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今日も始めていこうと思います、読書のまにまに。
この番組は、あらしろゆうきがナビゲートしてお届けしております。
読書のまにまに、この番組は、読書の途中で生まれてくるいろんな声を聞いていく番組です。
本手、読み切ることが念頭に置かれることが多い気がしておりますと。
けど、読むって難しいなと思っています。
読み切ることに意識を向けて読み終えると、あんまり覚えてなかったり、
あれ、この本手、なんで読んだんだっけ?と、わからなくなったり、僕は結構したりするんですね。
この番組では、読み切るとか読み終えることには重点を置かず、
読んだ数十ページ、もはや1ページですね、もはや手で触れただけでもいいかなと。
ゲストの方に思い出す本の感覚を聞きながら、
この瞬間の読書を楽しむことに意識を向けていこうと思っております。
さて、今回はですね、第7回ということで、今回のゲスト、
畳職人の田中宏幸さんです。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
この番組始まる前もちょっとお話をしておりましたが、
随分とご無沙汰しておりますというところで、
大体お喋りするのはコロナ禍前ぐらい以来なので、5年ぶりぐらい。
ちょっとあれですよね、2010、何年でしょうかね。
最初お会いしたのって。
最初はたぶん。
16年とか17年とか。
そうですね、自分側でしたよね。
テレビか何か出た。
あー、そうでしたね。田中さんがテレビ。
どんな番組でしたかね。
和風総音響ですよね。和風総音響っていう職員さんに
はいはいはい。
それで見ていただいて、ご連絡いただいて。
そうだ、そうだ、そうだ。
そうでした。一番最初に番組見てから田中さんに会いに行ったような記憶が。
そうです、そうです。なのでもう7年とか前になるかもしれないですね。
そうですね、そうでした。
いやー、その後なんかよく田中さんにお会いさせてもらったり、
それこそ職場というか畳作ってる場所にも遊びに行かせてもらったりとか。
そうしてくださって、お越しいただいて。
今もあれですよ、家に畳のちっちゃいやつ。
あー、はいはい。ありがとうございます。
作ってもらったやつありますよ。
ありがとうございます。もういい色になってんじゃないですかね。
いやー、今日はこうやってお越しいただいてありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっとなんか畳職人のステフに僕も今お伝えをしましたが、
皆さんも畳職人の方のお話をあんまり聞いたことがないみたいな方も多いかもしれませんが、
ぜひですね、田中さんに自己紹介お願いしてもよろしいでしょうか。
はい、改めまして東京都大田区大森で
田中畳店の4代目をやってます。田中博之と申します。
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昨年ですね、法人化しまして株式会社リクラの代表取締役でもあります。
畳を通して、いろいろ日常生活にアクセントを加えていこうというスタンスでやっております。
今日はもよろしくお願いします。
お願いします。
なんかこの番組始まる前に一瞬だけ社名の話いただいて、
その社名がリクラっておっしゃっていただいてましたけど、
そこの背景というかがすごく聞いてみたくなったんですけど、
どういう経緯でその名前になったんですか。
そうですね、元はリクラシックっていう
古典というか昔の再発見とか再解釈とかそんな意味でリクラシック。
なるほど。
それの頭を取って、なんか長すぎるかなと思ったんでリクラっていう風にして名前にしましたね。
ざっくり言っちゃうと、友達と飲んでてそんなノリで決めちゃったってこともあるんですけど。
リクラだったらリクラシックでクラシっていうのも入ってんじゃないかみたいな。
なるほど。
そういうのもかかってんじゃないみたいなノリで、
それいいなみたいなのでノリで決めちゃったとこもあるんですけど。
なるほどな。
ありがとうございます。
今のリクラさんのこと、クラシのこととかちょっと
っていう単語を今言っていただいてふと思い出したんですけれども、
やっぱり田中さんと昔よくお話ししたと思い返すと、
畳のことももちろんそうなんですけど、CGのことをすごい思い出すなと思ってまして。
そこら辺もちょっと一瞬お話いただけたら嬉しいなと思ったんですけど、
田中さんって一番最初はCGを作るお仕事されてました?
そうですね。自分の場合って大学出てちょっとフラフラしてたとこ、
別の資格をちょっと勉強しようと思ってて、
それがうまくいかなかったんで、方向転換ということで空間の方をやろうと思いまして、
まずは植物の会社で植物をちょっと売ってたんですよね。
あれ?そんなのありましたっけ?
