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温めてみなさん、おはようございます。 今日も礼拝にようこそいらっしゃいました。
このように出会いできますことを、 本当に嬉しく思っております。
では、メッセージの前に隣の方と ちょっと挨拶と交わしましょうか。
おはようございます。 ゆっくりいらっしゃいました。
ありがとうございます。 祈祷と未熟をお祈りします。
アンナは答えて言った。 いいえ、祭司様、私は心に悩みのある女でございます。
葡萄酒もお酒も飲んではおりません。 私は、死の前に私の心を注ぎ出していたのです。
アーメン、主よ、今この朝、私たちも死の御前に、 私たちの心を注ぎ出しております。
どうか、主よ、我らの涙を拭い去ってくださり、 あらゆる病や傷を癒してくださり、
なお、強められて癒されて、 主のために、神の国のために生きるものとしてください。
その道こそ、至極の道であることを、 どうかあなたが悟るように導いて下さい。
この朝も、一人一人の心の痛み、 霊の痛み、主の御言葉が深く刻まれて、
その御言葉によって生きるものとしてください。
耳のある者は、御霊が語る声を聞きなさいと 御言葉にありますように。
どうか、聖霊様、我らの心を開いてくださって、 あなたの御言葉を素直に、純粋な子供のように受け入れ、
そして、その御言葉によって生きるように、 どうか祝福して下さい。
感謝して、イエス様の御名によってお祈り致します。 アーメンジュ。
では、ここには子どももいるし、 また中学生もいますけれども、
聖書をなじんでいない子どももいますので、 ちょっとだけ5分ぐらい、子ども向けの、
子どもと言っても中学生ですけども、 ちょっと今日のメッセージを簡単に、
子ども向けの話をしてからお話ししたいと思います。
よく聞いて下さいね。 今日のタイトルは、願いの法則ということです。
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聖書に、3人のために話をしていますよ。 聖書に、ハンナという女性がいました。
結婚したんだけど、子どもがいなかったんですね。 子どもを産むことができなかったんです。
それで、その女性は神様に行って、祈ったんです。
神様、私に子どもを授けて下さい。 私の体では子どもを産むことができないから、
神様が助けて下さい。本当に心から祈ったんです。 願いを持って神様に祈ったんです。
そして、その時そこにそばにいた、エリーという社医師。 今、そういう人なら、僕信じたい人ですけど。
ハンナという女性に、安心して帰ります。 神様、あなたの祈りを、願いを聞いて下さい。
そして、祈った後は、このハンナという女性は、 悲しむ気持ちが本当になくなって、
そして、家に帰ります。 そして、数ヶ月が経ちました。
何が起きたと思いますか?
なんと、子どもを産むことができなかったこの女性は、 先ほど読んでくださったんですけど、
この聖書に見たら、こうありますよ。 日があらたまって、ハンナは身こもり、男の子を産んだ。
そして、私はこの子を主に願ったからといって、 その名をサムエルと呼んだ。
神様に祈ったら、子どもを産むことができない。
婦人という言葉は知っているかな? 旧産ぐらいは知っているかな?
