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2024-10-14 16:56

#29 ロンドンで主夫になって2年が過ぎたので振り返ってみた(前編)

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#資本主義 #イギリス #ロンドン #渡英 #キャリア #主婦 #主夫


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サマリー

ロンドンに住む主夫は、2年間の経験を振り返りながら、自身や家族のアイデンティティについて考察しています。彼は、主婦力が単なる家事のスキルにとどまらず、自分を見失わずに家族を支える力であると述べています。また、彼は子育てや家庭内での自己認識の変化についても語っています。特に、主婦力の向上や恥じらいからの解放がテーマとなり、家族との関係性について深く考察されています。

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はたらく30代の資本主義解放宣言。 ロンドン在住の主婦でコーチのリチャと
東京在住の個人投資家でコーチの輝きです。 資本主義解放宣言は、行き過ぎた資本主義に違和感を感じる元消費者でリクルートのリチャと
スタートアップを10年を渡り歩いてきた輝きが、はたらくをテーマにこれからの新しい生き方について一緒に考えるポッドキャストです。
ということで、やっきぃさん、今週もお願いします。
ちょっと落ちましたかね。 戻ってきた?お願いします。
はい、お願いします。 私ね、おかげさまで
ロンドン生活の始まり
ロンドンに渡ってきて、主婦として暮らして2年が経ちまして
気づけば2年ということで、2年前、私35歳だった時にリクルートを辞めまして、妻のイギリス婦人について子供2人を連れてですね、
10月2日の当時日曜日でした。 早朝の便で到着して、6時半ぐらいに
宿にダンボール箱、フル梱包の20キロずつあるダンボール6箱とスーツケース2つを抱えて
大型タクシーでね、宿に着いて、よし、宿入ろうと思って、宿の入り方っていうことで、玄関先に
セキュリティーボックスがあって、4桁の暗証番号を入れると、鍵が入ってますっていうね、それがついてるんですよ。海外のエアビみたいなね。
それで開けて、開けようとして番号を入れたら開かなくて、驚っちゃうということで、
10月のロンドンもすでにすっごい寒くて、朝とか5度6度とかあったんですよね。もう息白くて、その寒い中で、とりあえず中入れねえと。
ということで管理会社の人にね、来てもらって、来てもらったら、やっぱり開けらんねえってことで、
バールとハンマーで箱をこじ上げてくれて、
箱をこじ上げたら、中に入っている鍵が使えねえっていうこともあってですね、もう意味わからん、意味わからんスタートで、
結局ドアを壊し開けてもらってですね、中入ってロンドン生活がスタートしたっていう思い出でですね、
てっきりロンドンって都会だと思ってたんですけど、とんでもねえ、これは立派な行進国だなって思ったっていうのがね、僕のロンドンの最初の印象だったんですけど。
そういうロンドンの到着から、丸2年が経ったので、ちょっとね、あの最近振り返りのノートも書いてみてですね、
ごめんなさまでたくさんの人に読んでいただいてるんですけれども、ということで今日のテーマ、ロンドンで主婦になって2年経ったので振り返ってみたっていうことで、
お話ししていこうかなと思ってます。 いいですね。ちなみにヤッキーさんも、
自分のことひもって言ってる時期ありましたよね。 ひもですよ。引き続きひもだと僕は思ってます。
思ってる。自己認識ひも。 だいすか、トランスひもじゃないですか。
トランスひも。 自称してるだけで実際はひもじゃない。
トランスジェンダーみたいな。トランスひも。 トランスジェンダーの人を悪く言うつもりはなかったです。
トランスひもだけあった。 抗議な意味で言えばひもかなっていう感じなんですね。
ちなみにその抗議の定義はどういう? どういう基準? 抗議の定義で言うと、自分の労働ではほぼ稼いでないという状況。
妻の方の会社とかの労働で、
妻の労働で自分が 生活が成り立っているという意味では。
それ割合が多いという意味ではひもかなって感じです。 なるほどね。
だから大黒柱が妻だから 男の私はひもという論点ですね。
そんな感じですね。 そういう意味では今現在進行形で大黒柱は妻なので、妻の
稼ぎで暮らしましてなんですけど、 2年前と今でちょっと変わったのは、僕は扶養家族を外れたので
扶養はされてないですよと。 なるほどね。
家族の… 自分の足で立ってるってことですよね? 一応ね。
書類上は自分の足で立ってるみたいな。 実体は違うけどみたいな。
