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2023-06-04 26:26

グループホームの持つ問題点と異世界転生について想像してみた。

タイトルが突拍子もない感じになりました(;^_^A


久しぶりの「妄想大百科」では、異世界転生した僕が生き残ることができるのか、という妄想をしてみました。


グループホームに関しては、2009年に角田慰子さんが書かれた、「日本の知的障害者グループホーム構想にみる「脱施設化」の特質と矛盾 : 施設主導型定着の背景」をもとに話をさせてもらっています。


参考文献のURLはこちらになります。

日本の知的障害者グループホーム構想にみる「脱施設化」の特質と矛盾 : 施設主導型定着の背景 (jst.go.jp)


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00:09
おはようございます、マコトです。 これね収録をね、6月の3日に行っています。
で、明日、 6月4日ですね。
三原にあるね、フジグランというショッピングセンターで、 自転車ロードレースのパブリックビューイングがあるんですよ。
これね、おそらく7月にある、 詐欺島であるね、自転車ロードレースのプレイベントみたいな感じなのかなっていうふうに思うんですよ。
で、 まあ広島のね、
プロロードレースチーム、ヴィクトワールの選手も来るし、 行きたいなっていうふうに思ったんですけど、なんとね、6月4日の僕の勤務はね、宿直でして、
宿直っていうのはね、朝仕事に入って、 次の日の昼前までね、仕事があるわけなんですけど、
なのでね、行けないんですよ。 で、このイベントがあるのを知ったのがね、
6月に入ってからでして、6月何日?1日とかかな?に知ったんですけどね、 それじゃね、
勤務が出た後なので遅いんですよね。 なので、お願いします。そういう面白そうなイベントは、
勤務希望のできる先月の20日までに教えてください。
まあ基本ね、多くの人が日曜日は休みだと思うので、 そういうイベントね、日曜日に行われるんだと思うんですけど、
まあね、仕事からね、休みが不定期な方もいるんでね、 そういう人にもちょっと配慮して欲しいなぁなんていうのを、
このポッドキャストで愚痴ってます。 といったところでね、今週も窓の外にいる皆さんに向けて僕の思っていることなどを伝えていきたいと思います。
窓の外、スタートです。 さて今回は久しぶりに妄想大百科のコーナー行ってみたいと思います。
ほんとね、何ヶ月ぶりだろうっていうコーナーなんですけど、 今回のお題、こんな感じです。
実際に異世界に行くことがあったら、僕はそこで生きていけるんだろうか。 2、3年くらい前からね、異世界転生物っていうのがアニメだったりね、
ライトノベルだったりで流行ってるかなと思うんです。 例えばね、転生したらスライムになっていた剣とか、
03:06
オーバーロードとかなんですけど、 これらはね、転生なので、
まあ現地の言葉がね、わかるっていうのはまあ良しとしましょう。 でもね、この前ゲートっていうアニメを見たんですよ。
なんか、 門が開いて異世界とつながって、そこに
日本の自衛隊が行くっていう話なんですけど、 これは転生ではなくて、
生きている人間がね、 その現地に行くわけなので、もちろん言葉が伝わらないわけなんですね。
で、どういう形で喋れるようになったのかっていうのははっきりと覚えてないんですけど、 もしかしたら何かそういうアイテムがあったのか、
日本語なり英語なりが喋れる 種族、または人物っていうのがいたのかもしれないんですが、
徐々にね、コミュニケーションが取れるようになっていくわけです。 なんですけど、実際そういう状況になると、
相手の世界にね、こちら側の言葉が理解できたり喋れる人っていうのはいないと思うんですよね。 となると、
一からね、全部言葉を覚えないといけないし、 その相手の言っている言葉が何を示すのか、
それがね、例えば日本語で何を意味するものなのかっていうのをね、 一から作り上げていかないといけないんですよ。
これね、たぶん言語学とかで、もちろんあの未解の言葉を理解するであったり、 そういった分野もあると思うので、
全くね、できないことじゃないんだとは思うんですけど、 にしてもね、すごく大変だと思うし、
そういう知識がない人がね、そっちに行っちゃうと、 本当苦労するだろうし、もしかしたらね、
生きていけないかもしれないなっていうふうにね、思ったわけです。 そういう状況に陥った時に、自分ならどうするかなと思ったら、
やっぱりね、 スマホ、便利だと思うんですよね。
例えばあれってね、動画が撮れるじゃないですか。 で、何か飲み物が飲みたいっていう時に、例えばその水だったら、
顔が流れてるね、水の動画とか写真とか。 で、あとはね、それ、水じゃないにしても何かを飲んでる人の動画を撮って、
あとはね、指をさして、これをこうしたいみたいな感じで、 写真であったりね、動画であったりで伝えれば、もしかしたら伝わるんじゃないかな。
で、その時に相手の人がね、何て言うかっていうのを、 まあ、録音するなりね、書き留めるなりしとけば、
06:00
