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こんにちは、秋本くりこです。
今日は、子どものお小遣いの話をきっかけに考えたことについてお話をさせていただきたいと思います。
ある方がインスタライブで子どものお小遣いについてのお話をされてまして、
その方はお金について発信をされているんですけれども、
その方自身が自分の子どもに定額でお小遣いをあげていると。
定額というのは、1年生は300円、2年生は400円みたいな感じで決まった金額を毎月あげるということですね。
お小遣いのあげ方でもう一つ、お手伝いをしたらいくらという報酬制でお小遣いをあげていらっしゃる方もいると思うんですけれども、
その方は報酬制にはしていないと。
その理由として、ご自身が子どもの頃に一時報酬制が導入されたと。
今までは定額制だったものが報酬制に変わったので、頑張ってお手伝いをするようになったそうなんですね。
ただ、妹さんがいらっしゃったので、妹さんもお手伝いをすることでお小遣いを得たいと。
お小遣いはお手伝いの内容によってもらえる金額が違ったそうなんです。
なので、お二人とも割のいいお手伝い。
たくさんお小遣いの金額をもらえるお手伝いをしたがるようになって、
それで兄弟喧嘩が増えてしまって、結局報酬制は止めになって、元の定額制に戻ったというようなお話だったんですね。
これすごい面白いなと思ったのが、そもそもお小遣い云々の話の前に、
もともとその方も妹さんも家の中のお手伝いというのをよくされていたそうなんですね。
当たり前のように洗濯だとか掃除だとか料理を作ったりだとか、
ご両親が働きだったこともあって、家の中のお手伝いをよくやっていたと。
ただ、そこに報酬がつくことによって、変な感じになってしまったということなんですよね。
こういうのってアンダーマイニング効果っていうそうで、
もともとは自発的にやっていたことが報酬を受けることになったことによって、
その報酬を受けることそのものが目的になってしまう。
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その結果として、もともとは内発的な動機づけとかって言われますけれども、
内側から出る動機、モチベーションによってやっていたことが、
その内側の動機が失われてしまう。
なので報酬を受けること、外側、外発的な動機づけに変わってしまうので、
本来あった自分の中の内側から出る動機が失われてしまうことのことを、
このアンダーマイニング効果っていうそうなんですね。
これって言われてみればあるなって思ったのと、
あともう一つ私が最近読んでいた本で、
予想通りに不合理っていう本があるんですけれども、
その中でも似たような話が書かれていて、
この予想通りに不合理の中では、
社会規範と市場規範っていうことが書かれているんですね。
社会規範っていうのは、社会的に良しとされること、
市場規範っていうのは、市場、お金を介したやり取り、
その中でお金の原理が持ち込まれた規範っていう感じですね。
その中に出てきた例、いろんな形で例が出されているんですけれども、
一個なるほどなって思ったのが、宅地所の迎え時間の例で、
宅地所、保育園とかって迎えに行く時間決まってるじゃないですか。
お迎えに遅れる、親が決められた時間までに遅れないように、
もともとは別に遅れなくても、
ちゃんと時間までに迎えに来てくださいねっていうようなことで終わっていた。
つまりその社会規範、社会的に良しとされる行動が
決められた時間までに迎えに行くっていうのが社会規範ですね。
社会的にそのルールが決まっているので、
そうしてくださいっていうことをしていたんですけれども、
あるとき罰金制度を導入したそうなんですね。
決められた時間までに迎えに来なかった場合は罰金っていう運用にしたそうなんです。
その結果どうなったかというと、
罰金が導入される前よりも、
罰金が導入された後の方が迎えの時間に遅れることが多くなったっていうんですね。
これはこの著者の考察としては、
もともとは社会規範を適用していたので、
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親たちは時間に遅れることが社会的に良くないと、
その罪悪感で時間通りに迎えに行っていた、
頑張って迎えに行こうとしていたっていうことなんですけれども、
そこに罰金が導入されたことで、
社会規範から市場規範に切り替わってしまった。
なのでお金で解決っていう感じですよね。
お金を払えばいいみたいなことになってしまうので、
市場規範が導入されたことによって、
逆に遅れることが多くなってしまったということなんですね。
さらに興味深いのが、
その罰金制度を廃止しようということになって、
また今までの社会規範、
罰金制度なしで社会規範に頼ろうということに
運用を変えたんですけれども、
それでも親たちの行動は変わらなかった。
迎えの時間に遅れ続けたということなんですね。
むしろ罰金がなくなってから、
子どもの迎えに遅刻する回数がわずかに増えてしまった
ということなんです。
なぜかというと、もともと社会規範だったのが
市場規範になったことで、
もう社会規範はその時点で失われてしまったと。
市場規範になったことで、
一度市場規範が持ち込まれてしまうと、
もうそこから社会規範には戻すことができない。
市場規範の中で親たちは考えるので、
そこで罰金がなくなったんだから、
遅れたとしても痛くもかやくもないというか、
罰金もないし、別にいいだろうということで、
元の社会規範は戻ってこなかったという
実験結果があるそうです。
私の子どもはまだ保育園で年中3なので、
お小遣いは小学校ぐらいからかなと思っているんですけれども、
その話を聞いて、
やっぱり報酬制はあまりよろしくないかなというふうに思いましたね。
やっぱり家の中のことで、
働くことでお金がもらえるという経験も
貴重な経験であるとは思いますけれども、
それは別のところでも教えられるのではないかと。
日頃からお父さんお母さんはこういうお仕事をしていて、
お給料をこういう形でもらっているから、
こういったものが買えるんだよという話をするとか、
そういったことでも教えられる。
けれども、家の中に一回市場規範を持ち込んでしまうと、
社会規範に戻せないということになると、
本当に家事をすること、
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家の中の仕事をすることが
本当に純粋にお金のためということを
子どもに植え付けることになってしまうのかなというふうに思ったんですよね。
本来は自分たちが生きていくため、
掃除をしたり洗濯をしたりというのは
自分のために、自分が生きていくためにやることなのに、
それがお金をもらうためにやることになってしまうと、
お金をもらえないならやらないとか、
金額が少ないからやらないとか、
別にもらわなくていいから、お小遣いがいらないから
家事もやらないみたいなことになりかねないなというふうに思いました。
お小遣いがどういった形になるか、
その時になってみないとわからないですけれども、
今のところは定額で、
この中でやりくりしてねということで、
渡すのがいいのかなというふうに思いました。
この労働と報酬の話って、
ダオの中の仕事でも似たようなことがあるのかなというふうに感じていて、
多分元々お金をもらいたくてダオに入ってきて、
ダオの中で活動している人ってあんまりいないと思うんですよね。
ダオによるとは思うんですけれども、
いろいろダオの中で活発に動いている人は、
こういう役割をやってくださいという話になって、
結果的に報酬をいただけるようになるみたいなこともあると思うんですけれども、
人によっては、もともと楽しんでやっていたことに対して、
報酬がついてしまうことに対して、
ちょっとやる気を襲われてしまうということが起こり得るのかなと。
もともと仕事としてダオの中のいろいろなことを受けるようになったという方は、
違うと思うんですけれども、
スタートが仕事だったかどうかですよね。
もともとただやりたくてやっていたというのと、
もともと仕事として受け始めたというのは、
結構違うんだなというふうに、この本を読んで改めて思いました。
なので、こういったところは正解はないとは思うんですけれども、
なかなか運営する側としては、
気を使わなきゃいけないところなんだなというふうに思いましたね。
それでは、子供のおぼつかい話からちょっと続いてしまいましたが、
今日はこの辺で、さようなら。