そうなんですよ。そういうのが実はあって、
その後に空間デザインの会社に入って主にCG制作ですね。
空間パース、CGパースを作る仕事をしてまして、
その後にそこを辞めて、5年か7年畳縄修行で出て、
実家に戻って独立するような感じの流れになりますね。
植物部は全然存じ上げてなかったような気がしました。
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そうですね。本の話で言うと結構そこで会った人の影響がでかかったかなっていうところがあるので。
そうなんですか?
そうなんですよ。
それでちょっと先に聞き始められたらなと思って。
ああ、そうですか。はい。
ぜひぜひ。植物を売る会社をやっていた時に、他の方からご紹介の本とか。
そもそも自分がそんな読書人間ではなかったんですね。
文字をタイプ読む人間ではなかったので、
本当に本を読み出したっていうのは、本当その時期25歳ぐらいからすごく本を読むようになった。
その時のたまたま上司についたマネージャーが、本は読めと。
っていうところで、その時に一冊紹介されたのがデバレッジリーディングっていう本があって、
それは多読のすすめみたいな本だったんですよね。
で、そこでその本を読んで、いっぱい本を読んだ方がいいんだなみたいな。
時間がないから本を読めないんじゃなくて、本を読まないから時間がないみたいなことがあって。
そうなんですよね。
なので、そこからすごくその本に書いてあったこういう本がいいんじゃないけど、原理原則の本とか。
みたいなビジネス書だったりとか、そういういろいろ本が紹介されたので、そこからグアーっていろいろ読み出すようになったっていうのがベースにあったりしたので。
なので、自分の場合って読書っていうのをどちらかというと楽しむっていうよりかは、もともとは目的的な。
グアーって読むっていうものが大半だったんで、でもそこで読むことによって比較的いろんなジャンルというかも見るようになったというか。
そういうとこがあるので、僕その時の出会った経験、人と出会って、そういう読書的なとこでいうとすごく影響を受けたというとこかなと思うんですね。
なるほどな。ちなみに25歳の時っておっしゃってましたけど、それまではあんまり本は読んでなかったっておっしゃってたじゃないですか。
そういうふうに読む機会とか、ご自身で読み始める機会みたいなのはなかったっていう感じだったんですか。それともあんまり興味が湧かなかった感じだったんですか。
そうですね。それまでほぼ小説とか読んだっていうのがほぼなくて。
いまだに覚えてます。あんまりない分、初めて文庫というか買って読み切った本とかが中1の時に、あ、そういえば赤川二郎のミケネコホームズだったなとか、はっきり覚えてるんですよ。
すごい面白い。
それは読み切ったなとか、そういうのとか。だからどっちかというとそれまでは、例えば国語の授業とかで文章を読むじゃないですか。あれの方が圧倒的に多かったというか。
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なるほどなるほど。
こういうので読んでたぐらいで、本当に本を買って読むというのはあんまなかったなと思って。
めっちゃ興味出てきちゃったんですけど、赤川二郎さんのミケネコホームズは何でそれ覚えてるんですか?
もう本当に唯一、初めて自分が文庫本を買って読み切ったっていうのが唯一かなと。例えば小学校とか読書感想文とかあるじゃないですか。
はいはいはい。
で、基本的にそういう文字を読むのがそんな好きではなかったんで、もう本当に始めと後書きだけを見て読書感想文を書くみたいな人間だったんで、ずっと。
はいはいはい。
だったので、ミケネコホームズを読んだ時のなんとなく感覚的に、国語とかで結構文章読むじゃないですか。
はい。
こんだけ読んでたら本読み切れんじゃないかってちょっと思ったんですよ。
あー思ったんですね。
そうなんです。これだったら自分はやり通せるんじゃないかみたいなとこがあって、それで読んだっていうのが初めですね。
で、私結構ミステリー小説とかずっと結構読んでるタイプだったんで、その映像があったんですよ。
あったんですけど、自分はそこをまだ行ってなかったんで、その時に初めて読み切ったなっていうのを、なんか経験として覚えてるというか。
はー、なんかいいですね。読み切ったみたいな感覚を人生で一番最初に持ってる本って何ですかって。
なんかよく考えたらあまり他の人とあんまり話したことがない話ですけど。
聞けると面白いですね。
覚えて、逆に覚えてます?そういうのってあります?
