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みなさん、こんばんは。あした使える聴くネタ帳| マーケターの真夜中ラジオの時間です。
この番組は、あらほうマーケター2人が、最近気になるトピックを取り上げ、それぞれのマーケ観で掘り下げていきます。
最近話題の1人マーケターをはじめ、情報や知見が少ない中で、内容模索するみなさんのヒントになる視点をお届けしていきます。
淡路市場でコピーライターをやっています。ジンボーです。よろしくお願いします。
スタートアップの思いが伝わるマーケティングを実現する株式会社エリコネット代表の宮本です。よろしくお願いします。
今日のテーマは、「常理律観が得られる世の中にするためにマーケティングはお役に立てるのか哲学的観点から考える」です。
このテーマを取り上げた理由は何でしょうか。
放送タイミングは8月24日なので夏休みとか終わっている方も多いと思うんですけど、
ちょうど収録は夏休みなので、僕も結構ゆっくり考える時間がありまして、
こういう時間があるときこそ哲学的観点からいろいろと考えたいなというふうに思っていて、
アラフォーの一消費者として、これ以上やりたいこととか何か消費したいこととかあんまもうなくなってきたなと思ってるんですよね。
20代の頃とか仕事に新鮮な驚きがあっていたりとか、まだまだやってみたいこととかやったことがない体験とかがたくさんあったけれども、
当然自分でやりたいことがどんどんやっていくと、もうこれやりたいってことを一回やってるしなみたいな感じになってくると。
もっと充実した時間とかお金の使い方をしたいなと思うんだけれども、なかなか思いつかなくて、アラフォー趣味ランキングとか検索しちゃうと。
なんか面白いのないかなみたいなふうにいろいろ探しちゃって、なかなかないなと。
ネットフリックスとかアマゾンプライムとかを見れば時間は潰せるけれども、退屈が改善しているだけであって別にそれを見て充実することもないなと思うんですよね。
ある意味起業したのも、新しいチャレンジを考えていた時に、起業が一番これまでにないチャレンジかもと思ったから起業した気もするぐらい、他にやったことないことどんどん減ってきてるなと。
マーケティングが売れる仕組みを作るということを考えると、消費者に対しては買う仕組みを作るということなので、僕個人として何か欲しいものがない、やりたいことがないっていうのは買う仕組みを作れてないマーケティングの失敗でもあるなと思ったんですよね。
でも、こういう充実したい何かをしたいけどやりたいことが見つからないって人ってあらほーじゃなくてもたくさんいるだろうなと思いつつ、欲望をかきたてるマーケティング、さっきのネットフリックスとかもそうだけど、どんどんどんどん新しい消費を促すようなマーケティングっていうのも、それはそれでどうなんだと。
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まあ限界はあるよね。ネタつけるもんね。
そうそうそう。大した差がないものをすごい賛成あるかのように広告しなきゃいけないみたいなところも、なんか違う気もするなあというようなことを考えてたときに、「暇と退屈の倫理学」という本があって、
まさにこの暇だったり退屈だったりする、やりたいこと、充実したことをどう見つけたらいいのかっていうことを考えているこの哲学の本がありまして、ちょうどAmazonランキングの哲学思想ランキングでも1位。
2022年東大・京大で一番読まれた本らしいですね。
そうなんだ。
そうって言われてるこの本。
で、スピノ・ザ・ルソー、ニーチェ・ハイデガーなど先哲たちの教えをひも解きながら暇と退屈の問題点を考える哲学思考入門っていう本がめっちゃ面白かったので、この本を紹介しながら一緒に考えたいなと思ってます。
本編別撮りしてるのでジンボーさんも収録一緒に聞いてもらいましたけど、どの辺が明日使える、聞くネタになりそうですか?
そうですね。マーケティングって割と手法論で語られがちだったりすると思うんですけど、一番大事なのって僕はここだなと思っていて、
人はなぜ生きるのかっていうところから始まり、じゃあなぜ人は物を買うのかっていうところが次に生まれてくるので、やっぱり根っこ抑えないと積み上がっていかないと思うんですよね。
結局ネタの消費でネタ切れて終わるみたいな話になるし、そもそも論として全く新しい体験価値を提供するのだとか、そこに行けないと思うんですよね。既存のものを擦るだけだったらね。
それを根本をえぐるためには何をすればいいのかっていうと、もうちょっと哲学的に人間の真ん中を抑えていく必要があって、今回の話っていうのはそこの着眼点を割と深掘りしたような話だったかなと思いましたね。
そうですね。僕はね、じんぼさんとこの話ができたのがすごい面白かったし、いろんな発見もあったなって感じですね。 哲学ボーイだからね、僕ね。
でも哲学の話ってすごく日常ではやらないじゃないですか。 やらないね。
やってももうだいぶ酔っ払ってる時やから、もう通常の日には忘れてたりすると思うので。
そうだね。哲学する時はだいたいてっぺん超えてるから、でもいいよね。次もその次も全く同じ話で盛り上がれる。
覚えてないからね。
覚えてないから、お互い。
でもなんかね、こういうことを哲学を考えて根本を解決すれば人生の悩みとか一気に解決したりもするじゃないですか。
06:11
なんかこう考えたら別にいいじゃんみたいな。だからそういう意味で。
なんか僕、例えば悟りとかあるじゃないですか。悟りってそういうことだと思うんですよね。
