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はい、おはようございます。バスへの 精神科、リブラでございます。
これは良いのかな?OK。
今日は外来やっておりませんので、
精神科のバックヤードではありませんけどね。 また、思ったことを話していこうかな。
昨日、アップしたので、セミリンガルの話をしましたけどね。
そんな話を前から3回か4回くらい、 そんなにしてないかもわかんないけど、
結構2回はしたような気がするな。少なくとも、 同じような話をよくするわけですけど、
これね、普段から割と同じ話をするんですよね。
元々ね。スカンクさんなんかさ、同じ話ばっかりするって言ったことで、
再放送なんていうことで、ちょっと弥生されたりしてますけどね。
よくよく考えてみたら、人って同じことをよく言うよね、 っていうふうに思うわけで、
僕なんかも、普段というかな、日頃というかな、 同じようなことばかり言っている気がしますね。
精神科のバックヤードでもね。まさにそのセミリンガルの話とかは、 まさにそうなとは思うわけですけど、
やっぱね、人の思考ってのは一気に進まないんだよね。
学校の勉強とかも繰り返し大事だったりするじゃないですか。
1回聞いて分かるようになったりしないじゃないですか。 何回も何回も同じことを言っていって、だんだん分かるようになるんじゃないですか。
だからやっぱね、同じことを繰り返すというのは、 物事の理解とかに割とね、やっぱそれは、ある程度やっぱね、
必要だしでは大事なことなんじゃないかなって、 今日は思ったんでね、その話をしてるんですけど。
で、再放送だとかっていうことで、僕の話も再放送なんだけど、
セミリンガルでいろんな言葉を話すと、やっぱり深まらないんじゃないかって話は同じなんだけど、
例えばですね、覚えがないけども、多分ですね、最初の頃の放送は、
セミリンガルになっちゃって、いろんな言葉をちゃんと習得せずに、
日本語がちゃんとできないうちに英語なんかやり始めるとうまく、 一つの言葉が話せなくなるんだよ、みたいな、
と思うみたいな、割と決めつけだったんじゃないかと思う、例えばね。
それがですね、例えばね、昨日の放送では、 そのセミリンガルになっているかどうかの評価は、
セミなのかバイなのかっていうね、2つ話せるのか半々なのかっていうのは、これは主観に過ぎなくて、
つまり納得外に過ぎなくて、 これは実際には評価不能であると。
例えばその大谷翔平さんが、二刀流が成功かどうかっていうのは、
実は誰にもわからないんだっていう話を、
このバックヤードなのか、Pラインの方か、どっちで話したかは覚えてませんけども、
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そういう話をね、前もどっかでしてると思うんだけど、 そういう概念がまたここに登場するわけですよね。
で、そのセミリンガルになるから、 あんまり英語教育、僕は好きじゃないという話は前と同じわけですけど、
ある意味でもう一個のね、 ある種のことが成功なのかどうなのか、
英語教育がバイリンガルになって問題なくなれるのか、 セミリンガルとして悲しい結果になるのか、
あるいはというのはですね、大谷翔平さんの二刀流が成功なのか失敗なのか、
これは誰にもわからんというこの話、これも同じ話。
だけどこの、ある種の結果というものが、 二刀流みたいなものとかね、このバイリンガル、セミリンガル問題が、
実際それがバイリンガルになれたのかどうか、 セミリンガルになってないのかどうか、
二刀流が成功したのかどうか、 本当は一個ずつやっといた方がいいんじゃないか、
そっちの方が成功なのかどうか、みたいな、 こういう結論というのはわからないという話と、
セミリンガルは良くないという話、 それは僕のある種の考えというのが、
例えばリンクしたのは今回が初めてです、おそらく。
前回までにこういう話をした覚えはない。
だってこの、大谷翔平さんの二刀流は、 成功とはいえかどうかなんてわからないんじゃないか、
そういったことの相対論をはっきり言葉にしたのは、 そんなに前ではないはずなんですよね。
スカンクさんと話してて、そういう結論に 行ったような気がするんだが、
そんなに前じゃない感じがする。
なので、この考えと結果というものは、 実はわからないんだ。
またね、遡ってどこで放送したか覚えてないんで、 毎回毎回無計画に話してますんでわからないですけど、
ずっと聞いてらっしゃるね、 慶運なもの好きの方は、
もしかしたらわかるかもしれませんけど、
でもなんかそんな話してらっしゃったなと、 そのぐらいはわかるかもしれませんが、
ということで、今まで僕らが話してきた、 あるいは僕が話してきたある種の考えと、
もう一つまた僕が話してきたある種、 あるいは僕らが話してきたスカンクさんと、
あるいはもっと他の人と話したり、 コメントでね、チカラさんとかとね、
コメントでやり取りしたかもわからない。
明さん、チカラさんね、三宅園さんね、 まだまだね、
マキさんじゃなくて、あれ? マサイさんだ、なんだ、一瞬わからなくなった。
例えばね、たくさんの人たちとですね、 あとまあ、めにめに他にもね、
コメント、銀さんとかコメントしてくれるけど、 議論になるかな?どうかな?
議論のコメントしてくるかな? 長文コメントは三宅園さんとかぐらいまでかな?