えー何でしょうね。一番最初に読み切った本。
何だろう。僕の話になっちゃいますけど。
あんまり読み切ったってなるとあんまり覚えてない。逆に小っちゃい頃からめちゃめちゃたくさん見たり読んだりしてたような気がしていて。
ただ一番最初が何かで言うと、
たぶん自分の感覚だけじゃなくて、人から聞いた話も含めてですけど、
ハラペコアオムシってあります?
絵本ですよね。
絵本です。
アオムシがずっとたくさんペラペラめくっても全ページアオムシが書いてあるような絵本が。
たぶん今もちっちゃい子向けの絵本であるんじゃないかなと思うんですけど。
たぶん僕が本当にちっちゃい頃にハラペコアオムシの本をかじりつきながら、
本当にリアルにかじって読んでいたというか眺めていたみたいなのは、すごい母親からよく聞いてたんですよね。
本当にかじって、かじり跡まみれの本が家にあるんですけど。
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もしかしたら僕の感覚がそれ残っているわけではないんですけど、
その本とかを見たりすると、すごい自分として読み切ったというか。
なるほど。もう味わったってことですね。味わい切った。
味わい切った。実際に口としても味わい切ってる。
なるほど。
ハラペコアオムシがあるかもなっていうのを聞かれて初めて思いました。
それおいくつぐらいとかって覚えてます?2歳とかそうですよね。
いやーでもかじってたぐらいなんで2歳。
ですよね。
さすがに5歳とかでかじってないと思うんですけど。
なるほどなー。
でも面白いですね。
記憶をたどるとね、結構ね、意外にその時のって、
自分なんかも多分ね、それぐらいの時に読んでたのって、何でかうちに妖怪辞典だったんですよね。水木しげるの。
えーなんでですかそれ。
バカ。誰、親が買ったんですかね。
へー。
結構それは未だに見てたイメージがあって。
妖怪辞典。
うん、それの趣味というか思考っていうのは未だにちょっと残ってたりするんですけどね。
え、それ残っててどういうところでかじるんですか。
あのー、さっき言ったように25歳ぐらいまでまともに読んでなかったんですけど、
特に小説とかってほとんど読んでなかったんですね。
なんですけどその時に、たまたまそれこそ手に興味引かれて取った本っていうのが、
京極夏彦の公説百物ばかりってやつだったんですよ。
あれは元々妖怪と人間を絡めた本で、結構それはハマっちゃったというか珍しく小説にしては。
へー、そうなんだ。
妖怪っていう存在を利用して人間の心理が動いていくみたいな仕掛けで、
悪さをした人間が妖怪の存在を利用して復讐というか、とっちめられるみたいな感じの流れだったんですけど、
これよくできると思いながら見てて結構ハマっちゃった。
へー、それはいくつぐらいの時だったんですか。
それこそ25とか前後ぐらいだったと思うんですよね。
あー、そうなんですね。
あんまり読んだ記憶が、そういう小説とか読んで記憶がない分、すごく印象としては未だに残ってるんで。
あー、そうなんですか。面白い。
でもなんでご自家というかご自宅に妖怪1点があったんでしょうね。
本当謎なんですよね。
で、僕の当時なんかVHSってビデオをやっとうちにちょっと感じたっていうタイミングで。
で、どっから持ってきたのか、その時も漫画でゲゲゲの来たのがあったんですよね。
あ、あったんですか。やっぱお父さんの方が好きだったんですかね。
なんすかね。でも父親がそういう親からそういう話聞いたことないので、誰かがこういうルートでそれが渡ったのかが全然わからないんですけど。
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今代だからそういう妖怪とか、そういう得体の知れないものって結構好きで。
へー。そうなんだ。得体の知れないものか。
面白い。ありがとうございます。なるほどな。
ちなみに今伺ってみると、さっきほら25歳のときの会社で、上司の方からレバレッジリーティングを教えてもらってってお話から始まってきましたけど。
レバレッジリーティングっていう本自体は、今も結構田中さんの中では残ってるものなんですか。
そうですね。本自体を残っているっていうよりかは、やっぱり本を読んでいくことの大切さというか。
大切さですね。自分の場合って、特に自分の状況にもあるんですけど、あんまりそういう大きい会社で働いて、人ともうすぐ関わりながら仕事をしてるっていう結果はそこまでなかったので。