記事書いてみて、おかげさまで先週特に好きを集めた記事です、みたいなノートから
すごいですね。
主婦力の定義
こういうの初めてだなと思いながらなんですけど、冒頭に書いたんですよ、僕。冒頭に主婦力って何だということをね、
こっちと。仮にも2年、主な夫と書いて主婦ですね、男性の。
主婦力ってどんなかなと思ってちょっと考えてみたんですけど、結局のところ
自分を見失わない力かなと、あるいは
自分を見失っても特に問題ではないっていう単力。 これが結局のところの主婦に求められる力なんじゃないかなと思ってですね。
主婦力っていうのは、主婦力って言葉を聞くと家事ができるとか、料理ができるとかっていうのをイメージ分けますけど
実はさ、流れの主婦力はそういうあり方とかマインドセットの話ってことですね。 そういうことですね。なんかね、家事とか水事は得意であればあるほどいいと思うんですよ。
生活をより良くします。回るようになるし。結局ね、毎日やってることって掃除、洗濯。 掃除費は適当だったりするんですけど、あと水事ですよね。
三職は基本的に自分で作ってるので、そうしないとね、ロンドンの物価だと生きていけないっていう事情もあります。
なんだけど、それをこなしてると、なんかこう、なんだろうな。 それをこなしているだけでは多分自分自身
満足できないんですよ。 なんか
あのなんだろうな、満足ってのは何かっていうのはあるんだけど、 そこまで掘り下げていくと石破茂みたいになっちゃうなと思いながら、
自分が家族に貢献している。 あるいは、わざわざ仕事を辞めてロンドンまでついてきて、俺は何をしてるんだっていうところが、なんか料理とか
掃除とか、洗濯に集中しているだけではね、多分答えが出ないんですよ。
結局はだいたい可能な機能を、自分が苦手なだけになってしまうと。
なんかね、家族にとって、
なんだろう、父親として接する上では、多分自分の心が安定していて、自分が未来に希望を持っていて、子供たちや妻の
心の支えになれるような、なんだろう、マインドセットの方が
家事、水事をしっかりとこなせることよりも重要で、 上位概念なのかなと。あるいはベースを支えている概念なのかなと思ってるんですよ。この話大丈夫ですか?
ついてきてますか? 聞いてる人、特に。
はいはいはい。 接し方みたいな話ですね、その家族の中で。
そうそう、だから要するに主婦って名乗るときに、これはだから夫だろうが妻だろうがですよ、主婦っていうのが。
家族の構成員であるっていうことが大前提になる名乗り方ですよね。 一人じゃできないじゃないですか。
妻あるいは夫に支えられているから、まあ主婦ですっていう言葉が成り立つわけで、それっていうのは要するに家族っていう、私だったら岡田家っていうチームがあって、このチームの構成員として
何かしらの役割を担って自分は主婦であるって言ったときに、それって要するに家事、水事を自分が率先して担っている以上の意味合いがあったほうが自分としてはしっくりくるなっていう感じなんですよね。
で、それっていうのは強烈なアイデンティティ意識でもないっていう話なんですよ。
自分を見失っても問題ないっていうのは。
男性のアイデンティティ
要するに、なんだろうな、例えば毎晩遅くまで一生懸命働いて、ハードワークすることで賃金を会社からもらって、それで家族を養っているっていうものが自分のアイデンティティになっている人とっても多いと思うんですよ。
少なくとも僕はそうでしたし、なんか日本のね、昭和から続く結構日本の家庭の男性像というか、そういうイメージだと思うんですよ。
男は外で稼いできてこそであるみたいな。
で、今って世の中女性の方が稼いでいるケースも
割と多くなってきてね、私の家とヤッキーさん、輝木さん家は同じ状況じゃないですか、そういう意味では。
女性の側が稼いでいて、それで、じゃあその時にいちいち男たちのアイデンティティは消失してしまうかって言えば、そうではないと思うんですよ。
どっちの方が稼いでても父親は父親。じゃあ自分のアイデンティティをどこに見出すか。
それは多分、給料の額、あるいは稼ぎを上げているっていうこと以外にあった方が良いのだろうし。
もっと言うと、そういう定義付けをいちいちしなくても、自分はなんだろう、ここで生きてるだけで夫であり父であり
一人の人間なので、なんか そういう家庭の状況でいちいち自分のアイデンティティを揺らぐ必要がないんだよ
っていうことを、なんか 聞いてる人には言いたいですね。
いいですね。今のアリジャザンの主婦力はどれぐらい高まっているんですか?
主婦力がどれぐらい高まっているか?日々精進しておりますよ、日々。
今日も月曜日ですけど、収録の日はね。午前中にやってますが、今日の朝は
主夫としての挑戦
出かけるよって子供たちに呼びかけても、3、4分音沙汰がないから、ちょっと切れてしまいましたんで、主婦力まだ修行中かなっていう感じなんですけど。
