていいでしょうっていうのも、
僕ちょっと違和感だったんですよ。
だからそれは問い?問いっていうのとまたちょっと違うかもしれないんですけど、
問いじゃないですかね。やっぱりそこに何かこう、
疑念というか、そもそも当たり前としていることに対して、
疑念を抱くっていうことが問いだと思うので、
ちょっとざっくり言い過ぎかもしれないですけど、
だから問いですよね。そもそも家族とはみたいな話からもだし、
家族だからその礼儀じゃないですけど、
コミュニケーションのスタンスはフランクが当然でしょみたいなところっていうのは、
本当にそうなのかとか、当然とは何かとかきりないからですね。
だから全然その辺を考えるっていうのは一つ面白いですよね。
なんかすごい違和感があって、言語化が下手だから、
その瞬間は全然気づかなかったんですけど、
なんか多分、なんていうのかな、
一旦弟側もリセットして、すごく久しぶりだしとかいう感覚で、
問いかけるような感じで連絡くれてたら、
僕全然違ったような気がしてるんですよ、勝手に。
ポッドキャストで聞いたんだけど、それすら僕分かってないですからね。
どこでその情報が得たのかすら分かってない。
急にですからね。枕がないっていう感じ。
兄弟とはいえまずは挨拶が入ってもよかったんじゃないかと思ってるし、
久しぶりとかいうので始まったとして、
どこどこで聞いたんだけどとか、SNSで見たんだけど、
足ひねったらしいけど、もう大丈夫?とかから入ってもよかったんじゃないかなと勝手に思ったんですよ。
もう知り合いの人に相談乗ってもらったみたいだけど、
自分は自分でこういう自分にしか持てない視点があるかもしれないから、
少女を聞かせてもらえる?とか聞いてくれてたら、
問いを見つける力の重要性
もっともっと多分喋ってた気がするんですよ。
めちゃくちゃ自分視点のわがままな発想なんですけど、
でもなんかね、親しき中にも礼儀ありっていうとちょっと昔からのコテコテな言い方だし、
でもなんかね、その言い方っていうよりは、
毎日リセットして考えた方がいいんじゃないかなみたいに思っていて、
それこそコテンコミチ石口塾の中に長くいて、
でも最近でも新しく繋がる人がいたりして、
前々から繋がってる人ってその前提をすっぽがしがちになりがちだよなぁとか思っていて、
そこも本当に新たにフレッシュな気持ちで接するみたいな謙虚さをずっと持ち続けてないと結構危険みたいに思ってて、
あんまこれご世話異例が言えないんですけど、ちょいちょいそんな風に思ってるから、
相手側にそれを求めるっていうんじゃなくて、自分はそれに気を付けていかないとなぁみたいに思っているもんで、
それが子供でも問いを持つ力がだんだん失われていくというか、
そこに気を付け続けるっていうのは意識的にやらないとなかなか保てないよなぁって思ったから、
さっきの本の型があるんだったらすごい取っ掛かりとして生きやすいよなぁとか思って興味が湧いたっていう感じですね。
はい。
これはぜひぜひ読んでほしいので送ります。
すいません。一番送料安いのにしてくださいね。
大人はそういうところの大事さっていうのを経験上認識できるじゃないですか。
ですけど子供たちってそこにやっぱり経験が少ないし、意識的にっていうのも難しいし、
意識的にしたいっていう欲望もないと思うんですよね。
そうですね。
だからそこはやっぱり周りの大人がある程度そういう習慣付けみたいなのをフォローしてあげた方が、
あげた方がというかあげたいなっていうふうな感じですかね。
自然と子供は4万回質問するか何かいう言葉が書いてあったかな本に。
それほど自然に子供は出会うもの出会うもの新鮮で、
なぜなぜ機とか何々機ですかっていうのも言うじゃないですか。
っていう自然にできるでしょうけど、結構ある時期を越えて越えるとですね、
なんかその新鮮さっていうのがやっぱり日常になっていくんで、
ただその日常って情報硬すぎるじゃないですか今の時代。
硬すぎる?
情報硬すぎる。
柔らかいの硬すぎるかと思っちゃって。
情報硬すぎる。
僕のイントネーションが。
で、なんかちょっとその辺もですね、特に今の子供たち。
僕がちょっとその少し反省してるのが、
ちょっとyoutubeを変に見せすぎたかなみたいなところはちょっと反省してたり、
結構そこ刺激が多くて引っ張られたりもするんで、
そればっかりっていうわけではないんですけど、
なんかそういうのの方が刺激も強いし、
なんか面白みを引っ張られるものもある。
でも実際この日常生活の自然の中一つとっても生活にとっても、
たぶんその気づけば新しいことっていくらでもあるし、
でもそこら辺の情報にしたって、視覚情報にしたって、
人間っていうのが自分でフィルターかけてるじゃないですか。
はい、そうですね。
だからよりそういうのに気づきにくくなってるかもなみたいなふうに思ったりですね。
ちょっとその辺を意識的に、
僕自身がですね、そしてそういう体質になってれば、
だいたい僕の口癖だったり、
そういうのを真似るじゃないですけど、
似てきたりするんで、
僕自身もだからそういう体質でいたいなと、
自分のためにも子供たちのためにも。
いいっすね。
ほんとそうですね、でもね。
いたいなという感じですね。
なかなかですね、ほんとに。
いろいろとありすぎるので。
やっぱそこが一番楽しい部分なんでですね、
そこだけあるだけで、たぶん人生楽しいし、
極論僕が思ってるな、
学ぶことを好きになってほしいみたいなふうに前から言ってはいるんですけど、
そこの本質は、
問いを見つけてそれについて考える過程だったり、
調べて知る過程だったり、
で最終的に自分の中で結論を出すみたいなところも含めて、
そういうところが楽しいからなんで、
そこっていうのは人間がたぶん、
誰しも持ってるものだと思ってて、
だからちょっとそこに気づいてほしいというか、
そこを持ってるだけで、
たぶん何があっても人生楽しいだろうし、
そこが結構全ての根源な気がしてて、
そこの力さえあれば、
なんていうんですかね、この今の社会の中で、
資本主義社会にしても社会の中で生きていく中で、
その力さえあれば、
結構何事もやっていけると思ってるんですよ。
そうかも。
そこの根本的なところをいかにこう、
身に染み付いた状態にしてあげられるか、
っていう言い方したらちょっとおっこがましいですけど、
そんな感じがやっぱり一番、
幸せになれそうだなっていうのはあってですね。
いやーそう思いますね。
確かに。
なんかそれ、
僕の今感覚で言っちゃうと、
争いをなくす力にも直結しそうだなとか思っちゃって、
なんかついつい反射的に起こっちゃうみたいなことって、
日常の中でいっぱい出てくると思うんですけど、
問いを持つ習慣ができてたら、
それを多分深掘ろうとするんじゃないかなって思うんですよね。
あれ?なんで俺は怒ってるんだっけって、
その根っこに何があんだっけって、
このシチュエーションどんどんと前にもあったなとか、
考えていったら、
ちょっと表現下手すぎるけど、
お互いにそれをやれたら確実に争いが減っていくだろうなとか思って、
そうなんですよね。
問えるってなると自己対話ができるから、
精神的にも落ち着くし、
怒りみたいな感情を避けられると思うんですよね。
その分析、冷静になんで今怒っちゃったんだろうとか、
なんでそもそも争ってるんだろうとか、
習慣においてはそういうのも往々にしてあると思うので。
そういう風に問う。
次回へ続く。
28:38

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