そこからね、水を飲みたいっていう一つの文章を覚えれるかもしれないし、 そういうふうにね、思うと、
いやー、なんかね、人間の技術っていうのは異世界で生きていく上でも、 使えるものなのかな。
まあ、それがあったらね、僕は生きていけるのかもしれないなぁなんてね、 変な希望を持ったりしました。
まあ、ただね、スマホって結構電池食うじゃないですか。 しかも動画とか写真を撮るとあっという間にね、電池がなくなっていってしまいがちなので、
充電するね、方法はしっかりと確保しとかないといけないなぁとかね。
なんかね、昼過ぎにそんなことを考えて、一人でね、 くすっと笑ってみたりしたんです。
なんかね、生きていけるのか生きていけないのか、 よくわからないような内容の妄想なんですけど、
まあ、そんなことを久しぶりに妄想してみました。
さて次は、ニュートンのリンゴのコーナー行ってみたいと思います。
今回はね、僕が仕事しているグループホームのことについて話をしていきます。
知的障害者施設の脱施設化とその矛盾ということで、 2009年に角田康子さんの研究された内容を基にして話していこうと思ってます。
今回ね、参考にさせてもらった論文については概要欄に載せておきますので、 気になった方はね、そちら参照していただけるといいなというふうに思いますので、よろしくお願いします。
まずね、グループホームが制度化されるまでの経緯について話していくんですけど、
1960年代に福祉六方が確立したのを機に、 福祉政策の重要課題であった社会福祉施設の整備と拡充が経済成長期の潤沢の資金を元に行われていったんですね。
その後、1970年代半ばの低経済成長期に入っても、 知的障害者施設、当時の厚生施設とか受産施設というものなんですけど、この数っていうのは増加の一等をたどっていきます。
この理由としては、施設入所が最善であるという風潮と、 当事者家族とか施設関係者の要望があったことに加えて、長期展望を欠いた知的障害者福祉政策の展開があると、著者の角田さんは指摘されています。
長期展望を欠いた政策というのはどういうものなのかということなんですが、 これは1960年に制定された精神迫弱者福祉法、これは厚生と並んで保護を目的に掲げていたんですが、
厚生にあたる軽度知的障害者の経済的自立に関してはほとんど触れられていなかったんです。 つまり、保護はするけど、その後の自立に関してあまり考えられていなかったというわけですね。
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このように出口が決まらないままに入所施設へ入所が推し進められていくことになります。 入所する知的障害者の年齢は比較的若く、そのため入所者はその施設で長期にわたり生活することになります。
加えて、入所希望者は毎年のようにいるので、施設はすぐに定位に達してしまうんですね。 そのため、入所希望者を受け入れるために新しい施設が必要となり、それが立てられていくというような循環が繰り返されていきます。
こういった感じで、入所施設の数と入所者の滞留問題というのが徐々に慢性化していくわけなんですね。
1970年代に入ると、1971年国連の精神痴呆者の権利宣言、1975年の障害者の権利宣言などのノーマライゼーションの影響を受けて、就労者を対象としてではありますが、施設と地域の中間施設とされる精神迫弱者通勤料。
これは通勤料というふうに一般的に言われるものなんですけど、とか、ほぼ完全に自立している知的障害者に主に住居提供を行う精神迫弱者福祉ホーム、これ一般的に福祉ホームというふうに言われるんですけど、こういったものが登場してきます。
この2つの施設はいずれも社会復帰、社会参加をキーワードとして地域生活を意識した訓練や生活支援が行われていたんですが、外観が入所施設に似ていたり、特に福祉ホームは母体施設の敷地内に建てられることが多かったので、それらを利用していた当事者としては施設で生活しているのとあまり変わりなく、通勤料も福祉ホームも施設整備の枠を超えなかったことで、
このことが東京都や神奈川県を皮切りとして、単独事業としてグループホーム類似の実践が展開されていくことにつながっていって、これが後の制度改革につながるのかもしれません。
1980年代に入ると、1981年の国際障害者年を起点として、障害者対策の充実を目指す動きと、第1次・第2次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国際障害者対策の充実を目指す動きと、第1次・第2次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国際障害者対策の充実を目指す動きと、第1次・第2次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国際障害者対策の充実を目指す動きと、第1次・第2次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国
国際障害者対策の充実を目指す動きと、第1次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国際障害者対策の充実を目指す動きと、第1次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国