そうね。厳しいのかな。なんだろうな。じゃあ何が理想かっていうところでいくと、
そうだな。いや難しいですね。全然歯切れが悪いんですけど。
だって出かけるよって言ったらすぐ動いてほしいじゃないですか。
うん、それはそうだ。準備が全部できたらYouTube見ていいよって言って、YouTube見てるんだから、お前ら準備できてるだろうということで、
8時までだよって言って、8時過ぎてるんだから、やめなさいって言ったらね、一発でバシって来てほしいし、入ってほしいけど、まあそうもいかんっていうね、
ものに対してイライラしてしまったっていう話なんで、俺悪くなくねって思う自分もいます。
正直、正直。でもなんだろうな、それ含めて子供たちが育っていくので、
まあいちいち声を荒げることなくやっていければいいのかなと思っているので、主婦力は向上していると思います。
思い悩んでしまってたと思います、昔は。どうして俺はいつもこうなんだと。ちょっとイライラしてしまうと。
なんかこれもうどうしようもないんじゃないかって思っちゃうんですよね。なんか参っている時とか。
まあいちいちそうならずに、
まあ物事はより良くなっていくだろうと、自分が行動すればと。
そういうことは思うんですけれどもね。超歯切れ悪いですね。
まあまあ。この主婦力でいうところの、今三谷さんが言ってた、もともと男性はお金が稼ぐというアイデンティティーがあって、家庭の中で主婦であるイコール、家族の中での関係性みたいな話だと思うんですけど、
その中でのアイデンティティ的なところで言うと、
主婦力が高まると、
どういう捉え方に大きく切り替わったのか。
ああ、そうですね。
えっとね、そうだなぁ。
やっぱりね、まずもともとは少なからず、何だろう、胸を張って人に、
自分が今主婦で、家責は妻が挙げていて、基本的にはね、ハウスハズバントなんてこっちでは言いますけど、
家にいるんだと、仕事はしてないんだと、いう自己紹介をすることに、何だろうな、少なからず恥ずかしいという思いがあったんですよ。
で、今では、
何だろう、あえてそういうことを選択してやっている、そしてそれは家族としての選択なので、自分は特に
恥じる必要はない、っていうふうに思えてるんですよね。
うん。で、そこ、もともとの恥じる状態から、恥じる必要はない、胸を張っていいという状態に至るまでの間は、
結構な、 隔たりがあるというか。
ここは自分が、何だろうな、 変わったところかなと思うんですよ。主婦力、主婦力とは言ってますけれども、要するにそんなものはなくてっていう話なんですよね。
そんなものはなくて、自分自身が、何だろう、ブレない、あるいはブレだとしても問題ないっていう
弾力を身につけることが大事だと思うので、それは 多少身についてきているのかな。少なくとも視点は獲得しているのかなというふうに思います。
なんか中途半端な状態を受け入れるみたいな感じなんですかね。 うん、そうそうそうそう。そもそも人間なんて中途半端な状態よ、みたいな感じですかね。
うん、何だろう、例えば。 例えば、みんないつか死んじゃうじゃないですか。でも一旦、一旦死なない前提でいろいろ
進めてるじゃないですか。 一旦今日一日は生きてるという前提で今日生きるし、
来年も生きてるという前提で来年の予定も立てるし、来年の予定まで立てるのかわからないけど、まあいつかあそこ行こうとか。
今年は行けなくてもいいやみたいな感じでね、考えたりするじゃないですか。 でも本当はそうじゃないって、なんかだいぶ前提を無視した考え方だし、それぐらい
大事な前提を無視して日々生活してるって中途半端じゃないですか。でもそれでいい っていう
考えなくていいこともたくさんあって
なんか 自分のなんだろうな、今の何だろう、例えば
今の僕の環境でもやろうと思えばできることがあると思うんですよ。
子供の送り迎えがあって、夕方3時半以降はもう子供が家にいるから、いろいろできない。
で、 置くこともできるし、いるけどまあなんだろう、大学通うとかさ、
なんか別の仕事するとか、
何足のわらじを履いて忙しくしてもいい わけで、本当はそういうことができるのにやってない自分は努力が足りないんじゃないかって
自分のことを卑下することもできるし、 なんか物足りないって言って投げることもできるんですけど、そういうのも含めて自分は今選択して今
自分がやってることをやってる。
そういうふうに、なんだろうな、言い訳と捉える人もいるかもしれないし、逆に言うと何でも言い訳として整理して
もっと追い込むことができるので、どこで線を引くかっていう方が大事。
で、この線引きを他人に委ね続けたのが30代前半までの自分かなと思うんですよ。
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