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2015-12-27 22:26

2015/12/27:聖日礼拝(旧音源)

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2015/12/27 聖日礼拝(旧音源)




00:01
改めて皆さん、おはようございます。この礼拝にようこそいらっしゃいました。
2015年12月21日、今年最後の礼拝になりますけれども、
今年一年間の神様の恵みを振り返ってみますならば、
本当に全ては神様がなされた神様の恵みでした。
特に、12月だけ振り返ってみますならば、
クリスマスコンサート、また子どものクリスマス会、
個人クリスマス会、ママ子も会、クリスマス、
クリスマス礼拝、クリスマスキャンドルサービス、
多くの競技がありましたけれども、
そしてですね、大体数えてみたならば、
370人ぐらいの方々が出席されました。
これをですね、普段の三谷教会の礼拝出席の
10倍ぐらいになる大勢人数だと思います。
その背後には皆さんの祈りと、また豊富がありまして、
そしてその多くの人々に一度も福音を聞いたことがない方が
おられたかもしれないですね。
そんな方々に福音が伝えられて、
そして本当に尽くされた礼拝が一緒にできたことを
心から感謝いたします。
どうかその人々の中でですね、多くの人々が救われますように、
そして本当にその場面に応じて育った兄弟素晴らしい一人一人にですね、
本当に心から感謝いたします。
それではメッセに入る前に、お互いにですね、
今日初めての方、あるいは1000名の方々、
その家族の方々ですね、またお祝いに来られた方々も結構見えてますけれども、
1名からありがとうございました、お互いにね、挨拶しませんか。
はい、よろしくお願いします。
大勢の方々が来てくださいました。ありがとうございます。
一言お祈りいたします。
悔やめなさい。そして、それぞれ罪を許していただくために、
イエス・キリストの名によってパプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
神様、この最後のお礼拝に、
本当に神様が私たちに、すべての兄弟姉妹たちに、
主の新しい命を、
03:01
今日の光の命を与えてくださって、
それらのことを覚えて、心から感謝いたします。
主よ、今から御言葉に心の耳を傾けます。
どうか一人一人に主がお語り下さいましたように。
神とな方々、今日聖霊を受けられる三人の姉妹方々、
また初めての方々、キリストの方々、どうかそのすべての方々の上に、
主の恵みと、また悟りと、主の光が主をどうぞ照らされますように、
祝ってきて下さい。
イエス様の名によってお祈りいたします。
アーメン。
今日は新しい命という題について、
今日はもうちょうど宣明式が行われますので、
短くですね、メッセージを取り付けさせていただきたいと思います。
今日は本当に喜びの日であり、また意味深い日であります。
今年一年間を、ポジル最後の聖実礼拝であるともに、
また三人の姉妹方が一番前に座ってあがりますけれども、
後藤美禰子姉妹、玉田松一姉妹、そして本秀三姉妹、
三人の姉妹たちが、イエスキリストを自分の救い主として受け入れて、
そしてパクテスマを受け入れられる日だからです。
パクテスマ宣明は、イエスキリストを自分の救い主として
唯一の救い主として信じる信仰告白のお明かしであります。
一人の魂が救われるときに、天では神様とミスカイたち、
そして我々より先に天に召されている信仰の先人たちが
喜んで賛美を歌っておられて、
その響きが世界中に宇宙万物に響くものであります。
神様はどんなことを一番喜んでおられるでしょうか。
神様の最も大きな喜びは何でしょうか。
それは魂が救われることではないでしょうか。
今日の聖職活を見ますと、
エルサレム教会に、そしてその周りに、
その町に住んでいた、
そしてその周辺のユダヤとかに住んでいた大勢の人々に
福音がどんどんどんどん続け知らせるようになりました。
06:03
それにつれてですね、大勢の人々がイエスキリストを自分の救い主として信じて、
そしてそれぞれ自分の罪を悔い改めて、
バプテスマ宣言を受けるようになりました。
皆さん、当時のエルサレムというその町は、
当時のイエス様がおられた時のイスラエルは、その後もそうなんですけれども、
イエスキリストを自分の救い主として信じるということは、
もう、今、日本では私たちがイエス様を信じることよりはるかに難しくて厳しい状況でした。
なぜなら、当時権力を掴んでいたその救急使徒たちは、
イエス様がですね、自分は神の子だと言っていたわけですから、
それを認めなかったんですね。
認めないだけではなく、イエス様を十字架系でもう処刑してしまうほど、
キリスト教を発売し、牢屋に入れて処刑してしまう、