自分がものすごく変わるから、たっかんできるとかではなくて、視点の根本がちょっと変わるから、
あっ、こっちから見たらどうでもいいじゃんみたいな話になると思うので、そこだと思っていて。
マーケティングなのか広告コピーなのかは、僕はそういう意味で素敵な仕事だなと思っていて。
何かというと、小さな悟りを与える仕事だと思うんですよ。
いい言葉ですね。
そうだな、これはこれで別途貝を設けたりとか。
僕はなんか割と根本はそこだと思っていて、出し惜しみしてきたのに今言うなよって話なんだけどね。
84回目についに。
そう、ぽろっと。
ぽろっと。
まあいつか言いますが、100回記念ぐらいの時に話しますが。
なるほど。
小さな、だからある商品視点から見てあなたの人生にはこの商品が必要で、
必要ですだけじゃなくて、なぜならあなたの人生はこうでこうでここに欠落があるから、
でもこういうふうにやれば、こういう解釈すればちょっと楽になるでしょっていう提案だと思うんですよね。
それが10個20個30個集まったら価値観がちょっとだけ変わるとかね。
そういう仕事の一端を担っていると思うので、だからそういう意味で言うといい仕事だと思うんですよね。
他人の人生の小さな悟りを与えて、他人の人生をほんの少しずつ変え続けていく仕事みたいな、
そういうふうに考えるとやりがいも感じられるし、いいと思うんですよ。
確かに。これは全然、ただ商品を売って売上数値を上げるとかとは全然違う価値がありますもんね。
そうですね。逆に考えてあれだよね。
目先の売上数値を3%伸ばすにはどうすればいいかみたいな発想で考えると、たぶんそこはできないんですよね。
そうだね。そういう思考にはならないよね。
現場の人は大変で、数字を上げて売れたら多いしかないので、やっぱりここはトップ、経営の意思というか、すごく大事ですね。
大きな問いを投げかける人が何を投げかけるのかっていうのと、覚悟ですよね。
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そうね。でもこれまで広告代理店とかで働いてたこともあるけど、そういう問いはあんまりもらってなかったかもなぁ。
そうですね。だから宣伝部長とか名物宣伝部長的な事業会社側のトップがやるんでしょうね、そういうことはね。代理店は対応するだけだからさ。
確かに確かに。
それでは本編、ぜひ聴いてみてください。本編は約36分あります。
途中で聞けなくなった時のためにも、ここでポッドキャストをフォローしておくと便利です。それでは行ってみましょう。
よろしくお願いします。
さて、宮本さんの今週のピックアップテーマはこちら。
充実感が得られる世の中にするために、マーケティングはご役に立てるのか、哲学的観点から考える。です。
どんな内容なんでしょうか。
今回、僕は夏休みにこの「暇と退屈の倫理学」という本を読みまして、めっちゃ面白かったんですけど。
この本に書いてあることは、私たちにとって暇とは何か、そして退屈とどう向き合うのかっていうのを考えている本です。
東京大学の国文広一郎さんという哲学者の方が書いた本で、ハイデガーとかフロイトとか過去のいろんな哲学者の言葉を引用しながら、
国文さんと一緒に考えている、みたいなそういう文章の書き方で、ハイデガーはこう言ってるけど違うんじゃね?みたいな、そういう書き方をしてくれてるわけです。
ハイデガー的にたまったもんじゃないよね。
俺はもう50年前に死んでるし、みたいな。
よくこういう本で、ハイデガーはこう言いました、みたいなので終わられると、こっちも考える機会がないから、
うーん、そう考える人いたんだ、で終わっちゃうけど、
でも、ハイデガーはこう言ってるけど違うんじゃないかとか言ってくれると、確かにそうだよ、ハイデガー間違ってるよ、もっと他の考え方あるだろ、とかっていう風に読める。
すごいこうね、自分の考えに気づいたりとか考えながら読めるので、すごい面白かったですね。
なんか社会科学系の欠点というかって、科学的なファクトで証明できないから、
亡くなった超偉大な人が言ったことが真理になるじゃないですか。
なるね。
ハイデガーがこう言った、フッサールがこう言ったとか、
それはそれで、そこを疑いだしたらもう話進まんから、そこは真実だっていう風にするけどさ、
本来はそうなの?っていう感じはあるよね。
あるべきだよね。
それによってどんどん疑ってくれるのはありがたいね。
ありがたいね。
これ何年前に書かれた本なのかな。
でもね、ちょうど今Amazonとかでランキング1位とかなんですよ。
新潮文庫のランキング1番だけど、出版されたのは2021年12月ですね。
12:03
3年前ぐらい。
カテゴリー、哲学思想の論文の中で今ベストセラー1位なので、何がしかで取り上げられたりしたんでしょうね。
僕もなんかおすすめで偶然出てきて、そんなに哲学的な本って読まないんですけど、
まさにね、こう暇と退屈って、ちょうどこれを手に取ろうと思ったのは夏休み前だったので、
暇と退屈に多分見舞われるだろうなと思ったので、
これにどう向き合うのかっていうのを書いてる本っていいなと思ったので、読んで面白かったです。
今日この本にこういうこと書いてあったっていう話をするんですけど、
その話をしつつもこの本の結論に書いてあることで、
結果だけを読んで分かった気になっても意味がないですって書いてあるんですよね。
僕は一応こういうことを書いてたと思いますって話しますが、
あんまりそれだけでは意味がなくて、本を読みながらこのテーマを考えたことがまず重要ですって考えてあるので、
ぜひ手に取って読んでみてもらいたいなと思います。