もう本とかからできるだけ得るものを得ていこうとか、なんかそういうとこがすごくその時期は感じてたんで。
ちょっとでも自分の判断とかやることに対してのヒントというか、そういうのが少しでも欲しかったというか。
そういうのもあって、少しでも本をいろいろ読みまくったりとかして、自分の中で吸収していったってあれはないんですけども。
そういうとこが大きかったかなと。
へー、なるほどな。
今でも視野を広げたいとか、そういう時はできるだけ本屋とか行くようにしますね。
ちなみに、最初どういう流れで植物にたどり着いたんですか。
植物には吐き捨てちゃうと、自分は元々警察官になろうとしてたんですよ。
あ、そうなんですか。
そうなんです。なので大学も心理学科出てるんですよ、自分は。
はー、なるほど。
心理学科を出て、本当は犯罪審理とかそういうのをやろうとしてて、そのために警察官になろうと思ってたんですけど、それはなんというかうまくいかなくて。
それでもうさすがに一回方向転換しようと思った時に、その時に実家の畳屋っていうのもあったんで、空間に携わるものから入っていこうと思って。
その時に直接空間とかちょっとオプション的なところでグリーンっていうのを多分今後感覚的に自分の中で入れたいところがあったので。
それでそれを起こしたら、最初は契約というかそういう感じで入ったんだけど、そこに入ったっていう流れですかね。
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なるほど。
ご実家が畳屋でやられてたわけじゃないですか。
その環境の中で警察官になるみたいなイメージはいつぐらいから持たれていたんですか。
それは多分3歳とか4歳ぐらいの時に。
本当にちっちゃい頃なんですね。
幼稚園の成りたい職業に書いてましたね。
へー。すごい。それ本当に大学時代とかその後とかもそれになろうとしてたっていうのがすごいですね。
20年ぐらい前から思ったことを実現しようとしてたんですね。
そうです。本当は高校出てすぐになろうかなと思ったんですよ。
元々すごいテレビっ子だったんで、当時昔ドラマで左相対抗ってドラマがあったんですよ。
それが犯罪心理捜査官の話で、それ見てこういうのがあるんだって思って。
それで心理学っていうの面白いなと思って。
それで大学で心理学科を受けてたというか、入ったっていう。
なるほど。そうなんだ。
ちなみに本当にちっちゃい頃3歳とかっていう、
それぐらいの時に警察官になろうみたいな風になりたいって書かれてたと思うのを今おっしゃってましたけど、
その時の感覚として、どういうものに憧れてたのか、
どういう感じで警察官になるイメージをしてたのかってもうちょっと聞いてもいいですか。
たぶん当時、刑事ドラマとかじゃないですか。
警察官とか刑事はかっこいいなと思ったんじゃないですかね。
へー。
なんとなくですけど。
なるほどなー。そっかー。
あー、すごいなー。
だいぶトリッキーにはいきてますけどね。
だいぶグネグネーってなってますからね。
ちなみに、たなかさんと数年前、よくおしゃべりしたときに、
周りにいた皆さんともよく話したけど、
畳のやられてるご実家とかに終わりになったときに、畳の家を継ぐみたいなものとかっていうのは、
結構ちっちゃい頃からお父さんたちだったりとかに言われたりとか全然なかった?
全くないですね。
全くなかったんですか。
むしろだから兄貴いましたけど、兄貴は継がせなかったんですよ。
あーそうなんですか。
この先たぶん厳しいだろうなって思って。
なので自分が最初に、もともとやろうと思ってなかったんですよね。
自分がやろうと思ったのは30歳を超えてからだったんで。
あーそっかそっか。
30歳を超えてから、いろいろ思うところがあって、
だいたい30歳ぐらいになると皆さん考えるじゃないですか。
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このままでいいのかなみたいな。
あれにあたって。
それで、やっぱりここの景色というか畳にそういう風景というか、
残したいなっていうのと、あと同時に畳ってもの自体、
日本人の人、自分もその時思ったんですけど、
改めて畳ってどんなものと思った時、わからなかったんですよ実は。
というところって実は可能性かなってすごく思っちゃったんですよ。
へー。
だから残したいというか、この可能性をもっと広げたいっていう感じになって、
それで畳職人に行こうと思ったんですね。
へー。なるほどなー。そっかーそっかー。