1. 地名が出てくる歌について
  2. 配信130@熊本:名前なんてど..
2024-08-27 05:18

配信130@熊本:名前なんてどうせレッテル

spotify apple_podcasts
熊本弁をまじえながら故郷への想いが歌われる【この街/森高千里】から、名前ってレッテルでしかないという話。
【番組紹介】
・日本のどこかの都市を描いた歌とともに、都市や地域について語らう配信。
・国内で唯一無二のご当地ソング専門メディア。
・府中コミュニティFM(ラジオフチューズ)で放映中のラジオ番組「ご当地ソング捜索隊」のバックナンバーも、時々お届けします。
・ラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~絶賛放送中。
【パーソナリティ】
◆ワタンド
本配信のメインパーソナリティ、都市と音楽を愛するご当地ソングコレクター。多摩地域で暮らす都市系コンサルタント。
◆しゃり
ラジオ放送のパーソナリティ。ご当地ソングは素人。オーストラリア在住のエンジニアで主にリモート参加。
【Twitter】
https://twitter.com/RRwatandia
【BLOG】
https://sublife.hatenablog.com/
【note】
https://note.com/localsong

サマリー

このエピソードでは、森隆千里さんの曲『この街』を通じて、ふるさとへの複雑な思いや方言について語られています。特に熊本と北海道の地名の違いに焦点を当てており、名前の持つ意味やその影響について考察しています。

ふるさとの思いと変化
ご番です。この配信は、日本のどこかを描いた歌と、その歌が描く地域に対する思いなんかをお届けしていきます。
お相手は、MCワタンドです。よろしくお願いします。 今回紹介する曲は、森隆千里さんのこの街という曲です。
この歌は、自分のふるさとに対する思いを歌った曲になっています。 変わっていくふるさと、変わらない魅力、そういうところのね、
違い、ギャップなんかに戸惑ったりだったり、まあしょうがないよねっていうふうな思いだったり、
そんな色んなね、地元に対する色んな思いを描かれている感じですね。ビルが建っちゃっていて寂しいなってところもあるかもしれないし、
変わらない自然もあるよね、みたいなところなのかもしれないしね。 この歌の中で方言が出てくるんですよ、方言。熊本弁なんですね。
森隆千里さん自身は熊本出身というところもあるので、 自分のふるさとへの思いの中で熊本弁が出てくるというところなので、
熊本のご当地ソングみたいな感じで、この歌は言われることがある曲です。 この歌、地名も一つ出てくるんですね。それが、とまり川という川の名前です。
でね、この川の名前、とまり川が熊本にないんですよ。
熊本の川、熊本の歌なのに、という感じですよね。 とまり川っていうのは北海道にある川で、どうやら作詞家の方の原風景、ふるさとの川の名前なんですね。
だから熊本なの?北海道なの?どっちなの?みたいなところがちょっとある、変わった曲になっています。
作詞家の方がそこまで意図せずに、両方のエッセンスを入れたというところかもしれないですし、
熊本弁を話す人が育ったのは川だったので、川というか北海道だったので、そういう言葉と地名が入り混じった設定なんだと。
そういうところかもしれないです。ちょっと解釈しろもあるかなという感じになっています。
でも、正確性を問いただそうとすると、熊本の曲なのに熊本の地名を入れるべきだろう、みたいなことも言えちゃうんですけども、
僕はそのミックス性が、解釈しろがある方が面白いなというふうに思います。
間違えたんじゃないかとかね、いうことも言えるのかもしれないんですけども、それを思った時にね、結構地名って間違えて覚えていることも多いなというふうに思うんですね。
間違えて覚えている場合もあるし、あえて全然別の名前で覚えているというようなこともあるなぁと思うんですよ。
あなたが小さい頃過ごした町で、例えば公園の名前とかさ、
多分それこそ八王子東公園みたいな名前、オフィシャルにはそういう名前の公園だけど、
プリン公園とかタコ公園とか、俗称で覚えてたりする、呼ばれてた公園ないですか。
子供たちの間でもプリン公園と呼ばれている。親たちもみんなプリン公園で覚えている。
だからもう正しい名前よりもプリン公園の方がみんなの共通認識になっているみたいなパターンですね。
さらにはそれは誰かと共有する名前として違う名称が通っている場合もあるし、
自分の記憶の時にちゃんと覚えてなくて、鉄棒がたくさんあったから鉄棒公園みたいな感じで、
名前の意味と物語
誰かと共有するわけじゃないけど、自分の中で鉄棒公園って頭の中で呼んでいる公園みたいのがある場合もあると思うんですね。
誰かと共有しようと思うんだったら、みんなに伝わる名前である必要があるかもしれないし、
自分の気持ちだと自分の記録だとか、そういったものをあくまで自分に完結するものであれば、
間違った名前であろうと、存在しない名前だろうと、なんでもいいと思うんですね。
名前って結局レッテルバリーでしかなくて、共有するためなのか、自分が認識するためなのか、それだけのものであって、
人が作り出したものでしかないと思うんですね。
だからそういう意味で、名前の正しさの必要性っていうのはあるようでなくてもいいのかな、みたいなことをこの歌を聞いていて思いました。
ともに川はどっちなんだ、みたいなことね。
さっき言った選択肢になかったものとして、熊本の全然別の川をイメージした、この歌は間違いなく熊本の歌なんだけど、
あの川のことを隣川だと幼い頃認識してしまってた、みたいなストーリーも描けるかなというふうにも思うんですね。
だからそういった意味で、名前が違ってる、合ってるっていうのは非常に些細かつ、むしろそこには物語があるのかもな、みたいなことを思える曲です。
そんなわけで、ちょっと聴いてみてください。
隣川はどこなんだろうというところもちょっと思い合わせてみてください。
森隆里、この街。
05:18

コメント

スクロール