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どうかな?長文してこないよね。 金主さんもね、面白がってる感じはするけど、
長文コメントはしてこないよな。 長文コメントと言えばチカラさんですけど、
となってなことでね、 ある種のどっかで議論したこととかが混ざってくるんですよね。
で、混ざってきて、この二つが混ざって、 また次の思考にね、またジャンプしていくわけね。
ということなのでね、やっぱりね、 同じ話をする、再放送するスカンクさんはね、
スカンクさんこれね、再放送するってね、 そんなにね、おかしなことじゃないんだよ。
で、これはね、再放送って言ってるけど、 本当は再放送じゃないのよ。
あのー、再放送じゃないのよ。 実はね、僕らがやってることは再放送ではなくて、
なんていうかな、再演? もう一回同じ演題をやってるの、これは。
演題が同じで、新しく同じ演題を 同じようにやってるわけ。
だけど、ところが、再放送ではないので、
例えば今話してる僕は1年前の僕とは別の、 1年後の僕なんですよね。
なので、再放送はさ、昔のまま映るじゃん。 そうじゃなくて、再演してるんですよ、僕らは。
マンネリなんですよ、僕らは。 再放送ではなくてマンネリズムなわけ。
ところがこのマンネリズムというものは、 全く同じにはできないわけね。
で、こう、これはね、熟成なんだよね、 僕らの会話は、これは。
なので、やっぱりね、再放送と言われるような、 こうね、繰り返しの重要性。
同じものを何回も、2つの点があると思うね。 同じものを何回もやることによって、
人はようやく、何て言うかな、 考えを体に染み込ませることができるという、
やっぱり時間がかかるというね。 何回も何回も塗らないといけないというね。
重ね塗り顔しないと、思考というのは 固まらないという問題が1つと、
もう1つは、全く同じ話をしてるわけではなくて、 同じ話をしてるつもりでも、
ある種の1つの話と、 ある種の1つの話が混ざってきたりとか、
まあ、再放送に見えるけど、実は再演なので、 再演って、もっといい言葉ないから。
もうまた、キャッツやってんじゃん、 みたいなことですよね。劇団式。
またライオンキングやってんの? みたいなところが、少しずつリニューアルしてるんだと思う。
それは、別のものと別のもの。 例えば、キャッツのリニューアル。
またキャッツをやっている。 またライオンキングをやっている。
みたいなところで、少しずつ悪くは、 基本的にはならないと思うんだよね。
こうして、新しい考えと、新しい考えが、 ある種の考えと、ある種の考えが混ざっていってね。
次の考えにきっとなるんだよね、これが。 みんなに共有概念も広がっていくわけ。
なのでね、一見意味がないように思えるね。
意味はね、一応スカンクさんのやつでね、 再放送。安心感になるとかね、可愛げが出るとか、
そういうのはあるんだけど、そうじゃなくて、 もうちょっとね、もうちょっと難しいところ。
思考が進むという点でもね、 僕らの思考が次の段階に進むという点でも、
このマンネリズム的な同じ話とか、っていうのは、 割と大事なんじゃないかなと、ふと思いました。
というお話で今日はここで終わりにしましょうね。
やめましょう。 じゃあまとめましょう、今日の話。
今日の話をまとめ。昨日、
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昨日、 生ずラップを聴いてたYO!じゃなくて、
やっぱりさ、やっぱりあのちくわさんのラップ、 もう一周聞いたけど、
やっぱちくわさんのラップ、いいなぁ。 やっぱ僕、好きだなぁ、あの人の声っていうか、
この弾む感じがリズムがねやっぱねパチーン パチーンと合うんだよやっぱでパチーン
パチーンって自分のやつ聞いたらね一箇所か二箇所ねやっぱで明らかにずれてる ところがあってね
やっぱちからさんじゃない ちからさんなんかフニャフニャフニャあのねまたあのなんとかなあの
もう遊んでるっていうかもうなんかふざけてんじゃんね まあみんなふざけてんだけどでもねやっぱねちょっとやっぱねあのちくわさんのラップだけは
ラップに聞こえたなぁ 残念だけど負けたなぁ非常に悔しい
できるつもりでやったんだけどできなかったね ちくわさんみたいにはなってなかったね皆さんで楽しそうだし皆さんお上手ですよ
お上手ですけどねお上手ですけどねリズム感で完全に負けたのはやっぱりちくわさん だなぁ悔しいねー
次も頑張ってみますよでなんだっけ えっとね昨日
の放送であえっとセミリンガル問題バイリンガル問題をやりました これは何か再放送と思われるように同じ話のようでしたところがこの同じ話と思われる中に
またもう1個同じ話である ある種の結果というものはえっとその正解かどうかというものはこれは誰にも分からない
問題みたいなこれも再放送ねこれも同じような話が前あった ところがこの再放送と最後の実は再放送ではなくてマンネリズムであって同じようなことを
やっているそしてそのマンネリである2つのことが組み合わさって出てきたりすること によって新しい概念に発展する可能性をね
あるしここからね共有の概念が広がることもあったりするわけであって ということでこのマンネリズム実はですね
まあいろんなね思考を進める意味ではね深いね 意味や必要性があるんじゃないかというお話でしたね
ねということでいいんじゃないでしょうかはいそれではねこんなところにしましょう ねそれでは皆さん今日もねありがとうございました
それでは皆さんはいさーよーなーりさーよーなーりさーよーなー最近ガリガリ君の cm あんまり見ないね
はいばいばい せよなり