これはめっちゃわかりますね。
結局自分、暇とか退屈を感じる理由って、
自分の考え事が退屈だからだと思うんですよ。
考え事力が足りてないからで、
自分の人生というのは、だから真ん中は考え事であるべきなんですよね。
その周辺に仕事だったり、勉強だったり趣味だったりあるんだけど、
あくまで真ん中は考え事で、
そこがいろいろな要素を元に充実していくみたいなモデルだと思うんですね。
理想はね。
日本人の多くはこの真ん中が抜けて落ちてるので、
なんかすっからかんなんでね。
だからゲームに走ったり暇つぶしとか、
なんかいろんな非生産的な話をするけど、
やっぱり何かをきっかけに真ん中を充実させていくみたいなことが大事だと思うので、
大事だねこれね。
だから映画とか僕見ても思うんだけど、
映画見てる間は苦痛なことが多いんだけど、
でも見終わった後、いろんなことを考え事するときの材料にめっちゃなるから、
最終的にすごい好きになることが多くて、
それもそうだよね。
確かに。
僕ねこの本読んで、
じんもさんって昔の映画とか見てるじゃないですか。
そんな映画見ても面白くないだろうって映画とか。
僕映画見てるからね。
そうそうそうそう。
どんだけ大変なことしてるんだと思うけど、
そういうのからいろいろと考えたり学びを得てたりするじゃないですか。
この本読んで、
ちょっとねじんもさん思い出したんですよ。
じんもさんの言ってることそういうことだったのかなってちょっと思った。
なるほど、
スターウォーズとか見てる俺の映画の楽しみ方は映画の楽しみ方の一部だったんだなって思ったね。
15:01
スターウォーズも古典だけどね今では。
まあまあ確かにね。
でもわかりやすくそれを見てスッキリして楽しかったとかではなく、
何かこう考えるきっかけを与える映画っていうのはねやっぱ違うかな。
そうだね。
僕らがその暇とか退屈とかなんかやりたいことたくさん見つけなきゃとかって思うのって、
これ近代以降言われていることらしくて、
昔はね確かにこう生産をして食べ物をちゃんと作るっていうことが大変だったので、
そんな暇とかなかったし食うもん作らんと生きていけないじゃんっていう形だったけれども、
ある程度産業革命が発達していく中で、
どんどん人々が努力をして社会がより良くなって豊かになってきたと。
豊かになってくると当然時間が空くので、
人はやることがなくなって不幸になっていっているということなんですよね。
なんで人が不幸になっているかというと、
人は退屈することを嫌うからであると言っていて、
人っていうのは暇を得たけれども暇を何に使えばわからなくて困っているんだって言ってて、
確かにそうだなと思ったんですよね。
何に使えば良いかわからない。
わからない。
だから困っている。
この時間をどうしようって、
結局大相撲のブランチとか見て、
最近こういうスポットが流行ってますとかっていうのを土曜日の昼間に見て、
土曜日にそこに行けば何か楽しいことがあるかもしれないみたいな、
そういうカタログにある週末の過ごし方ランキングとかさ、
40代の趣味男性オススメとかで検索したことないですか?
しんぼうさんはないんですけど。
僕高校生から哲学少年だったんで、
一切理解できないんだよね。
へー。
だから人がやることがなくなってっていうことと、
不幸になるの。
論理的接続がすげージャンプしてるなと思うんだけど、
ほぼ全ての人がこっちにジャンプするってことは、
多分何が悪いかって、
日本の教育制度がクソだってことだと思うんだよね。
与えられる与えられる与えられる、
座って聞く座って聞く座って聞く、
自分で意味を考えるっていう、
根っこを考えることを一切教えられないんで、
そりゃこうなるわなってことだよね。
急に学校終わりました、卒業しました。
なんか時間できました。
あれ退屈みたいな。
そうそうそうそう。
本来それを求めたはずなのに、
退屈になったら急に苦痛を感じるとか、
逆じゃんって思うじゃんね。
いやでもね、
僕はそこまで哲学少年じゃなかったからなのか、
この思いはめっちゃあって、
結構若い頃から、
土日何も予定がないと不安になるんですよ。
なんかやらないと、
18:00
せっかく週末という休みがあるのに、
何もせずに土日が終わったりすると後悔しちゃうね。
なんかすごいもったいないことした気がする、
みたいな感じとかになってて、
で、結局タイムアウト東京の週末の過ごし方とか、
調べちゃうっていう。
僕もやっぱそうなんですよ。
で、悩んでると。
そういう人たくさん世の中にいて、
結構に対してガルプレイスっていう哲学者の方が、
そうなったが上に人類はどうなったかっていうと、
まさにさっき神保さんが言った通り、
私たち自分たちが欲しいものを、
報告に教えてもらうようになってしまっていると。
つまり自分で考えて生み出すということができないから、
報告とかによって知るようになっていって、
だから、私たちに欲しいものがあって、
企業はそれを作っているのではなくて、
今は企業が私たちの欲望を作り出しているんだ、
っていうふうに言ってるんですよね。
で、その例として挙げているのが、
モデルチェンジっていうもので、
iPhoneとかね、携帯とか、
モデルチェンジ、毎年毎年、
今なんぽなんでしょうね、
15かな?とかどんどん上がっていくけど、
別にモデルチェンジしたら新しいの買う必要もないじゃん。
確かに。僕まだ7使ってますからね。
7はすごいね。だいぶ古いね。
え、まだ指紋認証ってこと?
あ、そうだよ。今指紋認証じゃないんだ。
指紋認証だいぶ古いですね。
最近は8の次からかな?