子どもを産むことができ、妊娠できなかった女性が、 不思議にも妊娠ができた。
そして、男の子が本当に祈った通りに、 男の子を授けてくださいと祈ったから、
本当にその通りに、男の子が与えられて、 お宮を置いてね。
神様はね、本当の神様は、 私たち教会が信じている神様は、
子どもの願いも大人の願いも聞いてください。
そして、その願いがいい願いだったら、 神様が、神様のときにそれを応えてください。
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叶えてくださるんですね。
だから、私が信じる神様は、 私たちの願いを祈りを聞いてください。
何でもできる神様。
神様が今日の話。
この後もよく聞いてくださいね。
シリーズのメッセージがついていますけれども、
神に祝福される人生の法則21、 21回指していたことですが、その6回目になります。
願いの法則であります。
大まかな筋は今申し上げましたけれども、 掘り下げて話をしていきたいと思います。
今日のメッセージはですね、 実はこの前の4回目が祈祷の法則でしたから、
その内容と合わせて知っておいていただいたら、 この軸とパーツのように一つの内容として完成するかなと、
そういうふうに思っております。
皆さん、私たちはみんな神様に祝福を受けること、 祝福されることをみんな願っています。
そうですか皆さん。そうですよね。
私はもう絶対に神様に戻りを願っている人は誰もいません。
では、神様に祝福されるにはどうしたらいいんでしょうか。
今日このサムエル記、そしてハンナ、 サムエルのこのストーリーから二つ三つの話をしたいと思います。
まず第一は、願いを持つことです。
願いを持つ。心の中に良い願いを持つことです。 清い願いを持つことです。
そこから神の祝福が始まります。
そして神様に対して良い願いを持つということは、
私の神様は私の祈りを聞いてくださる、 私の願いを叶えてくださる、
本当に良いお父さんだという信頼があるときに、 良い願いを持ってそれを求めるようになるんです。
そうじゃないでしょうか。
ちょっとわかりやすく、うちの子供と私の話をしましょう。
平日私は教会におります。
そして夏休みとか土曜日は子供たちは家におるんですね。
車は教会に停めさせております。
たまに電話が来るんです。
お父さん、ハンバーガー食べたい、 買ってきてください、みたいに電話が来るんです。
自分たちは行けばいいのに、ちょっと遠いからね。
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そしたら、大体の場合は100%ではないんです。
ほとんどの場合はわかったよと言って、 車に行ってハンバーガー買ってあげるんです。
それを聞いて、子供たちが私に電話をするときに思って、
うちの父は絶対に買ってくれない、 もう絶対に買ってくれないと思ったら電話しないでしょう。
買ってくれないと思っているから。
電話したら、まあまあ優しい父だから、 買ってくれるだろうと思うから電話するんじゃないですか。
願いの法則、神様と私たちの関係はいつも似ているんです。
私たちが良い願いを持って神様に祈り求めたら、 神様は良いものをお与えになるお方である。
本当に良いお父さんであることを信じている人がお願いをする。
今日このサムエルに出てくる女性、 やがてサムエルの母親になるハンナという女性がそのような人でした。
彼女はエルガナという男性と結婚をしましたけれども、 子供を産むことができなかったんですね。
当時は子供を持てない女性として本当に恥ずかしめられていたんです。
もう一人の妻からも見下されていました。
でも彼女はどうしたんでしょうか。
願いを持っていました。
その願いはもう簡単シンプルですね。
神様、子供を育ててください。
しかも具体的だったんですね。
男の子を育ててください。
皆さん、私たちが神様に祝福される人生の法則、 その第一の段階ステップは願いを持つことです。
子供を育ててください。男の子を育ててくださいと願いを持って、そして神様に祈りを求めた。
皆さん、神様は主のために、神のために、 その人が本当に良い願いを持っていること、神様は実は知っておられるんです。
まだ叶えられていなくても、神様がお当たりになっていなくても、 願いを持って求めているこの人が本当に良い動機を持って、
強い心を持って良い願いをしているかどうか、 神様は知っておられますね。
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だから神様は、この女性、ハンナの願いは良い願いであることを知っておられて、
良い動機を持って、強い動機を持っていることを知っておられるから、 実は彼女の願いを応えてください。
皆さん、神様は私たちに、あなたの願いは何ですか?と聞かれる方です。
皆さんの願いは何ですか?願いがありますか?皆さん。
