1. 地名が出てくる歌について
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2024-02-07 05:21

配信091@大分市竹中:時代とともに祭りも変わる

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大分県大分市の竹中での祭りの様子が描かれる【ひとりきり/かぐやひめ】から、祭りと時代の流れについての話し。

【番組紹介】
・日本のどこかの都市を描いた歌とともに、都市や地域について語らう配信。
・国内で唯一無二のご当地ソング専門メディア。
・府中コミュニティFMで放映中のラジオ番組「ご当地ソング捜索隊」と連動して、時々ラジオのバックナンバーもお届けします。
・ラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~絶賛放送中。

【パーソナリティ】
◆ワタンド
本配信のメインパーソナリティ、都市と音楽を愛するご当地ソングコレクター。
◆しゃり
ラジオ放送のパーソナリティ。海外在住のエンジニアで主にリモート参加。ご当地ソングは素人。

【Twitter】
https://twitter.com/RRwatandia
【BLOG】
https://sublife.hatenablog.com/
【note】
https://note.com/localsong
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ご番です。この配信は、日本のどこかの都市を描いた歌と、その場所にまつわる話をしていきます。
お相手はMC、ワタンドです。よろしくお願いします。
さあ、今回紹介する曲は、「かぐや姫のひとりきり」という曲です。
この歌の中には、大分県大分市の竹中という地域が出てきます。
この竹中はですね、かぐや姫の中心メンバーでもある南光雪さんのふるさとになっています。
なので、本当に自分の原風景だったり、非常に思い入れのある場所を描いた歌という風になっています。
1番では、この竹中にトンネルを越えた先が竹中だという感じで、たどり着く、竹中に向かっていく様子が描かれています。
そして2番では、町の収穫祭の様子みたいなものが描かれていまして、太鼓が響いてみこしが繰り出し。
そんな昔ながらの村祭り、そんな様子が出てくる歌になっています。
トンネルの先にある町、さらに古くからある祭りみたいなところで、本当にトラディショナルなジャパニーズフェスティバルみたいな、
ジャパニーズフェスティバルって言っちゃうとちょっと違うけど、伝統的な日本の村祭り。
ドラの種というのは神様の、みたいな。
ああいう本当に童謡のような珍珠の祭りみたいな、そんな感じが出てくる歌にもなっています。
こういう伝統ある祭りっていうものが、なかなか今のご時世、どれだけ形を残していけるのかっていうのは非常に悩ましい問題だなというのを最近よく感じますね。
祖民祭という祭りが、古くから続いてきた祭りがですね、長い伝統を超えた先に中止するというニュースなんかも最近ありました。
一時期は男の裸祭りみたいな感じで、インパクトから話題にもなったりしたんですけれども、中止という形で、
なかなか昔から続いてきた祭りっていうものがね、今の時代になかなかそぐわなくなってきているものもあるのかなというふうに感じるんですよね。
というのも祭りの起こりっていうのは、収穫を祈願するみたいなものもあるじゃないですか。
天候とか自然災害とか、そういうものを沈めるみたいな祈りもあったのかなと思います。
自覚にしても何にしても、そういう意味では対自然の中で生まれた祈りだとか願いだとか、神への気持ちみたいなところだったと思うんですよね。
そういったものがやっぱりテクノロジーで大体解明されちゃってて、得体の知れないものじゃなくなっていると思うんですよ。
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そうすると、もともとの思いとか怒りっていうのは心からのものではなくて、もうそこはわかっていると。
願わなくてもなんとかなるっていうのはわかっているけど、昔からの受け継がれてきたものとして形外化して続いてきちゃってるみたいなところが祭りには出てきたのかなというふうに思うんですよね。
そうなっちゃうと、やっぱりどこかで惰性で続けてたりしたものだと、昔からその地域に馴染んでた人が愛着があって続けたいと思うかもしれないんですけどね。
若い人とか新しい価値観の人とかが人口流出とかそういった人も減っていくところも踏まえると、なかなか続きにくいのかなというふうにも思います。
村の祭りの担い手っていうのは、やっぱり人が多かった時代にはたくさんいたっていうのもあるんでしょうけど、なかなか人口も減っていって、若い人が少ないってなっちゃうと村祭りの担い手っていうのもちょっと不足していると思うんですよ。
そういう意味でいろんな仕事の担い手不足と同じように、祭りの担い手不足というところで少しなかなか無意識になってきているところがあるのかなというふうにも思います。
僕もよさこい祭りっていうお祭りで踊る、ある種祭りというかイベントって思われることも多いんだけども、新しく生み出された祭りをやってたりしたんですよ。
よさこいなんかは本当に自然に対するものじゃなくて、個人の楽しみだとか表現の場みたいなところだったのかなと思うんですよね。
そういうふうに思うと、得体の知れないものではなくて、本当に人中心、今生きてる人中心のお祭りっていうのがどうしても続きやすかったりもするし、今をいかに楽しむかみたいな視点とかっていうのが祭りにおいては今求められているのかなというふうな気がします。
祭りだーっていうと、楽しいみたいな、愉快みたいな感じだと思うんですよね。
得体の知れないものじゃなくて、本当に今がどう楽しいかっていうのは、価値観に祭りっていう言葉だとか、祭りに参加する意義みたいなのも変わってきているのかなというふうにも感じています。
そんなわけで、お祭りやろうの私がお勧めするこの曲という感じで聴いていただければと思います。
ちょっと村祭り、そんなものもイメージしながら聴いてみてください。
かぐや姫、ひとりきり
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