指紋認証じゃなくて、画像認識なので、
指紋のやつはないんですよ。
ああ、そうなんだね。
えー、知らない。初耳。
いや、だから本当そういう意味では、
じゅんぼさんはあれですよね、
このモデルチェンジによって生み出されている、
欲望が欲望を生む悪循環に入ってないですよね。
そうだね。
すごいね。
割と絶対値として何かしら感情があるので、
モデルチェンジとかって言われても、
マーケターとしてはどうだろうという話なんですけど、
それを言って理解せず、
自分個人としては全く揺れないんですよね。
全然興味ないというか。
すごいね。
本気でわかんない。
猛烈に物が欲しくなる経験は過去何度かあるので、
そうだね。
欲望とか考えるときは割とそっちを参照して考えますけど、
基本的には薙のような人生ですね。
多くの消費者は、
余暇を得て、
余剰のお金があると気晴らしを求めて、
企業から作り出されて、
欲望に従うようになると。
換気された欲望が消費に向かって、
でも別に、
例えば新しいiPhoneというものを、
すごく自分として欲しくて買っているわけではなく、
でもモデルチェンジしたら新しいものを手に入れたいという気持ちで、
21:01
どんどん消費をしているので、
消費をしても満足しない。
せっかく新しいiPhoneを買っても、
すぐにそれに飽きて退屈して、
また次の消費に向かってという形で、
どんどん消費が終わらなくなって、
そういった退屈の気晴らしに、
企業が付け込んでいって、
現代の消費社会は、
退屈が消費を促して、
消費が退屈を生み出すという悪循環を生んでいる。
まさにそうだなと。
じんぼさんは違うかもしれないけど、
こういう人はすごく多いと思いますよ。
いわゆる消費社会的観点でいうと、
まさにこうですよね。
何かをすることが消費かそれ以外か、
みたいな世界観で語られる、
経済社会活動の中で、
人々の生活も全て説明しようと思うと、
そうなるし、
多くの人間はその中で説明されきった生活をしているってことだと思うんだよね。
消費している。
想像していないってことだと思うんだよね。
そう、消費している。
で、別に消費をしたことによって、
すごく満足をしているわけじゃなくて、
ネットフリックス見たりしても、
退屈な時間がちょっと減る、
退屈じゃなくなるけど、
充実まではいかなくて、
時間潰せたな。
で、また暇な時間ができると、
また次の欲望というか、
消費を求めていくっていう形で、
再現がないと。
欲しいものを広告に教えてもらっているという観点では、
広告って昔からよくある手法ですけど、
スライス・オブ・ライフっていう表現手法が割と主流で、
食パンでいうと、朝のちょっと豊かな家族の生活の15秒の中に、
ポンとその食パンが置いてあるみたいな、そんな感じ。
素敵な、こうありたいなと思う生活シーンの中に、
その商品をプレイスメントするみたいな、
表現手法が割とあるんだけど、
そういうことだよね。
それを、僕の言葉で言うと、
追体験欲求が生じて、
こういうことをやりたいなと思って、
それを自分で改めてなぞってみて、
優質感を得るみたいなことがあると思うんだけど、
それだけやってたら単なる消費者だよね。
労働的な生活者ではない、
ちょっと一歩前世代的なというか、
消費者止まり。
それって多分あんまり楽しくないと思うんですよね。
なるほど。
神保さんの中では、消費者というものは、
さっきの広告通りに消費するのが消費者で、
生活者っていうのは、
もうちょっとそのアクションを積極的に作ろうとしているっていうのが生活者なのかな?
そうですね。
そのイメージなんですよね。
なるほどね。
SNSとか出て、
自分たちのアクションをより可視化できるようになった結果、
あると思うんだけど、
消費生活から生活者に変わったなという実感が、
一部ね、この15年ぐらいの間にあって、
24:03
とはいえ全部が全部じゃないので、
いまだにその生活、
CMが提示した世界をなぞるっていう行動を繰り返すパターンもあって、
それは多分消費者って昔から呼ばれている行動パターンなのかなと思ってますね。
なるほどね。
神保さんは今選んでいる淡路市まで、
独特のライフスタイルじゃないですか?
ある意味で言うと。
なかなかあんまりいないと思うんですけど、
そのライフスタイルを選べているのは、
そういう生活者としての一個一個の意思決定の積み重ねが、
それを生み出している感じはするなあ。
まあ確かにね。
東京16年住んで、
よし淡路島に行こうって、
ふと思いついた瞬間に、
もう揺るがない決意というか、
これ揺るがないなって自分で分かってましたから、
なんかこれは絶対地としての気持ちの動きだなって思ったので、
なるほどね。
っていう感じかな。
なんとなく揺れ動くじゃないですか、
普通ね、迷ったりとか。
だってね、16年東京にいて、
あれーとかね、仕事大丈夫かなとか、
なんかそういうの一切ない感じなんですよね。
これが普通の人だとは僕は全然思ってないですけど。
確かにね。
だって淡路島に移住しようなんて、
どこにも広告書いてないじゃないですか。
うん、書いてない。
誰にも勧められないけれども、
自分自身として選ぶっていうのはすごいですよね。
そういう意識ってなかなかできない、
少ないと思うんですよ。
自分が思い振り返った時に、
たまにあるけどね、
例えば2年前に始めた社交ダンスとかは、
別に社交ダンスの広告を見たわけではないので、
別に流行ってるわけでもなかったし、
でもサウナの趣味とかは、
サウナが流行ってるから一回やってみようかな、
って言ってハマったりもしたし、
やっぱそういう消費的なものが多いと思うんですよね。
僕自身もそれによって消費しても退屈になって、
どんどん新しい消費を求めてしまっているっていう、
そういう風になっていて、
これをどう解決するのかっていうことで、
今度出てくるのがハイデガーの話が出てるんですけど。
名前がかっこいいよね、ハイデガーって。
ガルブレイスもそうだけどさ。
そう、確かにね。
名前がかっこいいんだよな。
確かにね。
ハイデガーの首相フッサールはちょっと間の抜けた感じするけど。
名前の問題。
フッサールってエポケ、思考停止のエポケだったような気がするんだけど、
違うか。いや多分そうだよね。
フッサールは間が抜けてて好きなんだけど、
ハイデガーはちょっとリリシすぎるよね。
27:01
やっぱね、ドイツ語やからかな。
でもフッサールもドイツ語か。
そうだね、首相だもんね。
エトムントフッサールって言うとちょっとかっこよくない?