その願いを持って、神様に祈りを求める私たちでありたいんです。
私たちが弱くても、もう無自問の貧乏な者であっても、 病気の者であっても、お年寄りであっても、子供であっても、男性であっても、女性であっても、
その神様を愛する人、信頼する人、死のために歩んでいこうとする願いを持っている人の願いを必ず応えてください。
ちょっと昔の私の若さを発掘したいと思います。今から27年前の話です。
私、人生初めて20代に京海道を兼路させていただいたことの話です。
私が兵役にいた軍人であったときの話です。
私が所属していた部隊が、林番星で北朝鮮と面している場所に移動します。
そこに部隊が真ん中に本部があって、横並びにずっと並ぶわけです。
大体この真ん中の中央セクターに教会があったりするんですね、大体の場合は。
私は本当に幸いに、進学生の時点でもないものが兵士として、牧師のように教会の奉仕をすることになりました。本当に感謝のことでした。
でも、教会がないんです。それで普通の生活観の中で礼拝をして、私はあの時から最初は牧師になることは思っていなかったんですけれども、
なぜか、説教したり、聖書勉強を導いたりしておりました。
でも、教会堂がないから、私の心の中に願いが起こされました。
何だと思いますか、皆さん。
教会堂でした。神様、教会堂、教会を建ててください。
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もう願いは純粋でした。
神様、ここにいる栗さんの兵士たちの信仰のために、また新神社の兵士たちに伝導するために、どうしても神様、教会が欲しいです。
でも、私は幹部でもないですし、将校でもありませんし、普通の兵士だからお金もありませんし、権力もありませんし、何にもないんです。
身体一つしか持っていない信仰、ただ持っているのは神を信じる信仰、それだけなんです。
それで、でも、私は神様に祈りがきました。
神様、あなたの願いならば、もう一生休まって礼拝できる解道をください。
伝導できるように神様助けてくださいと願いを持って祈り出してから、不思議なことがついから次へ起こりました。
もちろん、私はずっと何もしないままで、何かいいことが起こりますように、起こしますように待っていたわけではありません。
もうお願いして、休暇をもらって、そしてあちらこちらの教会に回って、献金、募金をお願いして、院長に行ったり、総理に行ったり、もう出ていました。
その中でですね、今は県に命されました、私の母教会の先生に訪ねてお願いしました。
事業を言いました。先生、本当に礼拝にしたいんだけれど、ご教科がありません。もう舞台からは予算も立ってくれません。お願いしました。
そしたら、数日後、その先生から結構大きな献金が与えられました。
それだけではありません。また私の全く知らなかった、ソウルにあるある男性少年のクリーちゃんの企業家の団体から不思議に連絡がしました。
そしてその団体は、全国、北国の全国にある舞台の教会たちを何か援助したり奉仕することをしているところで、
なぜか私が入っているその舞台に手紙が来て、そして私も本当に一生懸命、事情を書いて手紙を送りました。
そしたらその後から、皆さんの見つかりにくいような70代、よくわからない男性の皆さんが、多分10人ぐらいだったと思うんですね。
その応援物資みたいなものを持って、そして献金を持って、ソウルから舞台に初めて来てくれました。
全然知らない人なんです。私は全く知らない人なんです。神様はその人々を動かしてくれました。
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その後、よくたまに異論訪問に来てくれた舞台資格のある教会の女性の信徒さんでしたけれども、支援が来てくれて、献金を持って来てくれました。
そしてもう部録は買えるお金がまあまあ集まりました。そしてあちらこちら砂はありますし、でも建てるいわゆる人がいないんですよね、舞台だから。
雇うことができないです。それでもう募集するんです。文字の中に社会を見るときにダーク屋さん来た人、土木廊した人、建築した人、集めて集めて、
みんな素人なんだけれども、素人で教会堂を建築しました。多分2ヶ月ぐらいかかったと思うんですね。
朝から晩までずっと体は疲れていましたけれども、そういうふうに教会堂が2ヶ月になって建ちました。
でも中に何もないんですよ。そもそも椅子はなかったんだけど、マイクもありませんし、ピアノみたいなものもありませんし、何もなかったんだけれども、
また不思議にちょうどいいときにソウルのある教会の松朗さんから連絡が来ました。その方はソウルの楽器屋さんをしている社長さんでした。
それで教会によかったらマイクとか音響機械とかシンセサイザーとかそういうスピーカーとかが欲しいんですとしたら、
そうか、送ろうと。それで数日経ってトラック1台がソウルからやってきました。