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この矛盾する動向というのは何かというとですね、1982年に国連が障害者と家族・コミュニティの分断を禁止する行動勧告を含んだ障害者に関する世界行動計画というのを策定します。この策定をもとに国連は10年でこれを遂行するように加盟国に要請したんですね。これを受けて、日本でもノーマライゼーション・オイルウイルス対策の充実を目指す動きと、第1次オイルウイルス対策につながっていくことによって、国
日本でもノーマライゼーションの理念化を具体化する施策として、在宅福祉・地域福祉がクローズアップされていきます。しかし、当時施設拡充路線だった日本では在宅・地域福祉はイコール脱施設化というふうにはなりませんでした。
それどころか、施設のオープン化というふうに銘打たれて、在宅福祉・地域福祉現場での新たな役割が入所型施設に付与されることになったんですね。この時付与された役割としては、心身障害者または障害児巡回療育相談事業とか、障害児または障害者短期入所事業などといったものがあって、
多くの施設で今でも行われているのは短期入所事業かなというふうに思います。この施設のオープン化は本来の在宅・地域福祉サービスの理念と乖離していたんですね。
さらに高齢化問題と福祉予算の削減に伴って、障害者の地域生活支援というのはおざなりとなっていきます。しかし、施設拡充路線の限界が見え始めると、当時の厚生省、現在の厚生労働省にあたるところなんですけど、その内部でそれに対する危惧というのも現れてくるんですね。
こうして1986年4月に厚生省内でグループホーム制度化に向けた動きというのがスタートしていきます。そして4年後の1988年10月に厚生大臣宛てに精神迫弱者の住居の場のあり方についてグループホーム制度の創設への提言というのがまとめられて、グループホーム制度化の必要性が強く訴えられていくわけです。
そして、この提言を取り上げた新聞日誌、毎日新聞と朝日新聞なんですが、の社説が予算摂取を進める上でも制度化推進の追い風となっていきました。
翌年、1989年1月にはグループホーム事業を盛り込んだ平成元年度予算案が国会に上呈されて、同年の5月、厚生省児童家庭局長の通知によりグループホームは精神迫弱者地域生活支援事業の名称を関して制度化されたんですね。
15:11
施設ではなく地域での生活を支援するグループホームで利用者の生活を支える世話人が非専門職で、いわば普通のおばちゃんというふうに規定されたのですが、このため生活支援で必要な専門性を保管するためにバックアップ施設というのが必要になりました。
ここでね、非専門職としての世話人というのは何なのかということをお話しすると、施設運営マニュアルというのがあって、その中では世話人の要件として精神迫弱者の地域生活について理解し、健康で継続してグループホームの業務が可能なことと述べるに留まっています。
資格要件とかですね、研修規定というのは一切設けられていないんです。これにこうして世話人の業務では食事提供が最も重要な日常的援助として筆頭に挙げられているんですね。
その一方で、実際には最も専門性を必要とするであろう日常生活での相談、助言についてはあまり堅苦しく考えず、時折話を聞いたり話しやすい雰囲気を作るなど、またそのための時間を確保することに心がけてほしいというふうに言及されるに留まっていて、世話人の業務としては必ずしも重要ではないというふうにされているんです。
これについてはね、多分賛否与論あるかなというふうに思います。
じゃあなぜ世話人が専門職ではなくて非専門職なのかというところなんですが、この理由としてはグループホーム制度課の中心的役割を果たした中澤拓司さんがですね、話をされています。
施設が職員に専門性を求めるのは、専門機関として指導訓練を重要視しているからである。
しかしグループホームのポイントは、あくまでも街中の普通の暮らしである、指導の場ではない、そのことをきちんと認識するならば学歴や資格は問題ではなくなるであろう。
グループホームは必ず日本全国つつ裏裏にできるようになる。
その時、資格がこれでなければダメなどということでは、グループホームは地域生活の中の特別な場になってしまうであろう、というふうに述べているんですね。
これに関しては確かにね、就業当時っていうのは非専門職で普通のおばちゃんでもいいんじゃないかなっていうふうに僕も思うんですが、
就業した後にね、障害特性とか支援技術などの専門性を身につけていってもらえたらいいんじゃないかというふうに思っています。
18:02
バックアップ施設があってね、専門的な関わりはそのバックアップ施設の職員が行うとしても、
利用者が生活しているホームで最も関わり深いのはやっぱり世話人なんで、
その人がある程度専門的知識を持っているっていうことは、そこで生活する利用者の生活にプラスに働くんじゃないかっていうふうに思います。
この専門的知識の指導というかね、習得に関してはバックアップ施設の業務の一つに世話人の業務のすべてに関する指導の項目があるので、