そうだね、ジクムントフロイトみたいな感じ。
ドイツ語って考えるとちょっとかっこよく感じるな。
そうだね。
そう、そんなかっこいい名前のハイデガーが。
退屈ってのは3種類あるんだと。
そう言われたら全部そうだろうって確かに思うんだけど、
1つ目が何かに退屈させられている。
例えば電車を待っているとか。
電車というものによって待たされているわけじゃないですか。
だから退屈をするっていう意味で、
何かによって退屈させられているのが1番ですと。
2番目は何かをやっているのに退屈していると。
そこで例で出てくるのはパーティーに参加しているのに退屈していると。
別にやっていること自体は退屈じゃないはずのことをやっているパーティーとか、
映画を見るでも誰かと食事に行くでも何でも、
やっていること自体は別に人によっちゃ退屈しなくて楽しめるのに、
でもそれを自分はその瞬間退屈だと思っているっていうようなところが2番。
3番目が何となく退屈であるっていう。
哲学でね、こんな何となくとか言っていいのかっていう気もするんだが。
でも何か理由があるわけじゃなく、何か退屈だな、何か面白いことないかなと思う。
でも実際確かに自分としてもこの3番のことって結構多くて、
何か面白いことないかなって金曜日の夜は大体考えると。
でもこの3つの3種類の退屈があって、
じゃあ何でこんなに何となく退屈だと思うかっていうと、
人類が定住生活をしたことによって大脳の能力が余ってしまって、
それをもっと使いたくなって退屈だと思うらしいんですよね。
進化心理学的な発想だね。
元々は定住してないからいろんなところを移動していたと。
そうすると環境が毎回変わるわけですよ。
川がこっちにあったのにここはなくなってとか、
毎日毎日いろんなキャンプ場でキャンプしてるものですよね。
そうすると確かに繰り返しというものはないし、
飽きることはないよねと。
新しい環境に適応するのが常に必要だったけれども、
そうじゃなくなって、
人類としてはいろんなところを移動してた時と同じだけの脳の能力というものがあるので、
だから退屈を感じるんだと。
なんとなく退屈だと思って、退屈だから何かをしようと思うと。
何かをしようと思うけど何かをしてもあんまり面白くなくて、
結局パーティーに参加しても退屈だなとか。
なんとなく退屈だからディズニーランドに行こうって言って、
ディズニーランドに行って、結局列に並ばされるから何かに退屈させられるっていう、
30:05
どんどん退屈のループに入っていくんだっていうふうに書いてます。
ハイデーガーが。
ハイデーガーがそうおっしゃっていると。
まあ、退屈を3種類にきれいに整理した時点で、
相当この時ハイデーガー退屈だったんだろうな感じがします。
退屈だったんだ。
これ考えるのが仕事楽しいんだろうね、ハイデーガーとしてはね。
自分のこの退屈してるのは何だろうっていうことを考えてて、
この3種類に分解したんだろうね。
なるほどね。立食パーティーとか苦手やったんやろうな。
そうやないやと思う。
なんかパーティー参加して愛想洗いしてとかね、しないといけないのが退屈だったんだろうね。
そうだね。
まあ分かるよね、気持ちとしては。
分かります。
分かる。
で、じゃあ退屈であるって述べた上で、
ハイデーガーはこの退屈から逃れるのにどうするかっていうと、
決断せよって言ってるんですよ。
この決断せよが僕が正しく理解できてるかわからないけれども、
何かこれをやるんだって決めてやったら、やり始めると退屈じゃなくなるから、
それやったらいいんだっていう風に言っていて。
で、本の中で例として出てたのが、
ファイトクラブっていうブラッドピットの映画があったじゃないですか。
で、これって車の査定員かな?とかのサラリーマンの人で、
日々の生活が飽き飽きしてて、
なんか全然面白くないなという風に思ってた時に、
偶然ブラッドピットに会って、
俺を力いっぱい殴ってくれって言われると。
で、殴ったら殴り返されて、
殴り合いをしてるうちに、自分は傷ついて血だらけになるんだけど、
俺は生きてるっていう風に感じる。
で、そういうところにどんどん人が入っていって、
やってることはちょっとしたイタズラとか殴り合いとかなんだけど、
でもそれをすることによって、退屈なサラリーマン生活から、
自分が生きているということを感じるっていうのがファイトクラブ。
そういうシーンが確かにあったなと思って。
でも、そういうことで退屈を逃れて本当にいいのか?ってこの方に書いてあるんですよ。
なんかファイトクラブって景色もそうだけど、
消費文化をアンチテイで唱えてる映画だからね。
スタバとかクソだみたいな。
そういう映画だから確かにね、決断せよみたいな。
そういう決断主義的な話か。
結局、退屈なサラリーマンっていうのはもう、
消費社会の奴隷にお前たちはなってしまってるんだと。
ただ単にルール通り会社に行き、
余暇を過ごしみたいな感じになって、
もっと動物的に人間として生きていこうみたいなこともあると。
33:02
でも結構それの思考って、戦争とかを求める思考とかにもなるらしくて、
第一次世界大戦前のヨーロッパとかもある程度経済が発展していって、
充実感を失った若者っていうのがすごくファシズムに惹かれていったらしいんですよね。
ヒトラーとかの。
なんかすごく新しい何かがありそうな期待感があるし、
なんとなく僕らも地震のニュースとかを聞くと、
ちょっと退屈じゃなくなるって表現よくないけれども、
この地震とかの対象にどうしていったらいいんだろうかって、
さっきの人類としての本能が湧き立つ瞬間があると思うんですけど、
でもそういう風なところに退屈だからと逃げていくと、
結局戦争をしたりとか何か災害を起きないと充実した生活が遅れなくなるので、
それはそれで良くないよねということを書いてます。
確かになと。
確かにね。
そう。
で、じゃあこの退屈というものから逃れるにはどうしたらいいのかっていうようなところで、
一つ目としては、
まず退屈をしているってことは、
あとは充実した時間を過ごそうっていうふうに求めることは、
人類の能力の発揮の機会を求めていると。
さっき言った定住生活で余った大能の力を使おうとしているので、
まず真っ当なことなんだと。
だから別に焦る必要はないんだよっていうことを、
まず一つ感じた方がいいと。
確かにそうだなと。
確かにね。