そこには大きな、今も覚えられないですけど、これぐらいの大きいスピーカーが2台とシンセサイザーとマイクと音響、
いったいもう神様から、プレゼントみたいにソウルからトラックがやってきました。
そのときに数人の教会のほうに設置していたヘスタキ、そこにいますけれども、みんな喜んで喜んで泣きながらそれを設置していました。
そして第一回目の街道で礼拝が行われて、本当にあのときどうやって私がピアノを弾いたのか覚えたりながら、
自分でピアノを弾いてメッセージを作って全部やらせていただきましたけれども、
あのときの第一回の礼拝は本当に1992年、もう冬でしたけれども、もう涙でみんな泣きながら。
そして街道ができたから、もういっぱい来て、もう礼拝が多分これぐらいだったと思うんですね。
みんないっぱい来てですね、一緒に礼拝していました。
私は思いました。神の国のために何とかして兵士たちに信仰をよく持てるように、
伝導ができるように願いを持って祈っていたこの一人の、私一人だけではなかったんですけれども、
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その願いを神様聞いてくださって、そんなに立派な建物じゃなかったんですけれどもね、
ちなみにもう素人たちが作って軽く落ちて海に投げた感じでしたけれども、教会堂を建てさせていただきました。
そのとき私は22歳でした。神様が出してくださいました。
皆さん、願いをお持ちですか。その願いを持って神様に祈ります。
さて、今日のサムエルキーの判断はどうでしょうか。
そして、誓言を立てていった万軍の主よ、もしあなたがハシタメの悩みをかえりにて、
私の心にとめ、このハシタメを忘れず、このハシタメに男の子を授けてくださいますなら、
私はその子の一生を主にお捧げします。そしてその子の頭に紙反りを当てません。
このような清い動機を持って、願いを持って祈った彼女。
その願いを主だる神様は聞いてくださったんですね。
ここで一箇所、聖書を一緒に開きたいと思いますけれども、ピリピリとへの手紙2章13節。
聖書をお持ちの方は、ピリピリとへの手紙2章13節を一緒に読みましょうか。
聖書384ページです。
ピリピリとへの手紙第2章13節。
今日のテーマにちょうどふさわしい数だと思いますけれども、13節を一緒にお読みしたいと思います。
神は御心のままに、あなた方のうちに働いて、志を立てさせ、ことを行わせて下さるのです。アメン。
皆さん、本当にこの通りです。
神様は御心のままに、あなた方のうちに働いて、志を立てさせ、ことを行わせて下さるのです。アメン。
志を、願いを神様が立てさせて下さるのです。
その志、願いは、神の御心のままのものであることが前提しています。
そしてその後はどうですか。あらゆる事柄を神様が行わせて下さるのです。
すべてを働かして、人を動かして、状況を神様が変えて下さって、御自分の御心のままの私たちの志、願いを叶えて下さるのです。
24:10
ハレルヤ、ハーメン、志を本当に神様に。
2番目、願いを持ったならば、その次に信仰を持って行動を取ることが大事です。
アクションを取ることが大事です。
今日の三文字に戻りますと、判断は神様に、この初詰めに男の子を授けて下さいますならと願いを持って、その後は何をしましたか。どうしたのでしょうか。
彼女は家に帰りました。
十九節を見ると、翌朝彼らは主の前で礼拝し、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。
エルカナは自分の妻、ハンナを知った。
夫婦が一緒になったわけなんですね。
子供を授けて下さいと祈ったならば、夫婦が一緒になることだ。
つまりその法則はこれですね。
神様に願いを持ったならば、その願いのために主から智慧をいただいて行動を取ることです。
動き出すことです。
もちろん動き出すことがなくても神様が助けて下さい。
さっきのあたしの証のように、神様がさからかって下さい。
ある意味でこのハンナの行動は準備をすることです。
願いを持って祈るのならば、主のために、御国のために準備をする人、準備ができている人を主がその願いを応えて下さい。
あれでしょうか。御心のためなんです。
例えば皆さん、もし皆さんが誰かに伝導したいという良い願いをお持ちでしょうか。
そうであるならば動き出して下さい。
その方の家にさせれて行ってみて下さい。
お茶をしてみて下さい。
食事を一緒にしてみて下さい。
あるいは集会に誘ってみて下さい。
あるいは家様のお話をしてみて下さい。
時には私たちが信仰を持って動き出す時に、アクションを取る時に、そこからまたさらに幾倍の主が不思議なことを始めて下さい。
3番目。願いを求めたならば、叶えられたと答えられたと信じて感謝することです。
今日の18節を皆さんご覧下さい。
18節を見るとこういう言葉があります。
18節。
27:02