とても厳しい激しい反対される状況であったからです。
でも、そのように反対される状況の中にあったにもかかわらず、
今日の御言葉に書かれているようにですね、
一日に三千人の人々がイエス様を信じて救われたんですね。
イエス様の弟になる奇跡のような救いの仕業が起きた。
この洗礼がどうやって起きたのでしょうか。
今日の38節をもう一度ご覧ください。
テテロはですね、そこにいた彼らにこのように答えました。
悔い改めましょう。
そして、それぞれ罪を許していただくために、
イエス・キリストの名によってバプテスマを受け出す。
そうすれば、多摩村として洗礼を受けるでしょう。
皆さん、悔い改めこそ、悔い改めこそ、真の救いの始まりではないでしょうか。
神の御前で、主よ、あたしは罪人です。
あたしの罪を許してくださる方は、あなた様お一人だけですと告白する人が救われるしかない。
そうしますと、主は全ての罪を、とかを、全て許してくださるのです。
このようにして、イエス様を自分の救い主として信じて受け入れる時に、
私たちの魂の中に、イエス・キリストによる、この地上では味わうことができない、
09:05
得ることができない、豊かな永遠の命が人生の上に注がれることなんですね。
その始まりは何から始まるのでしょうか。悔い改めから始まることです。
このセテラの説教を聞いて、そして悔い改めて、イエス様の名によって洗練を受けられた方々、
その方、その人々の、その後の信仰生活はどんなもんだったのでしょうか。
42節をご覧ください。よろしかったら、42節をご一緒に読みましょうか。
生徒お持ちの方でも結構です。42節をご一緒にお読みしたいと思います。
そして、彼らは私の祈りをしていた。
バクテス様を受けることを宣言は、3年も学びをする時にも私が強調してお話ししましたけれども、
宣言を受けて、それで終わりではない。これはぴったりした例えではないかもしれませんけれども、
結婚式と同じである。入学式と同じである。イエス様は私たちの花婿である。
それで私たちは花嫁である。
イエス様と信仰によって従っていきますと、誓うそのお証が鮮明ですから、
今から悟れしようとですね、話していましたけれども、本当にその通りなんです。
卒業ではありません。今から始まりです。
本格的な均衡生活はこの千年から始まる。神の祝福はこれから始まるということなんです。
千年バクテスマはニュースタートです。イエス・キリストにあって新しい人生が始まることであります。
そのためには今日の御言葉に書かれているように、まず教えを固く守る。つまり神様の御言葉の教えをいただくことです。
教わることです。神に学ぶことです。聖書に学ぶことです。
それは千年を受ける人だけのことではないんですよね。新しいクリスタルはみんなに必要なことであります。
聖書の御言葉を学んで、自分のものに助けていただいて、そこから築かされて、悟って、
そしてイエス様の御姿に、神の御姿に成熟させていただくこと。それが信仰の道であります。
ですから我々は信仰の始まりも聖書であって、そのプロセスも聖書であって、その終わりも聖書であるべきであります。
12:04
聖書の御言葉は唯一の真意で、神様の唯一の御言葉であって、私たちの霊想に憎むのだけであります。
今日千年を受けられる三人の姉妹方、また信徒の皆さん、今日初めての方々、どうか皆さん、神の御言葉を期待、求めていただきたい。
そしてその御言葉を風として、日曜の風としてそれをいただいて、そして御言葉による神の恵みを、その御言葉の中で神にお会いして、その恵みを豊かに経験してください。
二番目、交わりを知るとあります。交わりを持つことです。パンを作ることです。つまり兄弟姉妹たちが室にあって、お互いに交わり合うことです。
千年を受けて信徒のその交わりというその枠の中に入ってきて、そして共に信徒を生活していく中で、そこに起こる神様が下さる喜びと恵みを味わうこと、それが交わりではないでしょうか。
もちろんですね、その中では私たちはそれぞれ本当に弱い人間ですから、時には葛藤があるかもしれません。しかしその中で私たちは成長していくんです。
愛の深さを経験するんです。そして神のイエス様の愛と、また揺るぎと慈しみと憐れみをですね、交わりを持ちながら、そこで気付かされて、育って、深く深く成長していくことではないでしょうか。
ですから皆さん、私たちが教会で共に信徒を生活していく中で交わりあってですね、そこで人に使える使い方を学ぶようになります。
愛し方を学ぶようになります。許し方を学ぶようになります。あるいは忍耐する方も忍耐し方も学ぶでしょう。
あるいは憐れみ方も学ぶようになるでしょう。あるいは信徒の先輩たちを見て、信徒の模範を見てですね、習うようになるでしょう。
そのようにして私たちは一歩一歩、時には五歩、時には十歩、成長していくんです。
3つ目、祈りをしていた。
イエス様の皆によって祈ることです。