この視点があるだけですごく救われる感じがしますよね。
救われる。
金曜の夜にこの週末何しようって焦らなくていいからさ。
別に退屈でもいいんだって思える。
だからその退屈をしのごうとしていることは、
能力をより発揮しようと思っているだけなんだけど、
発揮しなくてもいいから、別にいいじゃんっていうのが一つ目。
確かになと。
それでちょっと救われた気分。
で、2個目。
観念を受け取る消費じゃなくて、
しっかりと物を受け取って満ち足りることですと。
人生を楽しむ感受性訓練が必要ですっていうふうに書いていて、
例えばカイデガーはパーティーが面白くなかったけれども、
でも実はパーティーに出ている食事っていうものが、
これどういうふうに作られてるんだろうとか、
この肉の味は昨日食べた肉の味とちょっと違うな、
どうやって調理してるんだろうとかっていろいろ考えたら、
退屈なパーティーも退屈じゃなくすことができるかもしれなくて、
結局人生を楽しむっていうのは感受性が必要で、
その感受性を得るには訓練が必要である。
その感受性を得るための訓練をしましょう。
それができればいろんなことに、体験としては同じ。
そのパーティーに参加するであるとか、
今まで通りネットフリックを見るっていうとかでも何でもいいと思うんだけど、
体験としては同じかもしれないけれども、
36:01
それがただ単に消費することではなく、
何かそこで感じ取ったり考えたりとかする機会になって、
その退屈だった時間が退屈じゃなくなるんじゃないかっていうことを言ってました。
うんうんうん。
これだからさっきジンボーさんが言ってた考えるとかにすごい近いのかなと思いましたね。
まあそうっすよね。
パーティーに行っててこの肉なんだろうっていうのはちょっと幸せにはなれないと思うんだよね。
パーティーを楽しんでないから。
でもこの人とか他人とかに興味を持つのは豊かになりそうだよね。
あえて訓練的に興味を持ってみるとか、
インタビュアーだと思って捕まって聞いてみるとか、
それだけでも随分変わる気はしますよね。
変わるね。パーティーの楽しみ方としてはそうだね。
そうですよね。
でも人生を楽しむ、感受性を得ることに訓練が必要とかっていうのは、
すごい良い視点だなと思ったんですよね。
さっきジンボーさんが、学校教育でそういう訓練されてないからとかも確かにそうで、
世の中多くの人がやりたいことを見つけたい病だったりすると思うんですよ。
自分らしい人生を生きなきゃみたいな、そういう世の中の風潮があって、
自由で何を選んでもいいよ、自分のやりたいことを選ぼうって言われて、
でもやりたいことってそんなにないんだけど…ってなっちゃうっていうところが多分あって、
そうならずに人生を楽しむために、
自分の好きなものを築ける感受性とか、それを訓練するとかっていうのは、
どうやってやっていったらいいかわからないけど、
ここに書いてたのは、いろんなことに興味を持とうっていうことしか書いてなくて、
まあそうか。結論だけ聞くと、まあそうかって感じではあるんだが、
でもそれはそうかもなって思った。
なんかね、たぶんこの人たちよりちょっと新しい、ニーチェが言ったのはね、
真実などはないと。あるのは解釈だけであるみたいな。
まだにそうだと思うんだよね。
結局はその解釈、よくわからない。
オリエンも受けてないのにこの世界に勝手に生み落とされてさ、
意味もわからない、目的もわからないのに成績をつけられてとか、
これは大事だと教え込まれみたいなことで育ってきたに過ぎない私たちは、
やっぱり根本的なところを考える能力が圧倒的にないと思っているので、
じゃあ自分らしさは何とかって、だから考える能力はないってことなんだよね。
だからそこは別途自分で訓練して身につけないと、やっぱり自分らしくはなれないし、
39:05
そうだよね。
っていうことだと思うんだよね。
確かにね。
だから好きだみではあるがいろんなことに興味を持ってやってみる中で、
やってみたり考えたりする感受性を身につけるということに、
もっと僕らは投資をした方がいいというか、あるんだろうね。
そうでしょうね。
なのでそういうことによって人生が充実するのであれば、
僕らがやっているマーケティングの役割って人生を楽しむ感受性とか、
そういう機会を簡単に提供することと考えると、
消費社会でどんどんバージョンアップしたものを消費してもらうとかじゃなくて、
気づいていないことを気づいてもらう。
例えばただ単に食材を提供するだけじゃなくて、
これを使えばこんなレシピを作ってこんな生活ができますよってことを伝えたりであるとか、
実はこの原材料にこういうことが使われてますっていうのも、
感受性とか何かを感じるきっかけを与えていると思うので、
そういうのを簡単に提供して、最終的にマーケティングを通して、
誰かの熱中とかをこれやりたいなと思うものを作り出してたら最高なんだろうなというふうには思いました。
長年マーケティングに関わっていますが、
ただ単に退屈な消費の悪循環を作るようなマーケティングではない、
人生を楽しむ感受性を作るようなマーケティングっていうのを突き詰めていきたいなとこの本を読んで思いました。
本来マーケティングが楽しい理由も本来はそうだと思うんですね。
そうでなければマーケティングだって単なる仕事になると思うし、
のめり込めるようなものじゃないと思うんですけど、
やっぱりそれを通して人間とは何かってことを考えてね、
僕が先輩たち方に教わってきたことですけど、
その人間とは何かを考えた上でその人間たちの人生の意味とは何か、
その意味に必要なアイテムとは何かみたいなことを考えていって、
商品と生活者を結びつけていくみたいなことをやるのがゾクゾクして楽しいんだみたいな世界観だと思うので、
そこができたらマーケティングの役割を本来の意味で果たしていると言えると思うし、
なんかね、楽しいですよね。
そうですよね。
確かに昔、デジタルが発達してどうしても数値で見てしまうことが多いけれども、
コピーライター講座とかで人間観察大事とかよく言われましたもんね。
そうですよね。
そういうところは、改めてマーケティングというか、
42:01
消費者として暇と退屈であるからこそそれを解決するマーケティングを見直す機会にはなったなぁ。
うん、ですね。
僕はコピーライターでコピーを書くのが仕事ではないと思っていて、