彼女は、はしためがあなたの好意に預けることができますようにと祈った。
それからこの女は帰って食事をした。
彼女の顔はもはや依然のようではなかった。
皆さん、あんながですね、この神の前に来る時最初はどうでしたか。
もう悩みにふけていました。
悲しんでいました。
でも神様は信じて、神様は男の子を助けて下さいと祈った後はどうですか。
もう元気も終わって食事をして、彼女の顔はもう悩みがですね、もう消え去ったわけなんですよね。
もはや依然のようではなかった。
感謝にあふれている。喜びにあふれているんですね。
これなんです、皆さん。
皆さん、願いを持っていますか。神様に祈っていますか。
そしたらば、主が叶えてくださることを期待して、楽しみにして感謝する信仰が、このサムエルの母のハンナの信仰なんです。
こんな信仰を持ちたいんです。
アメリカによく本を出しているAEW東座という博士がありますが、その先生の本にこういう内容がありました。
祈りにおいて最も重い障害物は悲しみである。
祈ったならば悲しんではならない。
神に期待しつつ感謝しなさいとあふれている。
祈ったならば悲しんではならない。
神に期待して感謝しようということなんです。
まさにこのハンナの様子がその通りです。
願いを持って神様に祈りを求めたならば、神様に期待しましょう。
神様に感謝しましょう。
そういう信仰を持ちたいんですね。
結果は既に申し上げましたように、実節を見ると日が改まって、ハンナは身こもり男の子を産んだ。
どうですか。男の子を授けてくださいと祈った通りになりましたね。
神様はウロを覚えている神様じゃないですよ。
女の子でしたっけ、男の子でしたっけじゃないですね。
ちゃんと主は覚えていてください。
私たちの小さな声も主は聞いていて覚えていてくださって、ちゃんと答えてくださるんです。
だから皆さん、私たちにこのように一緒に祈って答えられる。
30:04
その願いが神のための願いを持って祈ったら、主は本当にその通りに、祈った通りに答えてくださるんだ、というこの素晴らしい経験をした人は、
また二回目、三回目、四回目、あるいは別の課題を持って祈ることがどうなると思いますか。
聞いてね。楽しくなると思うんですよ。
ああ、主は良い願いを持って祈るものに答えてくださるんだ、とね。
皆さんもそういう祈りと願いの素晴らしいこのね、祈りの答えのパターンと良いパターンの恵みに預かせた時代、若い時から、今からでも十分。
そしてその後、子供が与えられた後、もう一つ大事なポイントがあります。
それをね、今日の二十八節一読みを見たいと思います。二十八節。第一章の二十八節。
聖書をお持ちの方一緒に読みましょうか。
サムエル記第一の一章の二十八節。一緒に読みますね。
はい。それで私もまたこの子を主にお渡しいたします。この子は一生涯主に渡されたものです。
こうして彼らはそこで死を礼拝した。アメン。
あ、ここまでいいです。皆さんどうですか。
その夫婦は生まれてきたそのサムエルを連れて神の前に来て、そしてその子を神に捧げてその後死を礼拝したとあります。
皆さんよく見たらですね、願いを持って神様に祈ります。
そして答えられたら、あ、やった素晴らしい。それで終わる場合がないわけではない。
もっとも素晴らしいこの段階は、願いを持って神様に祈り、そして叶えられることを信じて祈り、そしてそれが答えられる。
そしたらまず神に行って、まず捧げ、礼拝し、感謝する。ここまで行きたい。
答えられて、やった嬉しい。それで終わりじゃなくて、神様こんなものの祈りを聞いてくださって、死を感謝します。
本当にこんなに素晴らしい恵みを与えてくださって、死を感謝しますと。
そして死に感謝の祈りを、そういうもので。
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メッセージを終わりたいと思いますけれども、
このサムエルの母、ハンナの場合は、この子サムエルを神様にお探ししました。
そしてそのサムエルは預言者になるわけですね。
預言者になって、神のために生きる、素晴らしい神の立派な人物になりました。
皆さんはどんな願いをお持ちでしょうか。
願わくば、自分のためではなく、神の国のため、神のため、神の教会のために願いを持つ我々でありたい。
世の中には、自分の将来のために夢を持つ人は多くありますが、私たちは違う人です。
神の国のため、神のため、主の教会のために、この福音のために願いを持つ者でありたい。
そしてその願いを求め、祈り、捧げ、準備する者でありたい。
どうか皆さんお願いします。
神のため、神の国のため、主の教会のために良き願いをお持ちください。
そしてその良き願いを神様に祈り求めてください。
主のため、神の国のため、福音宣言のためなら、主が必ず祝福してください。
このような祝福が、信仰の祈りが、皆さんの上にありますように、心からお祈り申し上げます。
お祈りいたします。