そこで行われていかないといけないんでしょうけど、バックアップ施設の職員というのも決して人員が多くないんですね。
なので世話人の専門性の教育とか指導まで十分にできないっていう現実もあるんじゃないかなというふうに僕は思っています。
僕が知る限りでの施設の内情なので、決して多くはないから、そうとばかりは言えないかもしれないんですけど、少なくとも僕の周りの施設ではそういった感じがあります。
またね、世話人が非専門職となったもう一つの理由として、バブル崩壊に伴う国家財政の危機認識と親なき後を懸念して入所施設拡充路線を要望する親とか施設団体の理解を得るために、
グループホームを入所型施設と同規模の施策として制度化することが事実上不可能であったっていうふうなこともあるみたいです。
そこでね、安価で量的拡大を認める労働力として普通のおばさんと称される中高年の主婦層が非専門職の世話人として注目されたっていうのもね。
世話人が非専門職という一員になっているんじゃないかというふうに思います。
しかしこれはバックアップ施設の男性職員の管理の下、女性職員が直接支援を行う、加えて安価な労働者としての女性職員といったジェンダー構造などの問題も含むことになったんですね。
バックアップ施設を必要とする理由としては、先ほどの非専門職の世話人が行う業務を支援するためっていうのもありますし、この他には施設の方が安全だと考える家族の人たちにグループホームの生活は施設とは無関係の上、無資格の世話人さんとの暮らしになるといったものじゃなくて、
社会福祉法人が運営するバックアップ施設というものが日常的にきちんと支援していくので安心なんですよっていうふうなことを伝えて、家族に安心してもらうという意味合いもあったんですね。
21:17
これも中澤たけしさんが述べられていることです。
このように、既存の施設に先導される形で地域生活を支えるグループホームが展開されていくという、ちょっと矛盾したような感じもあって、これがグループホームが入所型施設の代替え施策として確立しにくい構造の一つなんだというふうに思います。
結果的に入所施設返帳の政策が継承される一方で、グループホームの展開が遅滞するという要因となっていくわけです。
この論文のまとめで、著者の角田康子さんは、グループホーム事業は、施設整備ありきの従来の施設とは一線を課す、その画期的な構想にもかかわらず、施設主導という矛盾を抱えて制度化されました。
その後、バックアップ施設要件をはじめとする初期定が緩和された一方で、世話人の規定と位置付けの見直しは緩和されています。
これは、入所型施設拡充路線が堅持される陰で、極めて低い予算で、複次的に展開されてきたグループホームの実態を示すことに他なりません。
脱施設化が本格化する今こそ、入所型施設との関係性を含めたグループホーム構想の再考と、業務実態に見合った世話人規定の見直しが寛容となるだろう、というふうにまとめられています。
この論文を読んで、改めてグループホームの問題点を認識したと同時に、日々の業務に大きな負担となることなく、支援の質を上げるにはどうしたらいいのか、ということを考えさせられました。
また、グループホームがその地域に馴染んだ建物を利用して、当初は就労している人を対象としてスタートしたというところから、建物のバリアフリー化というのは不十分です。
利用者が若い時ならそれでも良かったのですが、高齢化してきている現在では、安全な生活を支えるといった点において、世話人の役割は非常に大きくなってきているというふうに思っています。
この非専門職の世話人の役割が大きくなっていることを考えると、本当に世話人規定の見直しというのは必要だろうな、というふうに僕も思うわけです。
話は変わりますが、日中支援型グループホームや、現在は共同生活援助に一元化されていますけど、以前はケアホーム、共同生活介護というふうに呼ばれていた事業などもあって、
24:07
それらを利用することで、高齢利用者の生活の安全を一定程度は確保できるというふうに思います。
しかし、これらのサービスというのは、全てが一つの建物で完結してしまうということもあって、地域生活というよりは入所生活に近い感じになっちゃうんじゃないかなというふうな懸念も持っていまして、
こういったサービスというのを利用しながら、どのようにグループホーム利用者の地域生活を安全に継続していくのかというのが今後の課題になるというふうに働いている僕は考えているわけです。
最後になりますが、この論文を読んで読み間違いがあったりですとか、十分理解できていないところがあって、間違った内容を伝えているというところもあるかなというふうに思うので、
もしそのような矛盾点があるよとか、間違ってるよここっていうのがあれば、優しく教えていただけると助かります。
今週もお聞きいただきありがとうございます。
窓の外では皆様からのお便りをお待ちしております。
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それでは今週はこの辺で失礼します。
パーソナリティは誠でした。
次回もお楽しみに。
26:26

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