コピーの勉強ももちろんしますし、
過去の有名なコピーとかは頭の中に考察も動作も含めて入れているつもりではありますけど、
でももっと大事なのって、やっぱり哲学だと思うんですよね。
哲学的思考、それは哲学的知識とは別。
ソクラテスが何を言った、プラトンが何を言ったっていう哲学的知識ではなくて、
常に常に哲学的思考を積み重ねていくっていうことだと思うんですよ。
それは根っこからね。
つまりそもそも自分とは何で生きてるんだろうから始まって、
そこから毎日の日々の生活の中のちょっと違和感があったりストレス溜まってるなと思ったりしたら、
それをストレス解消で破産するのではなくて根本から解決して解決するとか、
そういうところをやっていく中で哲学的思考を深めていくってことだと思うんですよね。
それをある案件に対してぶつける。
いろんなことを自分のハートしかわからないわけだからね。
他人のアンケートとかグルインはできるけど、
やっぱりハートを直接把握できるのは自分のハートだけなんで、
自分のハートでこれまでいろいろ実験した中でこう思うよな、こういう時はこう思うよなって思った蓄積を案件にぶつけるみたいなことが健全というか、
やるのがいい仕事なんだと思うんですよね。
なので、コピーライターとかもそうだけど、
コピーをやりますじゃなくて、
ここが哲学だと思ってたりとかヒューマニズムだと思ったりするんで、
そこで必要になってくるのは哲学的素養だったり、
だから周辺のアート、映画とかドラマとかもそうだし、
あとお笑いとかすごい良いと思うんですよね。
この着眼点とか、あとヒューマニズム。
お笑いってヒューマニズムそのものなんですよね。
何のことだろう。
結局お笑いってどこで笑うかって言うと、やっぱり人間の愚かしさだったり、ヒューマニズムで笑うんですよ。
ごまかそうとしている感情をついたり、指摘したりとか、
ちょっと大げさにそれを表現してみたり、コンプレックスをちょっと大げさにしてみたりとか、
結局ヒューマニズムでしかないので、
そこを割と一生懸命見ていくと、コピーとかの発想と割と近しいところがあると思うので、
45:05
面白い、なるほど。
その辺もね、マーケットとか広告とかの面白いところはそこですよね。
割と人生そのものみたいな感じがするので、
そこで熱中できる仕事ではあると思うんですよね。
なるほど。ありがとうございます。
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はい。今回ちょっといつもとは思考を変えて哲学的なことを聞いてみたんですけど、
じゅんもさん結構哲学興味あったんだなということを改めに気づいたんですが、
興味を持ったのはどの辺のタイミングからなんですか?
僕は割と中学生、高校生ぐらいかな。
哲学って存在論的問いみたいな感じだと思うんだけど、
野球部に中学時入ってめちゃくちゃ厳しかったんだけど、
周りの野球部員がめっちゃ元気なのね。
とにかくテンション高くて元気で、関西の野球部の一番運動神経いい子が入るとこだから、
陸上部とかバンバンマラソン大会で入れちゃうみたいな野球部だったんです。
で、なんかすげえな、こいつらもう生まれつきめっちゃパワーフルやんけと思って、
そのパワーについていけなかったんですよね。
すごい悩んで、なんでこんなにテンションが常にデフォルトで高いんだろうって思って。
僕はいろんな理由をつけないとテンションが保てないから、
タッチ読んだり巨人の星読んだり頑張ったんだけどみたいな。
それテンション上げるんや。
父親にその時相談したら、それはお前が周りのやつに比べて賢いってことかもしれないよって言ってくれて、
僕はすごい肯定されたというか、あ、そうか、悩めるってことはそれはそういう能力なんだなって思ったんですよね。
なるほどね。
そんなこともあって、当時大崎豊にハマったみたいなこともあって、
高校生の時も割と哲学少年というか、浮き沈むがすげえ激しかったんですよね。
良いことを言って周りを感心させたと思えば、
翌日その反動でめちゃくちゃブルーになってるみたいな。
相次き質みたいなのがあって、
俺このまま行くと人生つらいぞと思ったのね。
48:02
だから哲学書みたいなのめっちゃ読んだんですよね、その頃ね。
確かに人生の悩みの答えを書いてる本ですもんね、ある意味でいうとね、哲学書っていうのはね。
そうそうそうそう。
そうなんですよね。
早めに解決しとかないと、やばい、受験もあるし、そろそろって思い出して。
だから、高1、高2ぐらいでなんとなく読み漁って、一旦解決した感じがしますね、みたいな。
その辺で哲学とか、自分なりの考え方みたいなのは一旦整えた感じはしますね。
なるほどね。
でも何か悩みがある時に、哲学でそれを考えたらどうだろうっていう打ち手を持っているのは、すごい人生の強みかもね。
そうですね、確かにね。
僕ね、最近思ったのは、大谷翔平ってあんまりスランプがなくて、毎年毎年課題を確実に達成していくんですよね。
今年はホームランやったらホームラン伸ばすし、今年はホームラン維持しながら打率を伸ばそうと打率伸ばすし、
今年はスライダーを当てたらスライダーをすげえ曲げるし、みたいな感じで。
何が他の人と違うんだろうと思った時に、あの人って真ん中に自分の感覚を置いていなくて、真ん中に数字を置いてるんですよね。
変化球だったら回転数、ホームランだったら角度とか、だからスランプがないんですよ。
数字に対してどう触れているかということしか感じなくて、
これって人生にも割と似てるところがあると思って、
自分の中のふわふわした悩みだけをくるくる回していたら、ずっと相対なんでスランプはいつか訪れるんですよね。
だから何かしらその絶対的な誰かが積み上げたもので壁を1個作っておくと、そこに対してどうなのかなっていうふうに考えるので、
前回はこれで解消したけど、今回は解消しないんだったらその解消しない理由は何だろうとかっていうのを、
一応絶対的な距離感で考えられるので、一個一個ぶどうまっていくと思うんですよね。
それが成長になっていくと思うんですけど。
そうか、すごいね。通訳の人が捕まってもスランプにならないってすごいね。
そうだね。確かに睡眠がちょっと減ったとかって言ってたけど、その程度で成績には響いてないっていうのはすごいですよね。
絶対、だって自分のお金の何億も使い込もうとされたわけでしょ?