信仰生活は自分一人の頑張りとか努力でやっていけるものではないんですよね、皆さん。
15:06
神様のお助けが必要であって、神様の心を知って、そして何より神様にお会いして、その中で私たちは信仰生活を全うすることができるんです。
ですから、祈っているうちに信仰が成長してきます。
祈っているうちに神様にお会いできます。
祈っているうちに応えられます。
祈っているうちに精霊に満たされます。
祈っているうちに罪が思い起こされて、食いやざめて、清められるんですね。
ですから、祈りは栗ちゃんの命であると言っても過言ではないでしょう。
精霊を受けられる3人の姉妹方々、そして兄弟姉妹たち。
この中では、精霊を受けられて5年、10年、あるいは30年、あるいは50年、100年はいらっしゃらないですね。
50年くらいが一番最年長の方かもしれませんけれど、私はわかりませんから。
どのように私が精霊を受けて、そしてどのように今日ここまで歩まれていただいているだろうか、それを思い起こしていただきたい。
食いやざめます。
そしてそれぞれの罪を許していただくために、イエス・キリストの名によってバプセスも受けます。
そうすれば、たまものとして精霊を受ける。
そして彼らは人たちの教えを固く守り、交わりをして、さあの先、祈りをして。
これから3人の姉妹方が、本当に神様に愛されて、祝福されて、そして本当に神様に喜ばれる神の姉妹たちになっていただきたい。
そして我々信徒の皆さんは、昔であるかもしれませんが、自分が食いやざめて生命を受けました。
そして神様の憐れみによってここまで信仰生活をしているわけですから、常に常に食いやざめて食いやざめて。
そしてそのように気を向いていただく中で、そして精霊に満ち溢れて、そして神をさらにもっと深く知るようになる。
神様をもっと愛するようになる。
そして兄弟姉妹たちにイエス様が使えられるようにお使いし、イエス様が愛するように兄弟姉妹たちを、家族の方々を、周りの人々を愛するようになる。
18:11
そういうような信仰の歩み方をマットしていきたいと願っております。
メッセージを終わりながら、今年の1年間、本当に神様の恵みが大事。
そしてまたお互いにですね、三谷教会のお互いに皆さんが愛し合って、祈り合って、誓い合って、あるいは時には我慢し合って、感謝し合って、ここまで本当にマットして、
最終の礼拝の奉仕者の方々、祷幕、あるいはお花、あるいは祷馬、祈り、他の奉仕者の方々。
ある時はですね、月に奉仕が2回も3回も回ってくる方々もおられますけれども、でも本当に感謝を持って奉仕してくださりました。
それから本当に見えないところでですね、本当に街道をきれいに奉仕して、またメンテナンスも来てくださって、待ってられました。本当に感謝いたします。
私とか、あるいは妻、ハンナもですね、お花をきれいにやるのは苦手なんですけれどもね。
私の姉妹方はですね、椅子もきれいにしておいてですね、本当に感謝して感謝しております。
他にも祭祀の協定の方々、毎週毎週、子供のメッセージをするためには多分ですね、頭痛も出たりするんですけれどもね、
そのために本当に1年だけではなく、長い間ですね、子供だけのためにメッセージをして、
大人はですね、大人しく座って聞いてくれるんですけど、子供だけはですね、大人じゃないから大人しく座っていないんですけれどもね、
なかなか難しいんですけれども、本当に愛を持って、祈りを持ってですね、メッセージをして、奉仕をして、
使えて使えて、魂に使えるイエス様の愛がそこに溢れ出てくるんですね。
他にもですね、また聖火祭の方々も月に2回3回ですね、こうして2時間も3時間も練習して、本当に賛美して歌ってくださいました。
本当に感謝いたします。それから子供の方々も来て、毎週集まって、祈って、あるいはまた練習して練習して、
21:01
2年ではないですけれども、心が青年のようにですね、奉仕してくださって本当に感謝して、
特に年末に12月は多分今月ですね、何回もされましたよね。
その祝祷にも2回3回も出かけて奉祈して、その中でも本当に感謝して奉祈してくださった大人の皆さん、本当に感謝します。
他にもですね、見えないところで水汲む、本当に皆さんの奉祈を神様が報いてくださいます。本当に感謝いたします。
このものも皆さんの愛によって祈っていただきまして、毎週のメッセージ、あるいは賛美礼愛、あるいは奏典、あるいは水曜日とか金曜日、金曜の日とかでもありますから、
数えてみたんですね。そしたら今年だけで、大体で450回のメッセージをさせていただきました。
自慢ではなく、本当に神様の憐れみによる払いでした。全ては神様があらたったことでした。
その恵みを感謝し、また2016年も神にお仕えし、お互いに仕え合いながら愛し合ってですね、進行の道をマークとしてやってまいりますとお祈りします。
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