絶対ホームラン打てなくなるよね。あんなすごい繊細なさ、動きしてるはずなのに。
そうやね。
確かにね、その軸を持ってるっていいかもな。
大谷翔平の哲学の基本には中村添夫っていう哲学者がいるんだけど、
僕も高校の時、割と言うんだな、それで。
僕の絵なんか不眠症とか一瞬あって、不眠症が一発で飛ぶ本だっていう笛飛んで、
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へーと思って言ったら本当に飛んだんだけどみたいな感じで。
松岡修造とか、あと稲森和夫とか、長森修行とか、
割とすごい人はだいたいそれの本で一発で飛んでるみたいな感じなんだけど。
まあそうね、哲学で言うとおすすめかもね。
なるほど、読んでみよう。
そういうのあるよな。
俺も高校の時によく読んだ本は、道は開けるっていう。
デールカーネギね。
めっちゃ読んだ。
あれとかはめっちゃ読んだ。
道は開ける、確かに。
最近また誰かに送ろうと思って読み返したんだけど、
これ確かに自分の中に普通に思考回路として入ってるわって思ったのね。
問題が起きた時に問題の全部分解して起き得る最大のリスクを考えろみたいな。
書いてる書いてる。
普通にやってるわと思って。
それ、ここの本だったんだとかって改めて気づいた。
なるほどね。
カーネギはいいよね、人を動かすのも含めて。
そうそうそう、その2冊はね。
あの2冊はすごいいいですよね。
めっちゃ読んでた。
聖書の次に売れた本ってわかりますよね。
確かに。
だから、人生を生きていく上で何か悩んだりとった時に参考にする本を持っているっていうのはとても大事だろうな。
そうじゃない人もいるもんね。
多いもんね。
そういう本って、僕は高校生に読んだ本を悩むごとに読むので、
2、30回くらい読んでるんですよね。
そのたんびに違うところに気づきがあるので、
いい本ってそういうことだと思うんだよね。
確かにね。
まずはそのいいものに出会うってことと、
いいものに出会ったらそれをとことん付き合う覚悟を決めてっていうことだと思うんだよね。
新しい本をたくさん読んで、最近一番新しく読んだ本にモードが占領されるみたいなのって、
それは一番ダメだからね。
何もわかってなくてもやることだから。
昔の本であればあるほど、あらゆる歴史の流れを乗り越えてきて今でも読まれ続けている本だもんね。
そうだよね。
歴史の検証に耐えとるわけですよ。
間違いないよね、それはね。
間違いない。
哲学とかあんまり考えることもないっていうか、無意識なんだろうな。
ある程度ハーネギーの本を悩んだ時に読むとかは、別に哲学考えてる気はないけどやってたりするから、
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でもそれを自分が持ってるか持ってないかによって人生への向き合い方は全然違うと思うから、
そういうのはあったほうがいいんだろうな。
みなさん受験科目、倫理だっけ?哲学があったんですよね?
そう、僕は理系だったけど、世界史か日本史か何回センター試験で受けなきゃいけなくて、倫理が一番簡単なんですよ。
受ける人が少ないし。
そうでしょうな。
なので、僕は倫理選択だったんで、哲学の本当時、教科書は結構読んでたけど、
別にね、教科書に書いてあることは本当に面白くなさそうに書いてるからさ、
今日の紹介した本みたいに、ハイデガーはこう言ってるけどこれは違うんだみたいなことは教科書には書いてないからね。
ハイデガーはこう言っててフロイターはこう言っててみたいな、結局何なんだみたいな風に。
音楽を教えてほしいよね。ハイデガーの生き方当時はみんなが何に悩んでて?みたいな。
そこ欲しいっすよね。
それがないとなんか、全然記憶科目でしかないかったから。
でも同じ記憶科目ならいいと思うけどね。
でもそれをやることによってハイデガーという人っているよねっていう知識がなってるからね。
それは確かに今回の本を読んでても、ハイデガー、名前は知ってるぞと。
やった人とかは何も覚えてないけどみたいな感じではあった。
そうだよね。
なんか考え事とかいざ本気で何かしら人生悩み直面した時に、
なんかふとそういう記憶がある人とない人だとその考え方とか対処の仕方もちょっと変わってくるような気もするので。
変わってくると思う。
まさにだから教育の役割よね、こういうところってね。
そうだね。最低限だね。最低限そこを教えておくってことと、
でも今今の教育はダメだと思うのはやっぱり根本を教えないことだよね。
この考え方とか、なんで生きてるのかみたいなそういう哲学的なこととか、
あと悩み方とか、あとは知識を現実にどう結びつけるかみたいな話とか、
そのあたりのことは一切飛んでいるので、
まあだからペーパーは解けるけど人生は解けないっていうのが日本人じゃないですか。
そうだね。
そこは弱いですよね。
そういう訓練受けてないもんね。
うん。
なんか韓国この間行ったらめっちゃデモ活動してるんですよ。
すごいそういう文化っぽくて、いろんな党があって、
それぞれの党ごとですごく意見の対立があってディスカッションめっちゃするらしいんですよね。
それは歴史的背景で言うと、
あの半島って昔からいろいろと高国だったり下らだったりとか国が結構分かれていることが多かったので、
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いろんな派閥があって、そこでの競争によって国ができてたっていう背景があるみたいで、
だから結構議論もする国らしくて。
日本からすると、こんなに熱狂的に政党のデモとかする人あんまりいないから文化の違いを感じたけど、
そうやって主張するのも一つの人生の訓練というかね、いいやり方な気もするなぁ。
そうだね。思想と行動がわりと純潔で、純接に結びついてる感じがありますよね。
そういうのって一定大事だと思うんですよね。
アイデアに対する臨場感っていうの。
知識は知識です、ふわっとみたいなのって単に受験勉強的な発想であって、
そもそもアイデアとかってもっと切実なものであって、
生み出されたのはもっともっと切実な気持ちで事情とかで生み出されたものなので、
そこに対してふわっと捉えたら何もわかんないと思うんだよね。
暗記はできても理解が全くできてないと思うので、
そこのイマジネーションというか、本当の意味で理解するにはやっぱり、
もうちょっとアイデアの臨場感をどう高めていくかというか感じている。
だから感受性だよね、さっきの話を言うと。
そこがめっちゃ大事だと思うんですよね。
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